ヴィルマフレアの英雄譚   作:Senritsu

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第一章 誉か、咎か
第3話 相反属性


 

 

 あの日の出来事から、何月か経った。

 

 北の大地に竜巻が吹き荒れて、西の大地でかつてない規模の山火事があった。そんな噂が世間で広がったが、当事者ではなかった人々には次第に過去の話として認識されつつあった。

 これで都市が滅んだり、大きな権力が傾いたりしていたなら、また話は違ったのかもしれないが、そうはならなかったものだから。

 むしろ、それらと人が争ったということすらうまく想像ができずに、ただ単に天候が悪かった、被害を免れたのは偶然だろう、と思っている人の方が遥かに多いのかもしれない。

 

 だとしても、忘れ去られる出来事にしたことこそを誇ろうではないか、と。

 北の竜巻を凌いでみせた青年は、そう言って祝宴を催した。

 

 雪が融けて人の往来がしやすくなった頃合いに各地へと招待状を送り、身分を問わずもてなしをすると約束した。

 年若く人脈もあるとは言えない彼が呼びかけられる範囲には限りがあったが、招待状に記された「龍」という単語が、彼の足りない分の知名度を補っていた。

 

 

 

 かくしてその夜、彼は祝杯をあげるべく壇上に立つ。

 その背中には一本の鈍色の長剣が担がれていた。無骨で粗削りな外見に反して、ただならぬ気配を宿している。

 祝いの場に集った人々の視線を浴びながら、未だ年若い彼は朗々と挨拶を述べる。

 

「皆々、今日ここに集まってくれたことに感謝する。特に遠方から長旅を経て訪れていただいた方々には深くお礼申し上げる。

 改めて歓迎させていただこう。……ようこそ、東シュレイドの前線都市リーヴェルへ! この城に住む者は竜専門の戦士ばかりだ。堅苦しさは抜きにして祝宴に興じていただきたい」

 

 青年はそう言って盃を持った。細かい作法に違いはあれど、この程度であればどの地域でも共通だ。場にいる人々もそれに倣う。

 あまり長い挨拶をしても料理が冷めるばかりだ。早々に切り上げたいとは思いつつも、これだけは言っておこうと青年は表情を引き締めた。

 

「幾月か前、風を纏う鋼の龍が空へ限りなく近い山(ヒンメルン)を隔てた先の街道に迫り来て、我々は辛くもこれを退けた。

 同時期に、かの隣国の西シュレイドでも炎を纏う龍が現れ、我々と同様に街道を守り抜いたのだという」

 

 少しばかり会場がざわつく。それは炎の龍のことを知らなかったからというより、彼の口から西シュレイドという言葉が出てきたからだ。

 ただ、そんなざわめきを意にも介さず、気を揉む必要はないとでもいう風に彼は話を続ける。

 

「西シュレイドと東シュレイドを繋ぐ街道はひとつのみ。どちらが破られたとしても国益を損なっただろうことは間違いない。それは多くの者が認めざるを得ん事実だろう。

 政治は切っても切り離せないものとはいえ、せめて我々は竜に対して真摯に向き合い、此度のような結果を純粋に喜ばしいこととして受け入れたいと願う。

 ……たとえこの場には居なくとも、二つの災いを払いのけた功績が、明日への礎となるように!」

 

 青年が盃を掲げ、乾杯、と。それが宴の始まりの合図となった。

 静かだった会場に雑多な話し声が広がっていく。青年も壇上を降りて人の群れの中に混じった。

 

 立食形式で、卓に並べられている料理には肉や魚が多い。穀物は少ないが、代わりに果実や葉野菜で補っている。

 目を引くのは丸鳥の姿焼きだろうか。辺境から来た貴族が持ち寄ってきたもので、この辺の鳥とは比べ物にならない大きさに驚く人は多いようだった。

 

 貴族たちの服装は豪華なもので、装飾の少ない広間ではやや浮いているように見える。しかし、流石にこの手の催しには慣れたものなのか、振る舞いには余裕があった。

 むしろ落ち着かない様子なのは、ここを本拠地とするはずの青年の仲間たちだ。ある程度の教養と話力を兼ね備えた面子を選んだはずだが、慣れない服を着て柄にもなく緊張しているらしい。

 この辺は仕方がないと青年は無理強いせず、自分から率先して話しかけに行く。彼自身にとってもリーヴェルの外から来た貴族と話せる機会は貴重だ。

 

「ふむ。やはり西シュレイドにも竜の被害はある、と……火の竜、リオレウスと言ったか。何度か話は聞くが、あまり北には来ない種なのかもしれない」

 

 例えばこうして、滅多に聞くことのない隣国の情報を仕入れることができる。敵国と訳す者も多くいたが、青年にとっては些事に過ぎなかった。

 天災に対する祝勝会の名目で開かれた宴であるからか、自然と話題は竜やそれによる被害に関するものへと移っていく。

 

 竜を巡る話は意外と複雑で、それが青年たちを政治から遠ざけている要因でもある。

 彼らの立ち位置は基本的に災害と同じだ。決して無視のできない被害を社会に与えうるが、人の思惑に従って動くわけでもなく、人がどうこうできる相手でもない。

 つまり、西シュレイドと東シュレイドの双方を脅かす第三勢力として扱われている節があった。共通の脅威とも言えるか。

 竜による災害に対処するには専門性が必要なものだから、人を相手取る軍隊はあまり干渉せず、その分野に特化した部隊が編成されていた。

 この青年が率いる兵団はまさにそれで、国の情勢に頓着しないのもそういう背景からだった。

 

「変わった怪物と言えば、今食べている蟹……これを遥かに凶悪にしたやつがいてな。現れたが最後、なにもかも切り刻まれてしまう。開拓地の数ある脅威のひとつに過ぎないんだが」

 

 そう語ると、貴族たちは何とも言えないような表情を浮かべた。

 知識として聞くに留めて、できるだけ関わり合いになりたくないという気持ちが透けて見えるようだった。

 竜から得ることのできる毛皮や牙、辺境の開拓地などの情報を得ることができれば、利権や商売に話を繋げて旨みを得ることができるかもしれない。

 しかし、それを目論むには皆があまりにも竜について知らなさすぎるのだった。

 未だ憶測や迷信が飛び交う分野だ。下手な手出しはむしろ痛い目を見ることだけは貴族もよく知っている。

 

「あの、ヴィルマ様と言いましたか。貴方の背負っているその剣は……」

「あぁ、これこそが我らがかの大竜巻を凌ぎ切った証、氷の剣だ。

 本来武器など宴会の場に持ち出すべきではないが、これはこの宴の主演と言えるものだからな」

 

 ドレスに身を包んだ女性がおずおずと尋ねると、名を呼ばれた青年──ヴィルマは特に隠すようなこともせずに答えてみせた。

 おお、と感嘆の声が周囲から零れる。ヴィルマの背丈ほどもあるその長剣は否応なく人々の目を引き、そして意図せず威圧してしまっていたのだろう。

 彼が素直にそれを詫びると、人々の恐れは薄れ、好奇心の方が上回ったようだった。

 

「戦人の担ぐ弓や剣に比べると少々大きいようですが、これは竜を相手取るため、と?」

「大きすぎる、くらい言ってくれてもいい。その通り、これは人を斬るための剣ではなく、竜を斬るための剣だとも。

 ……ただ、言っては何だが私でも手に余る代物でな。実際に竜を斬れるかは、まだ分からない」

 

 そう言いながらヴィルマは剣の柄を手に取ろうとして、止めた。その仕草に首を傾げる貴族たちに向けてやんわりと微笑む。

 良ければその際の話を聞かせていただければ、と彼らが言うので、ヴィルマは景気よく当時に出来事を語って聞かせた。

 この場に機密にうるさい士官が居たら大いに睨まれていたかもしれないが、ヴィルマの思惑はまた違うところにあるため躊躇はなかった。場が盛り上がればそれで良いのだ。

 

「龍、と言いましたか。まるで御伽噺のようですが、その角を折ってみせるとは。我が国はあなたがいる限り、竜の災いに悩まされることはなさそうですな」

「できればそう在りたいものだが、まだまだ戦力の強化は必要だ。

 占いの者たちから聞いた話によれば、我々のかち合った鋼の龍と、西で広く森を焼いた炎の龍は、互いに争って元から傷ついていた可能性が高いということだ。

 我々が辛くも窮地を凌げたのは、彼らの疲弊に依るところが大きいのだろう」

「ははあ……占いの者たち、と言いますと、災いを予言するあの方々のことでしょうか」

 

 その問いにヴィルマは深く頷き返した。

 古龍占い師、と呼ばれることもある彼らは、国の垣根を超えて流浪している変わり者たちだ。そのほとんどが竜人という長寿の人種であり、占いと銘打ちつつもその取り組みは学問や研究に近い。

 今回、ヴィルマたちが鋼の龍を相手に大規模な拠点を作って迎え撃てたのも、彼らがその進路の予測を立ててくれたからだ。

 いささか予測が遅すぎるし、あてが外れることも多々あるけれども、何も知らないまま突っ込まれるよりは遥かにありがたい。

 

 龍たちが飛び去って行った後も彼らは調査を続け、ヴィルマにひとつの忠言を寄越した。

 決して人の力が龍に届いたわけではなく、此度は運が味方をしたと思った方が良い、と。

 まだ、龍という災害に人は太刀打ちできない。龍同士で争い、消耗した後に追い打ちをかけるようにしてようやく得られた結果だということだ。

 それはあの場で戦った兵士たちを落胆させるものではあったが、ヴィルマは素直にその忠言を聞き入れて、彼らの推測は当たっているだろうと受け止めていた。

 

「そうだ! この話題になったからには、ぜひとも聞いておきたいことがある」

 

 当時の出来事について話している間に、あることを思い出してヴィルマは声の調子を上げた。あえて周りの人々にも聞こえるように話す。

 

「もともと消耗していたとはいえ、鋼の龍はそれでも圧倒的なまでに強かった。恐らくは西シュレイドが対処した炎の龍も同じだったはずだ。

 我々の戦いは先に語った通りだが、彼らは如何にして炎の龍を退けたのだろうか? 何か話を知る者がいれば、ぜひお聞かせ願いたい」

 

 それはこの祝宴におけるヴィルマの目的のひとつだった。

 ヴィルマは己の立てた作戦には未だ粗が多いと感じている。良い成果を引き当てられたにしろ、だ。

 西シュレイドの炎の龍についての情報は全くと言っていい程に得られていない。街道は無事であったという結果が届いているだけだ。

 全く同じ作戦ということはないだろうから、そこから学びや知見を見出すことができないか、と思っての呼びかけだったが。

 

「……いない、か。いや、気にすることはない。少し興味があっただけだからな」

 

 声を上げる者はおらず、再びヴィルマがその場を取り持った。

 自分のところに話が来ていないだけで、人脈の広い貴族や商人たちならあるいは、と思ったが、やはり仲の良くない隣国の情報はそう易々とは出回らないようだ。

 多少残念に思うところはあるものの、気を取り直し、いくらか食べ物を口に運んでから貴族たちの輪の中に入っていこうとした。

 

 ふと、人混みの中に、変わった服装の少女を見かけた。

 

「……?」

 

 あのような姿の者が来賓にいただろうか。壇上に立ったとき、一通り見渡したつもりだったが。

 衣装は他の貴族に比べると質素なものだが、頭から薄い布を被せて顔と髪を覆っている。どことなく不思議な雰囲気だ。

 しかも、気を抜くとすぐに見失いそうになる。そこまで人が密集しているわけでもないのに、いつの間にか人と人との間に紛れていなくなってしまう。そんな気配の薄さというか、抜け穴のようなものが感じ取れた。

 

「ちょっと待ってくれ、そこの、お嬢さん」

 

 このままではまた見失ってしまう。そんな焦りにも似た感情がヴィルマを動かした。

 その少女は、呼び止められているのは自分だと気付くまでに時間がかかったようで、ヴィルマが歩み寄り始めてからようやく顔を上げた。

 

「私に、何か用ですか」

「……いや、すまない。考えるよりも先に話しかけてしまった」

 

 少女はやや驚いているようだった。この宴の主催者から一方的に話しかけられたのだから、無理もないだろう。

 どこかの息女であれば咄嗟に親の元へ走って逃げてしまっていたかもしれないが、少女はそんな素振りも見せず、淡々とヴィルマに向き合った。

 

「その、顔を覆っている布はいったい?」

「……幼い頃から、顔に大きな傷があるんです。その痕は、人が見て気持ちの良いものではないので」

「そうか。これは不躾な質問だったな。すまない」

「大丈夫です。もう、慣れたことですから」

 

 彼女の声に抑揚はなく、心持ちがとても平坦な人なのだろうか、とヴィルマは思った。声音は少女そのものだというのに。

 ヴィルマはふと周囲を見たが、二人の間で始まった会話を聞いている者はいなかった。ヴィルマは氷の剣を背負っているため否応なく目立つし、一応認知はされているようなのだが、なぜか注目は集まってこない。

 

「君は招待を受けてここに来たのだろうが、一体どこから? 親御さんはいらっしゃるのだろうか」

「場所は……国境近くの辺境から。内地を見てきなさいと、父に送り出されました」

「なんと! 一人でここまで来たのか。しかも国境付近ということは、空へ限りなく近い山(ヒンメルン)の向こうの街道近くになるな。本当に長旅だっただろう」

「はい。竜車を乗り継いで、何十日もかかりました。こんなに遠いとは私も思いませんでした」

 

 彼女の返事は本心から来る言葉のようだった。

 空へ限りなく近い山(ヒンメルン)は人が越えられるような標高ではなく、しかも延々と連なっているため、この都市も含めた内地へ行くにはぐるりと回り道をする必要がある。

 しかも、街道や辺境は内地と違って安全とは限らない。竜などに襲われる危険もあるのだ。幼げに見えてかなり肝は据わっているかもしれない、と青年は認識を改めた。

 そして、話をしていてふと思いついたことをヴィルマはためらわずに少女に話した。

 

「先ほどの話、聞いていただろうか? 西シュレイドの炎の龍の話だ。国境付近に住んでいるなら、何か話が入ってきたりしていないだろうか」

 

 少女はそこで、初めて迷うような仕草を見せた。それとなく周囲を見回している。

 あまり聞かれたくないことだったのかもしれない。先ほどのヴィルマの呼びかけに応えなかったのもそういうことだろう。

 しかし、相変わらず周囲はこちらを気にせずに歓談している。それが彼女の背中を押したのかもしれなかった。

 

「煙が、見えました。空が真っ赤に焼けているのも見ました。とても広く森が焼けて、煙が流れた周りの街はしばらく灰が降り続けたと聞きました。

 たくさんの人が死んだ、と…………そう、聞きました」

 

 これまでとは違い、何か思いつめるような声だった。それもそうだろうと思える話の内容に、ヴィルマはしばらく口を閉ざした。

 戦況はヴィルマが思っていたよりもずっと悪かったようだ。それは勝ちと言えるものだったのか。

 ひょっとすると、炎の龍の方は退けたというよりも気まぐれで立ち去っただけなのかもしれない。

 

「そう、か。すまない。確かにこれは、知っていてもあまり大勢に話すべきことではないな。それでも、話してくれてありがとう。本当に、向こうで何が起こっていたかは全く分からなかったんだ」

「いえ。気になさらないでください。……私からも、ひとつ聞いてもいいですか」

 

 ほう、とヴィルマは眉を上げた。彼女の方からこちらへ向けて尋ねることがあるとは。そのようなことをするとは思えなかったが。

 

「ああ。こちらから質問するばかりだったからな。答えられることなら、答えよう」

「ありがとうございます。……その、あなたが鋼の龍に立ち向かったという話は聞きました。そのときには、どれくらいの人が死んだのですか」

 

 死、という直接的な言葉に、ヴィルマはとんと胸を突かれたような感触を覚えた。

 少し言葉に詰まったが、これは正直に答えてもいいだろう。反省はあるものの、ヴィルマたちの部隊の大きな成果がそこにあるのだから。

 

「十八人だ。本来はもっと数を抑えたかった。零が理想ではあるが、これが最も難しいと改めて思い知らされたな」

「…………」

 

 ヴィルマの言葉を聞いて、少女は黙り込んでしまった。

 多いと感じたか、それとも少ないと感じたか。顔は薄布で隠されているため、表情から伺い知ることもできない。

 ただ、少しの沈黙の後に少女が呟いた言葉は、ヴィルマにしばらく二の句を紡げなくした。

 

「ちゃんと、覚えていられる数ですね。たぶん、その方がいいと思います」

 

 何を、と問う前に、背後から肩を叩かれてヴィルマは振り返った。

 見れば、ヴィルマの仲間が困り顔をしていた。場慣れしていないからか早々に酒に酔った兵士が何人かいるらしく、何か失礼をはたらく前に連れ出しておくぞ、という趣旨の連絡だった。

 嘆息し、そういうことは律義に報告しなくてもいい、と伝える。改めて少女の元へと向き直る、と、彼女の姿は既にいなくなっていた。

 もうこの話は終わった、と言わんばかりの離れ方だった。いないとは言ってもこの会場のどこかには居続けているのだろうが、また見つけ出すには骨が折れそうだったし、個人にそこまでの時間も割いていられない。

 

 最後に少女に言われたことを頭の片隅に止めながら、ヴィルマは祝宴の主役へと自らの振る舞いを戻していった。

 

 

 

 祝宴はつつがなく終わり、宿へ向かう来賓を見送ったヴィルマは、自室に戻るべく長い廊下を歩いていた。

 かつかつと石畳の床に靴音が響く。ひんやりとした空気が少しずつ酒気を散らしていく。

 

 先ほどまでの朗らかな笑みは引っ込めて、彼は視線を落として思案顔をしていた。

 少なくとも彼は、ただ誇りたいがために祝宴を開いたのではない。そこにははっきりとした思惑があり、きっと来賓の多くも気付いていた。

 

 ヴィルマたちは、先の鋼の龍との戦いには価値があったのだ、という認識を世間に広めなくてはいけない。特に、東シュレイドの要人へ向けて。

 なぜなら、ヴィルマたちの戦いには金がかかる。特に、あの鋼の龍との攻防の裏には凄まじい出費があった。

 人の背丈の何倍もある大楯、車輪のついた大弩、貴重な火薬を詰め込んだ爆弾、塹壕掘りなどの土木作業をするための道具、それらを扱う兵士たちへの報酬。

 さながら攻城戦だ。当時、準備を進めていたヴィルマたちを他人が見ていたなら、国に反旗でも翻したかと思ってしまうかもしれない。

 

 それだけの財を投じて、手に入ったのは鋼の龍の角の欠片と、街道に被害はなかったという結果だけ。見る人が見れば、国費の無駄遣いとみなされかねない。

 ヴィルマは影の活躍者の立ち位置に甘んじるつもりはない。自分たちは表舞台に立っているのだと主張しなければならない。

 さも当然のことであるかのように、堂々と資金を拝借し、設備を整えて、次の戦いへ備え続けなくてはならない。だから、あのような祝宴を開いて人々を牽制したのだ。

 

 そう、この組織を維持するためには、国や貴族からの支援が必要だ。

 前線都市リーヴェルは大きな借金を抱え、ヴィルマの部隊はいつでも赤字続きだ。これまでの彼の工夫をもってしても、この構造は覆せなかった。

 金という明確な数字が、人が竜に挑むなど身の丈を超えた行いなのだと示しているようで、ヴィルマはそのことに忸怩たる想いを抱いていた。

 

 考え事をしながら歩いていたヴィルマは、いつの間にか自室の近くにまで来ていることに気が付き、苦笑した。

 何かに没頭しているとつい周りのことが目に入らなくなってしまう。これまでにも何度か自室や執務室を通り過ぎたことがあった。指揮官としては悪い癖だ。

 

 背中に担いでいる氷の剣のおかげで身体が冷えるな、などと思いながら曲がり角を曲がった、そのとき。人影があることにヴィルマは気付いた。

 視線を上げる、と、それは一目で見て分かった。先の祝宴で言葉を交わしたあの少女だ。服装もあのときのまま、まるで場所だけが入れ替わったかのように静かに佇んでいる。

 その様子にヴィルマも拍子抜けしてしまい、一体どうしたのだと声をかけようとした。帰りがけに道に迷ったとしても、こんなところには来ないだろうに、と。

 

 あるいは、ヴィルマ自身に用があるのか。だとすれば、それは。

 ヴィルマはあまりにも悠長に構えていた。自身も言う通り、この手のことには疎いから、と、そんな言い訳でも苦しいものだ。

 

 ヴィルマがはっとしたときには、灯火の光をきらりと映す白刃が自らの喉元にまで迫っていた。

 

 反射的に腰元の細剣を抜く。身を仰け反らせながら振り上げた細剣は、間一髪で凶刃を弾き返した。

 いや、僅かに遅かったか、かっとした痛みが肩から走り、ヴィルマは僅かに顔を顰めた。布越しに浅く斬られたようだ。

 

 少なくとも、鬼門の初撃は凌ぐことができた。しかし、少女の方はさほど動揺する様子も見せず、手を止めるつもりもないらしい。

 剣同士で打ち合う。甲高い音が連続して響く。少女は愚直なまでにヴィルマの急所を狙っていた。大声で誰かを呼ぼうにも、それができるだけの隙が全く見出せない。

 相手は小柄だ。身のこなしも軽く、懐に入り込もうとしてくる。ならばとヴィルマは片腕で少女を掴みかかろうとした。この体格差ならそのまま地面に叩きつけることもできるだろう。

 

 しかし、少女はヴィルマの手をするりと抜けていく。衣すらも空を切らせて、傍にいるのに触れられない。

 地面に張り付くかというほどに姿勢を低くして視界から消える。それを蹴り上げようとしても、やはり布を蹴るような感触で捉えきれない。

 少女は相当に戦い慣れているようだった。それにしては初撃を失敗しているが、少なくともヴィルマは防戦一方になっている。

 あちらは宴のときの衣装のままで、相変わらず頭部も薄い布で覆っている。今思えば変装の類だったのだろうが、その見た目からは想像もつかない身軽さでヴィルマを翻弄していた。

 

 このままでは押し切られる、とヴィルマは思った。

 あちらは本格的な短剣を使っているようだが、ヴィルマが手に持っている細剣は装飾用だ。先ほどから刀身が悲鳴を上げている。もういつ折れてもおかしくはない。

 そもそも、少女の攻撃を捌き切れていないのだが。生傷は次々と増えていく。

 これで毒でも塗ってあったならお終いだろうが、少女が攻勢を緩めないことからもその線は薄いのか。

 

 …………。

 今、思いついたのは明らかに悪手だぞ、とヴィルマは自分へ向けて問いかけた。

 ここは廊下、屋内だ。大きな得物を振るうには向いていない。それは少女が優勢に立っている理由のひとつでもある。

 けれども、他に打つ手もない。息が詰まるとはこのことだ。実際、打ち合いを始めてからヴィルマはほとんど息継ぎができていない。それがヴィルマの思考力を奪いつつある。

 とにかく一拍間を置きたい。もはや少女との間に話し合いの余地はないだろう。ただ、これを見て過剰に警戒する、なんてことは期待できるかもしれない。

 

 ヴィルマは、これまでただの荷物と化していた、背に担いだ長剣の柄を手に取った。

 瞬間、彼の腕を刀で斬られるよりもおぞましい感触が駆け抜けた。ヴィルマは僅かに唇を噛んで、しかし動きを止めることなく、その剣を抜き放った。

 少女が僅かに息を飲んだような気がした。上段から振り下ろされるそれを、短剣で捌くのはまずいと判断したのだろう。咄嗟に床を蹴って飛び退く。

 

 その斬り下ろしは虚しく空を斬った。空を斬ったが、まるで扇でも仰いだかのような風が吹いて、抜刀後の隙を狙っていた少女を強く牽制した。

 冷たい、と少女は思った。真冬の風のような冷たさだ。すうっと鳥肌が立つ。これは明らかに、ただの剣ではない。これが、鋼の龍の剣か。

 

 はあっとヴィルマが荒く息を吐く。その息は剣の周囲でだけ白く染まった。目の光は失われていない。少女は一息つく暇を彼に与えた。下段に氷の剣を構え、今度はヴィルマの方から突貫する。

 見え透いた薙ぎ払いだった。あれだけの長物となれば仕方がないか。それでも、切先が壁にぶつかっても力押しで振るわれたそれは、相対する者の足を竦ませるには十分すぎるほどの圧があった。

 呑まれるな。少女は己にそう言い聞かせるようにして再び斬撃を避ける。そして、今度こそその間合いの内に入った。露になった喉へ、短剣を突きつけようとする。

 

 伸びあがった少女の腹に、先ほど振るわれた氷の剣の柄がめり込んだ。

 いや、そのように見えた、だ。これも避けられるのか、とヴィルマは歯噛みする。恐ろしい程の反応速度だ。暗殺の能力というより、戦闘能力が高すぎる。

 ただ、無傷とはいかなかったようで、すれ違った先で少女は僅かによろめいた。あの軽そうな体だ。ヴィルマの攻撃は掠っただけでもかなり重いだろう。

 

 それでも、その見えない顔から滲む殺意は消えない。少女は再び肉薄し、もう十は超えただろう打ち合いが重ねられる。

 それはもはや、暗殺者との凌ぎ合いというよりもむしろ、単純な殺し合いに近しかった。真剣を用いての、命を懸けての試合のようにも見えただろう。

 

 何故、とヴィルマは問いたかった。今まさに死に相対しているのにも関わらず、怒りよりも先に疑問が来た。なぜ自分なのか、と。

 祝宴のときに不思議なやり取りがあった。あれまでもが演技であったとは思えない。

 この場では少女と一言も言葉を交わせていなかった。そんな余裕はないし、彼女の側にそのつもりもないのだろうが、ヴィルマは無性にもどかしさを覚えた。

 

 殺し合いは、始まってしまえばもう後戻りできない。どちらかが死ぬまで、どちらかが命尽きるまで争うのみだ。

 あのとき彼女がかけた言葉にはどんな意図があったのか。それを尋ねることができないままにこのような事態に陥っていることに、悲しみを覚えた。

 その、一瞬だった。

 

「────」

 

 少女を斬ることと、急所を守ることだけを考えて氷の剣を振るっていたヴィルマは、ふと、動きを止めて自らの腕を見た。

 そこには、今まで打ち合っていた短剣ではない。深緑を暗い紫に染めた、茨の棘を何十倍にも大きくしたような針が、己の腕に深々と突き刺さっている。

 と、と、と少女が後退るのが見えた。その動きで悟る。そうか、これが本命か。

 短剣に毒が塗られていなかったのも、やたらと戦闘を長引かせたのも、ヴィルマを錯覚させるためだったのだ。

 恐らく、代えの利かない代物なのだろう。出会い頭に用いて万が一にでも弾かれるようなことがあってはいけなかったから、確実に突き刺せる瞬間を眈々と窺っていた。

 

 これまではっきりとした殺意を見せていた少女が、ここに来ていくらか動揺しているように見える。ヴィルマは少女に、少しばかりの憐憫を覚えた。

 

 そして、渾身の気合を込めて、少女に向かって切り込んだ。

 

 敵が見せた初めての隙だ。これを狩らないという手はない。

 本来であれば、自らの身がどうなろうと彼女を捕らえるべく人を呼ぶことが正解だろう。しかし、ヴィルマは彼女の強さを憂いた。

 最悪の場合、自分以外に何人も死ぬことになる。竜に対処できる人材は貴重だ。このような人同士の慣れない戦闘で命を落とすべきではない。

 だから、せめてその脚の一本でも切り落とす。既にしてやられた身だ。ヴィルマに躊躇はなかった。

 

 少女がはっとしたときにはもう遅い。彼女の背後に壁が来るようにヴィルマは動いていた。

 ここからどのように避けようと、この剣の間合いからは逃れられない。短剣で受けるならそれごと叩き伏せるまで。ヴィルマは、少女を袈裟斬りにする覚悟すら決めていた。

 

 少女は。彼女自身も、自分が反射的に取った行動に驚いたのだろう。あ、という声が零れ出たように聞こえた。

 夜空を思わせる紫紺の衣装。恐らくその袖や懐の内には数々の暗器が仕舞われている。そこから、彼女は新しく一本の剣を抜き放った。

 

 ヴィルマは目を見張った。緋色だ。

 大きさこそ先ほどの短剣より一回り大きい程度だが、その存在感は桁違いだ。剣の輪郭がはっきりしていない。まるで陽炎のように刀身がゆらめいている。

 ヴィルマは止まれない。止まらない。それは少女の方も同じだ。僅かな時間をその緋色の剣を抜くことに使った。殺されないためには、これで受けるしかない。

 

 ヴィルマの持つ鈍色の長剣と、緋色の短剣が接触する───。

 

 爆発音が、周辺に響き渡った。

 

 少女を切り裂かんとしていた氷の剣が、その持ち主ごと吹き飛ばされる。少女の方も同じく、緋色の剣を手にしたまま壁に叩きつけられた。

 

 手から伝ってきた反動に思わず呻く。一瞬、両腕が千切れたかと思った。

 二人の間には蒸気のような靄が漂っている。いったい何が起こったというのか。ふつうの剣戟ではまず起こり得ないことが起こったことは確かだ。

 よろよろと起き上がりながら、直前の光景を反芻する。

 その爆発は互いの刀身が触れあった瞬間に起こった。ヴィルマの剣の冷気が膨れ上がり、何か、それに触発されるように熱気(・・)が弾けたように見えた。

 そして、互いにはねのけ合うようにして、凄まじい勢いで剣が弾かれたのだ。爆発はそれに伴って起こった事象に過ぎない。

 

 空気が歪むような拒絶反応。ヴィルマの持つ剣の冷気を吹き飛ばすだけの力。そのような剣、この世の中にそうそうあるとは思えない。

 この数秒間でヴィルマが考える限り、直近でそんな芸当が適うのは。

 

 はら、と。薄く編まれた紫紺の布が、地面に落ちた。ヴィルマは、前を見た。

 

 そこには、燃えるような赤い髪と、青い瞳。

 ヴィルマと同じ瞳の色。しかし、印象が異なる。高温の炎は青い光を放つというが、それを彷彿とさせるような。氷や海に例えられがちなヴィルマの瞳とは真反対の青だ。

 

 ああ、とヴィルマは思った。

 顔に火傷の痕があるというあのときの言葉は、どうやら本当だったらしい。

 直感ながら、それはほとんど確信に近しかった。彼女が、目の前の少女こそが。

 

 そのとき、通路の向こうの方から複数人の足音と声が聞こえてきた。先ほどの爆発音で騒ぎに気が付いたのだろう。

 ヴィルマの状態からすると、やや手遅れだが。その点でも、少女の襲撃は用意周到だったということか。

 そんな彼女は、早々に撤退を決め込んだようだった。新しい衣をさっと被ると、木枠の窓から飛び降りて夜闇の中へ溶けていく。獣のような身のこなしだった。

 

 もちろん、ヴィルマも黙って見逃がすつもりはなかった。が、しかし、興奮による痛みの緩和にも限度というものがある。

 がらん、と音を立ててヴィルマの握っていた剣が石床に転がった。嫌な脂汗が滲む。あの針を刺された方の腕が、蕩けるような痛みを発していた。

 尋常でない毒であることは明らかだ。この拠点は竜の毒に対してある程度の備えがあるが、それでも対処しきれるかどうか。

 

 あまりの痛みにヴィルマが床に膝を付いたそのとき、ヴィルマの部下が彼の元へと駆け付けた。それから間を置かず、拠点全体が蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

 まさかこの日に襲撃を受けるなど。しかし、確かに今日の警備は宴会場に集中していて、それ以外が手薄になっていた。暗殺を目論むにはこれ以上にない機会だったのだ。

 

 彼女は逃げ切るだろうな、と。担架で運ばれながら、ヴィルマは漠然とそう思った。

 一通りの検問はこの街でも行われているのに、あれだけの武器を平然と持ち込んでみせたのだから。あの服に何らかの細工があったのだろうが、ヴィルマにも分からない。

 あの身のこなしだ。支援をする者が他にいたとして、人追いが放たれる頃には国境を越えてしまっているだろう。

 

 祝宴を終えた日の夜はこうして更けていく。

 仲間の必死の呼びかけにも応えられなくなりつつあったヴィルマは。凄まじい痛みに支配されつつも、その片隅でなぜか場違いなことを考えていた。

 

 あの瞬間に初めて素顔を晒した彼女のことを。

 瞳の内に蒼い炎を映す少女のことを、考えていた。

 






作中設定解説

【少女が身に着けていた衣装】
ある霞の龍の素材(作中では未知の素材)から編まれた装具。特性としては遠い未来の『装衣』に近しい。
光の屈折と生物の認識を阻害する毒の合わせ技で、視覚的・聴覚的な気配遮断を行う。
加工とは名ばかりで皮を継ぎ合わせただけの作りのため、機能は長持ちも回復もしない。いわゆる使い捨てである。
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