コラム・寄稿

美学化する世界? 『チ。』から会社経営、日常美学まで その背景は

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哲学者・谷川嘉浩=寄稿
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Re:Ron連載「スワイプされる未来 スマホ文化考」(第11回)

 「そこでは、太陽は静止し、バラバラだった惑星は連鎖して動き、宇宙は一つの秩序(システム)に統合され」、「“美しさ”と、“理屈”が落ち合う」。

 フィクショナルな世界観の下で、天動説地動説の相剋(そうこく)を描いた作品『チ。―地球の運動について―』(魚豊、小学館)は、アニメ化の主題歌「怪獣」がNHK紅白歌合戦に選出され、サカナクションが名演を披露したことで話題を呼んだ。本作が特徴的なのは、「理屈」(理性)と、「美しさ」(感性)が相矛盾しないというスタンスを採用したことにある。

 冒頭に示したのは、フベルトという地動説主義者の言葉であり、その言葉を向けられたラファウという少年も、地動説の合理性が持つ美しさに心打たれている。彼は、地動説の惑星運航モデルを図示しながら、「美しいと、思ってしまうッ‼」と心中で語っていた。

 この審美的な真理観は、西洋哲学の歴史からすると、かなり珍しい立場だと言える。というのも、現代では「真善美」と並び語られがちな三つの価値の中でも、真偽や善悪が主題的に論じられる中で、美醜の問題は二次的な扱いを受けてきたからだ(それゆえ、真善美と三つを並べる発想そのものが古くからあるものではない)。

 実際、さきほど提示した「美しいと、思ってしまうッ‼」というセリフの「しまう」には、美しさが最優先されるべきではないが、そう感じたことへの後ろめたさが表現されている。美は重要な価値かもしれないが、最優先されるべきではないのに、妙な力を持ってしまったことを認めざるをえない、望ましいことではないのに。三つの価値の序列が、あの言葉には残響しているのである。

■劣位に置かれてきた「美」

 西洋哲学では美が重要だとみなされながらも、重要な価値の中では劣位に置かれてきたことを示す典型例は、哲学の祖の一人と言ってよいプラトンの中に見いだすことができる。プラトンは、この世界の姿を根源において支えている、一種の本質を「イデア」と呼んでいる(そのニュアンスをくんで、イデアは「真実在」と訳されることもある)。

 あらゆるものにイデアは存在する。複数の馬をよく見ると、全然似ていないと言えるほど大きな違いがある。茶色くない馬もいるし、小さい馬もいるし、耳が短い馬もいるし、四つ足でない馬もいるが、いずれにせよ「馬である」と認識している。なぜこうして認識が成立しているかというと、個別の馬ではなく「馬のイデア」を捉えているからだとプラトンは考えた。

 美のイデア、勇気のイデアなど、社会的に尊重されている価値にもイデアが存在する。だが、興味深いのはイデアにも序列が設けられていることだ。イデアの中のイデア、すべてのイデアの頂点に位置するイデアがあり、それは「善のイデア」であるとプラトンは主張している。

 ここで重要なのは、最終的に…

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