2026年2月の足跡
◆魚拓(2026年2月)
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◆note (2026年2月)
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◆雑感
私は自分のことについて、基本的に人という存在を信用しておらず、稀に信じることができる人がいたとしても、明日その信頼が灰燼に帰すことは心の片隅にいつも想定している、そういう割と冷めた考えの持ち主だと思っています。ですから、今ここでこうしているのは盛大な賭けのようなところがあります。何と言っても、全く面識のない人物(某シンポジウムの講演を聞きに行って実在であると確認したことだけはある)を信じて色々やっているわけですから。
でも、会ったことがあるから、たくさん話して色々知っているから信じる、というのもおかしな話なのかもしれません。面識があったところで、その人を信じたことは間違いだった、ということも経験としてありました。
そして、そもそも、これを書いている私の心が、明日絶対に変わらないとは言えないのです。この24時間後に、全部放り出して「もうやーめた!」と、何もかもデータを消してしまって、私はもうここにいないかもしれません。それが、人の心というものだと思っています。
信じるということについて、ずっと考えてきました。人は安心を得ようとして信じるものを求めます。何もかも疑っていたら、不安でいっぱいで疲れてきってしまいますから。
でも、一体、人は何を信じているのでしょうか。誰か他者を信じる時、人は素直に、その対象の人物そのものを見ていると言えるのでしょうか。私が眺めてきた人たちは、自分が作り上げたなにか理想の偶像のようなものを他者にあてはめて、それを一生懸命信じようとしているように見えました。信じるというより、信じ込もうとしているように見えたのです。
そして、これは私自身がそうなのかもしれません。私はなーんにも知らない人のことを、その人が書いたものを読んだだけで信じているのです。頼みは読解力だけ。そしてそれは私にしか見えないし、私にしか理解ができない。
私の読解力なんてものに、何の資格も保証もありません。
信じるということは、とても危うく脆いものです。薄氷の上にいつもいるような気がします。
たとえば明日、私の信じていたものが全て崩れ落ちたとしましょう。それでも、わかっていることがあります。それは、後悔はしないということ。どうしてもそうしたくて、そうしてきたのですから。自分の心に従ったことを後悔はしません。出来が悪いなりに、頑張ってきたとは思っています。
自分のこれまでを振り返ってみて、一生懸命やってきた、と思えるようになったのなら、悪くない人生なのかもしれません。
今日は私の誕生日です。私は自分の誕生日にろくな思い出がなくて大嫌いなんですけど、今年はちょっとだけマシな気がしています。
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