ゾラ・マグダラオスの捕獲作戦は失敗。熔山龍は大峡谷に裂け目を作りながらその内部へと進入していき、調査団は形勢を整えつつその動向を追う。
大峡谷から帰還した調査団は、拠点に残存していた人員に作戦の結果をそう報告した。
途中で別種の古龍の思わぬ乱入に見舞われ、さらにその龍に触発されたのか、予想を上回る強引な歩みで砦を突破されてしまったらしい。五期団のハンターたちもそうだけれど、二期団の技術者たちがかなり悔しそうにしていた。
ゾラ・マグダラオスという、桁違いに大きなひとつの命が歩を進める姿を思うと、かつての自分が抱いていたような探求心や知識欲のようなものが小さく灯るのを感じる。
しかし、彼らの報告を受け取った私の対応は淡々としていた。そういう事実を受け取った、くらいの反応だった。その理由はもちろん、私が内心それどころではなかったからだ。
ただ、かの熔山龍によってできた大峡谷の裂け目から、かれこれ二十年以上遭難していた三期団の飛行船が停泊している土地へ行けるようになったという報告には、動揺を隠せなかった。
その事実自体は喜ぶべきことなのだ。飛行船に乗っていた研究者たちもほとんど皆生きていて、大峡谷を越えて訪れた四期団や五期団の面々を歓迎しているのだという。
私は……その輪の中に入っていける自信がなかった。三期団だったお母さんを知っている人たちに、その話を振られることが怖かった。
もしトビカガチとの再会という大きな出来事がなければ、勇気を出して新しいフィールドへと出向いていただろうか。そしてそこにいるだろう、フィールドマスターとも話すことがあったのだろうか
分からない。分からないけれど、少なくとも今の私に、古代樹の森から離れる理由はなくなっていた。あのトビカガチを放ってはおけなかった。
そして、件のトビカガチの方は。
私の思惑というか、予想していたものの斜め上を飛び越えて。
調査団の新たな調査対象、いや、交流相手のような立ち位置を獲得しつつあった。
以前から不思議に思ってはいた。いくら子どもの個体とは言えど、人に慣れすぎてはいないだろうか、と。
私たちもその例に漏れないが、モンスターの生きる世界はとても過酷だ。たとえ同種であっても、番や群れなどでない限りは近寄るものに警戒を示す。彼は、その警戒が薄れているように感じられた。
いわゆる個体差によるものかと考えていたけれど、それも要因の一つではあるのだろうけれど。トビカガチが子どもの私に懐いた明確な要因がひとつ、判明に至った。
かのトビカガチは、テトルーとの交流があったのだ。
テトルーは、この新大陸固有の獣人種だ。
アイルーに似ているが、彼らより細身で、耳が長い。独自の言語を持つので、それを専門に研究する学者もいた。
また、アイルーは現大陸においては一部が人間社会に馴染んでいったが、テトルーはモンスターとの繋がりを重視した文化を持っていた。その文化は調査団にも影響を与えている。
かつて私がトビカガチと森の外へ行くきっかけになったモンスターライドの技術は、彼らから着想を得たものだった。
群れから追い出されたり、はぐれてしまったりしたジャグラスやケストドンを、テトルーたちは餌付けし、手懐ける。そして時間をかけて騎乗を教え、探索の足になってもらうのだ。
最近は調査団とテトルーの交流が進んできて、モンスターライドが実用化の域に達しつつある。その交流の過程で、あのトビカガチのことが語られたのだそうだ。
彼らが子どものトビカガチと出会ったとき、その母親は調査団の手で捕獲されていた。つまり、親の保護が彼にはなかったことになる。
さらに、テトルーたちの側にも偶然があった。前のめりになりがちな一匹のテトルーが、白いジャグラスだと勘違いして意気揚々と彼らの集落に連れてきてしまったのだ。
もちろん集落は大騒ぎになった。ジャグラスも肉食だが、トビカガチは危険度が桁違いだ。今はジャグラスと同程度の大きさだが、やがてドスジャグラスに匹敵するくらい大きくなる。そしてその強さは、ドスジャグラスを凌駕し得る。
一族の歴史にも前例のないことだった。もちろん大きな危険を伴うが、もし味方になってくれたなら、これ以上に頼もしいことはない。テトルーたちはそんな判断を下し、このトビカガチを迎え入れることにした。
その結果が、かつての私とトビカガチの日々に繋がっていた。
同一個体であるという確証はない。でも、私がトビカガチに酷い怪我を負わせたあの日と、彼らがトビカガチの姿を見かけなくなった時期は一致しているようで、かなり信憑性は高かった。
あの日、トビカガチは一匹でかなり遠くまで逃げて、事が収まるまで隠れていたのだろう。
どうして今になって古代樹近辺まで戻ってきたのか。トビカガチの生育状況から推測するに、繁殖期で番を探しているのではないか、と生物学者の人は言っていた。
あのときの私は小さかったから、見た目ではテトルーと間違えられることもあったかもしれない。
でも、人とテトルーでは匂いが違う。そして、トビカガチの嗅覚はそれなりに利くとされている。
トビカガチの中でどのような解釈がされているのかは分からない。でも、彼は私の匂いを覚えていて、身長が伸びた私を、匂いで認識してくれた。
子どもの私が、鞍を使ったとはいえ彼の背中に乗って振り落とされずに森を走れたのも、そういう訓練をテトルーたちと積んでいたから。
いろんな疑問が氷解していく。今、純粋に古龍渡りの謎を追っている人たちも似たような感覚なのかもしれない、と思った。
そんなトビカガチは、私の心配なんて全く気にも留めないかのように、ハンターや他の調査員の前にも姿を現すようになった。
調査団の方から彼らの住処である森に出向いているので、当たり前と言えば当たり前なのだけれど。私が子どもだった頃はそもそもハンターがほとんどいなかったから、そのときとは前提が大きく違ってきている。
トビカガチの縄張りは、以前私が彼とアンジャナフの縄張り争いを目撃した辺り、古代樹と大峡谷の間くらいだ。古代樹直下の森からは少し離れている。
古代樹は今、火竜の番を筆頭として多くの大型種が集い、縄張りを争い合うホットスポットと化している。近づかないのはある意味で賢明と言えた。
私以外で最初にそのトビカガチと接触したハンターは、森の中の広い範囲を散策する任務に就いていた。
日中の行動範囲を広げるため、近場に騎乗訓練を受けたジャグラスがいることを期待して指笛を吹いたのだという。
その結果、まさかのトビカガチが姿を現したというのだから、ハンターの驚きは推して知るべしだろう。
慌てたハンターが武器を抜くと流石に警戒して唸り声を上げたようだが、トビカガチの方から襲いかかってくることはなく、じっとハンターを見つめていたのだという。
その行動を不思議に感じたハンターは、これもまた初見ながらとても勇気ある行動だけれど、スリンガーによる最低限の武装を維持したうえで、武器を仕舞って相手の出方を窺うことにした。
もし、かの竜がハンターの気が緩んだと見て襲い掛かってきても、後手後手ではあるが対処はできた。でも、その気配すらも感じなかったのだと、そのハンターは言っていた。
そのまま膠着状態が続き、どうしたものかと考えたハンターは、ふと思いついた。そして、呼び出したモンスターの解散を指示する指笛を吹いた。
その音を聞くと、トビカガチはくおお、と鳴いてあっさりと森の中へと去っていったという。それはジャグラスやメルノスとほとんど同じ反応だった。
偶然とは思えない、偶然にしては出来すぎている。そこに意思がしっかりあったとすれば、少なくともそのトビカガチは指笛の音を聞き分けることができ、さらにそれが意図するものを理解しているということになる。
当のハンターは、呼び出しに応じてくれたお礼として餌を与えてやるべきだったかな、とやや天然な心配をしていた。
私はその話を聞いたとき、内心気が気ではなかった。この人がもし武器を仕舞わずに、あるいはそのまま攻撃することがあったら、と思うと肝が冷えた。
対して、この話を面白がったのは生物学者の人だった。普段は生態研究所にいる人だ。
その人曰く、ジャグラスならまだしも、トビカガチくらい人と体格差があると、その指示に従おうとは思えないはずなのだという。捕食される側から命令を受けているようなものだから、と。
このトビカガチはその定説を覆している。弱肉強食の逆を行く行動だ。
テトルーによる指導という経緯がそこに挙げられているとはいえ、例外事例としてぜひ観察したい、とのことだった。
私は、調査団としての業務をこなす傍らで、こっそりとその依頼も請け負っていた。
私の過去の出来事が足枷になるかも、と最初は不安だった。でも、調査団の関心は陸珊瑚の台地と瘴気の谷、そして再び姿をくらませたゾラ・マグダラオスの動向に向けられていて、私たちからは注意を逸らしてくれていた。
このトビカガチは人に慣れすぎていて、生態の研究にはやや不適格だ。けれど、人の接近をここまで許容してくれる大型モンスターなんてほとんどいなくて、そこには大きな価値がある。
大抵、捕獲して眠っているときか、ハンターと激しく争っているときくらいしか、彼らの生身の肉体には触れられない。
それが自然体で触れる、というのは学者にとっては夢にも等しいのだろう。トビカガチ自身がどう思っているかは別として。
他の調査団員からの目撃情報も相次いでいる。中には、本当に騎乗に挑戦してみようとした者もいるらしい。
しかしその結果は、数分もしないうちに彼の背中の静電気で股が大変なことになるという、真面目なんだか笑い話なんだかよく分からないものだった。
一応乗れはする、そして速い。という体験談に少し胸が疼いたのは、否定しきれないけれど。
私が小さい頃に彼の背中に乗れたのは鞍を付けていたからだ。でも、今ではそれですら静電気を防ぎ切れるか怪しい。
トビカガチは大人になったのだ。ジャグラスの鞍はもう小さすぎて使えないから、作るとしたら専用品になる。新大陸には電撃に強い素材が不足しているから、開発は難航しそうだ。
さらにトビカガチは、幼少は地上、大人になると樹上、という風に生息域が移ろっていくようで、そういう意味で人の側にも特殊な訓練が必要になってくる。
確かにこのトビカガチを本格的に使役できるようになったら、とても頼もしい存在になってくれるだろう。
けれど、いろいろとコストに見合わないし、大型の竜種であるが故に移動するだけで周囲の環境にそれなりの影響を及ぼす。その辺りの責任の所在は曖昧だ。
だからこその観察依頼で、調査任務だ。少しずつでも、その距離感を探っていくために。
……そんな建前を抜きにして、私はトビカガチと一緒に居られる時間を作りたかったのだろうと思う。
先ほどのトビカガチの生息域の話は、私の推測だ。なぜなら、私以外に幼少期のトビカガチを詳しく見れた人はまだいないから。他の誰かがこの類の説を提唱しない限りは、公言するつもりはなかった。
脚の爪の成長、それによる木登りのしやすさが生息域の変化に繋がるのでは、と。そんな話が誰かとできる日は訪れるのだろうか。
訓練で樹上を飛び回るトビカガチにも乗れるようになるのなら、喜んで志願したかった。あまりにも露骨な主張なので、提案すらできなかったけれど。
きっとそこからは、私が子どものときに彼の背中に乗って体感したときのように、新しい景色が見える。あるいはそれは、空を飛ぶことよりも魅力的に思えた。
今、私は森の中、トビカガチの傍にいる。
トビカガチは特に気にした様子もなく、川を泳いでいた魚の群れに電極針を飛ばして、感電したそれを仕留めて食べていた。何気にすごい光景だ。
もともとはその針で直接突き刺すつもりだったのだろう、それが思わぬ収穫を得た。雷との因果関係を見出しているかは怪しいところだけれど、もししっかりと気付いて道具として使っていたなら、相当に頭がいいことになる。
もともと竜種全般は知能が高い。意思疎通の手段がないだけで、簡単な会話程度なら成立するのでは、という学者もいた。
トビカガチはその中でも比較的単純というか、あまり知能という面では発達していない種だと思われていたけれど、そこに一石を投じるような。
社会性が薄かったり、見た目が蛇に近かったり、そういう面から勘違いされていたのかもしれない。もともと彼と同じ牙竜種であるジンオウガは、高度な社会性を持つとされているのだから。
そんな中で私が受けた依頼は、鏡に映った自分の姿を自分と認識するか否か、とか、私が指さす方向に視線を向けているか、指差しというものの意味を理解できるか、とか。鏡像認知や行動認知と呼ばれる類のものだった。
相手が相手だけに、不快にさせたり人への信頼を裏切ったりするようなことはできない。もちろん、私だってやりたくない。そんな理屈と私情の間を揺れ動きながら、私、そして調査団とトビカガチは交流を続けた。
調査を続けていくうちにひとつ、分かってきたことがある。
それは、このトビカガチが自分自身のことをテトルーあるいは人と勘違いしているのではないか、ということだった。
そんなことがありえるのか、と思ってしまう。あまりにも姿かたちが違うから。でも、自己というものをしっかりと認めるのは、実はけっこう難しいことなのかもしれない。
私たちは目や鼻、耳を使って、とにかく周りから情報を得ることで生活している。ある意味それらの感覚に依存していると言っていい。故に、周りの環境にとても大きな影響を受けるのだ。
そんなトビカガチは幼少期に、私とテトルーに囲まれるようにして育った。自分を客観視することができる生物はとても限られているから、トビカガチは当時の勘違いがずっと続いている可能性はある。同種との接触が少なければ、なおさらだ。
魚を食べるトビカガチのスケッチが書き終わった。そろそろ拠点に戻る時間だ。編纂者である私に、長時間の単独行動は許可されていない。
解散の指笛は、いつしか私が帰ることを知らせる合図になっていた。トビカガチはぐうと唸る。そこに言葉を当てはめるのは私たち人だけれど、少なくとも何かしらの挨拶であろうことは感じ取れた。
私はトビカガチを驚かせないように、その顔の近くまで歩いて、頬に両手で触れた。
なんだなんだ、とこっちを見るトビカガチに、私は苦笑いを浮かべる。
「……私は人で、あなたは竜だよ。あなたは人でもテトルーでもないんだよ」
もちろん、その言葉に対する明らかな反応はない。魚の生臭さが残る口元を私に近づけて、匂いを嗅ぐばかりだ。
トビカガチは幼少のときから何かに甘えたり、撫でられて喜ぶような仕草を見せない。なにかで遊ぶようなことはあるみたいだけど。きっと、そういう行為が生きる上で必要ではないのだろう、と思う。
それでも、欠片でも懐くという概念を持ち、それが私に向けられているらしいことは感じ取れた。それだけで十分だ。
「あなたがそう思う代わりに、私が飛雷竜になれたらいいのになあ……」
それは、私くらいの年頃の人ならとっくに卒業しているような、子どものような願望だ。
いろんな理論や知識で心を押し固めても、その内側には夢がずっと根付いている。それはなんだか、皮肉な話だった。
いろんな理屈を抜きにして、その言葉は本心だ。
それは、私がこうして人としてかの竜に向き合う限り、必ずどこかでそれは解れるという予感から来るものだった。そしてその予感は、かつてのあの日に起因している。
調査団は新大陸に移住してきたわけではない。そして、私は組織の下で働く身だ。
この日々は長続きしない、変化の日が必ず来る。それまで無事に生きていることが保証されるほど、新大陸は穏やかな地ではない。
ただ、それまでの日々に気を付けて、過去の過ちをしっかりと心掛けて生きれば、何か、この胸の痛みが少しでも和らぐような変化に持ち込めるかもしれない。そうなることを願って、私はこうしてトビカガチに触れる。
思えば私は、いろんなことを願っている。夢見がちなのかもしれない。
でも、これはまったく論理的ではないけれど。
私が新大陸で生まれたことも含めて、調査団が導きの星を掲げるように、私がそういう星の、星屑の下に生まれてきたとするのなら。
この後に訪れた変化は、かつてのあの日と同じように。
私とその周囲を密かに翻弄するようなうねりになることは、あらかた決まっていたと言えるのかもしれない。