今より、何百年も昔。
未知の厄災によって一夜にして滅んだ、あの日のこと。
厄災に見舞われた旧王都の防衛を諦め、決死の覚悟で亡命していく一族がふたつ、ありました。
その内のひとつ、白兵戦に長ける竜戦士の一族は、南西へ。
現地の新興国たる西シュレイド王国の人々に疎まれ、彼らは竜の息づく辺境を彷徨う流浪の民となりました。
対して、知略と戦術に長けていた竜操術士の一族は、北東へ。
支配国の統治が失われ、小国ごとに分裂しては再統合を繰り返す、東シュレイドの端へと渡っていきました。
東シュレイドでもまた、西シュレイドと同様に、厄災や亡国の歴史に対し、箝口令が敷かれることとなりました。
民衆の混乱や不安を抑えるために定められた重大な取り決めに対して、旧シュレイドからの亡命者はやはり都合の悪い存在でした。
まして、旧シュレイドの王族の血を継ぐ者ともあれば、政治の混乱を避けるために、粛清される恐れすらありました。
彼らは選択を迫られ、そしてひとつの決断をすることとなりました。
竜を忘れて、竜を見ない。その方針を受け入れる。
けれど、それで竜や獣たちがいなくなるというわけではない。
厄災に遭った旧シュレイドとは地続きであり、ヒンメルン山脈の向こうにも竜たちが息づいている。
偶然、竜がいないだけの仮初の平和。その理由も分からず、不安定な安寧であることに変わりがないのなら。
我らが、そんな
こうして東シュレイドへ渡った一族は、旧シュレイド王都にほど近い辺境に居を構える辺境伯となりました。
竜や歴史に関する書物の焚書にも抵抗せず、口伝を禁じる命令にも従いました。
それは彼らにとって一族の骨格と呼べるようなものであったとしても、黙してそれを受け入れて。
子や孫にかつて起こった出来事を伝えられない、竜や龍についての記憶が薄れていく苦境に遭ってもなお、一族を存続させていくことを選びました。
その変革の最中、彼らは辺境守護や開拓の任に駆り出されていきます。
北や東へ、時に何年も遠征に駆り出され、竜や獣という
外の人々に素性を知らせてはいけないため、政治においても表に出てくることは決してありませんでした。
やがて、東シュレイドの人々からは、得体の知れない武装集団という扱いを受けることとなりました。一族は後ろ指を指され、敬遠される存在へとなり果てました。
そうして生き長らえて、記録も継承も許されない中で竜や獣と戦い続けて、戦い続けて、数百年が経ちました。
長い年月をかけて一族が造り上げた街の名を、リーヴェルといいます。
そして今、両親の戦死によって年若くして領主となった青年は。
竜操術士というかつての誇り高き役職を忘れ、遺されたのはいよいよ血筋のみとなった、今。
「そしたら、話をしようか」
夜空の下、戦いの余韻を現すように、火花と氷の結晶がちらほらと舞っている。
今、静寂に包まれているこの場所が、昨日までは戦場の只中で、山の龍の巨大な足跡が刻まれているなんて、誰も思いはしないだろう。
かの龍は一度動き出せば進行は早いようで、既にその足音は遠雷のようにくぐもったものとなりつつあった。
ああやって数日歩き、しばらく休み、ということを繰り返して、ヒンメルン山脈の北端を越えていくのだろう。主要都市にいる人々が事の重大さを認識するのはもう少し先になるかもしれない。
もとの半分ほどの長さになった氷の剣を静かに地面に置いて、ヴィルマは倒れ込むフレアのすぐ傍に座り込んだ。
あまり出血はしていないとはいえ、やはり炎の剣による刀傷が痛むのだろう。いっつつ、と呻き声を上げながら胸元に手を当てている。
これから、火傷の跡から染み出すようにしてじわじわと出血するはずだ。フレアの炎の剣による傷は、斬られた直後よりも後の方が怖い。
肋骨も何本か折れているだろうし、もう少し傷が深ければ、戦いの結果は変わっていたかもしれなかった。
「……くて……ぃの?」
「ん?」
フレアは未だ言葉をはっきりと口にすることができなかった。黒い雷は依然としてフレアに苦痛を与え続けていて、意図せず声がつっかえてしまう。
フレアが言葉を発するのに苦労している間、ヴィルマは薬草と布を使って止血を試みていた。互いに近くに居ながらも、しばらくは自分のことで精一杯になっていた。
「わたしを、こうそくしなくてもいいの?」
「ん、ああ、さっき言っていたのはそれか」
ようやくまともに言葉を交わした頃には、恐らくは数分ほどが経っていた。
「縛っておいた方がいいのか? 今の君が俺を殺せるならそうするが」
「……いや、いまはできない」
「素直だな。じゃあ、別にこのままでもいいだろう」
フレアは淡々と、ヴィルマは苦笑気味に答える。
その二言三言の会話の中に、複数の意図が含まれているようだった。
君が俺を、つまりフレアがヴィルマを殺せるかという問いは、意志の話か、あるいは力量や実現性の話なのか。
今はできないというフレアの返しも同様だ。フレアにその気がないという話なのか、あるいは今の状態からして実行できないのか。
あるいは、それら全てが当てはまるのかもしれなかったが、少なくともヴィルマはその理由に頓着していないようだった。
フレアも、彼に合わせて言及することを止めて、頭上の夜空の方に視線を移した。
「……どうして」
自身の口から自然と零れ出てきた言葉を、フレアはそのまま口にした。
「どうして、なにもいわずに、おそったんだろう」
「それは、君が俺に対して?」
「うん。……はなしをしてからって、おもってたのに」
つ、と頭が痛んで、フレアは眉を顰めた。
それは、新たに頭痛が生じたというより、これまで頭にかかっていた靄のようなものが取り払われ、血が通ったが故の痛みのようだった。
「君は、ここしばらくの記憶はあるのか? ざっくり、ひと月くらいか」
「……ううん、ぼんやりとしてて……」
「じゃあやっぱり、いろいろと
龍殺しの実があそこまで効いたのがその証拠だ。ふつうの人には、あれはほぼ無害な代物なんだよ」
ヴィルマの話は全て推測でしかなかったが、相応の説得力はあった。
龍殺しの実という名前、そしてその特性から強引に解釈すれば、フレアは言わば
人が思考する生き物であるのなら、人から離れるということは、その思考力を失っていくことになるのかもしれなかった。
先のヴィルマも、フレアの眼の様子が変わったと言っていた。もしそれが事実なら、それもまた無意識でのことだ。
「操られていたとまでは言うまいが、ある種の夢見騙しのような、幻覚のようなものを見せられていたのかもしれないぞ。竜の中には、そういうことをしてくる奴もいる」
「……あやつられてた、でいい。私は、いまもむかしも、ずっとそう」
「……それはまた、何とも数奇な人生だな。いや、それこそを思い出したってことか」
フレアは首だけ動かして頷いた。
フレアがアイハルから聞いた長い歴史を、ヴィルマは知らない。今やシュレイドの歴史については、フレアの方が詳しいかもしれなかった。
知識の面ではいつもヴィルマの背中を追いかけていたフレアとしては、不思議な心境だ。
何度か深呼吸を繰り返してから、フレアは言葉を探した。ようやく少しずつ呂律が回るようになってきた。
「あなたは、自分の家の歴史を、どこまで知ってる?」
「さっきも言ったが、ほとんど知らないぞ。この仕事柄、俺の一族は若いうちに戦死することが多かったらしくてな。語り継がれてることなんて曖昧も曖昧だ。
ただ、俺があのリーヴェルと対竜兵団を率いるってことは赤子の頃から決まっていた。
ただの慣例じゃ済まされないと思ったから、自分なりに調べを入れたんだ。そうして、かろうじて掴んだ情報が、俺の一族の祖は旧シュレイドとやらにあるってことだった」
それだけで、なんとなく察せるものはあったけどな、とヴィルマは付け加えた。
こうやって長く話すだけでも外傷に響くのだろう。ところどころ息が詰まるような話し方をしていた。
「あなたの一族の話は、たぶん、わたしが聞いた歴史の中にあった。竜人の古龍占い師が教えてくれた」
「ほう、それは興味深い」
「……長くなるけど」
「気が済むまで話せばいいさ。どうせ夜は長いし、君は本来、その話をしに来たんだろ」
ヴィルマのその返事を経て、フレアは自らが伝え聞いた話を、訥々とヴィルマに語って聞かせた。
かつて、旧シュレイド王国という広大な国があったこと。
ある厄災にして、その国は一夜にして滅んでしまったこと。その後に、西シュレイド王国と東シュレイド共和国ができたこと。
フレアの先祖と、恐らくはヴィルマの先祖が、厄災から逃げ延びて東西シュレイドへと渡っていったこと。
フレアの一族は長らく潜伏生活を送っていたが、フレアが幼い頃に、西シュレイド王族だろう人々の手で焼き討ちに遭ったこと。
その後の奴隷のような生活と剣闘士としての訓練、そして徹底的な教育によって、フレアという人物ができあがっていったこと。
フレアの言った通り、それは長い時間をかけて語られた。
その過程で、龍殺しの実による影響も徐々に落ち着き始めていた。
黒い鎧はもはや見る影もないほどぼろぼろに崩れ落ちて、フレアは簡素な布地を身に纏っただけの格好となっていた。
まだ、体を動かすには至らない。けれど、例え今すぐに動けるようになっていたとしても、フレアが行動を起こすことはなかっただろう。
それは、二人が今までに交わしてきた手紙のやり取りに似ていた。
互いが話すべきこと、話したいことを一方的に語って、それを咀嚼し、自分なりの返事を返す。この繰り返しだった。
今の会話は、そこから筆記という過程を飛ばしただけだ。
フレアはようやく思い出した。
ヴィルマの言う通り、この話こそをフレアはヴィルマに語りたかった。
彼なりの見解を聞き、彼の意見と自分の意見を照らし合わせ、彼の視点でこの難題を見つめてみたかった。
ヴィルマはいつも答えをくれるわけではないが、他の人にはない視野で物事を見ている。
不思議とそれは、フレアが受け入れやすいものだったのだ。
だから、たとえフレアがまだ戦えたとしても、ヴィルマの背中が隙だらけでも、長年の本能をぐっと抑えるだろう。
かつて、金の獅子との戦いの後にそうしていたように。
「なるほどな。君の知りたがっていた出自はそんな広がりを見せていたのか」
「……あなたは、この歴史についてどう思う?」
本当は、今の話も手紙に綴るつもりでいた。
手紙は文字を書くという過程を挟むからか、書いているうちに自分の頭の整理もできる。
あの日、フレアに叩きつけられた情報はあまりに膨大だった。
けれど、畳み掛けるように押し寄せた事件と任務の数々に、半ば追い立てられるようにしてヴェルドを出ることになり、想いは叶わないままここへと来てしまった。
あのときには、サミを含めた近隣にも何か良からぬ事が起こりかねない状況だった。
だから後悔はしていないものの、もどかしい気持ちはずっと胸の内で燻っていたのだ。
「歴史についてか……旧シュレイドの話はたしかに衝撃的だった。尋ねたいことは山ほどあるが、今は一つに絞ろう」
「なに?」
「君の今回の旅路についてだ。禁足地で、今語った歴史の一端を実際に目の当たりにしてきたんだろう?」
フレアの答え合わせの旅路がどのようなものだったのか、ヴィルマは聞きたいようだ。
戦っていたときに少しばかり話したものの、端折ってしまったところも多い。
かの地がフレアでも理解しがたいような状況だったこともあるが、それらも話をするうちに少しはまとまってくるだろうか。
「旧シュレイドの廃墟、と君は言っていたが、それは都市や城といった造りだったのか? リーヴェルや、ヴェルドのような」
「そう。城の周りに街がある。ヴェルドの方が近い、かも」
「やっぱり、広かったのだろうな」
「広い。あなたのいる、リーヴェルよりもずっと」
「シュレイドを統一した国となれば、その規模にもなるか……ただ、もう数百年以上前のことだろう。ほとんど見る影もなかったんじゃないか」
「ううん……ぼろぼろだけど、石畳とか柱とかはまだ残ってる。まるで、時代に取り残されてるみたいだった」
「草木に埋め尽くされてもいなかったのか? 東西シュレイドの間なら、深い森に覆われてそうなものだが」
「少しだけ。でも、剥き出しのところの方が多い。かわりに、火が覆ってる」
「火……?」
「城に近づくほど、目に映るところのどこかに火がちらついてて。炭火みたいに焼けて、鎮まって、またどこかが焼け始める。その繰り返し」
フレアがそこまで語ると、ヴィルマは思案するように息をついた。
仰向けに寝そべるフレアからは、隣に座るヴィルマの顔を覗き見ることはできなかったが、今は真剣な表情をしているのだろう。
「夕焼けでもないのに、西の夜空が仄かに赤いことがあったのはそういうことか……。噂で伝え聞く、火山のような様相だな。しかし、それとは違うのだろうし」
「私も、火山のようなところに任務で行ったことがあるけど、たぶん違うと思う」
「なら、まさにそれこそが、厄災の名残なのか……あるいは、それそのものか」
「…………」
ヴィルマもフレアと同じ見解に辿り着いた。
このような話にまともに取り合ってくれるのは、ヴィルマか、古龍占い師のアイハルくらいだろう。ふつうの人からすれば、荒唐無稽な妄想と何ら変わりはない。
「火元は、やはり旧シュレイド王城か?」
「うん」
「彼らが厄災と戦ったような痕跡はあったか? 兵器とか、防具とか」
ヴィルマの問いに、フレアは当時の様子を思い出そうとする。
どうしてか、ただ思い出すだけのことに苦労した。何年前というわけでもないのに、まるで霞みがかったかのように記憶がおぼろげだ。
フレアは内心で自分を嗤った。
自分の人として最も弱いところは、記憶なのかもしれない。幼少期に一度壊れたからだろうか。いろんなことを忘れてばかりだ。
「竜と戦いながらだったから、詳しく調べられなかった。でも、少なくとも戦う準備はしてた……と思う」
「準備か。伝説だと一日経たずに陥落したそうだし、備えていてもろくに戦えなかったのかもしれないな」
「うん。……あの鎧が全部、西シュレイドの兵士のものでなければ」
「西シュレイド……? ──まさか」
ヴィルマは顔を上げて、フレアと目を合わせた。彼が驚くのも無理はない。
「西シュレイドは禁忌を破っていたのか!」
「……勉強をしていたときに、西シュレイドの国章は学んだから。似てるというより、それそのものだった。鎧の造りも、同じだったと思う」
「見間違えでもないってことか。予想外だな……禁足地への不可侵条約は東西シュレイドで交わした数少ない約束事だったはずだ。
いや、条約自体はあまり気にするべきことでもないんだが、まさか禁足地に踏み込む勇気があったとは」
ヴィルマは半ば感心するように呟いている。その反応からして、ヴィルマの一族は旧シュレイド王都に踏み入ったことがないのだろう。
対するフレアは、茫とヴィルマを見つめていた。龍殺しの実によって冷静さを取り戻すにつれ、これから自らが言わんとすることの重みがのしかかっていた。
「あなたたちが旧シュレイドに足を踏み入れなくてよかった」
「そこに行けば、命の保証がないからか?」
フレアはゆっくりと首を振った。
少しだけ口ごもり、言葉を転がす。これからフレアは、これまで以上に曖昧な話をすることになる。
「あの火に、あなたも呑まれてしまうから」
「ふむ?」
「旧シュレイドがどうして禁足地なのか。それは、戻って来れないからじゃなくて……戻ってきた人がおかしくなってしまうから、だと思う」
私があなたに急に襲いかかったように、とフレアは続けた。自分の意志ではなかったなんて、先に刃を向けた身でありながら白々しいものだ。
けれど、フレアはヴィルマの身を案じていた。
殺しに失敗し、こうなった以上、自分の手で終わらせられなかったなら、ヴィルマがその先で巻き込まれるようなことはあってはならない。
「西シュレイド王室の人たちは、ちゃんと国を治めてた。ヴェルドで生活するのは大変だけど、あなたの国にはない、図書館とかも作っていたから。
でも、つい野心を持て余して、禁足地に目を向けてしまったたばかりに……厄災に、黒龍伝説に当てられてしまった」
「こくりゅう伝説……黒い、龍か」
「そう。これまで見逃していた私たちの一族を焼き討ちにして、たくさんの人を竜との戦いに駆り出しては犠牲にして……。
そして、異国のあなたにまで手を伸ばそうとしてる。私を、使って」
旧シュレイド王城で行った継火について、フレアは思い出した。
誰から乞われるまでもなく炎の剣と共に舞ったフレアは、あのときから今に至るまで自我をほとんど失っていた。あれが節目だ。
ヴィルマのいう「龍に当てられた」のかもしれないし、幼年から今に至るまでの調教や歪みが結実した結果かもしれない。
理由はどうあれ、西シュレイド王室はフレアが正気を失うことまで想定した上で送り込んだのだろう。
これまで二度失敗したが、こうすれば上手くいくと目論んで。
どこまでが脚本通りで、どこから目論見は始まっていたのか、疑い始めればきりがない。思考が深みに嵌る前に切り上げて、フレアはヴィルマの言葉を待った。
「人を狂わせる厄災か。黒龍と名は付いてはいるが……君は、厄災そのものに出会ったと言えるのか?」
「……あの火が本質なら出会ってるし、王城そのものが生き物のような感じもした。
でも、私は生きてそこから出れたし、姿かたちあるものとは出会ってない。難しい、けど」
「そう答えるしかないのも分かる気がするな。
話を聞く限りでは、天災や地震、それに疫病なんかも否定できない。
竜も跋扈していると聞くし、そうやって集まっている竜たちをまとめて黒龍と呼んでいたって何もおかしくない」
軽く考え込んでいるのだろう。んー、とヴィルマが喉を鳴らす音が聞こえた。
フレアは、一度目を閉じた。
夜は次第に開けつつある。白んできた空から、どうしてか目を背けたくなった。
「あなたはこれ以上、こんなことで命を脅かされるべきじゃない」
「そう思うのなら、どうする?」
「……私を、ここで殺して」
思っていたよりもすんなりと、その言葉はフレアの口からついて出た。
「……随分と唐突で、大胆な提案だな」
「驚かせて、ごめんなさい。でも、もうそれしか私には思いつかない」
自死を選ぶこともできた。故にそれは、フレアなりのヴィルマに対するわがままなのかもしれなかった。
ヴィルマに殺されるのなら、フレアは受け入れられる。殺し合って殺された、ただそれだけのことにできる。
それはある種の信頼のようなものでもあった。十年近くに渡り交わしてきた手紙が、彼にこのようなことを言っても無下にはしないことを証明していた。
フレアにはもはや帰る場所がなかった。
世間的にはヴェルドという街に籍はあるし、そこでサミも待ってはいる。
延々と竜と戦わされることも、苦しくはあるが受け入れられるし、歴史を知った今では、血筋に合っているとすら言える。
けれど、慕っている人と殺し合いをさせられること、それだけはこれ以上許容できそうになかった。
そのためにたくさんの人が犠牲になっている構図が、嫌悪に拍車をかけている。
自分に火がついていると、旧シュレイド王城でフレアは自ら評した。
西シュレイド王室が旧シュレイドへと冒険した結果、火だるまになるようなかたちで持ち帰り、フレアにその火を押し付けて旧シュレイドに返そうとした。
そうしてフレアもその思考ごと焼き尽くされかけて、龍殺しの実というヴィルマの奇策によって一時的に鎮火させられて、今に至る。
であれば、再びその火が誰かに燃え移ることのないように、ここで消し止めておくべきなのだ。
間違っても、この火がフレアからヴィルマに、そして東シュレイドへ持ち込まれるようなことがあってはならない。
「あなたの手紙を通じて、いろんなことを学んできた先が、こんなことになるって思わなかった。
でも、知らずにいたらもっとひどいことになってたと思う。苦しいことを知ったけど、ちゃんと納得できるから。
……あなたが手を下してくれるなら、私は幸せ、だと思う」
それは、これまでろくに願いというものを持たなかったフレアの。
誰かの手で生き方を定められてきた彼女の、唯一ともいえる希望だった。
フレアの嘆願に対して、ヴィルマは少しの時間を置いてから口を開いた。
「殺し合いに始まって、殺し合いに終わる、か。背景はどうであれ、俺と君をここまで追い詰めたんだから、大したものだな」
「…………」
「君の願いに対して、というほどのものでもないが……。俺からも話が、いや、提案したいことがあるんだ。今際だが、話してもいいか」
「……うん」
「ありがとう。俺の話の後でも君の意志が固ければ、君の殺しは引き受ける。そこは安心してくれ。
……もし、もしもだ。
黒龍伝説という名のソレが、実際に龍によって引き起こされているものだとして、その龍と戦って、君は勝てるか?」
ヴィルマの問いに、フレアは虚を突かれた。すぐには答えられず、押し黙る。
黒龍伝説の元凶と戦うこと。そんなことは考えもしなかった、いや、考えるまでもなく決めつけてしまっていた。
今になって、そのような思考をしてしまっていたことが、なんだか不自然に思えた。
改めて考える。ややあって、フレアは問いに答えた。
「勝てない……と思う」
「ふむ、理由を聞かせてもらっても?」
「王城にあった、西シュレイドの兵士の鎧、火に熔かされて水溜まりみたいになってた」
「それは、君の炎の剣でもできることのように思うが」
フレアはやんわりと首を振った。
あの光景をどのように伝えるべきか。難しいが、どうにか言葉にすることを試みる。
「たしかに、炎の龍も私たちの鎧を熔かすことはできていたけど……あの鎧の有様は、すごくおかしな感じがした。
ただ殺すためにそうしたというより、殺した後に、鎧だけを押し固めたみたいな。意図があって、そうしている気がして」
「意図?」
「そう。信じられないかもだけど……感じたままに例えるなら、なんだか愉しんでいる、ような。
炎の龍とは違う。白日のように熱いこの剣とは違って、意志があって、執着があって、それでいて全てを熔かしてしまう……。
周りを拒絶するんじゃなくて、火の中に誘い込むような、底知れない感じがする」
「……異質だな。まるで人に対して抱く印象じゃないか」
「国を滅ぼすくらい強い力もあると思う、でも、それだけじゃ表しきれない。
あなたに、あそこに足を踏み入れない方がいいって言ったのは、この得体の知れなさを、私たちは許容しきれないと思ったから。
竜が集まって争ってるあの環境も、龍が作ったのだとしたら……もう、私たちが戦ってきた竜とは全く違う何かだと思った方がいい。
だから……とてもじゃないけど」
故に運命だとか、呪いだとか、そういった不穏な話がついて回るのだろう。
旧シュレイド王国が滅亡したまではいい。龍が通れば、運が悪ければそういうことも起こり得る。
それよりも重大なのは、理由はどうあれ、その後今に至るまで、現地の復興ができていないという事実だ。
いつもよりも言葉数が多い。自分は余程、ヴィルマが禁足地へ行こうとするのを止めたいんだな、と、フレアは内心で思った。
フレアの話のあと、その場には沈黙が下りた。フレアには、ヴィルマが落胆しているのか、あるいは思考を巡らせているのか、分からなかった。
もうすぐ夜が明ける。ヴィルマはどうしてか一人で居たが、朝になれば様子を見に来る人がいるかもしれない。
提案があると言っていたヴィルマには申し訳ないが、決断を迫るべきかもしれない、とフレアが口を開きかけたときだった。
「貴重な意見だ。質問に答えてくれてありがとう。
まあそもそも、相手が龍かもしれないという時点で、勝てるかって問いは野暮か。黒龍伝説はそれに輪をかけてということだな」
食い下がるようなこともなく、ヴィルマは素直に引き下がった。
思うところがあるのだろう。胸の傷から手を離し、フレアと同じくらいぼろぼろになった掌を見つめながら、呟いた。
「昨日も、別の者に同じ話をしたんだが……俺たちは未だ、龍には手が届かない」
フレアは深く頷いた。ヴィルマの言う通りだ。
ヴィルマから断片的に聞いた話では、まさに先日、ヴィルマたちは龍による蹂躙を目の当たりにしている。その分だけ、重みのある言葉だ。
「集団で挑んでも何人も死人が出る。剣も防具も兵器も、彼らに対してはまるで貧弱だ。
そもそも、ある規模を超えると人の数ではどうにもならない。人が挑んでいい存在じゃないというのは、ある意味真だ」
「そう、だから────」
「────今は、まだ」
龍の因縁があなたに向けられる前に、私を殺して、と。
そう言葉を続けようとしたフレアは、ヴィルマが繋げた言葉に一度、かき消された。
「先に君と戦ったとき、いくつか新しい武器を使ってみたんだが、覚えてるか?」
「……大槌とか、鏃の大きな弓矢とか」
「それだ。結局君を仕留めるには至らなかったが、対峙してどう思ったか聞いてもいいか」
「あれは、竜に使うべきもののような」
「よし、君がそう思うなら構想としては正しいな!
君の言う通り、あれは竜に対して用いる武器の試作型なんだ。まだ課題が多くて、実戦投入は夢のまた夢だけどな。
君の襲撃に対しては、竜と戦うつもりで臨むべきだとずっと主張していたんだが、仲間内では疑われてばかりだったんだ」
まるで少年のように声を弾ませるヴィルマに対し、フレアは若干の困惑を覚えた。
けれど、手紙を書いていて筆が乗ったときの彼はこのような様子なのだろう。そう思うと、不思議と話を遮ることができなかった。
「鉄婆……リーヴェルの鍛冶師とよく話してたんだよ。その武器ひとつで竜の鱗を貫き、獣の毛皮を切り裂き、苛烈な攻撃を防ぐにはどうしたらいいか。
結果、それぞれの武器の特徴を突き詰めようという話になった。
あの武器たちはそれぞれが個性的であるべくして作ったんだ。竜や獣たちの、身体的特徴を真似るようにしてな」
「でも……戦っていて思ったけど、あの武器はあなたの部隊では使いづらそうだった」
「ふふ、どうしてそう思う?」
ヴィルマはフレアとの会話を楽しんでいるようだった。フレアの答えに期待しているようだ。
ヴィルマの土俵に上げられている自覚はあった。
けれど、この問答はかつての手紙でのやり取りを彷彿とさせるもので、それを思い出すと、自然に素直な答えを口にしていた。
「あんな武器を一度に何十人も使ったら、資源がいくらあっても足りないし、誤射も多くなると思う。つまり……集団戦向きの武器じゃない」
「……君は、手紙を書くための勉強を通して、いよいよ隙が無くなってきたな。
戦いで発揮される観察眼に語彙までついたら、俺が補完するところなんてどこにもないぞ」
ヴィルマはそう評すが、フレアにはよく分からなかった。他者との交流がほとんどないため、比較対象はヴィルマくらいしかなかった。
少なくとも、ヴィルマが望むだけの答えではあったようだ。そのことにいくらかの安堵を覚えると共に、純粋な疑問として、フレアはヴィルマの話に聞き入りつつあった。
「集団戦向きの武器じゃない、まさにその通りだ。あの武器を本格的に使うなら、竜と相対する人々の一集団の数は数人が最適、いや、限度と言えるだろう」
「群れで戦うあなたの兵団や私たちの対竜軍とは真逆のことをするの……?」
「ああ。むしろ、いつか人は集団でなく単身、あるいは数人で竜と戦うようになる。そういう流れに持っていきたいと、俺は思っているんだ」
「それは……」
難しいのでは、とフレアは思った。
ヴィルマの語った話は、たしかに理想的かもしれない。今現在の、数十人の人員と汎用の武具を大量に消費しながら戦うような戦術はとても無駄が多い。
それでも現状を変えられずにいるのは、数の利を削ることで、個人への要求が跳ね上がっていくからだ。
敵や癖の強い武器に振り回されても対処しきる柔軟さ、敵のみならず地形や仲間を見る視野の広さ。何より、竜と一対一で向かい合っても立てる胆力。
それら全てを兼ね備えている人はほとんどいない。もしいたとしても、その人は国や軍隊のお抱えになって、竜と戦う現場へは出てこない。
理想は、実現できないから理想なのだ。
西シュレイドの対竜軍はともかく、ヴィルマの部隊で対竜兵器が台頭しているのはそういう背景があるからではないのか。
無意識の内に、フレアは自らの思いを口ずさんでいた。
「誰もが、私やあなたのように戦えるわけじゃない……」
その呟きは、ヴィルマの耳に届いていたのだろう。
ははっ、と笑い声をあげたヴィルマは、胸の傷を庇うことを止めて、姿勢を崩してフレアの眼を覗き込んだ。
「しかし、他ならない君が、その戦い方を見せてくれたんだ」
フレアは僅かに体を強張らせた。青く冷たいヴィルマの眼が、爛々と光っているように見えたからだ。
あるいはそれは、先ほどまでヴィルマと殺し合っていたフレアが見せていた眼光なのかもしれなかった。
「君と出会う前までの俺は、竜には群れで挑むものという考えしかなかった。
単身で竜と渡り合えるなんて思ってもなかったし、対竜兵器の改良しか道はないと思ってたんだ」
「私と、出会ったから……?」
「そうだ。君と出会って、俺を殺すための立ち回りを見て、俺は君に興味を持った。
まるで見たことのない光明を見せてくれた君を、そのまま逃すのはあまりにも惜しかった」
初めて出会い、殺し合った日。炎の剣と氷の剣がぶつかり合った日。
ヴィルマがそんなことを考えていたなんて、手紙でも知り得なかった。フレアに対し、興味を持ったとは書かれていたものの、その深意までは読み取れなかった。
もしかすると、当のヴィルマですら当初は自身の動機をよく理解できていなかったのかもしれない。
かつてのフレアが、文字の勉強をするまでは自分の心境をほとんど表現することができなかったように。
「君の戦い方は独特で、洗練されていた。自分よりも強大な存在を相手取るための立ち回りだった。
それでいて、君は人だ。獣人でも竜人族でもない。俺たちと同じ人なんだ。歴史や血筋がどうであろうと、その基盤は変わらない」
ヴィルマは話を止めなかった。まるで畳み掛けるような話し方は、フレアに口を挟む余地を与えなかった。
龍殺しの実によって半ば強制的に落ち着かされていた心拍が、再び音を立てて脈打ち始めるのをフレアは感じ取った。
それは仮にも想い人に言い寄られているからか、ヴィルマの話に惹きこまれているからなのか、フレア自身にも分からなかった。
「君が何者かを探り出し、君に宛てて手紙を書いて、本当に必死だった。
君が手紙に応えてくれたから、繋がりを持つことができた。単純に同業としても、君は並外れた経験があって、俺が学ぶことも多かった。
君が文字を学び、文学までも修め始めたときには驚いたが、それ以上に嬉しかったんだ。俺の私信が君にとっての価値になってくれたなら、それはより良いことだ」
ヴィルマの口調に熱が籠っている。いつも冷静な彼とは違う。
まるで、大切な物を取り上げられそうになって、必死に手を伸ばす子どものような。
当時の彼の内心が見えたなら、そんな風に映っていたのかもしれない。そんな気さえするような語りだった。
「そうして君との文通を続けながら模索を続けて、あの日が来た。
忘れはしない。怒り狂う金の獅子によって俺たちの兵団が壊滅して、君に殺されるまでもなく、俺の命運が尽きようとしていたあのとき。
君は俺の目の前で、生身のまま、あの化物に打ち勝ってみせたんだ」
それがヴィルマにとって本当に、これ以上にない程の衝撃を与えたのだと。
嚙みしめるように話すヴィルマの姿が、言外にそれを伝えていた。
あの日、凍てついた手で、焦げついたフレアの手を握り、小さく肩を震わせていたヴィルマの姿を思い返す。
君のおかげで俺は、と当時の彼は言った。どのような心境でその言葉を呟いたのだろうと、当時のフレアは考えていた。
今、その答えが明かされている。
生き延びることができた、よりもさらに多くの意味を含んでいただろうことが、はっきりと察せられる。
「君は俺を引っ張って、率先して暴力の嵐に飛び込んで、たった二人で戦い続けた末に刃を届かせた。
数多の竜に圧倒されてばかりの俺たちが、一点だけ突き抜けて、あの化物の命を奪ったんだ。
手傷を負わせるでも、撃退でもない、討伐だ。その差は天と地ほどもある。
世間にはあまり注目されなかった。だが俺にとっては世界が変わる瞬間で、君はその生き証人なんだ。
────あの日以来、君は正真正銘、俺の希望と化した」
ヴィルマは身を起こすと、膝立ちになってフレアの顔の傍に手を付いた。フレアとヴィルマの顔が、正面から向き合う。
怖い。
フレアは初めて、ヴィルマのことを怖いと思った。
フレアでも、竜が振るう牙や爪は怖いと思う。子どもの頃の経験上、人が手を振り上げるのも怖いと感じる。
どうして、今のヴィルマに対して同じ感覚を抱くのか。いや、近いようでいて異なるのか。
なにか、圧倒的なものを目の当たりにしたような、自分ではとても制御できないものを見てしまったような。
奇しくもそれは、旧シュレイド王城に蔓延る火を目にしたときに抱いた感情と似ていた。
「今はまだ、君に追いつける者はいないかもしれない。特殊な経歴を持つ者にしか辿り着けない境地なのかもしれない。
ただ、君も懸念していたその境界は下げられる。ふつうの人々の一歩上くらいまで下げることができるはずだ。
例えば、君の着ていた黒い鎧くらい頑丈でしなやかな防具を作れたら、打たれ強さはそれで賄える。
君ほどの身体能力が無くとも、手に持つ武器の殺傷力が上がれば、竜に手傷は与えられる。
俺たち人は元来、そうやって技術を駆使して生き抜いてきた生物であるはずなんだ」
金の獅子を倒してから既に数年が過ぎている。ヴィルマはその間にも、明確になった理想へ向けて動き、根回しをしていたに違いない。
先ほどヴィルマが試作型の武器だと言っていた、あの大槌や弓矢がその証拠だ。
今はフレアかヴィルマくらいしか使いこなせないだろうあの武器たちを、一介の兵士が一人で使いこなせるまでに洗練していく。
気が遠くなるくらい地道で長い年月を要するだろうことは、想像に難くなかった。
「今でなくてもいい、いつかでいい。十年程度では足りないだろう、百年後、千年後の先に、今より優れた剣と盾を持って竜の亡骸の上に立つ人が現れればいいんだ。
それは人でなくてもいい。竜人でも、獣人でも構わない。とにかく人に認知されれば、人は竜を狩れるのだという認識が広がれば、変革はひとりでに起こるんだ」
今やフレアは、固唾を飲んでヴィルマの話を聞いていた。
ヴィルマの展望はフレアの想像を超え続けていた。本や手紙で知識を身に着けたからこそ分かる、壮大な夢物語に終始圧倒されていた。
しかし今、怖いほどに目を輝かせて夢を語るヴィルマを見て、彼の軛がもはや解かれていることを悟る。
ヴィルマは自身が本当におもしろいと思えるものを見つけた。もはや誰にも彼を止めることはできない。
「今の人に必要なものは仕組みと技術だ。俺はその下地を敷いていきたい。
竜を倒す人が集まりやすく、今のように差別されず、竜を倒せるだけの武器を市井の鍛冶屋が作れる。
その土壌さえ作っておけば、いつか先駆者によって芽が生えたとき、一気に生い茂っていくことができる。
先駆者の芽は貴重だ。それが痩せて潰れないようにすることこそが、何よりも重要なことなんだ」
ここまでを一気に話して、ようやくヴィルマは一度口をつぐんだ。
ここまでのことを全て話さなければ成り立たない夢を口にするために、一拍の心の準備が必要なようだった。
ヴィルマとフレアは向き合ったまま、フレアに言い聞かせるようにしてヴィルマは告げる。
「そうしていけばいつか、いつかは──。
君の語る黒龍伝説をも、打ち倒せる日が来るかもしれない」
その理想を聞いて、フレアは。何の前触れもなく唐突に理解した。
雷に打たれたようだった。あらゆる事象が一気に繋がって、ひとつの解を導き出した。
それもそうか。道理でそうなったのか。
「今は全く想像もできない。今の俺たちで挑んでも、蟻のように踏み潰されるだけだろう。
だが、この炎の剣や氷の剣をも、粗悪だと言いきれてしまうような文明が訪れたなら、可能性はある」
龍とは空想と現実の狭間にいるような存在だ。黒龍伝説はその最たるものと言っていい。
龍がどのような力を持っているのかは、全く分かっていないのだとアイハルは言っていた。ヴィルマが用いた龍属性も似たようなものだろう。
もし、黒龍伝説の元凶、恐らくは黒龍と呼ばれる存在が、どのような形であれ今もなお生きていたなら。
ひとつの国を滅ぼし、廃都に居座り続け、数多くの人々を陥れている、ある意味では人に近しい厄災であるのなら。
かの龍は、ヴィルマの殺害という布石を打ちたかったのではないか。
今このとき、かの厄災に最も近しいのはフレアではない。ヴィルマだ。
未だかの厄災に届き得る刃の、その欠片ほどもできていない。有象無象に過ぎない人々の中で、ヴィルマだけが虎視眈々と構想を練っている。
矮小な存在のまま終わる自分のことを据え置き、遥か先の世代に全てを託し、未来の脅威たる者たちを育てようとしている。
「もし、そうやって竜を狩る人々が将来に現れたとして、彼らのことを何と呼ぶかは分からないが……。
彼らが兵士や軍隊として語られることない、ひとつの生業として成り立つ社会を、俺は願って止まない」
人にも古龍占い師がいるのだ、龍に占いができない道理はないだろう。
どのようにしてか、黒龍という厄災はヴィルマという不安要素を早期に見出していた。遠い未来に現れるかもしれない脅威の元凶を。
何か理由があって、厄災は居城の外に出られないでいる。それができてしまうのなら、東西シュレイドはとっくの昔に更地になっている。
休眠しているのかもしれないし、慢心しているのかもしれない。少なくとも、自分から動かずに手を下すには、手下や手駒を使う必要がある。
そんな従僕として有用なのは、やはり人なのだろう。
竜や獣を遣わせることもできるだろうが、彼らは本能がより強く、人ひとりを殺すには不向きだ。
街を壊滅させたが、対象には逃亡されたという事態が十分に起こり得る。
対して人は、複雑な思考と弱さを併せ持つために、敵であるはずの厄災を神格化し始める、ある種の倒錯めいた性質を持っている。
野心を抱いたと思いきや自滅し、内なる恐怖を呪いと名付けて勝手にのたうち回っている。笑ってしまうほど愚かだ。
これを利用しない手はないし、自発的に働きかけずとも勝手に厄災に利する行動を取っていたのかもしれない。
まさに西シュレイド王室とフレアはその好例で、両者はヴィルマを陥れるための手札として加えられることとなった。
西シュレイド王室が狂気の醸成、フレアが実行役といったところだろうか。元から因縁のあるフレアの一族はより絡め取り易かったことだろう。
ヴィルマが死ぬまで、フレアは何度でも遣わされ続ける。龍が用意した盤上で、殺し合いを演じ続ける。
どうしてヴィルマを殺さなければならないのか。刺客がフレアに限定されているのはなぜか。
フレアが全く解けずにいた長年の疑問が、実体のない解釈によって埋め立てられていく。
飛躍した妄想も含まれているだろう、けれど、少なくとも仮説は立った。フレアの人生における様々な実体験が、その仮説を補強していた。
破滅的で物語的、かの厄災を含め、傍観者としては楽しみですらあっただろう。
しかし、その企みにはたったひとつ、誤算があった。
策に抜け目はなかった。ただ、全く予期しないところが嚙み合ってしまった。前提が崩れ、因果関係が逆転する。
「俺にとって、この夢の原点は君なんだ」
ヴィルマの野望は、まさにその刺客によって灯されてしまったのだ。
「君と出会っていなければ、俺は淡々と対竜兵団を受け継いでいくだけだっただろう。
自分の代の功績として氷の剣だけを遺して、さっさと退場していたかもしれない」
フレアの襲撃があったことで、ヴィルマは真っ当な後継者の道から外れていくことになった。
伝統や現状に満足ができなくなり、抑えることができたはずの野望が溢れ出し、彼自身ですら思い描いていなかった道へと突き進んでいくことになった。
未来の不穏分子を封じたかったのなら、ヴィルマに下手に干渉せず、放っておくべきだったのだ。
特にフレアと出会わせるべきではなかった。偶然だろうと何だろうと一度でも接点を持たせてはならず、むしろ接触させないことに注力するべきだった。
それを、暗殺に失敗したからと二度三度とフレアをヴィルマの元へと向かわせているのだから、まるで真逆のことをしている。
読めなければ仕方のないこととはいえ、それではヴィルマに餌を与え続けているようなものだったのだ。
「既にリーヴェルの工房や部下たちの間で研究は始まっている。別に俺でなくとも、いずれ革新は起こるだろう。俺だけが鍵を握っているのもおかしな話だ。
ただ、俺もせっかくやりたいことができたからな。まずは君との決着をつけて、その結果次第で事に当たるつもりだった」
敵に塩を送るようなことを繰り返せば、当然のように敵は力を増していく。フレアが以前とは違って惨敗したのは、ある意味で必然のように思えた。
ヴィルマとしても、刺客によって生き永らえたという矛盾した命だ。
生死に頓着しないとまでは言えないだろうが、それよりもフレアと戦い切ることを選択した。
それは、過去と未来、今までとこれからに線引きを付けたかったからかもしれない。
「それで、なんだが」
彼のいう決着がつけられた今、主導権は彼の方にある。
彼にしては珍しく歯切れの悪い物言いで、これまで強い圧を放っていた眼光が少し緩む。
これまでのフレアであれば、見逃さずに狩っていた隙だった。反射に等しいくらい研ぎ澄まされた直感は、今できる最小限の動きで彼を仕留めにかかるだろう。
しかし、もはやフレアの手は動かない。動かせない以上に、動かそうとしていない。
フレアはヴィルマの言葉を待っていた。
惚けたような表情で、強張った体の力を抜いて、ただ大地に寝そべっているのと変わらない様子でヴィルマを見ていた。
傍から見ればそれは、きょとんとした顔、あるいは、毒気が抜けた顔とも言えるのかもしれなかった。
「もし俺を殺すことが難しいなら、俺に協力してくれないか。
この戦いを無事に乗り越えられたら、シュレイドの外に出て旅に出るつもりだったんだ。
竜に断たれて交流のない国々から、社会と技術を学んで、理想を広めていくために」
それはおよそ、自身を殺しかけた人に対して持ちかける提案ではなかった。
対して、自身を救い、自身が惹かれた人に対して持ちかける賭けでもあった。
シュレイドの方は後続に託したと先にヴィルマは言っていた。名実共に、東シュレイドが彼を必要としなくなる日を目指し、待ち続けていた。
そしてついに、ヴィルマはシュレイドの外に目を向ける。地図に描かれない領域へと思いを馳せる。
それは、辺境を越えていった先にも国や文明があることを知っている、歴戦の開拓者だからこそ。
人と竜の可能性を探り続ける、ヴィルマという探求者だからこそだ。
「恥ずかしながら、手紙であろうとなかろうと、俺の妄言に付き合ってくれるのは君くらいしかいなくてな。
戦力としても、君がいてくれると心強いんだ」
そんなヴィルマは、今までの気迫がまるで嘘のように、ふつうの人らしく、少し恥ずかしそうに話した。
東西シュレイドの膨大な数の人の中で、唯一と呼べるようなことを為そうとしているにも関わらず、そのどこか自信無さげな様子は、少しちぐはぐなように見えた。
「…………」
そんな今のヴィルマですら、フレアは怖いと感じた。
ただ、フレアはもう気付いていた。
その恐怖はフレアが抱いたというよりも、今までフレアを介してヴィルマに干渉しようとしていた、厄災、あるいは黒龍が感じているものだ。
怖いものを排除したいという気持ちは、人だけのものではないようだ。竜も獣も、龍すらもその感情を持つ。
それは、命ある者である限り避けられないものなのかもしれない。死や滅びという果てがある存在ならば、きっと誰しもが。
そう考えると、この怖さもまた、愛おしいもののように思えてくる。
フレアの慕うヴィルマは、この怖さによって証明され続けている。
フレアの心は、今この時に決まった。
「私で、よければ」
フレアは、ヴィルマの手を取った。
西シュレイド王室からフレアに継がれた火は一度龍属性によって鎮められ、しかし、今も彼を怖いと思う以上、消えることはなく燻り続けている。
それはヴィルマの身の危険が未だ消えていないことを指していたが、そんなことは彼も承知の上だろう。
フレアもまた、これ以上厄災に好き勝手されない道があるのなら、それを選びたいと思った。
先に死を願ったように、自信はない。黒龍はその姿すら見せなかったのに強大で、自分の意志だけではどうにもならないかもしれない。
ただ、フレア一人ではなく、ヴィルマが共に居てくれるなら。
さらに龍殺しの実が効くのなら、苦しむと分かっていても、フレアは率先してそれを口に入れるだろう。
「ありがとう。俺は君の決断を心から嬉しく思う」
ヴィルマはそう言って、フレアが握った手を握り返した。
フレアの一族の悲願、そしてヴィルマの一族の野望は、二人で遠くに乗せていく。
恐らくは、シュレイドに留まるが故の毒なのだ。
シュレイドから遥か遠く、あの広大な海すらも越えていった暁には、もしかしたら。
「でも、私たちだけでここから逃げられる? 私たちの剣は目立つし、西シュレイド王室が追いかけてくるかもしれない」
「そうだな。それなら、炎の剣と氷の剣はここに置いておこう。
俺も旅をする以上、前線からは退くことになるし、俺と君はここで同士討ちしたということにして、俺の秘書に伝えておけばいい」
今となっては元秘書だけどな、とヴィルマは言った。どことなく楽しそうだ。
「脚本は、ふむ……。二人の戦士が愛し合いながら殺し合う運命に陥って、死後、二人の剣だけが結ばれたってことにしようか。
即興だが、出来すぎなくらいがちょうどいい。民衆に知られても、こっちの方が受けるだろうしな。
それに、俺は今や国賊で、君は祖国から追放されたも同然だ。つまり……」
「私たちがいたという痕跡は残したくない。正体の分からない悲劇だけが独り歩きして、私たちを隠してくれる?」
「……ご名答。流石は歴戦の読書家だ」
ヴィルマは苦笑いを浮かべた。教養でもフレアが上を行く未来がちらついたのかもしれない。
炎の剣と氷の剣を手放すというのは、二人にとって大きな戦力低下に繋がる。しかし、二人ともそのことはあまりに気に留めていなかった。
あの剣は人の身には過ぎた代物だった。ヴィルマとフレアは、それぞれ体質にまでその影響を受けている。
身体的により強くなる方向性だったとしても、何かを代償に捧げていることはほぼ間違いない。いずれは手放すべき武器ではあったのだ。
それに、それぞれが今の役目から下りるならば、強い武器はそこまで必要としない。
狂暴な竜や獣を相手に、必ずしも戦う必要はなくなったのだ。生きてさえいれば、逃げても隠れてもいい。選択は二人に委ねられている。
「行こう。こうなったときのために、事情を聞かずに診てくれる医術師を探してある。
国を出るまでに、俺も君も、やらないといけないことがまだまだあるはずだからな」
立てるか? とヴィルマはフレアの手を引いた。
ヴィルマ自身も深い怪我していたはずなのに、もうある程度持ち直してきている。
龍の剣が及ぼした影響は二人が思っていたより大きいようだ。もしかすると、二人の生い先はそう長いものではないのかもしれない。
それでも、だ。フレアは素直に、ヴィルマの力を借りて起き上がった。
まだふらふらする。立ち上がって何歩かよろめいたフレアは、そのままヴィルマに寄りかかるようにしてその懐の中に収まった。
朝日は既に顔を出し、空には青空が広がっていた。いつもより早く駆けていく雲はきっと、何処かの山の龍が歩む方へ流れているのだろう。
ヴィルマにもフレアにも、実に様々なことがあった。
この一晩ではとても語りきれないし、手紙にすれば何十枚かけても書き切れないだろう。
しかし、もう焦ったり悲しむことはない。これからは話しながら歩けるし、相手の話に耳を傾けながら眠ることだってできるのだ。
「よろしくな」
「うん、よろしく」
恐らくは二人とも誰かに抱きしめられたことはなく、誰かに体重を預けるような経験もほとんどなかったのだろう。
それはひどく不器用な抱擁だった。けれど、フレアが歩けるようになるまで、二人はしばらくそのままでいた。
何年も何年も続いた殺し合いの結末は、きっと一時では満たしきれないものだった。
遺された双剣には語られることのない物語は。
今、この瞬間から始まっていた。
次回、最終話です。