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【新刊サンプル】最後には幸せが待っている【12/31槍弓のコピ本2】/Novel by 田中M

【新刊サンプル】最後には幸せが待っている【12/31槍弓のコピ本2】

27,697 character(s)55 mins

弓と恋人だったことを覚えていない槍が、弓と一緒にレイシフトする話。

12月31日15:00からpictSQUAREで開催されるオンライイベント
「槍弓のコピ本2」で頒布予定の新刊サンプルです。
https://pictsquare.net/074lg8f1vl1zt8uw10palvxuxvk50yir

boothで再販しております。
よろしくお願いいたします!(6/7追記)
https://tanakaemuemu.booth.pm/items/2544501
→完売しました!ありがとうございました!

以下詳細↓

<詳細>
「最後には幸せが待っている」
文庫サイズ/192P
900円+送料

モブ視点槍弓にセフレ槍弓、記憶喪失のふりをする弓に、恋人だったことを覚えていない槍。
ハッピーエンドの話ばかりを7話集めた、全年齢向けの槍弓短編集です。
全体のサンプルはこちら illust/86532093

表題作の「最後には幸せが待っている」の一部をサンプルとして載せます。
以下の点のご確認をお願いいたします。
*キャス影弓と、匂わす程度の狂王黒弓の描写があります。
「最後には幸せが待っている」の第二章で、槍が弓以外のサーヴァントとの行為を匂わせるような発言や行動をします。該当箇所をサンプルとしてあげているので、事前に大丈夫かどうかのご確認をお願いいたします。

*サンプルには画面で読みやすいように文章の途中やセリフの前後に空白を入れていますが、本にはありません。

12/26 サンプル少し追加しました。

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第一章
 
アーチャー・エミヤには、ランサーのクー・フーリンと恋人だった記憶がある。

サーヴァントは召喚のたびに新しい分霊として生まれ、前の召喚の記憶は有しない。
だが、カルデアに召喚されたエミヤは、初めからランサーのクー・フーリンとの記憶を持っていた。
様々な聖杯戦争で刃を交えたこと。同じ陣営で戦ったこと。聖杯戦争のない平和な世界で、人に交じって生活したこと。恋人として愛されたこと。
男との様々な記憶が、エミヤの中にしっかりと残されていた。

だが、このカルデアにおいて、エミヤとランサーの関係は、記憶の中のように良好なものではなかった。
そもそもカルデアで、エミヤと男が関わる時間は圧倒的に少なかった。
通常の聖杯戦争で召喚されるサーヴァントは七騎。
いつかの冬木で召喚された時も、サーヴァントの数は両手で足りるくらいだった。
だが、このカルデアにはその時と比べ物にならないほど多くのサーヴァントがいる。もちろん、男と同じ時代を生きたサーヴァントもいた。
それらを押し除けてまで男と話す用事が、今のエミヤにはなかった。

共にレイシフトすることがあれば会話もできるが、召喚されたばかりの頃、エミヤはいつもの調子でマスターに、彼と同じ編成にしないように言ってしまった。
その為、真面目なマスターは、それを今でも忠実に守ってくれている。
また、冬木ではよく男にねだられてやっていた手合わせも、このカルデアにはエミヤ以外にも彼の手合わせの相手をしてくれるサーヴァントは山のようにいる。訓練用のシミュレーターもある為、エミヤがその相手になる必要がない。

あと、唯一チャンスがあるとすれば食堂だ。
エミヤはカルデアで調理を担当しており、食事時はキッチンに入り、スタッフやサーヴァントから料理の注文を受ける。その時、彼がエミヤに料理の注文をしてくれれば、そのついでに軽い会話をすることができる。
だが、そのように料理の注文を受けているのはエミヤだけではない。ブーディカやタマモキャットも、エミヤの隣で同じ仕事をしている。だから、彼がそっちに行ってしまえば、エミヤは声をかけることができなくなる。
また、食べ終えた食器をキッチンカウンターに返しに来た時も、自然と会話をするチャンスだ。ここが一番彼と言葉を交わしやすいタイミングだが、エミヤが他の注文を受けていて忙しければ、彼が来たことに気付けないこともあった。

だからエミヤは、このカルデアで、今までほど彼と関わりを持てていない。
エミヤはこの現状を、少し寂しく感じていた。
冬木にいた頃は、こんなことで頭を悩ませたことなどなかった。
あの頃の男の居場所は、だいたい決まっていた。アルバイトをしている店か、お気に入りの釣り場である港か、寝泊りしていたテント。もしくは教会だ。
エミヤがそこに訪ねていけば、男はめんどくさそうにしながらも、なんだかんだ相手をしてくれた。暇つぶしに手合わせに誘われたこともあった。
そんな日々を重ねていくうちに、エミヤはランサーと恋人になれたのだ。
それが今では。
思い出して、エミヤは溜め息を吐きそうになった。

しかも不幸なことに、久しぶりに会話をしようとすると妙に緊張してしまい、変に突っかかってしまうのだ。そのせいで男とくだらないことで喧嘩することが増え、顔を合わせるたびに険悪な雰囲気になる。
これでは、あの頃のような関係を築くなど夢のまた夢だ。
いや、それどころか、本気であの男に嫌われてしまうだろう。
それだけは、なんとしてでも避けたかった。

だから、エミヤは意図的に彼と距離を取るようにした。
カルデアにいる他のサーヴァントの中に紛れるように、自分から彼に関わるのはやめた。
関わらなければ、彼から嫌われることもない。これ以上、失望されることもない。

エミヤは今も彼が好きだった。
いつかの現界で、エミヤは確かに彼と付き合っていた。その記憶もある。
だからどうした。恋人だったのは、あくまで過去に召喚されたエミヤと彼の話で、今の自分達とは関係ない。ただ、それだけの話。
また恋人になりたいなどとは思わない。この状況でそんなことを考えられるほど、エミヤは能天気ではない。
今は、これが自分と彼との適正な距離なのだ。
同じ陣営で戦えるだけ、幸運に思わなくてはいけない。

間違えるな。エミヤがここにいる理由は人理修復の為だ。エミヤの恋などどうでもいい。
エミヤと彼の関係など、こんなふうにあっけなく埋もれてしまう程度のものだったのだ。
だが、それを寂しいと感じてしまう自分は、多分どこかで、自分はあの男の特別なのだと自惚れていたのかもしれない。
 
 
  *
 
 
ある日、エミヤはカルデアに来てから初めて、彼と共にレイシフトすることになった。
場所はフランス。オルレアンにできた小さな特異点だ。

出発前、エミヤはマスターの藤丸立香に、ごめんね、と申し訳なさそうに謝られた。
気にしなくていい、と平静を装って答えたエミヤだったが、胸の中は久しぶりに彼と共に戦える嬉しさでいっぱいだった。
この編成を決めたマスターには、後でこっそりパフェを作ってやることにしよう。
そう喜んでいたのも束の間、レイシフトの為、管制室にやってきた彼の顔を見た瞬間、エミヤの体は無意識に強張った。
彼と一緒にいるのが久しぶり過ぎて、一体どう話したらいいのかわからない。
下手に何か言えば、彼と険悪な雰囲気になってしまうかもしれない。
ここにいるのは彼だけではない。他のサーヴァントもいる。
自分のせいで、チームの雰囲気を悪くするわけにはいかない。
だから、エミヤはなるべく彼から離れ、必要以上に口を開かないようにした。

特異点の原因になるのは、主に聖杯だ。
エミヤ達はその情報を求め、レイシフトした地点のそばにあった町で聞き込みをした。すると、どうやら近くの森に魔物が出るようになったらしい。
教えてくれたのは、町に長く住んでいるという老婆だった。

「今まで多くの被害が出ておる。ただ魔物じゃない。こっちの記憶を読み取って、親しい人間に化けて森の奥に誘い、人を食べるのだ。一度は大人達が協力して、人間に化けたそいつに騙されたふりをして逆に町に誘き寄せ、倒したんだ。それなのに被害がおさまらない」

未だに何人も森から帰ってこないのだ、老婆は鎮痛な面持ちで言った。

「それは遭難しているのではなく?」

聞いたのは、通信機の向こうにいるレオナルド・ダ・ヴィンチだった。

「あぁ、この町に住む人間は子どもの頃からあの森で遊んでいる。迷うことなどない」

老婆はきっぱりと言い切った。
ふぅむ、とダヴィンチは言った。

「人間に化けているその魔物を倒したのに、まだ被害が出ている。そして、魔物は人間をその場で食べずに、わざわざ森の奥に誘う、ということは、もしかしたら森の奥に魔物の本体があるのかもしれないね」
「人間に化けているのは魔物そのものじゃないってこと?」

マスターが首を傾げる。

「餌を捕りやすくするために、体の一部を端末化したものかもしれない。実体のある分身みたいなものだと思えばいいかな。森の中を調べてみないことには、まだ何とも言えないけど」
「つまり、森の奥にいる魔物の本体を倒せば、この町の方の心配はなくなるのね?」

そう言ったのは、一緒にレイシフトしていたフランス皇女、マリー・アントワネットだ。

「まぁ、そうだね。それに、突然そんな強力な魔物が自然発生するとは考えにくいから、それが特異点の原因になる聖杯を持っている可能性は十分にある」
「わかった。じゃあ、まずは森に行ってみよう」

マスターの言葉に、同行していたニトクリスや茶々も頷く。
エミヤ達は老婆に礼をいい、木々が鬱蒼と茂る森に向かった。

 


森の中は、異様な気配が充満していた。
一歩進むごとに、腐敗した果物のような匂いが鼻をつく。重たく澱んだ空気が、これ以上進ませまいと、体中にまとわりついてくる。
それらを振り払いながらたどり着いた森の奥地には、ダヴィンチの予想通り、魔物の本体があった。

朽ち果てる寸前の巨木のような体躯。その足元には、この魔物に食べられたと思われる様々な生き物達の骨が散らばっていた。
魔物の本体に足らしい足はなく、太い幹のような胴体がしっかりと地面に埋まっている。
確かにこれでは動けない、とエミヤは思った。だから端末を使って、わざわざここまで人を連れてきていたのだろう。

その魔物は、エミヤ達の手によってあっさりと倒された。
それなりに腕の立つ魔物ではあったが、エミヤ達の敵ではなかった。
これでこの特異点も解決かと思っていたが、肝心の聖杯がどこを探しても見つからない。
あの魔物が特異点の原因ではなかったのだろうか。
行き詰まったエミヤ達は、ひとまず町に戻ることにした。
何か見落とした情報がないかと再び町で聞き込みをしたが、有力なものは得られないまま陽が落ち、その日は町の宿に泊まることになった。

エミヤはどうも釈然としなかった。
町の人間を多く食ったという魔物が、あんなにもあっさり倒されたことが妙にひっかかる。
だからエミヤはマスター達が眠った後、こっそり宿を抜け出し、再び森に向かった。

 


夜の森は想像以上に静かだった。
昼間感じた重苦しい気配も、異様な臭気も治まってはいるが、辺りには霧が立ちこめていて、鳥の声もしない。まるで海の中のようだった。

エミヤは辺りを注意深く観察しながら、一歩一歩森の奥に進んでいく。
昼間に倒した魔物が聖杯持っていたかはわからない。
もしかしたら、また別の何かが件の魔物を隠れ蓑にして聖杯を所持している可能性はある。
だが、もし、昼に倒した魔物が本当に聖杯を持っていたとしたら。
あの魔物は自分の一部を切り離して端末にし、それを使って人間を森に誘い込んでいた。
ならばエミヤ達に倒される前に、その端末に魔物の本体をこっそり移し、聖杯と共に逃げることくらいできるのではないだろうか。
もちろん、これはエミヤの想像だ。もしかしたら見当違いかもしれない。
それならばそれでいい。それを確かめられるだけでも立派な成果だ。

ぱき、とエミヤの足元で枝が折れる。
その音が、静かな森の中に異様に大きく響いた。
もし聖杯を持った魔物の一部が、まだこの森に潜んでいるのならば、自分をこんな目に合わせたエミヤ達を、きっと恨んでいるだろう。
この魔物にどこまでの知性があるかはわからない。だが自分の仇が、のこのこと一人で目の前に現れれば、なんとかやり返したいと思うはずだ。
全員を殺すのは不可能でも、一人くらいなら、と思ってくれたらエミヤの勝ちだ。
出てきたところをもう一度倒せばいいし、何もないならないで、それでもいい。
結局のところ、これはただのエミヤの自己満足に過ぎないのだ。もし何かがあった時、それを見逃すのが嫌なだけで。

「なんだ、お前も来てたのか」

突如、横から声がした。
驚いた表情を出さぬようにそちらを向けば、そこには宿にいるはずのランサーがいた。

「……何故ここに?」
「お前が一人で森に入っていくのが見えて、気になってな。どうしたんだ?こんな夜中に」
「ただの見回りだ」
「そっか、ならオレも手伝うぜ」

そう言って男はエミヤににかっと笑いかけた。
その表情ですぐにわかった。
この男は偽物だ。
まずエミヤを見る目が違う。エミヤはカルデアに来てから、こんな優しい目を男に向けられたことはない。
なるほど、魔物はエミヤの相手としてこの男を選んだのか。
相手の記憶を覗き見して、その相手に化けるというのは本当らしい。
エミヤの目論見通り、魔物はのこのことエミヤの前に姿を現してくれたようだ。

「私一人で十分だ。宿に戻れ」
「つれねぇこと言うなよ。一緒に行こうぜ」

甘えるような声音。それに合わせて、男の目尻がとろりと下がる。
そんなふうに男に話しかけられたことなど、今のエミヤにはない。
カルデアでのあの男は、いつもエミヤの言葉を嫌そうに聞き、鬱陶しそうにこちらを見る。
こんなふうに引き止められたことなどない。

「なぁ、アーチャー」
「……なんだ?」
「腹減らねぇ?」
「減らない」

素気無いエミヤの返答に、男はそっか、と残念そうに肩を落とす。
その男はそんなにわかりやすく落ち込んだ顔などしない。そう言いたくなるのを、エミヤはぐっと堪える。
ダメ出しをしてどうする。エミヤはこれから、これを討伐しなくてはならないのだ。

「なぁ、アーチャー」

再び横から話しかけられる。

「なんだ?」
「手合わせしねぇ?」
「しない」

この状況でするわけがないだろう。
一体エミヤのどんな記憶を読み取ったら、そんな男が出来上がるのか。誘い方が雑すぎる。
いくらエミヤでも、そんなことでほいほい騙されてついていくわけがない。

「なぁ、アーチャー。なぁ、なぁ」

そもそもあの男が、こんなにエミヤにかまってくることなどないのだ。
溜め息を吐きたいのを堪え、なんだ、と、エミヤは声を絞り出す。

「アーチャーはオレが偽物だってこと、もうわかってんだろ?」

その発言に、エミヤは正直驚いた。
思わず顔を見れば、ランサーの顔をした男はエミヤに向かって妖しく微笑んでいた。

「……自ら種明かしをしていいのかね?」
「ああ。別にこれで騙し切れると思ってないしな」

それはランサーと同じ顔で、おかしそうにけらけらと笑った。

「でもな、アーチャー。お前が教えてくれるなら、オレはお前の理想通りのオレになれるぞ」

あの男とそっくりな赤い目が、エミヤの前でぐにゃりと弧を描く。

「お前が望むように動き、お前が欲する言葉をお前に言ってやる」

なるほど、そういう誘い方をしてくるのか。
この魔物の手口が少し見えた気がした。
いくらそっくりに化けたところで、わかる者には偽物だとわかるだろう。
だからそれを逆手に取り、あくまで偽物だが、お前の望むように振る舞ってやることができると言って誑かしていたのだ。

「……ほう、私の望み通りに動いてくれると」
「あぁ。その代わり、オレに少し血を分けてくれないか?」

男の顔をした魔物はそう言った。

「別に全部は搾り取らねぇよ。ちょっとでいい」
「それで貴様は満足するのか?」
「お前達が焼き払ってくれたおかげで体が小さくなったからな」

魔物が男そっくりな顔で、からりと笑う。

「言い訳じゃねぇが、オレだってあの町の人間すべてを食い尽くすつもりはなかった。だって、そんなことをしたら餌がなくなっちまうだろ?だから、オレは今まで人間に交渉を持ちかけていたんだ」
「交渉だと?」
「あぁ。お前の望む通りに化けて、お前の望む通りに動いてやる。その代わりに、少し血を分けてくれと」

子を失った母には子の姿に。愛する妹を亡くした姉には妹の姿に。恋に敗れた者には、その恋する相手に。それぞれ化けてやって、望む言葉を囁いてやった。

「はじめはみんな快く血を分けてくれるんだがな。そのうちオレに会いに森に入り浸るようになり、家に帰りたがらなくなった」

家に帰りたくない。ずっとここにいたい。その姿で、ずっと自分を愛して欲しい。
現実から逃避するように、人間達は魔物に懇願してきた。
だが、魔物としてもそれは困る。ずっと居付かれては人に見つかりやすくなってしまうし、そのせいで退治されてしまうかもしれない。
だから言った。これ以上一緒にいると全部食べてしまうぞ、と。
人間達はこう言った。
じゃあ、全部食べてくれ。もう生きていたくない。あの子がいない世界に、これ以上ひとりでいたくない。
泣きながら、そう懇願された。それでも断ったら、目の前で命を絶たれたこともあった。
そうやって人間を食べていくうちに、あんなに太っちまった、と魔物は笑った。

多分、その人間達はこの魔物が見せる幻に依存してしまったのだろう、とエミヤは思う。
ひと時の優しい嘘から抜け出せなくなって、現実に戻るくらいなら、と命を絶った。

「……つまり、何が言いたい」
「アーチャーは、オレに依存しないだろう?」

赤く歪んだ三日月が、エミヤを見る。

「お前はいくらオレが好き、愛してるって言っても信じないだろう?」
「あぁ」
「だから、安心かなって」

男に化けた魔物は、へらりと笑った。

「なぁ、アーチャー。ちょっと血を分けてくれよ」

甘えるように言ってくる魔物を、エミヤは黙って見る。
つまり、この魔物の言い分によると、欲しいのは少量の血液だけ。それさえあれば、必要以上に人間を襲うつもりはない。今までだって殺すつもりはなく、人間の方が魔物に依存して自ら進んで身を捧げていたと。
エミヤは少し考えてから口を開いた。

「……ちょっととはどれくらいだ?」
「えっ、分けてくれるのか?」

偽物のランサーの顔がパッと明るくなる。

「量にもよる。どのくらいあれば何日ほど保つのだ?」
「ちょっと!本当にちょっと!えーと、ひと口くらい!」

子どものようにパクパクと口を開けて指を差すその姿に、思わずエミヤはふき出してしまった。
あの男は、こんなに可愛らしい表情はしない。本人とあまりにかけ離れた姿に、エミヤはつい笑ってしまった。

「なんで笑うんだよ」
「ふっ、ふふっ、すまない。笑うつもりは」

なかった、と言おうとした時、エミヤは風を切る音を聞いた。

「それはオレじゃねぇよ、弓兵」

冷え切った金属のような声。耳元を風が通り過ぎる。
次の瞬間、嫌と言うほど見覚えのある朱槍が、エミヤの前にいた男に突き刺さった。
ぴし、ぴし、と男の体にみるみる罅が入っていく。その表面がぱらぱらと剥がれ落ち、中から顔をのぞかせたのは、うじゅうじゅと不気味に蠢く木の根の集合体だ。
男を貫いた槍は、素知らぬ顔でエミヤの後ろに戻っていく。

エミヤは舌打ちをひとつ。
素早く手に慣れた夫婦刀を投影し、男だったものの胴体を容赦なく切り裂いた。

刹那の後、おぞましい絶叫が森全体に響きわたる。
男の形を作っていた木の根が、端から黒い粒子となって消えていく。
その姿がどんどん小さくなっていき、最後に残ったのはピンク色の小さな肉の塊だった。
ぼとりと力なく地面に落ち、ぴくぴくと痙攣するそれを、エミヤは冷たく見下ろす。
おそらく、これが町の住民を脅かした魔物の本体だろう。

さっきまで魔物は、ちょっと血を分けてくれるだけでいい、と言っていた。
だが、エミヤは気付いていた。
抑えきれない剥き出しの殺気が、ずっとエミヤに刺さり続けていたことに。
おそらく魔物も、今まではもう少し上手く殺気を隠していたのかもしれない。
だがエミヤの予想通り、昼にエミヤ達にやられたことが相当頭にきていたのだろう。隙を見てエミヤを食べようとしているのが丸わかりだった。
さっき魔物が言ったことも、どこまで本当のことはわからない。エミヤを油断させるための嘘の可能性もある。

エミヤは魔物にとどめを刺すため、一歩前に出た。
すると、足元で醜く震えていたそれは、最後の力を振り絞って何かの形を作ろうとした。
今更何に変わろうというのだろう。
冷めた目でそれを眺めながら、エミヤは夫婦刀を握りなおす。

出来上がったものは、人の手だった。褐色の、男の手。エミヤのものとよく似ている。
それが助けを求めるかのように、ぐらりと持ち上がった。
最後に同じ顔に化けて、エミヤの動揺を誘うつもりなのだろうか。
見くびられたものだ。今更そんなものに釣られるわけがない。
エミヤは容赦なく刃を振り下ろす。
だがその前に、真上から降ってきた朱槍が呆気なくそれを貫いた。
小さな悲鳴を上げ、それはぼろりと崩れていった。
森を覆っていた霧も、ずっとエミヤにまとわりついていた殺気も消える。

からん、と音がした。
見ると、さっきまで魔物がいたところに聖杯が転がっている。
やはり、あの魔物が隠し持っていたらしい。
エミヤはそれを拾い上げる。
これで魔物退治は完了だ。もう町の人間が襲われることもないだろう。
エミヤはふぅと息を吐き、槍と共に上から降ってきた男をぎろりと睨みつける。

「何故ここにいる。留守番もできないのか」
「テメェこそ、夜中に抜け出して何やってんだよ」

エミヤの前にあるのは、嫌味なほど美しい青い絹糸と紅玉。
本物のランサーのクー・フーリンが、苛立ったような目でエミヤを見ていた。
先程の偽物とは違う棘のある視線。
どう見てもこっちが本物だ。
エミヤは自嘲するように唇を歪める。

「何、取りこぼしがないか確認にきただけだ。どうやら当たりだったようだが」
「ふぅん。それにしては随分と楽しげに話していたじゃねぇか」
「多少友好的なふりをした方が尻尾を出すと思っただけだ。偽物だということくらいわかっていたさ。私が探していたのは魔物の本体だ。だから、あれが本体だと確信が持てるまでは泳がせるつもりだったのだが」

その確証が得られる前に、男の槍で貫かれてしまったのだ。
全く、とエミヤは腕を組む。

「それにしても、あまりにも野蛮ではないかね。あれが本体だったからよかったものの、もしあれがただの端末だったら、本体を探すのがまた面倒になる。そんなに自分の偽物が、にこやかに私と話しているのが気に食わなかったか」
「ああ。虫唾が走る」

そんなにか。
思わず男を見れば、男は相変わらずひどく苛立った表情をしていた。
そこまで嫌われていたとは知らなかった。
いや、好かれてはいないと思ってはいたが、偽物の自分がエミヤと和やかに話しているだけで、機嫌を損ねて槍を投げてくるほどとは思わなかった。
ざくりと胸を抉られたような気がした。
その痛みを無視し、エミヤは口の端を上げる。

「それはそれは。気分を害したようで悪かった。私もまさか君の姿になって出てくると思ってなかったのでな。昼の討伐の時に一緒に行動していたから騙せるとでも思ったのだろう。私も随分舐められたものだ」

ぺらぺらと話しながら、エミヤは町に向かって歩き出す。
男が気付いたのなら、他のメンバーもエミヤがいないことに気付いているかもしれない。ならば、なるべく早く戻った方がいいだろう。
どこか不満そうな顔をした男も、黙ってエミヤの後をついてきた。

「……で、あれと何を話していたんだ?」
「聞いてなかったのか?」
「ああ」

聞く前に槍を放ってきたのか。随分と頭に血が上っていたらしい。

「ただの世間話だ。それに、あれは最初から自分が偽物だと白状していたよ」
「そうなのか?」
「あぁ。そうした方が私の信頼を得られやすいと判断したのだろう。だから安心したまえ。別に私は、君と思ってにこやかに話をしていたわけではない」

そんな馴れ馴れしい態度を、今の男にとれるわけがない。
今のエミヤと男は、そんな親しい関係ではないのだ。
エミヤの言葉に、男は非常に複雑な顔をした。怒っているような、悔しがっているような、非常に形容し難い表情だった。
そしてそれらを全て押し込めるように、男が口元を歪める。

「なるほど。てっきりオレはお前が騙されているとばかり思っていたぜ」
「それは杞憂だったな。私が、君に向かってあんな風に話すわけがないだろう」
「ああ、そうだな」

間違いを指摘されて嫌だったのか、男はそう答えた後、忌々しげに舌打ちをした。
その音が、静かな森にこだまする。

「さっさと戻るぞ。のんびり歩いていては夜が明けてしまう。聖杯も届けなくては」
「……ああ」

エミヤは一息に木の上まで飛ぶ。
男も少し遅れて飛び上がるのが見えた。その眉間には深い皺が寄っていて。
全く、機嫌が悪くなるくらいなら来なければいいものの。
自分一人で十分だったのに。それとも、エミヤがいなくなったことに気付いたマスターに見てくるようにでも言われたのだろうか。
全く、彼女も心配性なことだ。
あんな殺気もダダ漏れのクオリティの低い偽物に、エミヤが騙されるはずがないだろう。

『お前が教えてくれるなら、オレはお前の理想通りのオレになれるぞ』

偽物の男の声がじわりと頭に響く。
なってもらったところで、結局のところ、それは偽物でしかない。
本物はエミヤのことを毛嫌いしたまま。そんなもの嬉しくもなんともない。
エミヤが欲しいのはひとつだけ。絶対手に入らない、誇り高きエミヤの英雄。
もしあの魔物が彼の前に現れたなら、それは一体どんな姿をしていたのだろう。
過去に愛した姫だろうか。それとも彼の親友だろうか。
エミヤにはわからない。
だが、それを本人に問う気にもなれない。これ以上自ら傷付く趣味はない。

「全く、君に化けてどうしようというんだろうな」

森を見下ろし、消えていった魔物を蔑むように言う。
その言葉を拾ったランサーは、そうだな、と小さく呟き、そっと目を伏せた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  第二章
 
 
「なあ、叔父貴。今夜、一発やらねぇか?」

その発言を聞いた時、エミヤは自分の耳を疑った。


それは夜の食堂でのこと。
エミヤが片付けをしていると、キャスターのクー・フーリンとフェルグスが、食堂に酒の肴をねだりにやってきた。どうやら今日はケルトのメンバーで飲んでいるらしい。
こんなふうに、酒の肴をねだりにエミヤの元に来るサーヴァントは少なくない。
だから今日も、エミヤはいつものように簡単な料理をいくつか作ってやっていた。
そこに、珍しくランサーのクー・フーリンがやってきた。
多分、彼も一緒に飲んでいたのだろう。勝手に行くなよ、と拗ねた顔でキャスターとフェルグスに声をかけ、ふとエミヤがいることに気付き、一瞬動きを止めた。

「なんだ、いたのか」

いたら悪いのか。ここに自分がいたら、何か不都合でもあるのか。
そう言い返したくなるのをぐっと堪え、エミヤはランサーから視線を外したまま、ああ、と答えた。
エミヤが変に言い返すから喧嘩になるのだ。
だからエミヤは、必要以上に男と言葉を交わさないようにしていた。
エミヤの予想通り、男はそれ以上エミヤに何も言わず、フェルグス達との会話に戻った。

そうだ。これでいい。
こうしておけば、男はエミヤと口喧嘩をして嫌な気分にはならないし、エミヤもこれ以上男に嫌われることはない。
胸中で暴れまわる寂しさを飲み込み、出来上がった料理の皿をカウンターの上に置いた時、その向こうでランサーが言った。
「なあ、叔父貴。今夜、一発やらねぇか?」と。
あまりに明け透けな発言に、思わずエミヤは手を止め、男を見てしまった。
その視線に気付いたランサーが、何見てんだ、と訝しげに言ってくる。

「いや、見もするだろう。公共の場で何という発言をしているのだ。今ここに私達しかいないからいいものの、間違ってマスターや子どもの姿をしたサーヴァント達の耳に入ったらどうする。もう少し考えて発言したまえ」

そうエミヤが言い返せば、彼は目をぱちぱちと瞬かせた後、突然げらげらと笑い始めた。
まさかの反応に、エミヤは呆気に取られた。
この男がどうかしたのかと思い、他の二人を見れば、キャスターは手で口元を隠して肩を震わせているし、フェルグスは隠そうともせず豪快に笑っていた。

「お前、何勘違いしてるんだよ。手合わせだよ、手合わせ。このムッツリめ」

ひーひー笑いながら言われたランサーの言葉で、エミヤは自分の勘違いに気付いた。
次の瞬間、とんでもない羞恥がエミヤを襲う。
なんとか誤魔化そうと、紛らわしい言い方をするな、と言い返すが、当の男はおかしそうに笑ったまま。ランサーがこんな笑っている様を間近で見るのは久しぶりだが、今は喜びよりも気まずさが勝っている。
羞恥に耐えきれず、怒鳴ろうとした時、フェルグスが、まぁまぁ、とエミヤをなだめた。

「確かに紛らわしい言い方ではあったな。エミヤ殿が勘違いするのも無理はない。ちなみに、オレはどっちでもかまわんが」

はっはっは、と場を和ますように彼は言った。
フォローするようなその言葉に、エミヤの気まずさと恥ずかしさがほんの少し中和される。
そうだ、落ち着け、エミヤ。彼と必要以上関わらないと決めたのだろう。ならば、ここはこれ以上言い返さずに流した方がいい。
フェルグス殿がそう言うなら、とエミヤが渋々引き下がろうとした。
その時、ばちり、と、かの男と目が合った。
ほんの一瞬。だけど、エミヤには妙に長く感じる時間だった。
視線を外したランサーは少し考えた後、フェルグスに向かってさらりと言った。

「じゃあ、手合わせついでに、そっちの相手もしてもらおうかね」

その思わぬ言葉に、今度こそエミヤは自分の耳を疑った。
フェルグスが誰かを誘うことはよくあることだった。エミヤだって、その場面を何度も見たことがある。
だが、それを彼が受け入れるなんて思ってもみなかった。
おそらくエミヤは、彼が自分以外の誰かと寝ることなどないと、無意識に思い込んでいたのかもしれない。だから、こんなにも動揺しているのだ。
荒れ狂う内を必死に押し殺し、エミヤはいつもの不機嫌そうな顔を作った。

「……だから、そういう下世話な話は部屋でやれと言っているだろう」

あくまでマナー違反を咎めるように。
腕を組み、眉間に皺を寄せる顔からは、エミヤがひどく動揺していることなど読み取れないだろう。
エミヤの言葉に、ランサーが鬱陶しそうに顔を歪ませる。

「あー、もう。いちいちうるせぇなぁ。聞いてんじゃねぇよ」
「聞かせているのはそっちだろう。さっきも言ったが、ここにいつマスターが来るかわからないんだぞ」

止まらない。止まらない。
動揺のせいか、男を責める言葉が口からとめどなく飛び出してくる。
このままでは、いつもの二の舞だ。また喧嘩をしてしまう。男に鬱陶しがられてしまう。
男の顔も、どんどんと険しいものに変わっていく。

「いいじゃねぇか。来なかったんだから」
「結果論でまとめるんじゃない。常日頃から気を付けろと言っているのだ」
「だから、マスターや子どものサーヴァントがいるときは気を付けてるっつってんだろ」
「さっきの発言が気を付けてる者の言葉か?」
「わかった、わかったから、二人とも落ち着け」

カウンターを挟んで睨み合うエミヤとランサーを制したのは、キャスターだった。

「槍持ちのオレには、オレからこんな場所で紛らわしい会話をしたことはちゃんと注意しておく。それでいいだろ?ほら、テメェも酒の肴が欲しいなら、いつまでも突っかかってないで、さっさとそれ持てよ」

そう言って、キャスターはカウンターの上に置かれていた皿を指差した。
エミヤとの口論を遮られたランサーは、ひどく不機嫌そうに自分と同じ顔を睨みつけた。

「オレは突っかかってねぇよ。どう見ても突っかかってきたのはあっちだろ」
「あー、うるせぇ、うるせぇ。要らないなら、オレが全部食うぞ」
「……チッ」

ランサーは苛立たしげに舌打ちをし、カウンターにのっている皿をひったくった。そして、くるりとエミヤに背を向け、そのまま食堂から出て行ってしまった。
それを見送った後、フェルグスが苦笑いを溢した。

「すまんな、エミヤ殿」
「……貴殿のせいではない。私も酒盛りの雰囲気に水をさしてしまった」
「お前が気にすることじゃねぇよ。皿は食堂に戻しておくから。つまみ、サンキューな」

フェルグスとキャスターはそう言い残し、ランサーの後を追うように食堂から出て行った。
気配と足音が遠ざかり、食堂に静寂が戻ってくる。
一人になったエミヤは、さっきまでのことを払うように首を振った。
もうさっさと片付けて部屋に戻ろう。
そう思って布巾を手に取るが、先程の会話が泡のようにぷかりと頭に浮かんでくる。

ランサーは今日、フェルグスと寝ると言っていた。性行為をすると。
悪びれなく、エミヤの前でそう言った。
それはそうだ。確かに過去の現界で恋人だったことはあるが、今のエミヤとランサーは恋人同士でもなんでもない。その行為をエミヤが咎める権利はない。
全部わかっていたことだ。覚悟していたことだった。
だけど、こうして目の前で恋した相手が別の相手と関係を持とうとするのを見るのは、想像以上にエミヤの胸を抉った。

自身を慰めるように、頭が勝手に過去の記憶を掘り起こす。
思い出すのは、彼と恋人だったいつかの冬木の時のもの。
槍を握る彼の手が、エミヤの頬に触れる。敵を睨むあの鋭い目が、とろりと溶けてエミヤを見る。彼の口から、エミヤへの愛の言葉が紡がれる。
そんな贅沢な思いを、いつかの自分はしていたのだ。
記憶を辿るたび、エミヤの体の奥が、ぎゅうと締め上げられるように熱くなる。
あの男と触れ合いたい。あの目で自分を見てほしい。あの熱を感じたい。
だけど、このカルデアでその想いが成就することはない。
今の彼は、エミヤのことなど好きでもなんでもない。
彼にとってエミヤは、いつかどこかで会ったことのあるサーヴァントの一人にしかすぎないのだ。
自分の頭で練り上げた事実が、静かにエミヤの胸に突き刺さった。
 
 
  *
 
 
「エミヤ、今日もご飯美味しかった。ありがとう!」

口の端にトマトソースを付けた少女が、カウンターの向こうでふにゃりと笑った。
今は朝食の時間だ。食堂は食事をとるサーヴァントやスタッフで賑わっている。
エミヤの前に立つマスターの藤丸立香の手には、空になった食器が載ったトレイがあった。
残されているものは何もない。
ここまで綺麗に食べてくれるのなら、作った甲斐があるというものだ。
思わず緩みそうになる口元を引き締め、エミヤは彼女からトレイを受け取った。
そして頬にトマトソースが付いていることを指摘すれば、彼女は慌てて服の袖でそれを拭おうとした。

「あぁ、待て。それでは礼装についてしまう」

エミヤはキッチンの引き出しからタオルを出して手早く水で濡らし、彼女の口元についているソースを拭ってやった。

「全く、身嗜みには気を付けたまえ」
「ありがとう、エミヤ。なんだかお母さんみたい」
「それは褒め言葉ととっていいのか?」
「もちろん!」

何の悪気もなく笑顔で言ってくる少女に、エミヤは思わず溜め息を吐く。

「今日は朝からレイシフトがあるのだろう。弁当はマシュに渡してある。気を付けて行ってくるといい」
「今日エミヤのお弁当なの?やったー!昼が楽しみ!じゃあ、行ってくるね!」

まるで遠足にでも行くような言葉を残し、彼女は軽やかな足取りで食堂を出て行った。
もう少し気を引き締めるように言ったほうがよかったのだろうか。
だが、こんな状況で思い詰めても仕方がない。ここには彼女のあの明るさに救われている者も多くいる。彼女はあのままの方がいいのかもしれない。
そんなことを考えながら彼女の去った方を見ていると、がちゃん、という音が耳に飛び込んできた。
顔をカウンターに戻せば、そこには乱雑に置かれたであろうトレイと、嫌というほど見慣れた男の姿。
そして、その男から別のサーヴァントの魔力が漂ってくることに気付いた瞬間、エミヤの機嫌は急降下した。

「ランサー。もっと丁寧に置けと言っただろう。貴様の馬鹿力で食器が割れたらどうする」

喧嘩腰のエミヤの言葉に、対するランサーもムッと眉間に皺を寄せる。

「朝から感じ悪ぃなぁ。なんだ、欲求不満か?」
「朝から貴様の下品な話に付き合うつもりはない。だいたい毎日毎日同じことを言わされれば機嫌も悪くなるに決まっているだろう。いい加減、そのガサツな態度を改めろと言っているんだ」

ぎろりと睨みつけるが、男はわかったわかったと適当な返事を返すだけで、反省しているようには見えない。

「……次やったら、全部子ども用のプラスティックの食器に変えるからな」
「へいへい、わかったよ」

男はめんどくさそうにそう答えた後、その一つにまとめた青い髪を翻して食堂から出て行った。
その気配が完全になくなってから、エミヤは無意識に止めていた息を吐いた。

彼がフェルグスを誘った次の日、エミヤは彼からフェルグスの魔力が漂ってくることに気付いた。
彼らは性行為をしたのだ。魔力が移るのは当然だろう。
そうわかっていても、エミヤはひどく動揺してしまった。
本当に、あの男はエミヤ以外の者と寝たのだ。
どうしようもない悲しみが、一瞬でエミヤの中をぐちゃぐちゃにした。
だが、今のエミヤに、彼に何かを言う権利はない。
できるのは、あくまで事情を知っている同僚として「誰と寝ても構わないがカルデアの風紀を乱すようなことだけはやめろ」と苦言を呈することだけだった。
エミヤの言葉に、彼はわかった、と頷いた。
そのはずなのに、次の日、男は何故かキャスターのクー・フーリンの魔力を漂わせていた。
エミヤはさすがに言葉を失った。
なんとか平静を装い、「お盛んなことだ」と皮肉をいえば、自分相手の方が気楽でいいからな、と男は悪びれもせずに言った。
それ以来、彼からたびたびフェルグスとキャスターの魔力を感じるようになった。

彼から別の男の魔力を感じるたび、エミヤは叫び出したい気持ちを必死に押し殺した。
どうして彼は二人と寝ているのか。
キャスターと寝るのは気楽だから、と彼は言っていたから、純粋な性欲処理なのかもしれない。だからこそ、相手を固定していないのだろう。もしかしたらエミヤが知らないだけで、二人以外にも相手がいる可能性もある。
でも、それならば。
醜い心がエミヤの中で疼く。
誰でもいいのならば、別にエミヤでもいいのではないか。
そうみっともなく縋りたくなる気持ちを飲み込み、エミヤは毎日別の男の匂いを漂わせる男の前に立ち続けている。

「おい、すごい顔になってんぞ」

声をかけられ、はっと顔を上げる。
そこにいたのはさっきと全く同じ顔。ただ、髪型と服装が違う。
男はカウンターの上に静かにトレイを置き、気遣うようにこちらを見ていた。
今日のランサーから漂ってきたのは、このキャスターの魔力だった。
エミヤは飛び出してきそうな言葉をごくりと飲み込み、笑みを作った。

「すまない。なんでもない」
「……あぁ、また槍持ちのオレか」

エミヤの機嫌が悪くなるのは毎朝のことだ。それがランサーの乱暴な態度のせいだと、キャスターは思っている。

「すまねぇな。いつか落ち着くと思うから、それまでは代わりに謝っとく。あれだ、思春期みたいなもんだと思っておけ」

その全て分かっている、という態度が妙に鼻につく。
いや、ランサーもキャスターも同一人物なのだから、自分のことがわかるのは当たり前なのだが、エミヤの感情はそう簡単に納得してくれない。
彼氏面か、と言いたくなるのを堪え、エミヤは嫌味ったらしく口の端を上げる。

「ケルトの英雄が思春期とは。子ども返りでもしたのかね?」
「そういうんじゃねぇけどよ。まぁ、似たようなもんか」

訳知り顔で答えるその顔が腹立たしい。
この男もエミヤが恋しているあの男と同じクー・フーリンのはずなのに、どうしてこうも苛立つのだろう。

「というか、お前、なんか魔力減ってねぇか?」
「あぁ、朝にちょっと洗濯機が壊れてな。代わりのものを投影したのだ。そのせいだろう」

そうやってこちらの変化にすぐ気付くのも癪に障る。
エミヤの好きな男と寝ているくせに。
ああ、でもこの男もその男だ。ややこしい。もうどこに苛ついていいのかわからない。

「ふぅん。人助けもほどほどにな」

ひらひらと手を振って、キャスターが食堂を出ていく。
エミヤは吐き出したくなる溜め息を飲み込み、二人が置いていった食器を流し台に運んだ。
きれいに食べられた食事達にすら苛立ってしまう自分に、なんだか嫌気がさした。
 



今日は魔力の消費が激しかった。
マスターのレイシフトについていったのもあるし、朝に洗濯機が故障したことから、他にも不具合が出そうな機器はないかとカルデア中の機材を確認したことで、余計に魔力を消費してしまった。
午後の食事の当番もなかったため、エミヤは夕食後、早々に自室に引き上げ、ベッドで休んでいた。
あとは寝ているうちに、カルデアから魔力を供給してもらえるだろう。
そんなことを考えながら、そっと目を閉じる。
まぶたの裏に浮かぶのは、あの青色だった。

よくよく考えれば、彼の愛を受け取るのはエミヤじゃなくていい。
あの閉ざされた冬木とは違い、このカルデアには多くのサーヴァントがいる。彼の知己も、彼が認める勇士も、魅力的な女性も。
だから別に、エミヤじゃなくてもいいのだ。
もしかして、あの冬木にいたランサーは、単純に欲の向ける先がなくて、たまたまそこにいた自分に手を出したのかもしれない。
だが、その考えは、あの時エミヤを愛してくれたあの男の気持ちを踏みにじるもので。

夢と現の間で、エミヤは腹の中に抱える感情と、過去の記憶を何度もこねくり回した。
自分が寝ているのか起きているのかわからない状態のまま、とろとろと考え続ける。
だからだろうか。

「アーチャー」

あの男が来たことに気付くのが遅れた。
がばりと体を起こせば、ベッドのすぐ横にこちらを見下ろす男がいた。
彼がカルデアに召喚されてから今まで、エミヤの部屋に来たことなど一度もない。
今現在、彼とそんな関係を築けているとも思えない。

「……ランサー、一体何の用だ」

威嚇するように、いつもより低い声を出す。
男はそんなことをさして気にもせず、あっけらかんと言った。

「なぁ、アーチャー。今夜一発やらねぇか?」

言われた言葉の意味がよくわからなかった。
それは、あの時フェルグスに言っていた言葉だ。
どうして今、それを自分に言うのだろう。弱っている自分をからかっているのだろうか。

「見てわからないのか?あいにく、今は貴様と手合わせできるような体調ではない」

嫌味をたっぷり込めて告げれば、男は笑った。
でも、それはあの時カラッとしたものとは違う。
しっとりとした夜の匂いを秘めたものだった。

「今回はそっちの意味じゃねぇよ」

その言葉に、エミヤは思わず男を見た。

「……何故」
「だって、お前、魔力足りてねぇんだろ?なら、カルデアから供給されるのを待つより、オレと一発やったほうが早いんじゃねぇか?オレもスッキリできるし。お前も、その状態で待つのは辛いだろ?」

なるほど。つまり彼は、欲を発散させる先を探していたらしい。
確か今日、フェルグスはスカサハと飲むと言っていたし、キャスターも特異点Fに用事があると言っていた。だから多分、この男は今夜の相手に困っているのだろう。
キャスターが言っていた思春期というのは、もしかしてこういうことだったのか。性欲が溢れて溢れて仕方がないという。確かにそれは生理的なものだし、同じ男のエミヤにも理解はできる。
だが、その相手をエミヤがする気はない。
自分の右手とよろしくやっていろ。そう言って男を部屋から追い出そうとした時、ふとエミヤの胸によぎるものがあった。
もし自分が断ったら、この男はどこに行くのだろう。
オルタのクー・フーリンだろうか。それとも、このカルデアに数多いる英雄達だろうか。
もし抱くなら、正直、エミヤよりもそっちの方がずっと愉しめるはずだ。
わかりきったことだ。それを男にわざわざ聞く気にもなれない。
だけど、今のエミヤはそれがひどく我慢できなかった。
いつもなら諦められていたことが、今は駄目だった。
多分魔力不足のせいで、いつもよりも冷静ではないのだろう。
恋する相手が自分以外に触れるのは嫌だ。触れられるのも。それを黙って見ている日々も。
エミヤは開いた口を一回閉じてから、再びゆっくりと開いた。

「……明日までに直しておきたいものもある。だから、魔力を貰えるか、ランサー」

言った瞬間、自分がとてつもなく醜い生き物に成り下がった気がした。
エミヤの答えに、男は満足そうにニヤリと笑う。
その顔は、あの冬木で見たものによく似ていて。

「任せとけ。愉しませてやるよ」

男が、エミヤにのしかかる。
胸の奥からせり上がってくる寂しさに似た何かを誤魔化すように、エミヤは覆いかぶさってきた男の背の上で、きつく己の拳を握りしめた。
 
 
  *
 
 
「お前、最近槍持ちのオレと寝てるんだって?」

エミヤが一人でキッチンを片付けていると、ふらりとキャスターがやってきてそう言った。
その飄々とした顔から感情は読み取れない。
別の自分がエミヤと寝ることが気に食わない、と文句でも言いにきたのだろうか。それとも、新しいセフレに挨拶に来たのか。
いくつものパターンを頭の中で考えた後、エミヤはそっと目線を外して答えた。

「まぁ、色々と魔力を使うことが多くてな。魔力を貰えるのは助かる」
「……そうか」

エミヤの予想に反して、キャスターはそう静かに呟いただけだった。
どことなく気落ちしたようにも聞こえたのは、エミヤの気のせいだろうか。
それ以上、キャスターは何も言わなかった。

「……何か飲むかね?」

沈黙が気まずく、たまらずエミヤがそう尋ねれば、男はココア、という予想外の答えを返してきた。
まさかのかわいらしい飲み物に、エミヤは小さくふき出してしまった。

「す、すまない。てっきりアールグレイあたりを言われると思っていたから……。いや、何を飲むかは君の自由だな。すぐに用意しよう」
「気にすんな。ゆっくりでいいぜ」

そう言って笑うキャスターの顔は、冬木でよく見たあの顔にそっくりだった。
そういえば、この男もクー・フーリンなのだ。
当たり前のことを改めて自覚した瞬間、どくりと心臓が跳ねた。
思わず男から目を逸らす。
一体何を考えているのか。エミヤは簡単に揺らいでしまった自分を恥じた。
動揺を悟られぬようエミヤは男に背を向け、戸棚にあるココアの袋を手に取った。

「なぁ、アーチャー」

その後ろから、男の声が投げられる。

「お前、オレと」
「キャスター!」

食堂の静寂を、聞き慣れた声が稲妻のように引き裂く。
驚いて振り向けば、食堂に入ってきたのはランサーだった。
その目には、明らかに怒りの色が浮かんでいる。

「こんなところにいたのか。さっさと部屋に行くぞ」

その一言で、今日の彼の相手がキャスターということがわかってしまった。
ココアの袋を握るエミヤの手に、わずかに力がこもる。

「おいおい、ココアの一杯くらい、いいじゃねぇか」
「うるせぇ、さっさと来い」

ランサーはひどく余裕がなさそうだった。
エミヤには目もくれず、キャスターの腕を引っつかみ、そのままずるずると引きずるように食堂から出ていこうとした。

「アーチャー」

呆然とするエミヤに、ランサーに引っ張られているキャスターが声をかける。

「明日の夜、ちょっとオレの部屋に来てくれねぇか?さっきの話の続きを」
「おい、余計なこと言ってないで、さっさと行くぞ」
「あー、わかったわかった。余裕がないオレはこういう顔してんのか」
「黙れ」

二人の姿が食堂の扉の向こうに消えていく。
残されたエミヤはココアの袋を持ったまま、その場に立ち尽くすしかなかった。
 



ランサーは、エミヤのことなど眼中になかった。
昨日の様子を思い出し、エミヤはきりきりと痛む胃にそっと手を当てる。
夜のカルデアの廊下は人気が無く、エミヤの足音だけが廊下にぽつんと響いていた。

今朝も、ランサーはキャスターの魔力を纏わせて食堂にやってきた。
いつものようにカウンターを挟んでエミヤと言い合いをして去っていき、後からやってきたキャスターに、またいつものように苦笑いをされた。
いつもと違ったのは、その時キャスターに、今夜部屋に来るように念を押されたことだ。
正直、ものすごく気が重い。その約束のせいで、一日中憂鬱だった。
できることなら行きたくない。
廊下を歩くエミヤは、腹の底から吐き出すように溜め息を吐く。

今更、一体何の話があると言うのだろう。
別にランサーと寝るなとエミヤに言うのならば、わざわざ部屋に呼び出さなくても、エミヤはきちんと話を聞く。歯向かうつもりもないし、そのことでキャスターと長々と言い争うつもりもない。
それとも、昨日エミヤが自分からそう切り出していれば、こんなふうに呼び出されることもなかったのか。
そうこうしている間に、エミヤはキャスターの部屋の前に着いていた。

何かの間違いで、今すぐこの部屋が爆発して無くなったりしないだろうか。
そんな現実逃避をしながらノックしようとした時、ふと、エミヤはあることに気付いた。
部屋の中に見知った気配が二つ。
キャスターだけではない。この部屋にはランサーもいる。
どういうことだ。話があるのはキャスターではなかったのか。
エミヤが戸惑っていると、何故か扉が勝手に開いた。

次の瞬間、エミヤの目に飛び込んできたのは二人の男の姿だ。
ベッドに寝転ぶキャスターと、その腹の上にまたがるランサー。
二人共かろうじて裸ではないものの、まさにこれから事に及ぼうとしているようなその姿に、さすがのエミヤも言葉を失った。
呆然としたまま視線をさ迷わせれば、ばちりとランサーと目が合った。
愛しい男の赤色が、ぐにゃりと歪む。

「なんだ、アーチャー。覗き見か?見ての通り、これからお楽しみなんだが」

からかうような男の言葉に、カッとエミヤの顔が熱くなる。
断じて違う。決して、そういうつもりでは。
反論したいが、一向に言葉が出てきてくれない。
どうしたらいい。どうしたら。
混乱したまま、無意識に足を後ろに引けば、まぁ、待てよ、と声がかかった。
声の主は、キャスターだ。

「ちょうどいい。お前も交ざるか?アーチャー」

まさかの提案に、思わずエミヤはキャスターを見た。
この男は一体何を言っているのか。そんなことを言う為にエミヤをここに呼んだのか。

「……何言ってんだ、テメェ」

見ると、ランサーもエミヤと全く同じ表情でキャスター見下ろしていた。

「何って、別に三人でやってもいいじゃねぇか。あいつに魔力やることもできるし、二人でできないこともできるし、気持ちいいし。良いこと尽くめだろ」

悪びれもせず話すキャスターに、ランサーの機嫌が急降下してくのがわかった。
部屋の空気が、ずしりと重くなる。
男の目はギリギリとつりあがり、今にも射殺さんばかりにキャスターを睨みつけている。
そして唸るような低い声で、ランサーは言った。

「ふざけるな。そんなもの、死んでもごめんだ」

その言葉が、静かにエミヤを突き刺した。

「……キャスター。誘いはありがたいが、あいにく三人でやる趣味はなくてね。今日は二人で楽しむといい」

それだけ言って、エミヤは踵を返し、キャスターの部屋を出た。
後ろで扉が閉まる音が聞こえても走り出したりせず、いつも通り、一歩一歩足音を鳴らしながら、エミヤは自室に向かう。
最後まで、エミヤのいつも通りの顔を崩さなかったつもりだ。大丈夫。この胸の内で暴れまわる感情は、一切表に出ていないはず。

なんとか自室に辿り着いたエミヤは、糸が切れたようにベッドに倒れ込んだ。
瞼の裏に、さっき見た光景が焼き付いている。目を閉じても消えてくれない。ランサーに言われた言葉も、耳にべっとりと残っている。

死んでもごめんだ、とあの男は言った。
ランサーは、それほどエミヤがキャスターに触れるのは嫌だったのだろうか。だから、あんなことを言ったのか。それくらい、キャスターを独り占めしたかったのか。
目を閉じても、耳をふさいでも、さっきの光景が勝手に頭に浮かぶ。考えたくないのに、頭から離れない。あの光景が、じわじわとエミヤの首を絞めていく。
邪魔者がいなくなった今、二人はあの部屋で、きっと。
その瞬間、エミヤはあの場に居合わせてしまった自分を心の底から恨んだ。



 
 
悪夢のような出来事から一夜明け、二日過ぎ、あっという間に七日が経った。
その間も、意外なことにエミヤとランサーの関係は変わらなかった。
ランサーは相変わらずキャスターと寝ているようだし、キャスターがいない夜はエミヤを抱きに部屋に来た。そういえば、最近ランサーからフェルグスの魔力が漂ってくることはなくなったが、もはやそれは、エミヤにとっては些事のようなことだった。
あの夜のことを、キャスターは何も言ってこない。
逆にランサーからは、キャスターが変なことを言って悪かったと言われた。
気にしなくていい、とエミヤは答えた。
性に奔放な君達のことだ、あの時はそういう気分だったのだろう。
そう言えば、男の形のいい眉が、ほんの少し下がった。

そして今日。エミヤが昼食の支度を終え、カルデアの廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。

「アーチャー。今いいか?」

キャスターだ。そういえば彼と二人で話すのは久しぶりかもしれない。
エミヤは静かに頷き、彼の後をついていった。
連れてこられたのは、七日前にも来た彼の部屋だった。
ふとベッドが目に入り、思わずエミヤは目をそらした。
そんなエミヤに、キャスターが明るい声で話しかける。

「悪いな、なかなか二人で話す機会が作れなくてよ。適当に座ってくれや。心配しなくても、ランサーは今、師匠に捕まってる。この前みたいに邪魔されることはないだろ」
「……あの日のことなら、別に気にしていない」

エミヤの言葉に、キャスターはほんの少し眉を下げる。
いつか見たあの男にそっくりな表情に、何だか無性に神経が逆撫でられた。

「そう言うなよ。あの日、お前が来る直前にあいつが部屋に来てな。オレはお前と二人で話がしたかったから、どうやって追い払うか考えていたんだが、突然あいつがオレに飛びかかってきやがった。そこに、お前がやってきたんだ」
「なるほど。ならば私は、ものすごく悪いタイミングで君の部屋に行ったみたいだな」
「まぁ、あいつはそのタイミングを狙っていたみたいだがな」

それは多分、ランサーはキャスターとの関係をエミヤに見せつけたかったのかもしれない。
もしくは、これはオレのだからお前は手を出すな、という牽制だろうか。
どちらにしろ、今ここでこうしてキャスターと二人でいることも彼は快く思わないだろう。
見つかる前に、さっさと用件を聞いて自分の部屋に戻ったほうがよさそうだ。

「まぁ、座ってくれ。オレはお前に聞きたいことがあるんだ」

椅子を差し出され、エミヤは少し迷った後、渋々腰を下ろした。
キャスターはエミヤに向かい合うようにベッドに座り、すぐ横の小さな棚の上に置かれた煙草の箱を手に取った。
そしてその箱から一本取り出した後、エミヤを見て、ゆっくりと口を開いた。

「なぁ、アーチャー。お前、オレとお前が恋人だった記憶はあるか?」

その問いに、どくり、と心臓が跳ねる。
もしかして、キャスターにはあるのだろうか。あの冬木での記憶が。エミヤが焦がれた、あの夢のような日々の記憶が。
エミヤは動揺する心を必死に押し殺す。
でも、どうしてそんなことを聞いてくるのか。
百歩譲って、キャスターのその記憶があるのならまだいい。彼もクー・フーリンだ。その記憶を持っている可能性はあるだろう。
だが、そうじゃないのなら。
どちらにせよ、馬鹿正直に答えるつもりはない。
エミヤは呆れるように両手をあげた。

「一体何を言い出すかと思えば。そもそも、それを聞いてどうするつもりなんだ?」
「どうもこうも。オレが知りたいだけだ」

キャスターの目は至って真剣だ。どこか必死さも滲ませているようにも見える。
彼は何かを覚えているのだろうか。
でも、それならば、どうしてランサーと体を重ねているのか。
男の行動に対する苛立ちが、腹の中を縦横無尽に駆け回る。
それに背を押されるように、とエミヤは男を見てはっきりと告げた。

「君と私がだと?馬鹿げている。そんなことあるはずがないだろう。どうして急にそんなことを聞いてくるのだ?」

そう答えた瞬間、キャスターは明らかに落胆した表情を浮かべた。
見慣れた赤が揺らぎ、失望の色に染まっていくのを、エミヤは確かに見た。
キャスターは何も言わずに指を動かした。指先が淡く光り、宙にルーンが浮かびあがる。
男は持っていた煙草をそこに近付け、その先に火をともした。

「……そうか」

男は静かにそう答えた後、煙草を咥えた。
深く吸い込んだ後、男の口からゆっくりと紫煙が吐き出される。

「前に、特異点Fにいるお前が言ってたんだよ」
「私が……?」

ああ、とキャスターが頷いた。
人理修復の旅の始まり。特異点F。今も燃え続けている街。
かつての冬木に似たあの場所には、聖杯の泥に汚染され、シャドウサーヴァントと化したエミヤがいたらしい。
エミヤは直接会ったことはない。カルデアの記録で、そこにそんな自分がいたことを後から知った程度だ。もうとっくに消滅しているとばかり思っていた。

「……あそこに、まだ私がいるのか」
「ああ。カルデアに来いっつっても、絶対嫌だと意地張ってテコでも動かないお前がな。どうせ、こんな泥かぶりが言ったら申し訳ないとか、セイバーにあわせる顔がないとか色々考えてぐちゃぐちゃになってるんだろ。まともな自分がいるのならそれでいいじゃないか、と言ってきかねぇんだわ」

その男が、恋人だった記憶があると言ったという。
もちろん、そのシャドウサーヴァントはエミヤなのだから、その記憶があってもおかしくはない。

「……ただの戯言だろう。間に受けることなどない」
「戯言か」
「ああ」
「間に受けちゃいけねぇか」
「ああ」

淡々としたエミヤの答えに、キャスターは煙草を咥え、再びふぅ、と煙を吐いた。
紫煙が、ゆっくりと部屋の天井に上っていく。

「あいつは言ったんだ。『そんなに私にこだわるのは、過去に恋人だった記憶が残っているからか?』と」

シャドウサーヴァントの自分は、間違いなくエミヤと同じ記憶を保持している。
キャスターは、それが真実かどうかエミヤに確認しにきたのだろう。
でも、それが真実だったとして、一体どうするというのか。
エミヤはぎり、と奥歯を噛み締める。

「さっきも言ったが、そんな戯言に耳を傾ける必要などない。それとも、そこにいる私が君に思い出せとでも迫ったのか?」
「いいや、むしろ全部忘れろと言ってきた。お前の愛した私などもういないと。だが」

男が、ぎゅ、と拳を強く握った。

「オレがいる。恋人だった記憶なんかなくとも、お前を愛しているオレが」

突然の告白に、エミヤは目を見開いた。

「お前、オレがよく特異点Fに行ってんのは知ってるだろ?」
「……ああ。てっきり、何か素材でも集めているのかと思っていた」
「あっちのお前もそう思っていたようだ。ここには炎と燃え滓は山のようにあれど、貴様を満足できるような宝は何もない、さっさと帰れ、と何度も言われた。ひでぇよな。お前に会いに行っているというのに」

 柔らかい光をともした赤い目が、エミヤに向けられる。その目はエミヤを通り抜け、何か違うものを見ていた。
ああ、そうか。彼は特異点Fにいる自分の影を想っているのか。

「……悪趣味だな」
「それも言われた。気でも狂ったかとも。でも、仕方ねぇだろ。惚れちまったんだから」

自嘲するように、キャスターが眉を下げて笑う。
その顔は、エミヤがいつか見たことのある優しいもので。
男の気持ちが、エミヤには嫌というほどわかってしまった。

「オレはお前と付き合った記憶こそないがな、それでもお前と仲良くやってた記憶はある。釣りをしていたらお前が乱入してきたり、手合わせした後、一緒に飯を食ったり。そんなお前と過ごす時間を、愛おしいとすら思っていた。だが気付けば、あそこは炎に呑まれ、オレはキャスタークラスになっていて、お前は泥に飲み込まれていた。そのお前が、ずっとあそこにひとりでいるんだ。放っておけるわけがないだろ」
「だったら」

エミヤの口から、平坦な声が出た。

「だったら、どうしてランサーと寝るのだ」

その静かな問いに、男は少し考えるように黙った。
煙草を咥え、深く吸い込み、男の口からたっぷりの煙が吐き出され。

「ネタバラシをするとな、あいつはオレと寝ちゃいねぇよ」
「は?」

まさかの言葉に、エミヤは目を瞬かせた。

「ちなみに叔父貴ともな」
「ふざけるな。ランサーから、君やフェルグス卿の魔力が漂ってきていたぞ。そんな嘘が通じると思っているのか」
「嘘じゃねぇよ。オレはキャスタークラスだ。あれくらいの偽装なんざ朝飯前だよ」

答えた後、キャスターはその美しい顔を歪め、苦虫噛み潰したような顔をした。

「ただの子供騙しだ。他のキャスタークラスからしたらお粗末なもんさね。だが、お前はランサーから漂ってくる魔力について、わざわざ他のキャスタークラスに相談なんかしねぇだろ?だから、お前を騙すにはそれで十分だった」

確かに言われてみれば、ランサーから二人の魔力を感じたことはあったが、その逆は一度もなかった。
キャスターが目を伏せ、吸った煙を細く長く吐き出す。

「ちなみに何でそんな馬鹿げた偽装をしたかについては、槍を持ってる思春期のオレに聞け。だいたいな、オレがランサーの魔力を漂わせて特異点Fに行ってみろ。泥のせいでいつも以上に面倒でかつセンシティブになっているお前がへそ曲げて、姿すら見せなくなっちまう」
「センシティブ」
「そうそう、些細なことで卑屈になるし、すーぐオレから距離を取ろうとする。まぁ、面倒くささで言えば、オレも人のことは言えねぇか」

はあ、とキャスターは大きく溜め息を吐いた。
しかし、エミヤはまだ納得できなかった。

「だがランサーは、フェルグス卿や君を誘っていたではないか。実際事には及ばなくても、そういう行為を望む気持ちはあったという事だろう」
「そうだな。槍持ちのオレが、お前にそう思わせたがっていたのは事実だ」
「思わせたがっていた……?」
「ああ、ちなみにその理由についてはノーコメントだ。情けなさ過ぎてオレの口からは絶対に言いたくない」

彼はふて腐れたように煙草を咥えた。

「とにかく、ランサーについてはお前には面倒をかけて悪かったと思っている。一応、オレもフォローはしてるんだがな。いくら自分とはいえ、なかなかすんなりいかねぇもんだ」
「……気にするな。私は平気だ」

そう答えれば、キャスターの眉がいつかの彼のように少し下がった。

「そう言ってやるなよ」
「何がだ」
「……まぁ、お前は信じられないかもしれねぇが、オレは、オレらはどんなお前も取りこぼす事なく愛したいと思ってんだ。特異点Fにいるお前も、オルタのお前も、いつものお前も」

戯言を。
それを声には出さず、エミヤは立ち上がった。

「質問はそれだけか。そろそろ失礼する」
「アーチャー」

背を向けたエミヤに投げかけられる声は、自分を心配している声だ。
それがわかってしまうのは、エミヤに男と深く関わってきた記憶があるからで。
あの温かな日々が、もうなくなってしまった時間が、エミヤの胸を締め付ける。
ああ、でも。
少なくとも、あの燃える街にいる自分は、彼から愛されているのか。
こみ上げてきそうなものを飲み込み、背を向けたまま、エミヤは男の名を呼ぶ。

「キャスター」
「なんだ?」
「……特異点Fにいる私を、頼んだ」
「……ああ、任せとけ」

そのままエミヤは振り返ることなく、キャスターの部屋を出た。
 



自室に戻ってきたエミヤはベッドに腰掛け、ぼんやりと考えを巡らせた。
エミヤはランサーが好きだった。
でも、ランサーはエミヤのことを愛してはいない。今は体を重ねているだけの関係である。
キャスター達は実際ランサーとは寝ていないと言っていたが、エミヤが彼の特別でないことに変わりはない。
でも、特異点Fにいる自分は違う。少なくとも、キャスターに想われている。
ならば、もう十分なのではないだろうか。
エミヤはランサーには愛されなかったが、英霊エミヤには、クー・フーリンから愛された記録がある。
それ以上、自分は何を求めようというのだろう。
今までずっと悩んでいたものが、ぼろりと溢れ落ちたような気がした。

そもそも、エミヤが持っている恋人だった記録がイレギュラーなものだったのだ。
あれを当たり前と思ってはいけない。あれは、幾度も巡り合った先に起きたバグのようなもの。あんなことは滅多に起こらない。起こるはずがない。
キャスターがあの特異点にいる自分を気に入っているのも、突然キャスタークラスになって、霊基がおかしくなっているからだろう。
クー・フーリンがエミヤを愛することは、それくらい奇跡に近いものなのだ。
だから、その幸運を手に入れられた特異点Fにいる自分を、エミヤはほんの少し羨ましく思う。
エミヤには彼に愛された記憶はある。でも、それはあくまで過去の記録で、今のエミヤ自身がそれを体感したことはない。
エミヤが彼の誘いに乗って体の関係を続けていたのも、彼に他の誰かと寝て欲しくなかったのもあるが、エミヤ自身が彼に愛されてみたかったからだ。
色褪せた記録ではない。彼の熱をこの身で受けてみたかった。ただ、それだけ。

でも、そんなみっともない真似は、もう終わらせるべきなのだ。
彼が偽装をしてまでエミヤと寝た理由はわからない。もしかしたら、魔力不足になっているエミヤが手を伸ばしやすいように、と気遣ってくれたのかもしれない。
そんな期待を無意識に抱いてしまった自分を、エミヤは鼻で笑う。
馬鹿馬鹿しい。そんなはずはないだろう。現実はいつだって残酷なものだ。
どうせエミヤの前でフェルグスと寝ると言った手前、引っ込みがつかなくなり、とりあえず表向きだけでも彼と寝たということにしたくて、キャスターに偽装を頼んだのだろう。
キャスターとも寝たことにしたのは、この偽装を続ける上で、フェルグス卿よりも頼みやすかったから。そんな時に、エミヤが魔力不足になり、ちょうど性欲を持て余していたあの男の目に留まった。どうせ、そんなところだろう。
だから、これ以上彼と寝ても何にもならない。みっともない姿を晒すだけ。
ならば、そんな関係は潔く終わらせるべきなのだ。

彼に愛される役目は、特異点Fにいる自分に任せればいい。
エミヤはそう静かに心を決めた。
魔力のことならなんとでもなる。
エミヤ自身が魔力不足にならないよう気を付ければいいことだし、レオナルド・ダ・ヴィンチに頼めば、多少は優先して魔力を回してもらえるかもしれない。
ほら、これでもう、エミヤが彼と寝る理由はなくなった。
なんとあっけないものだ。
体の真ん中がごっそりとなくなってしまったような喪失感に襲われ、エミヤは静かに両手で顔を覆った。

ランサーはスカサハと飲んでいると言っていた。今日はもうここには来ないだろう。
だから明日、男に伝えなくては。
それで、エミヤとランサーの関係はぷつりと終わってしまう。あの熱を、エミヤ自身が感じることもなくなる。
それを、エミヤはひどく寂しいと思った。

「……だが、もう終わらせなければ」

エミヤの呟きは誰にも拾われぬまま、静かに床に沈んでいった。



サンプルはここまでです。
読んでいただき、ありがとうございました。
 

Comments

  • セミウ

    楽しみに!してます‼

    December 26, 2020
  • スラスラ☆ダイスキ

    すごく好きです! 本、買いたいです。がんばります。

    December 26, 2020
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