ヴィルマフレアの英雄譚   作:Senritsu

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第8話 一の言葉に千を返す

 

 

 この城にて代々続く主従関係の中でも、彼は特に変わった人間だ。

 

 机に向かい、黙々と書き物をする青年、ヴィルマの背中を見ながら、彼の従者はそんなことを思った。

 

 夢想家であり理想家。顔立ちや立ち振る舞いこそ落ち着いて見えるものの、何かと言葉で表現をしたがり、話や文書が長くなりがちだ。

 この性格だけを挙げれば街や国の書士にも同じような者がいるかもしれないが、これでいて彼は歴とした武官なのだ。相手取る敵が、賊や兵士とは少々異なるというだけで。

 

 彼のいる書斎はあまり外の光を取り込まない構造のため、薄暗さを蠟燭の火で補っている。暖炉の薪が燃える音と、彼が筆を動かす音だけが聞こえている。

 本棚にあまり書籍は並んでいない。代わりに束ねられた皮紙や、細長い巻物が置かれていた。本という形をまだ成せない雑多な書類たちだ。

 加えて、これが何より独特と言えるだろう、粉末や薬液の入った瓶に何かの竜の鱗や骨など、貴族たちですらまず持ち得ていないであろう物品が並べられていた。

 清掃や点検といった主の居場所の維持が従者の業務とはいえ、この風変わりな書斎の手入れをするのは骨の折れることだった。

 

 主の後ろに立つという業務の中でこのような考え事をしている、その時点で従者としては非常識なことなのかもしれない。

 けれども、人対人の文化で正しいとされる習わしも、ここではその意義すら薄れているように感じられる。

 

「……人に背中を向けたまま作業をするというのは、馴染まないものだな」

「……あなたのような立場の方から発せられる言葉とは思えませんね」

「仕方がないだろ、事実なんだから。前に側近を付けたのはもう十数年も前か?

 あのときはまだ子どもだった。庇護される側であることに納得していたから自然と受け止めていたんだ」

 

 だから、こうして彼が突然話しかけてきたとしても、あまり言葉選びに迷うことはなかった。

 大人になった今、こうして見守られることはやはり窮屈に感じる。と、彼は軽く伸びをしながらぼやいた。筆を止める気はまだないようだ。

 

「実際、もし再び彼女がここを訪れたとして、扉の前に立つ護衛が捕らえられると思うか? 最悪死ぬぞ。せっかくの命が勿体ない」

「護衛には聞こえないでしょうが、あまりそういうことを仰られませんよう。彼らにも面目というものがあります。それに襲撃があった際、一声を上げられるか否か、それだけでも違うものです」

「まあ、それはそうだろうが。お前もその一人だと?」

「……私は元より文官です。私が居る場でそのような状況に見えたなら、せめて声を上げる役に徹するとしましょう」

 

 従者は目を閉じて淡々と返す。ヴィルマは嘆息して、再び机の上の紙に向き合った。

 彼が今語った通り、この都市の主たるヴィルマの身の回りの人々が増えたのは、数年前の祝宴の日に、彼が賊による襲撃を受けてからだ。

 それまでの彼は私事に他人を付き添わせたがらず、時おり城下町を一人で出回るようなことまでしていた。城にいる人々も、そんな彼を諫めはしなかった。

 

 厳しい財政と気候の中で暮らす人々の治安は決して良いとは言えない。政治に反感を持つ者も少なからずいるだろう。

 しかし、それでもこの都市と賊という存在は縁遠いと認識されていた。不満の矛先が、領主だけに留まらないからだ。

 竜という他の都市にない肩代わり先があることで、治世は他の都市よりやりやすいのかもしれない。多くの人がそう思っていたのだ。

 

 そんな中で起こったのが、かの祝宴の夜の襲撃だった。

 ヴィルマは毒を撃ち込まれて倒れ、何日も生死の境を彷徨った。

 彼の傘下の者たちが作った解毒薬と、彼自身の生命力、そして毒を撃たれた腕が()()()()()()()()()()()ことでその巡りが抑えられたこと。どれか一つでも欠ければ彼はそのまま息を引き取っていただろう。

 手足の痺れや目立った後遺症もなく回復に至ったのは奇跡にも等しいと、彼の治療に当たった医術師が当時の記録にそう記している。医術師ですらそう素直に書きざるを得ない程に激烈な毒だったようだ。

 

 何にせよ、彼の命を明確に狙う者がいたという事実に街は衝撃を受けた。

 あまりに想定外な状況に現場は混乱し、主犯を街の外まで取り逃がしてしまった程だ。これについては流石に国からの指導が入り、復帰したヴィルマ自身も苦い顔をしていた。

 だが、国は国でその後の追跡を引き継ぎながら、捕縛には失敗している。

 賊とその追手たちは、国境付近で肉食竜の群れに襲われたらしい。追手はその多くが命を落とし、あの状況では賊の方も生き延びることは難しいとして帰還してきた。

 

 ならば賊は逃げ延びただろうと、国とは全く別の見解を出したのがヴィルマだった。

 特段国を責めることはしなかった。今、国の保有する兵で竜を相手取ることは不可能に等しい。それこそヴィルマの兵団が引き受ける案件だが、捜査はそこで打ち切りとなった。

 

 何にせよ、賊という存在を認め、対策を練ることをヴィルマたちは検討しなければならなくなった。

 国からの使者も入り会議が行われる中、まだ療養中のヴィルマが当事者だからと参加し、いろいろと個性的な意見を飛ばしたため、そこでも苦言を受けたのだとか。

 アレは人の姿をした大型の竜に近しいので、対竜兵器を小型化して城に配備した方が良いだとかなんとか。言っていることが滅茶苦茶だ。流石に従者も擁護できない。

 

 結局、こうして護衛を付けるという定石の対策になったわけだ。

 それに対し、未だに不服そうにしているのが目の前のヴィルマということになる。

 しかも、彼が納得していない理由が、彼にとって合理的でないというだけでなく──これは従者の勘だが──恐らく、面白みを感じていない。

 自らの命に対して面白みも何もないはずなのだが、ヴィルマにはそういうところがある。それが従者の持つ彼への印象だった。

 

 一応決め事ではあるため従っているが、あまり身勝手に振る舞えなくなった窮屈さをこの書き物にぶつけるとでもいう風に、ヴィルマは一心に筆を走らせていた。

 領主という立場の人が自分の手で書き物をすることはそう多くない。文書に目を通し、判を押すことは数多くあれど、文書作成は文官や書記に任せる場合がほとんどだ。

 いや、ヴィルマもまたその例に漏れないのだが。

 ではどうして彼がこうして自ら筆を執っているかと言えば、それはこれが報告書だとか告示だとかの公文書ではなく、私的な文書、つまりは趣味で書いているものだからだった。他の誰かに任せて出来上がるものではないのだ。

 

 彼には無数の仕事ややるべきことがあるが、この書き物の時間だけはしっかりと確保しているようだった。外勤中でも変わらない習慣のようで、それだけ彼にとって大切な時間でることは間違いない。

 詩歌を嗜む貴族は珍しくない。彼もその一人かと思いきや──実際ヴィルマはその分野でも活躍した可能性はあるが──少なくとも今書いているものはやや方向性が異なる。

 

 ヴィルマが書いているものは、手紙だ。

 便箋で何枚にも渡る、もはや小説じみた手紙を彼は延々と綴っているのだった。

 

 

 

「──よし、こんなところだろう」

 

 ヴィルマが筆を置いたのは、それより前に彼が従者に話しかけてから大分時間が経ってからのことだった。

 時折、自らの書く言葉の適切さを調べるために本を手に取ったり、ふと物思いに更けることはあったが、それ以外は淡々と筆を運んでいた。

 ただ、暗くてよく見えないまでも、彼の雰囲気はさっきよりもすっきりしているように思われた。彼にとってはこれも息抜きに数えられるということなのだろうか。

 

 見直しのために紙を手に取って始めから終わりまで一通り目を通し、よし、ともう一度呟いたヴィルマは、従者の方へと振り返った。

 

「アズバー、いつもの通り校正を頼んだ。封はいつもの通りで」

「承知しました」

「前に配達屋が来たのはいつだったかな?」

「今年の春の早い頃でしたね」

「それなら今は、ちょうどこの国に戻ってこようかという行程か。リーヴェルに着くのはもう少し先になるだろうな」

 

 彼の想定よりやや早い時間に書き終わったのか、従者へと手紙を渡した彼は、すぐには書斎を出ず、棚に置かれた竜の鱗や瓶詰の粉を眺めていた。

 アズバーと名を呼ばれた従者は、自らに手渡された手紙をちら、と見た。

 手紙の内容を隠し読むようなことがあれば、付き人とはいえ重罪に問われる──などということはなく、彼に限ってはその手紙を読むことを許されている。

 

 アズバーは先ほどの言葉通りの文官であり、彼の手紙の校正役を務めていた。実際はヴィルマが文の運びや文字を間違えることなどほとんどないため、事務手続きが主になってしまっているのだが。

 アズバーとヴィルマの間にだけ共有されているこの手紙を、いかにして「従者が遠方の家族宛に出す手紙」を装って特定の運び屋に託すか。アズバーの悩みの種はむしろそちらの方にこそあった。

 

 だから、今ここでヴィルマの手紙の内容を垣間見たところで特段何も言われない。だが、その内容については既に大方の見立てがついていた。

 いつもの通り、半ば日記のような、けれど事細かな記録とそれに対する彼の思いが綴られているのだろう。これまで、()()()そうだったように。

 

「今度の遠征は西側とお聞きしました」

「ああ、珍しくな。あそこから先は西シュレイドに至るまで不毛の大地だが、なぜかやたらと竜がいる。その間引きに行く予定だ」

「あちらでも手紙を書きますか?」

「いや、そこまで長い日程にはならないはずだ。少なくともヒンメルン山脈を回り道するよりずっと早く着く」

 

 彼は忙しい身の上だった。こうして西方の拠点へ出向くこともあれば、東の辺境やヒンメルン山脈麓の国境の駐屯地に長期で滞在していたりもする。

 しかもそれは、外交や視察といった類ではなく、もっと直接的に命に関わる危険な任務だ。いつ街に戻って来れなくなってもおかしくない、そんな環境の中にヴィルマはいる。

 この街の政治が領主無しても成り立つようになっているのはそのためだ。彼が命を落とした場合は、国からすぐに代理または後継ぎが入るような仕組みになっている。

 

 風変わりな書斎を持ち、竜絡みの様々な物品を集めている彼だが、城にいる時間自体はあまり長くない、というよりも短い。一年の内、五十日も城にいればいいほうといった具合だ。

 そんな日々の中でも、彼は定期的に手紙を書き続けている。宿泊地で、駐屯地で、あるいは前線の天幕の下で。

 遠征にアズバーが連れ立つことはほとんどない。それこそ、他都市や貴族との交流があったときくらいだ。アズバーは城に居続けて彼を出迎える側だった。

 手紙の運び屋はヴィルマの居場所など知る由もないので、出先で手紙が書かれたときには、それは一度城へと送られ、アズバーが一度開封して封をし直してから運び屋に渡すという手順になっていた。

 

 もう何年も経つというのに、飽きもせずよく続けられるものだ。……返事が見込めない、一方通行の便りだというのに。

 ヴィルマがいる手前、口にこそ出さなかったが、アズバーはそう思わずにはいられなかった。

 もし仮に口に出したとしてもヴィルマは怒り出したりしないだろうが、何を言っても、まだしばらくの間、彼が手紙を書くことを止めることはないだろう。

 それは、校正のついでに手紙を読んでいたアズバーが最もよく分かっていた。

 

 ヴィルマはアズバーに話しかけるでもなく、本という形を持たない雑多な書類をいくつか手にとっては考え事をしていた。いずれも竜に関する伝承や記載のあるものだ。

 竜に対する有効な手立てが見つかるかもしれないと、ヴィルマが行く先々で集めてくるものだが、整理する時間が圧倒的に足りていなかった。

 粗雑な紙の劣化は思った以上に早い。過去に古龍占い師たちへの提供をアズバーが提案したが、その是非を考えているのかもしれない。

 

 明日は次の遠征の布陣や対策についてヴィルマとその部下たちの間で協議がある。時間は待ってはくれない。

 自覚はあったのだろう。アズバーが声をかけるよりも早く、ヴィルマは気持ちを切り替えるように嘆息し、アズバーと共に書斎から出ようとした。そのときだった。

 

「む?」

 

 書斎の扉がノックされる。扉越しにヴィルマが名と要件を問うと、扉の前で護衛をしていた兵士が返事をした。

 

「ヴィルマ殿に来客です。クラフタという名の獣人で、ヴィルマ殿に渡したい書類があると。以前と同様に許可証を携えておりますが、如何いたしましょうか」

「ああ、ここまで連れてきてやってくれ。いつもの国の使いだろう」

 

 ヴィルマの指示に従って客人を案内するべく、遠ざかっていく兵士の足音が聞こえた。

 ヴィルマとアズバーは顔を見合わせた。狙い澄ましたかのような頃合いだ。それ自体は偶然だろうが、予想していたよりもずいぶんと早い。訪問する都市の順序を変えてきたのだろうか。

 

 しばらくして、再び扉がノックされ、人であれば通り抜けられない程の幅に開けられた扉から、一人の獣人が姿を現した。

 使い込まれた雰囲気のある灰色のコートに、自らの背丈と同じくらいの大きさの背負い鞄、普段被っている深めの帽子は謁見のために外しているのか、素顔と地毛が隠れずに見える。

 書斎の薄暗さに合わせて、その瞳孔がくっと開き、周りの光を取り込んで淡く光るのが見て取れた。

 

「やあ、久しぶりだなクラフタ。息災か?」

「お久しぶりです。旦那様。秘書様も、お二人でいるのを見るのは……何年ぶりでしたか」

「そうだな、一、二……たしか二年と少しくらいだ。雇い主が不在ばかりですまないな」

「いえ、旦那様があちこちを転々としている話は他でも伺っておりますんで」

 

 旦那様こそ元気そうで何よりです、と、普段から口数の少ないアイルーはかしこまって挨拶し、頭を下げた。

 クラフタは郵便屋であり、ヴィルマが手紙を託し、信頼を寄せる契約相手でもあった。口が固く、そもそも種族的に人からの尋問を受けにくく、仕事はきちんとこなす。

 ヴィルマとは遠征先で知り合ったようで、大猪とその子分による立往生を食らっていたところをヴィルマの率いる部隊が解決したのだとか。良い縁ができたと当時のヴィルマは喜んでいた。

 

 この城へ来る前に最低限の身なりを整えてきたのか、服の煤は落とされていて、尻尾や脚も泥に汚れている様子はない。そうでなければ門前払いされてしまうので当然か。

 リーヴェルに獣人族はほとんどいない。雪鹿か毛象であればどこにでもいるが、あとはほぼ人の街だ。だからこそ周囲に溶け込むために身なりを整えるのだろう。立っていれば、遠目に見れば人の子に見えなくもない。

 アイルーの世知辛さについてアズバーが考えている間にも、クラフタとヴィルマの会話は続いていた。とは言っても、ヴィルマの他愛のない話にクラフタが短く応える程度だ。

 

「また竜には遭ったか?」

「火の怪鳥に」

「ああ、けたたましい声で鳴くアレか! あれはちょうどお前のような大きさの生物を追いかけ回すようだからな。次は癇癪玉を多く持っていくといい」

「雨の日ではどうにも不発が多く……」

「それならばらまくだけでもいいんだ。あの竜は空をあまり飛ばないから勝手に踏み潰して、その重さで癇癪玉は弾ける。しばらくしたら雨に溶けるから、後から来る行商人に迷惑もかからないだろう」

「なるほど、分かりました」

「それと、草食竜たちに特におかしな動きはなかったか?」

「はい」

「ふむ、それならヒンメルン山の向こう側はしばらく平穏と見ていいか。駐屯任務の者たちもなんとかやれているようだな」

 

 クラフタとヴィルマの間で交わされている話にアズバーはついていけない。そのほとんどが想像で補うしかない領域だ。

 ヴィルマが稀に持ち帰る、討伐された竜の亡骸を見たことは何度かあったが、生きた竜を見たことはまだ一度もなかった。大部分の国民がアズバーと同じ境遇だろう。

 アズバーにとってクラフタは、ヴィルマに負けず劣らずの冒険家のようにも見えた。

 

「と、失礼。こちらから一方的に立ち話とは。今回もいつものように手紙の受け取りだろうか?」

「はい。それと、別件もあり」

「む、もしや依頼人が増えたか?」

「いえ。旦那様に対してお届け物が」

 

 届け物、それにヴィルマに? ヴィルマは眉を上げて、アズバーは背筋に冷汗が伝うのを感じた。

 まさかとは思ったが、ヴィルマの手紙を巡る所業が第三者に知れてしまったか。

 国の関係者であればさらにまずい。彼の手紙の内容と送り先は、国賊とまではいかずとも、審問に賭けられてもおかしくないものだ。

 

 場に緊張感が伝う中で、クラフタは自らの鞄をごそごそとまさぐり、目当てのものを取り出した。何かを気にするように後ろを向く、扉の向こうにいる護衛だろうか。

 そして、アズバーが送り主を問うために口を開くよりも早く、いつもよりくぐもった声で言った。

 

「あちらの国のフレア様より返事の手紙を預かりました……ニャ」

 

 お、珍しくアイルーらしい語尾を付けたな、と。そんなことを思うまでもなく。

 ヴィルマもアズバーも、驚愕に息を吞んだ。声を上げなかったのは護衛を不審がらせないためだったが、それにも最大限の自制が必要なほどの驚きだった。

 

 あちらの国とは、西シュレイド王国のこと。ヴィルマやアズバーのいる東シュレイドとは国境を接している。

 フレアという名は、現在東シュレイドで目下指名手配中であり──ヴィルマを襲撃した犯人とされている名だ。

 ヴィルマが、数年間手紙を送り続けた相手でもある。

 

 手紙を書けば、少なからず返事は来るもの。そんな考えは、ヴィルマとアズバーの頭から抜け落ちてしまっていた。

 この数年間、ヴィルマは何度も彼女に宛てて手紙を書き、その文量は便箋にして何十枚にも渡るが、返事が返ってきたことなど一度もなかった。

 本人の手元に届けられているか否かすら、クラフタの証言以外に証拠がなく、故にアズバーの目にはヴィルマの行いが執着的なまでに映ったのだ。

 

 クラフタが手に持っている封筒はごく質素なものだった。飾りも何もない、平民が扱うようなもの。送り先も、差出人の名前も書かれてはいなかった。

 クラフタが差し出したそれを、ヴィルマは慎重に受け取る。安い糊で留めたのか、封は固着しペーパーナイフを使う必要があった。

 クラフタは黙して語らない。事情は手紙を読んで把握しろということなのだろう。アズバーもそれに倣い、ヴィルマを見守る。

 

 ヴィルマはがらにもなく緊張している様子だった。竜の咆哮に何度もさらされ、多少の修羅場では動じなくなっている彼が、だ。

 ペーパーナイフで封を切ると、中には一枚だけ紙が入っていた。クラフタは鞄の中の荷物を濡らすことは決してしないが、何十日もの移動と気温や湿度の変化を経て、その紙はくたくたになっていた。

 

 四つ折りされた便箋を開くと、そこには何度も何度も文字を書いてはそれを塗り潰した跡があった。その跡から、差出人は書く中身に悩んだのでなく、文字を書くという行為そのものに苦慮していたことが見て取れた。

 そして、大部分がそのような塗り潰しで埋められている中で、紙の左端、残り数行を書けるかという余白に、大きく、そして力の加減もできていないような筆跡でそれは綴られていた。

 

『くろい へびの とぶ りゅうは どくを はく。むれで けがを したひとを おいつめる』

『みんなで あつまって あいてを したほうがいい。はぐれる ひとを つくらないように きをつけて』

 

 ヴィルマが目を見開く。

 それは、ここにいる人々の中でヴィルマにしか分からない。竜を知らないアズバーでは表面的にしか読み取れない。

 ヴィルマがひとつ前の手紙で話題に上げていた、次なる任務の内容に触れるもの。明確な注意喚起であり、彼女が既にそれと対峙したことがあると告げている。

 その文は、あの日、あのとき、二体の龍を巡って互いに言葉を交わしたときの、失った人の命の数を何よりも悼んでいた彼女そのものだ。

 

『フレア』

 

 最後の文字は、彼女の名前で締めくくられていた。

 クラフタに事実を問い直すまでもない。それはヴィルマが知る上ではほぼ間違いなく、彼女にしか書くことのできない手紙だった。

 

 文章自体はものの数秒で読み終わる程度の長さであったものの、ヴィルマはしばらくその場で黙っていた。

 クラフタは反応が読めずに少し身構える素振りを見せたが、アズバーは察することができた。

 

「なあ、アズバー、まさかこんな日が来るとは……全く思いもしなかったな」

「そうですね。あなたが最も遠いと仰られていた展開ですから」

 

 信じていただとか、ようやく通じただとか、そういう言葉をヴィルマは使わない。

 返事というものへの期待が無かったかといえば噓になるだろうが、そもそもの趣旨がそれとは別のところにあった。

 淡々と手紙を書いて誰かに送り、特に見返りも求めず、それを何年も続ける。日常の内にあるような自然さでそうしている。

 面の皮が厚いのか、謙虚なのか分からない、しかし明らかにふつうではない考え方だ。

 

 大勢の人の上に立つ者は、どこまでも堅実か、あるいは突出したものを持っている。従者の家系で育ったアズバーはよくそんなことを聞いていた。

 ヴィルマの場合、一見すると前者だが、少し付き合えば後者であることが分かる。隠し通せていないので、彼の滲み出る内面を知っている部下も少なくなかった。

 

 クラフタもようやく気が付いたようだ。部屋の裏がりは表情の読み取りを鈍らせる。

 ヴィルマは笑っていた。それも、子どもらしい単純さと思春期の苦々しさを混ぜ合わせたような、多面性のある苦笑いを浮かべていた。

 初めて手紙のやり取りというものが成立した。情動は差し置いて、交流という事実が生じたこと、それそのものを彼は喜んでいる。いや、違う。おもしろがっていた。

 

 ヴィルマはやはり、自身が面白さを感じるか否かを念頭に動いてしまう。

 普段はよく抑えている方だ。そうアズバーが感心するほどにその傾向は強く、自覚があるからか、自制心も強い。

 

「しかし、限られた言葉の中で実に有用な情報を詰め込んでいるな……。

 今ここで他の誰かがここに来て手紙を読んだとて、竜の襲来に勇敢にも立ち向かった村の住民からの報告と言えば、あっさりと追及を躱せてしまいそうだ」

 

 フレアという差出人は、どうやらそんな彼の枷を取っ払ってしまえる人らしい。

 普段は領主や指揮官としての責務に身を固めていて、かなり厳重に組まれた枷は、アズバーですら解ける人は自分を含めていないだろうと思わせていた。

 それが、たったの二言、三言の言葉の羅列で瓦解させているのだから、ある意味立場が無い。

 

「しかも、彼女は文字が書けなかったのだな。彼女の境遇を考えると自然なことか。これでは読むことすら……きっと誰かが彼女に読み聞かせていたのだろうな。ありがたいことだ」

「……それがあちらの国の要人である可能性は?」

「自分は大罪人になるだろうな。あまり機密に関わることは書いていないつもりだが」

 

 あけすけにそんなことを言うので、アズバーは思わずため息をついてしまった。思わぬ悪事に片足を突っ込んでしまったものだ。

 自分が共犯者として捕まらないためにも、そして、彼の手紙を読むことを許されている唯一の従者として。

 今後は手紙の内容で機密的に危ういものがあれば迷わず進言していこうと、アズバーは改めて決意した。

 

 ヴィルマは、このやり取りをする中でクラフタが僅かに首を振ったのを見て取っていた。

 その仕草は、恐らく手紙の読み聞かせをしているのは政治と関係のない人物であろうことを指し示していた。

 しかし、それを問うたところでクラフタは答えを渋るだろう。応えてくれないことはないだろうが、そこまで追求せずとも、ヴィルマにとってはその仕草で十分だった。

 

 クラフタは嗜好品に目が無いらしいが、顧客の情報はあまり表に出さない方だ。その気になれば情報屋にだってなれるだろうに、配達屋の仕事に徹底している。

 それが自分の身を守ることに繋がると分かっているからなのだろうが、ヴィルマという権力者の前でもその姿勢を崩さないなら、尊重するべきだとヴィルマは思った。

 

「クラフタ、お前はしばらく東シュレイドに滞在する予定はあるか?」

「四、五十日ほどは」

「であれば、もう一度リーヴェルに戻ってきてくれないか? 返事を書きたいんだ」

「できますが……三、四日はリーヴェルにいますんで、その間に書いて渡してもらうとありがたいです」

「すまない。ここ数日は手紙を書けそうになくてな。この受け取った手紙のおかげで、軍議を開かなくてはならなくなった。それに、この手紙の返事は次の作戦を終えてから書いた方がいい」

 

 ヴィルマがそう言うのなら、クラフタはそれ以上何も言わない。

 自費で支払っているらしいが、毎度、かなりの額の報酬を渡してくれる上客からのお願いだ。無下にすることはできない。

 今回は東シュレイドに来るまでが早かったため、多少は滞在日数を伸ばせるだろう。クラフタは何度かヒゲをなぞってから答えた。

 

「では、また一月と少し後に来ます」

「うん、よろしく頼む」

「それでは……」

「ああ、ちょっと待ってくれ。見送ろう」

「……大丈夫です、ニャ。お忙しいでしょうから」

「久しぶりに会ったんだ。それくらいはさせてくれ。それにこうした方が、お前が正規の客だと周りに報せられるからな」

「……ニャ」

 

 クラフタはヴィルマのことが少々苦手のようだ。背後に控えるアズバーは二人のやり取りを見てそう思った。

 ヴィルマは押しが強いところがあるので、勢いに押されて引き気味になる相手は多い。表の身分が一都市の領主なので尚更だ。

 動揺したクラフタが獣人族固有の語尾を連発しているのを見て、アズバーは僅かに苦笑いを浮かべた。

 

 書斎の扉を開くと、ヴィルマの姿を見て護衛が礼をする。ヴィルマは護衛に向けて、軍議をするから召集の連絡をしてくれと言葉をかけた。

 何も後ろめたいことはないかのようにヴィルマは堂々と歩いていたが、時折、いつもの考え込む仕草をすることがあった。

 アズバーが問うと、かの手紙から伝えられた情報をもとに、どのように陣を敷けば被害を抑えられるか、既にヴィルマの頭の中で戦略の組み立てが始まっているらしかった。

 

 返事が来たことを嬉しく思う気持ちはまだ落ち着いてもいないだろうが、結局竜を優先してしまうところがヴィルマらしい。

 手紙の返事を書いた西シュレイドの彼女もまた、いろいろとヴィルマが話題を投げかけた中で返した内容があれなのだから、同じようなところがあるのかもしれない。

 

 この手紙のやりとりが一度きりなのか、それとも、これが始まりとなるのか。

 このときのアズバーは、まだ予想ができなかった。

 

 






作中設定解説

【古龍占い師】
現在の古龍観測隊の前身となる組織。所属メンバーのほとんどを竜人族が占める。
東西シュレイドに留まらず、辺境の小国や集落にもネットワークを広げているが、表立っての活動はしておらず、知名度は低い。
作中の時代は古龍種の分類や定義が定まっていないため、どちらかと言えば天災や災害を手当たり次第に取り扱っている。
作中では鋼龍クシャルダオラと炎王龍テオ・テスカトルの古龍渡りを予言し、また進行経路を予想して東西シュレイドに提言していた。
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