おはようおやすみ 最後まで(槍弓)
槍弓で現パロです。
会社近くにある紅茶店で働く弓と仲良くなった槍が、弓の作った夕食を毎日のように食べて過ごす親密な間柄に。
弓とずっと一緒にいたい槍が戸惑う弓を掴まえるお話。狂王黒弓要素あり。
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「今日もおいしかったぜ、エミヤ」
ごちそうさまと手を合わせると、エミヤが柔らかく微笑んだ。
疲れた身体を中から癒してくれるエミヤの料理は、ランサーにとって明日の活力の源だ。
幸せだな、と強く思う。こんなにも世界は美しく楽しく幸せだと感じるようなものだっただろうか。
何かが不足したと思ったことはなかったが、今のこの状況と比べると不足していたのだろう。それが、エミヤのおかげで補われて……そう、エミヤによってランサーの世界は満たされたのだ。
ランサーがエミヤと出会ったのは、仕事の繁忙期と家のゴタゴタがいっぺんにやってきた最悪なタイミングで、忙しさに睡眠不足が続いていた時だった。
やっとのことでいろんなことが片付き、今日で残業は終わりだと会社の外に出た頃には、すっかり夜が更けていた。そういえば昼もまともに食べていなかった、と思い出したのがまずかった。意識すると身体が空腹を訴えてきて、歩くのも億劫になってきた。どうしたものかと近くに食べるところがないか考えてはみたが、会社の近くにあるのはコンビニくらいで、残念ながら店は閉まっている時間帯だ。
家に帰ったところで冷蔵庫には何も入っていない。仕方がないのでコンビニで何か買おうと重たい足を動かし、ふらふらと歩いていたら「君、大丈夫か?」と後ろから聞いたことのある声が聞こえたので振り返ると、そこには見知った顔があった。
滅多に何かを褒めたり誰かのことを話題にしたりしない弟が、人づてに聞いたことだとしても、あそこの紅茶がうまいらしいと驚くことを口にしたのに興味が惹かれて行ってみた。そこは紅茶専門店で食事はできないようだが、紅茶を試飲することができるとのことで飲んでみると、なるほど、弟が言うようにたいそうおいしい紅茶が出てきた。茶葉もいいのだろうが、淹れ方もいいのだろう。思わず「うまいな」と口にしてしまうほどで、それを聞いた店員――エミヤは「それはよかった」と柔らかな笑みを浮かべた。
その笑みに、ランサーの心臓に何かがぐさりと突き刺さった。なんというか、こう、グッときたのである。
それからエミヤのいる紅茶屋に時間ができれば通うようになったのだ。
「あー……、ちょっといろいろ忙しくて、今日はまともに飯食ってなくてよ」
「最近見かけなかったが、そんなに仕事が忙しかったのか? まあ、君はいつも忙しそうにしているが」
「いや、仕事っつーか、まあ、いろいろと、終わったけどな」
「そうか」
エミヤはそれ以上は深く聞いてこなかった。いつもそうなのだが、エミヤは決して深入りはしてこない。その距離間は絶妙だ。
「それで何か食おうかと思ったんだが近くの店はもう閉まってるし、歩くのもだるいくらい腹が減っちまってよ」
ランサーの話にエミヤは軽く顎に手をおき、なにやら少し逡巡してからランサーをちらりと見た。
「君がよければなんだが」
「おう?」
「私の家はここからそう遠くはない。くわえて、今はそこそこ料理のストックがある」
エミヤに見つめられるとなんだか胸がドキドキしてきたランサーは、そっと胸の辺りを押さえた。やはりいつもより鼓動が速い。
「私の手作りでよければ料理を振舞うが、どうだろうか」
「え、あ、えぇ?」
驚きすぎたランサーに、エミヤは悪い意味に取ったようだ。
「いや、無理にとは言わない。よければと思ったのだが、不快に思ったのなら申し訳なかった」
「そんなわけないだろ絶対行く!」
エミヤがこの話題を流そうとしたので、ランサーは慌ててエミヤの両肩をしっかりと掴んで引き止めた。
「え、え? いいのか? マジで? 今から? お前んとこ行ってもほんっとうにいいんだな?」
ここでダメだと言われたところでもう引く気は一切ないが、一応確認する。
「私から誘っているのだからいいに決まっている。ランサー、肩が痛い。それと、揺らさないでくれないか」
がくがくと前に後ろに揺さぶるランサーの手をエミヤが軽く払いのけようとしたので、そのままエミヤの右手首を掴んだ。街灯の鈍い光が目を丸くするエミヤを照らす。
「絶対行くから」
「わかった。わかったから、手を離してくれないか」
眉尻を下げて困った様子を見せるエミヤに、ランサーは手を離し、左腕でエミヤの肩を抱き寄せた。
「ここんとこお前に会えなかったし忙しいしでなかなかにいただけない毎日だったが、こんなご褒美があったなんてな!」
うれしいを全身で表現するランサーにエミヤは戸惑っているようだったが、嫌がっているようには見えない。うん、うん、と頷いてランサーはエミヤの肩を軽く叩く。
「お前の手料理食べられんの楽しみだなぁ」
エミヤが料理好きということは、普段の会話の端々から出てきてとっくに知っていた。客足がほぼない時間帯に店の奥で弁当を食べているということを聞いていたので、近いうちにその時間帯にエミヤの店に寄ってみようと考えていたのだ。
その日は雨がひどく、外には人がほぼ歩いていなかった。誰も外には食べに行かないだろう昼休み、ランサーはわざわざエミヤのいる紅茶店に行くために外に出た。そして、ちょうど昼食を取ろうとしたエミヤの弁当を見せてもらったのだが、あまりのすばらしさに感嘆の溜息しか出てこなかった。おまけにそれを少し食べさせてもらった時のあの玉子焼きのおいしさといったら一瞬言葉をなくすほどで、こんなおいしい玉子焼きは食べたことがないと言うと大げさだと笑われたのだが、本当に初めてというくらいのおいしさだったのだ。
そんなエミヤの手料理だ、間違いなくおいしいだろう。
「わかったからそんなにくっつかないでくれ。歩きにくい」
「悪ぃ悪ぃ、うれしくってよ」
「そんなに喜んでもらっているが、君のご期待にそえるかどうかわからんがね」
「お前の料理がまずいわけねぇだろ。前に食べさせてもらった玉子焼き、すっげぇうまかったし。その後に食べさせてもらった手作り唐揚げもめちゃくちゃうまかったし。それから……」
あれもこれもとこれまでに、エミヤの弁当に入っている食べ物を列挙していくランサーにエミヤが「本当にたいしたものはないし、期待が大きいのは困る」と言うのだが、エミヤの大したことがない料理はランサーのそれと同じではないので「大丈夫だって」と笑って流した。
そして予想通り、エミヤのいう大したことのない料理というのはランサーにとっての豪華料理であり、非常に満足な食事で満たされた。
今回、ランサーはとても助かったし本当にありがたくうれしかったわけだが、見知らぬ人間をほいほい家に入れようとする警戒心のなさはいただけないということを一応エミヤに伝えたのだが、「君は知らない人ではないだろう?」と首を傾げられてしまった。
いや、そうだけど。それはそうなんだけどよ!
お前の世話好きで警戒心のなさのおかげでこんなすばらしい食事をいただいた上に、お前と楽しく過ごせるとか最高な時間過ごせたんだけど!
問題点はそこではないと言ってやりたいが、エミヤにはきっとよくわからないに違いない。どうしてこの男はこんなにも警戒心ゼロなのだろうか。こんなことでは誰かよからぬ輩につけ込まれないかと心配だ。
例えば、オレとかよ。
オレは誓って不実な輩ではないが、でも、あー……! もう、っとにコイツは!
そんな感情が胸の内で渦巻くが、しかし今回はその警戒心のなさのおかげで、このすばらしい時間を享受できたのは事実だったので、ランサーは心からの礼をエミヤに告げた。すると、エミヤが少しの間のあとふわりと微笑んだのだ。
あ、きた、と思わず心臓の辺りを右手で押さえよろめいてしまうほどに、ランサーの心を揺さぶった。
エミヤといると度々こういうことがあるのだが、再認識する。
エミヤはオレの心臓に悪い。
翌日、ランサーは昨夜の礼がしたいとエミヤの店へと訪れたのだが、礼など不要と断られてしまった。エミヤいわく、礼をされるようなことはしていないらしい。しかし、ランサーにとって昨夜のあの時間はご褒美以外のなにものでもなかったのだから、礼を受け取ってもらいたい。
エミヤはそういうつもりでランサーに食事を提供したわけではないと言うし、それどころか大したものではないと謙遜する。あれが大したものではなければ何が大したものなのか教えてほしいくらいだ。
「本当に大したもんじゃねぇのかよ」
「そうだ」
なるほど、とランサーが口の端を上げる。
エミヤがそういう態度をとるなら、つけこませてもらおうではないか。
「じゃあ、今夜も一人分増えたところでどうってことねぇよな?」
「ああ。もちろんだ」
「本当に? 本当は大変だったりすんじゃねぇの」
「そんなことはない」
「本当だな」
「本当だ」
「じゃあ、今夜もお願いしたいんだがいいよな」
真剣な眼差しを向けて言い合いをしていたはずのランサーがにかっと笑ったところで、不意をつかれたらしいエミヤがパチパチと目を瞬かせた。
かわいいなぁおい、と思って軽く額を小突いてゆるりとエミヤの頭を揺らしてやると、エミヤは再び目を瞬かせ、「は?」と小さく漏らした。
「もちろん材料費と作ってもらう金は払うから」
「何を言っている。大体、金を払うのなら外で食べればいいだろう」
「今夜も遅いんだ」
二人を隔てているカウンターテーブルに乗り出して、エミヤの首に自分の両腕を絡める。ここで逃がしてなるものかと顔を近づけると、エミヤが前のめりになってカウンターの内側にある作業スペースのテーブルに手をついたが、すぐに体勢を立て直す。
「それに、外じゃあんな家庭料理は食べらんねぇよ」
嫌がるようにしてエミヤが身を捩るのに、ランサーは目を細めた。
「店で食うよりうまかったしな」
「そ、それは、ありがとう」
褒められるとうれしいらしく、照れて視線を逸らすエミヤがかわいい。
ここで攻撃の手を緩めては逃げられる。
この獲物はしっかりここで掴まえておいて、約束という名の拘束の言葉で縛ってしまえば律儀にも守ってくれるだろう。
まるで敵をがんじがらめにして逃げ場をなくすようなやり方をしているなという自覚はあるが、それでもここが勝負どころだと直感が告げている。
「あんなに満足した食事ができたらすげぇ幸せなんだが……なぁダメか?」
「いや、ダメというかだな、そんな風に言ってもらえるのはうれしいが、その」
「さっき大したことねぇっつったじゃねぇか。それともアレは嘘か? だったらオレの礼を受け取ってもらいたいんだが」
「嘘ではない。だから礼はいらない」
「それじゃあいいだろ?」
エミヤの顔をまっすぐに自分に向けさせて目を合わさせるが、すぐにエミヤは視線を動かして目を逸らそうとする。
「ダメか? どうしても?」
ランサーが縋るような瞳でじーっと見つめると、エミヤがうっと怯んだ。
エミヤがランサーのお願いに弱いことは、エミヤとの短い付き合いの中で既にわかっている。
まあ、オレにだけじゃねぇだろうけどよ。
エミヤは誰かにお願いされて断ることはできない。何しろ信じられないくらいのとんでもないお人よしだ。今までどうやって無事に過ごせたのだろうかと思うほどのお人よしなエミヤに、本気で心配になって苦言を呈したことは一度や二度ではない。
そんなエミヤの気心につけ込んだやり方だが、今までにも散々注意してきたが聞かないのだから仕方がない。ここらでわかってもらう必要があるだろうと、自分に都合のいいことを考える。
エミヤの中の天秤がぐらぐらと動いているのが伝わってきて、ランサーは大丈夫だと思いながらも緊張していた。エミヤにはそういうつもりはないだろうが、ランサーとしては今、勝負の真っ只中だ。
「エミヤ、お願いだから」
「……君の、多大な期待に応える食事を提供できるかわからない」
無言で見つめるランサーにエミヤが小さく唸る。
「君、そういう顔をするのはずるいと思うのだが」
「ずるくていいから、なあ、いいだろう? いいって言ってくれ」
見つめ合っていたのは数秒だっただろうが、ランサーには長い時間に感じた。やがてエミヤが溜息を落とし、「仕方ないな」と零した途端「やった! ありがとうな、エミヤ!」と勢い余ってエミヤの頬にキスをしてしまったのはご愛嬌というものである。エミヤは非常に照れて、文句を言われたような気もするがあまり耳に入ってこなかった。
そこからランサーとエミヤの共に過ごす日々が始まった。
どうしても行けない日以外はエミヤの家に仕事帰りに向かい、エミヤの手料理を振舞われるというすばらしい日々を過ごしている。
食事を作ってもらう金は払うと伝えたのだがエミヤは一切受け取らなかった。せめて食費だけでも出したいと伝えたが、一人分も二人分もそう変わらないと言われてしまったので、自分が食べたい肉やら魚やらを大量に持ち込んで渡している。それだとエミヤは受け取ってくれるのだ。
出会った時のように夜遅くなるということは今はほとんどないが、エミヤの手料理を食べ、エミヤと共に過ごすというのは忙しかろうとそうでなかろうと同じなので、ほとんど毎日と言っていいほどエミヤのところに通っていた。土日も一緒にいたいくらいだが、今のところは仕事帰りという理由がないのと、土日はランサーの家の都合でなかなか忙しくて会えないでいる。
「そろそろここには来ない方がいいのではないだろうか」
食後にここ最近のエミヤのお気に入りであるらしいミントティーを一口飲み、ソーサーの上にティーカップを置く。ランサーは平静を努めたつもりだったが、思いのほか大きく陶器のぶつかる音が響いた。
「それは、迷惑ということか?」
それなら非常に残念ではあるが、エミヤに迷惑を掛けたいわけではないので我慢……するのは嫌なので何が迷惑なのかを話し合いし、妥協点をみつけて一緒にいたいなと考えていたが、「迷惑ではない」とすぐに返ってきた。
「驚かせやがって」
ほっとして胸に手を置いて息をつく。
迷惑でないということは、まためんどくさいことを考えてやがるな、とランサーは当たりをつけた。
エミヤという男は思考回路がやたらと後ろ向きで、ランサーには思いもつかないことを非常に気にするのだ。
「で? 何でいきなりそんなこと言い出したんだ」
「いきなりというか……その、私はいいのだが、君は平日はほぼ毎日ここに通っているので、誰かに誤解されるのではないかと今更ながらに思ってだな」
「本当に今更だな。誰かに言われたのか?」
ティーカップに手を掛けて、何気なく問う。この、何気ないというのがポイントだ。
もしも誰かがくだらないことをエミヤの耳に入れたのだとしたら、全くもっておもしろくないし許しがたいので、ちょっと自分でもどうしてしまうかわからない。それをエミヤに見せてしまうと、やさしいエミヤのことだ。絶対に相手を庇うだろう。
だから、ランサーの心の荒れ具合を見せないようにするのが大事だ。
「いや、誰にも言われていない。ただ、君の夜の時間を私が独占していることに気がついてしまって、申し訳なくなってしまったんだ」
あ、今の夜の時間を独占ってのはいいな。ちょっと響きがエロい。
エミヤが言うから余計そう聞こえるのだが、そういうことを口にすると照れてしまうので口にしない。
まあ、照れてるエミヤを見るのはかわいいし好きなんだけどな。
だが今それを口にすると話がそれてしまうので我慢する。
「申し訳なくねぇよ。オレが今一番深く付き合ってるのってエミヤだし」
エミヤが息を呑んだのがわかった。何をそんなに驚いているのだろうか。
「君は、誰かと付き合ってはいないのだろうか」
「そんなもんいるわけねぇだろ。っつーか、そんなに驚くことか?」
「驚くことだろう。どうしていないんだ? 君みたいな魅力的な人間が誰とも付き合っていないなんて……ああ、君にふさわしい人間がいないのか。それはそうか」
「おーい、エミヤ?」
「だが、君に釣り合う人間を探すのは非常に難しいな。何しろ、君は今まで見たことがないくらいに美しい上に、仕事も出来るし、頭の回転も早くて常人には近寄りがたいくらいなのに、その気さくな性格が君を親しみやすくしていて、外見だけではなく内面もすばらしい」
恥ずかしいほどのランサーへの賞賛の言葉を流れるように並べ立てているエミヤは、自分が何を言っているのかわかっているのだろうか。
エミヤがランサーの造形をいたく気に入っているのは知っていた。あまりにも自然にランサーのことをかっこいいだとか美しいだとかを自然に言いすぎだ。挙句の果てには神々しくて近寄りがたいとまで口にしてきた時には、思わずオレから離れるなんて許さねぇからと言ってしまったのは最近の出来事だ。
それにしても、エミヤもたいそうモテる相貌をしているのだが、どうにも自己評価が低い。エミヤの店の紅茶を買っているだろう職場の女性達が、店員の声が色気があっていいと褒めているのをよく耳にした。聞いたところによるとエミヤしか働いていないのだが、あの紅茶屋の店長ではないらしいので、聞かれても店員だとしか答えないだろう。ということは、店員とはエミヤのことだ。やさしくて紳士的で物腰が柔らかくかっこいい、とかなり審査に厳しい女性達がエミヤを手放しで褒めているくらいエミヤの評判はいい。もちろん紅茶もおいしいので、エミヤの店は密かに人気があり、知る人ぞ知るという場所になっていた。
確かに、エミヤの声はいい。低くて柔らかみがあり、どことなく色気のある声だ。
それになんていうか、エミヤってどっかエロいんだよなぁ。
禁欲的で厳格そうなエミヤだが、実は割と隙が多い。その隙を見せるのは距離が近くなってから、彼のパーソナルスペースに入ることを許されるようになってからでなければ知ることができないのだが。
ちら、とエミヤに視線をやる。エミヤに何度も触れたことがあるが、しっとりとした肌はどこを触っても肌理が細かくてすべらかだ。シャツのボタンを外して肌蹴させ、肩口に噛み付いてみたらどうだろうかと想像したことは何度もある。チョコレートを蕩かしたような褐色の肌にかぶりついたら……ああ、うまそうだな。
知らずぺろりと舌なめずりをする。
噛み付いてみてぇが……、噛んでみるか。いや、怒られるか。
「ランサー、聞いているのか?」
「あー、悪ぃ。お前のこと考えてて聞いてなかった」
「何を言っているんだ」
さっきまでのランサーへの賛辞は照れもなく恥ずかしがることもなく言えるのに、今照れるというのがエミヤである。
くそ、かわいいな。
知っていたけど、やはりかわいい。こういうところがエミヤのことをとんでもなくかわいいと思うところだ。
「ほんっとに幸せだな」
「何がだ?」
「エミヤのおいしい手料理食べられて、こんな穏やかな時間過ごせてんだから、幸せだろう?」
エミヤは何か言おうとして言葉を探している。こちらがからかったり軽いやりとりをしている時はポンポンと恐ろしいくらい数多くの言葉を返してくるくせに、真剣だとわかるとまともに言葉を受け取って、照れてまごついたりするのが本当にかわいいと思っている。
エミヤの料理は何でも好きだが、特に唐揚げと玉子料理が好きなのでそれを伝えると、色んなアレンジを加えた唐揚げとバラエティに富んだ玉子料理を出してきた。これがまた新しい発見がたくさんあり、普段ランサーが食べることがないだろう調味料での味付けは、ランサーを驚かせ感動させた。
味噌汁は絶品でランサーが褒めちぎると、日本食の時は必ず出してくれるようになった。何かわからないけど奥深い味がすると伝えたら「それは出汁にこだわったんだ」と少し自慢げに言うのにキュンときた。
本日も味噌汁は用意されていた。当然のごとく、最高にうまかった。
エミヤは料理を褒めると本当にうれしそうな顔をする。
ああ、いいなぁ。
コレが幸せということなのだと、しみじみと思う。
できれば毎日エミヤの顔を見ていたい。オレの傍にいてほしい。
「君に、喜んでもらえたのならよかった」
はにかんで少し目を逸らしてしまうエミヤに、ランサーは愛しさで胸が熱くなった。
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ランサーのことは店の客から話題に上る機会が多く、この店で出会う前から知っていた。自分が働く紅茶店の近くにある会社で働いていて、皆は詳しくは知らないようだが、どこかの名家の出らしいと噂していた。ランサーは非常に容姿に恵まれており、艶やかな青い髪、陶器のような白い肌に、深みのある宝石のような美しい赤い瞳を持ち、容貌の美しさはおそろしいくらい整ったパーツで作られた精巧な人形のようだが、野性味があって雄らしい魅力を醸し出している。手足が長く、一見細身に見えるがしっかりとした筋肉に覆われ引き締まったすばらしい肉体は無駄なところがなく完璧で、彼の輝きはエミヤの目には眩しいくらいだ。よく店にくる同じ職場らしき女性達も口々に彼のすばらしさを口にしていた。
あんなにかっこいいのに気さくでつきあいやすく、おしつけがましくないやさしさを持ち、仕事もできる上にとにかく顔もいいが声もよくて家柄もいいらしいと口々に彼を褒めていた。男性客も来るが、ランサーの陰口らしきものは聞いたことがなかった。あまりにもすばらしすぎると世界が違いすぎて文句など出てこないのだろう。
そんなすばらしい男がこの世にいるなんて、と驚嘆する。
その彼が、どういうわけか自分の家にいて、なぜか一緒に夕食を共にするような間柄になってしまったのだから、人生というのは何があるかわからないものだ。
エミヤの以前の職場は残業続きの毎日で不条理に働かされることも多かったが、とりあえず給料はきっちりと支払いがされるし、エミヤは特に不満を抱いてはいなかった。早く自立してエミヤを育ててくれた養父の切嗣に恩を返したいと思っていたから、稼ぎのある仕事であればそれでよかったし、仕事であれば大抵のことは割り切ってできるので、それなりに仕事では重宝されていたように思う。だからこそ、休みなく働かされていたのだろう。
しかしそれをよしとしない兄と弟によって、唐突に会社を辞めさせられた。何の未練もない仕事ではあったが、急に辞めてしまって迷惑を掛けただろうと心配したのだが、そんなことは気にしなくていいと兄に叱られてしまった。エミヤのことに対して、というよりもほぼ全ての事柄に対して関心を持たない兄に叱られたことは衝撃だった。
『あんなところでいいようにお前が使われているのは、我慢ならない』
そう言った兄が用意してきたのが今いる紅茶専門店だ。働く場所を用意したからそこで働けと言われた時には困惑した。
『しばらく働かずにゆっくり休めばいいが、お前のことだから働きもせずじっとすることなどできんだろう』
溜息混じりに言われたが、それは図星だ。しばらくゆっくり休めと言われても、エミヤには自分が疲れていた自覚はなく休む必要性を感じていない。それに何もしないでいるというのは性格上難しかった。
今の働き場である紅茶専門店は、兄名義になっている。話を聞いたところによると、元々は兄が『弟の淹れる紅茶がなかなかおいしくて好きだ』という珍しくも何かを好ましく思っているというようなことを兄の知り合いの男に言ったのが原因だ。兄は、あまり何かに関心を示すようなことを口にしないし、ましてや何かを好ましいなどと言うこともほぼない。その兄が口にした好きという言葉に何か思うところがあったようだ。そして驚くべきことに、兄はどうやら弟であるエミヤが働きすぎであるということを男に零していたらしく、それなら弟をここで働かせればいいと紅茶店を提供してきたのだ。
兄がたまにきてエミヤの淹れた紅茶を飲んでいくようになったのだが、兄にそういう落ち着ける場所ができるということが男はうれしいらしく、兄から『お前がここで働くようになってから、アレの機嫌がよくなった』と言っていた。アレというのは、兄の知り合いの男のことだ。話を聞く限りはどうやらその男は兄に好意を抱いているようで、兄のために割りと何でもしているようだったが、今のところ兄はその好意に気がついていない。
兄への好意の結果で働くことになった紅茶店ではあるが、なかなか順調である。店はオフィス街の中にひっそりと佇んでおり、静かで落ち着いている。一流企業が多く入っているビルが立ち並んでおり、治安も悪くない。いい場所である。
ランサーはおそろしいくらい簡単にエミヤの心に入ってきた。いつまでここにいるかわからないし、人と深く関わる気はなかったのだが、なぜかランサーと話す機会が増えていき、ついには自分から自宅に招くというようなことをしでかしてしまった。
あれは、いつも元気で快活なランサーがふらふらで疲れているのが見ていられなくて、どうしようもなかったのだ。人助けのようなものなのだが、ランサーにはそんな気軽に男を家に招くなと怒られてしまった。
ランサーはエミヤのことをどうも心配しすぎなところがあり、理解しがたいことをよく言われる。特に意味がわからないのがランサーが度々口にする「かわいい」という言葉だ。エミヤに対して使う言葉ではないのだが、それはもう自然に挨拶のように紡ぎだされるので困ったものである。
他人といるのがこんなにも心地よく感じたことはないというくらい、ランサーと一緒にいると安らぐことができた。
ランサーはエミヤといるのが幸せだと言うが、エミヤの方が間違いなく幸せだ。あんなにかっこよくて美しく、やさしくて気が利いて、太陽みたいに温かな笑顔でエミヤの心を軽やかにしてくれる人間など他にはいない。
ランサーには感謝しているし、誰よりも幸せになってほしいと願っていたある日、ランサーにご執心の恋人がいるという噂を聞いた。
以前聞いた時には付き合っている人はいないと言っていたが、今もいないとは限らないということに気がつかなかった自分の愚かさを責める。なんて申し訳ないことをしたのだろうか。ランサーもいい人ができたのなら言ってくれればよかったのにと少し思ったが、さっぱりとした性格のランサーのことだ。恋人ができたからエミヤのところには通わない、というような発想には至らないのかもしれない。友人と恋人は別と割り切っていそうだ。
そんなことを考えていたのだが、話を聞いているうちにその頻繁に会っている恋人というのが自分ということに気がついてしまった。
今更だが、自分は本当にランサーを独占しすぎている。土日こそ会ってはいないが、平日はほぼ毎日のように会っているのだ。仕事も早く終わらせて恋人のところに向かっているということを話していたが、確かにランサーはいつも仕事を早く終わらせてエミヤのところにやってきていた。
なんて恐ろしい噂が流れているのだろう。これは、早急に対処しなくてはならない。
「ランサー、君、そろそろ本当に私のところに通うのはやめた方がいいのではないだろうか」
これはまずいと思い早速ランサーに言ったのだが、ランサーに「なぜだ?」と怪訝そうに返された。
「前に、オレが一番深く付き合ってるのはエミヤだという話をしたと思うが」
ランサーの口調から、彼が不機嫌であることを察する。いつもの笑みは今はない。
食事を終えたランサーはいつもすぐには帰らず、ゆっくりとエミヤの部屋でくつろいでから帰る。ダイニングテーブルの奥に続くリビングスペースの窓際にL字型に置かれているソファーに座っていたランサーが、エミヤをちょいちょいと手招きして呼んだ。ちょうど食器も洗い終えたところだったエミヤは、機嫌の悪そうなランサーにキッチンカウンターから出るのを躊躇ったが、「早く来いよ」とエミヤを呼ぶランサーに逆らうのは得策ではないと判断して近寄っていった。
ランサーの手の届く位置まで近づくと、左手首を掴まれてそのままランサーの右隣に座らされた。即座にランサーが右腕でエミヤの右肩を掴んで自分へと引き寄せる。これは逃げられない体勢だ。
「何でそういうことを言うんだ?」
「君が毎日のように通っている恋人がいるという噂を聞いたのだが」
「ああ、お前のことか」
すぐに思い至ったらしいランサーは、それがどうしたんだといわんばかりの顔をしている。
「そう誤解されるのは君にとってよくないだろう」
「別に構わねぇよ」
「は?」
「オレはエミヤがいればいいし、他はいらねぇから、別に何をどう噂されようと知ったこっちゃねぇ」
ランサーはおそらく本気で言っている。それが伝わってきてエミヤは動揺した。
「ランサー、君は何を言っているんだ」
「何って、オレの正直な気持ちだが」
ぎりぎりと右肩を強く掴まれて痛みに顔を顰めるエミヤをランサーが冷たい表情で見つめてきた。ひやりとして身震いする。
「そんなことより、オレが迷惑だったってことか?」
「まさかそんなことあるはずがない!」
「そっか」
さっきまでの剣呑な雰囲気が一瞬にして霧散した。ふにゃっとうれしそうに破顔するランサーに顔が熱くなる。
しまった。つい本当のことを言ってしまった。
今のは迷惑だって言えばよかったのに、と思ったが、ランサーの顔を見てそれは無理だと判断する。そんなことができるはずがないのだ。何しろ、エミヤはこの生活が心地よく、今自分は幸せなのだとはっきりと理解している。それなのに、今更そんな嘘はつけない。
「君は、料理が得意な女性が好みなのだろうか。もしそうなのだとしたら、この世にはたくさんそんな女性はいて」
「いきなり何言ってんだ? 今、お前以外の話が必要か?」
ムッとしたランサーにエミヤが腕の中から逃れようともがくのだが、ランサーの力は強く肩を掴まれた手が外れそうにない。
「私は君と一緒にいるのは心地いいのだが」
「そりゃよかった。オレもお前と一緒にいるのは心地いいぜ」
やたらと色気を含んだ視線を向けられて、エミヤの動揺は深まる。
ああ、まずい、ドキドキしている。こんなに近くてはランサーにこの心臓の音が伝わってしまうかもしれない。
エミヤはできるだけ心を落ち着けようと懸命になった。
「だが、それはよくないことだ。だから、早く誰か他に」
「他はいらねぇよ。迷惑じゃないって言ったのは嘘だったのか?」
「それは違う! そんなはずがないだろう」
迷惑だと誤解されるのは困ると慌てるエミヤにランサーは不快感を示す。
「じゃあなぜそんなことを言う」
本当にわかっていないというような顔をしているランサーは、自分の魅力を少しもわかっていない。
私なんかと一緒にいるなんてもったいないことをしていると、どうして気がつかないんだ。
もっとランサーと共にいるのにふさわしい人がいる。こんな何も得るものがないエミヤといることは無駄なことだ。
「あのよ、オレはお前の料理も好きだが、それ以上にお前と一緒にいんのが心地いいからいるんだぜ」
なあ、と間近に迫ってきたランサーに息を止める。
「オレがいたら迷惑か?」
「そんなことはないと言っている」
「じゃあいいじゃねえか、な?」
ちゅ、と目元に口付けられてエミヤは固まった。
今、この男、何をした?
あまりに自然に口付けを落とされて、エミヤは動揺に思考が止まる。
「もうこの話はすんな」
わかったな、と言われたエミヤは、ランサーにキスされたことの驚きに回復していないためこれ以上の接触はいけないということだけを判断し、わかったと頷いてランサーの肩を押した。
ドクドクとうるさいくらいに心臓が高鳴っている。
ランサーのせいだ。
この男は自分がどれほど私を魅了しているかわかっているんだろうか。わかっていないからこんなことをするのか、それともわかっていてするのか。
もうエミヤにはこの話題を口にすることはできなかった。
ランサーが家の都合で一週間は会えなくなる、と非常に残念がっていた翌日のことだった。店の外にはclosedの看板を置いていたにも関わらず、黒服の男が店に入ってきた。どう見ても客ではない。
「こんな時間に申し訳ありません。ですが人には聞かれたくなかったので」
右目下に泣き黒子のあるとんでもない色男で、ランサーとはまた違った魅力のある男だった。
「話を聞いていただけないでしょうか」
ここでダメだと言っても無駄なことだろうが、それでもちゃんと確認してくるあたり誠実な男なのだろう。
こんなドラマや小説みたいなことが実際にあるとは、さすがクー・フーリン・L・アルスターだと関心した。
ランサーは自分の出自を相手が知っているかどうかなどどうでもいいだろうし、エミヤもその話題を口にしたことはなかったが、ランサーがアルスター家の跡取り息子の一人であるということを知っていた。アルスター家とは高貴な血筋の家柄で、王族関係、財界、金融業会および裏社会で有名であるのだが、一般社会では知られていない。それはエミヤの養子先でもあるアインツベルンも同じである。
男はランサーの家のことは詳しくは言わず、とある筋の名門の家柄で、社会勉強ということで今のところで働いてはいるがいずれは家業を継ぐことになると簡単に説明した。
「こんなことを言うのは心苦しいのですが、あの人と別れていただけないでしょうか」
「君は何か誤解しているようだが、別れろと言われても彼と付き合ってはいない。強いて言うなら友人だが……その友人づきあいをやめろということなのだろうか」
エミヤの答えは男を驚かせたようだ。
「そんなはずは……。あの人は、あなたと出会ってからはあなたの話ばかりします。もうあなた無しの生活には戻れないと」
そんな恥ずかしいことを口にするなんて、と一瞬思ったが、ランサーなら言いそうである。
「最初の頃は特に気にはしていませんでした。仲の良い人ができたのだなというくらいで……ですが、いつまで経ってもあなたへの執着を消さないどころかどんどん強くなっていくので、一族からも不安の声が上がるようになりました」
「それは気のせいではないだろうか」
「違います」
はっきりと男は否定して、エミヤに困ったような表情を見せた。
「そんなあなたのことを放っておくことはできないと、あなたのことを調べようとしましたが、彼の弟君から横槍が入りました」
そういえば、ランサーには弟がいる聞いたことはある。近くに住んでいるとのことだったが、会ったことはないし、彼の弟はランサーいわく首ったけの恋人がいるらしいので、家の集まりにもほとんど戻ってこないとのことだった。
「あなたのことは調べなくてもいいと。今自分と暮らしている男の弟で、この場所を提供したのは自分だとも」
「え? ああ、そうなのか。それは知らなかった」
この店を提供した兄に好意を抱いている男とは、ランサーの弟だったのか。
思ったよりも世間は狭いものだ、とエミヤが苦笑する。
「弟君の調べなくてもいいというのは調べるな、ということですのであなたのことは詳しく調べていません。ですが、我が一族への敵対勢力のものではないということだけ確認させていただきました」
「そうか」
その男はどこまで兄と自分のことを知っているのだろうか。
アルスターとアインツベルンは同じ世界に属する者ではあるが、相容れない。というよりも、あの世界のものは基本的に共闘はするが自分の身内や一族以外のものを信じるということはなく、ましてや仲良くなどとはありえない。
今のところは相手が邪魔になることはないのでお互い我関せずというスタンスであるから、敵対勢力ではないといえばそうだろう。
「あの人はあなたと一緒にいたいと望んでいます。ですが、あの人はただの会社員ではありません」
知っている、とは口にせず黙って見返す。
「こんなことを言うのは心苦しいのですが、彼と別れてはいただけないでしょうか」
付き合っているわけではなく、恋人でも何でもないと先ほど伝えている。
だから、この男が言っている別れるというのはランサーの傍から離れろということだ。
「私は彼の邪魔になる気は一切ない。これまでも、これからもだ」
「申し訳ありません」
「謝ることはない。君も仕事なのだろうから気にしないで欲しい」
ランサーのために動くように言われてここまで来た男が謝罪の言葉を口にする必要は少しもないのだ。たとえそれによってエミヤが傷つこうとも、男は仕事を遂行した、ただそれだけなのだから。
「誤解をしないでいただきたいが、本当に私は彼の友人であって、それ以上でもそれ以下でもない存在だ」
「本当に申し訳ありません」
男が辛そうに頭を下げるので、エミヤは笑顔を取り繕った。
さて、彼と離れる準備をしなくてはいけない。
ランサーと会えない今のうちに消えてしまおうかということも考えたのだが、いさかいがあっての別れではなのだから、最後に一目だけでもあっておきたかった。本当なら、このまま消えてしまうのが一番かもしれないが、それはエミヤが嫌だった。それくらいは許されるはずだ。
ランサーとはあくまで自然に、さりげなく別れなければならない。
ズキンと胸が痛み、心臓の辺りを軽く右手の指で摩る。
離れたくないという気持ちが容赦なく襲ってきた。
ランサーといつまでも一緒にいられるなどとは思ってはいなかったし、別れがくることはわかっていたことだ。
ああ、嫌だな。嫌だ。とてつもなく、嫌だ。
こんな感情を持つことがよくない。そもそも今エミヤは休養中であり、いつまでもここにいるつもりはなかったのだ。だから誰とも親しくなるつもりはなかった。ランサーとの出会いは予想外だったのだ。
だが、ランサーと共にいる生活は心地よく、幸せだった。
先ほどの男が、ランサーがエミヤと共にいたがって社会勉強に出したはずの会社をやめずになかなか家に戻ってこなくなったと言っていた。だからこそ、上に言われて男が動いたのだと。
ランサーへの期待は大きく、その期待に応えることができる男だ。そんな男の輝かしい未来を阻むつもりはエミヤには少しもない。
ランサーから離れなくてはいけない。
自然に、何でもないように、いつも通り、最後に一度だけ会っておきたい。
それで最後だ。
今までだって何らかの別れはあった。これはその別れの一つだ。
ちゃんとできるさ。なんだってそれなりにうまくしてみせる。
ランサーから離れることだって、うまくできるだろうし、できなくては困る。
***
自分のマンションに戻ると、すぐにでもエミヤに会いたいという気持ちが膨れ上がってきたが、深夜になってしまったので渋々我慢する。すでにエミヤには戻ってきたことを連絡して明日絶対に会いに行くと伝えているので、早く明日にならないかと思っていた時に、弟分の男が話があるとやって来た。どこか切羽詰った様子の男をランサーは中へと迎え入れた。
エミヤにランサーと別れて欲しいと告げたと頭を下げて謝る男は、どうせ家の奴らに言われて行動したのだろうと推測する。こうやって彼が言いに来たのは、ランサーがエミヤを離す気はないと知っているからだろう。そして、エミヤがもし自分から離れていったとしたら、ランサーがどうするかわからないと危惧しているからだ。弟分である彼は、ランサーの気性をよく知っている。大事な人間に去られて大人しくするつもりはない。
話してくれたことに礼を伝えたランサーに、男はなにやらまだ言い足りなさそうな顔をしている。どうしたのかと問うと、意を決したように男は言った。
「彼は、あなたの大事な存在ではないと思っています。今は一緒にいるが、それは一過性のものでいつかは離れていくと。世界が違うのだと言っていました」
「あぁ? そんなはずねぇだろうが」
それをここで言ったところでどうしようもないことだが、それでも思わず口をついて出てきた。
なるほどエミヤの言いそうなことだ。
一過性のモンだと? 随分とこちらの気持ちを軽く見てくれたものだ。
苛立ちのあまり一瞬にして怒りが湧いたが、すぐにその気持ちがおさまる。
悪いのはオレだな。
今までエミヤにどれほどオレがエミヤを大事に想っているか伝えたことはあっただろうか。離れたくはないとは伝えたし、エミヤさえ傍にいればいいと伝えたこともある。が、それだけだ。エミヤには子供の戯言と捉えられていたかもしれない。あの男は自己評価がとにかく低く、自分が好かれるという考えがない。
もっとちゃんと伝えなければ、エミヤに届くはずもないのだ。毎日執拗に伝えたとしても、それでもなお足りないくらいなのだから。
一体何してたんだろうな、オレは。
このままの関係が続く保障などないのに、ただ幸せを享受していただけで何もしていなかった。
もっとしっかりと掴まえていなければ、エミヤに逃げられてしまうというのに。
「エミヤ」
エミヤがいない世界を想像できるだろうか。どうだったのかを思い出せるだろうか。
いや、もう思い出すことはできないし、そんな世界には戻りたくはない。
特に不満に思ったことはなく、それなりに自由で楽しい日々を過ごしていた。そう思っていたが、今思えばエミヤと出会う前の世界と今の世界とを比べると、以前のものは随分と色褪せたものだ。
もうエミヤを抜きにランサーの生活は成り立たない。
エミヤが好きだ。
この好きという感情が特別なものだと、どうしてエミヤに伝えなかったのか。
エミヤが愛しい。
こんな感情は一度たりと持ったことはなく、誰に対しても感じたことはない。この強い感情はエミヤに対してだけだ。
冷静にこの先に展開を考える。エミヤはたぶん、ランサーから逃げようとするだろう。それがランサーの幸せだと思い込んで。
だが、逃がしはしない。どうやっても逃がさない。
お前がいねぇのに、オレの幸せがあるかよ。
エミヤのことを教えてくれたことに対して感謝を伝えると、男に「狙いを定めたって目してますよ」と笑われたので、ランサーも笑い返した。
そうだな、そうだ。狙いを定めたのだ。
そしてオレは、狙いを外したことはねぇんだよ、エミヤ。
何も変わらないいつもと同じ雰囲気だ。もしあの話を聞いていなかったとしたら、自分は何かに気がつけただろうか。
気がつけなかったかもしれないな、と思う。それほどにエミヤは完璧だった。完全にいつも通りを装っている。
エミヤの奴すげえな。少しも隙がねぇ。
妙に感心してしまった。それくらいエミヤは平常どおり何も変わらなかった。
少し早めに行くと、まだ準備ができていないと少し怒られた。そのやりとりがくすぐったくて快い。
早めに来た時はいつもエミヤの料理する姿を観察するのだが、今宵もそうしていた。包丁がまな板を叩く音が心地よく、くるくると動いて段取りどおりに準備していく様が楽しそうで、見ているランサーまで楽しくなってきて顔がにやける。エミヤによって簡単に形作られていくものが、簡単ではないことをランサーは知っている。一緒に作ったことがあるからだ。
失敗してぐちゃぐちゃになり、焦げまでできてしまったオムレツをエミヤは笑って食べてくれた。いつものエミヤのオムレツの方がずっと綺麗でふわりと形作られ、中はとろとろでおいしいというのに、エミヤはランサーが作ってくれたからおいしいと言うのがとてもうれしかった。
中華はあまり得意じゃなかったから練習したと言っていたけど、どこが得意じゃなかったんだろうと思うくらいに絶妙な味付けと触感はすばらしく、おいしかった。もっとエミヤの料理を表現するのにふさわしい言葉があるのだろうが、そういうのは少しも思いつかずにただおいしいしか出てこないと言ったら、エミヤはそれだけで十分だと、ちゃんとランサーの気持ちは伝わっていると柔らかく微笑んでくれるのが、心からうれしかった。
本当に温かく幸せな日々だった。それを終わらせる気は少しもない。
せっかく色々逃げる準備してるのに悪ぃな、と心の中で呟く。
それらは全て無駄になる。もう、離す気はないのだから逃げられはしない。
一つ、また一つ料理が増えていく。魔法みたいにあっという間に所狭しとダイニングテーブルの上に並べられた料理は今日も非常においしそうだった。
久しぶりだからエミヤの味噌汁が絶対にほしいと伝えたリクエストは叶えられ、味噌汁が用意されている。つやつやの白い米はエミヤが選んだこだわりの米とかで、やや大きめな粒で粘りが強く、噛むと甘みを感じるものだ。他のどこで食べるよりもうまい。唐揚げは揚げたてでじゅわじゅわと音が聞こえてくるくらいで、タルタルソースが掛かったものと、竜田揚げの二種類が用意されている。どちらも野菜のトッピングは忘れていない。
カリカリに揚げたしらすをレタスとパプリカの上からふりかけ、エミヤの手作り和風ドレッシングが掛かったサラダは色合いも鮮やかだ。チーズオムレツはふわふわとろとろで、お手製のデミグラスソースが掛かっている。エミヤの手作りソースはどれもこれも絶品だ。他にも小鉢に、オリーブの実のピクルス、野菜のトマトビーンズ、揚げ出し豆腐、マッシュポテト、きゅうりと大根の漬物が用意されている。食事中の飲み物には、レモンとミントのハーブウォーターだ。すっきりして箸が進む。
どれを食べても、いつだってエミヤのご飯はおいしくてランサーを幸せで満たしてくれる。それは、エミヤがランサーのことを考えて作ってくれているからだ。
全くエミヤはすごいな、とランサーは感心しっぱなしだ。なにしろ、ランサーはエミヤが今夜で会うのを最後にしようとしているだろうことを知っている。だから注意深く見ていたのだが、それでもなおエミヤは常と変わらず少しの隙を見せることはなかったのだから感嘆に値する。
そんなお前をここで逃がしちまったら、掴まえるのが大変だ。そんなこと絶対にするか。
それはバカのやることだ。
オレがここ一番という時に獲物を逃がすようなマヌケじゃねぇってことはお前も知ってるだろ。
「今日もおいしかった。ありがとうな、エミヤ。ごちそうさま」
「それはよかった。おそまつさまでした」
いつもと同じやりとり。それからエミヤが食後のカモミールティーを用意している間に食器を洗って片付ける。その間にランサーはリビングスペースにある白に近い灰色のコーナーソファーに座ってエミヤが来るのを待って気持ちを落ち着ける。少しするとエミヤがやってきて、ランサーの前にあるローテーブルにカモミールティーを置いた。ランサーが、こっち、と自分の左側に座るようにソファーの上を叩くと、エミヤが笑って隣に座る。これらもいつもの一連の流れだ。
用意してくれたカモミールティーを口にすると、温かく気持ちが落ち着いていく。エミヤは料理だけでなく、こういったハーブティーや紅茶といった飲み物を淹れるのもうまい。
「なあ、エミヤ。オレに何か言うことないか?」
「ないが。どうしてだ?」
知らなければ気がつかなかっただろうほどにエミヤは本当にわかっていない様子で答えた。それとも本当にランサーの言いたいことに気がついていないのだろうか。
いや、それはないな。気がついているだろう。気がついていて、知らないフリをしている。
「本当に、オレに言うことはないんだな」
「意味がわからないのだが」
このままいつもどおりの日を終わらせて目の前から消えるつもりだったのか。それとも、最後にはしばらく会えないとでも言うつもりだったのだろうか。
どちらにしろ、エミヤは何も言わずにランサーから離れるつもりなのだ。
そんなこと許せるはずがねぇだろうが。
「ここの部屋の契約、今日で終わりだって何で教えてくれねぇんだ?」
すぐさま隣のエミヤの右手の甲の上から自分の左手を重ね、指の間に指を滑り込ませてそのまま握り締める。
「何の話だ」
今のは不意をついたつもりだったが、できていなかったらしい。エミヤの動揺は少しも表に出ていない。指を絡めた瞬間だけ驚きに身を強張らせたが、それは内容がというよりもいきなり手を掴まれたことの驚きからだろう。
すごいな、と何度目かの感心だ。
口の端が緩むのがわかる。おそらく今、自分は笑みを浮かべているのだろう。
胸の奥が熱く、それなのにやけに頭は冷静だ。
ああ、オレは今怒っている。
「今夜は最後の晩餐ってやつだろう?」
「ランサー」
「なあ、言えよ」
わかってんだから白状しろという目を向けるが、エミヤは平然としている。掴まれた手を振り払おうとしているが、そうはさせない。単純な腕力勝負ではランサーの方が上だ。そうでなかったとしても、この手を離すつもりはない。
「君は、そろそろ現実に戻るべきだ」
「オレは現実にいるがな。それとも、オレは今夢を見ているとでも?」
「もっと現実を見るんだ、ランサー。私に時間を使うのはもったいない。私とではなく、もっと君と未来のある人と一緒にいるべきだ」
ランサーを見つめるエミヤの表情には感情が見えない。そこには、いつものあの穏やかなやさしい空気はまるでなかった。感情を押し殺しているのだろう。
そうしなきゃオレと対峙できないというのなら、それはオレを喜ばせるだけだ。
それほどにオレに心を許していると。
「なんだそりゃ。誰といるかはオレが決める」
「毎日手作り料理が欲しいのなら、君好みの料理を作る人間を見つければいい。君が望めばすぐに見つかる」
「あぁ? 何言ってんだお前」
思わず低くなった声にエミヤが息を呑む。そこで平常を装っていたエミヤが初めて乱れたと思ったが、こちらも冷静ではいられなくなりそうで、グッとエミヤの右手ごと自分の左手を強く握り締めて感情を抑えつける。
エミヤ相手では冷静さを欠いてしまってはいけないということは、この少しのやりとりから理解していた。感情的になってはエミヤの思うツボだ。
しかし、今のはランサーを煽ろうとした台詞ではなく、おそらく素の言葉だっただろう。
「オレがお前の料理を作らせるためだけに来てるとでも?」
「君は、私の料理を気に入ってくれていると思っていたが」
「お前の飯は最高だよ。だが、それだけで一緒にいるわけじゃねぇ」
「それだけじゃないとは」
これが演技だったらいいと祈る。しかし、どう見てもこれは演技ではない。
ちゃんと伝えてなかったオレが悪いんだがな。
反省はするが、それにしたってエミヤは鈍すぎる。今更のことではあるが。
「お前と一緒にいるってことが重要なんだよ、わかれよ」
「わからないんだが」
「おい、マジか」
こくりと頷くエミヤは本気だった。それに少なからずショックを受ける。
嘘だろおい、嘘だよな。いや、嘘じゃない。このきょとんとした顔、絶対本気でわかってない。
「少しもか?」
「ああ、少しも、全く」
迷いなくはっきりと答えたエミヤに、ランサーは頭が痛くなった。
「嘘だろ! お前なぁ!」
右拳を振り下ろしソファーへと叩きつける。それでも左手はしっかりとエミヤの右手を離さずに掴んだままだ。
「ラ、ランサー? どうしたんだ? 大丈夫か?」
ランサーの様子にオロオロしだすエミヤがランサーを心配しているのが伝わってくる。本当に、本気で少しもエミヤはわかっていない。
「お前、マジでわかんねぇの?」
「わからない。どうして君が私といることが重要なんだ? どうして君がそんなことを思うのかわからない。私のことなど」
「そんなのお前が好きだからに決まってんだろうが!」
エミヤの言葉に被せて怒鳴ると、エミヤが大きく目を見開いた。
「なんだよ、その驚いた顔は」
「え、あ……す、すまない。その好きという意味を考えていた」
何を考えるところがあるというのか。考える余地などない。
「はあ? 好きって言ったら好きってことだろうが」
ランサーの苛立ちに今までの冷静なエミヤはどこにいったのか。本当にランサーの言うことがわかっていなくて焦っているのだろう。ひどく困惑しているのが見てとれる。
「その、居心地のいい知り合いとして好いてくれているということだろうか」
「違うわ! オレの恋人になってくれってことだろうが!」
「どうしてそうなるんだ?」
訳がわからず動揺を見せるエミヤが瞳を揺らす。そこでパッとエミヤの手を離してやると、エミヤは自分の右手を左手でそっと包み込み、その手を小さく震わせた。悩ましげに眉を寄せたエミヤが何かを考え込む。
それから少ししてランサーと目を合わせたエミヤに、オレが言いたいこと絶対伝わってねぇんだろうな、とランサーは予想した。
「私の料理を気に入ってくれたのは本当にうれしいが、それで恋人になってくれとは……よく考えた方がいい」
果たして、それはあたった。
おそろしいことに、エミヤは本気で言っている。少し哀れみの感情の色が見えるのがまたきつい。
「違うっての! お前なぁ、んなわけねぇだろうが!」
「ではなぜ?」
「なぜだぁ? お前が好きなんだよ! 恋人になりたいって意味で!」
「君が私を好きになる理由がない」
呆然としてエミヤが答える。
「それはオレが決めることだ」
「君のそれは」
「オレの気持ちを勘違いと言い出したらこのまま襲う」
ぎろりと睨みつけるとエミヤが黙る。さすがに今の発言がランサーを怒らせたことは理解できたようだ。
ランサーがエミヤに少し身を寄せると、エミヤが移動してランサーとの距離を作る。それがおもしろくなくて、すぐにランサーはエミヤの右腕を掴み、自分へと引き寄せた。
「そんなはずはないんだが」
「は? お前」
「君が私を選ぶはずがない」
エミヤの心底信じられないという言葉に、ふざけんなという言葉を呑みこむ。
くそ、とやりきれない気持ちが込み上げてきた。
全然伝わってねぇじゃねぇか。
「どうして君のような人が私なんかを?」
「オレの好きな奴をなんか呼ばわりすんな、怒るぞ」
「痛っ……! もう怒ってるじゃないか」
思わず力を入れてしまい、エミヤの腕にランサーの指が食い込む。痛そうなエミヤに悪いとばかりに指を食い込ませて跡になってしまったところを軽く指先でさすると、びくりとエミヤが震えてそのまま身を引こうとしたのですぐにエミヤの両肩を掴んだ。
「お前があんまり自分のことを貶めるようなこと言うからよ」
「君にはもっとすばらしい人が」
もごもごと言うエミヤはランサーと目を合わせない。
「誰だよそれ。オレは、お前がいいんだよ。何でそんなこと言うんだ? 何か、オレはていよく断られてるってことか?」
「私が君を断るなんてありえない!」
伏せていた視線をパッと上げてランサーを見たエミヤに嘘は見えない。今のは思わず、といった様子だった。
「ありえねぇんだ」
ハッとしたエミヤが「いや今のは違うんだ」と否定するが、そんなことを今更言われたところで信じる訳がない。
そんなに必死になってるくせに、何が違うってんだ、コイツは。
頑固で融通が利かなくて自分のことをよくわかってなくて自分を貶めてオレを苛立たせる、困った奴だ。
その困った奴が、どうしようもないエミヤがオレは好きなんだ。
なんてかわいいくて、愛しい奴だ。
表情を緩めて顔を近づけていくランサーに、エミヤが違うと首を横に振った。
全く、無駄な抵抗をしてくれる。
「お前がオレを断るのはありえないって言っただろうが」
「違う、違うんだ! 今のは、そうじゃなくて」
「もう認めろよ。エミヤはオレが好きだろう?」
「違う!」
エミヤの悲壮な声に、ランサーは柔らかな笑みを湛えた。
「嘘つくなって」
「嘘じゃない」
「嘘だって言ってくれよ」
ランサーがエミヤの背中に腕をまわしてやんわりと抱き締めてから、エミヤの顔を覗き込む。
「なあ、オレを好きだよな」
「ランサー」
エミヤの声が震えている。どうしようと迷いがその瞳に表れている。
「お前がオレを好きだって言ってくれねぇとオレは辛くてたまんねぇんだ。だから、エミヤ」
お願いだ、と続けると、エミヤが戸惑いを見せた。
オレがちょっと弱った顔見せるとどうしようって悩んじまうくせに、それでどうしてオレが好きじゃないって言うんだ?
「オレを好きじゃないなんて、嘘だよな?」
「……ダメだ、ランサー」
「ダメじゃねぇよ」
エミヤの目元に口づけと落とすと、エミヤの白い睫が切なげにふるふると揺れる。
ああ、かわいいなぁ、コイツ。
とんでもなく愛しい。参った。本当に参った。
オレが参るから、頼むからオレを好きだって認めてくれよ。
「私では、ダメなんだ」
「ダメってのはお前が決めることじゃねぇつっただろうが」
本当に困った奴だとエミヤが愛しくて胸がいっぱいになる。
自分の右頬とエミヤの右頬を擦り合わせてから頬に唇を寄せる。間近で見つめるエミヤは狼狽を隠せていなかった。
「私を困らせないでくれ」
「オレを好きだって認めてくれよ」
「どうして……私は」
「なあ、好きだろう?」
ここが勝負どころだ。
ここで負けるわけにはいかない。
「君に私は」
「ふさわしくないとか言うな。オレがお前を好きだと言っている」
息を呑むエミヤの額に自分の額を軽くぶつけた。
「なあ、好きだ、エミヤ。お前も、オレを好きだと言ってくれ」
軽く唇を触れ合わすと、エミヤの褐色の肌でもわかるくらいエミヤの頬が赤くなって、瞳が潤む。
「好きだ、エミヤ。好きだ、好き、好き、好きなんだ」
好きと告げるたびに、ちゅ、ちゅとキスを落としていくと、だんだんエミヤが泣き出しそうな顔になっていく。それがかわいくてたまらなかった。
キスを止め、羞恥で震えるエミヤをじっと見つめる。
好きという気持ちが身体中を駆け巡っていて溢れ出してしまいそうなくらいだった。
早く、と強く望む。
早く、エミヤ。早く言ってくれ。オレが我慢できなくなりそうだから、早く。
ランサーは待った。大した時間ではないだろうが、しかしランサーにとっては長い時間を耐え、エミヤが口を開くのをひたすら待った。
「……降参だ、ランサー」
やがてエミヤが意を決した様子で小さく零す。緊張と期待でランサーがこくりと喉を鳴らした。
「私も君が好きだ」
「エミヤ……!」
うれしさのあまり、エミヤをソファーに押し倒す。ジタバタと暴れるエミヤを押さえつけ、馬乗りになったランサーがエミヤの唇に何度も口づけた。
もう逃がさない。絶対に、オレから離さない。
好きだという気持ちが溢れて止まらず、ランサーの下で少しだけ抵抗をしてみせるエミヤは本気で嫌がってはいない。羞恥でどうしようといった態である。
「なあ、エミヤ。オレと一緒に住もう」
「いきなり何を言っている」
「オレから逃げようとして、ここ解約したんだろ。で、オレはお前を離す気はない。だから、一緒に住もう」
「いや、しかし、そんな急に」
「だってお前、もうオレから逃げないよな? オレ達、気持ちが通じ合ったんだし?」
「いや、あの」
「ここで違うとか否定的なこと言い出したら本気で怒るからな」
にこりと笑うランサーが本気だということは伝わったようだ。抵抗をすっかりなくしたエミヤは、ランサーを警戒した様子で何を言おうかと躊躇っているようだ。
少し前までは完璧に通常を装えていたのに、ランサーの好意を受け入れ、そして好きだと認めてた今やもうエミヤは取り繕うことができない。
そういうところがたまらなくかわいい。
ランサーはエミヤの上から退き、エミヤの身体を引き起こして自分の隣に座らせた。
「オレと一緒に暮らしてください」
真剣に告げるランサーに、エミヤはもうごまかしはしなかった。
「それを君が後悔するかもしれない」
「しねぇと思うけど、お前は今はそれを信じらんねぇだろうから、まあそういうことでもいいから一緒に住んでくれ」
「よくはないだろう」
呆れたように零すエミヤにランサーが笑う。
「いいんだよ。なあ、オレさ、毎日毎日お前の作ってくれた料理を食べて、それでお前と一緒の時間を過ごして、お前の時間を独占したいんだ」
エミヤは照れてしまって、何か言いたそうにしているが口を動かすだけで声になっていない。
「お前がオレに言ってないこともあるだろうし、逆もあんだろうけど、でも、まあ知らねぇことは知っていきゃいいんだよ。そんなん気にする必要ねぇ」
「だが……」
「だってよ、オレはお前がいいんだから」
ランサーの手がエミヤの頬を包み込む。
「オレはどうしたってお前がいいんだ。どうしたって諦められねぇ。だから、オレに落ちてくれ」
ランサーからの口づけをエミヤは避けなかった。
「毎日オレのために味噌汁を作ってくれねぇか」
「……っ、君は、その意味がわかって使っているのだろうか」
「もちろん」
恥ずかしがるエミヤにランサーが満面の笑みを浮かべる。
エミヤは本当に弱っていた。その様子に、真面目に考えてくれているんだろうなとうれしくなる。
エミヤは今、ランサーと暮らすことがどういうことなのかをちゃんと受け入れ、考えてくれているのだ。だから困っているし、どうしていいかオロオロしているのだ。
そんなエミヤに愛しさが募る。
「なぁ、オレのお願い聞いてくれよ」
「君は、困った人だ」
「うん、それでいいから。な、エミヤ。いいだろう?」
耳元で囁けば、戸惑いをあらわに頬を染めるエミヤが小さな小さな声で「わかった。君と住む」と応じてくれた。
胸が詰まる。この歓喜をどう伝えればいいのか。
「エミヤ! 愛してる!」
抱きついてソファーに押し倒しても、今度はエミヤは抵抗はせず、ランサーからのキスを大人しく受け取った。
****
一緒に暮らすにあたり、ランサーは引越しすることも考えたのだが、エミヤがそんなことはしなくていいと言うのでとりあえずランサーのマンションで二人暮らしている。引越しはしなくていいとのことだったが、取り急ぎエミヤの部屋にあったような北欧デザインの家具を取り揃えた。エミヤの部屋にあった北欧スタイルのインテリアは居心地がよかったし、エミヤもああいうデザインが好きなようだ。
今まで寝泊りするだけの部屋だったが、エミヤがいることで急に華やぎ安らぎの場となった。その上、今までは会えない日があった上に、会っても夜だけだったのが、今は朝から会うことができる。おまけに、朝は起こしてくれて朝食も用意してくれているのだ。幸せいっぱいである。
エミヤは今は休養中らしく、いつかは紅茶屋をやめるつもりだったらしい。今回、ランサーから離れようとした時にやめるつもりだったらしいが、一緒に住むことになったので、とりあえずはそのまま続けるとのことだった。それにランサーは会ったことはないが、あの店の名義人であるエミヤの兄が時々紅茶を飲みにくるとのことで、それもすぐにやめない理由となっているようだ。
「まあオレは今の会社にいる間はあそこで働いてくれれば、お前に会いに行けるからうれしいけどよ」
「では、君があの会社にいる間はあそこで働こう」
あまりにあっさり決めるので、さすがに少し慌てる。
「おいおい、そんな簡単に決めていいのかよ」
「できれば誰かの役に立てるような仕事がいいが、私は自分にできる仕事なら何でもいいんでな」
「お前、何でもできそうだもんなぁ」
「そんなことないがね」
そうは言うが、おそらく基本的に器用なエミヤは大体のことはこなすだろう。
ソファーに座るエミヤの膝に頭をのせる、いわゆる膝枕をしてもらいながらランサーが背中を伸ばし、エミヤの腹に顔を寄せてその引き締まった腰に腕を回した。
「オレが家の仕事するようになったら絶対にお前のこと連れて行くんだが……あー、秘書とか、ボディガードとか、何だっていいんだがオレの傍におきてぇなぁ」
「君が望んでくれるならそれもいいな」
「本気にするぞ」
「ああ、構わない」
あまりにあっさりと言うエミヤは、本当にやってくれそうだ。
まずい。未来の約束をとりつけてしまって、うれしさに顔がにやける。
「そういうの、やったことあんのか?」
「さて、どうだろうな」
エミヤはランサーの頭を撫でてやさしい表情を浮かべている。撫でられるのは気持ちいいし、エミヤの手で触れられるのは好きだが、何だかごまかされているみたいだ。
「まぁいいか」
エミヤの腹にぎゅっと自分の頭を押し付けてから、ランサーは身体を起こしてエミヤの首筋に腕を絡めて密着した。
「いいぜ、言わなくても。今は教えてくれねぇみてぇだけど、これからずっと一緒にいるんだ。お前のことはだんだん知っていけばいい」
「私のことを知って、君が私を嫌になるかもしれないな」
「嫌になんねぇよ」
ばぁか、と右拳で軽くエミヤの額をコツンと叩く。
「お前な、そういうこと言うなら今すぐお前のことぜーんぶ調べ上げて、お前のこと大好きなままだってこと証明してやってもいいんだぜ? たとえば、お前の兄貴がオレの弟と付き合ってるとか、オレは昨日知ったんだぞ」
「付き合っているのか……?」
エミヤの反応にあれ? と首を傾げる。
「私も知らなかったな。兄はそういったことは言っていなかったし、その、君の弟とは一緒には住んでいるがおそらく付き合っているとは思っていないのではないだろうか」
ものすごく申し訳なさそうに言うエミヤの言葉は真実味がある。
「うわ、マジかよ。アイツかなり好きだぞ。お前の兄貴のこと」
「それを私に言われてもな。兄は少し、その……人を信じないところがあるというか、自分が誰かに好かれるとは考えられないというか」
「何だそれ。お前と同じじゃねぇか」
思わず笑ってしまうと、エミヤから「同じじゃない」と少し拗ねたように返ってきたのがかわいくて、エミヤに軽く触れ合うだけのキスをおくる。
「オレの溢れる愛でお前を満たしてやるから覚悟しておけ」
「楽しみにしている」
笑い合い、どちらともなく顔を近づけ唇を合わせる。キスは挨拶。愛情のあかし。だから毎日するし二人きりでいるこの部屋ではいつだってしたい時にすると伝え、それを実行してきた結果、エミヤはランサーからのキスをはにかみながらも幸せそうに受け取ってくれるようになった。
それでもまだオレの気持ちを信じてねぇんだろうがな。
この疑り深い男に愛を信じさせるのは一苦労だが、それを嫌になったりやめたくなったりは全くしない。むしろ、やりがいがある。
何しろ、ずっと共にいるのだ。一生かかってもいいんだしな。
覚悟していろよ。
Comments
- 月城 紗弥November 6, 2023
- November 5, 2023
- June 14, 2022