【Web再録】relational database
2016年3月13日発行
ランサー×生前エミヤアンソロジー【CrossAGE Progressive】様へ寄稿させて頂きました
全年齢のランサー×生前エミヤの短編小説となります。
5次聖杯戦争後、ホロウ空間での話となり、捏造設定を含みます。
乙女回路ぎゅんぎゅんに回して書いたかなりリリカルな話なのでご注意下さい。
素敵なアンソロジーに参加させていただきまして、本当にありがとうございました!
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〝ソレ〟を行ったのは、ほんの気紛れからであった。
空のバケツを引き下げて、ランサーは己の塒と決めた森へと向かっていた。ズボンのポケットにねじ込んである煙草を取りだし、一本咥える。そのまま火を点けようとして――歩き煙草はこの時代では良くない、と咎められた事を思いだし、再び紙箱へと戻した。
誰が見ている訳では無いし、誰かにぶつかって火傷をさせるようなヘマをする訳も無い。ましてやサーヴァントの身体だ、人には毒であるだろうそれも、べつだんどうという事も無い。けれども。別のポケットに入っている小さな包みを取り出し、口へと放り込む。
口寂しいのならと押し付けられた、ミント味のキャンディだ。
貴様の身体などどうでも良いが、副流煙で子供達にほんの僅かでも影響があったら困るとかなんとか言いながら、袋ごと渡された。
一人で、あるいはランサーに煙草の味を教えた釣り仲間がいる時には吸っているが、子供達の姿が見える時間になると火をつけないまま咥えるか、このキャンディを舐めるようになった。ランサーがそう素直にしていると知ると、ほんの少しだけ、あの男の表情が和らいだ。元々が殺し合う敵として出会い、その後も最悪な記憶しか無い相手だが――この平穏なおまけの日々では、その関係も、フラットなものになった。相変わらずお互いが気に入らないのはそのままだが、顔を合わせれば無難な挨拶くらいは交わすようになったのだ。
(…………ん?)
帰る道すがら。大通りを少し離れた場所に、大きな木がある。ふとランサーはその木の根元に人が蹲っているのに気付いた。
そのまま見過ごしてしまっても良かったが――季節は暖かく、そのまま寝こけていたとしてもせいぜい風邪を引くくらいであろう――なんとなくその姿に見覚えがあるような気がして、足を向ける。
「アーチャー?」
まさか、と思いつつ近づくと、ふいにその姿が消える。
今のは何だろう、と訝しみながら、どうせならとその木の傍まで近寄った。
男の姿を見たのは確かであったが、そこには何の魔術の気配も無く、どう説明して良いか解らなかった。ランサーが生きた時代であったら、妖精の悪戯とでも思っただろう。
下生えも綺麗に刈り取られ、その木は自然に生えているのでは無く人の手が入っているのだと知れ――脇に小さな石碑があるのに気付く。聖杯の知識付与で数字とこの国の漢字である、という事は解った。
その木は。死にかけていた。
火災にでも遭ったのか、幹の表面は全体的に焼け焦げ。このままでは遠からず立ち枯れてしまうだろう。
ランサーは手を延ばすと、その焼けただれた場所に触れた。
ぶわり、と。その木の記憶が流れ込んで来る。
空を覆い尽くす紅蓮の炎。それはまさに地獄、だと。
小さなビルに挟まれた場所に在ったその木は、たまたま焼け残った。
熱い。
助けて。
誰か――。
長く生きている筈なのに、その木が一番強く〝覚えて〟いるのは、人々の嘆きだった。
「大きな災害を、生き延びたのか」
そうして誰か人の手で、ここに移植され、今までなんとか生き延び――けれども力尽きそうになっている。
「おまえはまだ、生きていたいんだな」
影の国での修行は、槍術だけではなかった。ルーン魔術も叩き込まれ、他の者よりも随分と覚えが良いと褒められたものである。ランサーは小さく癒やしのルーンを唱えると、その木に魔力を注ぎ込んだ。
焼けただれた表面はもうどうしようも無かった。炭と化した部分を元に戻すのはとうてい無理で、けれども内部はまだ生きており――勢い良く水を吸い上げる振動が掌に伝わって来る。手助けはした。後はこの木の生命力に任せるしか無い。
頑張れ、とでも言う様にランサーは軽く表面を撫でると、帰路に就いた。
お兄ちゃん、と呼ばれ。ランサーは振り返る。
「何してるの? 木とお話?」
ああ、とあいまいに頷いて、ランサーは木の幹に当てていた手をそっと離す。
結局。数日前の事が気になって、通りがかりに寄ってしまったのだ。乗りかかった船とでもいうのか。ほんの僅かの手助けでは、やはりその命を繋ぐのは難しかったらしく、木は再び死へと向かっていた。このままでは遠からず枯れるだろう。
「おまえらは何だ、また金ピカと遊んでいたのか」
今日は違う、と口々に子供達が、今は社会科の宿題でこの街の事を調べているのだと競うように言う。こんな遅くにか、と言いかけ、ちょっと離れた場所にアーチャーが腕組みして立っているのに苦笑する。子供たちの引率とは、相変わらずのお人好し振りだ。
「もうすぐ日が暮れる。さっさと家に帰るんだな」
「レッドのお兄ちゃんがお家まで送ってくれるから大丈夫」
「ご苦労なこった」
ちらりと視線を向けると、ふん、とあからさまに顔を背けられる。なんとも小憎らしい態度だが、子供達の世話を焼いているのをランサーに見られて、気恥ずかしいのだろう。
「この木はねぇ、教頭先生が、植え替えたんだって。ボランティア? だっけ?」
「十年前の大災害を生き延びた強い木だって言ってた。だから、砂漠にも枝? を、持って行って植えたんだって」
へえ、と子供達の言葉に相づちを打つ。
「すごい綺麗な花が咲いてたんだよって、言ってたよね」
「また咲かないかなあ」
小さないくつもの手が、先程のランサーを真似るように、優しく幹を撫でる。
(ああ――嬉しいんだな、おまえ)
ふいに、真っ白な花が咲き誇り、その下で足を止める人々のビジョンが視えた。
ふ、とランサーは小さく笑い、そうだな、と子供達に同意した。
持参したノートに、木のスケッチと、石碑の文字を書き写すと、子供達はアーチャーに急かされて帰路に就いた。
子供達が言っていたのは、挿し木か、あるいは接ぎ木であろう。シンボル的なものとして成されたのか。いわばクローン、この木と同じ個体が、どこかに在るのだろう。
その木も。元気であればいいと、ふと思う。
「――頑張れよ。期待に応えて、次の季節は花でも咲かせてみやがれ」
ランサーは白くてつるつるした小石を取り出すと、そこにルーンを刻んだ。
木の回りに配置する。急激にでは無く、じんわりと効くように、術を掛ける。
花を。
見て、みたいと。
そう、思ったから。
ずる、ずる、と。動かぬ足を引き摺りながら、男は乾いた大地を進んだ。装備を全て奪われ、身ぐるみ剥がされて、砂漠に放り出された。味方に裏切られたのは、これで何度目であろうか。それでも止めを刺されなかったのは、もし万が一死体が何処かに回収された時に、かつての英雄の死因が他殺ではまずいからだろう。数百人の命を救った事件はまだ民衆の記憶に新しい。このままでは、失血死か、あるいは乾きで死ぬか。
まだ死ねない。
もっと、助けられる命が、あるから。
まだ。
ふと、覚えのある香りが鼻を突いた。
顔を上げて見ると――視界の隅に、立ち枯れた木々が見える。その内の一本だけが、生きていた。その場所には覚えがあった。数年前、男の同郷のボランティアが植樹に来た時に、護衛をした事がある。一番最初の木を植えたのはかなり前で、毎年少しずつ増やしているのだと、いつかここも緑で一杯にしたいのだと笑っていた。けれども。戦況が悪化して、手入れする者もいなくなり、枯れてしまったのだろう――だが、そう。一本だけ。
「――すごいな、おまえ」
良く見ると、その一本だけは、途中の部分から違う木が接ぎ木されていた。
(……?)
ほんの僅か。覚えのある魔力を感じたような気がして、男は眉を寄せる。
そんな筈は無い――気のせいだ、と首を振る。
それでも。
その枝の先に咲いた美しい花に癒やされるような気がして、その根元に寝転がる。
このまま目を閉じたら、二度と覚ますことが出来ないかも知れない。けれども、ただ無為に死ぬよりも、この木の栄養になるのなら、その死は無駄では無い筈だ。
もちろん、死ぬ気などこれっぽっちも無かったが。このままでは遠からずそうなるだろう。ほんの少し。休んだら、起き上がって、街を目指す。そう、ほんの少し――だけ。
翌日。
バイトの帰りにその木の元に寄ったランサーの目に、あの時の幻が再び見えた。
簡易的に誂えた結界の中に、男が蹲っている。
見た事も無い服装であったが、やはりそれはアーチャーに見えた。
髪の色や、僅かに身体付きも違っていたが、その男が持つ魂の形は変わらない。
また消えてしまうかも知れないと思いながらも、そっと近づく。
が。
今度は触れられるくらいに近づいても、その姿はそのままであった。
男は。
死に、かけていた。
「ここの所、毎日通っているようだが、何の気紛れかね」
何の事だ、とは問い返さなかった。あの、木の事だろう。
アーチャーの言う様に、木の元へ日参している。
何をしているのかは近寄ればすぐに解るだろう。街で会った他のサーヴァントにも、何か問いたいように見詰められたものである。らしくない、とでも思っているのか。
「花が見たいって、ガキどもが言ってたろ」
ランサーは色々なバイトを点々としたが、今の喫茶店のこれが一番長く続いている。毎日ではなく、店主が出かけたり、休日の忙しい時だけという勤務形態も性に合っていた。
一杯の値段がかなりする紅茶をサーブしながら、客に対する口調では無いと思いつつ、そう答える。
探るような瞳の色が、ほんとうにそれだけなのかと問うて来る。
「現界ギリギリの魔力のくせに、他を助けるのはどうしてかって?」
この男と同じで、現在ランサーは誰からも魔力の供給を得ていない。この世界に留まる要石のような存在はいたが、それだけだ。
それでも毎晩テントの中に敷いた魔方陣の中で眠り、食事を摂ることで、なんとか魔力は足りている。そうして得る魔力は現界を続けるだけで消費するそれとほぼ同等で、他に回す余裕がある訳では無い。ただ、一本の木を癒やすくらいなら問題は無い。木、だけであったら。
じっと、不躾にならない程度にアーチャーを見やる。
「……なんだね?」
「いや」
なんでもない、と首を振る。
「気紛れだよ、てめェの言う通り」
それ以上の何も無いと続けると、そうか、とアーチャーはうつむいて紅茶を口に運んだ。意外に長い睫が、頬に影を落とす。それが髪と同じく白いのに、あの男と同じだ、とそっと息を吐く。
「……よう」
ランサーの姿に顔を上げた男は、また酷い傷を負っていた。腹を押さえた手は血だらけで、どうにか血は止まっているようだが、そのまま放って置けば確実に命の危険があるだろう。
数日前に見た姿とは、服装も傷の場所も違う。
髪の、色も。
一番最初に見た時にはまだらで在ったのに、今はほぼ真っ白に近い。
あれから。
数日置きくらいに、この男はふいに現れた。
毎回、傷を負って。
それでも、その姿が見えるとほっとする。今度こそは間に合わず死んでしまっているのでは、と、姿を見せない時は思うのだ。
命は須く消えるものだ。だからこの男だって、いつかは死ぬ。手負いの命を何度も救っている内に、情でも湧いたのか。まさか、と苦笑する。
これは、気紛れだ。
こちらでは数日空いただけだが、この男の時間軸ではかなり間が空いているのだろう。その証拠に、その前に塞いでやった傷はもう癒えて新しい皮膚に覆われていたし、何よりその身体の色味がどんどんと変わって行っていた。もう皮膚はほとんど魔術焼けの為か、見覚えのある色になっている。
男は、眩しそうにランサーを見て、いつもすまない、とでも言ったのか、その唇が動く。
「気にすんな、乗りかかった船だ」
見捨ててしまうにはどうにも寝覚めが悪い、ただそれだけだ。
姿形は見え、その身体に触れる事すら出来るのに、言葉を交わす事は出来なかった。
ランサーには、男の姿がはっきりと見えていたが、男のほうはどうであるのだろう。戸惑ったように見返して来る瞳には、怯えは無かったが、陽の光を直接見てしまったように常に眇められ、直視された事は無い。
「悪いな、こっちもちと魔力不足でよ。傷を塞いでやるくれェしか出来ない」
それでも、ギリギリまで与えているのだが。
もっと潤沢に使える魔力があればとも思うが、その為に他の命を犠牲にするのは、この男は喜ばないような気がした。この男が、あの、アーチャーであるのなら。
腹の傷を塞いだ後、そっと頬に手を伸ばすと、男は委ねるように瞳を閉じた。
「あいつも、これくらい可愛げがあればな」
その頬を撫でながら、常にふてぶてしい笑みを浮かべる男を連想し、苦笑が漏れる。
「〝オマエ〟は〝俺〟を覚えてんのか?」
常に胸元にある宝石が、自分が心臓を穿った少年と同一人物であるのだと教えてくれている。ほぼ魔力が無い状態だったが、それでも僅かに残っていたその魔力も、最初の治療時に使ってしまった。その命を繋ぐ事が出来たのだから、あの宝石の元の持ち主も満足であろう。ただの石になってしまっても、その価値は男にとって変わらない。金目のものを全て奪われた時も、その宝石だけは守ったのだろう、一度などはその腹から取り出してやった。執着心の薄いだろう男が、生涯ただひとつ、持ち続け――それはもう既に、男の一部となっている。己の髪留めやイヤリングのように、もし新たにその身体を構成する時には、その宝石も共に在るだろう。
意思の疎通がほぼ出来ない、というのはどうにももどかしかったが、それでも、向けて来る眩しそうな眼差しや、己の姿を認めた時にほっとして緊張が解ける様は、ランサーに奇妙な感情を抱かせた。
どんな風に、この瞳には見えているのだろうか。
内戦は続き。
男は常に最前線で戦いを続けていた。どちらの味方、という訳では無く。弱く虐げられた者の味方をする男は、どちらの陣営からも疎ましく思われ――常に、危険に晒されていた。特に最近は、戦乱に乗じ女子供を攫い他国に売り飛ばしていた組織を単身で潰したためか。報復のように狙われ続けた。
それでも。
再会に涙を流し抱き合う親子の姿を。傷付きながらも強く生きると礼を言う女性の声を。襲い来る銃弾から守られ助かったと涙を流す少年兵の震える指先を。
ほんの少しでも、護る事が出来たなら。
腹の傷を押さえながら、なんとかその場所に辿り着く。
日本人のボランティアは、その国に何カ所も植樹していた。だからどの戦場に行っても、その〝木〟に会う事が出来た。
「はは……ほんと、勤勉で、熱心だ」
あるいは、そのシンボルを接ぎ木するのが、流行っていたのかもしれない。
最悪の地獄を生き延びた、強い、希望の。
その枝の先に葉さえあれば、いくらでもそれは可能である。ただ――そうやって切り取られた本体はどうだったのだろうかと、ほんの少し心配になった。
あの、童話の王子のように。
まるで、誰かのようだ、と。その男を知る者がいたらそう評したかも知れない。
それでも。
ずるずると、その木の根元に倒れ込む。
「きっと、恨んだりしない――だろう?」
まただ。
その、木からは、微量な魔力を感じる。
何なのだろうか。
かつて読んだ童話を思い出す。元々が同じ存在である木達は、繋がっているのだと――それこそ、時間と空間を超えて。もし男が魔術師の端くれで無かったら、笑い飛ばしただろうそれ。〝そう〟であればこの木の傍でだけ起こる奇跡に説明が付く。
ふいに目の前に光を感じて、眩しさにそっと目を眇める。
ああ、まただ。
天使なのか、あるいは妖精か。
膨大な魔力の固まりであるから、あるいは強力な魔術師であるのかも知れない。この木の傍にいると、時折現れて傷を癒やしてくれる、その、存在。
「なあ――あんたは、誰なんだ……?」
ほんの少しだけ。かつて、戦ったある男ではないかとも思ったのだが、彼はとうに消え去り、この世にいる筈も無い。それに。木に感じる魔力と、目の前に現れるそれがとてもよく似ているし、自分をこうして助けてくれる訳も無いから、単なる偶然であろう。
腹の傷を癒やしてくれた同じ手が、そっと、頬に伸ばされる。
「時折、こうして撫でるのは、何でだ……?」
慈しむようなそれに。
目を閉じながら、すり、と己からも頬を寄せる。
「あんたの手は、暖かいな」
ごつごつとした感触から、それが、男のものであると知れる。いや、手が大きい女性であるかもしれないが、それは武器を日常的に振るう戦士のものであるのは間違い無い。
どちらにせよ。
男に取ってこの手の感触が、いま、救いとなっているのは確かだった。
殺して、殺して、殺した。
救う為である。
誰かを救う為には、他の誰かの命を奪う事も必要だった。
己の手は余りにも弱く、目の前の全てを救う事など出来ない。
それでも。
今は無理でも、いつかは――。
「死ぬのは、怖く無い」
そっと、口に出して見る。
いや、本当は、怖い。けれども。約束されているから。
「でも、あんたにもう会えなくなるのは……ちょっと、嫌だな」
男の言葉は、たぶん、相手には伝わってはいない。
相手の言葉も、こちらには解らない。
だからこそ、言えた言葉であろう。
「あんたが、あいつだったら、いいのに」
かつて、この心臓を穿った戦士。男がはじめて出会った、英霊。その姿は恐ろしく、そして――。眩しかった。まさしく、この光のように。
光の御子、と。そう呼ばれていると知って、妙に納得したものである。
閉じた瞼に感じていた光が徐々に薄まる。
光の固まりのようなひとがたが、消えて行くのだろう。ぎゅ、と心臓が痛む。
衝動のままに、男は自分の目を強化していた。ほんの一瞬、光の中に、見慣れた色彩が見えた気がしたが、それはただの願望であったかもしれない。
「――また、」
たとえ届かなくても。言わずにはおられずに、男はそう口にした。
消えゆくそれが、頷いたような、気が――した。
男は。世界に死後を売り渡す契約を結んだ後は、再会を望む言葉を口にした事などなかった。望んではいけないとすら思っていた。
それなのに――なぜ。
自分でも、解らない。
けれども。
「また、会えるといいな……」
最後まで口にする事は叶わなかったそれを、光が消え去った空間に向かって、そっと呟く。
きっと自分は、死ぬ時に。あの、無骨で優しい掌の感触を、思い出すのだろう。
「伝えてくれよ……ずっと、感謝しているって」
もしもこの木が、あの物語のように繋がっているのなら。
「ありがとう」
男はそっと、一輪だけ咲いた花弁に、口づけした。
「――すごいな、本当に咲いた」
感心したような声音に、ランサーは振り返らずに、ああ、と応えた。
じっと、可憐に咲く白い花を見詰める。もうランサーが手を貸さなくても大丈夫だとでもいうように、青々とした葉が木の枝を飾っていた。
結局、あの男の幻とはあれから会えずにいた。死んだのか、あるいは木の傍に来られない所に移動したのか。
「……俺に約束を、違えさせる気か」
また、と。そう、彼は言い。自分は頷いた。
「ランサー?」
いつになく心配そうな声に振り向くと、なんでもない、と首を振る。と、その頭に白い花弁が落ちて来て、自然と手を延ばしていた。一瞬、振り払われるかと思ったその手は拒まれる事は無く――柔らかいそれを指でつまんだ瞬間、ぶわりと、暖かい感情が流れ込んで来る。
「…………ッ」
じっと、目の前の男を見る。やはり最後に見た彼の姿と、殆ど変わらなかった。
その鋼色の瞳が、じっとランサーの指に摘ままれた白い花弁を見詰めている。いぶかしげに寄せられた眉に、そういえばこの男は生前の記憶が殆ど無かったのだと、思い出す。
それでも、覚えていなかったとしても、確かに自分は、この男とほんの僅かな時間であったが、出会い、心を通わせた。
あの時彼がどう思っていたのかは、この花弁が教えてくれた。そうして、ランサーも。
「こいつ相手に、ありえねぇ……」
それでもあれは、まさしく目の前のこの男であるのだ。
そっと、白い花弁に唇を寄せる。
「おい、口寂しいのなら、またキャンディをやるからそんなものを食べるな」
見当違いの言葉に、小さく吹き出す。
「ああ――解った」
指を離すと、ふわりと風に乗り、花弁が空を舞う。
「またな」
何度でも、約束してやる。きっとそれは、叶えられないものではないだろうから。
「君の気紛れには驚いたが、こうして最後まで面倒を見るとはね。見直したよ」
子供達も喜ぶだろうと、アーチャーは再び咲き誇る花を見上げる。
いつになく柔らかな表情に思えるのは、気のせいではないだろう。
相変わらず気に入らない男であったが、ほんの少しだけ、感情の色が変わっているのに、ランサーは気付いた。
そう。
己の手にそっと頬を寄せて来たあの表情を、また見たいと思うくらいには。