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The Works "青の存在証明" is tagged "赤騎弓".
青の存在証明/Novel by おおいずみ

青の存在証明

18,541 character(s)37 mins

■五次アーチャーと赤のライダーの話です。完全に趣味です。皆様の赤騎弓を拝見して良いなあと思った結果かもしれません。
■設定などは以前の槍弓を見ていただければと思います。多分同じ時空です。槍弓前提(槍兵は出番なし)になっています。五次アーチャーは真名出てません。
■だいぶ分かりづらいネタですが「古代ギリシャには青を指す単語が存在しない・色彩を物の概念から表現する」という二点を文献で読みまして、使わせていただいた次第です。
■アキレウスが海分からねえ訳ねえだろ!とか私も思うんですが都合と思っていただければ幸いです。ほとんど雰囲気でやってます。色々とおかしい点は見逃してください。
■シェイクスピアネタが多いのも趣味です。英語を学んでいる学生は使いたくなるものなのです。
■そして、やはり、アキレウスFGO登場おめでとう、泣いた
※20170117 タグ追加しました。アニメ化もするのでそろそろ真名も大丈夫かと。何よりあの名シーンの数々がアニメになること自体が感動です。

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 青の存在の証明である。


「これ、美味いよなあ。最高だ」
「そうだろうか。少し、味を変えてみたんだが」

 穏やかな天気の下、他愛ない会話が交わされた。
 遠坂邸の広大な庭の中心に、白いテーブルと、椅子が二脚。その上には皿が並び、食卓の様相を呈している。
 ブランチには少々早いこの時間、二人の男は太陽を浴びて佇んでいた。
 男の片割れ、アーチャーは空になったティーカップに紅茶を注いだ。香り高い風味と曇り一つないその水面が、彼の手腕を物語っている。シンプルな金縁の装飾を施された白磁も、彼の所作を更に洗練しているように思えた。
 ぴたりと止む食器の音。
 揺れる緑がかった金糸の如き髪。アーチャーの動作をまじまじと注視した一方の男、アキレウスは、一言礼を入れて受け取った。ストックのシュガーをコンテナーから取り出すと、ころんとティーカップに転がす。
 洒落た華奢なスプーンを折らぬように。その丁寧な所作は誰が見ても目を奪われるだろう。
 昔は甘いものなぞ滅多に口にしなかったな、などと思いつつ一口。優しく、芳醇な温かさが広がる。食べかけのトーストをかじった。バターは変わらず美味い。

「今まで外で飯を食う時なんて戦場くらいなもんだったが……悪くないな」
「食べ終えてから喋りたまえ。まあ、たまにはこういったものも気分転換だ」
「毎日でもいいんだが」

 トーストを頬張るアキレウスに若干の指摘を含めてアーチャーは言う。すまないと詫びてから、再び蜂蜜をトーストに塗りたくった。
 アキレウスにとって、アーチャーは見知らぬ土地に飛ばされた自分を拾った恩人である。また、アーチャーにとってもこの豪放磊落を体にしたようなこの訪問者は快いものであった。
 もはや英霊のこの身、今更英雄に会って一喜一憂するものでもなかろうに。
 アーチャーは改めて思いに耽る。

 ギリシャ神話、その最後を語るトロイア戦争の大英雄。それがアキレウスである。竪琴を抱えた彼と、その親友パトロクロスが官吏を迎えるかの名画。あのアキレウスだというのだから、その姿が似ているかはともかくして―妙にその出会いは印象的であった。絵画に見た姿が、己が眼前にあるのだから。まあ、蓋を開けてみればその印象は儚くも崩れるわけではあるが、気にしてはいられない。
それ故か。龍洞寺の出会いを初めに、彼が在るべき場所に戻るまで時折食事を共にしていた。
 言わずもがな、アーチャーの手料理である。
 気負いなくアキレウスに接するアーチャー。快活にアーチャーに接するアキレウス。両者にとって、この些細で細やかなこの一時が日々の楽しみであった。
 実のところアーチャーにはもう一人、似たような男が思い浮かべられる。あの流れるような長身に、白磁の肌に映える蒼天の如き髪。輝かしい笑顔と瞳を脳裏に蘇らせた。しかしながら時には普段と違う感想を聞くのも、料理人としてまた一興である。加えて、その例の男は現在仕事中である。恐らく花束でも作っているのだろう。帰りの時間は遅くなると聞いていたな、と思いふけりながら、席を立つ。空いた食器を下げる。
 しかし、それはアキレウスの静止によって遮られる。顔を見やれば、少々不機嫌そうな色が窺えた。口を尖らせてアーチャーを見る。

「おいアーチャー。今別のこと……別の奴のこと考えてただろ。折角二人きりの飯なんだ、忘れろって」
「すまない。世話が焼ける者が、どうも気にかかるタチでね」

 不満げに文句を言うと、アキレウスは催促するように力を入れた。その静止された手を解くと、やれやれといったように両手を上げる。未だ眉間に皺を寄せるアキレウスは、腕を組んでアーチャーを見つめた。少しだけ目を丸くしてから、アーチャーはため息をついて苦笑した。この大きな子供は中々頑固であるから、困ったものだ。

「まあ、世話が大いに焼けるのは君も同じだアキレウス。そうでなければ、このようなことはしない」

 かちゃりと食器が当たる音を奏でながら、アーチャーは答えた。言葉の真意を隠すかのように、食器の高い音が耳に入る。
 語りかけられると、暫く状況が呑み込めないと瞬きを繰り返すアキレウス。疑問の色を含んだ、微かな声が発せられる。
 両者の間に流れる沈黙。秋の訪れを知らせるように、夏葉の木々が踊り鳴る。
 黄がかった落ち葉が二人の間を抜ける。黄色がその瞳に映った時。命が吹き込まれたがごとく、アキレウスは何かに気付いたと、その瞳を輝かせた。その顔は、自慢げな笑顔に満ち溢れている。ただでさえ鮮やかな橙の瞳が、更に爛々と光を灯しているように思えた。くしゃりと表情を崩した。
 ふと、アーチャーは思い出す。とある聖剣の少女を。ずっと遠く、遥か昔に見せたそれと、彼は酷く似ているな、などと。ぼんやり連想した。今や、地獄に落ちてさえ忘れることのないと形容されたそれも、かすかな物であった。だが、なんとなく似ていた。最早自分にそれが向けられる事は二度とないだろうが、それでも得難いものに変わりなかった。寧ろ、この類の顔をよく自分に見せるのはもっぱら同居人の、もう一人の大英雄であることを再び思い起こし―最終的に自分の周りの者が大概似ていることに行き付き、アーチャーの思考は強制的に目の前の男に戻った。

「それならば、いい!」
「ありがとう」

 嬉々として納得するアキレウス。何か少し、大きな子供を見ているようで、微笑ましかった。自然と、アーチャーの口元が緩む。

「紅茶のおかわりは」
「勿論、頂こう」
「了解した」

 麗らかな日差しも、彼をそうさせていた。空は快晴、うっすらと浮かぶ雲だけがその景色を飾っている。


 アーチャーは余っていたティーカップに冷めた紅茶を注いだ。再び幸せを噛み締めつつ朝食(ほぼブランチである)を楽しむアキレウスを横目にカップに口付ける。次々と空になっていく皿、皿、そして皿。すべて眼前の男の腹に面白いように入っていく。

「アンタって洋食も美味いよな」
「和洋中ならば一通りは精通している」
「んじゃあ、次回は中華で」
「なにか要望はあるか」
「サムゲタン」
「それは隣の国だろうに」
「そうだったか、油林鶏?」
「そちらだな」

 本日のメニューはシンプルに。
 トースト。
 オムレツ。
 ハッシュドポテト。
 その他色々。

 アーチャーとしてはもう少し凝った物の一つも作りたいわけであった訳だが、この所謂大食漢を前にしては余り意味の無いことと思う。以前少し趣向を凝らして築いたフレンチの盛り付けが、挨拶もそこそこに破壊されたのを忘れてはいない。各種装飾などはかなりの時間を要したものだが、そんなものは知る由もないらしい。
 しかしそれも、この幸せそうな笑顔が見られるならば、料理人冥利に尽きるのであった。自分ながら甘いと思う。柄にもなく、調子が良い。

「しかし、天気いいな。日本の秋ってのは、過ごしやすくて好きだ」

 手についたトーストの欠片を払いながら、アキレウスは空を見上げた。初秋の空気に流れる風。空も穏やかに、庭にはまだ夏の花がちらほらと残り、アキザクラが花を咲かせている。比較的街の中でも高地に建つこの家に、あまり騒音は存在しない。ましてや、トラブルメーカーとも言えよう家主が不在の今ならば尚更だ。
 この異界からの訪問者が来て幾らか経つが、彼は冬木の土地が気に入ったらしかった。豪奢な建築物も、彼が生きた雄大な自然もありはしない。
 それながらも、彼はそれもよしとした。
 アーチャーは、彼のその言葉を聞いて誇らしいような気さえした。神秘も奇跡も。あるいは信念さえも失ったこの世界は、まだ捨てたものではないのだ。彼はこの英霊が生きた時代を、好きだと言ってくれた。倣うようにアーチャーも視線を少しだけ上げる。

「そうだな、爽やかな秋晴れだ。今日は洗濯が捗りそうだ」

 率直に感想を述べる。近頃外干しできていなかったシーツたちも喜ぶだろう。軒並み全て洗濯してしまえば、気持ちが良い。同意を求めるように、アキレウスに目線を移す。
 すると、アキレウスは笑みをこぼしていた。なにか変か、とアーチャーが問うと、さぞかし愉快そうに彼は返答した。曇りなく笑うその顔は、ひどく楽しそうだった。

「本当に英霊かってほど、アンタ家庭的だよな」
「む、悪かったな。別に超絶的な家事スキルが昇華された訳ではないのだがね」

 形容のできない妙な表情を浮かべるアーチャー。皮肉を含んだその言は彼らしい。現に彼は家事が特技でもある訳で、そこらの一般人よりは優れていると自負している。しかしながら、さして偉業と呼べるものでもないだろうに、余程どこぞの本職のサーヴァントの方が似合いである。
 冗談だって、と惜しげにアキレウスは言い、返答とする。強ち冗談でもなかった言葉を訂正し、眉尻を下げる。むせ返りそうな草の中、男は二人。自嘲の籠った目をアキレウスに向けると、アーチャーはハッと笑いを漏らした。

「そういう大英雄殿は、勿論家事を手伝ってくださるのだろうな?」
「ん、ああ、そうだな。今日は――」
「ゲームが先だ、は無しだ。もっと良い言い訳を考えろ、たわけ」
「分かった、分かった!やるからその刺すような目つきをやめてくれ!」

 根負けしたように、アキレウスは声を上げた。
 どこぞのランサーよろしく、しっかりと現世に染まってしまった彼である。この世は英雄を生まない代わりに、それなりに彼らにとって魅力的であるらしい。近頃はオンラインゲームにご熱心だというのだから、世の中分かったものではない。インターネット環境がクラシカルな遠坂家に完備されているわけでもない。つまり、この紀元前の英霊は出元不明にせよインターネット環境を整備し、現代人以上に使いこなし、ゲーム稼業に勤しんでいるのだ。
 ゲームなどせずとも当人自体がゲームのようなものだろうに、とアーチャーは思う。そもそも、顔も素性も知らないネットゲーム仲間が「現代に蘇ったトロイア戦争の大英雄でした」なんて、タチの悪い冗談だろう。
 ちなみに、アキレウス自身のメンツのために言及しておくと、与えられた仕事は確実にこなしている。流石ケイローンと彼の師を称賛するのもどうかとは思うが、彼の教養は一流である。

「いいだろう。案外君は素直だな、アキレウス」
「別に。世話になってるやつの言う事くらいは聞くしな。それに、どうもアーチャークラスってのが、そうさせるらしい」
「……そうか、赤も黒のアーチャーも縁者だったと聞いたが」
「姐さんも先生も当たりキツめなんだよ」

 ぶちぶちと文句を零すアキレウスであるが、その口ぶりから彼女―あるいは彼に対する深い信愛が感じ取れた。 
 赤のアーチャー・アタランテ。彼の父とアルゴー船に乗船した狩人。聞くに素晴らしい女性だと思われるが、どうやらアキレウスはそういった関係としては余り相手にされていなかったらしい。だが、互いに信を置く戦友であるには違いないと彼は語る。
 黒のアーチャー・ケイローン。幼いころの彼を導き、今でも師と仰ぐ英霊。神霊に近い彼がなぜ現界を果たしたのかは敵陣営であるために詳しくは知らないという。しかしながら、そうであれ再会を果たした喜びを語る彼は子供そのものであった。
 さて、アーチャーはそう深く考えていないが、彼の信頼ないし友愛、信愛を得るということの、どれほど大変なことであるか。この弓兵はある種の人を寄せ付けるか、撥ね付けるしかないらしい。加えてどうやら、俗に言う大物ほど寄せ付けてしまうのだから恐ろしい。 
 二人のアーチャーについて取り留めのない想像を終わらせると、話題を戻す。視界には大空と雲。

「洗濯抜きにしても、透き通った空だな。染み付くように青い。綺麗な青色だ」

 広い空を形容する。鋼の瞳に映る空は、控えめにしてもアーチャーの心を靡かせた。こうして穏やかに空を見上げていられるのも、ひとえにこの緩やかな日々のおかげだろう。ひとつ大きく息を吸うと、静かに息を吐いた。そうして、再びティーカップに手を掛けた。
 
「なあ」

 そうする前に、アキレウスが言った。視線を向ける。
 驚きを含んだ、そして疑問を見せた顔がアーチャーを見据えていた。
 そうして、続ける。

「青いって、なんだ?」

 軽く、なんでもなく投げかける。
 まるで無知な子供が、親に物を尋ねるように。
 食事の手を止めず、片手間に。彼はそう尋ねた。
 サクサクと、クロワッサンが弾ける音がする。
 一瞬、何を言っているのか理解できず、アーチャーは閉口した。困惑で思考が停止する。

「青は、青だが。blue。色の一つ、ああ、そうだな――」

 辞書的な説明を漸くひねり出す。
 しかし、アキレウスは分からないと首をひねり、もう一口片手のクロワッサンを頬張った。バターの芳醇な香りが鼻孔を擽る。
 アーチャーの考えは巡る。青なんてものは、そこらの犬でも子供でも知っているだろう。青色は青色。それ以外の何でもない。改めて問われると明確な答えが出ないものでもあり、アーチャーは口を開く。

「聖杯の機能がおかしくなったか。君がいること自体イレギュラーなんだ、このくらいの問題があっても不思議じゃない」
「いや、それとは違うっつか。なんて言えばいいか……確かに「青」って単語は有るんだが、分からない。意味がないってか」

 当人も困惑したようにアキレウスは話す。曰く、外面だけがあって中身が伴っていないような。少なくとも聖杯のせいではないだろうと彼は説明した。

「つまり、青という項はあるものの説明は白紙と言ったところか」
「そういうことになるな」

 若干語尾を伸ばしつつ、アキレウスはスプーンを咥えてジャムの蓋に手を伸ばす。普段なら速攻でアーチャーの小言が飛ぶ行動であるが、それに突っ込みを入れている場合ではない。中のキイチゴジャムをひと匙掬うと、クロワッサンに落とす。

 アーチャーは目を細めてアキレウスを見る。
 彼には、「青」が分からない。
 その体は、ひどく不自然であった。

「海も、空も同じ色だろう。どちらも青い」

 蒼天と蒼海に彩られたこの世界。
 元よりこのアーチャーという男の知る空は、奇しくも青空でないことも多かったし、彼が心に持つ其れこそ青くはない。しかし、アーチャーは顎に手を当てて呟くように言った。彼のオレンジの瞳と、己の鋼の瞳に映るものの同一を問うように。
 だが、アキレウスは小首を傾げると思案の間を少し与えて答えた。おおよそ、アーチャーの考えとは違う声だった。

「いや。海は赤いだろう。深紅、若しくは紫」

 アーチャーは眉間に皺を寄せた。正に「全てギリシャ語に思える」と言ったところだった。青天の霹靂とも言うべきか。根本的相違が意思疎通を妨げる。赤色の海は夕焼け空、日暮れを映した水面としても、紫とはなんだろうか。

当惑するアーチャーを気にかけてか、アキレウスは頷きと共に「そういえば」と話しかける。

「アーチャー、お前は確か近代の英霊だろう」
「そうだが。おおよそ、君の生きた時代よりも2000年後だ」

 突然の問いに疑問を覚えつつ返答する。
 アーチャー自身の出自をアキレウスは知らない。だが、現代に親しい彼が近代―少なくとも己よりは年代の浅い英霊なのは目に見えていた。
 納得したように視線を滑らせると、ようやく片手のフォークをおろし、アキレウスは話を続けた。

「ジェネレーションギャップ」
「……はあ?」
 
 カタカナだけで構成された、たったひと単語。アキレウスは人差し指を立てると、至極まっとうな面持ちで言い放った。
 しかし、思いもよらない言葉に、アーチャーの口はぽかんとあけられていた。ただひたすらに呆然とするよりなかった。

 ジェネレーションギャップ。

 年代の差異によって物事への思考や思想が大きく異なる、平たく言えばそういった現象。それが、自分たちの間にあるのだと目の前の男は言っていた。
 そうなってくると、ますます意味不明であった。細かく言えば、感覚が不明瞭であった。何千年単位の思想の相違を、たった一言で済ませてしまう辺りに、アーチャーの理解は及ばない。少々の頭痛がした気がする。
 寧ろ言葉自体をどこで覚えたかも知らないが、大概英霊という、特に超大物と呼ばれる者たちは如何せん粗雑すぎやしないのか。
 しかし、その頭の痛みは、ただアーチャーを困惑させただけではなかった。
 「ギリシア」「色」そして「感覚」。目の前の男の言わんとすることが脳裏に浮かんだ。ぱっと目の前が明るくなったようだった。
 白銀の睫毛が合わさると、アーチャーは一つ相槌を打った。アキレウスもそれに倣う。

「つまり、そういうことか」
「そうだ。な、ジェネレーションギャップだろう」
「答えを聞いてもいないのに同意するのかね。不思議なことだ」
「ん?勘だ、勘」

 口角を上げて自慢げにするアキレウスに、アーチャーは一発手刀を入れる。態とか、それを脳天に食らうと、これまたわざとらしく痛がる仕草。暴力はダメだろ、という彼ではあるが、暴力の塊のような英霊に説得力はなく、アーチャーは伏せ目がちのまま口を開く。

「君も知っているだろうが、この聖杯戦争のライダー……騎兵のクラスに据えられた者は君と同郷というべきか、まあ、とにかくギリシャ神話に纏わる女性でね」
「話だけは聞いてるぜ。会ったことはねえが」

 適度に相槌を淹れつつ、耳を傾ける。アーチャーは淡々と話を続けた。して、この英霊は案外おしゃべりであるのだ。

「以前彼女に聞いた話だ。曰く、君たち古代ギリシャ人と我々とでは色彩感覚が異なるそうだな。我々が色彩を主とするならば、君たちは明暗を主に。そして、物の性質を色で表現すると」
「大当たり。どうやらそういうことらしい。どうも、現代知識ってのが与えられても慣れないものは慣れない。生まれてこの方の常識は突然には変えられないからな。誰だって「お前が今までイヌだと思っていた生き物はネコでした」なんて、馬鹿みたいだろう」
「……分からんでもない」

 素直に同意を示す。
 彼がジェネレーションギャップと称したのは色彩感覚の相違であった。

 古代ギリシャ人は詩にこう謳ったという。

 緑色に滴る血と汗。

 そして、深紅の羊、と。

 血と汗の流動性。そして羊の命の活発さ。
 古代ギリシャの人々は物の性質を色に例えたのである。だからこそアキレウスの言うように、海の性質―状態は、波多きにも穏やかにもなりえる。その色を赤にも紫にも変え得るのであった。

 そうして、アーチャーは確認するように、もう一度アキレウスに尋ねる。読書好きのライダーが話したことは二つ。色彩感覚の相違。そして、もう一つは。

「我々は空と海は同じ「青色」と認識しているが。よもや。青色自体、概念自体が存在しないということになるのか」
「そういうことだろうな。元々概念として存在しないものを、外側単語だけ脳ミソにいれられてもなあ。簡単に言えば、俺自身の本来のコトバで「青」とイコールになる単語を知らねえ。つまり、青が分からない」

 念押しのように力を込めて、ゆっくりと言葉を吐きだす。

 古代ギリシャの文献には青に当たる単語が存在しない。古代ギリシャ人は、そも青を表現する単語を持ち合わせていないのではないのか。それが、ライダーが話したもう一つの事柄であった。
 アーチャーは顎においていた手を口元に滑らせると、「そうか」と一言だけを返した。濃いブランデー色の指が、唇に当たる。滑らかな一連の動作は、アキレウスの瞳を引き付ける。
 なかなかどうして、理解は出来ても直ぐに呑み込めないことではあった。アキレウスはガシガシと短い髪の揃う頭を掻くと、口寂しさを感じてブドウを放り込む。水々しさが口に広がった。
 現代人が太陽を赤いと称すように、太陽の多大なる力強さを表すように。見た色と、言葉に乗せる単語が違うわけだ。現代に召喚されたアキレウスにとっても、意識をすれば周知の事実として考えることができる。だから現代人のアーチャーが言うことも分かってはいるし、知識としては分かる。

 海は実際には赤くない。

 紫色でもない。

 されど、ならば。

 海は本当は何色なのか。

 古代ギリシア人たちは、たとえそれが大英雄アキレウス―海の神を母に持つ彼であったとしても。海を表す言葉を、持ち合わせてはいないのだ。きっと、表現できたとしても「何か暗い色」であるだろうし、果たしてそれがアーチャーの言う「青」とも思えなかった。
 だから、分からない。もしくは、実感がわかない。
 端的に言えば、そういうことだった。

 「海、か」

 その言葉をきっかけに、アキレウスは思い起こす。アーチャーが「青」だと言った海を。
 生前酷く海に心を打たれたのを覚えていた。10年以上にも及ぶ、あの血にまみれた戦争の束の間の暇にて。
 現世は好きだし、様々な新しいものも見つけるが―あの、たった一度だけ心動かされたあの海はきっとここにはない。
 だからこそ、今アキレウスは思う。
 目の前の、この美しい白亜と赤銅を持つ男にあの海を伝えたいと。理由なんてたかが知れていて、我ながらどうかしているのではないか、と思うほどに詩的なのは分かっている。
 あの海を、あの感動を歌いたい。
 だがしかし、それはならない。
 アキレウスはあの海を言葉に表せない。アーチャーという男に伝わる言葉を持たないのだから。それが、彼の心を、きつく痛めた気がした。自分が見たあの景色を、たった伝えることさえできないもどかしさが、心の中をなんとなく渦巻いていた。

 思案するアキレウスに気付いたのか、手元のパウンドケーキ、バターとレーズンのたっぷり入ったそれにナイフを入れると、アーチャーはその皿を差し出した。厚めに切られたケーキを載せて、皿がテーブルの上を滑る。

「どうした、そのように重く考えるなど、らしくないな。生きる時代が違えば思想も違うのは道理だろうに。聡明な君が悩むことでもあるまい」

 珍しく皮肉もなしに、手放しに言い渡された賛辞。それに少し頬を緩めて、アキレウスは皿を引き寄せた。
 物持ちの良い遠坂の備品らしく、その装飾から高価な磁器であることが見て取れた。同時に、柄の細い華奢なフォークを受け取る。パウンドケーキに手を付ける前に、アーチャーに語りかける。

「俺はあまり海を見る機会がなくってな。そりゃ、先生にも教えてもらったし、見てないわけじゃない。母上の件もある。だが、一度だけ俺は見たんだ。まるで宝石のような、感動的な、戦線の合間の海を」

 脳裏に浮かぶそれと、アーチャーを重ねる。指を組み、真摯に耳を傾けるアーチャー。その姿にやはり好感を持ちながら、話を続ける。

「本当に素晴らしかった。あの光景を忘れることは、ない。言い切ろう。……だが、同時に悲しい」
「悲しい?」
「ああ。俺はお前に伝えられないからだ。お前の海は青い。けれど、俺には分からない。俺があの時見た海が、青かったのか。あの海のきらめきを。力強さを。色を、美しさを。伝わらないものは伝えられないも同じ。これ以上に悲しいものがあるものか」

 一息に言葉を並べると、アキレウスは零れ落ちたレーズンを口に含んだ。
 ほんのりとした酸味を感じるのと同時に、アーチャーの柔らかい笑い声が聞こえた。顔を見やれば、普段とは打って変わった表情。険しい眉が解けた、穏やかなものだった。いつものような、知的な皮肉を含んだ笑みではない。幼ささえ感じさせるような、笑顔だった。

 ああ、こいつはこんな顔もするのか。

 あっけにとられて、ついケーキを崩れさせてしまった。欠片が皿の上に落ちる。
 何かおかしいことを言っただろうか。けれど、どう見ても彼の笑顔は少なくとも皮肉は含んでおらず――アキレウスは目を白黒させる。生唾と一緒に、種を飲んでしまった。
 驚きと共に、彼の珍しい表情が自分に向けられている事実がどことなく嬉しかった。
 伏された瞳の睫毛がちらりと動く。星のような一双の明眸が、太陽の如き双眼を見つめると、彼は静かに問いかけた。

「アキレウス。君の見た光景、いや、海は。ギリシアの海は、美しかったか?」
「当然だ。それは雄大で、雄々しく、そうだな、まるで―この空のようだった。俺の知りうる言葉では表せないほど、透き通るように美しかった」

 心情を吐露する。
 海の神であるポセイドン、ギリシアに組した彼の神の面影さえ感じさせる。水晶のような海に反射する空からの恩寵。光が揺れる。寄せる波が弾ける音の心地よさ。早足にかける波が広がる。今でも鮮烈に記憶されているその風景は、数々の地を廻ったアキレウスにとっても忘れ難きものであった。
 自信に満ちた快活なその言葉を噛み締めるように、アーチャーは肯首した。後ろへと上げられた髪が秋風にそよぐ。
 褐色で、形の良い爪がついた骨ばった指。されどしなやかなそれを組んでいる。風に揺れる髪を掻きあげて、アーチャーはアキレウスを見据えた。
 そうして語るのだ。

「ほら、同じだろう」

 その口調はかつての師ケイローンを、アキレウスに思い起こさせた。
 諭すような、優しい言葉。沈黙を以てアキレウスはそれに応える。答えを急いてはいけないと、師の言葉が蘇った。
 そうすれば、穏やかで、心の籠った力強い声が聞こえる。

「今日の空も美しい。そして、君のギリシアの海も美しかった。これは君と私との共通認識。それならば、私は理解できる。その海が、この空と同じように美しかったならば、きっとそれはひどく美しくて――青かったのだろうと」

 一言ずつ丁寧に、アーチャーは言い切った。
 口を噤む沈黙が、アキレウスに思考猶予を与える。言葉が浸透していくように、しとりしとりと脳を駆ける感情。

「ああ、それは――」

 そうしてそれは、アキレウスの世界に、唐突でかつてなく鮮やかな、色彩をもたらした。
 今までがまるでモノクロ映画を見せられていたかの如き変貌。双眸の裏に浮かべた世界は輝き、再び景勝の全景をアキレウスに思い起こさせた。

 一瞬にして世界が彩られた。

 眼前の、真名も知らぬ――錬鉄の英霊は、一瞬にして大英雄アキレウスの世界を、塗り替えたのだ。
 青という、その美しさによって。

 心臓がうるさい。早鐘を打つように、血液が全身を巡っていくのが手に取るように分かる。

 アキレウスは思う。

 戦に負けるとも劣らない高揚感が心の臓を高鳴らせている。幼少の折、師と学んだあの子供心のように、世界は輝く。
 知らないものを知った時のあの感覚が、ひしひしと体を巡っている。それは血の昂ぶりのごとく、アキレウスの心を強く揺さぶった。

「アーチャー」

 ただ一言で彼の名を呼んだ。それが仮の名であろうと、今はどうでもよかった。
 がたん、と音を立てて立ち上がると、アキレウスは両の手でアーチャーの双肩を掴んだ。

「美しさ。そうだ、美しかった!そうか、そういうことだ!ああ、聞いてくれ友よ。俺は永い間考えていた。生前も、座にいてもずっと。あのエーゲの海原を。それこそ、死の淵でもだ。だが、俺は結局のところ分からなかった。あの姿をどう表せばよいのか。ましてや、お前にどう伝えられるのか、知らなかった!俺はあの海が何色かさえ知らなかったのだから!」

 語気を強めて言葉を紡ぐ。
 成程、赤のキャスター、彼好みの主役さながらであろう自分に気付きつつも、アキレウスは自身の抑制ができなかった。あのよく喋る作家の気持ちが、少しだけ分かる気がした。
 この昂る感情を言わずしてなんであろうか!
 赤のキャスターが見れば嬉々として筆を執るであろう状況を、アキレウスは楽しんでいる。
 寧ろ、嬉しかった。
 このアーチャーという男は、出会ってこの方自分を魅了してやまないのだから。

 アキレウスの勢いと、その神性を孕んだ瞳に暫く気を取られて、瞬きを繰り返す。
 アーチャーは強く掴まれた肩で身動きできないまま、我に返る。熱い激情が、掌から伝わってくるようだった。

「アキレウス」

 先ほどとは反対に、冬木では限られた者しか知り得ない、その真名を口にする。それは、彼らの友誼の証明であった。
 それに満足を得たかのように、アキレウスは両肩から手をどけると、乗り出していた身を背凭れへと戻した。
 先走る感情を言葉に乗せて、ほんのり落ち着いた声色で話を再開する。まるで喜劇のワンシーン。最高潮のような独壇場が続けられる。そうして、主役は話し続けた。
 そこには友愛と、敬意と、感謝、そして情欲が込められていた。
 恋慕。
 それが、これら感情の総称であると、アーチャーは気付いていただろうか。

 「だがお前はたった今、教えてくれた。あの海は青かったのだと!そしてこの空もだ。同じ感覚、同じ色だった。決して俺独りでは行き付かなかった世界と言ってもいい」

 空のグラスに、青が反射する。それがまぶしいような気がして、アーチャーはグラスをどける。
 青の色はひどく美しくて眩しい。アキレウスのような者を前にしては、尚更だった。
 ああ、と相槌をいれて話を促す。いつの間にか、風は止んでいる。澄んだ空が、凪いだ海に思えた。
 それはそれは明朗に輝く、ギリシアの太陽を元に置いて。
 太陽は屈託ない笑みを浮かべた。

「今ならば俺はお前と同じ世界を想像られる!お前に、俺の見た世界を伝えられる!素晴らしきことこの上ない!」

 ああ、光が強く当たっているように、役者は台詞を言い放った。少しばかり熱の入った歯の浮くような台詞を使いこなす彼は、流石というべきか。
 きらきらと輝くようなその表情が堪らなく眩しくて、アーチャーは目を細めた。それほどに、いたくアキレウスという男の喜びは果てしないものであったのだ。いえば、かの大海原かと思うかのように。
 弓なりに口角を上げたその表情と、満面の笑み。アキレウスは高揚していた。
 だがそれ以上に、不思議と浮かべた憧憬は至極穏やかなものであった。薄く微笑みを残しつつ、優しく閉じられた瞳の裏には、青を得て輝くあのギリシアの海が焼き付いていた。
 それを言葉で汚さぬように沈黙を守るアーチャーを、開いた瞳で見据える。憧憬に負けず劣らず壮麗な男がこちらを向いている。

「俺にとっては、青は―手を出すのもためらわれるような、美しさそのものなのだろう」

 悠久の時を経て得ることが出来たその言葉。トロイア戦争の大英雄は噛み締めるようにつぶやいた。
 父と母、敬愛する師匠夫婦、共に戦場を駆けた親友。果ては相対した敵国の彼奴や、己の華やかで、一瞬の生の中でも。得ることが出来なった、ごく小さくて当たり前のこと。
 だけれども、今のアキレウスには堪らなく嬉しかった。
 ましてや、それを齎したのは、名も知れぬたった一人の男であったのだから。
 そうして、存外アキレウスという者は言葉巧みでない故に、歓喜と気恥ずかしさを含めた声色で笑いかけた。

「はは、こんなことでこんなにも心が躍るとは。まるで童子と変らんな。御笑い種だろう、アーチャー」
「何を。いつ何時であろうと、発見と革新は人を歓喜させるものさ。そうでなければ、人の情熱などありはしない」
「うむ、全くお前は正論を言うな。まあ、少しばかり言わせてもらえば、回りくどいのが難点だが。俺のような短絡には少々手に余る」
「言っておけ。癖のようなものなのだ」
「違いない!」

 瞳を合わせて、くすりと笑う。
 そして、他愛なくお互いの顔を見合わせ、再び表情が緩んだ。穏やかで暖かな時間が流れる。
 アキレウスは食べ終えたパウンドケーキの皿を空の皿に重ねると、かたりとフォークを置いた。美味しかった、と感想を述べると、お粗末様でした、と応えが返ってきた。何気ないやり取り。
 ああ、きっと。
 ふと、それこそ無意識的に―英雄としてふるまうことを願う彼だからこそ―夢想したのだ。
 自分が英雄として生きていなかったならば。母の問いへの選択を違えていれば。恐らくは自分はこのように生きていたのかもしれないと。直感的に思った。ついぞ生前に叶うこともなかったし、寧ろ望んでいたわけでもなかった。
 だからこそ、第二の生にて感じたこの穏やかさが心地よくて堪らなかった。勿論、英雄として振る舞うことは大前提であるし、その前提があってこその心地よさであることは言うまでもない。
 そして、それは目の前のアーチャーなくしては得られないものであっただろう。真名はおろか、逸話も知らない錬鉄の英霊。白銀の髪と赤銅の素肌に、鋼の瞳。力強くも、どこか脆さを抱えている。口を開けば更に己を引き付けてやまない。何度か目にした流れる双剣の捌きは、流星に例えてもいい。
 沈黙の中、じっとアーチャーを見据える。見返してくる瞳に自分が映る。外れない視線にアキレウスは確信を持った。

 ああ、俺はこの英霊が欲しいのだ。

 欲しくて堪らない。

 単純に、なんの障害もなく行き付く答え。
 久方ぶりのこの感情はなんだったか、と考えを巡らす前に、無意識的に口が動いた。

「なあ」
「なんだろうか」

 アキレウスは表情を引き締めると、話をつづけた。

「アーチャーよ、感謝する。お前は教えてくれたんだ。俺が何千年も分からなかったことを。今ならば、この空の、俺のあの海の美しさを神に―」

 ここまで言い終えて、ぴたりとアキレウスの動きが止まった。ほのかに息をつく。何かに思い当たったように、間を開けた。
 ギリシアの戦士が神に言葉を捧げるのは、誓いであり、祈りであり、儀式である。
 だが、今のアキレウスにとっては神よりも。寧ろ、そんなものよりも。謳うべき相手がいる。
 首をちらりと横に振ってから、アーチャーに向き直る。円卓を挟んで対面。痛いくらいに、神性を孕んだ視線が送られる。
 一瞬の間を置いて口を開く。

「いや、お前に謳うことができる」

 アキレウスはそう言うと、アーチャーの褐色の左手を手取り、そっと口付けた。
 暫くそのままに、瞳を閉じる。穏やかな風だけが音を作る。
 瞼を上げ、橙の両の瞳がアーチャーを捉えた。時間が、ひどく長く感じられた。永久とも思えるような一瞬であった。
 錬鉄の英雄は、居たたまれないと手を引く。しかし、半神の大英雄がそれを許さない。まるで、このままで居たいと乞うように、瞳が雄弁に語るようだった。
 仕方なさそうに、されど優しく、アーチャーは赤のライダーの髪を撫でた。緑がかった金糸が指をすり抜ける。
 それを2、3度繰り返し、静かにアーチャーは言う。

「ああ、私には勿体無い」

 眉尻を下げて、苦笑して困ったようにする。
 これが明らかに禁じ手であることなどとうに分かっていながらも、それ以外に返す言葉など持ち合わせてはいない。本心からの、言葉である。
 アキレウスは軽く笑いながら、その顔を上げた。一つ咳払いをしてから、くしゃりと笑う。

「ああ適わねえ。結構、自信あったんだが。……あんた、本当に魅力的だ。だが、本当に、ズルいな」

 悔しそうに一言。だけれど、言うほどその表情は後悔にも何にも見えない。それよりも、余程挑戦的であった。
 爛々と輝く光は失われておらず、口元にも余裕が見えている。

「でも、諦めてねえからな」
…さて、可能かなIs't possible?
簡単だ、必ず叶えて見せようVery easily possible.

 かの文豪の台詞をいただくにはこれ以上ないシーン。彼が聞いたのならば何と答えるか―。
 きっと彼は「彼女」におあつらえ向きだ、とか。己は「彼」には合わないなどというのだろう。
 だが、アキレウスは嘘を吐いたつもりなど毛頭ない。必ず彼を手に入れると決めたのだから、何故にそれを反故にできようか。
 
 英雄の誓いは絶対。

 戦士の誓いは勝利。

 名乗りも誓いも既に凱歌の如く高らかに。

 この大英雄アキレウスに敗北などあってはならない。この堅硬な要塞を落とすのにどの程度かかるかなんて知ったことではない。
 既に戦争は始まっている。
 作戦なんて有りはしない。
 持ち得る軍略戦術全てをぶつけてこそ、宝を手にできるのだから。

 強いて言えば――幸運の女神の微笑みが、我が手にあらんことを。

 アキレウスの瞳は強くアーチャーを捉えていた。


* * *


(不思議なものだ)

 自分を射抜く視線を感じる。爆発してもなんらおかしくない、感情過多なそれは痛いほどにアーチャーを刺激していた。

 アーチャーからしてみれば、数多くの人間――老若男女を惹き付けて止まず、太陽のように輝く彼の方がよっぽど魅力的だった。
 ましてや、彼はかのトロイア戦争の大英雄アキレウス。そして彼は知らないにしても、己は英霊でもなく、逸話など持たない一介の守護者たる者。比べるまでもない。
 だが、直感的にこうも感じる。
 きっと、彼がそれを知ったところで考えが変わることはないのだろう、と。そんなものは関係ないと―いつか朱い魔槍使いが言い捨てたように、同じようにそう結論付けられる気がした。
 そう思案して、アーチャーはアキレウスに見えないように小さく笑った。
 「どうかしたか」との声になんでもないと手を振る。そのまま、口元を手で覆った。きょとんとこちらを向く視線に目を逸らしがちに。

 こうでもしないと、紅く染まった顔を見られてしまうから。

 煩い心臓の音が、自分だけに聞こえていることを願いつつ、アーチャーは空を仰いだ。





(以下は微妙に入れ損ねた「赤のライダーはランサーをどう思っているのか」という辺りの話。雰囲気なので本当にどうでもいい感じです)


 後日。

 夕暮れ時の商店街にて。

 町には蛍の光が流れ、夜の訪れを優しく人々に伝えている。帰路につく人々は夏に比べて幾分早足で、同時に秋の深まりを感じさせた。コンクリートタイルと靴底の当たる音がする。
 人々と逆行するように、アーチャーと赤のライダーは道を行く。行く人々がちらりと振り返っては、すぐに手元のスマートフォンに視線を下す。国籍不明の体付きのよい銀髪に、控えめに言っても整い過ぎた彫刻のような男の二人組は人目を引くらしい。
 それにどことなく不満―自分を見る者にではなくアーチャーを嘗め回す視線にだ――持ちながら、アキレウスはポケットに手を突っ込んだ。少し早足のアーチャーの少し後ろに行く。均整のとれた四肢と、いくら見ても飽きないその背が目に焼き付く。
 夕食の買い出しであるから、その手元に握られたスーパーの袋でさえどことなく庶民的ギャップを醸し出していて心を擽る。
 やはりついてきて正解であった。アキレウスは思う。これといって会話はせずとも、彼のひとつひとつの生活に自分がいることに、心を許されているのだという実感が湧く。女々しいかもしれないが、そういったことを良しと思う感情を持っている己に驚いているのは間違いない。

 そうして、ちょうど交差点の辺りに来た時である。
 往来は人も疎ら、緩やかな時間が流れている。照らす夕日が温かく思えるような、そんな場所であった。
 信号待ちで横に並んだアキレウスに、何気なしにアーチャーは声を掛けた。ふむ、となにやら考えた後の一声である。

 きっと経験があるのではないだろうか。ふと、何かを見た瞬間に連想する。何の脈絡もなしに、自己的前提を持ってして話題を切り出す。ああ、そういえば――と。まるで今さっきまで見ていた夢の続きを語るかのように。
 まさに、此度のアーチャーにとってもそうであった。ただ単に、道端に置かれた立て看板の青を見ただけである。そうして、今アキレウスと歩く商店街に「彼」が働く店があることを思い出した。
 それからふと思い出して、聞いた。

「そういえば。ランサーはどうなんだ。彼も青いのだが」

 ランサー。アキレウスの思考は一瞬、かの太陽神スーリヤの子息たる大英雄を連想したが、すぐにそうではないと知る。
 そういえば、この辺りであの槍兵は働いているのだったか。
 ああ、あいつだ。きっとあの半神のことだろう。
 アーチャーと共にある、己と同じくして半神半人の大英雄。やたらとアーチャーに構い、重ねてアーチャー自身も彼を気にかけている。

 自然とアキレウスの眉間に皺が寄る。無意識であったが、目ざとくそれに気が付くと、アーチャーは「気に障ったか?」と顔を覗き込んだ。すぐにそれを否定したが、アキレウスは言葉を濁した。
 嫌悪しているのではない。
 寧ろ、好感を持てるはずであった。
 アキレウスは彼のランサーの真名を知らない。が、戦士としての在り方、英雄としての矜持、その槍術と闘志は自分に勝るとも劣らないと考えている。生前であれば、周りにいたアイアスだとか、そういった手合いの人物に近い。無論、アイアスは嫌いではない。
 ただ、その好感を持てるはずの男が、何故か知らぬうちに認められずにいた。
 恐らくは同族嫌悪――確かに少し、あの武家屋敷で対面した時やアーチャーと二人会話しているのを見た際には自分と似たものを感じた。
 だから、その単純で簡単な思考こそが原因であると、アキレウスは思い込んでいた。

 しかしながら、根本的原因にはまだ気づかない。

 この感情こそ酷く歪で醜く、けれども深淵に持つにふさわしい感情であった。だからこそ。アキレウスという英雄だからこそ気づかない―それが当然の感情であるからして「独占」と「支配欲」に気付けえない。
 ましてや、かのランサーが全く同じ感情を、同じ相手に向けているのだから、彼を忌避するのは当然であるのに。
 この男はあくまで人の善をこそ信じ許す中立であるからこそ気づかない。
 
 何を理由に彼を認めていないのか。

 そもそも、なぜランサーを認めなくてはならないのか。

 ただ、たったひとつだけアキレウスには確信を持って言えることがあった。確信と言っても、それは物的証拠でも心的証拠もない代物。天性の直感だけが告げているのだから。

「まあ、そうだな」

 軽快な音楽を流して、信号はその色を変えた。それに促されるかのように思考を止めると、アキレウスは軽くステップを踏んでアーチャーの前に躍り出た。
 ふふ、と自慢げな笑顔を浮かべると、アーチャーの目の前に立つ。瞳に映る彼は少しだけ驚いたような表情をしている。夕暮れの光は、彼の白銀をほんのり染めていた。

「ひとつだけ言うとすりゃあ」
「なんだ」
「あいつには負けられないってことだ!」

 夕日を浴びて、一歩を踏み出したアーチャーの瞳に自分が見える。そこにいるのは自分だ。赤のライダーだ。
 それは答えになっているのか、と首をかしげるアーチャーに「気にするな」と肩を叩く。ぱしんと小気味いい音が響く。強く叩き過ぎただろうか。そういえば彼は筋力Dであったか、いやそれは関係なかったか。
 アーチャーを追い越して、白線だけを踏んで対岸に渡った。まるで子供のようだった。その様子を仕方がなさそうに見る彼が笑っていたものだから、つられて笑顔をこぼす。

 信号が点滅して赤になろうとしている。
 
 アキレウスはアーチャーをせかすように手を振って、やってきた彼の横に並び立つ。

 後ろ姿も良いけれど、横顔も悪くない。

 並んだ影が、どこまでも長く続いているような気がした。






Comments

  • 愛戀
    May 30, 2016
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