light
pixiv's Guidelines will be updated on March 18th, 2026.
View details
The Works "It flickered then." includes tags such as "槍弓", "腐向け" and more.
It flickered then./Novel by あんごら

It flickered then.

14,687 character(s)29 mins

カルデア時空の槍弓。一部から二部序にかけて。
大したことはありませんが二部序のネタバレあり。UBWに沿った部分もありです。

アーチャーを幸せにしたかったんだ…

表紙はこちらからいただきました。
illust/59113219

1
white
horizontal


 光の中に立つ弓兵を見たとき、なぜだか言い表すことのできない違和感を覚えたのだ。

 ランサークラスのクー・フーリンが呼び出されたのは、まだ戦力の揃っていない人手不足のカルデアだった。少ない物資に少ない人材。それでも人類最後のマスターと、彼をサポートする人間たちは決して下を向くことなく、前へ前へと進み続けた。その姿を見たサーヴァントたちもまた、身を粉にして彼らを助けた。生前比類なき力や才能を誇った英霊の多くは、強い人間を愛する。それは肉体面の強さに限らず、逆境にあっても折れない心の強さを持つ者も当てはまる。ランサーもそのようなサーヴァントの一人で、カルデアに貢献しようと初めの頃は休む間もなく最前線でエネミーを蹴散らしていた。
 ある程度の人材が揃い、暇も与えられるようになってランサーはふと気づいた。そういえば、見慣れたあいつがここにはいない。今までは忙しさに追われて考えもしなかったが、どこに呼ばれようとも顔を合わせ、口を開けば皮肉ばかりの弓兵が、ここにはまだ召喚されていない。二度と会えないだろうと思っていたケルトの戦士たちとも再会を果たしているというのに一体どういうわけだと考えて、すぐに自分の思考の可笑しさに気付いた。偶然が重なり過ぎて、いつのまにやら召喚されればあの弓兵と相見えるのが当然のように錯覚していた。そもそも通常であれば七基しか呼び出されない聖杯戦争だ。一度同時に呼び出されれば次はないのが普通である。今回は色々事情が違うとはいえ、奴がここに召喚されないとしてもなんら不思議はなかった。

「なぁ、赤い弓兵はいたか?」

 それでも一度気付いてしまえば、気になってしまうのだから仕方がない。召喚ルームから出てきたマスターに毎回のように同じ問いを投げかける。返されるのは常に否定の言葉だ。 
そんなことを続けていたら、そこまで気になるなら自分の目で見なよ、としびれを切らしたマスターの手によって、召喚ルームに引きずり込まれるようになっていた。
 



「アヴェンジャー…アヴェンジャーでおねがいします…あ、ルーラーでも全然…」

 隣では人類全ての運命をその肩に背負い、人理修復を目指すマスターが祈るように手を組んで何かをブツブツと唱えている。明らかに召喚の呪文ではない。言うなれば気休めに近い行動だ。それなのに毎回数分をこの作業に費やすので、ランサーは退屈で仕方なくひとつ大きなあくびをこぼした。

「ちょっとあくびなんかしてないで兄貴もお祈りしてよ!」
「そんなのしたって変わるわけねぇだろうが」
「そんなことないもん!思いの強さが狙ったサーヴァントを引き寄せるもん!」
「別にオレはアヴェンジャークラスの英霊に来てほしいとか別に思ってねぇしよお」
「うるさいなあ!じゃあもう何でもいいから適当にお祈りしといて!」

 そう言われて一番に浮かんでしまったのはやっぱりあの仏頂面で。柄にもねえなと苦笑しながら首を振って、マスターの気休めが終わるのを待った。

「よし、では!召喚します!」

 マスターが木箱を傾けて、丸い召喚サークルの上に聖晶石をばらまいていく。箱の中身は空になり、数十個の虹色の石が無造作に盾の上に転がった。
やがて硬く冷たい光を放っていた石は熱された蝋のように溶け、盾の溝を埋めて蒼い光を放ち出す。空中に飛び出た粒子たちはぐるぐると高速で回り、ゆっくりと帯状に集まっていく。それらが三つの線を明確に描いたとき、一際強い光が放たれ、ランサーは思わず目を瞑った。

「サーヴァント・アーチャー。召喚に応じ参上した」

 薄く目を開けば、そこに立っていたのは小さないかずちを纏った赤い弓兵。ここではない世界の冬木で出会ったときと、寸分たがわぬ礼装に、腹が立つほど聞いた堅苦しい口調。
視覚も聴覚もそれに違いがないことを強く訴えてくるのに、なぜだかランサーは目の前に立つのが自分の思い描いた弓兵ではないような気がしていたのだった。
 

 それから大して時間は経たずに、アーチャーはカルデアの一員として見事に馴染んだ。第五次聖杯戦争での記録を持つ英霊はランサー以外にも何人か召喚されており、すぐにアーチャーの人となりはカルデア中に知れた。特にセイバーの「アーチャーの作るごはんは本当においしくて、それで…えっと……おいしいです!!あ、よだれが」という語彙の死滅した発言により、アーチャーは問答無用でキッチンに放り込まれていた。「私はサーヴァントだ。君たちに料理を振る舞うために呼ばれたわけではないのでね」と言いつつも荒れ果てたキッチンに絶句し、「厨房の管理さえできていないこの状況で人理を正せるとでも思っているのか!!」と絶叫しながらテキパキと片づけを始めるその姿は、どこからどう見ても、何度も顔を合わせてきた弓兵の姿だった。それなのに。

「なーんか違うんだよなあ…」

 なぜだと問われれば答えなどないから、この疑問は誰にも告げたことはない。敢えて言うなら、『らしすぎる』のだ。かつてを知る者なら誰もが、そう在るだろうと納得する言動をあの弓兵は忠実に行っている。本人なんだから当然だと言われればそうなのだが。
 時が経つにつれて違和感は減るどころか増すばかり。ぐるぐると考えすぎたせいか、アーチャーの軽口に乗ることすらうまくできなくなっていた。明らかな挑発にも反応が薄いランサーに、アーチャーもまた異変を感じたのだろう。今までのように小言を言うこともなくなり、関わりも最低限のものになった。ただ、目が合ったときに一瞬だけ浮かべる途方に暮れた迷子のような表情に、ランサーは状況の打開を決意したのであった。



 うじうじと考え込んでいたのが良くなかったのだ、とランサーは一人胸の内で思う。本来自分は疑問を溜めこむようなタイプではない。気になったことがあれば答えを知る相手に尋ねる。それで事は済んだはずだ。今回そうしなかったのは相手があの因縁深い弓兵だったからだろう。アーチャーがかかわる事象について、ランサーが慎重にならざるを得ない理由がいくつかある。しかし、その件に関しては後回しだ。今ランサーが決着を付けるべきは、この世界のアーチャーとである。
 初めからこうすればよかったと思いながら、金属製の扉を二度ノックする。何かが回転するような機械音と共に、扉が横へとスライドした。

「誰かと思えば、珍しい。腹が減ったのなら食堂に行きたまえ。ここには何もないぞ」

 椅子に腰掛け本を手にした部屋の主は酷く驚いた顔をした。毛の先程も自分に来訪の理由があるとは考えないアーチャーに、ランサーはがっくりと肩を落とす。

「別にそういうんじゃねえよ、お前に用があって来た」
「へぇ、ケルトの大英雄様が一体……いや、不要な発言だったな、忘れてくれ」

 癖になっているのかすらすらと飛び出た挑発をアーチャーは途中で打ち消す。ランサーが昔のように乗ってこないことを思い出したのだろう。自嘲するようなその表情に、ランサーの心がちくりと痛んだ。

「お前に聞きたいことがある」

 真剣な声音にアーチャーが逸らしていた目線を合わせた。訝し気に揺れるシルバーグレイの虹彩。僅かなためらいのために、ランサーは短く息を吸ってから口を開いた。

「お前は一体誰だ」
「何を言い出すんだランサー。見ての通りだ。答えるまでもないと思うが」

 予想だにしない問いに、アーチャーは困惑しながら答える。だが、追及の手を緩める気はなかった。

「違う。召喚されてからずっと違和感があった。貴様はオレの知る弓兵ではない」

 戸惑う瞳に問いかける。どんなに否定されようと、この違和感は本物だ。ランサーは自分の直感に絶対の自信を持っていた。しばしの沈黙ののち、少しも揺るがぬ視線に圧され、アーチャーは諦めたように口を開いた。

「そうか。分かるか」

 すとん、という音が聞こえそうなほど明確に、アーチャーの顔から表情が抜け落ちていく。強気に吊り上がっていた眉は意思を無くして下がり、鈍色の瞳からは光が失われた。纏う空気の温度が下がった気すらして、ランサーは微かに身を震わせた。

「私はアーチャークラスのエミヤというサーヴァントで間違いない。しかし君の言う通り、君たちが知る人物とは中身が違う」
「記録がないってことか」
「いいや、記録ならある。嫌というほどな」

 いつもなら皮肉気に歪む頬は感情を伴った動きを見せず、淡々と紡がれる言葉に合わせて上下するのみ。

「ならば一体何が違う」
「私は守護者エミヤの、消滅寸前の座から来た分霊だ」

 ぶわりと血潮の湧き出る気配がランサーの耳の辺りで渦巻いた。それは熱となって皮膚を伝い、見開いた目を血走らせる。
目の前の弓兵の、自分とは全く異なる成り立ちを、ランサーはようやく思い出していた。

「エミヤ■■■の心はすり減り、君と剣を交えた頃の情緒は私には存在していない」

 その言葉の正しさを証明するように、アーチャーの双眸は凪いだ水面にも似て、何も映していなかった。


繰り返し、いくつにも分岐する世界の中に、彼の心が救われた世界は確かにあった。
だがそれ以上に、救われなかった世界の数が多すぎた。
あるひとつはより深い絶望の中で生を終えた。
あるひとつは守護者の責務に摩耗しきり、二度と光を映さなかった。
あるひとつは自らの目的を達成し、同時に自らの存在理由を否定して消え去った。
それらは降りしきる枯れ葉が地表を覆うがごとく、座を侵していった。

優しい記憶は遠く、他人の物語のように色あせた。
知覚はできても、それは彼になんの感傷も齎さない。

このカルデアに召喚されたとき、エミヤ■■■の心は既に数多の世界に食いつくされていた。


 絶望とも悲嘆とも憤怒ともつかない激情に襲われるランサーの前で、アーチャーは幼い子供がするように、こてりと首をかしげた。

「君たちが思う、『アーチャー』を、私は正しく演じられていただろうか」

それでもなお、自分を求める誰かのために。英霊エミヤの座に残るは、由来のはるか遠くなってしまったその信念だけであった。



「あれ?二人してどこ行くの?」

 ランサーがマスターに呼び止められたのは、カルデアの白い壁に囲まれた廊下を歩いていたときであった。声のする方へと振り向けば、後ろでも一歩遅れて立ち止まる気配がする。

「シミュレーションルームでちょっとな」
「手合わせしろとこの男がしつこいから相手をしてやるだけだ」

 ランサーとアーチャーの返答はほぼ同時に発されたがために重なり合い、そのどちらも正確な意味はマスターには伝わらなかっただろう。だというのにマスターはおかしくてたまらないといった様子で噴き出した。

「ランサーとアーチャーって仲良しだったんだね」
「「仲良しじゃない!!!」」

 今度こそ台詞まで丸々被ってしまって互いに目を見合わせる。視線の先にはしまったという表情があって、そのままそっくり同じものが自分の顔にも張り付いているに違いなかった。だが一瞬ののちにはアーチャーが見せる反応の正体を思い出してランサーの心が薄暗く澱む。そのことをすっかり忘れ、表面上は嫌がる素振りをしつつも心のどこかでアーチャーとのやりとりを楽しんでいた自分にも嫌気がさす。翳りだした思考を止めたのはマスターの朗らかな笑い声だった。

「そうだよね、アーチャーが来る前からランサーはずっと待ってたもんね。毎回わざわざ聞いてき…」
「マスター…!!」

 あまり好ましくないほうに話が転がり始めたのを感じ、なるべく怒気を込めた声でマスターを呼ぶ。マスターはわざとらしく口を手で覆ったが、その端から見える口角は高く吊り上がっていた。これでも数多のサーヴァントを使役してきた食わせ者だ。今更軽く凄んで見せたところで怖くもなんともないのだろうと、ランサーは呆れてため息をついた。横できょとんと首をかしげるアーチャーのことは放っておく。下手につついて何かに出てこられても困るからだ。

「オレらのことはもういいだろ。それよりマスターもなんか用があったんじゃねえのか?」
「あっ、そうだ、マシュに呼ばれてたんだった!」

 ぴょこんと跳ねる自分の目線より大分下にある頭。用事を思い出したマスターは軽く乾いた足音を立てながら去っていった。

「あ、白熱しすぎてシミュレーションルーム壊したらだめだからね」

 小針を立てるように残された言葉に苦笑しつつ、ランサーとアーチャーは再び目的地へと足を進めた。



 扉が閉まると同時にアーチャーの顔からは表情が抜け落ちる。自分の他に誰もいないこの部屋でアーチャーが演じる必要はない。そうランサーが言ったからだ。ランサーに『正体』が知れてからも、アーチャーはいつでもどこでも完璧にかつての姿を再現しきっていた。二人きりのときでもそれは同様で、訳を問えば「顔の無い人間と話すのは不気味だろう」と言う。確かに映るものをただ反射するだけの鈍色を見るのは、あまり心地の良いものではなかった。ランサーはアーチャーの生前や、守護者として辿った運命を詳しくは知らない。だからと言って気にも留めないほどランサーの想像力は貧しくはない。誇りはなくとも、誇りを捨ててまでも自分の信念を貫き通した弓兵が、ここに至るまでにどれだけの過酷があったのか。それを思うたびにランサーはどこか柔らかいところをやすりで削られるような心地がした。けれども、自分だけはその痛みを知っておきたかった。精巧に作られた仮面に騙されて、ひと時でもその中の空虚を忘れたくはなかった。できることなら、偽る必要のない場所があることがアーチャーにとっての救いになればいいとも思う。もしかするとそれをやすらぎと感じる機能すら失われているのかもしれなかったが。

「さあ始めるか」

 アーチャーが微かに頷いたのを確認し、ランサーは設置されているパネルに手を翳した。この部屋は数あるシミュレーションルームの中でも特別な機能を持っている。それは、サーヴァントたちの脳内のイメージをフィールドとして具現化する機能だ。そのイメージが具体的であれば細部まで再現が行えるし、抽象的であれば勝手に補ったものが現れる。初めに想定されていた使用法は、様々な条件下での戦闘演習であっただろう。しかし、サーヴァントによっては砂浜でのトレーニングに用いたり、薬草や毒となる野草の見た目を職員に教えるのに用いたり、果ては花畑でのピクニックに使われたりしていると聞く。
 今回ランサーが求めるのは、どこかに実在した風景の、寸分違わぬ再現だ。一人では記憶に限界があり、主観によるバイアスもかかるが、二人いれば十分な精度を保てるはずだ。目を閉じて瞼の裏にあの日の景色を描いてゆく。古びた鉄柵の門。長く続く白と灰の石畳。聖母の像が静かに立ち、それを囲うは白い壁。ずっと上には緑青色の屋根と十字架。そして全てを夜の群青が薄く塗りつぶしていく。先程までとは違う冷たい風が肌を撫で、ランサーはゆっくりと目を開けた。
現れたのはこの世界では既に焼け野原となった、冬木の教会前の風景だった。
 聖母像を背にしたアーチャーの方へ一歩踏み出せば、こつりと硬い感触が足に伝わる。何もかも記録の通りで、カルデアの技術に感嘆の声が漏れた。

「すげえな。まさにそのままだ」
「ああ。これなら問題なかろう」

 その手には音もなく形作られた一対の短剣。ランサーもまた、自らの武器を手に取る。慣れ親しんだ凹凸を手癖で一撫でして、沸き立つ血のままに口角を上げた。

「じゃあ行くぜ」

 微かな肯定を見て取り、朱槍を硬く握りこむ。飛び出したのは同時だった。ほとんど真ん中で切っ先が交わり高い音が響く。見開いた眼球の表面を衝撃波が通り過ぎ、後ろ髪をはためかせていった。先に弾かれたのは弓兵の双剣。一歩下がったところに槍を一振りして追い打ちをかける。崩れたように見えた体勢は一瞬で立て直され、刃の中心で受け止められた。ならばと加えるのは息をつく間もない打撃。連続する金属音と飛び散る火花。あの日も確かにこうだった、とランサーは戦いにのめり込みそうになる思考を引き戻した。
 ランサーはアーチャーの心を取り戻す方法を模索している。その理由について論じる気はなく、意味もまたここにはない。敢えて言うなら、遠い記録の一つが種火のように臓腑の底を舐めるから。ただそれだけのことだとランサーは理解していた。
 アーチャーの心が数多の過酷な記録に塗りつぶされてしまったのなら、その中から感情を持った記録を引きずり出すことで上書きできるのではないかとランサーは考えた。幸いにして、アーチャーが用いる魔術の性質もまたその実現を後押しするように思える。投影魔術。その材質や構成だけでなく、所持者の経験までをも追想する武器の作製。アーチャーに繰り返し使われた武器は、そのときの彼の思いを記録している。
 同じような状況を作り記録を改めて思い出させ、さらには使用した武器を投影させる。どの程度アーチャーの精神を揺り動かすことができるかは疑問だ。何も起こらないかもしれないし、ともするとより悪い結果を招くかもしれない。だが、何もしないという選択肢は存在しない。自分の感知しないところでアーチャーが擦り切れ終わりを迎えるのだけは許せなかった。
 ランサーがアーチャーについて知るのは聖杯戦争でまみえた記録だ。ならばそれを一つずつなぞっていくしかない。
 剣戟にも飽いてアーチャーの腹を後ろに強く蹴り飛ばす。低いうめきを漏らし、大きく距離を取った相手は空中へと身を躍らせ、ようやくそのクラスに相応しい湾曲を構えた。弓を引き絞る一瞬。風を裂く音を頼りに、闇夜を駆けてくる矢を弾き飛ばす。加護のある身では本来その必要はない。弓兵もそのことは知っているから、これは互いにただの戯れに過ぎないのだろう。
 軽い音を立ててアーチャーは再び地に降り立った。その手に武器はない。前座はこれで十分だとランサーも判断し、穂先を下した。

「なんだったっけなぁ、この後は。『貴様の剣には、決定的に誇りが欠けている』、だったっけか?」
「ああ、確かそうだ。『生憎誇りなどない身だからな。そんな余分なプライドはな』」

 無表情を貫いていた弓兵の唇が、挑発するような形を取った。

「『そこいらの犬にでも食わせてしまえ』」
「はっ!上等上等!よく覚えてんじゃねえか!」

 あのときはあんなにも自分を怒らせた言葉が、違う意味を伴って胸に届く。小瓶がとろみのある液体で満たされるような甘さに、ランサーの口角は自然と上がった。
 地面すれすれまで重心を下げて槍を構えれば、アーチャーもまた虚空へと右手を掲げる。囁くような詠唱と共に展開されるは薄桃色に輝く花弁。美しくも儚く見えるその盾が、どれほどの強度を誇るかをランサーは身をもって知っている。だが今回は再現のみを目的としており、魔力を絞った状態で投影されているため大した硬さはないだろう。

「ゲイ・ボルク、本当に撃ってやろうか?今度こそその心臓貫いてやる」
「シミュレーションルームが壊れるからやめたまえ。マスターに釘を刺されたばかりだろう」

 防げないとは言わないんだな、と内心で舌を巻く。感情を介さない分その判断は機械のように正しく思えた。おとなしく槍を収め、盾を保ち続ける弓兵に問いかける。

「どうだ、何か感じるか」
「今の私自身の心情として受け入れられるかは別として、あのときの私は考えていたことは分かるな」
「へえ、それはオレも気になる」

 自分とは全く異なる思考回路で勝利を目指したサーヴァント。あれから何度も顔を合わせてその性質を知ったとはいえ、あのとき何を考えていたのか正確には分からない。衒いのない本音を聞けるチャンスはそうそうないだろうと身を乗り出す。マスターであった少女の安否か、それとも強い光を瞳に宿した少年の行く末か。

「うれしい、と」
「は?」

 返された答えはそのどちらでもなかった。緊迫した状況に似合わぬ思考に疑問符ばかりが浮かぶ。そもそも一体何に対する思いなのかとランサーは首を傾げた。

「憧れていた英雄と剣を交え、その集大成である宝具まで向けられるなど、身に余る光栄だ。夢にまで見た赤い瞳が、美しい獣の殺意が、私だけを捉えている。これ以上の幸せが…」
「いや待て待て待て」

 敬愛を向けられている対象が自分であることに気付くのに少しの時間を要した。慌てて制止すればアーチャーは口を閉ざし、きょとんとこちらを見つめてくる。自らの額に手をやれば、平常よりいくらか熱を感じた。その表面はうっすらと汗を掻いてすらいる。ビー玉のようにつるりとしたアーチャーの瞳を見て、そうかとランサーは納得した。アーチャーは嬉しさや悲しみをどこかで落としてきたのと同じように、ためらいや恥じらいも失ったのだろう。以前は決して言わなかったようなことも、今は平気な顔で口にする。そうして表に出てくるのはアーチャーの紛れもない本音で、そこに思い至れば一層堪らない気分になった。絆創膏の下の、まだ治りかけの桃色の肉を見るような後ろめたさに、ランサーはついと視線を逸らした。

「あーもう言わなくていい」
「なぜだ。気になると言ったのは君だろう」
「いいったらいいんだよ!」

 この状態になってからもともと良くはなかったアーチャーの察しはさらに悪くなっている。自分の言葉が相手に何を与えるかまるで分かっていない。現に赤く染まったランサーの頬が意味するところも理解してはいないだろう。今度からどんなに気になろうと、投影した感想は聞くまいと心に決めたランサーだった。



 ランサーがレイシフトから帰還し、食堂に足を踏み入れたのは時計の短針が一を少し通り過ぎた頃だった。ピーク時には人がひしめき合っているフロアは空席が目立ち、いくらか喧噪もおさまっている。ざっと見渡して適当な角の席を選び、腰を下ろした。
 今日のメニューはガパオライスだ。生まれ育ったところとは遠く離れた異国の味。エキゾチックな味わいは今までに感じたことのない刺激をもたらし、新たな味覚が開発されていくようで楽しい。なによりスプーンで食べられるのが楽でいい。冬木での記録もあるランサーにとって箸の扱いはそう難しいものではなかったが、握るだけのスプーンの方が数段簡便なのは事実だ。まあ料理にもよるんだろうなと思いながら、しっかり味のついたひき肉と米を口に運んでいく。
 がしゃり、という音と共に目の前に置かれるトレー。目線を上げれば、自分より憂いを帯びたようにも見える、自分と同じ顔があった。

「よう、槍なしのオレ」
「おう、知性の低いオレ」

 喧嘩腰で向かえばそれ以上の悪口で返される。だが相手が自分だと思えばさして腹も立たない。向こうも同様に思っているのか立ち去ることはなくそのままそこに腰を下ろした。

「…なぁいつになったら槍譲ってくれんの」

 前言撤回。やはり槍について言及したのはまずかったかもしれない。冗談だって、とひらひら手を振る様もいまいち信用できずに顔を引き攣らせた。キャスターの前で大事な武器を不用意に出さないことをランサーは胸に誓った。

「最近なんだか色々やってるようじゃねえの。どうだ、成果は」

 軽いテンションのままに続くキャスターの言葉に、ランサーの手がぴくりと止まった。声音とは裏腹にこちらの奥底を探るようで、その実何一つ具体的には指し示していない。こういう小賢しいところは、自分には無いこいつの特性だとランサーは思う。

「…なんのことだ」
「とぼけても無駄だって分かってんだろ。あの赤い弓兵のことさ」

 核心を突かれてため息が漏れる。クラスは違えど元は同じ。気付いていて当然だった。さぁなと曖昧な答えを返す。正直なところ、ランサーにもどれくらいの変化がアーチャーに訪れているかは分からない。キャスターは僅かに眉根を寄せて、米を掬う手元へと目線を落とした。

「あれはどうにもならんよ。お前がやってることは穴の開いたバケツに水を注ぐのと同じだ」
「それでもやらないよりかはましだろ」
「そうさねえ、お前がそう思うんならそうなんだろ」

 投げるかのような物言いに眉を吊り上げれば、目を細めて静かに見つめ返される。燃える夕暮れ色の瞳は、自分と同じものであるのにどうも内側が読みづらい。

「そう怒るな。馬鹿にしてるわけじゃない」

 むしろ羨ましいくらいだと吐息交じりに溢された声ははたしてランサーに伝える気があったのか否か。毒気を抜かれて怒りの矛先を一旦下ろす。目玉焼きの白身をスプーンで切り取りながら、キャスターは再び元の声音で言葉を紡いだ。

「あいつを助けられるとしたらチャンスは本当に一瞬だろうな」
「どういう意味だそりゃ」
「オレらが座に還ってからの話だ。どうせ同じところに還るんだからいずれ分かる」
「今言えよ」
 
 キャスターは質問には答えずに、口の端を歪めた。

「いいところは全部お前が持っていくんだ。これくらいの意地悪はしたっていいだろ」

 言葉の意味も分からず、ランサーの腹にはただ苛立ちが溜まっていく。クラスが違うせいか、それとも自称するように本当にステータスが違うのか、キャスターにはランサーに見えないものが見えていることがよくあって、それが歯噛みするほどもどかしく悔しい。苛立ちをぶつけようとわざと大きく咀嚼をするも、歯ごたえのないたんぱく質が口の中で細かく切断されていくだけだった。
 そんなランサーの様子にも構わず、キャスターは黒い布の巻き付く腕を伸べ、ランサーの耳元を指さした。

「そのイヤリングを貸せ」
「てめえもつけてるじゃねえか」
「槍のオレのがあの弓兵とは因縁が深い。お前のじゃなきゃ意味がないさね」

 意図が分からなくても結局は自分だ。信用するもしないもない。渋々ながら耳朶に触れ、ランサーはイヤリングを外す。手を伸ばしてぽとりと落とせば、拡げられた手のひらの上で軽やかな音が鳴った。満足そうにそれを握りしめ、キャスターは手の中で揺らす。

「少しこれ借りるぜ、細工するにゃあ時間がかかる」
「一体何する気だ」
「ちょっとしたおまじないさ。目印くらいにしかならないだろうがな」

 雨粒を乗せた花に向けるような眼差しに、間違っても悪いものではないだろうと納得して、ランサーはそれ以上の追及をやめた。自分と同じ記録を持つのなら、キャスターもまたあの弓兵に対して思うところがあるのだろう。あの白髪が頬にもたらす肌触りを、自分は確かに覚えている。目の前の男がどうであるかをわざわざ確認する必要はない。食べ終えた食器を手に席を立つ。軽くなった右耳の下を、ぬるい空気が通り抜けていった。



 どこからか子供の泣く声が聞こえる。ナーサリーか、ジャックか、それともやけに長い名前の小さなサンタか。どんなに強い力を持とうともその心はまだ柔らかい。ましてや愛しい者との突然の別れは鐘の音のように大きく響くだろう。
 カルデアからの退去は予想していたよりずっと静かで、不気味で、人間社会の都合によるものだった。死に物狂いの人理修復を成し遂げた後に待っていたのは、サーヴァントの強制退去という理不尽で無粋な現実。当然サーヴァントたちは激昂したが、これもマスターの無事のためだと言い含められては納得するしかなかった。出来ることと言えば、マスターを困らせぬようおとなしく指示に従い、万能を誇る一番の古参サーヴァントが首尾よく事を進めるのを祈るくらい。そう自分に言い聞かせて、彼らは残り少ない時間を各々の好きなように過ごしていた。
 ランサーもまた、先程まで故郷の仲間たちと共にいた。ケルト勢の大宴会は今までにない盛り上がりを見せ、酒量も自然と増えていく。備蓄を気にする必要もなくなった今、それを止める者も居なかった。フェルグスがズボンをとうの昔にどこかへ脱ぎ捨て、唯一残った下穿きに手を掛けた辺りでランサーはこっそりと場を抜け出した。幸い皆の視線は露出を阻止する者と煽る酔っ払いどもの勝負の行く末に釘づけになっていて、誰も退室には気付かなかっただろう。
 廊下に出れば一気に喧噪は遠のいた。冷たい空気が饗宴に蒸された肌に心地よい。ゆるりと首を振れば動いた以上の視界のブレはない。アルコールに思考が融かされていないことを確認して、目的の部屋へと足を向けた。


「アーチャー、オレだ」

 外側から呼びかければ、間を置かずに扉が開く。案の定弓兵は最後の夜を一人で過ごすことに決めていたようだ。捨て置かれた人形のように、力なくベッドに腰掛けている。ずかずかと踏み入り横に腰掛ければ、マットレスの揺れに合わせてアーチャーの髪が踊った。

「明日が退去だ」
「ああ、分かっている」

 平坦な抑揚からは悲しみも寂しさも読み取れない。退去した後の生活に対してマスターや職員たちに小言をくれているのを見たから、『アーチャー』は彼らを心配してはいるのだろう。あの男ならそうだろうなとランサーも思う。だがそれよりも気にするべきは。

「次の召喚までもちそうか」
「そんなものがあるかどうか」
「あるだろう。ここはまだきっと英霊を必要とする」
「…無理だろうな」

 一瞬詰まらせた息を、隣に聞こえないように吐き出す。薄々気付いていたことではあった。キャスターの言葉が甦る。いくら注ごうとも底の穴から水は漏れ出ていく。

「投影したところで感情は一時的なものだった。内から湧いてくるものではない。還ってすぐに私は守護者としての役割を終えるだろう」
「そうか」

 絞りだした声は思いのほか素っ気なく響いた。その冷たさは部屋を巡って再び自らの喉元へと忍び込む。
 どこに召喚されても在った因縁の弓兵。それこそロマンチストでもない自分が運命だと思ってしまうくらい、その偶然は重なった。だからいつしか甘えが生まれた。役目を終えて座に還るときにも次もまた会えるだろうと、心のどこかで高を括るようになっていた。しかし今回は違う。守護者エミヤの座は崩れかけ、消え去ろうとしている。もう本当に次はない。脳がぐらぐらと揺れるのはアルコールのためでは無かった。無言で頭を抱えるランサーの上に、ふいにアーチャーの声が降った。

「まだ一つだけ試していないことがある」
「なんだ?できる限りはやったと思うが」

 ランサーにとって印象深い出来事は、大抵なぞったつもりだった。第五次聖杯戦争を戦った英霊たちにそれとなく話を振って、冬木での話をさせてみたり、衛宮の屋敷で振る舞っていた覚えのある料理を作らせてみたり。無理を言ってレイシフトして、二人で釣りまでした。
 しかし、アーチャーは否を示してゆるりと首を振った。

「いくつかの世界では我々は恋仲になっていただろう」

 覚えていたのかと、ランサーは驚愕に目を剥いた。それはあまりに少ない可能性だった。幾億もの記録のなかで、それが記されているのはほんの数ページだけ。儚い均衡の上に成り立つ、奇跡のような一瞬。とっくに擦り切れたと思っていた。自分だけが大切に抱えているようで、恥ずかしくて言い出せなかった。

「私を抱け、ランサー」

 靄の揺蕩う水面が、真っ直ぐにこちらを見つめている。背筋を暴力的に這い上る歓喜と、赤子のように脆い相手を抱くことへの罪悪感がせめぎ合う。呼吸がうまくいかなくてぽかりと息を吐いた。夢の中のように動きの鈍い腕を伸ばす。底知れない暗がりの中へとずぶずぶと沈んでいくような気がした。鼻先を褐色の温度へと擦りつければ、ぴくりと跳ねる気配がする。金木犀のような薄い体臭がふわりと香った。懐かしい、と思う。自分が求めていたものがそこにある安堵。

 初めて抱くはずの体を、自分は確かに知っていた。



 情事の後の気だるさが漂う薄闇。背中をひたりと触れ合わせて寝転ぶ。汗で冷えた体に相手の体温が心地よくて、しかし擦り寄ることもできずに微かな触れ合いを保つ。あまりに静かで、時折の身じろぎで皮膚が擦れる音さえ聞こえそうだった。
 欲を吐き出した後だというのにランサーには一向に眠気は訪れない。後ろからも寝息は聞こえてこず、アーチャーも同様であることが知れた。幾分長い間逡巡したのち、ランサーは自らの右耳に手を伸ばし、イヤリングを外した。
 ぐるりと寝返りをうち、後ろからアーチャーの腕を取る。背と胸が密着し、抱き込むような体勢になった。鼻先を白髪が掠める。アーチャーの手のひらにイヤリングを置き、重ねた手を包んで握りしめさせた。

「これをやる」
「これは君の…」
「やる」

 振り返ろうとする弓兵の動きを回した腕で押しとどめる。図らずも囁いた声は耳元で響き、こそばゆそうにアーチャーの背が揺れた。

「決して離すな。座に還っても握りしめていろ」

 どうか、どうか、最後のときまで。祈るように、アーチャーの首筋に額を擦りつける。しっかりとイヤリングが握られたのを確認し、重ねていた手を外して腰を抱きしめる。抵抗がないのをいいことに、夜が明けるまでそうしていた。


*****


 殺風景な赤原をずっと眺めていた。

 遠くで、どぉんという音が鳴り響いている。空を覆っていた大きな歯車が、形を失って落ちているのだ。地面は剣が刺さった先からひび割れ、ぐらぐらと揺れている。座っていた形ばかりの玉座も、崩れ去るのは時間の問題だった。
全ての分霊の記録は帰還した。そしてここから何かが出ていくことはもう無い。必要のなくなった空間は消えゆくのが定めだ。この世界は無駄を嫌う。
 一際大きな揺れが襲い、足元の地面に深い溝が走った。その奥に見えるのは、底の知れない闇。溝はどんどんと拡がり、やがて玉座ごとその中へ落ちていく。
 すぐに辺りは真っ暗になった。どうせ何も見えないと目を閉じる。平衡感覚は既になく、落ちているのか、昇っているのかすら分からない。物理的な落下ではないのかもしれない。闇に全ての感覚を飲み込まれる。エミヤ自身が、心象風景と同じように崩れ去っているのだろう。死してなお、人を救いたいと願ったエミヤ■■■の存在はここで終わる。
 ふと閉ざしたはずの視界に光が差した気がして目を開けた。鋭く眩しいけれど、暖かい白銀の光。それは、握られた手の中からやってきていた。そこで初めて自分が何かを握りしめていたことに気付く。それも爪が手のひらに刺さるほどきつく。一体何を持っていたのだろうかと薄く指を開けば、零れる光はますます強くなった。そこにあったのは、銀色の細長いイヤリング。表面には、魔力を感じる何かの文様が浮かび上がっている。自分と関わりがあるものかももうわからない。けれど、ひどく、なつかしい。
 と、暗闇の中から大きな掌が伸ばされた。イヤリングごと包むように自分の手のひらを掴まれる。光がどんどん強くなり、相手の姿が浮かび上がってくる。
 機能美すら感じるしなやかでたくましい腕と肩。南国の鳥の羽のように舞う鮮やかな長髪。ハッと目を見開く。纏う衣服が違えど、その姿を見間違えるはずなどなかった。

「ちゃんとイヤリング、持っていてくれたんだな」

 睫毛に光を乗せて、その奥の紅玉がゆるりと融ける。応じるように、心の奥から奔流のように湧き上がってくるものは、紛うことなき喜びだった。

「迎えに来たぜ、アーチャー」

 ああ、褪せた記憶の中でもなお鮮烈なその蒼。
 自らを引っ張る強い腕に縋り付く。覚えている、覚えているとも。細胞のひとつひとつまでがそう叫んでいるようだ。心が熱いものに満たされて、零れた。

「遅いぞ、ランサー」

 涙に霞む視界の中で、眼前の男の顔が美しく歪んだ。




Comments

  • わんわんお
    May 8, 2025
  • April 20, 2022
  • p13
    June 18, 2021
Potentially sensitive contents will not be featured in the list.
© pixiv
Popular illust tags
Popular novel tags