「警官として終わり」 刺さった娘の一言、退職2分前に告発メール
思い出すと今でも涙が出る。 4年前の冬、自宅リビングでテレビを見ていると、中学受験を終えたばかりの小学6年の長女に言われた。 【一目で分かる】「絶対バレない」とされた公安警察のカラ出張の構図 「お父さん、警察官が取り締まられるようなことをしたら終わっとるよね」 突然の言葉に胸をえぐられるようだった。 当時、広島県警の巡査部長だった粟根康智さん(46)は自身の過ちに苦しんでいた。 公務で出張したとウソをつき、旅費などを不正受給する「カラ出張」に手を染めたことだ。上司からの指示とはいえ、自責の念にかられ続けていた。 ストレスで家族に当たり散らし、長女は事情をうすうす知っていたようだ。 「うちら貧乏になってもええけ、警察官としてちゃんとして」 粟根さんは長女の言葉に背中を押され、辞職と同時に公益通報することを決意する――。 ◇「天職」と感じた警察の仕事 幼い頃から警察官に憧れていた。 就職氷河期のため警察官採用試験の倍率は10倍近くと高かったが、何度も挑んで大学院を出た後の27歳のときに合格した。 警察学校を出た後、配属されたのは警備課。要人警護やテロ対策、災害救助などを担当する部署だ。 そこでは主に「作業班」に在籍。捜査対象者の尾行や、捜査対象組織の内部に協力者を獲得する任務を命じられた。秘匿捜査が求められる公安警察の一員になった。 夜通し張り込むこともしばしばあったが、仕事をきついと思ったことは一度もない。天職とすら感じていた。 情報収集活動で優秀な成績を収めたとして、県警本部から複数回表彰された。 ◇6回のカラ出張、5万5000円を受領 そんな日々は、上司となったA警部の下で働くようになったことで暗転する。 A警部に指示されるまま、2019~20年にカラ出張を6回繰り返し、旅費や時間外勤務手当計約5万5000円を受け取った。 眠れない日が続き、妻の勧めで心療内科を受診。適応障害の診断を受け、21年5月から休職した。その後に交通事故にも遭って内臓破裂など全身に大けがをし、両腕が思うように動かせない後遺症が残った。 復職も考えていたが、以前と同じようには働けない。長女の言葉で警察をやめる意思が固まった。あのリビングでの出来事の翌月、退職願を出した。 人事と監察から事情を聴かれた際にカラ出張を告発しようとも考えたものの、作業班の仕事は秘匿性が高く、同じ警察官にも詳しく話すことはできない。 監察部門にいる警備・公安出身者との面談を求めたが一向に連絡がなく、らちがあかない。 そして22年3月31日、休職中のまま、警察官として最後の日を迎えた。証拠として残すための最後の手段として、午後5時15分の就業終了時刻の2分前、県警の公益通報窓口にカラ出張を告発するメールを送った。 県警の調査はなかなか進まなかったが、最終的にA警部らが詐欺や虚偽公文書作成・同行使の疑いで書類送検された。A警部は依願退職し、不起訴処分となった。 ◇退職後は定職に就かず 粟根さんは退職してから2年後の24年春、広島県福山市議選に立候補した。 選挙のチラシには「元警察官 内部告発者」と記し、「こどもを核にしたまちづくりの実行」を掲げた。 市議になりたかったわけではない。目的はただ一つ。街頭宣伝が保障されている選挙活動を通じ、古巣の警察官らに「不正に目をつぶるな。声を上げろ」と訴えるためだ。 選挙期間中、午前8時20分の朝礼の時間を見計らい、カラ出張をしたときに在籍していた福山北署の前にのぼりを立て、マイクを握った。 「上の人間が不正をしてお前らが黙っていて、誰が得をするのか。お前らがちゃんとせんと、市民は誰を信じればいいのか」 今、定職には就いていない。妻の稼ぎや投資で、娘2人を育てる。 長女らは「昔のように外食や旅行ができなくなった。でも後悔していないよ」と言ってくれる。 普段は平日のほぼ毎日、小学生から高校生までの子ども約50人に勉強を教えるボランティアをしている。 「困っている人を助けたい」。その思いは、警察官をやめても変わらない。【遠藤浩二】
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