えみやとふたりで
獣人セタンタ×エミヤ♀のファンタジー(?)パロです。
先天性女体化。エミヤ♀さんがセタンタ君を頑張って育てるお話。
出番は少ないですが、黒弓と影弓も女体化しておりますので苦手な方はご注意ください。
7/14の第22次ROOT4to5にてR18版として頒布予定です。
4ページ目と5ページ目の間にR18描写が入ります。
濡れ場の有無以外、こちらに公開しているものと内容は同じです。御了承くださいませ。
後ほど画像サンプルを上げさせていただきます。
(※濡れ場は成長後の青年セタンタのみで、少年セタンタのそういったシーンはございません。実質槍弓です)
イラストは爪の虹色さん(user/36929407)に描いていただきました!
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Ⅰ.
「ならぬと言ったらならぬ」
告げられた言葉を、少女は理解できなかった。いや、理解したくなかったという方が正しいだろうか。
「……これも一族のためだ」
そう絞り出すように零した族長の表情は実に苦しそうで、好んでこのような決断に至ったのではないということは明らかだった。少女は湧き上がる憤りと悲しみをどうすることもできず立ち尽くす。
「私を怨むというなら、それでも構わん。だがその幼子のことは忘れるのだ……」
「…………ッ」
「辛いだろうが……わかってくれ、エミヤ」
呆然と空を見つめる少女を、族長が諭すように抱き締める。少女は下唇を噛み締めると、腕の中であどけない表情を見せる温かな青を守るように、ぎゅっとその手に力を込めた。
* * *
その日、久方ぶりに狩りに出た森は実に静かだった。昨晩まで数日に渡り続いた嵐はすっかり収まっていたが、その名残のある深緑はしとしとと恵みを滴らせ、辺り一帯にじっとりと湿った空気を纏わせている。鼻に抜ける瑞々しい土の香りはどこか清々しく、狩人たる少女の心を落ちつかせてくれた。
(……いた)
僅かな気配を見逃すことなく、少女は木陰から獲物の動向を探る。赤の薄汚れた外套を身に纏い、射抜くような鋭い視線を向ける少女の名はエミヤ。まだ年端もいかぬ少女であるが、彼女の鷹の目と称される鋼色の瞳は白銀に煌めき、勇ましい雄鹿の影を確かに捉えていた。
「……見えるな?二人とも」
「ああ、かなりの大物だな」
「草を食べてる。こちらの存在には、まだ気がついていないらしい」
エミヤの傍らで息を潜める二人の少女は、それぞれエミヤの姉と妹で名をオルタとシャドウという。エミヤがそっと目配せをすれば、その意図を察した少女らは共にこくりと頷いた。
「……いつもと同じ手筈でいこう。姉さん、シャドウ、頼んだぞ」
「ああ、任せておけ。行くぞシャドウ。しくじるなよ」
「誰がしくじるって?いつまでも子供扱いしないでくれ、オルタ姉さん!」
軽口を叩き、オルタとシャドウが各々陣形を組むため二手に散った。
二人が双方から追い込み、エミヤがトドメを刺すのが、この姉妹のやり方である。三姉妹は皆が弓の名手であったが、木が鬱蒼と生い茂ったこの森は死角が多く、獲物が逃げやすい環境であるため、こうして三人で協力して狩りをするのが、確実に獲物を仕留めるには有効な手段であった。
「……ふぅ」
その場に残されたエミヤは、呼吸を整え暫し待機する。里で待っている子供達の顔を思い出し、身を引き締めた。自分達姉妹の身を案じ、狩りの際はいつも見送りを欠かさない心優しい子供達。このところの嵐で皆が狩りに出ることが叶わなかったため、里では侘しい食事が続いている。あの獲物は何としても仕留めなければ。勿論、里に多少の蓄えはあるが、毎日芋やら干した山菜だけでは幼い子らには味気なかろう。そろそろ新鮮な肉でも口にしなければ、栄養面も心配だ。そんなことを考えるエミヤ自身とて、まだ齢十四の子供であるのだが、それを指摘し、庇護してくれる親は既にない。エミヤの家族は姉妹のオルタとシャドウのみである。
エミヤ達姉妹は、『アラヤ』と呼ばれる一族だ。アラヤは姿形こそ普通の人間と同じであるが、皆、白髪で褐色肌という外見的特徴がある。アラヤの里には『男』が存在せず、女だけがひっそりと暮らしている所謂隠れ里だ。アラヤの女は女しか生まないという性質があり、子を成す際は里の外へ適当な男を探しに行き、それ以外は他の種族との交流は一切絶っている。男と交わる時もその外見的特徴である髪と肌の色は魔術で変えて接触し、自らがアラヤだという事実は隠した上で行うという徹底ぶりだ。昔は一族以外との交流もそれなりにあったが、とある悲劇がアラヤの一族を襲って以来、それも絶たれたのだという。
まあ、アラヤの歴史はさておき、女人が身を寄せ合い暮らしているため、他の種族であれば主に男が請け負うであろう仕事を、誰かが担わなければならないというわけだ。エミヤ自身、男という生き物がいるということは知っているが、生まれてこの方実物を目にしたことはなく、それはこの里に暮らす子供であれば皆が例外なく同じであった。アラヤの一族で男を見たことがあるのは、子を宿すため外へ出た経験のある一定の年頃以上の者と、たまに必要物資を調達するために外へ出る族長及び上の実力者だけである。
とはいえ、元々このような境遇で育ったエミヤ達にとってはもはやこの生活が当たり前であり、苦に感じたことはない。生まれつき目が良く、才能を見込まれたエミヤ達姉妹は幼少より技術を叩きこまれ、今では里一番の狩人姉妹として、その腕を振るっている。弓を扱うのは楽しいし、自分達の技術が里の人々の役に立てているのが何より嬉しいのだ。
「……っ」
僅かな空気の変化に、エミヤはぴくりと視線を動かす。刹那、ヒュッ、という空を裂く鋭い音が聞こえ、雄鹿の身体が大きく仰け反った。シャドウの的確な威嚇射撃が始まってすぐ、オルタの矢が容赦なく雄鹿へと降り注ぐ。強襲にすっかりパニックを起こした雄鹿は逃げ場を失い、脚をバタつかせて悲鳴をあげた。こちらから背を向ける隙だらけの獣へと、エミヤはしなやかに弓を構える。ぴりぴりとどこか澄んだ感覚が、エミヤの身体を指先まで駆け巡った。獲物との間に、障害となるものはない。
すぅと静かに息を吸い、白銀に瞳をぎらつかせると、エミヤはゆっくりと弓を引いた――――。
「流石エミヤ姉さんだな。今回も脳天を一撃だ」
瞳に色をなくした雄鹿を見下ろし、シャドウはぴゅう、と口笛を吹く。何事もなく終わった狩りに安堵しつつ、エミヤは可愛い妹の頭を撫でた。
「私が射やすいよう、二人が誘い込んでくれたからな。そうでなければこんなに簡単にはいかなかったさ」
「ふ、当然だ。私とオルタ姉さんの陽動は完璧だった。他の者ではこうはいくまい」
「ふふ、そうだな。ありがとうシャドウ」
「二人とも勝利の余韻に浸るのは後だ。さっさと捌いて里に帰るぞ。子供達が腹を空かせて待っている」
得意げにするシャドウの傍らで、オルタは一人黙々と血抜きを始めていた。先程までびくびくと痙攣していた獣の身体は、もうすっかり動かなくなっている。
「ああ、そうだな。すまない、オルタ姉さん」
久しぶりの新鮮な肉なのだ。早く持ち帰って、今夜は腕によりをかけて豪勢な食事を作ろう。皆、自分達が獲物を仕留めて帰って来ることを信じて、今か今かと待っているはずである。なかなかの大物に、これなら皆喜んでくれるだろうと、毛皮を剥がしながら自然と顔も綻ぶ。肉塊を三人で持てるよう切り分け終わった頃には、もうだいぶ陽が傾いていた。
「ふう。大猟、大猟」
「ああ、これだけあれば暫くはもつだろう。今のうちに夕食の希望があれば聞いておくが?」
「エミヤ姉さん特製、鹿肉の贅沢濃厚シチュー」
「賛成だ。あのじっくり煮込まれた肉のとろりとした舌触りは絶品だからな」
「ふふ、良いとも。そうまで言われては、腕によりをかけなくてはな」
「やった。姉さん大好き」
了承の言葉にシャドウだけでなく、普段あまり感情を顔に出さないオルタでさえどこか嬉しげで、その反応に思わずくすくすと微笑む。そして、ご機嫌なシャドウの鼻歌を聞きながらとあることを思い出すと、エミヤはふと考えるように一人俯いた。
「ん?どうかしたのか、姉さん」
「いや、臭み消しの葉をこの間使い切ってしまったのを、うっかり忘れていてね。採って帰らねば」
「む、そうなのか。姉さんの料理なら、多少の臭みがあっても美味しそうではあるが……」
「そう言ってくれるのは嬉しいがね。可愛い妹の要望にはしっかり応えてやりたいのが姉というものさ」
「近くに葉の採れる群生地があっただろう。まあ、ここからならそんなに時間はかからん筈だ」
オルタの言う群生地は、以前狩りのついでに山菜やら果物やらを採っていた際に、三人で見つけた穴場だ。たしかにあそこなら、多少寄り道をしても夕食の時間帯にも問題なく間に合う筈である。そうと決まればと、狩った戦利品を担ぎ、三人で群生地へ急いで歩を進めた。狩り場から少しばかり歩き、小さな川を渡った先にその場所はある。涼やかなせせらぎを背に、記憶通りの場所で目当ての葉を見つけると、エミヤはホッと胸を撫で下ろした。丁度頃合いの葉が多く茂っており、三人手分けしてぷちぷちと収穫し始める。
陽の沈みかけているどこか切なげな空の色。獣達もそろそろ寝床に戻る頃合いなのか、普段よりもどこか静まり返っている深い森の空気。いつもと何ら変わらぬ、家族と過ごす穏やかな時間。
そんな中、それは突如聞こえてきたのだった。
――……ぅ、…………。
葉を千切る手を止め、エミヤははたと耳を澄ませた。
(……何だ?)
不思議に思い眉を顰めるも、それはすぐに聞こえなくなってしまった。すぐ傍にいた姉妹に視線を向け、首を傾げる。
「二人とも、今何か言ったか?」
異変を感じ取ったのはエミヤだけではなかったらしく、オルタとシャドウも同様に怪訝な表情を浮かべていた。首を横に振り、肩を竦めている。
「いや、何も言っていないが」
「私もだ。だが……何か聞こえたな」
姉妹らの耳が何かを拾ったのは、決して気のせいではあるまい。狩人として生きるエミヤ達は、僅かな音や気配でも決して聞き逃さぬよう、厳しい訓練を受けている。些細な違和感から鋭敏に感じ取ったか細い音は、確かに生き物の発するそれであった。
とはいえ、この森は至る所に獣が生息しており、何らかの鳴き声が聞こえてくるのはおかしなことではない。しかし、どうにも胸騒ぎがするのは狩人特有の危機察知能力故であろうか。長女であるオルタは眉に皺を寄せ険しい顔で考え込むと、二人の妹に静かに指示を出した。
「……危険な獣かもしれない。念のため確認をしておいた方がいいだろう。各々警戒にあたってくれ」
「ああ……」
「……了解した」
オルタの判断は正しい。正体はどうあれ、里に近い場所で起きた異常は確認しておかなければ。姉妹らは顔を見合わせると、懐からそっと小刀を取り出し、警戒しながら辺りを探り始めた。もし、里に害を及ぼすものだとするなら、一刻も早く族長に知らせる必要がある。
――ひゅ……ひゅー……。
再び拾ったその音に、ぴりりと緊張がはしる。今度は間違いなく聞こえたそれは、生き物の息遣いに相違なかった。確実に距離が近づいている事実に、危機感からじわりと汗が滲む。ゆっくり、ゆっくり……気づかれぬように標的へと近づき、慎重に気配を探った。
徐々に息遣いがはっきりと聞こえてくる。そして、次第に何かがおかしいと違和感を覚え始めたのは、エミヤ達が一流の狩人として経験を積んでいた故だったのだろう。
(……小さいな)
そう、気配から察するに、対象は思ったよりも小さいのだ。とても獰猛な獣のそれとは言い難く、だからといって鹿などの草食動物とも異なる。兎などの小動物にしては呼吸音がはっきりしすぎており、儚げな息遣いは今にも消え入りそうで、それは何者かの助けを待っているようにも思える程に弱弱しかった。
浅い呼吸を繰り返すその気配に意識を集中させていると、僅かに呻き声のようなものも漏らしており、とてもではないが、人間に害を為すような存在とは思えない。
拾う情報から、その生き物の姿形が頭の中で形成されていくにつれ、エミヤの中である憶測が過ぎった。これは未知の獣などではなく、もっと身近な存在のようではあるまいか――――。
「……子供?」
人間の子供、それがエミヤの導き出した結論だった。いやまさかと、その可能性を一度は否定するも、確信めいていく予感に、身体から血の気が引いていく。どうやら二人の姉妹も同じ結論に至ったようで、先程までとは別の焦りが、姉妹らの胸の内で沸き上がった。
何故こんなところに子供がいるのかという疑問はあれど、今この瞬間に子供が助けを求めて倒れていることを思えば、そんな疑問は些事である。野生の獣が跋扈するこんな深い森の中で幼子を放っておけば、忽ち命を落としてしまうであろうことは明白だった。
「……ッ……!!」
姉妹らは示し合わせたわけでもなく、一斉に気配のした方へと駆け出した。子供がいるらしき場所は樹々の間に鬱蒼と雑草が繁っており、随分と視界が悪い。三人は生い繁る雑草を必死で掻き分け、それらの葉や棘がぶちぶちと自らの脚に傷をつけるのも構うことなく、辺りを懸命に探った。
「おい、どこだ!どこにいる?」
「返事でもしてくれれば良いんだが……!」
「声を出せぬ程に弱っているのかもしれないな……」
こうしている間にもどんどん衰弱しているであろう子供を思い、焦りばかりが先走る。その最中、僅かに聞こえた呻き声に、ハッとしてエミヤは振り返った。
「……う…………」
もぞりと何かが視界の端で動いたのを、エミヤの鷹の目が見逃す筈もない。飛びつくように雑草を掻き分け、エミヤは泥の上で倒れていた幼子を抱き上げた。
「ッ、君!大丈夫か!?」
倒れていたのは、まだ三歳かそこらの幼い子供だった。エミヤが呼び掛けても、子供は僅かに身じろぎこそすれ、くたりと力なく身体を預けたままである。昨晩までの嵐に打たれたのだろう。冷たい土の上でボロのように転がっていた小さな身体は全身泥だらけで、柔らかな肌はすっかり冷え切ってしまっている。幼子を腕に抱き、エミヤは思わず言葉を失った。あまりに痛ましい姿に動揺したのもあるが、エミヤの心に走った衝撃はまた別の要因にある。
(……綺麗だ)
美しい子供だった。さらりと長い髪はラピスラズリのように青く、肌は透き通るように眩く白い。人間の子供かと思いきや、よくよく見るとその耳は狼のような獣のもので、エミヤがその掌に吸い付くように柔らかな頬を撫でると、くすぐったいのか大きな耳がぴくんと僅かに動いた。臀部には髪色と同じ青々とした毛並みの可愛らしい尻尾が生えており、恐らくは里の大人達から伝え聞いたことのある獣人族という種族なのだろう。
しかし、アラヤの里の近くに獣人族の里があるなど聞いたことがない。一体どこからやってきたのかと暫し見惚れてしまったが、とくんとくんという子供の心音が伝わってきたことで、はっと我に返る。今はこの子が何者なのかはどうでもいいことだ。
「姉さん、さっきの鹿皮を貸してくれ!」
「待っていろ。見たところ脱水症状も起こしている。水を飲ませた方が良いな。この子供は私達で見るから、シャドウは他に異常がないか周囲を調べてきてくれ」
「ああ、任せておけ!」
シャドウが駆けていく足音を聞きながら、オルタから手渡された鹿皮で、冷え切った小さな身体を包んでやる。剥ぎ取ったばかりで何の処理もしていない皮だが、今はないよりはマシだ。
「親と逸れたのか?ほら、水は飲めるかね……?」
優しい呼びかけに、幼子が閉じられていた瞼をゆっくり持ち上げると、エミヤは再び言葉を失ってしまった。その瞼の下から現れた瞳は、宝石が埋め込まれていると言われたら信じてしまいそうな鮮やかな紅で。
身体が弱り切っているためか瞳の力強さこそ薄れてはいるが、人を魅了するには充分過ぎるその引力にごくりと生唾を飲んだ。獣人族がここまで美しい種族であったとは。固まるエミヤを、幼子が不思議そうに見つめてきたため、何を暢気なことをと慌てて自身を叱責する。
「ッ……な、何も心配しないでいいぞ。私達が何とかするから。ほら、慌てずゆっくり飲みなさい」
「……」
「……どうした?変なものは入っていないぞ?」
どうしよう、怯えさせてしまったかと困惑するエミヤを、幼子は微睡む赤い瞳でじっと見つめていた。しかし、どこかホッとしたように表情を緩ませると、俄かには信じがたい程に、その子はふわりと愛らしく微笑んだのだ。
「ふぁ……」
あまりのことに、エミヤは頬をぼぼっと真っ赤に染めた。ああ……未だ会いまみえたことのない天使とは、このように愛くるしい存在に違いない。そんなことを考えながら、天使がゆっくりと水を口に含むのを見守る。時間をかけてこくりこくりと水を飲み干すと、安心したのか、腕の中の天使はそのままこてんと意識を失ってしまった。
「……眠ったのか?」
「あ、ああ……そうらしい……!」
無防備なところを襲われぬよう、辺りを警戒していたオルタの呼びかけに、天使の寝顔をぽーっと見つめていたエミヤは、慌てて返事をした。顔が熱く、思わず自分の頬を押さえるエミヤに、オルタは首を傾げる。
「どうした?顔が赤いぞ」
「い、いや、何でもない。しかしまだ安心はできないな。早く休ませてやらないと……」
この子は一体どれほどの時間、森で一人彷徨っていたのだろう。どこからきて、この小さな身に何が起きたのか。アラヤの里は他の種族から見つからぬよう森の奥深くにあり、こんな小さな子が自然に迷いこむような場所ではないはずだ。誰か保護者と共にここまで来たと考えるのが自然だが、その行方も分からないとあっては、身元を調べるのも容易ではない。
「む、こいつの衣服……泥で汚れているだけだと思ったが……この黒染みは血だな」
「何!?怪我をしているのか!?」
「落ち着け、今確かめる」
オルタが子供の服の下へと手を入れ、身体を隈なく調べると、何かに驚いたように目を見開いた。
「これは……」
「どうした?重傷なのか……!?」
「いや、身体に傷はない。恐らく、血は別の生き物のものだろう。それが獣か……人間かまではわからないがね」
「そうか……なら一体何だというんだ」
エミヤの疑問にオルタはふむ、と頷いて口を開いた。
「こいつは雄だ」
「雄……?」
「ああ『男』だよ。正真正銘のね。私もこの目で見るのは初めてだからな。少々驚いた」
「これが男……」
思わずまじまじと見てしまう。男という生き物は、自分達女に比べてがっしりとした体型をしていると聞いていたため、見目麗しい姿のこの子供がそうだとは露ほども思わなかった。
「私達とそう変わらないのだな」
「まだ子供だからな。大人になれば多少は差異が出てくるらしい。こいつは獣人族だから、普通の人間より筋肉質に育つんじゃないか」
「そうか……」
そうこうしている内に、シャドウが辺りの捜索から戻ってくる。成果を促すも、力なさげに首を横に振るだけだった。
「特に異常はなかったな。その子の保護者が近くにいるのではとも思ったが……」
「見あたらないか」
「残念ながら。逸れたのか、獣に襲われでもしたか……それも分からない。少なくとも近くにそれらしき遺留品などは見当たらなかった」
「そうか……ご苦労だったな」
シャドウを労わりつつ、今後のことを決めなければと、エミヤの腕の中ですやすやと眠る幼子を姉妹らは途方に暮れたように見つめた。幼子がこんなところに一人でいる理由など、本人に聞いても分からぬだろうし、故郷の場所を聞き出すのも恐らく絶望的だろう。
だが、子供の体力を考えれば、いつまでもこんなところで考えていても仕方がない。この状況で今自分達が何をしなければならないのかは明白で、しかしそれを成すには、里の禁忌に触れなければならないことを姉妹らは理解していた。
「……オルタ姉さん、シャドウ」
ふうと息をつき、エミヤは二人の姉妹に向き直った。
「悪いが、二人は少し遅れて里へ帰ってくれ」
「……エミヤ姉さん?」
「この子は私が里へ連れ帰ろう。そうすれば」
「罰を受けるのは自分だけで済む、か?」
エミヤの言葉を遮り、オルタは眉間に皺を寄せた。その厳しい表情に、思わずエミヤもたじろぐ。
「あ、ああ……その通りだが……」
「そんなこと、許すはずがないだろう」
エミヤの案はオルタにぴしゃりと棄却された。他の種族をアラヤの里に入れるのは、禁忌中の禁忌だ。
しかし、幼い子供の命がかかった状況でそんなことは言っていられない。自分が罰を受けるだけで子供の命が助かるのなら安いものだろうと考えたのだが、オルタの睨むような目つきに、まさか反対されるとはと困惑した。たしかに禁忌ではあるが、子供を助けるためならやむなしと、この姉妹らであれば納得してくれると思ったのに。
「自分勝手な行動は慎め」
「オルタ姉さん……しかしッ……!」
「ああ、それは私も賛成しかねるな」
「シャドウまで……里に連れて帰らなければ、この子はどうなる?禁忌と言えど、そんなことを言っている場合では」
「勿論その子供の命は助けなければならない。だから私達三人で里に連れ帰る。だろう?シャドウ」
「ああ、それしかないな。オルタ姉さん」
二人の予想外の提案にエミヤがぽかんとしていると、オルタとシャドウは呆れたように溜息をついた。
「そういうところが、お前の悪いところであり長所でもあるんだがな……この御人好しめ」
「オルタ姉さん……」
「そうだぞ。三人一緒にこっ酷く叱られよう。エミヤ姉さん。きっと族長も分かってくれるさ」
「シャドウ……」
やれやれというように、ぱちんとウインクをした二人の姉妹に、ふふ、と思わず笑みが零れる。
「ああ……すまなかった」
「分かればいい」
エミヤの頭をぽんと叩き、オルタは柔く微笑んだ。
* * *
その晩、アラヤの里は荒れに荒れた。他の種族の子供を抱えて里に駆け込んできた姉妹らを見て、悲鳴を上げる者すらおり、それは他種族を目にした物珍しさからくるものでは決してない。特に老いた年長者は恐怖に怯えきり、いつも穏やかな里は明確な異常事態に陥ってしまっていた。
(すまない……)
アラヤの里が他種族との交流を絶った理由を考えれば無理もない事である。こうなることは分かっていたとはいえ、道すがら卒倒してしまった老婆の姿を目にした時は流石に心が痛んだ。どんな罰も甘んじて受けようと心に決め、エミヤは子供を強く抱き締めた。
「エミヤはミルクを温めて、そいつに飲ませてやれ。シャドウは暖炉に火をいれてくれ。私は沐浴用の水を汲んでくる」
「ああ、頼んだ。オルタ姉さん」
阿鼻叫喚の里を駆け抜け、姉妹らは自分達の家に飛び込んだ。三姉妹が他の種族を里に連れ込んだという噂は、既に里中に知れ渡っているだろう。上の者から何かしらの通達が来るのは、時間の問題だ。しかし、今は何よりこの子を休ませてやらなくては。抱きかかえた子供をベッドに寝かせると、エミヤは今朝方搾っておいた山羊のミルクを急いで温めた。もっと栄養のあるものを食べさせたいが、それはこのミルクが問題なく消化できることを確認してからだ。獣人の子供が何を食べるのか分からないが、無事に口にしてくれることを祈りつつ、適温に温めたミルクを注いだ器と匙を持って、ベッド脇に腰を下ろした。
さて、栄養を摂らせたいが、寝ているのを起こすのも如何なものかと少しばかり悩み、その愛らしい寝顔を見つめた。寝息は穏やかで、どうやら最悪の事態は免れたらしいことがわかり、一先ずホッとする。もし自分達が今日あの群生地に行かなければ、この子は誰にも見つけられることのないまま、あそこで一人息絶えていたのだろう。そう思うとたまらなくなって、エミヤは目元に込み上げるものをぐっと堪えた。
「う…………」
子供が小さく声を上げ、僅かに身じろぎをした。ふわふわと閉じられていた瞼がぴくんと動き、その柔らかな睫毛を揺らしている。どうやらミルクの匂いに誘われたらしく、その愛らしい鼻と大きな耳をぴるぴる動かすと、むにゃむにゃと寝言のようなものと言って、子供はゆっくりと瞼を持ち上げた。
「おや、気がついたかね?」
「…………」
自分の置かれている状況がいまいち思い出せずにいるのだろう。暫しぼんやりとしていたが、その紅玉がエミヤの姿を映すと、急に生気が戻ったように、がばりと勢いよく起き上がったので、流石に少し面食らってしまった。
「おお……!?い、いきなり起き上がらない方が良いぞ……?まだ少し横になっていたまえ」
「……!」
何やら瞳を爛々とさせ、エミヤをじっと見つめてくる子供を不思議に思いながらも、起き上がる体力はあるようだしまあ良いかと、手元の匙を掬いあげた。
「山羊のミルクを温めたのだが、飲めるだろうか」
「!!」
ふわりと湯気のたったミルクを見て、子供は深紅の瞳をきゅるんと瞬かせると、嬉しそうにこくこくと頷いた。途端、ぐぅと鳴った小さな腹の虫に、思わずくすりと笑ってしまったが、少しばかり不満げな表情を見せた子供の顔に何とか堪え、匙で口に運んでやる。
「ふふ。ほら、あーん」
ミルクの匂いに鼻をひくつかせ、子供はゆっくりと口を開けた。幼いながらに獣人族らしい小さな牙が生えているのが、ちらりと見える。運ばれた匙を口に含み、あむあむとミルクをじっくりと味わっているのが手元の匙に伝わり、それが何とも愛おしい。子供は美味しそうにミルクをごくりと飲み干すと、満足そうに耳をぺたんと倒し、すぐにおかわりを求めて口を開けた。まるで雛に餌をやる親鳥になった気分だ。
「その子の容体はどうだ?エミヤ姉さん」
黙々と暖炉に薪をくべていたシャドウの言葉に、ミルクを飲ませてやりながらエミヤは、あぁと頷いた。
「もう大丈夫だろう。きちんとミルクを飲んでいるし、顔色も良い。怯えている様子もないし、精神的にも落ち着いているようだ」
「そうか、良かった。親恋しさに衰弱でもしたらと思ったが……ふふ、エミヤ姉さんにだいぶ懐いているようだし、問題なさそうだな」
「む、懐かれている……のだろうか?」
「何だ姉さん、自覚がないのか?どう見ても好かれているぞ?」
可笑しそうに笑うシャドウの声を聞きながら、そうなのか?と目の前の子供の顔色を窺う。すると、子供はきょとんとしたように、その淡紅の唇を開いた。
「え、みや……?」
不意に子供が声を出したので、エミヤとシャドウは驚いて顔を見合わせた。幼さ故に言語もままならないのではと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
「あ、ああ、そうだ。私はエミヤだ。そっちは妹のシャドウ。今はいないが、もう一人姉のオルタがいる」
「えみや……!」
エミヤがあらためて名乗ると、子供は嬉しそうに尻尾を振り「えみや、えみや」と繰り返す。
「ふふ。覚えて貰えて嬉しいよ。ちなみに君の名前は分かるだろうか?」
「おれの?」
「そうだ、君の名前だ」
少し考えるように首を傾げていたが、幼児の舌では発音しづらいのだろう。たどたどしくはあるものの、子供はゆっくりと自分の名前を名乗ってくれた。
「……せたんた!」
「セタンタ?そうか君はセタンタというのだな」
エミヤが名を呼んでくれたのが嬉しいのか、セタンタは満面の笑みでこくこくと頷いた。それがまた愛らしくて、エミヤは思わず顔を綻ばせると、よしよしとセタンタの頭を撫でてやる。
「では、セタンタ。君の住んでいたところはわかるかね?場所とまではいかずとも、里の名前や何か目印になるようなものだけでも思い当たらないだろうか?」
「……?」
理解できぬといったように、不思議そうに首を傾げるセタンタに「そうか……」と答えてエミヤは眉尻を下げた。
「……わからないか。流石に性急だったな。すまない。気にしないでくれ」
「えみや!」
「おっと……!はは、甘えん坊さんだな」
再びエミヤの名を呼ぶと、セタンタはエミヤにぎゅうとすり寄り、嬉しそうに抱きついた。ミルクをこぼさぬように、慌てて側にあった机の上に器と匙を置く。
保護者は見つからない、住んでいた場所も分からない。となれば、この子を元の暮らしに戻してやるのはほぼ不可能と言っていいだろう。今は落ち着いているが、本当の家族が側にいないことに気がついたら、きっと寂しい思いをするに違いない。この幼気な子が歩むであろう苦難の生に想いを馳せ、エミヤはぎゅうぎゅうと抱きついてくるセタンタの背中を柔く撫でてやった。
「……ミルク以外も口にできるかね。今夜はシチューの予定なのだが」
「くう!」
「そうか。ではすぐに用意しよう。セタンタ」
きらきらと眩い笑顔に、きゅるんと瞬く紅玉。こんなにも鮮やかな青は、エミヤが生まれてこの方目にした事のないもので。
この子は自分の身に変えてでも、護らなければ。エミヤがそう強く決意を固めた時だった。
「これは族長。わざわざお越し下さるとは……」
不意に扉の外から聞こえてきた声に、ハッとして振りむく。暖炉の前にいたシャドウも、ぴりりとした空気を纏わせ、扉の方へ視線を向けていた。今聞こえてきた声はオルタのものだが、その内容から察するに、扉の向こうにいるのは姉一人だけではないのは間違いない。
「オルタ、私が来た理由は分かっているだろう?」
「……ええ」
「よろしい。エミヤとシャドウは中にいるな?入らせてもらうぞ」
扉越しに聞こえてくる族長の声に、思わず身体が固くなる。里の禁忌に触れる行いをしてしまったのだから、誰かしらの権力者から通達があるのは予想していた。しかし、まさか族長直々に赴いてこようとは。
「えみや?」
幼いながらに何か感じるものがあったのだろう。セタンタが心配そうに顔色を窺ってきたので、不安を煽らぬようににこりと微笑みかける。
「お客さんがきたらしい。なに、すぐ済むよ」
族長は厳しいが、根は優しい人だ。自分達姉妹が然るべき罰を受けさえすれば、この子を里に置くことをきっと許してくれる筈である。ぐっと覚悟を決め、扉が開くのをじっと待つ。
ギィ……と音をたてて開いた扉の向こうには、水桶を抱えたオルタと族長が立っていた。里の掟に従い、即座に膝をついて頭を垂れる。
「顔を上げなさい」
「は……」
言われた通り頭を上げ、族長の顔色を窺う。その表情は思いの外穏やかであったが、逆に何を考えているのか読みづらく、幼い姉妹らには恐ろしく思える。家の中へ入って来た族長は、エミヤの腕の中にいるセタンタを見とめると、そのままゆっくりベッド脇へと近づいてきた。ぱちぱちと暖炉の薪が爆ぜる音が、いやに耳に響く。
「これが里中で騒ぎになっている獣人族の子供だな」
容赦なく向けられる族長の瞳に、思わず腕に力を込める。この子を奪われたくない、その一心でちらりとセタンタに視線をやると、何も分からぬ幼子は近づいてきた族長をその純粋な瞳でじっと見つめ、ぽかんとしていた。ああ、何を恐れている。私が護らなくて誰がこの子を護るというのだ。
「……そうです。狩りの最中、森で衰弱しているところを偶然発見し、保護致しました」
決して失言をしてはいけない。何とかエミヤが返事を返すと、族長は矢継ぎ早に質問を重ねた。
「お前達、里に他の種族を入れてはいけないという掟があるのは知っているな?」
「知っています」
族長の淡々とした問いかけに、オルタがすかさず言葉を返した。間近で族長の厳しい視線に晒されている妹の代わりに、助け舟を出してくれたのだろう。そのまま姉妹三人で床に手をつき、族長に懇願した。
「里の禁忌を破った罪。償う覚悟はできております」
「はい、姉妹共々どんな罰も受ける所存です」
「ほう……良い心がけだ」
「ですからどうかお願い致します。この子供は己が帰るべき故郷を知りません。我らが里でこのまま……」
「掟を理解しているのならいい。では、その子供を拘束する。身柄を引き渡しなさい」
「え……あの、族長。この子をどこへ……?」
「何を寝惚けたことを。こう言った方が良かったか?その子供はこちらで処刑する。里の混乱を避けるため今夜中には執行するだろう」
「……は?」
どうかこの里でセタンタが暮らすことを許して欲しい。そう願い出ようとしたエミヤの言葉は、族長の信じ難い言葉で遮られた。いや、きっと聞き間違いだ。そうに決まっている。
「族長……?今なんと……」
「その子供は殺す。この里に他の種族が入ることは決して許されない。それはお前達自身も知っていると、たった今自分の口で言った筈だが」
「そ、それはそうですが、その……この子はまだこんなに幼いのです。そこまでする必要は……」
何とか言葉を絞り出しながらも、呼吸が酷く乱れているのが自分でもわかった。隣でオルタとシャドウも必死に反論をしてくれているが、族長は首を横に振るばかりである。
(セタンタを殺す……?)
アラヤの民は厳格な掟の元で生きてはいるが、決して冷徹な種族ではない。無意味に幼子の命を奪うような決定はあり得ないのだ。しかし下された命令は、想像を遥かに超える非情なもので。どくどくと脈打つ動悸。いつの間にか自分の胸元を強く抑え込んでいたエミヤの手に、紅葉のような小さな手がそっと重なった。
「えみや?くるしい?」
無垢な赤い宝石。それが自分を心配そうに見つめているのに気がつき、エミヤは弾けたように叫んだ。
「御考え直しください、族長!」
「そうです、あんまりです!」
事態をうまく飲み込むことができぬまま、だが何とか考えを変えてもらわねばと、必死で説得を試みる。この子に罪はない、どんな厳しい罰でも代わりに自分達が受ける……そう三人がかりで繰り返す。族長は表情を変えなかったが、静かに溜息をつき、わかったと答えた。
「……では殺せぬというのなら、里の外へ捨ててこい。これ以上は譲歩せん」
「無茶な!それでは殺すことと同義だ!」
「本来なら里に立ち入った者は即刻処刑だ。それを幼子ゆえに温情を与えてやろうと言っている」
「ッ……ですが……!」
「くどい!お前達もアラヤの民なら理解しろ!」
「……ッ……!」
「何故、我々が他の種族との交流を絶ったのか、それはお前達も分かっているはずだ!」
「……それは……」
族長のびりびりと空気が唸るような怒鳴り声に、三人は言葉を失った。この族長がここまで感情を露わに声を荒げるのを見るのは初めてのことである。しかし族長がここまで頑なに結論を変えない理由を、三人も本当は理解できないわけではなかった。
――これはエミヤ達姉妹が生まれるよりも前の話。アラヤの負の歴史の話だ。
昔は少なからずアラヤと他の種族の交流はあったという。しかし、今の隠れ里に皆が移り住むことになったある出来事以来、一族は外との交流を一切絶った。いや、移り住んだというより、逃げ込んだと言った方が正しい。アラヤは皆、白髪で褐色肌という外見的特徴と女しか生まれないという特性があるが、見た目は普通の人間と同じだ。
しかし、アラヤと普通の人間が決定的に異なる点が一つある。それはアラヤの身体には『魔術回路』が通っている、ということだ。
魔術を扱うことのできるアラヤは、昔から人間達に疎まれていた。元々普通の人間より数の少なかったアラヤは、深い森の奥でひっそりと身を寄せ合い暮らしていたが、元来心優しい種族であったため、魔術を扱える自分達を人間が恐れるのは仕方のないことだと納得していたし、決してそれを恨むようなことはしなかったという。使える魔術も攻撃的なものでは決してなく、簡単な投影や強化魔術を扱うのみで、自らの生活に僅かばかり役立てているだけであった。
しかし人間はアラヤを恐れ、疎むあまり、次第にその身に宿す魔術回路を妬み、欲するようになったのだ。そんな折である。人間達の間でとある噂がまことしやかに広まったのは。
『アラヤの女と番えば、その身に魔術回路を宿すことが出来るだろう――』
最初はどこが出所かもわからぬただの噂であった。そもそもアラヤと番うだけで魔術回路を宿すことができるのなら、子を成す過程で相手の男は魔術が使えるようになっているはずで、そういった人間が数多く存在していなければおかしい。しかしそんな信憑性のない噂でさえ、自らの欲望に都合が良いとあれば信じてしまう愚かな人間はいるもので。
とある国の王が『アラヤの一族を探し、捕らえよ』という触れを出したのは、それから間もなくのことであった。自国の民が魔術回路をその身に宿せば、強大な力を手に入れることが出来る。国の支配者たる王がそんな考えに至ったのは、当然の成り行きではあったが、アラヤの民からすればそれは悲劇であった。
ある日突然アラヤの里に現れた軍は、民を蹂躙した。抗戦しようにも、穏やかで碌に戦い方も知らなかったアラヤの民は武装した人間の軍相手に無力だった。それでも皆必死に抗ったが、捕まった女は魔術回路を求める醜悪な兵士達の慰み者にされた。無論、抵抗の末に殺される者も数多くおり、アラヤの民は半数近くがその犠牲になったと記録に残っている。
しかし、当然ではあるがアラヤの女と番った誰一人、その身に魔術回路を宿すことはなく、所詮はただの噂であったと分かると、里を攻めた国の王はアラヤへの興味を失った。だが、捕まったアラヤの女達が解放されることはなく、その殆どが再び家族に会うことも叶わず、死んでいったという。望まぬ子を腹に宿したことで絶望し、命を絶った者。珍獣と同じ扱いを受け、金持ちに売り飛ばされた者。魔力を無理矢理吸い出され、兵力として利用された者。魔術回路の物理的移植の実験に使われた者……。
その末路は様々であったが、決して人間のそれとは言えぬ最期を迎えたことは確かである。里が襲撃された際、無事に逃げおおせた者達は幼い子供や老人ばかりで、比較的力の強かった若い盛りの女達は、民を逃がすために多くが犠牲となっており、アラヤの一族は血の絶える寸前だったらしい。それでも何とか森の奥深くに逃げて結界を張り、今の隠れ里を作ったのだ。
「……悲惨な過去を繰り返してはならない」
族長が悲痛な面持ちでそう言ったのを、姉妹らは黙って聞くことしかできなかった。他の種族がアラヤに何をしたのか。それをエミヤ達里の子供は、幼少の頃より何度も何度も繰り返し言い聞かせられて育っている。負の歴史を踏まえ、アラヤは己の身を護れるよう武を鍛えた。元来穏やかに暮らしていたアラヤが、武術を会得するのは決して容易ではなかっただろう。
エミヤ達が高度な弓の技術を学ぶことができたのも、その先人らの並々ならぬ努力があってのものだ。そして先人らは武術に加え、今後決して里が脅かされることのないよう、厳格な掟を作りそれを忠実に守り生きてきた。今の里は、アラヤにとって最後の砦なのだ。この里の場所が外に知れたら、今度こそアラヤの一族は滅びてしまうかもしれない。
「アラヤの魔術回路をその身に宿したいと考えている人間は、いまだ存在するのだ。それが決して叶うことのない願いだとしてもな……」
アラヤの魔術回路は一族の身体に脈々と受け継がれてきたもので、それは他の種族に移すことは決してできない。だが、遥か昔に流れた噂をいまだ信じている人間はおり、アラヤの民を捕らえた者に莫大な褒賞金を出すと明言している者さえいる。
「その獣人族はたしかに今は子供だろう。だが成長したのち、他の種族にこの里の場所を触れ回らない保障がどこにある」
「そんなことは……!」
「ああ、ないかもしれない。だが、絶対に信じられると言い切れるか?将来、その子供が我々の敵になりえないと今此処で証明できるか?一時の情に流され、その結果一族を危険に晒すなどあってはならないのだ」
「…………」
ぐっと下唇を噛む。族長の言っていることは非情だ。だが決して間違ってはいない。セタンタはそんなことをする子ではないと信じているが、不確定な未来を証明する術など、神ではない自分が持ち合わせているはずもなく。いつの間にかエミヤの口の中には鉄の味がじわりと広がっていたが、それでもどうにもならない現状に湧き上がる感情を抑えることができなかった。
「……里の者が再び蹂躙されるようなことがあれば、それは想像するだに悍ましい。そんな光景を私は見たくはない。もう誰も悲しむことがあってはならないのだ。無論、それはお前達もだ……エミヤ」
出来るはずがない。こんなに愛らしい命を……子供を一人森に捨てるなど。ましてや殺すなど。
「此処で楽に殺してやるか、里の外へ捨てるか……好きな方を選べ」
族長の辛そうな表情に、この非情な決断を好きで下しているわけではないことを悟る。ああ、これは里の者全てを護るために必要なことなのだ。再び他の種族に害されないように。ただただ穏やかな生活を守るために。
「……どうにも……ならないのですね……」
「ならぬと言ったらならぬ……これも一族のためだ」
傍らのセタンタの頭を抱き込む。温かい。ああ、何と愛しい命なのだろう。柔らかな頬も、さらさらと指通りの良い髪も、戸惑いがちに見つめてくるあどけない瞳も……全てが確かに生きている。
「例外はない。その幼子のことは忘れるのだ……辛いだろうが……わかってくれ、エミヤ」
族長が諭すように、エミヤを抱き締めた。そこに先程までの厳しさはなく、ただただ心に傷を負った少女を包む、まるで母親のような柔らかさだった。
(……ああ)
その優しさが、震えが、エミヤの中で何かを固く決意させた。
「……わかりました」
自分の腕の中で純真無垢な表情を見せる幼い青を守るように、エミヤはその手に力を込めた。
「今夜……里の皆が寝静まった後……私がこの子を捨ててきます」
* * *
「ッ……うまい!」
「そうか、良かった。おかわりはまだあるぞ。たくさん食べなさい」
今日捕ったばかりの鹿肉で作ったシチューを、セタンタは目をきらきらさせながら嬉しそうに口に運んだ。そんなセタンタを、三人の姉妹は同じ食卓を囲みながら、じっと見つめている。
セタンタは今夜中に里の外へ返す。だがしかし、最後にせめて美味しいものを食べさせてやりたい。身体を綺麗にして見送ってやりたい。そんなエミヤの願いを、族長は「好きにしなさい」と許してくれた。所謂、最後の晩餐。幼いセタンタは族長との会話の内容をきちんと理解できなかったようで、暫く漂っていた重い空気に戸惑っていたが、目の前に出された豪勢な食事に、その不安もいつしかどこかへいったようだった。
「えみやぁ、おかわり!」
「はいはい。少し待っていたまえ」
セタンタの空になった器を手に取り、エミヤはおかわりをよそうため席を立った。幸せいっぱいの顔を浮かべて、あむあむとパイを頬張るセタンタの口の端から、ぽろぽろと屑が溢れるのを、隣に座っていたシャドウが拭ってやる。
「あーあー、溢してるぞ。気をつけろ。それにもっとゆっくり噛んで食べないと、胃がびっくりしてしまうじゃないか。久しぶりの食事なのだろう?」
口元を綺麗にしてもらい、暫しきょとんとしていたセタンタだったが、すぐにまたパイを口いっぱいに頬張り始めたのでシャドウは呆れ顔で溜め息をついた。
「全く仕方のないやつめ。腹を壊しても知らんぞ」
「なあ、えみやのめし、うまいな!」
「ふっ、そうだろう、そうだろう。エミヤ姉さんの料理は絶品なんだ。ほら、こっちのチーズも美味いぞ。食べてみろ」
得意げに自分の姉を自慢するシャドウに、セタンタは満面の笑みを浮かべた。
「おれ、えみや、すきだ!」
「ふふ、そうだな。私もオルタ姉さんも……エミヤ姉さんのことが大好きだよ」
「二人とも仲良しだな。ほらセタンタ、おかわりだぞ」
ふわりと湯気の漂うシチューが並々と注がれた器を目の前に置かれると、セタンタは尻尾をぶんぶんと振ってエミヤに抱きついた。
「えみやぁ、だいすきだ!」
「……ありがとう。食べ終わったら一緒に沐浴をしよう。オルタ姉さんが湯を沸かしてくれている」
「食事の片づけは私とシャドウでしておこう。二人でゆっくりしてくるといい」
「すまない、オルタ姉さん。シャドウも」
「これくらい当然だろう。姉さんは何でもかんでも一人でやろうとし過ぎなんだ」
「……そうか」
セタンタの頭を撫でながら、エミヤは困ったように眉尻を下げた。
「ほら、食事が冷めてしまう。皆たくさん食べてくれ」
「……ああ、いただこう」
「ふ、そうだな。この分だとセタンタに全部食べられてしまいそうだ」
「おれ、もっとくいたい!」
「はは、もし足らないようなら追加で作ろう。幸い鹿肉はまだまだあるからな」
皆が幸せそうに、自分の作った料理を口に運んでくれている。その一見温かな光景が、今は逆に苦しい。肉が舌の上でとろけるのをじっと味わっているオルタ、物静かな姉達に代わり食卓の話題を提供してくれるシャドウ、無邪気に食事を頬張るセタンタ……。
「えみや、たべないのか?」
「……ああ、食べるとも」
「えみや、たべてない。もっとたべなくちゃ、だめだ」
ほら、とセタンタがシチューを掬った匙を差し出したので、ぱちくりと目を瞬かせる。流石にそれは、と躊躇うも、セタンタはにこにこと楽しそうだったので、エミヤは少しはにかみながらそれを口に含んだ。
「さっき、みるくのませてくれたから。おかえしだ!」
「ふ……そうか、ありがとう」
とろりと煮込まれたシチューは、我ながらとても美味しくて。しかしどこか苦く感じたそれを、エミヤはこくりと飲み干した。
* * *
すっかり月が空の真上に上り、とっぷりと陽が暮れた頃。ふわりと花の香りが漂う小さな身体に薄布を巻き、エミヤはセタンタをベッドからそっと抱き上げた。
「もっとゆっくり休ませてやりたかったが……」
食事の後、泥に汚れた身体を湯で綺麗に流してやると、余程心地良かったのだろうか。セタンタは裸のまま、エミヤの腕の中でこてんと眠ってしまった。幼い身体で何日も森を彷徨ったのだ、疲れて当然だろう。起こさぬように身体を拭いた後、服を着せてベッドに寝かせたのだが、幸いこの時間まで起きることなく熟睡しているようだった。
己の身支度を済ませ、腕の中ですうすうと穏やかな寝息を立てているセタンタと、寝床で静かに眠っている二人の姉妹を起こさぬよう、ゆっくりと家の戸を開ける。
外へ出ると、数刻前の騒ぎが嘘のように、里はすっかり寝静まっており、夜特有の冷たい澄んだ空気が、エミヤの肌をしとりと撫でた。そろりと一歩踏み出した足音が、ざり、と妙に響いた気がして、セタンタが起きやしないかと少し不安になったが、変わらず穏やかな寝顔を晒している幼子にホッとする。ざり、ざり、と名残惜しむように、ゆっくりと歩を進める音がどこか寂しく響く。汚れが落ち、より美しくなった青い髪をするりと撫で、エミヤは申し訳なさげに目を細めた。
「私が不甲斐ないばかりに……すまない……」
「う……」
エミヤの言葉が聞こえたのか。それは定かではないが、呼びかけに答えるように、ふるりと揺れた長い睫毛が愛おしく、その丸いおでこにそっと唇を寄せると、エミヤはぽつりと呟いた。
「……君は私が護るよ」
「エミヤ」
突然後ろからかけられた声に驚いて、エミヤは思わず振り返った。
「オルタ姉さん……シャドウ……」
姉と妹がいつの間にか家の前に立っていた。先程、セタンタを寝床から抱き上げた時は、二人とも眠っていたと思ったのだが。
「……どうしたんだ、二人とも。セタンタは私が連れていくと言った筈だが」
「こんな時に寝ているほど、薄情じゃないさ」
「……私に任せて、二人は休んでいてくれ。こんな夜だが、念の為だ。私一人の方が人目にもつかんだろう」
「……エミヤ」
「……エミヤ姉さん」
近づいてきた姉と妹に表情はなく、何と言葉を返せば良いか分からずエミヤは視線を泳がせた。しかし、そんなエミヤの動揺とは裏腹に、オルタはそのしなやかな手をやわりと伸ばすと、腕の中のセタンタの頬をそっと撫でた。
「全く……こんな薄い布切れだけではこいつが凍えてしまうぞ。そんなことに頭が回らないお前ではないだろうに。ほら、持って行け」
そう言って、オルタは家の中でも一番上等な鹿皮をエミヤに手渡した。突然のことに、姉の顔と手元の毛皮を見比べる。
「オルタ姉さん……?」
「エミヤ姉さんともあろう者が、何だその軽装は。もっと他に持っていかねばならんものが、いくらでもあるだろう?色々詰めといたからな」
「……シャドウ?」
続いて、シャドウまでがぱんぱんに膨らんだ鞄を寄越してきたので、状況が掴めず困惑する。
……いや、本当は二人の行動の意図自体は理解していたのだ。ただ、自分の考えていることが二人にばれてしまっていたことへの戸惑いと、鞄を手渡してくれたシャドウの瞳が、酷く潤んでいたことへの罪悪感がエミヤを襲った。思わず言葉をなくしていると、オルタが呆れたように溜め息をついた。
「……もう、此処へは戻らないのだろう」
「何を……」
「もう、誤魔化すな。お前が考えていることくらい、私達はよく分かっているさ。お前がその子供を捨てられるわけがない」
「オルタ姉さん……」
「だからといってこのまま里に置いておけば、セタンタは殺されてしまう。なら、セタンタを連れて一緒に里を出るしかない……とエミヤ姉さんならそう考える。どうだ?当たりだろう?」
「シャドウ……」
「お前は穏やかだが、なかなか頑固なところがあるからな。止めても無駄だとシャドウと話したよ」
「その通り。まあ……私も子供が死ぬのは嫌だからな。黙って見送ることにした……」
「…………」
目にいっぱいに涙を溜めて言葉を振り絞るシャドウに堪らなくなって、エミヤはその身体を抱き締めた。
「あぁ……すまない。シャドウ……」
「姉さんは悪くないだろう……しかし、私達に黙って出て行こうとしたのは許しがたいぞ。この薄情者め」
「ああ、それに関しては私も言いたいことがある。私達が引き留めると思ったか?お前は自分の家族を信じきれなかったのか?少しは相談しろ、この愚妹が」
「ぐうの音も出ないな……申し訳ない」
じとりと睨んでくる姉と妹に、責められるのも致し方なしと腹を括る。ぷくりと頬を膨らませていたシャドウはやがて、はぁ……と目元を伏せ「だが、それがエミヤ姉さんだものな」とどこか諦めたように呟いた。
「まあ……事実、エミヤ姉さんと離れたくないのも本当だ。本音は私達も一緒に行きたい……でも私達が三人ともいなくなったら、食料を調達する狩人が減って里が困る。子供達が餓えるのは絶対に駄目だ」
「良い子だ。それでこそ私達の自慢の妹だよ」
「ああ……この里は、子供から大人まで皆優しい人達ばかりだからな……。当たり前の日常を壊すような決断はしたくない」
ぐっと涙を堪えるシャドウを、オルタがふっと笑みを浮かべて抱き締めた。珍しいオルタの笑顔に、エミヤもシャドウも少々驚いたが、何だかとても温かくて誰からともなく、くすくすと笑みが零れた。
「ん……えみや……?」
「ああ……セタンタ。すまない。流石に起こしてしまったな。まだ眠っていて良いぞ」
三姉妹の囁くような、しかし楽し気な笑い声に、目覚めてしまったのだろう。しょぼしょぼと眠そうな目を擦るセタンタをあやすように頭を撫でた。
セタンタも起きてしまったし、あと数刻もすれば夜明けだ。いつまでも別れを惜しんではいられない。エミヤは意を決して、口を開いた。
「ではな……どうか二人とも元気で」
「ああ。お前もな、エミヤ」
「エミヤ姉さん……!」
たまらずシャドウがエミヤの頬に口付けると、続いてオルタももう片方の頬にそっと口付けをした。そんな親愛なる姉と妹に心を込めて、エミヤからもお返しの口付けをする。
「……皆にも今まで世話になったと、育ててくれてありがとうと伝えてくれ」
「ああ」
「また会えるさ」そう言って別れることができれば、どんなに楽だったろう。しかし自分は里の掟を破ったばかりか、族長の下した命令を無視し、他種族の者と共に里から去る身だ。決して戻っては来られまい。そして、アラヤの民であるオルタとシャドウは、今後もこの里で身を隠し続けなければならない。つまり、今後再び会える可能性はないと言って良い。しかし、誰もそのことには言及しなかった。
「えみやぁ!おれも!」
「ん?どうしたセタン……」
――ちぅ。
突然、手を伸ばしてきたセタンタに顔を寄せると、何か温かなものが唇に触れているのに気がついた。一体何事かとエミヤが呆然とすれば、目の前にはセタンタの満面の笑顔。
「せ、セタンタ……?」
「えみやぁ……」
寝ぼけたセタンタは、にこぉっと満足そうに微笑むと、そのまま再びすやりと眠ってしまった。暫し何をされたのか理解が追い付かず、何事もなかったかのように眠りについたセタンタの寝顔を見つめることしかできない。
「なん……?」
「何だ、こいつ私達の真似をしたのか?」
「ははっ、姉さんの唇を奪うとは大物だなセタンタ!これなら姉さんを安心して任せられそうだ」
「ふむ……まあ、思うところがないわけでもないが、仕方ない。大目に見てやろう。だが、私の妹に寂しい思いをさせたら許さんからな」
「二人とも、子供に何を言っているんだ……」
愉快そうにセタンタの寝顔を見つめる姉と妹に呆れつつ、エミヤはくしゃりと苦笑した。
何故だろう。生まれた時からずっと一緒だった、大切な姉妹との別れなのに。もう二度と会えぬかもしれないというのに。胸を裂くような寂しさはあれど、里を出る恐れは不思議と感じなかった。