「牛は何も悪いことしていない」被ばく牛の殺処分を拒み、ともに生きる畜産農家の15年 #知り続ける
15頭を安楽死 積み重なった亡骸に呆然
2017年。二人はある決断をする。 大切に守ってきた牛たちの中から長期的な研究に必要な牛を残し、15頭を一気に安楽死させることに。 「正直、毎晩泣いてます」 時折声を詰まらせながら話す美喜子さんが見つめているのは、長さ10メートル、幅3メートルもあろうかという大きな穴。ショベルカーがひたすら穴を掘り続ける光景を、牛たちが無邪気にのぞき込む。 どの牛を生かし、どの牛をあきらめるのか…判断は、美喜子さんに任された。 「生かし続けられるなら、この牛でこのままやっていいって言われればいいんだけど。でも言われないから。死んだ者になっている牛だから…」 その日は、ひどい雨が降っていた。 「後ろ、もっと引っ張って!」 角に縄をかけられ、押し倒されそうになった牛たちは力の限り激しく抵抗する。 注射器で安楽死させる薬を注入しようと、抑え込もうとした研究者が、牛が振り上げた角の勢いに負けてへたり込んだ。 「危ない!」 研究者たちの怒号が響くなか、数人がかりで抑え込み、安楽死させた。 着ていた白い防護服は、血と泥で赤黒く染まっていた。 安楽死させられた牛たちは、研究者によって内臓などのサンプルを採取されたのち、国の方針に従い墓穴に埋葬される。牛たちの亡骸が積み重なる墓穴に、ワラを運び込んでいた美喜子さんが呆然と座りこみ、空を見上げた。 ずっと、守ってきた命。 「子牛が生まれて、育つのがずっと楽しみでやってきた。あの頃の生活に戻れるのか…」 光秀さんのつぶやきに、誰も答えることができない。
牛の繁殖を禁じる国の判断 今も変わらず
2025年、震災から15年目を迎えた池田牧場。 池田牧場のある地域は2022年に避難指示が解除され、許可証がなくても立ち入りができるようになった。病気や寿命でたくさんの牛が旅立ち、今は残った14頭がのびのびとくつろいでいる。研究チームによる検査は今も続いている。研究チームは、牛に放射性物質による汚染のない、きれいなエサを与え続けることで、牛そのものの除染ができることを明らかにした。しかし、牛の繁殖、移動、出荷を禁じるとした国の判断は今も変わらず。被ばく牛と生き続ける限り、営農の再開はできないまま。 あの日、なぜ多くの牛の命が奪われなければならなかったのかという疑問は消えないが、いま生きている命を無駄にしてはダメだと、自分たちを奮い立たせ、被ばく牛たちの世話を続けてきた。 「24時間いられるようになったから忙しいのよ。」 麦わら帽をかぶった美喜子さんが滴る汗をタオルで拭って、朗らかに笑った。 震災前のように、牛たちはお腹いっぱい牧草を食べることができるようになった。 研究チームによって被ばく牛の今とこれまでを知るツアーが2025年初めて開催された。 15年の記憶を語る光秀さん。訪れた人は白斑が広がり、真っ白な顔になったたまみを見つめながら、話に聞き入る。15年が経っても、この白斑が被ばくの影響なのかはわからないままだ。それでも、牛たちは震災の教訓を伝える語り部のような存在に、少しずつその役割を変えている。 「みんなおっきくなったもんな…」 牛たちを見ながら、目を細める光秀さん。牛の体には、一緒に過ごした月日の分だけ、しわが刻まれている。 「先祖からの土地を子孫につなげるためにも、牛たちがいるから管理していける。牛たちのおかげ」 池田牧場には多くの牛の命が眠っていて、その牛たちのおかげで農地を守ってこられたと光秀さんは語る。またこの場所で畜産を再開するという希望を捨ててはいない。牛たちの守ってきた土地で、新たな命が育まれる日を待ち望んでいる。