ヴィルマフレアの英雄譚   作:Senritsu

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第26話 未だ神秘は色濃く、深く

 

 

 乾いた風が吹く。砂埃を乗せた風だ。

 ここ数日のどこかでも雨の日があれば砂が舞い上がることはなかったろうが、結局雨が降ることはなく、風ばかりが強まっていた。

 

 軍の天幕から出て、氷の剣を背負ったまま、ヴィルマは一人で眼下の荒野と峡谷を眺めていた。

 その防具は普段使いのものではなく、格式ばった軍服に近しいものだ。

 いつもの彼を知る者からすれば珍しく見えるだろうその姿は、天幕の中で彼と会議をしていた人々の位の高さを物語っていた。

 広大な景色を俯瞰するように見ていたヴィルマは、しかし背後からの人の気配に気づき、振り返る。

 

「おや、あなたは……いつかの議員殿ではありませんか」

「ふん、覚えていたか」

「侯爵の名でお呼びした方が良いですか」

「貴殿に名を呼ばれるのは不快だ。議員殿の方がまだましだろう」

「では、そのように」

 

 ヴィルマの元へとやってきたのは、かつて、国の議会で論戦を繰り広げた貴族だった。

 当時、対竜兵団の資金繰りについて散々嫌味を言ってきたが、何の因果か、こうして前線に送り出される羽目になったようだ。

 本人も相当抵抗しただろうが、国の決定であれば従うしかない。本当に嫌そうに軍議に出席してきて、武将や権力者の議論に加わっている。

 

 こうしてヴィルマに話しかけてきたのも、対竜兵団に対し最低限の情報交換を行っておかなければならないからとか、その辺りだろう。

 不機嫌な様子を隠そうともしていない。ただ、ここに来てまでして喚き散らすつもりもないようだった。会話を続ける意思がある。

 

「遠くに見える軍勢が、貴殿の部隊なのか」

「いえ、あれは普段人を相手取る軍隊の兵士たちです。指揮官は別にいます」

「では、貴殿の部隊はどこに?」

「別動隊として手前の峡谷の各所に。我々は人数もそう多くはありませんから」

 

 ヴィルマが見ている景色を、その貴族も仰ぎ見る。

 ヴィルマの立つ場所は崖になっていて、貴族が立つのはその何歩か後ろだ。吹き荒れる風が彼らの目を細めさせた。

 荒野と峡谷の向こう、遥かな南の空の果てには、薄暗い雲と淡い茜色、隣国にまで及ぶ禁足の大地の端が垣間見える。かの龍はあの地から来たのだろうか。

 

「なぜ協力できなかった」

「もとより対竜兵団の指示は受けないと、彼ら側から宣言されています。彼らの作戦も、我々と相容れるものではありませんでしたから」

「指揮系統が統一されていないとは、この作戦はお遊びか何かか? 貴殿らは、龍が相手であれば強気に出れるのではなかったか」

「それ以前に、我々は人です。今回の作戦では、龍の前に人々の相手をしなければならなかった。人対人の戦いで、我々対竜兵団は彼らに手も足も出ません」

 

 はっ、と貴族は鼻で笑った。誇張して話していると思われたのかもしれないが、残念ながら事実だ。

 ヴィルマたちの部隊は良くも悪くも竜と相手取るのに特化しすぎている。竜の殺し方は知っていても、人の殺し方はその延長線上にはない。

 人を相手取る部隊と本格的に対立するような構図になったとき、ヴィルマたちは容易く押し切られてしまう。以前の威勢はどこかにいったようだと、他の権力者から笑われることもあった。

 

「それで、人を相手取る軍のほうはどう動く」

「手前の峡谷に至る前の荒野にて龍を迎え撃つつもりのようです」

「見ものだな」

「ええ」

 

 そのとき、ずん、という地響きと共に、地の底から叩かれているような揺れが伝ってきた。

 崖から小石がぱらぱらと落ちていき、峡谷の上から砂が流れ落ちていく。

 

「来たか? おぞましきものが」

「揺れが近い。こちらからは見えませんが、もう第一次防衛線に差し掛かる頃でしょう。ここも安全とは言えない。下がっていただいても構いませんが」

「ふん……見ものだと言っただろう。それに、かの龍が近づいている時点で命の補償ができる場所はどこにもないと、会議で宣ったのはどこのどいつだ?」

「たしかに、これは失言でした」

 

 貴族の皮肉に、ヴィルマは素直に非を認めて謝罪する。ただ、もはや視線は貴族の方へ向くことはなかった。

 数日前から徐々に大きく、頻度を増していた地響きはいよいよ絶え間なくなり、眼前の砂埃も朝霧のように立ち昇りつつあった。

 軍隊が動き出す。人を相手取る部隊らしい、大規模で統率の取れた動きだ。

 

「東シュレイド共和国が龍を知る日だ」

「お前──」

「我々が普段戦っている相手がどんな存在か、知ってもらうとしましょう」

 

 あえて仲違いさせたのか。貴族がその言葉を言いかける前に、戦場で喚声が轟いた。

 龍の側も人の側も、もう止まらない。ひとつの龍と数万にも及ぶ軍勢が、広大な荒野でぶつかった。

 

「案外、いや恐らく、決着はすぐにつくことになるでしょうが」

 

 

 

 東シュレイドの統一と平定は、決して安易ではなかったという。

 もとは小国の集まりだ。旧貴族や部族が各々の支配を敷く中で、それらを取り込んでいくには武力が用いられることも多かった。

 今も昔も東シュレイドは王を抱かない共和国だが、貴族や豪族の文化は未だ色濃く残っている。より大きな権力を狙う彼らと対立することもあった。

 

 人を相手取る軍隊の中にも、厳しい戦いを経験してきた者はいる。

 辺境に駐留し限られた資源で戦い続けてきた者や、強靭な戦士を有する部族や反乱軍と戦って生き残った者もいる。

 勇敢で堅牢な軍隊が無ければ、国の安定は決して成しえない。

 彼らには自負があった。たとえ隣国の西シュレイド王国のような大国が攻め入ってくるようなことがあっても、結束して立ち向かうことができる。

 強大すぎるあまり国そのものに例えられるような存在が相手でも、我々を無視することは決してできない、と。

 

 この日、長らく続いた地響きの主、山の龍との戦いで、彼らは恐らくは初めてだろう感覚を味わう。

 武人にとって最も屈辱的なことは、負けることでも、土俵に立たせてもらえないことでもない。

 その存在を、認知されないことだ。

 

 

 

「さ、最後の防衛線が突破されました。残りは最終防衛線のみです……」

「そんなことわぁっ、わわかっている! 前線にいた兵士たちをかき集めろ。かの龍の背後から矢を放て!」

「それが、大多数が戦意を喪失しているとの報告があり、突撃の命令を出す上官との争いも起きていると」

「そんな……そんなことが許されると思っているのか!? 後に厳罰うぉっ……ええい忌々しい地鳴りめが! まともに音も聞こえん……!」

 

 それは、ある意味で最も平和的な蹂躙と言えるのかもしれない。

 広大な土地に張り巡らした防衛線は既に突破され、指揮系統は制御を失っていた。もはや敗戦は濃厚だった。

 けれどそこまで人は死んでいない。前線は酷い有様で少なからず血も流れてはいるが、それらは敵から直接攻撃を受けたわけではない。

 

 山が動いている。付近ではまともに話すこともできないほどの地揺れを伴いながら歩んでいる。誰もそれを止められない。それだけだ。

 その歩みは、山が荒野に姿を現してから縦断しきってしまうまで、一切変わっていない。速くなることも、遅くなることもない。

 ただ、重いという言葉では形容しきれないだろう山体を抱えて、鈍重に、まさにその一歩が山河と化すことを体現しているかのように、歩いている。

 

 多少目の悪い者がその戦場を見れば、そこが戦場であるとは思うまい。人々が山を止めようとしたなどとはとても考えられないだろう。

 なぜなら、何もできていないからだ。

 その山へと降り注ぐ矢も、獣や人であれば殺戮の絵図になるはずの鏃の雨も、現実の雨か、砂塵か何かと勘違いされてしまいかねない。

 もしそれが生物であったとして、効いていないどころか、感知されていない。弾かれるか、中身に達していないか。いずれにせよ、何もしていないことと同じだ。

 

 そんなことよりも早く逃げたらいいのに、と、そう思うはずだ。

 止むことのいない地揺れによって、間接的な死傷者は増える一方になっている。このままでは何のために死んだのかという者が続出しかねない。

 あるいはそれは、かつてのここではない、西シュレイドの地にて、炎の龍を前に夥しい数の人が死んでいったように。

 最後の最後にかの龍の角が折れた、というような奇跡は、今回は起こりそうもなかった。

 

「攻城兵器は!」

「地揺れによって破損が多数。残っているものも使いものになりません」

「爆弾は!?」

「これも地揺れによって火薬庫が暴発したと……周辺は酷い有様です」

「突撃兵は……!」

「最初の隊が突撃して消息を絶って以降、出撃を止めさせているとの報告が。当該部隊より、総員撤退の進言が上がっています」

「おのぅっ……くそっ! この化物め!」

 

 国軍の総長などという地位には、人並みを優に超える忍耐と賢さが無ければ上り詰めることはできない。

 そうであるはずだし、実際にその通りなのだが、今、軍の天幕の内で激しく机を叩く将軍の姿は、見るからに憔悴していた。

 人同士の策略にはめっぽう強く、軍略に長け、自身も武を身に着けている。正しく人の上に立つ者であったが、それがここまで取り乱すものなのか。

 

 仕方がない。たまたま、この地鳴りに本能的な恐怖をくすぐられてしまい、一月ほど眠れていないだけだ。

 どんな過酷な環境でも生き抜いてきた彼の、未だ知ることのなかった恐怖であったが故に、仕方がない。

 そしてこの場には、そんな彼と同様に追い詰められている者がほとんどだった。

 

「後方の対竜兵団からも連絡が来ています。『先駆けを感謝する。これ以上は危険。後は我々に任されたし』と」

「何が感謝だ。何も、何もできていないのだぞ。東シュレイドを守るための、何重もの防衛せっ……が! ただ突っ切られただけだ!」

「お、畏れながら。対竜兵団の警告通り、ここも危険です。

 山の裾野、河川をもかくやという程の大鞭、いや、尻尾が何もかもを薙ぎ払いながら迫り来ていると。

 かの山の龍が少しでも進路を変えるようなことがあれば、この辺りも更地になります!」

 

 青ざめた伝令兵が、半ば悲鳴じみた報告を上げる。

 その報告が全てを決定づけた。全てというにはあまりにもあっけない、何も始まっていないようなものだったが、それが全てだった。

 将軍のいる本陣を中心に張り巡らされていた天幕は、今や立つことすら難しい程の振動によって倒れ、まるで敵に攻め入られたかのようになっていた。

 ずーん、ずーんという地響きと兵士たちの悲鳴交じりの喧騒が入り混じる中で、本陣は重苦しい空気に包まれた。しかし、躊躇しているような猶予は数秒としてなかった。

 

 数分後、荒野に角笛がかき鳴らされると共に、目立つ色の煙が砂塵舞う荒野に立ち昇る。

 

 総員撤退だ。ただし、人相手と違ってすぐに追手が来ることはなく、ひとまず各々が少しでも安全と思える場所に逃げ込めばいい。

 地割れにさえ気を付けていれば、その場に伏せるのでもいいだろう。つまりそれは、これ以上の攻撃、追撃はしなくてもいいという合図であるとも言えた。

 その指示を見て取り、心底ほっとした兵士は優に数千を下らないだろう。

 

 彼ら兵士たちの苦労はこれで全て終わったわけではない。

 この後、かの龍による破壊のお零れを狙って訪れたらしき走竜や黒蛇の翼竜との慣れない戦いが繰り広げられることになる。

 けれども、それも一方的な蹂躙にはならなかった。

 それはひとえに、かの龍がその場にいた兵士たちを気にも留めず歩き去っていったから。人々の被害の大部分は自滅によるもので、まだ動くことのできる者が多かったが故だ。

 

 人を相手取る軍隊の兵士たちは不思議に思う。

 対竜兵団は普段、こんなものを相手に戦っているのか。同じ人が、こんなものと? 

 人如きがどうこうできる存在には思えない。まさに歩く天災、国崩しの化物だ。

 これからかの山の龍は故郷へと踏み入っていく。ただ、それは巨大な嵐が頭上を通り過ぎていくのと何の違いがあるのだろう。

 人々はそれをただ呆然と見送るのみだ。できるだけ逃げて、目耳を塞いで、早くそれが過ぎ去るように祈ることしかできない。

 今、荒野を過ぎ去る巨影を、散々打ち放った弓矢を片手に見送る兵士たちのように。

 

 彼らにとって対竜兵団は得体の知れない集団だった。竜というものの実在すら疑っていた。

 実は隣国の西シュレイドとの戦争に備えて配備された軍隊だとか、適当な噂が流れていた。

 それどころか、対竜兵団は夢遊の病に侵された人々の集団の集まりで、社会から弾かれた者が日々内輪揉めをしているだけだと嗤う人すらいたのに。

 

 実体なんて分からないままだ。正直、この戦いを通しても彼らの竜や龍についての疑いは晴れていない。

 アレはあまりにも圧倒的すぎた。人々が思う生物だとか、神だとか。そういった概念を曖昧なままにぶち壊されたようなものだから。

 ただ、少なくとも、強烈な印象を人々へと残した。

 一連の出来事を悪夢として片付けようと、ここで見たもの全ての記録が封じられ焚かれようと、現地にいた人々が見聞きし、感じ取った事実だけは変えられない。

 

 対竜兵団は、人の社会と幻想の生物との間に立つ。実在する組織だ。

 だとすれば、目を背けているのは誰で、狂っているのはどちらの方だ? 

 今までは一笑に付されていただけの疑念が、未だ収まらぬ地揺れと共に人々の心をゆさぶっていた。

 

 

 

「間違えないでいただきたいのは、彼ら軍隊は決して愚かでも無能でもないということです」

 

 ヴィルマは相変わらず崖の上に立って戦場を見下ろしたまま、後ろに立つ貴族へ向けて話していた。

 

「本来、人を相手取るのが本業だというのによくやっている。

 正直、かの龍を前に恐慌状態となって勝手に同士討ちを始めるところまで想定していました。

 それが、国難を前に一貫して挑み続け、団結して攻撃を止めず、退くべきところで退くだけの判断力を残していた。大したものです。そのひとつひとつが我々でも難しい。

 国内の治安を守る、他国の侵略から守るという点では、十分に後世を任せられると思います」

「……あれが山の龍か?」

「ええ」

「遠見の筒など要らないじゃないか。むしろここからでないと全体が見渡せん。現場の連中は何と戦っているかも分からないんじゃないか」

「そうでしょうね。物見櫓の類はかの龍が迫る前に全壊しているでしょうから、低い位置から見上げるしかありません」

 

 ヴィルマの話を聞いているのか、聞いていないのか。貴族は険しい表情で戦場を、いや、先ほどまで戦場だった荒野を見つめていた。

 ヴィルマたちの立ち位置が先ほどと変わっていないのは、耐えず地揺れに見舞われながらも、それで姿勢を崩すほどの時間が経っていないからだ。

 かの山の龍の歩みは遠目には遅々としたものに見えたが、それは縮尺がおかしいだけだ。その一歩は優に川を跨ぎ、いくつもの柵や壕を乗り越える。

 気付けば兵士たちがひしめき合っていた防衛線は完全に食い破られていた。その間、かの龍が怯んだり足を止めることはなかった。

 

 そして今、その山体はヴィルマたちが立つ場所のより近く、峡谷へと迫りつつある。

 ヴィルマの話では対竜兵団が待ち構えているとのことだったが、実際の指揮は他の者に任せてあるのか、ヴィルマは兵団の者を呼ぶでもなくそこに立っていた。

 

「それで、これからあの化物を貴殿らがどうにかするというわけか。人を相手取る軍隊では話にならんというのを知らしめるために」

 

 それが本当の狙いだったとして、私がお前のやり方を見ているぞ、という風に貴族はヴィルマを睨みつけた。

 直接的な被害は少なそうに見えるものの、少なくとも前線を真っ二つに縦断されているのだ。

 少なからず死傷者は出ているだろう。軍と兵団で仲違いしていたとはいえ、その責任を追及する余地はある。

 軽蔑混じりの視線を向ける貴族に対し、ヴィルマはふと表情を改めて答えた。

 

「どうにかする、というのが、止めるとか撃退するという意味であれば、それは我々にもかなり厳しいと言わざるを得ません」

「なんだ、予防線を張るつもりか? だが、ここで止められなければ貴殿の居城である前線都市リーヴェルが真っ先に壊滅するぞ。それすら見捨てられるというのかね」

「いえ、リーヴェルの領主として、それは決して容認できません。故に……いや、実際に見てもらいながら話すとしましょう」

 

 ヴィルマは自らの話を途中で打ち切ると、峡谷の入口へと目を向けた。

 砂埃と靄の中、かろうじて見えていたかの龍の山体が谷底へと踏み入っていく。

 足音が峡谷の中で反響し合い、うねる。あの巨体によって空気が押し出されているのか、風音も強くなり、まるで汽笛の合奏のようだった。

 岩壁を山体が擦っているのだろう。次々と崖の一部が崩れ始めた。人の背丈を優に超えるだろう大岩が岩壁から剥がれ落ちて、次々と谷底へと転がっていく。

 はっきりとは見えないものの、かの山の龍は今どこにいるのかは、その崩落の程度で概ね察することができた。

 

「かの龍の撃退が厳しいのは、ひとえにこちらの火力の不足です。

 弓矢の鏃で鉄の鎧は貫けても、それが硬質な岩盤ともなれば、せいぜい先端が突き刺さる程度でしょう。

 今回は、それが戦術とか戦略の規模で起こっているのです」

「それは貴殿等が、対竜兵器を彼ら軍隊に貸し与えなかったからだろう」

「対竜兵器に匹敵する火力を彼らは有していましたよ。投石器と爆弾です。我らの大弩よりも、破壊力だけならあちらの方が上だ。

 ただ、その火力が十分に発揮されることはありませんでした。それは我々の側も同じです」

「地揺れか……」

「そう、火力の不足というのは、実戦運用できなかったものを含みません。

 大弩は過剰なまでに頑丈な作りにしてあるのである程度は耐えるでしょうが、代わりに鈍重という欠点を背負っています。

 既に何割かは土砂や落石に埋もれて放棄されているはずです」

「貴殿ら対竜兵団がなぜあそこまでの金を国からせびるのか、その理由の一端が見えたな」

「ええ。竜や獣、龍との戦いでは、対竜兵器はとにかく数を作って、実戦での有効稼働率の低さを補うしかないのです。

 火薬、爆弾に至っては、安定性が低いが故に暴発してむしろこちらに被害を与えます。敵に直接ぶつけるのが理想ですが、今回のような場面ではかなり分の悪い賭けです」

「貴殿……今日はやたらと饒舌だな」

 

 貴族が皮肉を言うと、ヴィルマは少しの間沈黙した。

 そして、私も怖いのかもしれません、と嘘か本当か分からないようなことを呟いた。

 淡々と話すヴィルマに貴族も乗せられているが、実際には地揺れも地鳴りもかなり近づいてきていた。

 前線にいた兵士たちはこのような揺れに曝されていたのか。自前の杖がなくては、立っていることすらできなかっただろう。

 

 そのとき、眼下で大きな爆発音がした。

 

「……ッ、何だ?」

 

 先の軍隊の火薬庫の暴発にも匹敵する大爆発だ。峡谷の谷底から濛々と土煙が立ち昇った。

 次いで、爆発で基部が失われたからだろう、岩壁に罅が入り、やがて一帯が沈み込むように崩落していく。

 周囲を連鎖的に巻き込んだその崩落の規模はかなり大きく、ヴィルマたちにもその轟音が肌を叩くようにして伝ってきた。

 数分経って落ち着いたころには、谷には巨大な椀状の地滑り跡が残り、峡谷の地形が一部変わってしまっていた。

 ようやく人の声も聞こえるようになったかという頃に、貴族がヴィルマに問いを投げかける。

 

「これは、人為的なものか?」

「そうです。対竜兵団が予め設置していた爆弾が地揺れで起爆したのでしょう」

「かの龍を生き埋めにする算段か、だとすれば、失敗しているように見えるが」

 

 山の龍は今の崩落地点よりも奥の谷底にいるようだった。

 盛大に周辺一帯が崩れ落ちた今の崩落とは違い、かの龍の通り道は周囲の岩肌がぼろぼろと零れるようにして崩れているため、その違いが分かりやすい。

 実態は地形に隠れるか紛れるかして見えないので何とも言えないが、少なくとも生き埋めにはなっていないだろう。

 

「いえ、これの意図はまた別です。

 峡谷の地形を活かして生き埋めにすることも考えましたが、ここからさらに地下にでも落とさない限りは簡単に這い上がってくるだろうとのことで、止めました」

「……人であれば、身の丈ほど埋め立てれば身動きできないと聞くが」

「相手は人ではありません。それにかの龍が普段から歩いているのなら、その巨体故に生き埋めになるような目には何度も遭っているはずです」

「では、何のために────」

 

 貴族がそう言いかけたところで、再び爆発音が響き渡った。

 今度はまた別の谷底だ。先の崩落地点よりもやや遠く、規模はそこまで大きくはなかったものの、それは峡谷の地下にあったらしき水脈を的確に叩いたようだった。

 水柱が立ち昇る。濁流は勢いよく谷底へと流れ込み、周辺を泥地へと変えていく。

 数日もすればそこは濁った湖と化すかもしれない。長続きはせずに枯れるだろうが、少なくとも一時的にその谷も塞がれた。

 

 対竜兵団はこの地を前もって探索し、長い時間をかけて調べていたのだろう。

 地盤の脆い箇所を絞り込み、地下水脈を探り当て、それらを確実に破壊すべく準備した。

 もはや、峡谷の地形は山の龍の侵入によって崩れ、人為的に破壊され、その景色は一変してしまっていた。

 至る所から土煙が吹き上がる様は、見る人によっては痛々しくも映るだろう。

 

 そして貴族は、ヴィルマの目論見を理解した。

 

「この谷は複雑に入り組んだ構造になっているのだったな。谷底で迷い込まないようにと軍議で貴殿が注意喚起していた」

「ええ。それぞれの谷は繋がり、枝分かれし、迷路のようになっています」

「あの山の龍を生き埋めにするのは断念したと貴殿は言った。先ほど水脈を壊したのもまた、山の龍を直接巻き込むつもりではなかっただろう」

「大規模な破壊活動に爆薬は必須ですが、かの龍の前では適切に使えません。であれば、かの龍が近づけばいつかは爆発する、程度の運用に持っていくしかないでしょう」

「貴殿は……この峡谷の地形を使って、あの山の龍を迂回させるつもりだな。それで直近の前線都市リーヴェルを進路から逸らそうとしている。違うか」

「仰る通りです」

「その先の都市や街は、どうなる」

「……人間も、目の前にあった障害物を避けた後は元いた道に戻るでしょう」

「お前……!」

 

 貴族は目を吊り上げ、語気を荒げた。

 ヴィルマに詰め寄ろうとするが、鳴り止まない地響きと崖上の強風がそれを阻む。その場で声を張り上げるしかない。

 

「その態度、元からかの山の龍を止める腹積もりではなかったな。この、国賊が!」

「その誹りも妥当でしょう。ただ、どう足掻いてもかの龍は止められない。これは今の努力や信念ではどうにもならない事実です」

「かつて鋼の龍を退けたという威勢はどうした。皆、その功績に期待してお前に国を預けたのだぞ!」

「これまでは詭弁も必要でしたが……我々は鋼の龍を倒したり、追い返したわけではありません。かの龍もまた、本来の進路を僅かに逸らしただけです。

 現実には、今を以てして我々は、とても龍には敵わない」

「……故にリーヴェルと辺境集落のみ生き永らえ、首都を含めた他の都市を見捨てることを選ぶか。

 もしそれで東シュレイドを手中に収めるつもりなら、とんだ浅慮だ。唾棄すべきことだ。

 お前は、そしてリーヴェルは。私を含めた東シュレイド共和国の全てを敵に回すことになるだろう……!」

 

 もはやヴィルマの計画は止められない。軍隊は総員撤退済みで、対竜兵団を止める戦力がない。

 そして、たとえヴィルマの企みを阻止したところで、かの山の龍の侵攻が止まるわけではない。

 あるかも分からないかの龍の意思に応じて、進路上の都市や街は踏み潰されていくだろう。

 人々の交通、貿易の要衝とは、即ち龍にとって最も適した道である。

 理屈は受け入れるしかないとしても、天災が姿形を纏ったような存在への対策なぞ、どうして考えられようか。

 

 今や貴族は、目の前の男を崖から突き落とさんとするような目つきでヴィルマを睨んでいた。

 怒りに満ちた視線を背後から受け、眼前の峡谷からは山の龍が差し迫り、切り立った崖に立つヴィルマは、一見すると逃げ場もなく追い込まれている。

 ヴィルマは、その口角を持ち上げた。

 

「ええ。ですから、私は弾劾されましょう」

「……なに?」

「既に私は国の命令で対竜兵団から除名されています。そうなっているはずです。リーヴェルの領主の座からも追放されているでしょう。

 これでも私の地位が保たれるようなことがあればむしろ深刻ですが、今のあなたの反応で確信が持てた。愛国心が欠片程度でもあれば、問題ないはず」

「何を、考えている」

「東シュレイドの首都をリーヴェルに移すよう、国に嘆願書を出しました。本陣にいる大臣にも、話を通してあります」

「は……?」

 

 立て続けに語られた突拍子もない話に、貴族は耳を疑った。

 さては気でも狂ったか。しかし、元よりヴィルマの言動を気味悪がっていた貴族は、その境目が分からなかった。

 

「対竜兵団の指揮官は既に後任を選出しています。今回の作戦を見る限り、大丈夫でしょう。

 リーヴェルの運営は今の国の大臣たちに一任します。彼らも前線都市の重要性は理解したはず。そう無下にはしないでしょう」

「やめろ……頭がおかしくなりそうだ」

「リーヴェルは各地からの避難民を受け入れられます。そのために、あらかじめ土地や居住区を拡張しておきました。

 無人の街と化していたあの一帯にも、これでようやく火が灯る」

「お前は、何を考えているんだ……!」

 

 そもそも首都を移すというところから前代未聞で受け入れ難い話だ。けれど、それをどうにか飲み込んでもまだ訳の分からない話をされる。

 もし権力欲しさに行動を起こしたのなら、リーヴェルの領主の座も、対竜兵団の指揮官の座も譲るべきではない。

 妄想としか思えないヴィルマの目論見が、もしも本当に叶ってしまったなら、両者は共に絶大な権力を有することになる。

 しかし、ヴィルマはあっさりとその座を手放した。いや、手に入れる前から既に放り捨てていた。

 今の己には、もはや何の権力も無いと話すのだ。

 

 いよいよ地鳴りが強まり、ヴィルマの独白も相まって、事態は混迷を極めつつあった。

 そんな中、杖を両手で握って何とか立つ貴族が、何度かつっかえながらも発した問いに、ヴィルマはどこか聞き慣れたような感覚を覚えた。

 

 何を考えているのか。今までにも多くの人々からそう問われてきた。兵団の部下や鍛冶師、国の要人たち、秘書のアズバーに至るまで。

 人の理解できないことを行動に移すことのできる身分で良かったとヴィルマは思った。もし平民の出であれば、きっとどこかで打ち止められていた。

 自身の宿願がこのような形で展開していくことになるとは、数年前は想像もできなかっただろうが。

 

「私は、人々が今後もっと、竜のことを知っていくべきだと思った。それだけです」

「……敵である龍を使って、それを為すか」

「ええ、これを凶行と見るか、荒療治と見るかは人々に任せます。私は、それより先のことに責任を持たなくてはいけない」

 

 逃げるのか、と貴族が叫ぼうとしたとき、その声を軽くかき消すほどの重低音が轟いた。

 たまらず四つん這いになり、何事かと辺りを見渡す貴族の頭上を、巨大な影が覆っていく。

 

 崖下の谷を通り過ぎていくはずだった龍の山体が、それ自体が隆起するようにしてゆっくりと持ち上がった。

 それは谷の裂け目を優に超え、荒野にいた兵士たちにも、ずっと後方にいた本陣の要人たちの目にも映っただろう。その多くが、悪夢としてこれを認めたはずだ。

 立った。その背丈は御伽噺に登場する巨人よりもなお大きい。足元にいれば、どれだけ見上げても足りることはないだろう。

 

 あの山体が立ち上がり、そして倒れ込むようなことができるのなら、現存するどんな強固な城壁や門もひとたまりもない。

 深い堀や高い埋立地を造って対抗しても無意味だ。地形を乗り越えて歩むことこそ、かの龍が龍たる所以なのか。

 ただそこに立つだけで風の流れが変わり、超重量に大地が軋む。かの龍が直接吼えずとも、周囲の自然がうるさいくらいにその存在の大きさを主張していた。

 

 貴族は腰を抜かして後退り、ヴィルマはかの龍と正面から向き合う。

 

「お前にも角があるのか、立派だな。折ったらそのまま刀でも作れそうだ」

 

 ヴィルマの声は聞こえてはいまい。人に対して蟻が話しかけているようなものだ。注意を向けることすら難しいだろう。

 つまり、かの龍はヴィルマと相対すべく立ち上がったのではない。恐らくは進路上の谷の崩落や地下水の噴出を察知し、何が起こっているのかを確かめるために立ったのだろう。

 正直、こうなってしまっては地形を利用した妨害も大した効力を持たない。兵団側も対竜兵器を駆使して必死に誘導を試みるだろうが、全ては山の龍次第だ。

 

 誘導に失敗すれば、前線都市リーヴェルも迂回されずに踏み潰される運命を辿る。

 緊迫した状況下で、山の龍に対し誰よりも近くに立った矮小な人間、ヴィルマは。

 

「お前の進むべき道は、向こうだ」

 

 二足で立ち、一歩も退かず。腕を伸ばして、幾多に枝分かれする谷のひとつを指差した。

 その姿は、まるで巨大な龍を従えて命ずる現人神のようであり。

 しばらくして、かの龍がヴィルマの指さす方向を向き、上体を倒して再び歩き始めたとき、それが単なる偶然だったとしても。

 時と場所が違えば、そして一人でも観測者がいれば、本当にヴィルマは王や神に準ずる者として崇められていたかもしれない。

 

 

 

 山の龍、後世でラオシャンロンと呼ばれることになる古龍が戦場から遠ざかっていく。

 本陣にいた国の要人たちは、ヴィルマの見立ての通りにこの場所と前線都市リーヴェルが守られたことにまずは胸を撫でおろした。

 そして、未だ止まない地響きに怯えながらも、今後訪れるであろう東シュレイド最大の国難へ向けて、再び議論し始めた。

 雪鹿(ガウシカ)に跨り、息を切らしながら駆ける伝令兵は、後続の街の人々へ、天災が迫り来ることと、一刻も早い避難を伝えに行く。

 

 山の龍の予想進路上にあった都市の領主や重役たちは、その報告を受けて、深い失望を覚えずにはいられなかった。

 そして、責務を果たせなかった対竜兵団へ向けて、激しい怒りを燃やす。

 報告を受けた時点で、対竜兵団という集団を初めて認識した者がほとんどだったとはいえ、今後訪れる不可避の理不尽への怒りの矛先は、彼らにしか向けようがなかった。

 あまりの事の大きさに、対竜兵団の指揮官に対し、処刑でもされなければ気が済まないという者も、決して少なくはなかっただろう。

 

 そんな、東シュレイド全土を巻き込みかねない大混乱の渦中にいたヴィルマは。

 本陣近くで失神していた貴族が証言する、崖上での目撃以降、忽然と姿を消していた。

 龍に喰われたのだと、多くの人々がそう囁いた。山の龍が一時の間立ち上がったのは、あの人物を喰らうためだったのだろう、と。

 それ以上は皆、祟りや呪いの類を恐れ、口を閉ざした。山の龍の侵攻という特級の厄災に見舞われた手前、これ以上の不吉を呼び込むわけにはいかなかった。

 

 そうしてヴィルマは。対竜兵団を鍛え上げた若き領主は。

 竜と厄災を招いた将という不名誉な称号と共に、表舞台から姿を消した。

 

 

 

「本当に、護衛はいらないのですか」

「ああ、大丈夫だ。これ以上、この戦場で命が喪われるのは惜しい。忠心は認めるし、今の俺に対しても仕えてくれるのはありがたいが、ここは俺の意志を汲んでくれ」

「……承知いたしました」

 

 夜空の下、既に兵士たちの引き上げた荒野の中心部で、幾人かの人の声が夜闇に消えていく。

 彼らは篝火を灯し、今まで何やら作業をしていたが、それらが一段落した上で言葉を交わしているようだった。

 

「最後の最後まで身勝手な指揮官ですまない。今後の対竜兵団を、よろしく頼む」

「任されました。……ご武運を」

「ああ」

 

 そんなやり取りを最後に、何人かの人影が荒野を去っていき、その場に残されたのは一人だけとなった。

 仲間の去り行く姿を見送っていたその人物は、松明を手に持ち、辺りに誰もいないことを改めて確認しに行く。

 ひとしきり辺りを歩き回り、人も竜も気配がないことを確かめた後、もといた広場へと戻ってきて、適当な瓦礫へと腰を下ろした。

 

 瞬く星々と流れゆく雲の様相は、あるいは満天の星空よりも風流を感じさせた。

 昼間の砂埃と強風が嘘のように、辺りは静まり返っていた。弱く吹く風は肌寒さを感じさせたが、この地域に住む者にとっては慣れたものだ。

 遠く地響きが伝ってくる。もはやかの龍は留まることを止めたが、あと一日から数日は、この地面からの音も途切れることはないだろう。

 

 どれくらいの時間が経ったのだろう。不思議と眠気に誘われることはなく、緩く張られた糸のような雰囲気が保たれている。

 そうして今、待ち人の元へひとりの人が訪れた。

 

「随分と早いご到着だ。一月くらい待つことだって考えてたんだがな」

「…………」

「本当に禁足地を越えてきたんだな。陸路で踏破したのは、間違いなく君が初めてだろう。お疲れさまだ。ここはもう、東シュレイドだよ」

「…………」

 

 気さくに話しかける待ち人に対して、訪問者は何も答えなかった。

 訪問者はまた、夜の暗闇の中でもなお浮き立つような見慣れぬ黒い鎧を身に着けていたが、待ち人もそれらを気にかけることはしなかった。

 

「ぜひ話を聞きたいところだが……そうだな、野暮だろうとは思っていた」

 

 訪問者は────フレアは、返事の代わりに剣を手に取った。紅の炎がその腕に立ち昇る。

 

「よし、そしたら、殺し合おうか」

 

 待ち人も────ヴィルマも、そう言って背中に担いだ剣を抜いた。白い冷気がその腕を覆う。

 

 奇襲はなく、会話もない。ただ予定調和であるように、全てが決まりきっていることを受け入れているように、彼らは自然に相対する。

 巨大な足跡が刻み付けられた荒野の片隅で、小さな二つの影がぶつかった。

 

 






作中設定解説

【山の龍】
後世ではラオシャンロンと呼ばれる古龍種。
人が観測している生物の中でも最大級の体積と質量を誇る。歩く天災。
その鱗や甲殻は生成物というよりも堆積物というべきものであり、まさに岩盤の如き厚さと堅牢さを誇る。また、地域によって鱗の色や特性に違いが見られる。
作中に登場した個体は、同種の中でも特に大きかったとされている。同様の個体に、後世で新大陸へと渡りを行い、調査団と接触のあったゾラ・マグダラオスが挙げられる。


本編一部修正の連絡

【第23話 大山は鳴動し、今】
・後半部分、ヴィルマと将軍が言い争う場面において、双方の主張の一部を変更しました。
・後書きに作中設定解説・黒紫の怪鳥を追加しました。
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