飲んで飲んで飲まれて飲んで
きっかけもわからない飲み会で飲んで、二次会で飲んで、三次会で飲んで、そこで意気投合したおっさん達とまた飲んで…
いつ記憶が曖昧になったのかそれもわからないほど体へアルコールを入れたアキレウスは既にシャッターを下ろされた店の前で蹲ると、ぐったりと体を横たえた。
熱を持った体が冷たい地面に冷やされていく。その心地良さにんふんふ笑ってかろうじて残っていた理性の咎める声に従い、のろのろと上体を起こしてシャッターへ背を預けた。
冷えたステンレスがみるみる体のこもった熱を取り上げ、ちょうど良い温度へ混ざっていく。ぬるい温度にはぁーと酒気のこもった息を吐き出したアキレウスが、淡い夢の世界へ旅立とうとした時。
「君!大丈夫か?…まったく、こんなになるまで飲むんじゃない」
「あー……?」
優しい微睡から叩き起す声に、アキレウスは億劫そうに瞳を開けた。酒と眠気でぼやける視界には、白髪とチョコレート色の顔、そして鋼の瞳がゆらゆらと映る。
まるで倒れている知り合いを見つけたかのような心配そうな表情、どこか出会ったことあったか?とアキレウスが首を傾げるも、こんなに特徴的な外見をしている男と関わりを持ったことはない。
ならば、何故?居眠りしている酔っ払いにわざわざ声をかけ、ほっと安堵の息をついている男にアキレウスは首を傾げた。
「ここは治安が悪いんだ、起きた時素っ裸になりたくなければ起きろ。タクシーくらいは呼んでやる」
そう言って肩を貸そうと伸ばされた男の手をアキレウスは乱暴に振り払う。
この男がなんであれ、アキレウスの安眠を邪魔したことに変わりはない。知り合いではない事が確定したことにより、かろうじて残っていた遠慮は消え失せて形の良い瞳へ剣呑な光が灯った。
そしてアルコールで冷静な判断を欠き、傲慢さを増した声で呂律の回らない威勢をあげる。
「おれがそこらのチンピラにまけるかよ!ほっとけ!」
もはや平仮名しか話せない分際で、善意から忠告してくれた男をアキレウスは乱暴に腕を振り回した。素面の自分が見たら憤死ものの礼を欠いた行動だが、酔っ払いとは恐ろしいものである。
しっしと犬か何かを追い払うような仕草で牽制された男は、小さくため息をつくとゆっくりと片手に持っていたカバンを地面に置いた。
「そうか。では…」
瞬間アキレウスの視界に星が踊る。
痛みよりも強烈な衝撃が脳天を貫き、アキレウスは男に殴られたのだと理解する前に地面に倒れふした。
続けてドンッと冷たいアスファルトへ叩きつけられる体、見事男の右ストレートによってアキレウスの意識はブラックアウトしたのだった。
気がついた時、最初に感じたのは肌寒さと温もりだった。
矛盾する感覚の理由は簡単、その時アキレウスは衣服を身につけておらず、代わりに辺りが暖かい湯気に満ちているからだ。
少しずつ意識を浮上させる毎に把握していく自分と周囲のこと、そして己が誰かに抱き上げられていることに気づいた瞬間、アキレウスは全裸でいることと同時に導き出された可能性へ目を見開いた。
カッと開かれた視界は一瞬部屋の明かりで白く焼かれるが、それでも微かに見えた褐色の肌に、気絶する前の男が芋づる式に脳裏へ過ぎる。
わざわざ面倒なことに首を突っ込む奇特な奴は『そういう事』が目的だったか!
過ぎった身の危険にアキレウスが遮二無二暴れようとしたその時。
「っの変態やろっ…ごはっ!」
体が宙に浮き、暴れようとした体は次の瞬間水中へと落ちた。
ダボンッ!とそれなりに重いアキレウスの体を受け止めた水が大きな声を上げる。
自分は投げられたのだと落ち着いて理解する間もなく、突如水中に沈められたアキレウスは無我夢中で陸を目指す。
パニックになりそうになる心を強靭な精神力で落ち着け、手に当たった何かのへりを掴むと、ぷはっと水面から顔を出した。
ぜーぜーと肩で息をする若者を冷静に見つめる男は、腕まくりをしたシャツを戻しながら波打つ温水に濡れないよう数歩下がる。
「起きたか。良かった、介護の真似事はせずに住みそうだ」
溺死も過ぎったアキレウスはその声の主に向かって、弾かれたように射殺す様な視線を向ける。
「ッ殺す気か!」
「死んでもらっては困るな、とても面倒だ。その酒臭い体を流してから来い。服は用意してやる、新品だから安心しろ」
しかし男は涼しい顔をしてアキレウスの殺気を受け流し、ぴしゃんとドアを閉めてしまった。
1人になった所でだんだんと冷静さを取り戻したアキレウスが周りを見渡す。
僅かに湯気で曇った鏡、シャンプーとコンディショナーさらにボディソープのボトル、洗顔料のチューブ、シャワーヘッドに、自分が入っている大きな浴槽とくれば、ここが浴室だと理解するのは容易いことだった。
暴れた際の波も徐々に小さくなり、ぱちゃんぱちゃん僅かに体を打つ暖かい湯に視線を落としたアキレウスは、予想外の現状を理解してようやくぽかんと口を開けた。
とりあえず男に言われた通り汗を流したアキレウスは、湯に浸かってアルコールが抜かれ、やっと普段の知能を取り戻した。
そこでようやく現状をまとめてみると、自分は善意で声をかけてくれた男へ無礼な態度を取って返り討ちにされ、さらにその男に保護されたのだと理解した。
見ず知らずの男にどうしてそこまでするのかわからないが、体や金銭が目的ならわざわざ暖かい風呂に入れる必要は無い。
何より風呂から出てみれば、自分の着ていた服を飲み込んで稼働音を響かせる洗濯機と、用意された着替えがアキレウスを出迎えてくれた。
きちんと畳まれたフリーサイズのスウェットと下着、鼻を僅かにくすぐる優しい香りは、これが袋から出したばかりの物ではなく、1度洗濯をされて保管されていたものだとアキレウスに教えてくる。
大いなる気遣いに不覚にもじんと痺れながら、アキレウスは新品のやや不快な硬さを感じさせない部屋着へ袖を通した。
浴室を出てリビングへ行くと、深夜もはるかに回った時間にも関わらずパタパタと動き回る男がいた。
褐色の肌に白髪、そしてジャケットを脱いだシャツとスラックスのラフな格好でいる男はやはり見覚えはない。
今度こそ初対面だと確信を得たアキレウスに、そんな者にここまで世話を受けた恥が実感を伴って押し寄せ、気恥しそうに鼻をこすった。
「その様子ではようやく我に返ってくれたと思っていいのかな?起きた時は無闇に驚かせてすまなかった。君の荷物はソファの上に置いてある、服もあと10分すれば乾燥も終わるだろう。それを着てすぐに出ていっても私は構わないが、もしも君が暇だというのなら夜食でもいかがかね?」
気まずそうなアキレウスへ振り返り、淡々と告げた男は最後に一応提案だが…と悪戯っぽい笑みを浮かべる。
お硬そうな男の一瞬の笑みに、ぎくっと揺れかけたアキレウスは慌てて咳き込んで頭を振る。
まだ酒が残っていたのか、酩酊しかけた気持ちを持ち直してここまで来ればもう同じだとばかりに男の提案へ頷いた。
男に促されるままソファに座っていると、前のテーブルへ料理が並んでいく。
男が用意してくれたのは夜食にちょうどいいうどんだった。具も油揚げくらいの簡素なものだったが、出汁の湯気のなんとも食欲を誘う香りにアキレウスはゴクリとつばを飲み込む。
酒ばかりを叩き込まれたアキレウスの腹が素直にぐぅと音をあげるのを聞いて、苦笑した男が薬味の皿と箸を用意した瞬間、たまらずアキレウスは目の前の餌にかぶりついた。
喉を通る出汁はこれまで食べてきたどんなものより美味い。こんなものを食べさせられたらこれから学食なんて使えねぇじゃねぇか!と理不尽な怒りをぶつけたくなるほど美味いうどんは酔いも覚めたすきっ腹に心地よく、腹の奥からじんわりと体を温めていく。
3分の2以上を一気に腹に収めてふぅーと満足がな息をついたアキレウスは、こちらの食いっぷりを僅かに微笑みながら見ていた男へ瞳を向ける。
そしてこれまでの非礼を詫び、感謝を伝えるようにおもむろに頭を下げた。
「あー…あんた、いろいろありがとな。タクシー代いくらかかった?払うよ」
「学生から金をとるほど困窮していない、ただのボランティアだ。その服も自分の家に帰宅したら捨てていいぞ」
アキレウスのような男が頭を下げるだけで、どれほど彼が感謝を伝えようとしてくれているのかは容易に想像がつく。
それだけで十分と言わんばかりに頭を上げるよう促した男は、納得がいかない様子のアキレウスへ苦笑をしてなおも断るように首を横に振った。
その様子に男の強い意志を見たアキレウスは仕方なさそうに頭をかいた。ここまで世話をかけて何もしないのも後味が悪いが、それを本人が望むと言うなら仕方が無い。
やはり相手は筋金入りのお人好しだったか、器に残った数えられる程度のうどんを箸で遊ぶアキレウスは、頬杖をついて目の前の男を真っ直ぐに見つめた。
「…お前、誰にでもこんなことやってるのか?」
「意識があればタクシーに任せるさ。あそこは繁華街が近いからな、度々君のようなたわけが出現するんだ。」
「誰彼構わずぶっ倒れてたら助けてんのか?それって危なくねぇ?」
「女性でもあるまいし、多少暴れられたところでは痛くも痒くもない。それにどこかのチンピラには絶対に負けないと豪語していた若者を黙らせたことで、より自信がついたよ」
ふふんと得意げな笑みでこちらへチラッと視線を向ける男に、アキレウスはバツの悪そうな顔で頬を膨らませた。
「俺はアキレウスっていうんだ。そういや、あんたの名前は?」
「エミヤだ。私の名なんてどうだっていい。アキレウス、私のようなものは悲しいことに極少数派だ。次回こそ君の身に危険が降りかかるかもしれない、今回のことを教訓として肝に銘じ、これからは酒の飲み方を少しは考えるようになるんだな」
嬉々として名を聞いたアキレウスへ御座なりに自分の名を口にした男ことエミヤは、続けてコミュニケーションを図ろうとするアキレウスの声を遮ってくどくどと説教を始める。
おそらく見かけた時からずっと言いたかったのだろう、せき止められた水は解放されたように過度な飲酒が起こす健康への害と、若者が世間を甘く見ると痛い目を見るということをつらつらと説いてきた。
アキレウスが聞いてきた説教の最長記録をたやすく更新しながら、まだ言い足りなさそうな顔で茶を口にするエミヤへ、言葉の濁流に押しつぶされたアキレウスが空の器に箸を置いて呻いた。
「…ごちそうさまでした」
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- YellinkSeptember 16, 2025