ヴィルマフレアの英雄譚   作:Senritsu

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第7話 千の言葉に一を返す

 

 

『この手紙が届くころには、そちらも寒さが厳しくなってきているだろうと思う。

 こちらではそろそろ小さな道が閉ざされる頃合いだ。

 これから降る雪は真綿のようで、春が来るまで溶けることなく積もり続ける。やがて地表を白く染め上げて、背の低い木々はすっぽりと雪に埋まってしまうだろう。

 こうなるともう、歩いて街や集落を往来することは難しくなる。手紙屋のアイルーもそれをよく分かっているらしい。計画的で手際の良い集荷に感心するばかりだ。

 

 そちらでは時季を問わず道を走っているだろう荷車は、冬季の東シュレイドでは身動きが取れなくなってしまう。深く雪の積もった道は、延々と続く泥沼と似たようなものだ。

 だからといって、冬季の東シュレイドがそれぞれの街の門を閉じ、完全に眠りにつくかというとそうでもない。むしろ、この時季だからこそ威勢が良くなる人々がこの国にはいる。

 君は、雪鹿(ガウシカ)ソリを知っているだろうか? そちらの地方ではほとんど馴染みがないと聞くが、こちらでは誰でも知っている冬の風物詩だ。

 

 ソリというのは、荷車の車輪の代わりに、細長い鉄の板を取り付けたものだ。先端の部分が反り上がっていて、多少の段差や石も乗り越えられるようになっている。

 獣の側に刃を当てるとき、先端を突くように当てれば簡単に穴が開くが、刀身を寝かせて撫でると破けずに鞣すことができるだろう。あれと同じだ。雪で均された道を滑って走るのが雪鹿ソリだ。

 牽手は主に雪鹿(ガウシカ)の群れが担う。滑るには速度がいるものだから、毛象(ポポ)や草食竜はあまり適していない。

 雪鹿は力こそ草食竜に劣るが、列を組んで何頭も連結させることでそれを補うということだ。各々がばらばらの方向に走っては前に進まないから、御者には統率力がいる。

 手練れの者ともなると大したものだ。鞭を使わず、掛け声や笛を巧みに使って、まるで意思を共有して共に走っているかのようにソリを進ませる。若輩者の私にはとてもできない芸当で、乗り手として感嘆するばかりだ。

 雪鹿たちも各々の役割がだいたい決まっている。先頭で進路決定を担う者、その後ろで全体の速度を調整する者、真中で最も力強くソリを引く者、後方で群れ全体の動向を見守る者……互いにぶつからないように予め角を丸められている個体も多いというのに、何よりも誇り高く見えてくる。

 

 凍えるほどの寒さの中、人が走るよりも早く風を切る。雪鹿たちは平気かもしれないが、雪国育ちの私たちでも、正直に言えばとても寒い。厚手の帽子を被っていても、耳や鼻が千切れそうな痛みを感じる。

 そうだ。もし冬季に東シュレイドに来ることがあれば、温身の薬湯(ホットドリンク)を携帯しておくことをおすすめする。そちらではあまり普及していないと聞いたが、交易の者に聞けば材料を渡してくれるはずだ。

 

 中身は何てこともない、雪国で良く育つトウガラシという植物の実を粉末にして、水か湯に溶かして飲む。こちらでは日常的な香辛料として、茸と漬けたり肉にまぶしたり、といった工夫も見られるな。

 乾燥させておけばかなり日持ちするから、少しずつ使っていくといい。体の内に炉が灯ったようになって、芯から冷え込むのを防いでくれる。

 ただ、流石に足先や手先までとなると効果は鈍るから、凍傷に対しての過信は禁物だな。あと、寒いからと一気に摂取するのもおすすめしない。後で腹を下して酷い目を見る。

 そして、この効能を長引かせる薬合わせの技もあるが……この話まではしなくてもいいだろう。むしろ飲む気が失せてしまうかもしれない。私ですらあれは少々どうかと思った程だ。

 

 とにかく、これらが冬の東シュレイド、ひいてはリーヴェルの特色と言えるものだ。

 温身の薬湯(ホットドリンク)については勧めたばかりだが、雪鹿ソリにもぜひ乗ってみてほしい。君の赤髪が風にたなびく光景を想い浮かべると、少しわくわくしてくる。

 

 こちらとしては、次は観光か交流の目的で訪れてくれることを願うばかりだ』

 

 

 

『こんにちは。まずは、配達屋のアイルーを通じて君の生死を知ることを許してくれたことに感謝の意を表したい。

 

 私の好き勝手に君を付き合わせてしまっているとはいえ、死んでしまった者を相手に手紙を送るのは流石に忍びないものだからな。故人の墓に手紙が重ねられていくのは、あまり考えたくない光景だ。

 そして、この生業ではそういったことが特段珍しくもないものだから。私も君も、なんてことはなかったはずの任務であっさりと命を落とし得る。これは君も頷けるのではないかと思う。

 

 実際、この間も危うく死にかけたところだ。君にとっては、もはや聞き飽きた話かもしれないが。

 

 ヴェルドの西、そして北には西竜洋が広がっている。それは君たちの住むヴェルドでも同じこととは思うが、東シュレイドの北海ともなると同じ海でも様子が変わってくる。

 流氷、と言われてもぴんとこないかもしれないな。そもそも君が海を実際に見たことがあるかも分からない……まあ、対岸が見えない程に大きな湖だと思ってもらえればいい。

 氷、は見たことがあるかと思う。西シュレイドでも雪は降ると聞くし、氷結晶を見たことも一度や二度ではないかもしれないな。

 基本、この大地は北へ行けば行くほど寒くなっていくが、それも度を越すと海までもが凍り始めるんだ。そうして自然に作られ、海岸まで押し寄せてくる氷を私たちは流氷と呼んでいる。

 

 冬の始まりから終わりにかけて、これも風物詩のひとつと言えるのかもしれないが、前の手紙では話していなかったな。それに、この流氷に紛れて厄介な生き物がやってくるものだから、あまり歓迎されてはいない。

 君なら既に察しは付いただろう。そう、竜だ。本当に、人の領域の外にならどこにでもいるんだな、彼らは。ヴェルドやリーヴェル周辺が平穏なのがとても不思議に思えてくる。

 

 現地の人々は、彼らのことを噛鮫とか血吸い鮫とか言って怖れている。冬の寒さが厳しい年はよく現れるそうだ。この年はそれに当たってしまったようで、何人も行方知れずの者が出て、私たちに掃討の任務が下った。

 防寒具を着込んで、作戦を練って、補給の準備を整えて部隊を出発させた。ここまでは良かった。以前にも一度同じ任務に当たっていたから、相手の姿かたちは知っていた。

 

 血吸い鮫の個体としての手強さは、だいたいあの青い肉食竜──走竜と同じくらいだ。喰らい付かれると生きたまま血を吸われる恐怖を味わうことになるが、だからこそ、そうならないように。集団で相手をすればどうにか対処できる。

 ただ、それは海岸線で対峙するときに限った話で、これが漁師たちのように船の上だったなら、成す術がないくらいの苦戦を強いられていたことだろう。あくまで彼らの本拠地は海だから何とかなったんだ。

 それに、今回は以前とは違って隠し玉がいた。……あれが群れという程の統率力を持っているかは分からないが、つまるところ、親玉がいたんだ。

 

 その風貌は何とも言葉にし難いものがある……実際、私たちの都市(リーヴェル)の抱える学者たちが現場に立ち会った仲間たちから話を聞こうとしても、まず一致した解釈を得ることはできないだろう。

 少なくとも、あれは血吸いなどという域を越えて、人を丸々吞み込める人呑み鮫であったことは間違いない。単体で強い類の竜だ。

 

 不測の事態によって、自分も含めて、何人もの兵士が重症を負ったし、残念ながら、死者も出てしまった。一番の課題は、これらの情報把握が遅れてしまったことだ。

 反省を次に活かすことは前提として、この件で腕や脚を失った兵士や遺族に対しては、しっかりとその身を保証してやらなくては。と、この文章を書きながら改めて決意したところだ。

 

 さて、そんな経緯で、陸だけでなく海でも竜の脅威はなくならないことを改めて思い知った。

 一応、知識としては頭に入れていたのだが、実際に赴いて肌で感じるとより納得感が増す気がする。

 この話だけ聞くと、どうしてそんな危ない土地に人が住んでいるのか、と思うかもしれないな。わざわざ私たちを出兵させずに、住民を退避させるという選択も確かにある。

 

 けれども、こういうのも何だが、今回騒ぎになった村を含めた海岸一帯の集落は、東シュレイドの食糧事情的に決して切り離すことができない。

 リーヴェルで魚介類が食卓によく並ぶのも彼らのおかげだ。特に冬場に水揚げ量が増えるのが大きい。地上が雪に閉ざされて、ごく限られた果実や野菜しか収穫が見込めない中で、この海の幸は大きな支えになっている。

 漁師たちにとっても冬が主な収入源だ。流氷に負けない船は高いからな。採算を取るのに必死だ。けれども流石に竜の襲撃までは防げないし、だからこそ私たちを頼ってでも、なんとか海に出ようとするんだろう。

 

 ……ところで、こうして書いている途中にふと思いついた話題なのだが。

 君は、西シュレイドと東シュレイドの間で船による交易が行われていないことは知っているだろうか。その理由も含めて。

 空を見上げれば、果てなく君のいる都市まで続いているように、西竜洋もまた西シュレイドにまで渡っている。それを使えば陸路以外にも交易の手段が増えて、あの配達屋にここまで頼りきりになることもなかったかもしれない。

 そんなことを考えたことはなかっただろうか。こう尋ねるからには、私はそう思ったということだな。それで、この国の歴史や地理に詳しい文官に聞いてみたことがある。

 

 何せ、あの氷の漂う海へと単身で乗り込んでいく漁師がいるのだ。もっと国費をかけて大きな船と港を整備すれば、海運もできるのではないかと考えた。

 しかし、専門外の私程度が思いつくようなことは、とっくの昔に先人が考えついていた。文官の話によれば、もう百年以上も前にその試みは行われていて、そして失敗に終わっているのだという。

 

 何でも、西竜洋には潮の流れ、海流というものがある。空の天気が移り変わるあの風のように、海の中でも風のようなものが吹いているということだな。これは現地の漁師たちからもちらりと話を聞いていた。

 この海の中の風に乗ると、帆を使って海上の風を捕らえずとも自然と西シュレイドの方へ進むことができるらしい。そう聞くとより楽になったように聞こえるけれども、これこそが大きな罠なのだそうだ。

 

 記録によれば、ちょうど地上の国境の延長線上辺りで船の進みは止まり、深い霧が立ち込めて舵取りができなくなった。

 そうしているうちに、見たこともない大渦が海上で大口を広げていて、幾多の船がそこに呑み込まれて帰ってこなかったのだという。

 何とも不思議な話だが、その信憑性はともかく、異様なまでに船が沈む海域があることは確かだと言えよう。

 

 両国とも何度かは同じような試みをしたそうだが、時期や航路を変えてみても状況は変わらず、相手国へと辿り着けた船はごくごく一部だけだった。

 決して抜けられないというわけではないが、陸路よりさらに大きな博打になってしまうということだな。しかも、陸上なら単身でも徒歩や野宿という手があるが、大海原にその身一つで放り出されようものならまず生きては帰れない。

 こんな様では交易としても、外交としても船という手段は使えない。試みは早々に凍結されて、それ以降の進展を見せていないということだ。

 

 文官からその話を聞いたときには少々残念に思ったものだ。やはり、隣国であるはずなのにどの辺境よりも遠く感じるな、西シュレイドは。

 それでも、いつかもっと頑丈で、その大渦とやらを突破できるような船が作れるようになったなら、海伝いに国を渡ることができるようになるかもしれない。

 それはそれで、また外交上の問題を生むような気がするが……竜に頭を悩ませてばかりのこのご時世に、少しはそんな夢を考えてみたいと思う。

 

 今回はこの辺で筆を置くことにしよう。君もどうか、海の近くで竜を相手取るときには気を付けてほしい。彼らの常識は陸の生き物たちとは違うから、足元を掬われないように』

 

 

 

『こんにちは。「久しぶり」という言葉を続けても良いものか、しばらく迷っていた。この間隔での便りとなると、一度使うとずっと同じ言葉を繰り返すことになりそうだ。

 

 今は執務室で筆を取っている。ちょうど君とやり合った辺りの部屋だな。立場上それなりに広い部屋をあてがわれているんだが、外回りが多いこの生業故に、あまり使われずに埃を被りそうになっている。

 今まで君に宛てた手紙も、遠征先の仮設基地や各地の滞在施設で書いていることが多かった。リーヴェルへ戻る度に使用人に手紙を渡し、間接的に配達屋のアイルーへと渡してもらう、という流れだ。

 もっとも、状況はそちらでも似たようなものだろうとは思う。実際に戦うにしろ指揮を執るにしろ、現場に赴かなくては始まらないからな。

 各地の領主たちも自主的な取り組みは見せているのだが、どうしても練度で劣る。走竜の群れを追い払うので精いっぱいといった具合だ。私たちのような専門職が必要なくなることは当面ないだろう。

 

 以前は冬の終わりの血吸い鮫と人吞み鮫の話をしたように思う。今度は東シュレイドの東部に広がる湿地帯の調査に行ってきた。

 毎回同じような話にばかりなってしまって申し訳なく思う。もっと含蓄に富むような文章が書ければいいのだが、これでは何かの報告書のようだ。少々反省しつつもこうして筆を走らせている。

 

 東シュレイドの東部は今、国として熱心に開拓を進めようとしている地域だ。

 時折遭遇する原住民との交渉や交流はともかく、そんな彼らですらも手を出せていない未開の地はとても広大だ。その先遣隊として私たちを寄越そうという訳だな。

 辺境の領主や国の開拓を担当する大臣は、土地を広げて耕作や牧畜の面積を増やすというよりも、辺境で採れる資源に注目しているらしい。鉱石や木材、岩塩などが該当するだろうか。

 実際、私はあまり関わらなかったのだが、北東部の雪国の方ではかなり良質な鉄鉱石の鉱脈が見つかったらしい。手放しに喜んでいいのかは分からないが、兵器に鉄材を使う私たちにとっては朗報と言えるだろう。

 

 それと同じような成果を見込んでの東部湿地帯の調査だったが、私としては、この辺りは人が定住するどころか出向くことすら難しいのではないかというのが正直な見方だ。

 この湿地帯は既に何度か訪れているのだが、かなり危険な竜が何頭も生息している。

 先に書いた雪山は、その寒さ故に竜たちの活動も鈍っているからこそ何とかなるのかもしれない。

 特に、毒を使ってくる竜が多いのが厄介だ。あの湿地に広く生息している紫の走竜は、シュレイド地方にいる青い走竜と違って毒液を吐いてくる。けたたましい声で鳴いて、毒液を吐き散らしながら暴れ回る怪鳥にも手を焼いた。

 

 まあ、組織としてそういった経験があったからこそ、私が君に毒で殺されかけたときにも何とか解毒の手段を見つけることができたというのはあるのだが。そういう意味では無駄ではなかったと言えるのかもしれない。

 それはさておいても、極めつけは洞窟の辺りに生息する両手鎌の巨大な蟹だ。かつて、君が忍び込んでいた宴会でも話していたと思うが、あれは危険すぎる。

 大型の竜の突進や吐息なら何とか耐えてくれる大楯が()()()()()()など、いったい誰が想像するだろうか。あの蟹の持つ鎌は、恐らくどんな竜の鱗や牙よりも鋭利なのだろう。

 あそこで何人も死者が出てから、あの地の調査は時期尚早だと何度も国に進言しているのだが、あまり聞き入れられる様子はない。

 内地の安全な都市の中で、議会の決定だなんだといっている連中をあの湿地に突き出してやりたい……すまない。愚痴が出てしまったな。

 

 ともかく、いつもよりも神経を尖らせて臨んだ辺境の湿地帯の調査は何とか無事に終えることができた。

 君はこれすら温いと思われるような環境にいるのかもしれないな。君の境遇を憂うことも、こちらの価値観で話す権利も私は持ち合わせていないが、ただ、君の無事を願うばかりだ。

 

 これから私たちはしばらく休息を取って、リーヴェルの西に現れた黒蛇の翼竜の群れを対処しに行く予定だ。

 リーヴェルの西側に人はほとんどいないのだが、監視の者たちが見慣れない翼竜がいると報告してきてな。大きさは走竜と同程度らしいが、数が多いらしい。

 リーヴェルの書庫にもあまり資料がない、十数年ほど前に似たような姿の翼竜が目撃されたか、というくらいの珍しさだ。私も相手取るのは初めてになる。

 何にせよ、翼をもつ竜たちをこの都市に入れるわけにはいかない。迎え撃つか、打って出るか、これから状況を見極めていくことになるだろう。

 

 地理的に、そちらの都市の方面にも現れる可能性がなくはない。次の手紙を書くときにでも報告するつもりだが、念のため、気を付けてくれ』

 

 

 

 ……懲りない人だにゃあ、とサミは呟いた。

 

 自らの主であるフレアへと向けて送られて来る手紙。使用人は本来その内容について触れるべきではないかもしれないが、サミは手紙を読み聞かせる立場にあるため、一通り目を通すことになる。

 そして、声に出して読むとどうにもその文章が記憶に残ってしまうのだ。直接的には何ら関わりのない人に対して色々と考えさせられている現状がある。

 

 今この時もその例に漏れない。遠征から戻ってきて、剣を振るう手以外はどうでもいいともう片方の腕を折ってきたフレアに対して苦言を呈することもなく、お決まりの流れとして診療所へと担ぎ込む。

 そして、フレアが不在の間に配達屋のクラフタから届けられた手紙を読み上げる。フレアがひとつの任務をこなすよりも、クラフタが西シュレイドと東シュレイドを往復してくるまでの時間の方がやや長いので、機会は二回に一度程度だ。それをもう何度も繰り返している。

 

 これが、例えば西シュレイド内の隣街同士、などであれば微笑ましく、かつ珍しくもないのかもしれないが、それらとは一線を画している。

 クラフタの足の速さ的にも、四半年以上はどうしてもかかる。良くて半年に一度、天候や竜の気まぐれで足止めを食らい、往復に一年弱かかることも珍しくなかった。

 

 これでもクラフタはかなり頑張っている方だろうとサミは思う。

 サミは都市での生活に慣れて、旅という行為や地理、土地勘というものが分からなくなってきている。しかし、仕事をさぼりながらでは年に一度の往復すら叶わないだろうことは察することができた。

 身体を酷使して、足腰を悪くするようなことが無ければよいのだが。同族として、そんなことをちらりと思ったサミだったが、それを口に出すことはしなかった。

 

 そんな、悠々と季節を跨ぐようなやり取りを、何度も、なのだ。

 幼くして戦士となり、彼の暗殺に赴いたときも少女と呼べる年齢だったフレアは、段々と大人に近づきつつある。

 

 フレアに向けて最初の手紙が届いてから、三年弱もの月日が過ぎようとしていた。

 

 

 

 こうして毎回長文の手紙を寄越してくる彼からは、読書家の気配がした。同類の気配をサミはなんとなく感じ取っていた。

 同時に筆まめでもあるのだろうが、暇人というわけではないようだ。手紙の内容が真実であれば、だが。

 実際、かなり腕が経つということはフレアから聞いている。氷の剣がフレアの炎の剣と同じくして尋常でない力を持つことも。それは日々戦いに身を置いていることの裏返しだ。

 手紙の中でも、拠点でじっくりと手紙を書いてはいられない、といったようなことが書かれていた。任務先や遠征の道中で綴っていることが多い、と。

 

 文章を書くことは、それを読むよりも遥かに長い時間がかかる。サミはそのことをよく分かっているつもりだ。

 その上でこれだけの手紙を毎回寄越してくるということは、だ。慌ただしい日々の隙間にできた貴重な時間の中で、決して片手間とは言えない優先度で筆を執っているのだろう。

 代理受取人かつ代読者として思うところがいろいろとあるサミだが、最終的には先ほど呟いた「懲りない人だにゃ」に集約されていた。

 

 さらに、この呆れにも近い感情の矛先はご主人(フレアさま)にも向く。サミはそう思わざるを得なかった。

 使用人としてはとても良くない言い草だが、彼女の対応もまた、サミを困惑させる理由のひとつになっている。

 

 最初の手紙こそ、証拠隠滅と言いながら炎の剣で跡形もなく手紙を燃やし尽くすという容赦のなさを見せたフレアだったが、以降の手紙は基本的に保管を命じられている。

 こちらの同意もなく勝手に送り付けられているのだから、本来なら読む必要さえない。しかしフレアは毎回サミに代読を頼んできた。診療院の寝具で横になっているときも、途中で眠ることもせずしっかりと話を聞いていた。

 それらが義務ではないということはフレアも分かっていて、それでも手紙を読み続けるということは、彼女の中で何かしらの心境の変化があったと見るべきなのかもしれない。

 実際、サミが代筆で断りの手紙を書こうかと提案したときも、少し考え込んでからその必要はないと答えた。ある種の譲歩を彼女も見せているということだ。

 

 その理由はサミには分からない。フレアとしても色々と思うところがありそうなものだったから、あえて触れないでいる。

 だから、これはサミの憶測とはなるが、フレアは手紙の内容に興味があるのかもしれない。送り手への興味はともかくとして、だ。

 

 ヴィルマの話題は多岐に渡っていた。部隊を束ね、各地を渡り歩いているだけのことはあるということか。

 ともすれば彼自身やフレアのことはそっちのけで別の話を延々と続けるものだから、何の目的で送ってきているのか分からなくなることがある。一応、恋文の類だろうとサミは思ってはいるのだが。

 

 読み手の性格によっては、これ以上につまらない話もないだろうというくらい教本的だったり実務的だったりする手紙を。しかしフレアは興味深そうに聞くのだった。

 これは全くの偶然なのだろうか。あるいは、差出人がたぐいまれな洞察力を持っていてフレアに合わせているのだろうか。

 どちらも考えられなくはない話だが、サミはもうひとつ、彼らが今置かれている境遇が、ある意味では似通っているからかもしれないと考えていた。

 

 特に、竜に対する話題はその最たるものだろう。一般人はそのほとんどが恐るべき外敵としか思っておらず、話としては避けられがちな傾向にある。

 しかし、フレアとヴィルマ氏だと話は別だ。互いにとって最も関心のある事柄だろう。普段はどんな竜が相手でもどうでもいいという態度を見せているフレアも、他人が熱心にその事柄について話しているとつい耳を傾けてしまう。

 

 こちらから何をするという訳でもない。ただ聞いているだけでいいため、ある程度気を楽に持てるということもある。

 サミは用心深いので、手紙に何か政治的な意図や東シュレイドに引き込むような内容が隠されてはいないかと警戒していた。

 けれど、その警戒感も最近は緩みつつある。ヴィルマ氏は一貫してそういった意図を感じさせない、含みのない文章を綴り続けていた。何度読み返しても、書いてある内容以上の情報は出てこない。

 この気持ちの緩みまでも含めて彼の作戦なのだとすれば、恐るべきことだとサミは思う。指揮官故に人心掌握に長けていると言うべきか、詐欺師の素質があると言うべきか。

 

 

 

 何年にも渡って続いている片想いの手紙。その内の最も新しいものには、これから彼が対峙するらしい竜のことが書かれていた。

 黒蛇の翼竜。独特の例えだが、サミはなんとなく聞き覚えがあるような気がした。それは他ならない。サミの主の口からだ。

 しかし、たとえフレアがその翼竜と戦った経験があったとしても、こちらからできることは何もない。手助けに入るなど到底不可能だし、情報を届けるにしてもせいぜいクラフタに言伝を残すくらいだ。そして、これまでの慣例としてもそういった働きかけをフレアが起こすことはないだろう。

 

 むしろサミは、段々と積み重なってきた手紙の数々が思い浮かび、感心やら呆れやらで若干上の空になりながらの読み聞かせになってしまっていた。それこそ「懲りない人だにゃあ」の気持ちだった。

 だからだろうか、その話の後にフレアが口にした言葉に対して、サミは「分かりましたにゃフレアさま。この手紙はいつもの棚に仕舞っておきますにゃ」とお決まりの言葉を投げかけそうになった。

 

「サミ、紙はある?」

「わかりまし…………にゃ?」

「……どうしたの?」

「え、にゃ。ごめんなさいにゃ。ちゃんと聞いていなかったかもしれませんにゃ。もう一度言ってもらえませんかにゃ」

「紙と、それから筆。無いなら買ってきてほしい」

 

 それは、まあ。あるにはあるが。一応、国からの仕事を請け負っているフレアに対して発生する事務仕事のために。

 けれど、一体何をするつもりなのか。サミがそういう旨のことをフレアに聞き返すと、フレアはきょとんとした顔で言った。

 

「返事、書くから」

「……これ以上聞き返しても野暮ですしにゃ。分かりましたにゃ。少しお待ちくださいにゃ」

 

 驚きや疑問といった様々な感情をいったん全て飲み込んで、サミは主の指示に従った。

 診療所からフレアの自宅まではそう遠くない。その日の内に言われたものを持ってきたサミと共に、フレアは診療所にある小さな机に向かう。

 

「フレアさま? お返事でしたら代わりに書きますにゃ」

「私が書いてもいい?」

「にゃ、にゃあ……分かりましたにゃ。でも失礼にゃがら、フレアさまは文字を書くことができないにゃ? それに、今持ってきてるのはアイルーの手の形に削った筆にゃ。とっても持ちにくいと思うにゃ……」

「うん、分かってる。だから、こっちこそわがままになるけど、その……一緒に書いてほしい。それと、大変かもしれないけど、文字を私に教えてほしい」

 

 今度こそ、サミはアイルー族特有の目をまんまるに開いた。

 まさか、ご主人(フレアさま)がそのようなことを言い出す日が来ようとは。

 

 サミとフレアの分業は、ごく自然の成り行きだった。フレアが文字を覚えることを面倒くさがったとか、そういった外付けの理由はない。

 フレアは素直なので、サミが読み書きを教えようとすれば、それを拒むようなことはしなかっただろう。ただ単純にそうする暇や気持ちの余裕がなくて、考えもしなかったというだけだ。

 サミもまた、フレアに文字を教えることを嫌だとは思わない。これをきっかけにサミの仕事が減ってしまうかもしれない、とふと考えたが、それを理由にサミを手放すような人ではないことは、サミ自身がよくよく分かっている。

 

 ただ、そのきっかけがかのヴィルマ氏の手紙からとなるとは全く想像していなかった。

 ひょっとすると、フレアもまた、サミと似たような心境でいるのかもしれない。

 

 かくして、サミの付添いのもと、フレアの初めての文字書きが始まった。

 

「フレアさまはヴィルマ氏に何を伝えたいと思ったにゃ?」

「あの人が黒蛇の翼竜って言ってたやつ。飛竜に比べたら弱いけど、群れると気を付けないといけないことがある」

「そのことにゃね。じゃあ、難しい言葉は使わなくても伝わるにゃ。言葉はこっちで考えていいですかにゃ?」

「うん」

「分かったにゃ! いきなり書くことから入るから。最初はぜんぜん分からないかもしれにゃいですけれど、それでもいいですにゃ。まずは模様をなぞるくらいの気持ちでいきましょうにゃ」

「分かった。…………サミ、紙を手で押さえてもらってもいい?」

「あっ気が利かずごめんなさいにゃ。フレアさまは今片腕しか使えないんにゃね。分かったにゃ。次に練習をするときは文鎮も用意しますにゃ」

 

 

 

 そして、場面はかの配達屋に手紙を託すところまで遡る。

 サミと比べるとかなり表情に乏しいかのアイルーが、初めて目を見開いた。それだけ彼にとっても予想外の出来事であっただろうことを察しつつ、彼の手に渡ったものを見て、サミは肩をすくめてみせる。

 

「返事は別にいいってフレアさまは仰っていましたけれどにゃ。まあそうはならないでしょうにゃね。……さて、これからどうなることやら、にゃ」

 






作中設定解説

【走竜】
ランポス種のこと。この他、ギアノスやゲネポス、イーオスも該当するが、この頃は一緒くたに走竜と呼ばれている。
後の時代、学術院の手で生物樹系図を組み上げるにあたり、この呼び名がそのまま下目として登録された。
ジャギィやフロギィ、バギィは狗竜と呼ばれ区別されているが、この時代のシュレイド地方には生息していない。

【西竜洋】
シュレイド地方の西部に広がる海のこと。国境付近の濃霧及び大渦については公式に記録がある。
これらは南からの暖流と北の極地からの寒流がぶつかり合うことによって発生する自然現象だが、作中の時代にはその原理も明らかになっていない。

【紙・製紙技術】
作中の時代では羊皮紙(動物の毛皮を薄く伸ばしたもの)がよく用いられている。
単価が高いため無駄遣いはできず、冊子や巻物が高級品と呼ばれる理由のひとつとなっている。
未来においては植物を繊維としたものも出回り、またハンターたちによって皮素材が大量に供給されるようになったこともあり、世間一般にまで普及してきている。
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