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【Fate】紅い蝶【槍弓】/Novel by 戚

【Fate】紅い蝶【槍弓】

12,134 character(s)24 mins

自サイトにアップしていたものをこちらにも上げています。Fateで槍弓です。
本編準拠ですが、何らかのストレス的なもので弓の人が厭世的になりました。
なった挙句に槍の人を巻き込んで、賭けをしました。
別に誰も幸せにはなりません。
この世全ての悪もどきの人が居ます。

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「私はお前が嫌いだよランサー」
「ああ、上等だ。オレもお前が大嫌いだよ」



 お前が目の前にいるだけで心臓が痛くなる。
 憧れと憎悪と恐怖と尊敬。プラスとマイナスが入り乱れて、ハレーションを起こしている。
 現実が遠く、そもそも生きても居ない自分の存在など本来ありえないものだと否定して、その度に楽しそうに現世を謳歌する君が目の前を横切る。
 矛盾と錯綜に汚染された感情は、磨り減ってもなお、むしろ磨り減ったからこそ理性の箍を外して哄笑する。
 せめて再び巡り会ったお前がお前でなければ良かったものを。
 どういう因果か、私と同じ私は召喚されていなかったはずの、私の聖杯戦争で。彼と彼女だけは必ず同じ英雄が呼び出される。
 それは彼と彼女の縁がそうさせるのか。それとも必ず二人が介在しなければ英霊エミヤは生まれないから、そう仕組まれているのか。
 私にはわからない。ただ、目の前にあの男がいると心臓が痛い。
 痛くて痛くて息もできなくなるから、それならいっそ心臓か息を止めてしまえと思った。



「お前は何がしたいんだ」
「もう何もしたくないし、するつもりはない」
 お前が来てくれただけでいい、とアーチャーは穏やかに笑った。
 その心臓には深々とランサーの赤い槍が刺さっている。
 しかし本物は未だ彼の手の内にあるのだから、それは紛うことなき贋物。
「自決するにゃあ、少し遅いな」
「早いとは思ってくれないのか?」
「馬鹿野郎。それならテメェは嬢ちゃんを裏切った直後に悔いて死んでいるべきだった」
 なるほどそれならば真っ当な騎士としてのあり方だな、と男は笑った。
 声に出した端から血を吐いて、笑い声は真っ赤だった。
 苦々しくて、一体何故そう思うのかもわからないくらい苛立ちが募り、ランサーはぺっと唾を吐いた。
 彼らしくもなく、酷く荒れた所作。
 饐えた匂いがするここでは人の心も荒れるだろう。さもありなんとアーチャーは微笑む。
 ここは薄暗い穴倉の奥底。まるで落とし穴のようにぽっかりと深く開いた縦穴の中で、アーチャーは軽く膝を折り曲げて座り込んでいた。
 前述したとおり、その胸に赤い槍を生やして。
「なんなんだ、ここは」
「穴倉だよ。それ以外の何に見えるというのだね」
 よもや竜宮城には見えまい、とアーチャーが嘯くが、ランサーはその竜宮城なるものを知らなかったので首を傾げるだけに反応を留めた。
 奇妙な魔力の揺らぎを感じて、気まぐれに足を向けてみればとんでもない光景を目にしたものだとランサーは苦く思う。
 別にこの男が死にそうでも殺されそうでも何でもいいが、その手段に自分の愛槍を勝手に使われるのは、とても気分が悪い。
 いっそ魔力の澱みになど気付かなければ良かったものを、と己の運の悪さを嘆きながらランサーは肩を落とした。
「で、お前は何をしている」
「少なくとも踊ってはいないな」
「アーチャー」
 言葉遊びもいい加減にしろと促すが、血を吐く男は笑ったままマトモに答えるつもりがないようだ。
「……自虐趣味もいいがな、オレたちサーヴァントがそんな簡単に死ねるはずはないだろう、馬鹿が。まして」
 今は、閉じた四日間の中にいる。
 死のうが消えようが勝とうが負けようが、四日目の終わりが来れば強制的に全てリセットだ。
 否、たったひとり例外がいて、その行動次第では次へと受け継がれていくものもあるようだが。
 男は口を真っ赤に染めて尚笑う。笑う以外の表情を忘れたかのように、呆けた顔で笑い続ける。
「君こそ馬鹿かね。私が元々誰であったか、忘れたのか?」
 他の何よりもその事実を厭うていた男が吐き出した言葉に、ランサーは軽く眼を瞠った。
 それは他でもない男自身が、この世に呼び出されて一番否定したがっていた事実のはずだった。
 しかし男は、まるで今ではそれがとても面白いことだとでもいう風に、滑らかに歌う。
「あの小僧が全てを動かす舵だというのなら、私たちサーヴァントはさながら取っ手だよ。取っ手を握る舵取りが誰かは知らないが、私はそれなりに根幹に関わる存在だからな」
 聞き苦しい血泡の音が混じりつつも、アーチャーはただ口を動かす。
 その胸の黒鎧は、すでに血の色で黒か焦げ茶かもわからない色に成り果てていた。
「……それで、お前は何を動かすつもりだ?」
 奇妙な胸騒ぎを感じながら、ランサーは目を細める。
「私が? 何かを動かす? 君は今まで一体何を聞いていたんだね。その耳は飾りか?」
 大仰に呆れてみせる男に、ランサーは段々と苛立ちから呆れへと己の感情が傾いていくことに気付いた。
 目の前の男が何を考えてもどうでもいい。彼には彼の、アーチャーにはアーチャーの生き様があるだろう。それはお互いに関係のないものだと、放置する方向に意識が揺れる。
「お前の話は右に左に行き過ぎて、真っ当な脳味噌持ってる連中にゃわかりづれえんだよ」
「会話に深みを持たせる楽しみを知らんとは。やはり原始の文化人だな」
 何時まで経っても死にそうにない男の話に付き合うのも、いい加減飽きた。
 ランサーはくるりと背を向けると、一足で穴の淵へと飛び上がる。
 振り返るまでもなく背後には底も見えぬような空洞がぽっかりと口を開けている。
 そもそもなんだって、あの男はこんな酔狂な場所で死のうと思うのか。まったくわからない。
 立ち去ろうとしたランサーの背中に、空洞の底から陰々と声がかけられる。
「賭けをしようか、ランサー」
 彼は何も答えなかった。ただ足を止めた。
「最後の四日目に、もう一度あの因縁の場所で」
 足を止めて耳を傾けて、そして最後まで条件を聞き終えると再び歩き出した。
「私を、見つけられるかどうか」
 それは賭けではない。挑発というのだ。



 それでもランサーは約束を守った。
 四日目、他の面々が己の守りたい場所を守るために集い、その力で全てを薙ぎ払っているころ。
 ランサーはひとり高校の屋上に来ていた。
 フェンスの上に行儀悪くしゃがみこみ、ぼうっとあてどなく空を見ている。
 思えばろくに開始時間も待ち合わせも決めていなかった。
 漠然と、あの因縁の、とだけ。
 アーチャーであり少年でもあった男との最たる因縁といえば、ここしか思いつかなかったランサーだが、もしかしたら間違えたのかもしれない。
 まあしかし、間違えたところでどうだろう。もう残り時間は少ない。やることのない自分は、ただこうして全てを終わらせるために階梯を昇っていく二つの人影を見送るだけだ。
 その階梯の足元で、昇る足を引き摺り下ろそうと足掻く無数の影があるが、それは誰よりも誇り高き剣を持つ少女が薙ぎ払うだろう。
 だから本当に、することがない。セイバーが居なかったとしても、あの小僧の手助けをしてやるつもりにはなれないが。
 何となく虫が好かないのだ、あの小僧の中身とは。属性が相反するせいだろうか。それとも、間に二人の女を挟んでいるからか。
 もしかしたらそのどちらでもなく、間に挟まれているのは過去と未来のあの男の姿か。
 現世に呼び出されてから覚えた煙草を唇に挟んで吹かし、ランサーは半眼で空を見上げる。
 青白く透き通って光る階梯。その階梯を昇る赤黒い人影。もうひとつの人影は少し前に消えてしまった。恐らく役目を終えたのだろう。
 彼女は現世で待っている筈だ、しかし階梯を昇る人影は、もう永遠に彼女には会えない。
 それに少しだけ、同情をした。
 ぽろ、と煙草の先から燃え尽きた灰が落ちていく。遥か遙か下、かつて少年だったあの男が走り回っていたグラウンドへ。
 その灰と入れ違いになるわけではないだろうが、階梯の底から無数の赤い光がわきあがり、昇ろうと詰め寄っていた黒い影たちに蹂躙されるのが見えた。
「ああ」
 なんだありゃ、と煙草のフィルタを噛む。噛んだところで答えが降ってくるわけではないのだが。
 ちらちらと火の粉のように舞うその光は、大部分を影に食い散らかされながらも、確実に影たちを混乱へと導いている。そして陣列を乱した軍勢など、かの騎士王の敵ではなかった。
 大きな光の柱が上がる。聖剣の光だ。その光にもまた巻き込まれて、赤い光が消滅する。しかし消えてしまった部分も気にしないのか、赤い光たちは一斉に飛び立って、階梯を登る人影を包み始めた。
 まるで守るかのように影を包み込んだ姿は、何かを連想させる。
 大きな赤い布、翻る裾。己の(身体の)犠牲など(疵など)全く歯牙にもかけずに、ただ守りたいと足掻く。
 階梯から零れたのか、赤い光がひとつだけ、群れを離れてひらひらと頼りなく飛んでくる。
 何故か一心に、ランサーのいる場所を目指して。
 ふとあの男の声を思い出した。


『私を見つけてくれ』


 思い起こすのは、この街に無数に埋葬された、幾人ものエミヤシロウのかけらたち。
 平行に存在し無数に重ねあわされたメビウスだからこそ、ここはエミヤシロウたちの墓場でもある。
 繰り返す四日間。その中で死んでいった■■■■■と、上辺の少年。
 使い捨てられた黒い影のかけらですら、同時にエミヤシロウのかけらでもあり、彼のかけら。
 それでなくともただでさえ平行の時の中、幾人ものエミヤシロウがこの街で生まれて死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで行った。
 この街に埋葬された子供たち。そしてこの街から出て行ってしまった大人たち。果たして外で死ぬのと中で死ぬのと、どちらが幸せだっただろう。
 意味のない問いかけとエミヤシロウは言うだろう。既にひとりでも守護者と成り果てた以上、その仮定には意味がない。
 世界に登録されたからには、その存在は時を越えてかつてあり、いつか来るものとなる。いつ存在し始めたのか、いつ現れたのかなど、意味がない。
 既に彼は、そこに在るのだ。
 痛みと絶望と切望と虚無と諦めを、繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し。
 磨り潰されていく己の欠片に、あの男は何を思ったのだろう。
 地脈から湧き上がってくる無数の赤い蝶。羽根はちぎれ、まっすぐに飛ぶことも出来ず、それでも空を目指す、哀れな生き物。
 街全てがエミヤシロウという存在の巨大な墓だった。それを知る人間がどれほどいただろう。
 少なくとも彼のマスターである少女やその家族であったものたちの、誰も知らない。
 気付いたのはここで赤い蝶を観察できたランサーだけである。他のものも余裕があれば蝶の存在をもっと気に掛けただろうが、今はみんな戦うことに集中しているからそんな暇がない。
 ランサーは手を伸ばして、間近まで飛んできた赤い蝶を掴もうとした。素早さや自然と戯れるすべは誰よりも知っている。
 だというのに、蝶は彼の手をすり抜けた。逃げたのではなく、文字通り、すり抜けたのだ。
「おい」
 穴底に自ら埋葬されるように蹲っていた男を思い出す。
 よもやあれで全ての葬式を終えたつもりなのか、あの男は。
 そして全てを自分が連れて行くと言わんばかりに、赤い羽根をはためかせているのか。
「アーチャー」
 赤い蝶はランサーの呼びかけから逃げるように遠ざかっていく。
 ひらひら、ひらひらと。力なく千切れた羽根で羽ばたいて、大空の真っ暗な月へと一直線に。
 もうすぐあの月はなくなる。あの近くにあるものを、生きる意志のあるものを除いて、全て引きずり込んで消えていく。
 ランサーは立ち上がり、残像すら残さぬ速度でグラウンドへと降り立った。そのまま足を止めることなく、いつかの穴倉へと駆けていく。
 深く暗い穴底に何が残っているかは知らないが、それでも死んでいるのに死ねない自分たちのことだ。何か残っているだろう。
 彼が本気になれば、街一つ踏破することは容易い。ましてや、現代のように整備された道ならば尚更だ。
 さほど時間も経たずに穴倉のあった場所へとたどり着いた。
 まだ世界は終わらない。時間は残っていた。
 残っていなかったのは、穴倉のほうだった。
「――――――」
 穴倉だった場所は、土砂が堆積しているだけのただの平地になっていた。
 内側から崩したのか、少しだけ中心に向かって傾斜を作っている。
 その前に立ち尽くして、ランサーは唸った。
 空を見上げる。黒月に皹が入っていた。既に赤い蝶はどこにも居ない。
「……何がしたいんだよ、お前」
 槍の石突で大地を突く。その底に、まだあの男はいるのだろうか。
 姿が見えない以上、想像するしかない。そして大体の場合において、想像とはくだらなくまた現実に裏切られるものだ。
 ぽとり、と何か音を立てて落ちてきた。
 何だろうかと顔を上げたランサーの近くへ、ぽたぽたと連続した音が落ちてくる。
 息絶えた赤い蝶の破片が、降り注いでいた。
 その土砂の奥、かつて穴倉だった奥底へと再び集まるように。
 しかし蓋になった土が蝶の帰還を阻んでいる。ひらひらと風に嬲られながら、蝶の千切れた羽根が震えた。
「君は一体何をしているのかね」
 とん、と軽やかな音と共に背中へ投げかけられた、声。
 その聞き覚えの在る過ぎる声にばっと振り返れば、見慣れた赤い外套を翻し、男が立っていた。
「お前……」
「何を辛気臭い顔で俯いている。君は曲がりなりにも光の御子なのだろう? だったら堂々と空を仰げばいいものを」
 そうすれば余所見した隙に刺し殺してやるぞ?
 嫌味ったらしく笑う顔はいつかと変わらないのに、赤い蝶の残骸を踏みにじる気配が酷く――――匂う。
「……貴様こそ、そんな姿で何をしている」
 犬歯を剥きランサーは唸った。爛々と己の瞳が激情にぎらついているだろうことを自覚する。
 それくらい、目の前の存在は、ランサーにとって酷く厭わしい。
「そんな獣臭い匂いをさせておいて、アーチャーだと名乗るつもりか」
「唸るなよ。ああ、やっぱりアンタは駄目か。もう少しアーチャーも粘れば勝てたかもしれないのに」
 全く同じ顔、同じ姿でありながら、がらりと全く違う気配へと目の前の存在が摩り替わる。
 否、これは内側と外側を入れ替えただけだ。殻を脱ぎ捨てただけとも言う。
「テメェ、坊主に間借りしてた奴だな。なんでそれが今度はアーチャーに間借りしてんだ。お前はヤドカリか?」
「じゃあエミヤシロウは貝殻か? 意外とロマンチストだったんだな、アンタ」
 姿かたちだけはアーチャーのままで、この世全ての悪は光の英雄をせせら笑う。
 佇みながらも、その足は蝶の残骸を踏み散らすことを止めない。いっそ神経質な動きで、悪を関する英霊は正義を求めた英霊の殻を被って、その魂の残滓を踏み潰す。
「……止めろ」
 踏みにじられるたびに、あの男を否定される気がして、ランサーは目の前の男を制止した。
 何者か得体の知れないアーチャーそのものにしか見えない男は、その制止にきょとんとした顔をしつつも、大人しく足を止めた。
「なんで?」
 子供が親に聞くように、あどけない疑問をぶつけられてランサーは思わず怯んだ。
「だってこれ、死骸じゃん。もうモノじゃん。踏んで何が悪いわけ? むしろ原型残さないほうが、早く消えるからこいつらのためじゃねえ?」
 アーチャーの顔で。アーチャーの声で。男は酷く幼く、それでいて残酷なことを言う。
 その落差が余りにも酷くて、ランサーは吐き気を催す。しかしそれを外に吐き出すような真似はしなかった。
「姿を残すほうが、余計に酷いんじゃない? だってアーチャー、自分のこと嫌いだからな」
 それこそ過去も今も殺し潰したいほどに。
 哄笑する男。一体何がそれほどにおかしいのか。腹を抱えて笑い転げる男の足元には、潰れた羽根が散乱している。
「――――ああほら、見てみろよ。正義の味方が最後の仕上げに入ったぜ」
 地べたに寝転がり男が天を指差す。
 指の先へと視線を伸ばせば、確かにランサーの目にも無数の赤い蝶たちが見えた。
 その赤い幻燈たちは、群れ包むようにして誰かをゆっくりと運んでいる。見覚えのある赤紫の色合いは、かつての主か。
「凄いよな。自分を虚仮にした相手にまでも優しい。最後まで命を守ろうって、その気概が凄い。いやあ、世界のために自殺した守護者は違うね!」
 再びたまらないと笑い出した男に、ランサーはついに限界へ達し歩み寄って脇腹を蹴り上げる。
「……ッ!」
 無防備だった腹を蹴られて、筋肉で鎧われた体も流石に衝撃を受け止め損ね、大きく震える。
 遠くまで転がり咳き込みながら、それでも男は笑うことを止めはしない。
「げはっ、あ、……あははははは! なんだよランサー。元マスターを守る役目を奪われてイラついてンのか? それとも、守られてるバゼットに嫉妬してるのか」
「黙れ」
「随分苛立ってるねえ、英雄様。なぁに、そんなに図星突かれて悔しいのかよ」
 腹を抱え、アーチャーの殻を纏い、それでいて中からその殻へと滲み出るように無数の刺青を浮かび上がらせながら、男は笑い声を突然止めた。
「怒るぐらいならどうして止めなかった」



 その冷たい言葉に、煮え滾っていた怒りが、急速に凍結されていく。
「別に、役得の俺が今更言うべきことでもねえけどさ。一応宿主だし? 消滅から助けてもらった以上、それなりに恩返ししてもいいかなって程度には思うね。まあ、悪魔の俺が恩返しもへったくれもないけど」
 でも俺って義理深いからさああははははは!
 アーチャーの姿で再び悪魔は哄笑する。無様にも黙り込んでしまった男を嘲るために、大事な彼女の憧れの君を貶めるために。
「死にたがりの男を皆が知っていた。でも止められるのは余りにもごく僅かの人間しか居なくて、お前はその中の一人だった。そして唯一、アーチャーに賭けを持ちかけられていた」
 むくりと体を起こし、悪魔は下からランサーの顔を見上げる。真っ赤な目が逆光の中で鈍く輝いていて、まるで火のようだと思った。
「アンタは殴ってでもこの男を引き止めるべきだったのさ。だからこれから先でもずっと、後悔が付きまとうようになる」
「何?」
 これから先、とは一体何のことを言っているのだろうか。これから先など、存在しない。全ては泡沫の夢でしかないこの世界なのだから、そうであるからこそ、皆が腹を括って終端へと歩き出したというのに。
「わからないか? どうしてアーチャーが俺に体を明け渡したと思ってんだよ。先がない存在に、これからを約束させて何の意味がある? 符号はあっただろ。考えろよバカ英雄」
 ぽんぽんと悪口雑言投げつけながら、悪魔はようやく立ち上がった。逆光からやや下向きに目線を修正し、ああこの男を見下ろすのは気持ちが良いな、とこの体に入って優越感を感じやすくなったことに気付いて、また笑う。
 一方、ランサーは困惑していた。先がないと信じていたところに、突然提示された継続の報せ。だが先がないことは魔術的にも世界的にも決まりきったことであるのに、どうしてこの悪魔は見え透いた嘘で誘惑を持ちかけてくるのか。
 悪魔は誘惑するものだ。それが彼らの存在意義であるのなら。だが悪魔は全てに嘘はつき裏切りはしても、誘惑の内容に嘘はつかない。誘惑に真実を含ませねば、その契約には魅力がなくなることを、本能的に知っているからだろうか。
 そしていま、悪魔は先があるのだと言った。であるのならば確かに「これから」は存在するのだろう。それがどんな形に変容するかは、全く別として。
 更に少なくとも、そこに我々サーヴァントが存在する余地も示した。そこにははじめ、自分を居なかった可能性を加味して。だが今は悪魔は残るのだという。代わりに舞台から消えるのは、悪魔の被った皮の男。
「あのバカ人間は、もう嫌だったんだとよ。幸せも安らぎもこれ以上見ていられないんだとさ。それを味わうのは自分以外の誰かであるべきで、自分がそれを受け取るのは耐え難いんだと。馬鹿だろう? こいつがいなきゃ幸せになれない人間もこれから先にはいたかもしれないのに、それを全部投げ打つほどに耐え切れないんだと」
 悪魔は嗤う。愚かな男を。世界を愛するが故に信じられない男を。人々の幸せを求めるが故に自分の幸せを受け付けられなくなった子供を。己の価値を見失った英雄を。
「だがそれでも自殺も許されない。そんな無駄な損失を受け入れられないと駄々こねやがった。だから俺を見つけたときは、本当に救われた顔してたぜえ? これで犬死する必要はなくなったって顔だった」
 ランサーの顔が険しくなる。悪魔の言うことが本当ならば、どんなにアーチャーが喪失に意味を見出したとしても、彼以外の人間の一般的な感性で言えば、それはやはり犬死だった。そうとしか、言えない。
 何故ならば、それで救われるのはアーチャーしかいないからだ。そこに意味を見出せるのはアーチャー以外の誰もいないからだ。頑張ってどうにか悪魔もおこぼれに預かると言えなくもないが、それとて単なる僥倖、アーチャーにさしたる恩義を感じることもない。
 何より、悪魔の存在を余人は知らない。知ったとしても、この悪魔と行動を共にしていたか、あるいは接触したことのあるごく一部の女たちだけだ。
 その女たちは、喜ぶかもしれない。そして見知らぬサーヴァントに一度礼をいい、それで忘れてしまうだろう。だって顔もろくに知らない相手なのだから。目の前にあるのはアーチャーの顔でも、女たちにとっては成長し面差しを少し変えた悪魔の顔になる。そこにアーチャーとしての認識は、ない。
 そしてアーチャーを知っていた人間たちはどう思うだろう。姿を消してしまった、否、顔かたちは同じでありながら全く見知らぬ存在になってしまった愚かな男。
 黒髪のマスターは怒るだろう。だが彼女は良くも悪くも現実を見据えている。喜んでいる悪魔と女たちを前に、よもや存在を再び入れ替えて悪魔を殺しアーチャーを戻せともいえまい。いや、言うかもしれないが実行は恐らくしない。
 それくらいならばもう一度同じアーチャーを呼び出すまでだと息巻くだろう。彼女はそういう、好い女だ。
 坊主はどう思うだろう。勝ち逃げと怒るだろうか。それともアーチャーの行動に納得できないまでも共感してしまうだろうか。
 他の面々はどうだろう。人間たちは怒るかもしれないし、悲しむかもしれない。哀れむかもしれない。
 サーヴァントたちは、それぞれの感想と哀れみと軽蔑を寄せて、それきりだろう。基本的に彼らは他サーヴァントに執着しない。サーヴァントが執着するのはマスターになりうる人間と、その周囲の人間と、戦うに値する敵だけだ。
 自ら敵を辞め舞台を降りた臆病な愚か者のことなど、一度振り返って終わりだろう。
 そしてそれは、ランサーにも当てはまるはずだった。いや、ランサーこそがその代表格のようなものだ。真っ当な正英雄。幾度そうアーチャーに賛美されただろうか。
 忘れてしまった、忘れていたアーチャーの言葉の数々が頭に浮かんでは消えていく。好敵手と認め、戦うことを楽しみにした、あの短い日々。そしてその後に訪れた、闘うことも出来ないぬるま湯のような平穏の中での接触と交流。
 大したことはしなかったし、話さなかった。気に食わない相手だとお互いに思っていた。認めるのは戦いに望む姿だけだと思っていた。それ以外のことは、どうでも良かったはずだった。
「なあどう思う? 英雄さんよぉ。こんな馬鹿、もう世界には必要ないと思わねえか。少なくともこれから来る平和な日常には、もういらねえよな」
 アーチャーの顔と声で、悪魔は笑い続ける。愚か者の存在を不要だと切り捨てる。何故かその言葉に反発する自分が居ることを、ランサーは自覚した。お前がそれを言うことは許さないと。
 それを言っていいのは、あの男を否定していいのは、真正面から向き合い続けた己だけに許された――――なんだ?
「お? どうした大英雄。顔色変わったな」
 にやにやと笑い顔のままで悪魔が見ている。だがランサーは引きつった己の顔と神経を制御できない。今、自分は一体何に気付いた。
「うるさいな。少し黙ってろ」
「あぁ? そいつはちょっと酷いだろう。大体、誰のお陰でこんなチンタラ話が出来てると思ってるんだよ」
 言われて、ランサーははっと天上を仰いだ。
 瞬時に穴倉から飛び出し、しっかと大地を踏みしめて見上げた空には、もう黒い月は影も形もなかった。崩壊している。なのに、世界はそのままだ。
「お別れをしたよ」
 背中に再び声がかかる。悪魔の声だ。しかしアーチャーの声でもある。
「もう全部見てしまった。だからあとは終わりでも見てみようかと思った。だから、いきたくないと泣くアイツを宥めて、自分のところに戻ろうぜっていって、背中合わせに走り出した。もう何も残っちゃ居ない。朝になれば、元通りだ」
 朝になれば、もう毎日は繰り返さない。人が死んでも死んだまま、捩れた世界は正されて、喪失と芳醇の日常が待ち受けている。
「意地汚い話だ。あんなに見栄をはって別れた直後に、違う姿とはいえもう一度顔を合わせるんだからな。それでもきっと、バゼットは喜んでくれる…………かもしれないが、もしかしたらその場で殺されるかもしれない」
 私の覚悟と涙を返してくださいと、怒るだろう。あの女なら。
「それに、カレンは酷い言葉で罵るだろうな。ああ、でもあのカレンと次に会うカレンは少し違うから……どうだろう」
 それでもきっと、彼女の舌端は悪魔の気持ちを抉るだろう。心は抉られない。だって悪魔に心なんてものはないからだ。たとえ悪魔自身がそれを信じていなくても、建前ではそうなっている。
「さあ、ここで選択の時だよ英霊サマ」
 悪魔は再び嗤った。天秤の存在を示すときが来たからだ。さっき出した名前はどちらもランサーにとって因縁深き女たちだ。その存在を知らしめた上で、男が何を選ぶのか、悪魔には興味があった。
「アンタが望むなら、この体を持ち主に戻してもいい。俺は少なくともバゼットとカレンに殺される可能性がなくなるわけだからな、それなりにメリットもある。勿論デメリットもあるが、そこんところは織り込み済みだ」
「なに?」
「アンタにとってアーチャーが必要って言うんなら、くれてやろうって言ってんだよ。俺に頭下げて這いつくばってお願いしますって言ってみたら? アンタ欲しかったんだろ、あいつのこと」
「何を、馬鹿なこといってやがる」
「声が上ずってるぜ大将。いい加減認めてやれよ。そんで、今度は俺を殺してアーチャーを選べば? バゼット見殺しにしたみたいにさ。ああ、あれは令呪のせいだったんだろうけど、まあどっちにしても大したこっちゃないよな」
 ひゅ、と喉が鳴る。自分の体から殺気が吹き上がるのを感じた。侮られ、辱められて居ると意識が認識するよりも早く、身体のほうが認識した。
「お、まえは」
 ギリギリと砕きそうなほど力の篭った顎を理性で引き絞りながら、ランサーは舌を動かす。
「何が、望みだ。いや。何を狙ってやがる」
「失敬だな。俺は別に何にも興味はねえよ」
 ただ許されるのならば、絶望が見たい。失望と希望とに彩られて結局苦しむ他ない人間の、無様な姿が見たいのだと悪魔は言った。
 かつてまだ人間だった頃の悪魔が、当たり前にそうしていたように。
「アンタも人間らしかったころがあるだろ? 無様で間抜けでみっともなくて、それでも知り合いの前では格好つけたがってさ」
 アーチャーと縁深い坊主のような響きで、悪魔は囁く。最もアーチャーの体で喋っているのだから、似ていてもおかしくはないのかもしれないが。
「惨めで可哀想なアンタが見て見たい。それだけさ。アーチャーはどうだったか知らねぇけど、まあ今は俺がアーチャーだからいいよな」
 けけ、と悪魔は褐色の肌をくすませて笑った。
 それはひどく邪気薄く、まるで子供が太陽を見上げて良い天気を喜んでいるかのような、そんな笑顔だった。
「選びなよアルスターのセタンタ。一人の人間として切り捨てる人間と救う人間を選んで、そしてその選択を他人から自分勝手に詰られればいい」
 薄汚れていく英雄を見たいのだと、悪魔にされた子供が嗤った。
「約束を果たせランサー。私との賭けはまだ終わっていない」
 そして差し伸べられた手には誘惑。ゴモラの暴威よりも深いソドムの悪徳を差し出しておきながら、子供は英雄の退路をひとつひとつ丁寧に断っていく。
「―――――――私を、見つけてくれ」
 泣き出しそうな顔で子供が、男が笑った。
 もしかしたらそれはランサーが見る事のなかったあの時の男の顔かも知れず、ただ単純に子供が突然与えられた自由に怯え慄いているだけの顔かもしれなかった。
 いずれにせよランサーは褐色の手を取る。
 クーフーリンは、約束を守らなければならなかった。
 絶対に。


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