クロサッキーのnoteは共感しない
私のnoteは共感しない。
読者の気持ちに寄り添うことも、安心させることもしない。
ここは決してお悩み解決や人生相談のための逃げ場ではないのだ。
このnoteで扱うのは「感情」ではなく「構造」だ。
一般的な善悪・正解・不正解でもなく、配置・役割・関係・解釈しか扱わない。
故に「それ、わかる」「共感できる」という言葉が欲しい人はその時点でお帰り願おう。
対して、「なぜそう配置されているのか」「なぜその形で成立しているのか」を考えたい人がここに来ればいい。
正しさなんてどうでもいい
正しいかどうかが重要なんじゃない。
独自の視点で論じることが大事なんだ。
私は事実を調べない。それは学者や研究者の仕事だ。
このnoteでは「私なりの真実」だけを書く。
ここで言う「真実」とは「多数派が納得する結論」でも「一般的に正しいとされている見解」でもない。
作品や現象を前にしたとき、そこから何が立ち上がって、どのように感性を揺さぶるのか?
それを、構造と言葉で切り取るだけだ。
感情論には与しない
感動した、泣いた、刺さったという「共感」「承認欲求」「感動」を否定するつもりはない。
だが、このnoteではそれらに一切与しない。
感情は結果であって、目的でも原因でもない。
私が知りたいのは「感情」ではなく「感性が揺さぶられる構造」である。
だから、「ご都合主義」「わかりやすい」「エモい」といった言葉では逃げない。
子供向けだから何?
娯楽だから何?
大衆向けだから何?
どんな層に向けて作られたものであっても、作り手が命を削って生み出した以上、同じエンターテイメントだ。
それに対して、真摯な言葉で向き合う以外に何があるのか?
私は「視聴者代表」ではない、「みんなの気持ち」を代弁するつもりなど更々ない。
あくまで、作品の構造や表現が成立するための条件や露呈の瞬間にしか興味がない。
「多くの人にはこう見える」ではなく「俺にはこう見えた」以外の書き方を俺は知らない。
餅は餅屋、批評とは「正しいこと」ではなく「体験性があること」が大事なのだ。
このnoteで書くこと
芸能界、J-POP、YouTube、特撮、アニメ、漫画など、素材やジャンルは問わない。
重要なのは、それがどんな構造・配置・役割を担っていて、なぜその時代に成立したのか?だ。
無料の「クロサッキーのニュースnote」では「観測」を書く。
見えた構造をそのまま差し出し、それに対して感情論も書かないし批判もしない。一言添えるだけ。
有料で行うのは以下の通り。
メンバーシップ→「クロサッキーの実戦的構造批評」
(作品・現象をどう切っているか?を独自の切り口で展開)
有料マガジン→「クロサッキーの実戦的note術」
(文章と思考の作り方、どうやってその文章ができているか?をスキルとして販売。買うも買わないもあなた次第)
上っ面の共感も優しさも承認欲求もいらない。
だが、私なりのOS=考え方を残すことはできる。
必要なら、持って行けばいい。
強制も強要もしない、あくまで自己責任で行うこと。
最後に
このnoteは読者を肯定することも安心させることもしない。
気持ちよくなりたいだけの奴、共感や正解を探してる奴は最初から相手にしてない。
ここは安心も救済もない。思考の甘さが残るなら、時間も金も無駄だ。
自分の考えが曖昧なままなのを不快に感じる人間だけ読め。
世界をどう見るかを、感情じゃなく構造で更新したいなら歓迎する。
文章・思考・判断の「濁り」が消える。
その代わり、もう前みたいに誤魔化して生きられなくなる。
ただ、思考のOSとそのOSを具現化する武器だけは置いていく。
構造で斬る。
感情は置いていく。


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