高市首相、憲法読むべし ―憲法審査会で議論をしたことがない高市首相と、憲法9条はGHQから押し付けられたものではない
自民党の石破茂前首相は、20日、BS-TBSの番組で、首相就任前の高市首相について「憲法審査会に(石破氏は)ずっと籍を置いているが、(高市首相が)出て議論した覚えがない。自民党の憲法改正推進本部で彼女が持論を展開した記憶はない」と述べた。
ということは、20日の姿勢方針演説で高市氏は憲法改正の「国会発議の早期実現に期待」 などと述べたが、憲法改正について自身の確固たる考えをもっていないということか。彼女は、日本国憲法はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から「押し付けられたもの」であるとは言い続けており、「自主憲法」の制定を訴え続けきた。しかし、その「自主憲法」の視野にあるのは国防軍の保持と集団的自衛権の完全な行使ぐらいか。
歴史家の半藤一利氏は、自身の著書『日本国憲法の二〇〇日』(プレジデント社、2003年)を書いた頃は憲法9条がダグラス・マッカーサーGHQ最高司令官から当時の幣原喜重郎首相に提案があったものと解釈していたが、よく研究し直してみると、幣原氏の側からマッカーサー司令官に進んで提案があったことが判明したと述べている。高市首相など自民党の右派勢力が主張する憲法9条が連合国の押し付けであったというのは間違いで、日本人の主体的な意思によって成立したものだと半藤氏は述べている。幣原氏が憲法9条をもち出した背景には、彼も調印に関わった1928年に成立した「パリ不戦条約」があった。この不戦条約は第一条で「国際紛争解決のための戦争の否定と国家の政策の手段としての戦争の放棄」を宣言している。
この不戦条約は、当初米国とフランスの協議から始まり、多国間協議に広がったことから、米国の国務長官フランク・ケロッグと、フランスの外務大臣アリスティード・ブリアン両名の名にちなんでケロッグ=ブリアン条約(協定)(Kellogg-Briand Pact)とも呼ばれている。
パリ不戦条約は国家の政策としての戦争の否定であり、第一次世界大戦後の平和維持の試みの中でももっとも壮大な構想であった。米国では戦争を非合法化する運動に参加し、また米国が国際連盟に加盟しなかったことに失望していた人々によって支持されていた。パリ不戦条約は次第により多くの国によって調印されることが期待されていたが、日本は真っ先に調印しながらも、昭和6年(1931年)の満州事変では先に戦闘を仕掛けたことを「自衛」と称して自ら違反し、あたかも現在の米国トランプ政権のように国際社会の信用を失っていった。
1990年の湾岸危機で初代ブッシュ米大統領が海部俊樹首相に自衛隊派兵を要求した際、海部氏は日本のアジア諸国への侵略戦争の責任を強く意識し、「憲法の制約」を掲げて慎重姿勢をとった。海部氏は「わが国は日米安保体制の下の過去45年間の平和になれている」とした上で、「日本人は第2次大戦の際に世界に多大な迷惑をかけたことから武力の使用または武力紛争への関与は行わない旨決意している」と述べ、これは憲法の制約にもよるものだと説明した。
海部首相は、後藤田正晴元官房長官に相談すると、後藤田氏は「どんな立派な堤防でもアリが穴をあけたら、そこから水がちょろちょろ出ていずれ堤全体が崩れることになる。アリの一穴をやってはいけないよ」と語り、自衛隊派遣に反対した。
SBS信越放送のニュースで、長野県弁護士会の山岸重幸会長は、反撃能力の保有などを閣議決定したことについて、「議論がないまま進めることは、国民主権の根幹を脅かす」と述べたという記事があった。敵基地攻撃などは国の基本的性格にも関わるもので、政府が違憲ではないという判断を勝手に下してよいはずがない。議論を行わないのは国民が賛成する自信がないからで、少数の人の判断で国の最重要とも言える事項が決定されるのでは、発展途上国の独裁体制や権威主義体制と変わりがない。
「米軍と一体化した形で軍事化を進め、解釈改憲によって集団的自衛権を認め、平和の名の下に戦争への途を歩んでいるようにみえる。現在の空気は1930年代に道徳教育から始めて戦争肯定の国論を形成した過程を思い出させる。」
これは東大教授であった石田雄氏(たけし:1923~2021年)の言葉で、東大社会学研究所のインタビュー記事(2019年5月30日)で語られた言葉だ。2019年の観察だが、現在は高市政権の下で戦争への途を一段と歩んでいるように見える。
石田氏は現在のような状態に至ったのは、戦後民主主義の成果を過信し、戦争の記憶と憲法における非戦の誓いが継続することを過大に期待したこと、また戦前からの連続性であるかのように、1969年から成長する日本会議の運動が安倍内閣の多数派になったこと、さらに小選挙区制で自民党内部の多様性が失われ、党執行部への権力集中が行われたこと、官僚組織も人事権を内閣に握られて自立性を失い、メディアも強力な支配権力の前に批判機能が弱くなったことなどが戦争への途に進んでいることの背景として石田氏は強調している。
中村哲医師は、日本国憲法は先の大戦で亡くなった人々の「お位牌」だと語っていたが、お位牌をないがしろにするようではバチが当たることだろう。国民主権をないがしろにし、戦争に日本を再び関与させようとする高市首相に第二次世界大戦の死者たちが肯定的評価を下しているとは到底思えない。



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