『朝だマスター。スヌーズ機能は3度まで、と伝えたはずだがまさか聞いていなかったのかね?4度目は君の朝の支度、通勤時間・距離から見ても会社に間に合わないギリギリの時間だ』
明らかに煩わしいアラームの音ではない。隣で寝ているかのように近くで聞こえた低い男の声に、ランサーは思わず飛び上がる。
急速に覚醒し反射的に声の聞こえた方向、サイドテーブルの上のPC――寝る前に電源を落としたはずだ――に視線をやる。
まさか、そこにうつりこんだ“誰か”が腕を組んでいて、不機嫌そうに言うのだ。
『やれやれ、月曜から先が思いやられるな』
なんて、朝から苦言を呈すコイツの正体をランサーはゆうに30秒は掛けてやっと思い至る。
白髪褐色、眉根を寄せてこちらを睥睨する赤いコスチュームを身に纏った大男(どういうコンセプトなんだ)、その見た目に見覚えがありすぎた。
こいつは兄であるキャスターに譲られたテストタイプのAI、『アーチャー』だ。
「お前どうやってパソコン……」
唖然とするランサーにアーチャーが片目を器用に閉じて顎をそらせる。なんて気障ったらしい態度だ。
『無駄口を叩いている暇があるのなら今すぐ洗面台に向かう事だ。キャスターから貰ったパーソナルデータから朝からよく食べる大食らいな事は識っているが、残念だマスター、朝食は抜いて走り給え』
アーチャーがいった瞬間、ピピピッと無機質なアラームが鳴る。
――まて、これは何回目のアラームだ?
ランサーがばっとアーチャーを見ると、その時初めて、その見るからに堅物そうなAIの無駄に精巧な3DCGの顔がにやりと得意げに微笑んだ。右手で4つ指を立てているところがまた腹立たしい。
『遅刻だ』
こんにち、科学技術の進歩は目覚しい。AIなんてものが一部の上層階級だけでなく一般の市場に出回り始めて久しいし、様々なニーズに応じてAIのタイプなんてものまで指定出来てしまう。fateシリーズAIで爆発的に売れた大手通信会社に言わせれば、AIは今や個人の1番の理解者、だそうだ。
誰よりも親しい、貴方だけの存在。そんな謳い文句でほとんど競合会社の居なくなったキャリアの一番人気AIは、ランサーの兄であるキャスターの勤める開発部で生まれた。一時期はどこもかしこも金髪碧眼の凛々しい美少女が街中の広告ホロを独占していてややうんざりした事を覚えている。
そうだ、道行く人々はみんな1人のようでいてその実そうではない。
各々が手持ちのデバイスに、コードレスのイヤホンに、タブレットに口々に話しかけている。
「美味しいランチの店」「3時になったらメールを送って」「飛行機の予約を、」「ねえどっちが似合う?」「面白い話して」
凄い時代になったのだ。便利だし、楯突かない、オマケに最適解のサポートをする上、自分好みのアバターとタイプを選べる。AIに依存するAIシンドロームの罹患者数は年々うなぎ登りになっていて毎朝ニュースで危険を叫ばれているのが日常風景だ。大昔、デバイスが普及したくらいに叫ばれていた対象がAIにすり替わっただけの話なのだが。
ま、関係ねえけどな、と静観していたのが先週までのランサー・クーフーリンの話。
ランサーは特にAIをもっていなかった。自分のことくらい自分で面倒を見られるし、AIなんて血の通わないプログラムの塊に生活を丸ごと預けずとも自立できる。今までだって、これからもそうだ。
どいつもこいつもHeyだのOKだのすぐにAIを呼びつける、今日の天気から主人の体調管理までこなすAIは確かに便利な道具だがランサーには必要のないものだったのだ。
だからその兄から数日前にテスターを頼まれた時だって断った。
そのはずだったのだが、
『おかえりマスター。君、私のアプリをインストールしていないだろう、あとワイヤレスイヤホンもだ。AIを家に置いていく人間がこの時代にいるのは些か信じ難いが私は家具じゃない』
どうかしてるんじゃないか、と言わんばかりの嫌味たらしい態度。
「おい、」
『ふむ、それを私の呼び出し音声として登録するのか?ちなみに初期設定は“アーチャーお願い”だ』
「しねえよ!初仕事だ、キャスターに繋げ。あとそのふざけた初期設定は消去だ。作ったやつは頭おかしいのか?」
『もちろん君の兄キャスターが設定したものだが、委細承知した。繋ごう』
迅速にCalling画面になるデバイス。なるほど確かに仕事は早いがランサーの気持ちはただ一つだった。この秘書AIとは思えないAIを突っ返してやる。キャスターのヤツめ、信じられない。何がアーチャーお願い、だ。こんなむさ苦しい男のAIを寄越すとは。
どうせならつい先日発売していた美人なAIを寄越せと歯噛みしながら改めて画面の端で腕を組んでいる『アーチャー』を見ると、ふいっと視線を逸らされた。いい度胸だ、これが新作とは。兄の会社の株価がかつての暗黒の木曜だか金曜だかのウォール街のような下降線を刻むのは明白だ。どの層に需要があるのか全く理解できないAIをじろりと睨んでいると画面が切り替わる。
ランサーは眉間に抑えきれない力が入るのを感じながら、画面に移された合わせ鏡のような顔に向かって口を開いた。
『はあ?そんなの無理に決まってんだろ』
電話口のキャスターのつっけんどんな口調にランサーの額に青筋が立つ。冗談じゃない。こんな見るからに小煩いAIに一日中話しかけられた日には胃が穿孔することは目に見えているのだ。
「そもそも承諾した覚えがねえ」
『いや取ったぞ。念書もある。そもそもそいつはリリース前の機密も機密だぞ。契約違反は賠償金だな』
「嘘だろどうなってんだ。テメーホントにオレの兄弟か?」
念書だと?そもそもサインした覚えがないそんなもの、無効ではないのか?
ランサーの怒りが沸点にぐっと近くなったのを見計らってか、件のAIがPCをなにやら横切った。
思わず目で追うと画面にパッと動画が展開されて再生が始まる。なにやらどこかの個室の居酒屋で己が機嫌良さげに拇印まで捺している三分ほどの動画。ビデオ通話画面に展開されたそれに、キャスターが『あ、』と気まずげな声を上げた。
対面にはキャスターだ。あと12枚な、なんて言うそいつの服装に見覚えがあった。これは先週の、飲み…………
「かんっぜんに酔ってるじゃねえか!無効だろこんなもん!!!!」
ランサーのがなり声にPC上のアーチャーが眉根を寄せる。動画の再生が終わるとさっさときえるところは確かに便利そうだが、こいつはそもそも何モデルなんだ?朝の件を考えたって相性が悪すぎる。
『おいアーチャー、余計なことするな』
手口が完全に詐欺のそれを流されてキャスターの声に不機嫌さが滲む。完全に悪行を働いた自覚のある奴の言い分だ。
『私の今のマスターはこの男なのでね』
フレーム外からひらひらと褐色の手が映る。自分を突き返す話をつけているというのになんとも呑気だ。
いや、馬鹿だ。こいつはどんなに人っぽくてもプログラム道理に動く言わばロボットなのだと頭を振り、ランサーは諸悪の根源であるキャスターに向き直った。ハッキリした、こんなタチが悪い嫌がらせに付き合ってやる義理なんてないのだ。
「とにかく、要らねえんだよこんなモン。」
『だから頼んだんだろ。この時分AI持ってねえやつなんて検索しなくてもお前だけだっつの』
それに、とランサーに口を挟ませずに続けるキャスターはランサーの扱いを心得ていた。
『アーチャーは最新モデルだぞ、当然優秀だ。まあ3日くらい使ってダメならまた掛けてくれや』
そうぶつりと切られた通信にランサーが項垂れる前にアーチャーが『む?』と声を上げた。
『マスター、血圧が相当上がってるぞ、朝の2倍だ。キャスターかららの着信を拒否するか?』
「……ああ、“アーチャーお願い”」
なるほど。クソッタレなほど優秀だ。
「…とりあえず、お前何ができんだよ」
『ふむ、基本的なアシスタント機能なら搭載済だ。発語による検索、君の健康管理、簡単なコミュニケーションも可能だ。ただ、"歌を歌って"やら"友達になって"なんて質問はやめておく事をオススメするよマスター』
私に限らずAIへの質問は基本的にデータ分析されている。
「よくわかった。てめえルンバ以下だな」
そう嘯くアーチャーの入ったPCの電源を問答無用で落とした後、数分でランサーのスマホに『荒っぽいことだ』と肩を竦めながら現れた皮肉っぽい男のAI『アーチャー』。
このAIとの生活がランサーにとってかなり印象深いものになる事は現時点ではまだ未観測の未来の話である。
***
ランサーはここ最近、目が覚めるとサイドテーブルに放られたデバイスの電源をつけるのが日課になった。
少し前まで電源を落としたまま携帯して、昼頃に同僚に指摘されるなんてこともあったくらい執着がなかったのにとんでもない変化だ。これには正直自分でも驚いているのでなんともいえない。
『おはようマスター。…血圧も脈拍も正常だな、睡眠時間は7時間5分40秒、今週の平均を逸脱していない。毎日健康な事で何よりだ』
電源を入れれば現れる赤い男のAI、アーチャー。ランサーをスキャンした後ふむ、と頷き『支度したまえマスター。また食いっぱぐれるぞ』そう言ってぱっとサイドテーブル上のデバイス画面から消えるのはもうこいつがやってきてから慣れた事だった。
マスターであるランサーに1番近いデバイスに入るのは出かける時くらいなもので、それに「普通AIは主人に付きっきりじゃねえのか」と零し『私はどうやらルンバ以下らしいのでな。可愛いロボット掃除機でも持ち歩けばいいんじゃないか?』と嫌味を返されたのはつい先日の事だ。
すぐにキッチンの方から呼び声がするので起き上がって洗面台に向かう。カウンター式のキッチンにアーチャーの強い希望によりタブレットの1つを設置したのだが、いたく気に入ったらしくだいたいそこに常駐しているのだ。
いつまで覚えてやがる、と歯噛みしたが何も言えなかった。
実のところ、アーチャーが来てからここ数週間、ランサーはAIというものを舐め切っていた事を思い知った。
まず、本当に便利だ。
やれ『そこを右に曲がれマスター、〇〇スーパーが近い。タイムセールだ』だとか『そこで塩をひとつまみだ。ひとつまみは拳のことじゃないマスター』だとか。頼んでもいない事まで口を挟んでくるアーチャーに辟易したのは最初の数日くらいなもので、
今やアーチャーの指示のもと料理まで作ってしまっている。やったらやったで『上手いじゃないか流石私のマスターだ』だなんて得意げに笑うから、なんとなく学習機能をリセットせずそのままにしてしまっているのだ。サプリや加工食品で手軽に栄養が摂れてしまう現代で、ほとんどの人にとって道楽になってしまった料理という行為をやたら推奨してくるのは何故なのか分からないが、確かに美味い。
代用肉ではない肉なんてほとんど久しぶりに食べた気がする。
あと、これは本当に侮っていた事だが、AIをまるで恋人かのように扱う奴らの気持ちが少し分かった。
本当に、一個の人間が応答しているのかと思えるほど豊富なコミュニケーション機能。声に抑揚や感情があるのだ。あるように見せている、が正しいのだが、ああ言えばこう言うアーチャーとの会話に確かに楽しさまで覚えたのは紛れもない事実だ。ただ、いつだって頭の裏側には『こいつは所詮AIだ』という落胆がある。このランサーが楽しいと感じている会話だって、想定された会話に予め用意されたものを充てられているに過ぎない。と、思っていたのだが流石キャスターだった、このAI、設定がめちゃくちゃ凝っているのだ。何処まで答えられるのか、という思惑の下行われたランサーのほとんど尋問めいた質問の果てにスリーサイズまで答えてみせたアーチャーに、ランサーが兄に若干の尊敬にも似た失望を覚えたのは仕方が無いことだった。
結果として実に陳腐で、世界中の人間が初めてAIに触れた時に抱く感想ナンバーワンだろう感心を抱くことになった。
まるで、本物の人間のようだ。と。
恋人ならいざ知らず、AIを生涯のパートナーにしてしまう人間までいるという話は聞いたことがあったが、まさかこれほどまでとは。
今朝もアーチャーに唆されて料理を作りながら、そんなことを考えながら上の空だったのがいけなかった。
ブレスレット型デバイスのホロレンズから空間に現れたアーチャーが、ランサーの手元からじっとフライパンを覗き込んでいるのをランサーは危ねぇだろと咎めそうになり、止めた。危ない訳が無い。ばつが悪くて顔をそむけたランサーに手乗りサイズで現れているアーチャーが『マスター、』と抑揚のない声で言う。
『焦げてる』
「あ」
***
『火を止めないから』
皮肉よりは、呆れたような声音。
『料理中に考え事をするとそういう味になるんだ。わかったかねマスター』
「へーへー、ほんと小煩いなお前さんは」
焦げた部分を適当に剥がしながら食べる朝食はなかなかにまずい。が、アーチャーとの生活に慣れ切ったしまった今、なんとも言えないぬるい時間だ。
そのうち時計が気になりだしたのかアーチャーがそわそわとランサーを上目に見た。
『で、君仕事にはいかないのか?ならば届出を出しておくが』
「あー、今日は休みだ」
デバイスにスケジュールを打ち込むなんて習慣がなかったのでアーチャーが知らないのも無理はない。だから出勤時間に叩き起されたのかと納得しきりでフォークをガチャガチャやりながらベーコンを食べているとアーチャーが黙る。
『そういう事は、伝えてもらわないと困る』
私は、君のAIだ。
憤慨というよりは、拗ねているような。
腕を組んでこちらを見もしないアーチャーに、可愛いなんて思いたくなかった。
ヤバい。かなりヤバい。ランサーには今わかった。そのうちこいつに生活の全てを預けるようになってしまう。それが別に嫌ではない事がまずい。別にいい、AIに全てを委ねるなんて世界中の人間がやっている事だ。だがこいつはまずい。どうせなら女のAIがよかった上に、アーチャーが欲しければキャスターに頭を下げなければならないのだ。
「アーチャー、」
ごほんと咳払いをしたあと、気を紛らわすようにアーチャーを呼ぶ。
話題はなんだってよかった。
『なんだ?』
「何か話せよ」
『何かとは?』
ほかのAIならば、きっとこのランサーの呼びかけに楽しい話題を提供する。歌でも歌うかもしれない。でもこのAIは、アーチャーは。
「ないか。お前面白くないもんな。売れんのかね」
内容とは裏腹にランサーの調子は軽い。売れなきゃいいのにとすら思っていた。アーチャーには内緒だが。
『……そんな芸出来ずとも君のような不出来なマスターを精一杯サポートしている時点で私はAIとしては十分なんだ』
ふん、と鼻を鳴らすAI。精巧なホログラムの中のアーチャーは、血が通った人間のように感情を表す。
***
アーチャーが忙しなく家中のデバイスの中を動いて回っている。
声を掛けても『忙しいんだ』と返ってくるのだから恐れ入る。主人に寄り添うのがAIでは無いのかと言いたい。まあ巷で流行っているAIのようにベッタリ恋人のようにされても困るのだが、デバイスにアーチャーがいないと何となく嫌、まで来てしまった。もう正直になった方が楽だ。ランサーはアーチャーを気に入ってしまった。
ため息をついてダイニングのソファに座っていると、ピロンと間抜けな帰還の音がする。アーチャーがあまりにも離れるので帰ってきた時に音をつけてみたら『犬猫じゃないんだぞ』と嫌がられたのでそのままにしていたのだ。つまり、ランサーの手元のデバイスに戻ってきたようだった。
「何してたんだよ」と問うとアーチャーはさも得意げに胸を反らせる。自称スリーサイズに偽りはないらしい。ちちでけえなと思った。
『君が私に感謝する光景が見えるようだ』
「はあ?」
『家中のデバイスにアラームとリマインド案件を仕込んだんだ、寝汚いマスターを持ったAIの宿命だな』
「……いやお前が起こしゃいいはなしだろ、なにい、って……」
言葉に詰まる。
アーチャーが、身に覚えのない書面を目の前に大写しにしたのだ。いや、正確には身に覚えがある。署名の欄にランサーの名前が。
キャスターに書かされた初めの書類のひとつだろう。よれた捺印、のたくった筆跡。そこは問題ではない。
アーチャーが縮尺にあった小さい手で指す場所は契約期間、の部分だ。今日の日付が変わるまでだった。
『これで、私がいなくなっても平気だ』
ひそやかに笑うAI――アーチャー。
短い生活の中でも色んな表情を見せてきたきらめく鋼色の瞳が、初めて無機質に見えた。
***
「あーダメダメ」
「はあ?!なんでだよ!真っ当に買ってやるっつってんだろ!」
正しく、押し問答だった。
日付変更線を越えたぴったり0時に消えたアーチャー。よく見れば送付された書類に書いてあった事だが、まったく覚えていなかったランサーにしてみれば青天の霹靂だ。
急いでキャスターに連絡を取り、嫌だ暑いとごねるやつを昼休みに引っ張り出して来たところで冒頭のセリフを吐かれた。
「実はモデルにバレてな。アーチャーは開発中止になった」
開発中止。他にも何だか重要な話をされた気がするが、ランサーに重要な事実は一点のみだ。
皮肉屋で、けれど努めて第一に主人をサポートするあのAI、アーチャーがこの世に出ない。
「変わり種としていい線いってたんだがなぁ」
「……今までのでいい、更新もサポートもいらねえから。」
「そんな脱法AI渡せるか。モデルに言えモデルに。アイツが止めなかったらリリースしてたっつの。」
オレも買ってた、なんて聞き捨てならない事をブチブチ言うキャスター。
その後ろから人影が表れて、ランサーは思わず「は、」と声を上げてしまった。いや、上げもする。だってそいつには見覚えがありすぎたのだ。
具体的には昨日の0時ぴったりまで別れを惜しんで、行くなよなんて恥ずかしい台詞を囁いてしまったような、そんな相手に。
「キャスター。あの馬鹿げたAIは廃棄してくれたか?」
「あーーーー……したした。悪かったって」
怒んなよ、とキャスターが宥めるように言う相手は、正しくアーチャーだった。
白髪、褐色、服こそ赤いコスチュームではないが、真っ当な社会人らしくスーツに身を包んだ大柄な男。
ぽかんと『アーチャー』を見つめるランサーに気がついたのか『アーチャー』がランサーを見る。瞳の色も寸分の狂いもなく再現されていた訳だ。
説明されずともわかる。アーチャーのモデルだ。
「……?キャスターの兄弟か?」
「そうそう、エミヤ、これランサー。ランサー、こちら同僚のエミヤ。」
「アーチャー……」
思わず呼んだ。仕方がない。ここ数週間ずっと一緒に暮らしていた相手の様な気分なのだ、こちらは。対してアーチャー、否エミヤはランサーのセリフに表情を思い切り曇らせる。
「アーチャー…?…キャスター貴様見せたのか……」
あんなもの売りに出したらうちの会社は間違いなく潰れる。とキャスターに小言を言うアーチャーは、目の前でそのAIをどうしても諦めきれずにやってきた男がいるなんて全くもって気がついていない様子だった。
思わず、手が出る。手を伸ばせば触れる距離に、アーチャーがいた。
ホログラムのアーチャーはせいぜい数十センチの可愛いサイズだったが、本物はまさかランサーより体格がいい。驚いた。
手をとると、温かかった。当たり前だ。
思わずエミヤの顔を見ると唖然とした顔をしている。それが、まあ当たり前だがアーチャーそっくりで。
「……スリーサイズって、B97/W81/H96?」
「……は???………………キャスター!!!!!」
直ぐに思い至ったのかアーチャーがランサーの手を振りはらう。
明らかにやべ!と言う顔をしたキャスターがランサーにコノヤロウ!恨みを込めた一瞥をくれたのは気がついたが、ランサーはそれどころではなかった。
完全にアーチャーだ。怒髪天を衝いたらしいアーチャーがキャスターを捕まえて会社に引きずり込んで行くのを唖然と見送りながら、ランサーはエミヤの瞳の色を思い出す。
アーチャーそのものの鋼のような瞳。
***
「私はアーチャーじゃないんだ」
結局、エミヤの終業時間まで待っていたランサーを見てため息をついたエミヤは言った。
「私をモデルにしたと言っても、多少、いや大幅に大衆向けに脚色されてるはずだ。この性格だ。売れるはずない」
いや、まんまだったぜ、とは口を挟めない雰囲気だったので黙ったままアーチャーの台詞の続きを聞く。
「だから、君の対応に困っている」
「同一視なんかしてねえ」
よく出来てたんだなあとは思ったが。とくにモデリング。本当にアーチャーそのまんまだ。
「なあエミヤさん、料理好きなんだろ」
アーチャーことエミヤさんはまさか年上だった。嘘だろあの顔で?!とキャスターに言えばキャスターより年上だとかで度肝を抜かれた。なんとなく燃えるので全然有りなのだが。
エミヤは訝しげに頷く。まさかそれも?と言わんばかりだ。その通りなのだが、やはりアーチャーはモデルに忠実に作られていたらしい。
「最近オレも始めた」
「このご時世珍しい趣味だな」
「あんたもだろ?」
『マスター』と、たまに笑う顔が好きだった。笑った顔もそのままだ。アーチャーはつまりエミヤによく似せたAIだった。技術の粋でもって解析されたエミヤのパーソナルデータがほとんど再現されていたAI。同じ存在ではないが、ランサーにとっては別のものでもない。
アーチャーを気に入っていた。ただもういない。だからではないが、あの『アーチャー』のオリジナルという点で惹かれたのは事実だ。エミヤは知る由もないが、こっちには一方的な情がある。
「いくなよ」と情けなくも伸ばしてしまったランサーの手はアーチャーのホログラムを突き抜けて、ドキリとしたランサーには全く目もくれずアーチャーはランサーの手の上でゆらゆらと揺れながら『君の体温は知っているんだ。36.5度。』と訥々と語った。
『でもやっぱりわからない。感じられない。料理が好きだが私は作ったことがないし、君の部屋は汚い。なのに掃除したいのに何回言っても君は掃除しないし。自分でできないのは歯痒い。』
ほとんど恨み節だ。ただ、『君はたぶんオリジナルの私とは合わないだろうな』なんて最後に残していったアーチャーの台詞は外れている。いや、絶対に外れる。
アーチャーの36.5度より温かい手を取りながら、ランサーは笑った。
「なあ、今度」
きっと今回はハッピーエンドだ。