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いつかは君も空を翔ぶ②/Novel by 黒鵐

いつかは君も空を翔ぶ②

11,365 character(s)22 mins

乙嫁的セタ弓続きました。
前作の翌日の話なので初見さんに不親切仕様になってます。
セタンタとクー・フーリンの境目って死ぬほど難しい…。
セタンタの父親はキャスターみたいな感じを想像してもらえると。
※話の中で未成年飲酒表現がありますが、パロディとしてご覧ください。
普通に幸せな夫婦書きたいので、番外寄せ集めくらいはあるかもしれません。

たくさんのブクマ、いいね、スタンプ、コメントなど、心より感謝いたします。
語彙が少ないので一辺倒ですが、本当にありがとうございました!

素敵な表紙はベルコ様(illust/60335853)よりお借りしております。

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セタンタの嫁発言から翌日、まさか長も村人たちも許すはずないだろうと思っていた。
でなければそもそも奴隷にするわけもない。
それにセタンタは雛鳥の刷り込みのように、優しくしてくれる私に抱く親愛の情を幼心に勘違いしているように思う。
だから、時が経てば彼も親離れ、いや親ではないが、私の元を離れ、一介の奴隷として扱われるようになるのだろう。
それでも彼は優しいから、今のまま身の回りの世話くらいはさせてくれるかもしれない。
そんなことを考えながら、まだ筋肉の薄い体に白い絹を使ったゆったりとした下履きを履かせ、その上から金と青の糸で細やかな刺繍が広がる裾の長い上掛けを纏わせた。
刺繍された紋様には長寿や繁栄、叡智、信仰、魔除けといったさまざまな意味合いが込められ、どれだけ彼が期待を背負っているかが見てとれた。
事実、セタンタは才気に溢れていた。
膝をつき、背後から髪と同じくらい深い青の帯を腰と右肩に通して結び、見事な革張りの靴を履かせて、最後の仕上げとして鉱石が結ばれた絹糸を青い髪に編み込んでいく。
その間、セタンタは口を開かずに黙って堂々と座り、瞳を伏せていた。
それがまた彼を大人びて見せて胸の奥が締め付けられるような感覚がした。
こうして、そばにいられるのもいつまでなのだろうと思うと、今日のめでたい日を目に焼き付けようと心に決めた。
終わったぞと声をかけ、いつもの癖で頭をぽんとひと撫でして、はたと固まる。
成人する者に対して失礼だっただろうかと窺っていると、彼はパッと目を開き立ち上がると勢いよくくるりとこちらを振り返って鉱石が絡む髪が木漏れ日を反射してキラキラと光る。

「な、な、エミヤ、今日の俺はかっこいい?」

得意気に笑ってどうだ!と胸を張る彼には悪いがそのさまがとても可愛らしいと思った。
もちろん言って機嫌を損ねたくないので絶対に言わないが。

「もちろんだとも。今のきみは誰に見せても恥ずかしくない、私の自慢だ」

奴隷としてここまで誇らしい主はいない。
もともとこの村では奴隷を乱暴に扱うことはしないが、明確に使うもの、やっていいこと、やらなければいけないことなどそういった制約があった。
身に付けていいものも主が与えたものだけ。
今日は特別に長からいただいた黒のぴったりとした下履きに足首まである裾の長い白の上掛けを身に纏っていた。
自慢の息子の成人の儀に見窄らしい格好をさせたくなかったのか、かなり良い質のものであることがわかった。
更に上掛けには赤い刺繍糸で見事な刺繍が施されていたが腰よりも僅かに上まで入ったスリットがここ一帯では珍しい褐色の肌を顕にして落ち着かなかった。
それが気に食わなかったのか、セタンタに腰元に赤い帯を巻かれたお陰で肌が隠れたので一安心した。
セタンタは自慢か、そっかそっかと嬉しそうに笑っていて、彼も大人になるのが嬉しいのだなと思っていると、彼がじぃ、と見つめ返してくる。
その瞳は糖蜜を溶かしたような、まるで昨日のような。

――――――明日の成人の儀が終わったら、

ふと、昨日の彼の言葉を思い出して頬に熱が集まるのを道具を片付けるふりをして誤魔化した。
そうだと思い出したように彼の首に小刀の飾りをひとつかけてやると彼が不思議そうに手に取った。

「それは私が作った魔除け、のようなものだ。きっとその小刀がきみを守ってくれる」
「エミヤが俺のために?」

特別だ、と頷くと、すぐに満面の笑みになり、大事にする!と陽に翳したり、ひっくり返してみたりと忙しない彼に大人しくしなさいと衣装の下に入れてやった。
彼の感情は勘違いだ、幼い心の、いつか忘れる夢のようなもの。
成人の儀のあとには宴がある。
妻がいるものは妻と、いないものには村の中で選ばれた者が宛がわれ、ともに夜を過ごすことになっている。
それがどういうことかわからぬほど愚かではない。
彼は大人になるのだ、心身ともに。
踊るような軽やかな足取りで部屋を飛び出し、太陽の光に溶け込む背に再び胸の奥が締め付けられる気がした。



成人の儀は、とても盛大できらびやかに行われる。
村中の人が我先にそれを見ようと押し掛け、広場は人で埋め尽くされていた。
そこには長と長の前に膝をつき頭を垂れるセタンタがいた。

「――――誓いをここに、本日成人を迎えしとき、いついかなるときも人を愛し、空に歌を捧げ、誇り高きアルスターの地に感謝を」

彼の澄んだ張りのある声がしんとした広場に響く。
長が深く頷き、祭事の杖を彼の頭上に下ろされる。

「セタンタという幼き己を捨てよ、今ここに新しき名を授ける――――“クー・フーリン”それが今日からお前の名だ」
「誓いを忘れず、その名に恥じぬ働きを重ねて誓います」

ぐ、と更に深く頭を下げた彼の所作のなんと美しいことか。
村人たちに紛れながら見たそれは息をすることを忘れさせた。
一瞬の間のあと、わあっと歓声が上り、彼がゆっくりと頭を上げて村人の声に応えるように微笑んだ。
村中が歓喜に沸く中、もうセタンタとは呼べないのだと少し寂しく思った。
広場の中心にいる彼はもう、後を付いて回る子供ではない。
一人立ちを誓った彼は自らの意思で自由に歩いていけるのだと思うと悲しくて、嬉しくて、誇らしかった。
気付くと儀式は移り変わり、彼が腰に携えた飾り刀で剣舞を披露していた。
軽やかに力強く、彼が地を蹴るたびに群青の髪が風とともに舞い、その小さな背に羽が生えて翔んでいってしまうような錯覚がした。

「…私の風切り羽はきみが落としたのに、きみは、翔ぶのだな」

村人に紛れているのに彼は流れるような動きのまま自然と視線を寄越してふわりと笑った。
ああ、きみは自由に翔ぶのだな、と泣きそうになった。
それを隠すように笑い返したが、私は上手く笑えていただろうか。
盛り上がった村人にぶつかられて体勢を立て直すと足元に隠れた鎖が重たい音を立てた。
自分はこの結末を最初から知っていたと笑うこともできず、ただ呆然と舞う彼の姿を見つめていた。
その頃には奴隷でありながら悲しいと思うことさえ愚かしく思え、瞳を閉じて周りの喧騒に身を委ねた。


剣舞のあとは祝いの宴という名の酒盛りが始まる。
酒に食事にと男も女も大人も子供も大いに騒ぎ、子という宝の成人を祝う。
自分のいた村は子が成人を迎える前に亡くなったり、産後の肥立ちが悪く母親が亡くなることが多く、ここに来るに至るまで衰退してしまったが、この村でさえ子の成長は決して安定していない。
だからこそ成人の儀は尊いとされ、村一番の行事である。
この日から数日は飲めや騒げやの大騒ぎが続く。
酒を注がれては飲んでいく彼の痩身が気にかかり、適度に水や食事を差し出すと頬を僅かに赤く染めながら嬉しそうに目を細めた。
今なら言えるかもしれないと口を開こうとするも、主役である彼はすぐに大人たちに呼ばれて、またあとでな、と行ってしまう。
よろけることもない足取りに彼は酒に強いらしいとどうでもいいことを考えていた。
例え酔っ払おうと今日の夜を過ぎれば彼を介抱する役割は自分のものではなくなる。
選ばれた娘が彼の第一夫人となり、彼の嫁としてそばに寄り添うことになる。
更にドルイドが次を示せば新たな娘が第二夫人となるというただそれだけのことで。
自分はただの奴隷としての側仕えに戻るだけだ。
今までが破格の扱いだったのだとわかっているし、この村は人柄が穏やかな人ばかりだから、これからも奴隷としての自分は幸せに暮らしていけるはずなのだ。
今までを思えば、私はずっとずっと幸せ者だった。
陽が暮れる前に夕食の支度をしようと騒がしい宴の場をあとにした。


夜になっても続く宴も酒に弱い者は家に帰ったとは言っても僅かにしか減っていないが、昼間と替わらず中心には主役の彼がいる。
配膳や料理を増やしたりと忙しく彼のそばに行く余裕もなく、たまに近づいたときに話そうとするも、何かと邪魔が入り話すことが出来ず、必ずあとで話そうと言う彼に罪悪感が募る。
彼の言う“あと”はあるのだろうか。
考え事をしていると、ちょう宴の間に入ってきた女性とぶつかり、慌てて謝ると彼女はやわらかく大丈夫ですと微笑んだ。
淡い桃色の衣に 金の糸で見事な刺繍がされた目が覚めるような鮮やかな赤い腰帯を巻いている。
艶やかな漆黒の髪にエメラルドの瞳、彼女は確か染め物屋の娘だった。

「あら、あなたも赤い腰帯を?」
「……それが何か?」
「知らないのですか?赤い腰帯は成人の儀の相手役という意味ですけど」

あなたも?とその表情には嫌悪の色もなく不思議そうに首を傾げる彼女に、これはたまたま、これしかなくて長殿も仕方なく、と言うと、納得したように頷いた。
今の声は震えることなく言えたはずだ。
そしてこの腰帯は彼がつけたものだった。
私は勤めを果たせない、それは目の前にいる彼女のものだった。

「………間違われることもないと思いますが、彼に不名誉を負わせないように食事だけ出したら下がることにします」
「そうですか…一日お勤めご苦労様です」

お気をつけてとふわふわと微笑みながら見送ってくれた心根の美しい彼女はきっと彼に相応しく、彼の傷に寄り添ってくれるだろう。
昨日の出来事を幼い日の思い出としていつか笑い話にでもできたなら、それで十分だと彼が巻いてくれた赤い腰帯を解き、廊下に落とした。
それだけは持っていたくなかった。
それに今だけは何もしたくなかったし、何も考えずに眠ってしまいたかった。
きっと朝には誰か別の者が片付けてくれるだろうと、落とした帯を振り返ることさえなく、料理を持って素早い足取りで宴の喧騒へ戻った。


そんなエミヤの気持ちも知らず、宴の席は大いに盛り上がっていた。
その中でセタンタだけが内心落ち着かない様子でそわそわとしている。
ずっと大切な人が何かを話そうとしてくれているのに何も話せずに後回しにしてしまっている。
視界の端にその彼が膝をついて敷物の上に料理を広げている姿が見えた。
ときに村人たちに話しかけられてはにこやかに対応して、すぐに別の輪の中へ新たに配膳をして、と忙しない。
元より働き者だったなとは思うが、そろそろ隣にいてくれてもいいのにと思わなくもないが、自分がちょこまかと移動しているせいもあるのだと思い直す。
伸ばし伸ばしになってしまっていたが、この村では男が成人するまでは嫁いで来ても正式なものではなく、仮の立場となっているため、今日のこの場で正式にエミヤを自分の嫁として認めさせようと思っていたし、昨日エミヤとも約束したのだから、本人も気になるだろう。
そこに大きなすれ違いがあることにエミヤ以外誰も気づくことなく。
だからエミヤが立ち上がったときに赤い腰帯がないことに気づいていながら、料理のときに取ったのだろうかとかそんなふうに楽観視していた。
むしろ、エミヤが屈むたびにスリットから僅かに覗く褐色の腹が気になって落ち着かないくらいで。
もっとそばにいたのなら、いつもよりエミヤの表情が固いことも、その心の内の怯えにも気づけたかもしれなかったが、そのときは焦りのあまり大切なものをないがしろにしてしまっていたのだ。
宴の盛り上がりが最高潮に達し、父に呼ばれてそばに控える娘を見たとき、妙な違和感を感じたが、そのときはそれだけでその後すぐに父に告げられたことを理解するのに若干の時間を要した。

「今日は彼女とともに過ごしなさい」
「…………なんでだ?エミヤがいるのに」
「なぜ、とは?彼は奴隷だろう?」

こういった日に彼と過ごすのはいかがなものか、と言う父の言葉に村人たちが親離れしないと、なんて茶化して笑ったのが聞こえた。
エミヤは結局最後まで言えなかったことを他人に託してしまった。
長の通る声がエミヤと彼に現実をつきつけると、エミヤは罪悪感から彼の顔を見ることもできず、更にそこにいることに耐えきれなくなり、人陰に隠れるように身を竦め、足音を消して出口へ向かう。
嫁ではない、となぜ昨日言えなかったのだろう。
真実、嫁と思い込んでいのだとしたた彼は付加価値のないただの奴隷だと知ってさぞ落胆しただろう。
今まで甘えていたのがそのせいだとするならば、憎らしいとすら思うのかもしれない。
ここに来て過ごした数年、幼い彼を抱き締めて大切に育てた日々。
それが自分のせいで彼にとって忌ま忌ましい過去にならないことを祈るばかりだ。
不思議と心は穏やかで、悲しくも苦しくもなく、私は私自身のために彼と過ごした日々に後悔がないのだと気づいた。
それだけで幸せに生きていける。
彼とその隣に並ぶ少女はとても似合いで、私は最後までその姿を見ることもなく静かにひとり宴の席を後にした。
あのときそれが彼の怒りを助長すると知っていたなら、と今では思う。

「…エミヤが奴隷」
「そうだ、今更なにを…まさか、」
「あいつは俺に捧げられた嫁だろ」

地を這うような低い、低い声に宴の席が静まり返る。
耐えかねたひとりがあれは男だから、と呟く。
赤い瞳が声のした方へぐるりと動き、それに怯えた少女が悲鳴を上げて後退った。

「だから変だったのか」

もっと早く気づけば良かった、と瞳を手で覆う。
ふと指の隙間から幼さの残る丸い瞳が閃光のような鋭さで辺りをぐるりと見渡す。
視線が絡むたびに怯える村人を横目に何度か往復しては眉間の皺が深くなっていく。

「…エミヤはどこだ?」
「さ、さっきまでそこに…」

エミヤ、と呼ぶも返事がない。
いつもならすぐにどうした、セタンタと大好きな笑顔を浮かべて両手を広げて迎えてくれるのに。
なぜいない、どうして、どこへ行くつもりなんだ。

「あれは奴隷だ、嫁にはできん」
「…嫌だ、嫁はエミヤでないと意味がない」
「意味?」
「翼を折った意味がない」

あいしているから、と呟いた声音は自分で思うより悲しい音がした。
ひゅ、と戦いたような息をついたのは自分だったのか、父だったのか、それとも別の誰かだったのか。
途方もなく寂しいと思った。
この感情をどうしたらいい、いつもなら彼がすぐに抱き締めてくれるのに。
ただそれだけで安心できるのに、なぜここにいないと心の内で彼を責めた。
愛を知らぬ自分に愛を教えたのは他ならぬ彼なのに、さっさと身を引いてしまおうとする彼が大層憎らしく、愛おしい。
昔、村で婚礼が行われたとき、エミヤに抱き上げられ、誰よりも高いところから見た輪の中心にいる男女を幼心に嬉しそうだな、と思っていた。
エミヤにみんな楽しそうだと言うと、幸せのお裾分けかもしれないと中心を見てふわりと笑った。
しあわせのおすそわけ、と今より幼い自分は難しい言葉を真似して繰り返すと彼は日溜まりのように笑う。
それは大きな獲物を取ったとき、新しい文字を覚えたと報告したとき、大嫌いな勉強を頑張ったとき、他にもたくさんたくさん、同じように笑ってくれていた。
それが大好きで、もっと笑って欲しくて、いつもエミヤ、エミヤと後を付いて回り、その手に甘えたり、そばにいたくて仕方がなかった。
その彼が誰かを愛すると言うことは、その誰かを幸せにしたいと願う尊い心だよ、と教えてくれた。
エミヤはだれをあいしているんだと問うと、彼はクスクスと笑ってまるで秘め事のように静かな声音で―――――、


“私が愛しているのはきみだよ、セタンタ”


そしてまた日溜まりのように笑う彼に、彼の翼を手折ったことに心底安堵した。
初めて見たときから好きだったが、胸の奥に水が溢れるような感覚で広がる温かな感情が彼の言う愛ならば、この愛は彼のためにあるのだと思った。
だから、エミヤでなくては意味がなかった。

壁に掛けられた飾りの槍を手に取ると素早い動きで父の首を狙うと、相手もまたしなやかな動きで刃をかわした。
なんの真似だと問う瞳に片手で得物をくるりと回し真っ直ぐにその眼前に突きつける。
この村には昔からある仕来りがある。
自分が生まれてからは一度も見たことがないが、消えたわけではなく、しないだけだ。

「決闘だ、親父殿」
「意味をわかっているのか」
「ああ、俺が勝ったらエミヤを俺の妻に」
「…負ければ?」
「負ければこの命が神の元へ還るだけだ」

一騎討ちで長に傷のひとつでもつけることができれば、望みを叶えることができる。
その代わり、挑戦者は傷をつけるか命を落とすまで終わらない。
長が対の飾りの得物を手に取る。
その目は子の成人を誇らしく思う父の目ではなく、戦士の目をしていた。
両者同時に身を低く落とす。
村人たちは恐れ戦き息を殺すことしかできなかった。
視線が絡むその一瞬、互いの心臓めがけて踏み込んだ。



一方、エミヤはと言うと主の部屋から僅かに置かれた自分の物を引き上げていた。
泥だらけのまま飛び付いてくるせいで必要になる着替え、炊事や洗濯、針仕事で酷使された手にともらった塗り薬、そして彼がかつて切り裂いたあの日のヴェール。
なぜかそれを彼は大事そうに精巧な細工のされた箱に閉まっていたが、あの少女と過ごす部屋には不釣り合いでもう不要のように思い、それを取り出し服と共に一纏めにする。

「…やけに静かだな」

気付くと外はやけに静かで、あんなに騒がしかった宴がまるで嘘のようだった。
何かあるのだろうか、とも思ったが、いつまでも親気取りではいけないと部屋を出て歩いていると、慌ただしい足音が追いかけてくる。
関係ないだろうと歩を進めると何人もの男たちに腕や肩を掴まれ、何事だと振り払うが彼らもまた必死な形相で腕を伸ばしてくる。

「なんなんだ!」
「長とセタンタ様が…っ」

セタンタがなんだ、何があった。

「決闘を…!頼む、止めてくれ!」

その意味はしきたりとして教わっていたので、頭が真っ白になり彼らを押し退けるように走り出した。
馬鹿なことを、と思わずにはいられない。
彼は長に一度も勝ったことがなかった。
エミヤもまた然り。
セタンタが死んでしまったら、それはそれだけは嫌だった。
そうまでして叶えたい願いはなんだ。
そんなもの、私が叶えてやるのに、馬鹿なことを。
転がるように宴の席へ飛び込むと長の得物の切っ先が、彼の頬を掠めるのが見えた。
成人の衣装は所々が裂け、血が滲んでいた。
彼の生への本能が寸でのところで凶刃を避けていた。
ぐ、と相手が踏み込む体勢になったのを警戒して防ぐように槍を構えた彼を長が不敵に笑う。

「セタンタ!下だ!!」

声に弾かれるようにこちらを見るのと同時に彼の足が払われ、地に背が着くのを待たずに凶刃が彼の左肩を貫いた。
それでも身を起こそうとするその胸を体重を乗せたまま踏みつけ、右手に握られた得物を弾き飛ばすと痛みに呻く彼に顔を近づける。

「哀れなり、我が息子…お前では私に敵わん」

しきたりに従い、この手で神の元へ還さんと祈りの言葉を紡ぎ、貫いた槍を引き抜かんと力を込める長に血の気が引いた。
まさか本当に我が子を殺す気なのか。
殺させてなるものかと彼に駆け寄ろうとしたそのとき、痛みにしかめていた顔ににぃ、と笑みを浮かべたと思った次の瞬間。
彼の右腕が旋風のように素早く動き、長がそれを避けようと顔を反らすも左頬に一筋の朱を描く。
彼の右手には、私が儀式の前に渡した小刀が握られていた。

「傷、つけた、ぞ…親父殿…」

俺の勝ちだ、と血の気の引いた顔が勝利に満ちた笑みを浮かべると同時にその手が崩れ、がくりと瞼が落ちる。
今度こそ滑り込むように駆け寄り肩の傷に触れると出血量の割に傷は綺麗に筋肉や骨を避けていた。

「止血さえ済ませてしばらく休めばそのうち元気に獣のように駆け回るだろう」

子を無惨に傷つけるのほど阿呆ではないと言いつつも、弱ければ殺していたが、などと快活に笑う長になんて恐ろしいことを平然と、と側近たちが青褪める。
持っていたかつてのヴェールで手早く止血が施され、駆け込んできた医者に引き渡した。
血の気の失せた青白い顔色の彼を見ながら、恐る恐る小刀を握る手を両手で包んだ。
その手は温かく、彼が生きている証だった。

「それの願いはお前と夫婦にしろ、とそれだけだ」

馬鹿だろう、と長が彼の額を指先で弾く。
随分遅い、早く言えばいいものをと力なく笑うその表情は子を思う父の顔だった。
ゆるりと僅かに瞼が上がり、視線が宙をさ迷ってゆっくりと絡むと弱くエミヤ、と笑う。

「ばかだ、大馬鹿者だ…っ」
「え、みや、泣くなよ」
「きみがっ…きみが居なくなったら、私は…っ、きみに応えることもできないっ…!」
「…悪い、」

エミヤ、ごめん、ごめんな、と彼の右手が弱々しく指先を撫でる。
痛みに呻いた彼の頭を優しく撫でてやると少し安堵に似た息をつく。

「好きだ、エミヤ…愛してる」
「わ、私は…っ」
「わかってる、待つさ、心の準備ができるまで…俺もエミヤに、振り、向いて…もらえる男、になる、から…」

そのつもりで、と少し苦しげに息を吐く彼が心配で傍らにいる医者を乱暴に揺り動かし、助けて、死なせないでくれと訴えると手元が狂うから離れてろと村人たちに引き離されてしまった。
彼の血で汚れた両の手のひらが目に入り、ぐにゃりと視界が歪んだと思ったときには意識がぶつりと落ちていた。
そのさまを見た長は、だから大丈夫だと言ってるのにと呟き、誰のせいですかと側近や村人たちに叱られたらしい。



大騒動の成人の儀から十日ほどが過ぎ、セタンタは歩き回れるまでに回復したが、腕は動かさないようにと言われているので、食事を介助してやっていると、それを見た長は利き手は動くだろうと呆れ、こちらには甘やかしすぎだと怒られた。
匙を彼に握らせるもエミヤが食べさせてくれないなら食べないと本当に口をつけないので、結局食事は介助付きのままだ。
長は眉間に深い皺を刻み、数日食わなくても死なんぞと彼を睨み、彼もまた俺にだけ特別優しいからって僻んでんじゃねぇと煽るので殺伐とした食卓風景が広がっていた。
その間、側近たちは息を殺して壁の模様と化している。

「エミヤ、そろそろ俺の嫁になるか?」
「…それは…その、」
「…………まだだめなわけ?」
「これで十敗目だな、クソガキ」
「黙れ、クソ親父」
「二人とも行儀よく食べなさい」

はい、と居住いを正す二人を見て正に親子だと思う。
長が彼を残したお陰で彼の成長があり、村の発展があると思うと気持ちだけで承諾すべきか迷いが生じてしまう。
命をかけてくれた彼には申し訳ないが、かけてくれたからこそきちんと答えを出すべきだと思った。
しかし、数日悩んだところで答えが出る問題でもなく、成人の儀から二十日を数える頃には彼の包帯も取れ、障りがない程度には動かせるようになった。
その日の朝、側近や村人たちがエミヤの部屋の前まで押し掛け、頼むから彼の嫁にと言い出したので何事かと慌てて小さな部屋に引き入れた。
聞くところによると、濁してばかりの返答に苛立った彼は常にイライラとしながら仕事をこなしているが、とうとう彼の殺気で獲物が逃げて狩にならないだとか、手合わせをすれば心臓を穿つ気なのではというくらい身の毛もよだつほどの形相で村人たちも困っているのだとか。
だからと言ってじゃあ結婚しましょうとは頷けないと言えば、絶望したような表情をするのでこちらの方が戸惑い、一度帰ってほしいと促すも本当にしぶしぶといった様子だった。
その後も扉の前からは嘆願する声が常にするので心が休まずに窓から抜け出して長の家へと避難し、現状をどうにかしてくれと訴えると、長は結婚すればいいだろう、と書物から視線を上げることすらない。

「子どもなら他所の家の子を引き取って育ててもよし、第二夫人という手もあるだろう」
「…しかし、」
「第一夫人なんて肩書きだろう?何を気にする、気にするのは別のことではないのか」

答えが出てるくせにあいつもお前も面倒くさいな、と心底呆れたような表情に下を向くしかない。
はあ、と溜め息をつく声が近いと思ったときには大きな手が頭を撫でたせいで前髪が落ちる。

「似た者夫婦どうし、仲良くやりなさい」

それ以上言うことはないと部屋を追い出されて、とぼとぼと彼の家に向かって歩いていると、前方から彼が鬼気迫る顔で走って来るのが見えて、あれは確かに怖いなと他人事のように思った。
その勢いのまま、とんと彼が地を蹴って飛び付いてきたので勢いを殺せずに尻餅をつく。
慌ててまだ包帯が外れたばかりの左手に障りがないか確認しようとして足を跨ぐようにして彼が地に膝を付いたので、珍しく上から見下ろされる形になった。
天幕のように落ちた髪が綺麗だとか、赤い瞳が煌々と輝くさまが美しいだとかそんなことを考えて、彼が低い声音で変わらぬ言葉を紡ぐ。
違ったのは確定事項のような意味合いだったくらいで。

「エミヤ、そろそろ俺の嫁になるだろ」
「セタンタ」
「今腹を決めろ、もう待たん」

頼むから、と泣き出しそうな顔で懇願された。
きらきらと生に満ちた瞳から雨のように雫を零し、自分の顔に降り注ぐ。
気づけば彼の頬を両手で包み、額同士をくっつけていた。
自分でしたくせに彼の吐息が近いなと思う。
長の言う別のことを考えようとしたが、結局全てが彼のことで、別のことなどこの胸の内には何一つなかった。
泣かせたくなかった、笑っていてほしかった、誰かではなく彼に。
かつて自分が言った誰かを幸せにしたいと願う心が愛だと言うならば、この上なく、彼だけを愛していた。

「ああ、きみの妻にしてくれ、クー・フーリン」

彼の瞳が大きく見開くのを見届けるよりも早く、背中に腕を回されてきつく抱き締められた。
首筋に感じる冷たさも、耳元で聞こえる絶対に幸せにするという約束も、全部この手で抱き締めた。
腕の中に収まる温もりが彼が生きていると実感させた。
できるならば自分の隣で、生きていてほしかった。
複雑に考えるからわからないだけで、答えはとても単純だった。

「きみと、ずっと一緒にいたい」
「俺も一緒にいたい、誰かじゃなくてエミヤを幸せにしたいんだ」
「…ああ…ふたり一緒なら、きっと幸せだ」

いつも額や頬にしてやるような触れるだけの優しい口づけが唇に降ってくる。
その口づけがいつもと違う感情が込められているのがわかり、愛おしいと思う。
近くで絡む視線にどちらともなく笑ってまた額同士をくっつけた。
もう一度唇に触れようと彼の唇が近づいてきたとき、わあっと子どもたちの声が上りはたと動きが止まる。
恐る恐る彼の背後を見ると村人たちの感極まったような表情を見て身体中の血が沸騰したように一気に熱を帯びる。
彼だけが気にした様子もなく、嫁にもらったぞーなんて叫んでひらひらと村人たちへ手を振っている。
穴があったら入りたいと自己嫌悪に襲われているうちに婚姻の儀の準備だと村人たちが張り切って散っていく。

「エミヤは赤が似合うから、きっと婚姻の衣装がよく似合うと思うぞ」
「…………ああ……うん、ありがとう……」

先ほどまでの大人びた様子は消え去り、いつもの無邪気な笑顔で楽しみだな、と言うので、そのまま彼の言葉に賛同して現実逃避することにした。
再び戻った村の活気に婚姻の儀は村で二番目に活気づく行事だったなあ、と慌ただしく動き回る人々を眺めた。


この三日後、セタンタとエミヤは婚姻の儀を経て正式な夫婦となり、祝いの宴は何日も続いたという。
そうして後に彼らの村にひとつの言い伝えを残す。
――――――この地の空を羽ばたく鳥は、帰る場所を見つけ、どこに翔ぼうと最後は必ずそこへ帰るだろう、と。

Comments

  • わんわんお
    July 30, 2025
  • 苑子

    良かったです!幸せがここにあるのが嬉しいです! 番外編を楽しみにしています~

    February 26, 2018
  • 7
    February 26, 2018
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