抱えていた重たい足を投げ出して、横たわるアーチャーの上に疲れきった体を投げ出した。額から滝のように汗が流れ落ちてくるが、それを拭うことすら億劫になるほど自分の体を重く感じる。
「いい加減退け。暑い。重い。邪魔だ」
もう1mmたりとも動きたくないと思っていたが、頭上から降ってきた大きな手のひらがまるで虫でも払うかのようにぺしぺしとはたいてくるものだから、大人しくごろりと転がって隣の空いたスペースに潜り込んだ。若干痺れが残る腕を何とか伸ばして時計を手に取ると午前2時。折り重なるようにして布団に倒れ込んだ時はまだ土曜日だったというのにもう日付が変わっている。体を襲う倦怠感と魔力を限界まで隣の男に搾り取られたせいで、後片付けをしなければならないという俺の意思とは反対に瞼は勝手に落ちてくる。
べたべたになってしまったシーツに体を預けるとその頃には荒くなっていた呼吸もやっと落ち着き、段々と意識が底のほうへと引っ張られていく。申し訳ないが後片付けは起きたらやるので勘弁して欲しい、と言おうとしたが口から出たのはふにゃふにゃとした意味を成さない言葉の羅列だけ。それを訂正する気力も無くそのまま意識を手放そうとしたのだが、そんな俺を引き止めたのはアーチャーの声だった。
「お前に聞きたいことがある」
正直、聞かなかったことにして眠ってしまいたい。ただ俺の心が「眠気」と「アーチャー」を天秤にかけてほんのわずかだけ後者に傾いたのがわかったので、自分の健気さに後で悔やむことになるのを分かっていながら無理やり目をこじ開けた。
「……………………それって今じゃなきゃ駄目なのか?」
「ああ。気になって夜も眠れないな」
「お前は別に寝なくても平気だろ」
「ほう、いつもは私に『人と同じ生活をしろ』というくせに都合の悪い時だけ撤回するのか?どうやら正義の味方様は随分と自分勝手な男のようだ」
馬鹿にしたような態度にカチンときてもそもそと仰向けだった体をアーチャーのほうへと向ける。せめてもの抵抗として口は開かず目線だけでその質問とやらを促すと、アーチャーはそれが当然かのように話を続けてきた。
「率直に聞かせてもらうが、恋人はいるのか?」
「は!?」
口から漏れた声が思いのほか響いて、この家には俺たちの他に誰もいないことはわかっていたのに思わず自分の口をふさいだ。アーチャーはそれに対して眉をひそめたがそれ以上何も話すつもりはないようで、大人しく俺が質問に答えるのを待っている。お互い黙り込んでしまえばいつもは騒がしいこの家の静けさが際立って、自分の家だというのに何となく居心地が悪い。
「何で急にそんなこと聞くんだよ」
「大した意味はない。ただの気まぐれだ」
「気まぐれでもお前はそんなこと聞くような奴じゃないだろ」
話せ、とまた目線だけで質問の真意を促すと寝転んだまま器用に肩を竦めた後、ゆっくりとアーチャーは話し始めた。
「今週、お前は自分が誰と過ごしたか覚えているか?」
「え、えーと……………」
「月曜日は凛だ」
「あー、そういえば物置の整理を手伝ったような………」
「火曜日は桜君」
「うん?」
「水曜日はセイバー、木曜日はライダー、金曜日はイリヤ。思い出したか?」
1週間を振り返ると確かに今週は頼まれごとが多く、放課後は常に誰かと過ごしていた。ただ目まぐるしく過ぎていく日々に追われて、いつどこで誰と過ごしたかなんて当の本人でさえ覚えていなかったというのに………。
「よく覚えてたな」
「ああ。日替わりで女性とデートするような男に呆れ果てていたからな。しっかりと覚えている」
「ち、違、ほとんどは無理矢理連れ出されただけで俺からは誘ってない!」
「ほう、まだそんな言い訳をするのか」
アーチャーの声や表情は普段と変わらない。どうやら怒っているわけでも悲しんでいるわけでもないらしいが、じっと見つめても見た目からは感情が読み取れず何を考えているのかさっぱりわからない。
「言い訳も何も本当のことだ」
「本当か?」
「しつこいな。というかあんたはそれを聞いてどうしたいんだ?付き合っている人がいますとでも言えば満足なのか?」
「別にどうするつもりもない。ただ、」
「ただ?」
「…………『勿体ない』と思っただけだ」
ようやくポーカーフェイスが崩れたかと思ったら、そこにはガッカリしましたとでも言いたげな表情が見えた。
「何で俺じゃなくてお前が落胆してるんだよ」
「毎日のように女性と過ごしておきながら浮いた話の1つさえないお前を見たら、落胆もしたくなる」
「大きなお世話だ!別に今のままで俺は満足している。これ以上、何も望んでない」
「本当にこのままでいいのか?私の経験上、ここがお前の最後のチャンスだぞ。一生、独り者の覚悟は出来ているのか?」
「だから、このままでいいんだって!悲しいかな俺の隣にはでっかくて嫌味な男がもう既に陣取っているから恋人を作る暇なんてないんだよ!心配ならお前が一生俺の傍にいればいいだろ」
と言い放ってから自分の台詞を反芻して死にたくなった。思ったことを考えもせずつい口に出してしまったのは、寝ぼけた頭と疲れと、2人しかいないこの空間のせいだ。追い打ちをかけるようにアーチャーから「お前は何を言っているんだ」という台詞を聞いてこの場から消え去りたくなる。
「うるさい!もとはと言えばお前が………、」
「その恥ずかしい台詞を私のせいにしてほしくはないな。自分の言葉に責任を持て、って何だその間抜け面は?」
「あんた随分と嬉しそうだな」
「なっ、嬉しい訳があるか!その目は節穴か!?」
「いや、確かに声とか表情は相変わらずなんだけど、あー、その、………雰囲気とかが喜んでるというか」
俺が話す度、アーチャーの声や表情から徐々に余裕がなくなるのが愉快だった。その慌てぶりに少し自分に都合のいいことを考えなくもなかったが、すぐさまそれをかき消す。
「いいよ、分かってる。どうせ俺のこと馬鹿な奴だって嘲笑ってるんだろ?お前の考えなんてすぐにわかるんだからな」
当たりだろ?なんて得意げにアーチャーの顔を見据えたが、その表情はさっきのとはまた変わっていて、安心と落胆とその他色々な感情が混ぜこぜになったような複雑そうな顔だった。
「あれ?何か間違えたか?」
「間違えてない。むしろお前が鈍感で助かった」
「何だよその言い草!言っとくけど俺が鈍感ならお前も鈍感だからな」
眉を寄せていたアーチャーはそうかもななんておざなりな返事をして、俺に背を向けた。下のほうに丸められていた布団を引っ張りあげて、完全に眠る準備をしている。不意に忘れていた眠気を思い出して俺もあくびをした。しかし、終わったと思っていた会話はまだ続いていたらしい。
「最後に1つだけ忠告しておこう。お前が誰とも付き合う気がないのなら今回のように2人きりで過ごすような真似はしないことだ。後々後悔したくないならな」
「それは経験談?」
「ノーコメントで。…………私は何も誰とも関わるなと言っているわけではない。でも、なるべくならそういうのは特別な人とだけにしておけ」
最後にそれだけでも言っておきたかったらしい。ノーコメントだなんて逃げられたがきっと自分の経験からきている忠告だろう。
「ふーん、じゃあ好きな相手なら良いってことか?」
「当たり前だ。それに関しては私に止める権利はない」
それっきり会話は途切れた。隣の男の呼吸が段々と穏やかになるのが聞こえる。俺が何も言わなかったらこいつはこのまま寝てしまうんだろう。寝る前の会話なんて基本的に俺もこいつも覚えていない。だから、今のこの会話もきっとなかったことになる。そう思うとこの時間が惜しくなってきて、口を開いては閉じてそれを何回か繰り返した後、やっとアーチャーに声をかけた。
「……………お前はどっか行きたい所ってあるか?」
「突然、何を言い出すかと思ったら……。私には行きたい所なんて、」
「ないの知ってる。でも、どこでもいいから言ってみろって。新都で買い物でもいいし、釣りがしたいんなら付き合ってやる。あっ、そういえばもうすぐ桜が咲きそうだし弁当でも持って花見でも行かないか?」
「花見か……」
何かを思い出したのか懐かしそうなアーチャーの声。顔は見えないが、おそらくやわらかい表情になっているアーチャーを想うと俺の心はなにかあたたかい色の気持ちで満たされる。
「いい案だろ?そうと決まったら予定を、」
「そうだな。イリヤも喜ぶし桜君も腕によりをかけてお弁当を作ってくれるだろう。最近、凛も地下室にこもりがちだったしいい気分転換になる。後は誰を誘うかだが、…………士郎?」
本気なのか冗談なのかわからない言葉に唖然とした。何の反応もない俺にアーチャーは顔だけこちらに向けて訝しげに俺の名前を呼ぶ。急速に冷めていく心を抱え、やっぱりお前だって鈍感じゃないかと詰りたくなった。しかも、男のくせに男心をわかっていないおまけ付き。
「あのさ、今までの会話の流れってあるだろ?」
「ああ」
「どっか聞き逃してたりしたか?」
「いや、全部聞いてたが」
「それなのにこれかよ…………。タチ悪ぃ」
「は!?」
「何でもないよ。おやすみ」
無理やり会話を断ち切り、アーチャーが独占していた布団を引っ張り自分の体にもかけて俺も背中を向けて寝転んだ。ぶつぶつとさっきの会話をなぞっているアーチャーの呟きを子守歌代わりに目を閉じる。もう一度声を掛けられたとしても、次こそは無視して眠ってしまおう。
明日はきっといつまで寝ているんだと叩き起こされるから、それに文句言いながら2人で後片付けをして、布団を干して、それから、…………覚えていたら午後は2人きりで出かけようと誘ってみるのもいいかもしれない。わずかに触れるだけの背中の体温が温かくてつい、鈍感なこの男に一から全部、理解するまで言い聞かせてやりたくなってきた。