ほぼ漫画業界コラム115 【編集長の責任】
さて、今回のお題は編集長について。最近、編集長について色々と思うことがあり、まとめてみます。思えばこのコラムの最初のお題が編集長でした。そちらも合わせてご覧いただけたらと。随分前のコラムですが、この時より状況は変わりましたね。時の流れが早すぎる。
でも相変わらず僕は、メディアにおいて編集長は絶対的な存在だと考えています。新聞だろうが、情報週刊誌だろうが、漫画メディア(雑誌、アプリ、レーベル)であろうがです。漫画の場合、1作品、1作品は別の作品ですが、その媒体において1人の編集長が集めた作品群はまとまると、また違う見え方があります。もちろん媒体には元々色がある場合もあります。少年ジャンプの「友情、努力、勝利」とか、モーニングの「読めば元気になる」とか。それらは長い歴史によって作られる色ですが、それでもその時代の編集長によって、媒体の色は違っていると思います。それぐらい影響力があるのが編集長です。どんな漫画家が描いた漫画でも、どんな編集者が出した企画でも、編集長がNoといえば絶対に載らない。逆に載っている作品はすべて編集長がGOを出した企画です。すべての権限は編集長にあり、絶対的な存在である。僕はそれでいいと思います。
もう随分前になりますが、僕が編集長をやっていた時は、そんな心構えでした。当時の裏サンデー、マンガワンの作品すべてに僕は権限を持っていました。全連載のネームはチェックしていたし、修正指示も容赦なく出していました。僕はそれで良かったと思っています。その後、マンガワンは編集長が何代か変わっていますが、それぞれ歴代編集長が素晴らしい仕事をして、現在も輝きを放っています。それは編集長に強力な権限があるからこそ、それが可能なのです。
ただ、そんな編集長には当然ですが、その権限と同じくらい強い責任があります。媒体の各数字が落ちたり、人気作が生まれなかったり、輝きが消えたら、それはすべて編集長の責任です。そして、その作品が誰かを傷つけたり、非難されても編集長の責任です。僕はたかだか一部門の課長、部長であっても「編集長」と名乗る以上、その会社の社長と同レベルの責任が発生すると考えています。なぜでしょうか?それは編集長がそのメディアに関わる作家や、ライター、デザイナー、もしくはあらゆる表現に関わる人の代表になるからです。表現の自由と言いますが、その自由には責任が伴います。某雑誌の記事が誰かのスキャンダルを非難するものであれば、その雑誌に寄稿している人間はすべて、その記事に同意しているとみなされても仕方がありません。その責任を編集長が取る必要があるのです。よく媒体を賞賛したり、非難されたりする際に、編集部がすごいとか酷いとか言われます。ですが言われるべきは、編集長がすごい、もしくは酷いであるべきだと思います。
それを承知の上で、編集長は己の権限を振るうべきだと僕は思っています。誰かの表現や思想を代表する。その立場にある人間には高い人間力が求められます。ただ、残念ながら、権限だけ行使して、責任を負わない・・・そんな編集長も世の中にはいます。そんな編集長がいる媒体も、各作品も、すべて輝きを失います。全てを作家のせい、部下のせい、上司のせい、時代のせいにして権限だけ振るう。そんな編集長がいる媒体はあっという間に無茶苦茶になります。


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