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リコリスの庭(前)/Novel by あつみなほ

リコリスの庭(前)

21,586 character(s)43 mins

◆このお話にはFate/SNの五次アーチャーに関する重大なネタバレを含みますのでご注意下さい

◆気付いたら投稿が久しぶりすぎてびっくりしました!
もうすぐSNアニメですね…番宣も次々と流れて高まります…
そんな訳で一度書きたかった切弓です。
切嗣とアーチャーはお互いが好き過ぎて別にどっちがどっちでもいいんじゃないかなって思ってます。私の中では。

◆大事な事なので2回言います。
切弓です。
前半は何もありませんが後編で魔力供給と言う名の本番があります
大事な事なので3回言いますが切弓です!
逆とか駄目!無理!って方は回れ右!してください
大丈夫!むしろどんと来い!とかちょっと興味のある人は自己責任でどうぞ♡
いつもよりアーチャーが3割り増し乙女で切嗣が包容力の男です(多分)

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「アーチャー、衛宮君の家にご飯作りに行って」

はじまりは、凛の一言だった。
窓からは夕焼けの朱が差し込む遠坂邸で、あっさりと言われた言葉に思わず自然に眉が寄ってしまう。
「今衛宮君の修行がいい所なの。今晩中にコツ掴ませたいんだけど帰っておじさまのご飯作らなきゃとか言うから…桜も今日は部活で遅いらしいしね。あんた、代わりに行って来てよ」
「…断る。いい所だろうが何だろうが、あの小僧にはそもそも五大元素の魔術なぞ馴染まんのだから時間の無駄だ」
「衛宮士郎」は錬鉄に特化した存在だ。五大元素なぞどう頑張ろうとその身に付かない事は私が一番良く解っている。
「アーチャー。これは依頼よ。あんたは私の魔力と引き換えに互いに不利益にならない事なら引き受けるって約束をしたわよね?これはそれに該当すると思うけど?」
私はそれに言葉を返そうとしたがそれを言いかける前に凛は畳み掛けるように私を手で制した。
「あんたどうせ、切嗣さんに会いたくないんでしょ。全く意地張って馬鹿らしい」
「私は意地など…!」
「はいはい、とにかく!衛宮君のお父さんとセイバーと二人で店屋物取らせるなんて嫌でしょ?あんたが一番適任なんだからさっさと行く!」
凛の、嫌味なほどの美しい発音でハリィアップ!と言われて私は溜息を付いた。

この冬木は現在同じ四日間を繰り返している。
しかもリセットではない、それまでの全ての四日間を踏まえたリスタート。既に両手では数えられない回数を繰り返していて原因は現在捜索中。
その三周ほど前の「繰り返しの四日間」に突然「衛宮切嗣」が現れた。
どんな仕組みかは解らないが、彼はおそらく四次聖杯戦争の頃の肉体年齢と五次聖杯戦争までのおおまかな記憶を持っていて、表面上彼の存在を誰も不思議に思う事が無かった。
藤村大河は勿論の事、あの家に集まる魔術師やサーヴァントの女性達、衛宮士郎でさえもだ。
いや、もしかしたらイリヤスフィールだけは気付いているのかもしれないが、とにかくこの矛盾に誰も言及する事無く世界は穏やかに鬼籍に入っている筈の存在を受け入れている。
凛や桜は衛宮切嗣に好意を隠そうともせずセイバーやライダーも似たようなものだ。
四次の際のセイバーとの不仲のようなものはいつの間にか解消されているらしい事が幸いではあるのだが。
衛宮切嗣の生前に彼と交流のあった者にも、そうでない者にも、彼は好意的に受け入れられていて、けれど私だけはそれを受け止めかねていた。
いや、彼が彼を大切に思う者達と過ごしている事は喜ばしいことだ。
けれど、それは私から遠く離れた所であるべきだ。私はもう「衛宮士郎」ではないのだから。


衛宮邸に赴き現界し、普通に玄関から尋ねると出てきた衛宮切嗣は案の定戸惑った表情を浮かべていた。
「あー、手を煩わせて済まないね」
「構わない」
私は咄嗟にそれしか言えなかった。
自分でも驚くべき事に、私は「衛宮切嗣」を目の前にして自分が思っていた以上に動揺を感じていたのだ。
そんな私の心のうちなど知る由も無い衛宮切嗣は眉を寄せて複雑な表情でどこか伺うように僕を見ている。
「…別に子供じゃないんだしたまには出前でも取ればいいから必要無いって言ったんだけど…」
恐らく、夕食を用意してくれる者が居るのは有難いがそれが、殆ど馴染みの無いサーヴァントである事が落ち着かないのだろう。困惑の中に僅かに警戒すら伺える。
さもありなん、私は凛に強制されてたった一度紹介されたきり彼と会う事も無かったのだ。まともに会話をするのもこれが始めてだ。
「セイバーも居るしそうも行くまい。私は凛に依頼を受けてきただけだ。気遣いは無用」
「あぁ…うん、ええと」
「失礼ながら、この屋敷には何度か邪魔している。台所を借りた事もあるので案内等は不要だ。すぐに夕食を作るので私は居ないものと思ってくつろいでいて構わない。…失礼して、お邪魔させて頂く」
そう言い、彼の案内を遮り、断りを入れて台所へ向かった。
本音を言えば、彼と視線を合わせる事も苦痛だったのだ。
苦痛というよりは恐怖と言い換えてもいいかもしれない。
生前の記憶など殆ど擦り切れた筈なのにこの人の今際の誓いの記憶だけは鮮明に覚えている。
温かく静かな彼との暮らしの記憶を、こうしている事で深い水底から引き上げてしまう事への不安と恐怖が私の足元に絡みつく。
エミヤシロウではない私は、そんなものを持つべきではないのだ。

冷蔵庫の中を確認すると出入りする人間の多いこの家の常で、冷凍庫にはそこそこの食材があるし、来る途中で港に居たランサーから種類がバラバラで貰い手が付かずリリースする寸前の釣果を譲り受けてきた。手早く献立を決めると私は意図的に料理に没頭する事にした。
が、それはなかなか上手く行かなかった。
居間に、衛宮切嗣の気配がある。しかも向こうはこちらを意識して落ち着かない空気と、未だ遠巻きながら警戒の態度を崩そうとしない。
「衛宮切嗣よ」
背を向けたままそう呼びかける。
無防備に背を晒すのは私なりの敵意の無い事の証明であるつもりなのだが、それは余り効果が無いようだ。
「…何かな」
「私はあなたに敵意は無い。馴染みの無いサーヴァントが台所に居るのは落ち着かないだろうが我慢してくれないか」
そう言うと背後の茶の間に座る切嗣の気配から警戒が緩み、僅かに遠慮がちになるのが感じ取れる。
「いや、その、…そういうつもりじゃ無いんだけど。…済まない。折角来てくれているのに」
「構わない。これは凛との契約の一環なのだ。あなたが気にする事ではない。料理は嫌いではないし、私の事は居ないものとして好きに過ごしてくれ」
「あ、うん…」
その時だった。
「アーチャー、来てくれていたのですね」
廊下へと続く襖を開けてセイバーが顔を出したので私は心から安堵した。
「セイバーか。お邪魔している」
「凛から連絡が行ったのですね?有難い!あなたの夕食なら願っても無い」
そう言いながら台所を覗き込んでくるセイバーの表情は期待に満ちていて思わず笑ってしまう。
「出来るだけ期待に添うよう努力しよう」
「何か手伝えることはありますか?」
「無い。衛宮切嗣の相手でもしていたまえ」
背中に、切嗣の視線を感じる。
私は彼にだけは正体を知られる訳には行かないし、それを示唆するような事を絶対に言わないように周囲の者に頼んでも居る。
凛はともかく、他の者と親しくする事も出来るだけ避けるべきだろう。
セイバーも私の意図に気が付いたのだろう、一瞬だけ視線を揺らすと静かに私の傍から離れて切嗣の座る居間のテーブルに座ると何とも表現し難い微妙な空気になっている。
それを動かしたのはやはりというべきか社交性の高い切嗣だった。
「アーチャーは…料理、上手いのかい」
「…!それはもう!ここだけの話ですが彼の料理の技量はあの士郎や桜さえも上回ります!私が保証します!期待していて下さい」
セイバーは切嗣に話しかけられたのが嬉しいのだろう、妙に張り切って答えているのが聞こえて思わず眉が寄ってしまう。
「セイバー、余りハードルを上げるのは止めて貰えるかね」
振り向かないままそう釘を刺したがそれは上手く行かなかったようで、セイバーの小さな笑い声がするから私は諦めて、料理に専念する事にした。
本当の事を言えばそれに集中しなければならない理由はもう一つある。
切嗣に食事の味付けや癖で私の正体を知られてはならないのだから、あまり簡単なものやいつでも食卓に乗るようなものを出す事が出来ない。更に言うと参考までに凛に昨日の献立を聞くと彼女が腕を振るったらしく高カロリーの中華だったので余り重いものは避けた方が良い。
それで結局簡単な懐石形式の食事にする事にした。これなら食器の片付けも平行して出来るから食事中に捕まり余計な会話をする必要も無い。
乾物を湯で戻し、出汁をたっぷりと引き、先に炊き合わせの秋野菜と根菜の煮物だけは明日の朝食にそのまま使えるように鍋一杯に煮込み始めてから他の下ごしらえを済ませる。
焼き茄子や銀杏の素揚げの先付けや〆た秋鯖の小さな寿司の凌ぎと椀を先に出しておく。セイバーには寿司を多く握ってやったが食いきりの形式に馴染みが無いセイバーは目の前に置かれたものに一瞬目を輝かせたものの、すぐにその量の少なさに心配そうに私を見上げるから私は思わず笑いそうになるのを堪えた。
「アーチャー…その、今日の夕食はこれだけですか?」
「そんな訳はなかろう。これはまだ前菜のようなものだ。順に出すから焦らずゆっくり食べろ」
そう言うと彼女はぱっと顔を綻ばせて寿司を口にして「美味しいです!」と満足そうなので思わず少し笑ってしまう。
そうしてふと切嗣を見ると彼は焼き茄子を口にしておかしな顔をしている。
「口に合わないかね」
まさかそんな事は無いと思いつつも少しだけ不安になってそっと問うと彼は目の前の料理と私を交互に見て眉を寄せた。
「君、何者なの?料理の英霊?」
「そんなものは聞いた事が無い。知っていると思うが私は一応弓のクラスだ」
「そうだよね…アーチャーだもんなぁ…どこかの料亭で修行でもしてたの?」
まじまじと見つめられて、切嗣とこんな風に視線を合わせながら平静を保つの事にかなりの努力を要するがそれを表に出す訳には行かない。
「そう思って貰えるなら至極光栄だ。まだ料理はこれからだ。ゆっくり楽しむがいい。なんなら少し飲むかね?」
「あー、うん、はい…折角なので頂こうかな。これは日本酒だよねやっぱり」
「そうだな。隣からの頂き物か、良い酒があるようだ」
「わ、私も飲みたいです!」
セイバーが嬉しそうに身を乗り出す。
セイバーは肉体的には未成年なので大河が同席の場合は飲酒は禁じられているが、彼女が居なければサーヴァントである彼女の飲酒を禁止しようと考える者は誰もおらず、それは当然私も、そして衛宮切嗣もそうである。
切嗣も一人で飲むよりはと思っているのだろう、それでもまだ遠慮を感じさせながら私に二人分の酒の用意を依頼した。
その後は実に和やかではあった。
日本酒と造りを出してやり、飲み始めた二人は珍しく他愛ない話に花が咲いているらしく、その内容は殆どが衛宮士郎の幼少の頃の話であったので些か居心地が悪かったがそれでもこの二人が打ち解けているのを見るのは私に取っても好ましいのでこの際内容には目を瞑る事にする。
八寸の代わりに酒の肴になるように白和えや百合根で作った蒸し物を出し、焼き物や炊き合わせを出す頃にはセイバーの腹もそれなりに満たされたらしく留めに刻んだ鰻の丼を出してやればすっかり満足したのか、切嗣との会話が弾んでいるのも相まって実に楽しそうだし、切嗣も私に食事の美味しさの賛辞以外に特に話しかけても来なかったので私は安心して最後のデザートに林檎のコンポートと出すと後片付けも粗方済ませて早々にこの家を退散しようとした。
私にとっては背中越しであっても切嗣の気配や笑い声を聞き、私の作った料理を美味いと食べてくれるだけで充分過ぎる程だったのだ。
酒が入ったせいもあって後半からの衛宮切嗣の私への警戒はぐっと薄れ、運んだ料理の説明を自ら求めてくるようにもなっていて、私は結果的には心の奥で凛に感謝をしていた。

けれど。
来た時と同じく玄関から辞そうとすると切嗣が後を追ってきて声を掛けられたので驚いた。
「待ってくれ、アーチャー」
「何だね」
そうして立ち止まった私に追いつき見上げる表情は、ここへ来た時とは比べ物にならないほど穏やかだったので私は殊更に表情を殺した。
「今日は本当にごちそうさま。とても美味しかったよ…まるでお店に行ったみたいだった」
「それは先聞いた。口に合ったなら何よりだ」
「うん、でももう一度言いたかったんだよ。…それと、あー、その」
「何だね」
出来るだけ、感情が入らないように問えば彼は照れたように笑う。それが懐かしいと思った。思ってしまった。
私はこの表情を何度も見ている。見上げていた。
「うん、初め…僕ちょっと感じ悪かっただろう?申し訳なかったから謝りたかったんだ」
照れたように、少しバツが悪そうに笑みを浮かべる表情を、私は知っている。
「気にしていない。私のような者が家に出入りすれば落ち着かないのは当然だろう。警戒心があるのは悪いことではない」
「君…」
「何かね」
真っ直ぐな視線が落ち着かない、居た堪れない。私をそんなに優しい目で見ないで欲しい。
「君、こうして見るといい男だね。そうだよね、あの凛ちゃんの呼んだサーヴァントなんだから、当たり前なのになぁ」
はは、ごめんね、と困ったように笑う男がいっそ憎らしい。人の気も知らないで。
「…前言撤回だ。あなたはもっと警戒心を持った方がいい。簡単に胃袋を掴まれ過ぎだ」
そう苦言を呈すると彼はいきなり声を出して笑い出したので自然に眉間に皺が寄るのが解る。
「何がおかしい」
「ごめんごめん、気にしないで。ねぇ、またご飯を作りに来てくれないかい?」
「断る」
「えー、お願い。お昼とか、いつも士郎が作り置きしてくれるけどあの子だって色々忙しいんだから悪いしね。…勿論お礼もするよ?」
「いらん。あれが勝手に好きでしているのだからさせておけば良かろう」
「君のご飯をもっと色々食べたいんだけどな」
「断る」
「つれないなぁ」
「私は家政婦の真似事をするために冬木に現界している訳ではないのだ。…失礼する」
その場で私は霊体化してこの家を立ち去った。これ以上切嗣と話をするのが怖かった。
その後の切嗣の表情すら伺わなかった。やはり無愛想な男だと思うなら思ってくれという気分だった。
たった数分の会話が記憶に感じたことも無いほどに幸せだったのだ。
幸せを感じている自分が恐ろしかった。


「やぁ、アーチャー」

けれど、私は何故かその二日後に彼の昼食を作る羽目になっていた。
凛に、無理やりに切嗣の昼食を作るようにと衛宮の家に派遣されたのだ。
衛宮家の玄関をくぐると切嗣がどこか悪戯っぽい顔で私を出迎えた。
「将を射るにはまず馬から、ってね」
凛の強引なまでの言葉から何となく予想は付いていた。切嗣は何か凛に賄賂のような事をしたのだろう。それが何かは解らないが。
「…参考までに、私は一体何で売られたのかね」
「人聞き悪いなぁ。凛ちゃんはそんな子じゃないだろう」
「そんな娘なのだよあれは」
そう言うと切嗣がさも楽しそうに笑って更に悪戯っぽく瞳をたわめた。
「君、凛ちゃんが好きなの?」
「マスターとして優秀ではあるが私はサーヴァントだ。そんな情など持たないし、今の彼女はマスターではない」
「でもキャスターだってマスターと結婚してるじゃないか」
「魔女の事等知らん。…昼食を作る。リクエストはあるか」
「ハンバーグ!」
切嗣が心からの嬉しそうな顔で笑うから私はそっと視線を逸らして溜息を付いた。

何度も繰り返しの四日間が続く中、私はそれから頻繁に彼の食事を作るために衛宮の家に呼ばれた。
セイバーやライダーが居る事もあれば切嗣だけの事もある。
切嗣は初めの晩の警戒が嘘のように私に気安く、まるで衛宮の家に集う少女や女性達と同じように私に接した。
慣れとは恐ろしいもので彼と話す事があれだけ恐ろしかった私も、切嗣が私の出自を怪しみもしない様子にその事に対する不安を弱めて行った。
冷静に考えれば解る筈も無い。
髪や肌がここまで違うのだ。それに身長や骨格も大きく違う。声もだ。それはまさに切嗣が教えた間違った魔術鍛錬法による物なのだがそれが幸いしている。
切嗣の「ここ、若い女の子が多すぎて落ち着かないから君が来てくれると精神的に助かる」と言う言葉に苦笑いを返せる程には私も切嗣に慣れていた。
彼しか家に居ない時は、一人での食事が味気ないからと乞われて一緒に食事をする事すら出来るようになった。
そんな時の彼は殊更子供っぽく、けれど私を見る視線はまるで親しい親戚の子供を見るような温かみがあって私は居た堪れなさと幸福の狭間で揺れ動き、けれどそれにも少しずつ慣れてゆく。
「ねぇ、別に君の正体を探ろうとかじゃなくて君に対する純粋な興味なんだけど」
彼は私が正体を探られるのを嫌う事もきちんと理解していて、無理に私から情報を引き出そうとしない事だけは有難かった。
「何だね」
「今日のご飯も美味しいなぁ…このさぁ、塩加減が絶妙だよねぇ」
半分齧った蒸し鳥を咀嚼しつつ半分を箸でじっと見つめてから残りをぱくりと口に放り込んでんー、美味しいと頬を動かしている子供のような男。
「話が逸れちゃったね、うん、逸れてもいないか。君こんなのどこで習ったの?」
「前にも言ったと思うが私は生前の記憶は皆無に近いのだ」
「うーん、珍しいケースだよね…皆普通に生前を覚えてるみたいなのに君だけどうしてだろうね?」
「…私は正規の英霊ではない。反英霊の類だ。それに召還時に事故を起こしている」
言葉に自虐が混じらないよう勤めて冷静に言ったつもりだが成功したのかは解らない。
切嗣は小さく首を傾げた後「そうなのか」と頷いた。
「でも日本に居た事もあるのかな…?日本料理は日本に住んだ事が無いと難しいよね、侘び寂びの感覚とか」
「…そうだな。多分」
「多分?」
「日本に居た事はあるだろうしヨーロッパ圏の貴族だとか、そういう家で働いた事があるのかもしれない。あちこちを転々としていた、ような気がする。料理に限らず、元々ものを作る事が好きだったから、プロに習ったりもしたのだろう」
「ふふ、そうなのか」
そう言う切嗣は楽しそうだった。

「最近いい感じじゃない、おじさまと。良かったわね」
「別に」
「なぁにが別に、よ。昔の話とかしたの?」
「する訳がなかろう」
そう言うと凛はぱちぱちと長い睫を瞬かせて「はぁ!?」と素っ頓狂な声を上げた。
「あんたまだ言ってなかったの!?ばっかみたい!」
「馬鹿で結構。言うつもりなど無い。だから君も迂闊な事を彼に漏らさないでくれないか。君が一番危ない」
「しっつれいね!何よ、今すぐバラしに行ってやろうかしら!」
「おい、凛!」
私は半ば本気で慌てた。凛ならやりかねないと思ったからだ。
慌てて彼女の細い手首を掴み心から謝罪する。
「私が悪かった、済まない。謝罪する。だから彼にそれを言うのだけは止めてくれないか」
そう言うと凛は私の顔をじっと見上げるから私も彼女の日本人にしては青みのかかった美しい瞳を見つめ返すと、凛は大きく溜息を付いた。
「…解ったわよ。…全く馬鹿みたいね、ほんと」
「私のこの姿を知れば切嗣は後悔に苦しむだろう。あの人を悲しませる事だけはしたくない」
「馬鹿」
「そんな事は自分が一番知っている。私はどうしょうもない愚か者だ」
だから霊長の守護者などという掃除屋などになってしまった。私に個など無い。必要も無い。私は既に世界の装置であり歯車だ。ここに居る私は幻に過ぎず、この喜びも戸惑いも泡沫の淡い夢に過ぎない。
「…あんたも、衛宮君もずるいわ」
そんな自嘲に沈んでいたから、私は凛の小さな呟きを危うく聞き逃す所だった。
「私だってお父様に逢いたいわよ。…会って今の私を見て貰いたい」
「…凛」
「あんたは恵まれてるわよ。いくらあんたの選択が思う通りじゃ無かったとしてもこんな機会を与えられているんだもの…それを無駄にするなんて贅沢よ」
そう言う彼女は私に背を向けていて表情は見えなかった。
「…その、凛」
「何よ」
「済まない。だが、それでも私は…」
それでも、これだけは譲るわけには行かない。
例えここに居る衛宮切嗣もやはり幻のような存在であろうと、あの人には穏やかに暮らして欲しいのだ。
本来、鬼籍の人である彼に残酷で皮肉な結末など触れさせたくない。
その皮肉な結末は全て私の愚かさが招いた事だが、あの優しい人はきっとそうは思わない。自分を責めるのは目に見えている。それが私には耐え難い。
背を向けたままの凛が大きな溜息を付くのが肩の動きで分かった。

翌日に、凛からの指示で衛宮の家を訪れると家には切嗣だけで、そうして彼は珍しく鈍色の訪問着を着ていた。
「昼食を、作りに来たのだがどこかへ出かける予定でも?」
そう問いかけると彼は首を振って笑った。
「違うよ、たまには君と出かけてみようかなって。新都に美味しいものでも食べに行こうよ?いつものお礼をしたいんだ」
何を言っているのだ、この人は。
「礼など要らん。あなたはあまり身体が丈夫ではないのではないのか?余り人の多い場所へ出かけるのは疲れるだろう」
「え、士郎から聞いたのかい?」
「そんな所だ」
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫」
そう言ってから、彼はどこか意味深な表情をした。遠くを見据えるような瞳はいつもの若隠居を思わせる男とは違う、四次の聖杯戦争を戦っていた時のものだと直感的に思った。
「『僕』はね、まだ泥を被っていないから」
「…!」
「そういう事だよ。士郎は泥を被った幼い頃の僕のイメージが強いから過保護にしてくれるけど、今の僕は本当はわりと強いんだよ?」
それは気付いていた。私の中の衛宮切嗣もまた、泥に侵された病弱なイメージが付きまとっていたが、ここでの彼の魔力や魔術師としての気配は凛の天才とも言える才能から来る輝きには届かないものの、充分に熟練し戦い慣れした現役の手錬のものだと解る。彼の魔力の質と量も彼がセイバーのように大量の魔力を消費する英霊を充分に活用出来ていた事でも証明されているのだ。
何より、彼からはいつも上質の甘い魔力の香りを感じる。
この身は、魔力に拠って編まれたもので、それは凛のもので贖われている。
けれど、もしもこの人の魔力で、この身を編む事が出来たらそれはどんなにか幸せな事だろう。身に余る、最高の幸福ではないか。
ふとそんな想いが頭を過ぎる。
それは今に始まった事ではなく、彼の傍に慣れ初めてからゆっくりと胸の奥に湧き上がり始めた身の程を弁えない、どす黒い傲慢な欲求だ。
こんなものに呑まれてはいけない。私は、彼に近づかない方がいいのだ。
なのに。
「ね、美味しそうなお店を予約したんだ。オーガニックっていうの?それの身体にいいフレンチだって。君も料理の参考になるだろう?行こうよ」
「…」
「駄目かい?君と行きたいから予約したんだけど」
「何故私なのだ。その手の店なら他に適任がいくらでも居る」
既にはっきりと断る事が出来なくなっている自分に嫌悪しながら、そう言うと彼は私を小さな子供を見るような瞳で見つめた。
まるで仕方ないなぁ、と言っているようで、理性はそんな子供にするような表情を向けられる事に不快を感じる筈なのに、もっと深い所でその視線に幸福を感じている自分が居る。
「解ってないなぁ、この店に行きたいから君を誘ったんじゃない、君とどこかへ行きたいから選んだ場所だよ。それを他の人となんて的外れもいい所だ。嫌かい?駄目?折角お気に入りの着物を着たのに僕はこのままキャンセルの電話をかけないとならないのかい?」
私は思わず大きく溜息を付いた。
「…あなたは誘い上手だな…」
切嗣は嬉しそうににっこりと笑った。
「皮肉で言っているのだが?」
「何でとでも。君が一緒に来てくれるのなら聞き流せる。子猫の鳴き声みたいなものだ」
「誰が子猫だね」
「さてね?」
全く始末が悪い。

並んで歩く切嗣は始終上機嫌だった。
あまつさえ「君とデートだ」などと嘯くので思いきり眉を顰めてしまう。
「…単語の選択がおかしくはないかね」
「えっ、別におかしくないよ」
「あなたと私のデートという単語に対しての認識は天と地ほどに差があるようだな」
「うーん、デートってお互い好意のあるもの同士が理解をもっと深める為に一緒に過ごす事じゃないかい?」
「…まぁ、間違ってはいないな」
「僕は君の事好きだし、君も僕の事好きだろう?僕は君の事、もっと知りたいよ?なら良いじゃないか」
「…」
反論したい部分が多すぎてどこから切り返すべきか迷って、私はそれを順にする事にした。
「何を根拠に私があなたを好きだと?」
「好きじゃない?」
「そもそも私は生身の人間ではない。今更好きだの嫌いだの、そういう感情など無い」
「じゃあ自覚が無いのかな、あのねぇ、普通好意のまるで無い相手にあんなに手の込んだ料理は作れないよ」
「…私はやるからには徹底する主義だ」
出来るだけ顔を顰めて言ったつもりだが上手く行ったかはわからない。多分失敗したのだろう、切嗣は楽しそうに笑っている。
「だって、…ハンバーグ入りのトマトドリア、サクサク揚げたての小エビの掻き揚げ天ぷら蕎麦でしょ、ホワイトソースもミートソースも手作りのラザニア、茶巾寿司、あのホールで焼いてくれたキッシュなんて余った分を凛ちゃん桜ちゃんとセイバーと大河ちゃんが取り合って戦争が起きそうだった」
楽しそうに指折り数えて切嗣が笑う。
「あと、おやつも手作りの豆乳のアイスクリームにクレープシュゼット、それに僕知らなかったんだけどあのフレンチトーストって半日とかパンを液に漬けて置いてるんだ?」
「レシピによるだろうな」
「作ってくれた前の晩にね、士郎が冷蔵庫の中見てうわ!って騒いでて」
「……」
「タッパに『触るな』って紙貼って冷蔵庫に入れてただろう?皆でアーチャーのレシピだって興味津々でね、液舐めてた。あ、僕がこれバラしたの内緒ね?」
…久々に衛宮士郎に本気で殺意が湧いた。そういうものは触らずそっとしておくのがマナーだろうが。
「で、翌日を楽しみにしてたんだけどあれ、本当に美味しかったよ…外はこんがりキツネ色で中がふんわり蕩けそうで…」
本当に美味しかったのだろう、切嗣はそれを思い出しているのか唾液でも溢しそうなうっとりとした表情で宙を見ている。やれやれだ。
「何が言いたいのかね」
「うん、とまぁね、つまりはいくら完ぺき主義だろうが普通はここまで手の込んだものは作らないよ。料理は愛情、だろう?」
正直、何を言い返せば良いのか本気で迷ってしまった。
彼の言葉はまさしく正しかったからだ。愚かにもその事に私は今までまるで気が付いていなかった。
そうだ、私は彼の食事を作る時に殊更に手間の掛かるものを選んでいる。自分でも気が付かなかった事を私は切嗣に指摘されて初めて気が付いた。
答えなど簡単だ。
私は彼の為に何かをしたい、それが喜びなのだから手のかかる料理をわざわざ選択するのは当たり前のことだ。
「…私は単に料理に限らず、何かを作る事が好きなのだ」
「ふうん…君、そういう所士郎と似てるよね」
「あんな未熟者の小僧と一緒にしないでもらおうか」
「酷いなぁ、士郎はあんなにいい子なのに」
何気ない様子で言われた言葉に心臓が跳ねた。
まさか、そんな筈が無い。それよりも、私は今どんな顔をしている?冷静を保てているのか?
「…あの小僧と私の、一体何処が似ているというのだ。馬鹿馬鹿しい」
そっと切嗣を伺いつつも私は不可解な表情を作る。切嗣はと言えば自分でも思いつきで言ったのだろう、理由を「うーん」と呟いている。
多分、勘、のようなものなのかもしれない。さすがにこの人だ。油断ならない。
「何だろうな、何か作るのが好きとか、わりと凝り性だし…器用そうに見えて不器用っていうか」
何となく、そんな感じがしただけだよ、と笑う人が私を見上げる。不思議だ。見上げていた筈の人を私は今見下ろしている。癖のある髪が揺れてつむじが見える。
「そんな曖昧な理由かね」
「いいじゃないか別に…ちょっと思った事を口にするくらい」
「そもそもデートとは異性間に使われるものだろう」
さりげなく、話題を逸らすと切嗣は私の顔をじっと見つめるので私は酷く居心地の悪い気分になる。
「君は…わりと近代の英霊なのかな?そうでなければキリスト教圏、もしくはその両方とか。今時恋愛は異性間だけのものなんて綺麗事を真顔で言うなんて驚きだ」
驚いたのはこちらだ。
「あなたにはイリヤスフィールという直系の息女が居る筈だが、異性同性どちらも恋愛対象となるタイプなのか?」
「えっ、多分違うんじゃないかなぁ。今まで記憶にある限り男とどうこうなった事は無いよ」
思わず私は大きな溜息を付いてしまう。
「衛宮切嗣よ、言ってる事が破綻しているぞ」
「その、衛宮切嗣って呼び方止めてよ。なんだか余所余所しくて嫌いだ。…何事にも例外はあるさ。今まで男に興味は無かったけど、君みたいな男は好みだなと思ったんだ。鍛え抜かれた身体といい声してて、器用だけど不器用で寡黙で誠実」
「何を言っているのかね、全く…面白くもない冗談だ」
これはこれでおかしな雲行きだ。私が呆れたようにそれを流そうとすれば切嗣は私の意図を知ってか知らずか「まぁまぁ」とまた笑っている。切嗣は時折訳のわからない冗談や面白くもない冗談を言ったりする人だった。多分、これもその一種なのだろう。

切嗣に連れて行かれた店は、味も店の雰囲気やサービスも申し分の無い店でフレンチという割にはバターやクリームの類は控えめでオーガニックの野菜をふんだんに使ったものだった。切嗣も余り得意ではないはずの野菜をきちんと口に運んで美味しいと頷いている。
が。
「本音を言うと」
彼はいきなり周囲を見渡して店員が近くに居ないのを確認すると声を潜めた。
「あなたの本音は碌なものじゃなさそうだな」
「君も言うね」
「あなたほどではないさ」
「ん、いやね、オーガニックとか健康にいいフレンチとかって何だか嘘臭いっていうか矛盾してるなってさ。健康とフレンチって真逆じゃないか」
「おい、この店を全否定してどうする。聞こえたら叩き出されるぞ」
「聞こえないように言ってるから大丈夫」
そう悪戯っぽく笑う人の表情は記憶と寸分変わらない。
「あなたは時々子供のような振る舞いをするな」
「それ、士郎にも言われるけど、でも男っていつまでも心は少年じゃない?」
「否定はしないが自分でそれを言い訳にするのはどうかと思うぞ」
そう言うと切嗣は声を上げて笑った。
「何だか大きい息子が増えたみたいだなぁ。しかも説教好き」
「あなたが説教をしたくなるような事を言うからだ。勝手に息子にするな。これでも人生経験はあなたより相当に長いぞ」
どきりとしながらも、どうも納得がいかない。守護者となった自分に時間の概念は無いが、多分人としての没年は私と切嗣はそう変わらないしその後の長い守護者としての生活を人生に換算すれば間違いなく普通の人間の寿命のレベルなどとうに超えているだろう。
けれど切嗣は私の言葉に頷きはしたものの柔らかく、どこか諭すような響きで言葉を繋げた。
「でも、人間って若い時の印象深い瞬間や経験から精神年齢が止まるような気がしないかい?社会的な立場から大人の振りを覚えてゆくだけで、根本なんてそうそう変わらないと思うんだよね」
どきりとした。比喩ではなく心臓が跳ねた。

そうだ。私の中でも時は止まっている。
あの、彼を見上げて誓いを交わしてそのまま彼を看取った瞬間から。
私の心ははあそこから永遠に動けないままだ。生前どこの国へ行こうと、死して世界の歯車となり戦場を彷徨おうと私の魂は彼との誓いの月の下のあの縁側にあるのだ。
「ならば、あなたの時間はどこで止まっているのかね?さぞかし若い頃なのだろうな」
そう、何の気無しにそのまま言葉を返せば切嗣は少し驚いた顔をいて、それから苦笑を漏らした。
「あんまり楽しい話じゃないからまぁ、そのうち機会があったらね」
気になったが、私にはそれ以上を追求することは出来なかった。

それから何度四日間を繰り返しただろうか。
切嗣がすっかり私に慣れていたのは言うまでも無いし私も、初めの頃が信じられないほどに彼との時間に慣れていた。
私は衛宮の家のあの賑やかな団欒は苦手で近寄りはしなかったがその後切嗣に誘われて時折縁側で酒の相手をする事すらあった。
遠い昔、彼を看取った場所で、当の本人と酒を酌み交わすのは何ともおかしな気分ではあったがそれにも少しずつ慣れた。
そうしてアルコールの入った切嗣は驚く事を口にした。
彼は、この四日間の繰り返しに気が付いていたのだ。
しかしこの家の衛宮士郎や藤村大河を不安がらせるのもしのびなく気が付かない素振りをしているのだという。
そうして恐らくこの件に関して最も真相に近い場所にいるのであろう、愛娘のイリヤスフィールとはその話をした事は無いのだと言う。
「話すと、幸せな魔法が解けちゃいそうでね、何だか怖かった。…だからこの事を誰かに話すのは初めてだ」
確かにそういう意味で、私は相談するに相応しい相手なのだろう。親しすぎもせず、生身の人間でも無い。
皮肉だとかそういうものではなく、純粋にそれが事実だ。寧ろ私としては重要な事を打ち明けられたのが自分だという事は光栄であったし、出来るなら彼が出来るだけ長くこの世界に留まれるようにしたいのだ。
衛宮切嗣がこの冬木に現れるまではこの馬鹿馬鹿しい終わりの見えない茶番を早く終わらせてしまいたかったのに、今の私はそれとは逆の心持になっている。
仮初の夢でも良い、彼がこの懐かしい家で笑っているという事実は何物にも勝る。
欺瞞だという内なる声もあったが、もう少し、もう少しだけという気持がそれを上回る。
生前の記憶など殆ど失い、この人との記憶も擦り切れていると思っていたのにそれは違った。彼と過ごすうちに私は次々と自分の奥底に沈んでいたそれを取り戻していたのだ。初めの頃はそれを怖いとも思ったが今となってはそうは思わなくなっていた。
仮初の幻というならば、まさに自分がここにこうして存在している事そのものすらが他愛ない夢なのだ。なら、夢の中でまた夢を見るのも許されるだろう。座に帰れば全ては消える泡沫の陽炎だ。
この幸福の夢の時間を尊く思いながらも彼との時間は幸福過ぎて、それはとうに身に余るほどになっていて、充分に満足したのだから、ならそれをいつ失っても仕方ないとどこかで諦めてもいて、既に自分の中の二律背反を俯瞰に眺めながら日々を過ごしていたのだ。
故に彼の言葉にもさほど動揺せずに済んだ。
自分もそれに気が付いていて、原因を探っているのだと告げると切嗣は頷き、先までのほろ酔いの様子と打って変わって真剣な表情をした。
「君が、知っている事を差し支えない範囲でも教えてもらえる?」
「…残念ながら、たいした情報は無いのだ。…ただ」
「ただ?」
「どちらにせよ、こんな馬鹿げた大掛かりな歪みは聖杯絡み以外にはあるまいよ」
「だよね…やっぱりイリヤに聞くのが早いのかな」
溜息を付く彼に、私は思い切って聞いてみたかった事を口にした。
「衛宮切嗣よ」
彼は気に入らない呼び方をされた事に些かの不満を持ったようだが眉を少し顰めただけでそれらしい言葉は発せず私の次の言葉を待っていた。
「…『衛宮切嗣』は第四次聖杯戦争の勝利者だ。しかしそれを放棄したと聞いている。『あの時点では』」
それだけで切嗣は私の意図するところを読み取ったのだろう、苦笑いして首を振った。
「うん、実は僕もね、『衛宮切嗣』のせいじゃないかと一瞬思った。何せ僕は一度勝利して聖杯に招かれているし、それを拒否したせいで死ぬまで泥にも付きまとわれた。その『衛宮切嗣』が遅まきながら聖杯に望んだのかも、ってね。幸せな子供達との未来、なんて分不相応なものを」
「分不相応でもあるまい。人としてあって然るべき望みだ」
やんわりと否定すると切嗣は皮肉めいた表情で緩く首を振った。
「そうなんだよ…まぁ、そこは置いておこう。とにかく僕がそんなものを願ったせいでこんな事になっているのかなって思ったんだ。でもそれだとおかしい…僕なら、もっと前の時間を願う。イリヤを何年も孤独にしたりせず、すぐに迎えに行ってここで士郎と暮らすよ」
「なるほど」
「となると、やっぱり聖杯に働きかけているのは五次で聖杯に関わった者だと考えるのが正しいだろう」
切嗣の考えは理路整然としておかしな所も無い。全く持って正当なものだし、私が考えていた事とほぼ変わりが無い。しかしならば五次に関わった者の中に聖杯戦争を続けたいと思う者が居るのだろうかと考えても皆目見当が付かない。
「でも、本当は」
そっと、切嗣がまるで秘密を告白するように囁く。視線は秋の夜空に浮かぶ満ちかけの月を見上げていて。
そうだ。私は、こんな彼を見上げていた。遠い遠い昔に。
なのに今の彼は視線の低い場所にあって、だから本当にあれが自分の記憶なのかと自分を疑ってしまいそうになる。
「こんな事は偽りだって解っていても、今のこの状況に感謝をしているんだ僕は」
「あなたの存在を喜んでいる者も多い…この時間を得がたく思うのは当然の事だろう」
けれど切嗣は困ったように笑うだけだった。
「でも困るんだよね」
「何がだ」
「こんなの、身に余る贅沢だ。幸せすぎて怖い。後でとんでもないツケを払わされそうで、利子が膨らむ前に返してしまいたいところだ」
驚いた。
切嗣は私と似たような事を考えているのだ。
「先も言ったが、身に余る事でも無かろう」
「余るよ。大いに余る。僕にはこんな幸福に浸る資格なんて無い。僕は世界のために必要悪になるつもりだった。そうやって沢山の人を切り捨ててきた。なのに大切な人達や罪の無い人を犠牲にしながら結局は志を果たせず、不幸な人を増やしただけだった。僕には聖杯の泥の呪詛こそが相応しい…こんな健康で穏やかな、幸福な生活なんて落ち着かないよ」
世界の為の、必要悪。
それはまさしく。

「君は、自分を正規英霊じゃないって言ったけど」
「ああ、私は反英霊の類だ」
「なら、君と僕は同属だ」
「…!」
切嗣は私をじっと見上げた。不思議だ、彼が、私を見上げている。
その瞳は記憶の中とはまるで違う、自分の中の負を隠そうともしない共犯を誘う瞳だ。彼に、こんな瞳で見つめられる日が来るなどと思った事も無かった。
「だからなんだろうね。君を見てると、不思議な気持になる。鏡を見ているような気持だ。見たくない物を見せられているけれど、安心する。安易に逃げようとする自分を引き戻してくれる」
咄嗟に、答えが浮かばなかった。
けれど、恐ろしいほどの喜びと虚無を伴って彼の言葉が胸に迫る。
これは、彼が決して「衛宮士郎」に見せる事の無かった顔だ。
衛宮切嗣と誓った「正義の味方」になれないまま死に、愚かにも世界と契約をして掃除屋として隷属した自分だからこそ彼と同じ場所に居る、同属となっている皮肉なおまけだ。
彼との約束を守れた存在であれば決して立つ事の出来なかった場所。その皮肉のスパイスが余りにも効き過ぎていて私は苦笑するより他に返す言葉を探す事が出来なかった。
そんな風に気が付けば、彼が最も遠慮無しに接してくるのは私になっていたのだ。

それから次のループだろうか。
彼の昼食を作るために衛宮の家を訪れるといつもは居間に居る筈の切嗣の姿が見えない。
けれど屋敷の中に彼の気配はあり、それは彼の私室だったから、私は少し迷ってから彼の部屋へ赴いた。
障子戸の外から伺えば中に居るようだが反応が無い。いくら私が気配の薄いサーヴァントと言えど故意に気配を隠していないのだから、普通ならこうして障子越しにでも私の接近に気が付きそうなものなのだが。
「…ん、アーチャー?」
その瞬間、障子の向こうから彼のわずかにくぐもった声が聞こえてきた。想像通り眠っていたらしい。
しかし時刻は今だ正午に小一時間以上の間がある。まさか体調不良などでは無かろうかと不安が過ぎり、彼の名を呼ぶ。
「あぁ…アーチャーか…構わないよ、入って」
けれど私の心配を他所に返事は暢気極まりない、眠そうなものだったので内心ホッとする。
そして自分は今更ながらに彼の私室に招かれたのだという事実に気が付いて、どくりと心臓が跳ねた。
私の中で、ここは大切な人が居た気配を残すのみの、いわば聖域とでも言うべき場所だ。そこに主の姿は無く、だからこそ「オレ」は安易にこの部屋へ入ろうとはしなかった。掠れた記憶の中から、そのイメージが浮かび上がる。
けれど、現実はそこに大切な人が存在してあまつさえ私に入室を促している、そのギャップが私の足を止める。
しかし躊躇ってばかりも居られない。切嗣は入室を促したのに入ろうとしない私を不思議に思っているだろう。
「…眠っていたのなら遠慮させていただくが」
「ちょっと、うたた寝してただけだよ。丁度いい、少し話があるんだ。入って」
重ねてそう言われて、私はそれを辞退する言葉が咄嗟に見つからず、仕方なく何でもない風を装って障子戸の引き手に手をかける。
「…では、失礼する」
何でもない、ただの、何の変哲も無い部屋だ。そう言い聞かせて戸を引けば切嗣は座布団に手を付いて半身を起こしたどこかしどけないとも取れる恰好で私を見上げていた。どうやら座布団を枕に寝ていたと見える。
「何もかけずに寝ていたのか。風邪を引くぞ」
「はは、言われると思った。君は見た目によらず面倒見がいいよねほんと」
「…一言余計だ。…それよりもこんな時間柄から眠っていたのか。体調不良などではあるまいな」
「ああ、違う違う。ちょっと昨夜夜更かしをしたものでね」
「夜更かし?」
「ん、ちょっとね、…夜の散歩を」
その、意味ありげな表情と言い方ですぐに気が付いた。彼もまた、夜の冬木を徘徊してこの繰り返しの謎を調べているのだ。
何を一人で危ない事を!と本気で叱りそうになって喉元で止めた。
私はあくまで遠坂凛の協力者だ。凛は現在殆どここで下宿しているも同然であり切嗣の息子の師匠という立場でもあるが、私はといえばその元サーヴァントでしかない。過度な干渉や肩入れは適切では無いと思いそれでも自然に眉が寄ってしまう。
「感心しないな。今のセイバーのマスターは衛宮士郎だろう。サーヴァントも持たずにこの状況で夜に出歩くのは自殺行為だ」
「おや、ただの夜のお散歩だよ?」
その言い方がまるで探りを入れるようで、ああそういうことかと納得した。彼は私を試しているのだ。
「とぼけなくて結構。あなたも気付いているのだろう。この冬木では、…夜には聖杯戦争が行われている。そんな時にサーヴァントを持たないマスターが単身行動など愚の骨頂。殺して令呪を奪ってくれと言っているようなものだ」
「だって、僕は元々死人じゃないか」
事も無げに答えられた言葉に思わず眉が寄る。
それをどう思ったのか切嗣は肩を竦めて笑い、そうして優しい顔をした。
「死人には怖いものなんて無いよ。ここで現在を生きる子達が危ない目にあうくらいなら僕がその代わりになった方がいいじゃないか。いつまでも四日間を続けている訳にはいかないんだからどうにかしないと」
「…後半はもっともな意見だが前半に関してはそういう思考はあまり感心できないな」
「君の賛成を貰おうとは思って居ないよ。ただ、邪魔をしないでくれれば。…士郎もどうやら色々調べに出歩いてるみたいだけど、あの子に止めろって言って聞く筈も無いからね。…それに、あの子にはセイバーが居るから心配は要らないさ」
「…で?話とは何かね?」
「ん、君が察しのいいサーヴァントで助かるよ。君に、相談って言うか提案というか…余り君にメリットが少ないからお願いになるのかなぁ」
「用件を聞こうか」
「うん。…現在、君は凛ちゃんから魔力を貰ってはいるけれどあくまで協力関係であり、契約関係は解除されていると聞いたけれど」
「ああ。その通りだ」
「じゃあ、僕が君をちょっと借りたりするのはありかなぁ?…勿論、タダとは言わない」
「私を借りて何に使う?」
「ん?夜の聖杯戦争に参加してみようかなって。君はこの謎を調べたいけれど凛ちゃんと契約はしたくないんだろう?でもサーヴァントだけだと必要な『イベント』に出会えない可能性が高い」
何故、私が凛との再契約を拒んでいるのを知っているのかと聞きかけて止めた。多分凛が喋ったのだろう。実際凛には再契約をほのめかされているが私は再三それを拒んでいる。私はここに居る理由が無い。この騒ぎが終わればさっさと座へ還るべきなのだ。しかし彼女と契約をするとこの四日間を抜けても現世に縛られ続けてしまう可能性が大きい。
「僕も、同じくマスターだけだととてつもなく不利だ。だからサーヴァントが欲しい。マスターとサーヴァントが揃っているだけでも真相には近づきやすいし、凛ちゃんを危険に晒さずに済む…どうかな?」
切嗣が淡々と私を見上げて話をする。ああ、これも私の知らない切嗣だと、そんな事を思う一方で同時に私は頭の中で計算をしている。
「…私と、契約をという事かね?」
「んー、まぁ僕としてはその方が色々楽で有難いけど、君としては凛ちゃんが居るから立場ってものもあるだろう、彼女優先の共闘という形でも構わない…けど」
「けど?」
切嗣の表情の変化で言いたい事がすぐに判った。
魔力に関しての問題だ。
「僕は凛ちゃんみたいな魔力の供給方法が出来ないからなぁ…意味は解るよね?契約をした方が楽って言うのはそういう意味だ」
そう、私と凛のような共闘関係が楽に成立するのは何より凛の魔術師としての能力に拠る所が大きい。
彼女の量質共に高水準の魔力、そうして魔力を物質に留める遠坂の魔術。これが揃っているからこそであり、本来ならば契約関係無しのサーヴァントの維持は難しい。普通なら人を襲わせるか、直接の魔力供給行為をするしかない。
前者は言うまでも無くお互い却下だろう。いくら衛宮切嗣が手段を選ばない男と言えども一般人を巻き込む事を考えるとは思えない。
ならば。
「断る」
考えるより言葉が先に出た。
一瞬でも同じ事を考えてしまった自分の首を絞めてやりたい気分だ。
しかし切嗣は困ったように笑うばかりだ。
「だよねぇ…契約は君は嫌だろうし、共闘も君には旨みより面倒が多い」
はは、無理を言って済まないね、と情け無い表情で頭を掻く仕草は私にはどこか懐かしくて。
「違う。…ある程度なら協力に応じよう」
「えっ…でも」
「別に魔力は要らん。そもそも私は凛にこの街の治安管理を任されている。そこにあなたが付いてこようとさして変わりは無い。…が」
「勿論自分の身くらいは自分で守るさ」
「結構」
「うん、じゃあよろしく頼むよ、…アーチャー」
彼は私を見上げて笑うと手を差し出してくる。
その笑顔がとても嬉しそうで私は数秒、彼に握手を求められているのだという事を理解できなかった。
馬鹿馬鹿しい事だが心臓を、ぎゅっと掴まれた心持になったのだ。
自分の対応が不自然だと気付いたのは彼が小首を傾げる仕草をしたからだった。
「こういうのは、嫌いかな?」
そっと差し出した手を引っ込めようとするから、私は慌ててその手を握り返した。記憶よりずっと、薄い手だった。
けれど暖かさだけは記憶のままで。
そうして私と彼は曖昧な共闘関係となった。

その晩、私は霊体化したまま彼に従い深山を探索した。どこへ行くのかと問えば彼は周囲をゆっくりと見回し目を細めて呟くように言った。
「一昨日ね、昼間にちょっと教会へ下見に行ってみたんだ」
「…!」
「そうしたら見た事の無い若いシスターが居た。ちょっと素っ気無いけど可愛い子だったよ…『僕』は居るのに、言峰は居ないんだね」
「思うに」
「うん」
「この四日間は『可能性』の世界なのかもしれん」
「僕がこんな未来まで生きてる可能性があって言峰は万に一つもその可能性が無かったという事かい?」
「あいつは聖杯の魔力で生かされていた。一度五次の聖杯戦争が終わっているのだからどう転んでも、という事なのだろう」
「それにしても僕が生きてる可能性があるってのが驚きだよ…どうなってるんだ一体」
「…あなたの早逝の原因となったものが存在しない可能性があるという事だろう」
「泥を、被ってない僕ね…」
そう小さく呟くと彼は考え込むように眉を寄せた。
その表情はどちらかというと皮肉めいていて、私はそれが気になったが結局は何も言わず黙ったまま彼の少し後ろを霊体化したまま歩く。彼の、つむじが見えるのがやはりおかしな感覚ではあったがそれでも切嗣を守る大義名分ができる事は私には願っても無い立場だ。
切嗣はそんな私の感慨など当然ながら気付かずにやや大股で緩やかな坂道を上がってゆく。一人分の足音が静まり返った深山の住宅街に響き渡る。
「家に、まるで明かりが付いていないんだね。…昨日も思っていたけれど昼間はそうでもないのに死に絶えた街みたいだ」
「昨日の『散歩』は何処へ?」
「アインツベルンの森の方と、教会へ」
「一人でか…前者はいいとして後者は危険に過ぎる」
「と、思うだろう?でも何も起きなかった。アインツベルンはちゃんとイリヤが結界を張っていて問題なしなのはいいんだけど教会は無人でもぬけの空さ。まるで廃墟みたいで昼間と別の場所のようだった。それで、もしかしてサーヴァントとマスターが揃って居ないとだめなのかなぁってね。ほら、ゲームによくあるだろう?フラグ立てってやつさ」
それで君にご協力願った次第でね。
なるほど、切嗣の言葉には一理ある。
この四日間のキーワードは「聖杯戦争の再現」と「可能性」だ。現に衛宮士郎がセイバーを連れて歩き、条件を満たして行動範囲を広げている事は何らかのアクションにより可能性を広げる事になり、次の新しい条件を満たす鍵となってゆく。
衛宮士郎は五次聖杯戦争の勝者であるが、衛宮切嗣は四次聖杯戦争の勝者。条件は同じだ。
そんな事を考えながら坂を上りきり、やがて教会が見えてきた。
静まり返った夜の空気の中、何か本能めいたものが私の足を止めさせる。
切嗣も同じ何かを感じているのだろう、私達が足を止めたのは殆ど同時だった。
「いるね、何か」
頷きながら私は実体を取り、止まった切嗣の前へ出た。
細いヒールが石畳を打つ小さな音が二つ。
その音が確実に大きく近づき宵闇の中から浮かび上がるドレスの女が二人。
けれど、私達はその二人の女の顔を見て一瞬警戒を解きかけた。解き掛けて、けれどすぐに今まで以上の警戒を持って目の前の二人を見つめる。
「凛…」
「桜、ちゃんも…?どうして」
そこに立っているのはよく知る、知りすぎる顔だ。
凛と桜。
けれど彼女達は見慣れないドレスを纏い、その表情は明らかに挑戦的だ。
こうして見ると普段、印象がまるで違う二人は驚くほど似ていて間違いなく血の繋がりを感じさせる。
何がどうなっている。
いや、本能はアレが私達の知る彼女達ではないと知らせてきている。それでもその姿形はどこまでも私のよく知る遠坂凛と間桐桜だ。
「こんばんわ。今日は素敵な殿方二人がお相手で嬉しいわ」
そのどこか気取った話し方は紛れもなく聞き慣れた凛の声だが何かが違う。
「凛…何故、ここへ」
返答を、半ば予想しながら私はそう話しかけてみる。遠坂凛の形をした女は小首を傾げた。その動作は掛け値なしに優雅でああ、凛もこういう風に振舞えば少しは、などと現実逃避染みた事を頭の隅で考える。
「リン?どなたと勘違いしてらっしゃいますのかしら。私達はエーデルフェルト姉妹、よろしくお見知りおきを」
「どうせここで死んでしまいますけれど」
桜の姿をした女が彼女には似つかわしくない笑みを口元に浮かべた。

エーデルフェルト!

Series
#2 -----

Comments

  • まとら

    面白いですね!!続きが気になります!!!!

    July 10, 2017
  • あつみなほAuthor

    ありがとうございます~!

    September 18, 2014
  • D

    誤字見つけました。寿司のシーン→焦らずゆっくろ食べろ

    September 15, 2014
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