これは、モンスターハンターという言葉が世界に広まるよりも、ずっと前の話だ。
ハンターという職を象徴する、かの伝説の片手剣が創られるよりも、さらに遡って。
人という生き物が外の世界へと目を向け始めた、手を伸ばしざるを得なくなった、そんな頃の物語となる。
人々はまだ、多くのことを知らなかった。
竜の名前はひとつに定まっていなかった。龍の存在はほとんど知られていなかった。
未来のハンターに関わる様々なものは、発明どころか発想にすら至っていなかった。
ただ、厄災があったことだけは知っていた。
この物語は、閉じている。遺っているものはそこにある双剣しかない。
未来まで継がれたが、もはや、史実か創作かすら明らかでない。逸話のみが引き継がれ、歴史は置き去りにされた。
双剣は既に語り終えている。想像の余地を、短い詩だけを残して、閉じている。
だからきっと、この物語は、その始まりから終わりに至るまでの過程にしかなり得ないけれど。
古い、旧い。やっと、人が竜に触れたばかりという程の、昔に。
殺し合って、愛し合って。醜くもあって、生々しくもあって、そんな、人らしい営みが確かに在ったのだ、と。
それを、書き綴れたらいい。
第1話 吹き抜ける風と青空へ向けて
寒風の吹き荒ぶ日だった。
粉雪は地に落ちるということを忘れ、縦横無尽に空を舞っていた。
雲は幾層にも重なり合い、見たこともない速さで上空を駆けている。日の光など差し込む余地もない。
周囲は夜と見紛う程に暗く、尋常でない天候であることは誰の目から見ても明らかだった。それが竜巻の兆候、いや、竜巻そのものであることを知る者もいるかもしれなかった。
何にせよ、誰もが逃れなければならない場であることに違いはない。それは竜種とて例外ではない。
アレに近づいてはだめだ。あの暴風に吞まれたなら、翼はへし折れ、脚は大地を掴めなくなる。枯葉のように成す術もなく吹き飛ばされてしまう。
だから、それはただの自然の摂理として。その地に生物の姿はないはずだ。
ただ一つの例外、この荒天を引き起こしている風が、なぜか生物のかたちに収まっているということを除けば、ただの一匹も。
そこに留まる者がいるとすれば、それはどうしようもなく逃げ遅れてしまったか、あるいは、気が触れたか。少なくとも、多くの生物はそう見なすことだろう。
今、ごうごうと唸る風の中で場違いな
「息吹が来るぞ! ──大楯構え!!」
それは精一杯に声を張った号令だった。それでもなお、強風にかき消されて数十歩の距離にすら届かない。だが、その範囲の内にいる人々に伝わるように。
続いてがつがつと重そうな金具が組まれる音が響く。よく訓練された動きだった。風の煽りを受けながらも、地面が捲れあがったかのような木組みの壁が屹立する。
そこに、姿かたちを伴わない、しかし、他の何よりも重たい砲弾がぶち当たる。
めきめき、と悲鳴を上げて拉げるのは障壁の方だ。人であれば大槌を持って数十人がかりだろう壁がこんなにも容易くこじ開けられる。
しかも、その隙間から吹き込んだり、逸れて回り込んだりした風だけでも軽々と人を吹き飛ばす。
「負傷者は撤退させろ! 第二波来るぞ、塹壕に身を隠せ!」
今、この平野には小さな生物たちが忙しなく蠢いていた。あくまでこの暴風の主から見てすれば、ではあるが。
圧倒的な自然の力に、今にも押し潰されんとする蟲のようだ。しかし彼らは、既に四半日に渡ってこの災害と対峙し続けている。
「大弩用意! 息吹の後は手薄だ、即座に撃て!」
ごと、ごと、と物々しい姿をした荷車が運ばれてきて、これまた数人がかりで照準を合わせて鉄の針を放つ。
横へ動くにも上下を向くにも、息吹を放つ竜たちの足元にも及ばない遅さだ。連発もできないのだろう。時間をかけて一発放ち、再装填。それが彼らの最先端だ。
まれに風に煽られて荷車自体が横転し、巻き込まれた人が担架に担ぎ込まれる様は滑稽にすら映るかもしれない。しかし、扱う者の練度など、この暴風雪の中でどれだけ通用するだろうか。
それでも、数だけはやたらと多い。まさに数を撃てば、の理論で彼らは動いていた。
一見するとそこはただのだだっ広い平原だが、小さな生き物たち、つまり人々にとってはまさに決戦の地と言えた。雪で隠れてはいるものの、そこは彼らが大至急かつ全力をかけて作り上げた前線基地だった。
膨大な金と人手をかけて。この戦いに拮抗できているかと言えば、それは否だろう。
既に大幅に前線は押し下げられている。平原には無惨に破壊された兵器や建物が点在し、雪に埋もれている。
山崩れに対して、人がいくら徒党を組もうとあっけなく押し流される結末に変わりはないだろう。今ここの惨状はそれに近いものがあった。
天候に対して基本的に人は無力だ。しかし、ただひとつ、この世界の人々にこそ許されている手がある。
この竜巻が生物の形に収まっていること。鋼の大翼を有し、四つ足で立っていること。
それに尽きる。過酷すぎる環境に刻々と削られていく中で、その主さえ追い返すことができれば、それは竜巻の進路を人の手で変えたことと同義だ。
「外れてもいい、頭を狙え。いや、頭以外に当てても外したと思え! 外の弩隊にも伝令を走らせろ。奴が大弩を壊し尽くす前に、急げ……!」
そのことが分かっているから、この場で指揮を執る彼は声を張り続けるのだ。声を枯らすことは、決して許されない。
彼自身も戦いに身を投じる役職でありつつも、そして、彼が動かなければならない状況が迫っていることを肌で感じながら。
拳を握り締めて、未だ立ち上がらず。仲間を限界まで使い潰す。そうでなければ勝てない。それを皆が分かっていて、それだけの信頼を得てしまっている。
風切りの音はもはやそれ自体が竜の咆哮に匹敵するかのように感じられた。
天幕などとうの昔に吹き飛ばされ、地面を掘って作った塹壕を急造の拠点としている。そしてこれより後ろには補給線しか残されていない。ここを突破されれば敗北ということだ。
指揮を執っていた男は、寒さで口元を震わせながら、絶対的な力に対する恐れを自覚しながら、しかし口角を持ち上げてみせた。
それは、彼らにとってすればいつものことでしかなかったからだ。
いつだって彼らはそうだった。今回はそのなかでもとびきりの危機と言えるものだが、これに近しいものなら、いくらでも。
相手は人よりも遥かに強大でかつ、種が違えば何もかもが異なる。
組み上げた作戦は九割方何の意味も成さず、臨機応変という言葉は理想でしかなく、追い詰められなかったことの方が珍しい程で。
本当に、この世界でどうして未だ人が生きていけているのか、不思議なくらいだ。
「観測員より報告! 鋼の龍の頭部より出血を確認……! アレも、血を流すモノだとは!」
「落ち着け。あれは生き物だと何度も言っただろうに。……だが、朗報ではある! ここで畳み込ませてもらおう!」
息も絶え絶えに駆け込んできた伝令を諭しつつ、彼は立ち上がった。周りの仲間もそれに続く。
それは決して、勝利の手柄のみを取りに行く行為ではない。まともに動ける人員がもうほとんど残されていないという、単純明快かつ指揮者としては忌避すべき事態に陥った。
自らを、死地に飛び込む駒として扱う時が来たということだ。
強風に耐えて身を屈ませながら、吹き荒れる風の中に身を晒す。
威風堂々とは程遠い。しかし、このとき彼の視線は確かに、この激戦の相手と真っ向からぶつかりあっていた。
海のように青く深い、鋼の龍の瞳は彼を確と捉えていた。
「できる限りの足止めを!! その上で、ここに突っ込ませろ!」
剣を抜いたりはしない。楯も構えない。これは人同士の争いではないのだから。
傷つき倒れた工作兵の補充要因として、その部隊の元へ駆け寄りながら指示を飛ばす。
彼が指示を出した足止めというのは率直に言って囮のことであり、つまるところ死んでこいと言われていることに等しい。
それは彼とより親密な間柄の仲間が積極的に請け負った。彼には人望があり、彼もまた仲間に全幅の信頼を置いていた。死んでこいと言われて素直に従うほど柔な連中ではない、と信じている。
鋼の龍は未だ健在だった。むしろ活力に満ちてさえいた。まるでこの吹雪から力を受けているかのように空を駆けている。
しかし、無傷ではない。血を流している箇所もいくつかある。
特に頭部を覆う鋼には罅が入っているようだった。故にこそ、かの龍はこの争いに飽きもせず苛立ちを募らせているのかもしれなかった。
かくして。現実には短いながらも、身も心も擦り切れるような時間が過ぎ去っていく。削り出されていく。
防護壁は砕かれて大弩も吹き飛ばされた。鋼の龍が近づくだけで何もかもが押し退けられていく様は、人知を超えているようにさえ思えた。
残りの地虫はあと何匹だ、と。鋼の龍は周囲を睨めつける。不快な感触は未だ拭い去れないでいる。
かの龍にとって大弩の鉄の杭は珍しく痛いと感じたが、残りのほとんどはそもそも届かないか痒みと大差ない。
そんな健気な抵抗をしている者が残っている。これまでに相当な鬱憤が溜まっていたのだろう、鋼の龍は目の前の景色そのものへ向けて、特大の息吹を放った。
息吹はそのまま地面を這う竜巻と化した。もはや阻む盾もなく、もとは草原だった雪原が風に蹂躙されていく。巻き込まれた人がいたのだろう、風の一部が血飛沫に染まるのも見て取れた。
抵抗勢力は、ない。それでも鋼の龍は地に降り立って様子を伺う。
種として敵が少ない鋼の龍に用心の概念はほぼ無いが、どちらかといえば、今回歯向かってきた地虫たちのあまりのしぶとさに疑い深くなっている様子だった。
故に、またしても飛来してきた小物を見て、煩わしそうに風をぶつけて、地面に叩きつけて。
それが生きた光蟲であることに気が付かず、眩い光がその視界をひと時の間奪った。
この龍が悠久の時を生きた個体であれば、この時にあえて空へ飛び立ったり、何かに衝突することも覚悟でその場から離れたりすることができただろう。
しかし、ここにいるかの龍は反射的にその場で身構えてしまった。白んだ視界が戻るまでの間、その場から動かないことを選んだ。結果的にそれが、決定的な隙となった。
鋼の龍は風の鎧を纏う。それは弓矢程度であれば容易にはじき返す強固な護りだ。
ただ、風は音を発する。そして匂いを吹き散らす。強く纏うほど、音や匂いを上書きしてしまう。
それはかの龍にとっては弱みになり得る要素ではあったが、それを知るには、かの龍はあまりに強すぎた。
大きく粗い音が響き続けていた戦場で、足音すらも隠すように鋼の龍へ忍び寄る人々の姿。
向かい風に抗うように数人がかりで押して運ぶ荷車には、厚い布が幾重にも貼り付けられていた。
知らず知らず、これまでの生を視覚に偏って頼っていた鋼の龍が、ごとんと間近で響いた音に驚いたときには。嗅ぎ慣れない臭いを感じ取って、逃れるよりも先に訝しんだときには。
龍の風圧を掻い潜り、最も危険で失敗できない火付け役は、これまで指揮を執っていた彼が担った。
爆炎が咲く。衝撃波が舞い散る雪をはね飛ばす。
現状、人々の知る唯一の火薬という道具の使い道は、爆弾という極めて単純なもの。近くに対象がいなければ意味がない。だから、そうできる状況を整えた。
鋼の龍の眼前で炸裂したそれは、その図体を仰け反らせる程の強烈な一撃となった。
天を仰ぐ龍の頭部で。その角の辺りに入っていた罅がより深く広がっていき、ついに、砕け散った。
その日、人々は初めて龍の悲鳴というものを聞いた。
地面に倒れ伏した鋼の龍に対し、追撃を仕掛ける余力は人々の側には残されていなかった。これで進行を止めないようであれば撤退だ。
龍の目的は人ではなくどこかへ向かうものであったと思われるが、それをわざわざ地上から挑発したものだから。かの龍がどのような判断を下すかは五分五分だ。
少なくともこれだけで死にはしないだろうことは誰もが察していたし、この荒天が未だ晴れていないことから明らかだった。
しかし、心なしかその風がほんの少しだけ和らいだような。
鋼の龍が身を起こす。自らを襲った爆発の跡と、その周辺にいる人々を一瞥する。
そのまま、数秒の沈黙があって。
ふわり、と。地を歩くときには鎧武者のような鋼の音を響かせているのにも関わらず、その飛翔は体重を感じさせないほどに軽やかだ。
たった数度の羽ばたきで、人の手の決して届かない高空まで飛んでいく。地上に降り立ったのは本当にただの戯れだったのではないか、と、人々にそう思わせる程に見事な飛翔だった。
そして、鋼の龍が再びその戦場に降り立つことはなかった。
前線基地の背後に築かれた街から、少しだけ。嫌がるように進路を変えて。
地に縛られた人という小さな生き物を置き去りにして、鋼の龍は飛び去って行った。
過ぎ去っていく吹雪を、人々は呆然と見上げる。自分たちの為したことが飲み込めないまま、ただ粉雪だけが地面をさらっていく。
「……目的は、果たされた! 我々の勝利だ!!」
最初にそう宣言したのは、前線で指示を飛ばし続け、決め手を担った彼だった。
どうせ掠るだけで致命傷なのだと上官らしからぬ軽装で戦場を駆けた彼は、未だ青年だった。
その宣言を皮切りに、周辺から次々と歓声が上がる。あと僅かなところで耐え抜いた前線から、飽和しつつあった救護室から、今まさに担架で運ばれていく人までもが。
打ち倒してもいない。撃退できたわけでもない。ただ、ほんの少し嵐の行先を逸らしただけ。
ただそれだけのことが筆舌に尽くしがたいほどに困難で、きっと何よりも価値のある結果だった。紛れもない功績だった。
拳を掲げてみせた青年の元へ、仲間たちが駆け寄っていく。血を流していたり、足を引きずっていたり、無事な者は誰一人としていない。けれど、皆笑顔だ。
この後しばらくすれば、死傷者の確認と戦場の後始末が始まる。そうなれば笑顔のままでもいられなくなるだろう。けれど、今この時だけは生きている者同士で喜び合えるように。
そんな雰囲気の中、今は目立たずに放置されてしまっている。
砕け散った荷車の残骸に混じる、鈍色の破片。
この戦いの収穫として、この場に用意された兵器全てと秤にかけても釣り合いが取れる。風を駆ける鋼の龍の角の欠片だ。
彼らがそれに気づき、拾い上げるのはもう少し後の話になるが、今は流石に仕方がないと言えた。
厚く空を覆っていた雲に切れ目ができて、陽の光が粉雪に反射して柱のように戦場に差し込んでくる。
彼らが見上げた青空は、きっと、心の底から待ち望んでいたものだ。
作中設定解説
【大弩】
移動用の車輪を備え付けた大型の弩。火薬を用いない構造で、未来に登場するバリスタとは似て異なる。
この時代の最新の対竜兵器。弓矢よりも高い威力を発揮するが、重くかさばるため運搬に難がある。