憧れの意味
士郎がエミヤの生き方に多少なりとも憧れていたのを、村正が引き継いでいたらという妄想。
独自設定いってます。
初っ端から事後設定ですが、おせっせシーン書く程の体力無いので割愛。
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「お前さんは、誰かに惚れた事はあるかい」
唐突に尋ねられた質問の意図が掴めず、エミヤは困惑した。
村正はエミヤの反応を面白がっているのか、それとも別の真意があるのか。肩肘をついて、隣りで身体を横たえるエミヤの様子を眺めている姿からは判断が付かない。
「憧れを抱いた者なら幾人かいたな。それぞれに違う輝きを持った者達だ」
村正自身が望んでいる答えとはまた違うだろうが、息を整えながらそう応えるのが精一杯だ。
「そいつらとは添い遂げたいとは思わなかったのかい」
「ああ、ただの憧れさ。世俗に塗れた感情を抱くには彼等はあまりにも眩しすぎた」
朱槍の閃き。その強さに憧れた。
紅玉の煌き。その鮮烈に憧れた。
清廉なる耀き。その美しさに憧れた。
感涙に浮かぶ揺らめき。その笑顔に憧れた。
皆、摩耗に果てた記憶の中においても、未だに忘れられない者達だ。
そしてここで再び同じ顔に出会う事になるとも思いもしなかったが。
「添い遂げられるような甲斐性を持っていたら、私はここにはいなかっただろうがね」
苦笑しながらの答えに、村正は「そういうモンか」と呟く。
「ああ、貴方が期待するような話ではなくてすまないな」
「いや、ただの好奇心ってぇヤツだ。若ぇ娘っ子でもあるめぇし、そいつをネタにお前さんをからかおうたぁ思っちゃいめぇよ。どうせお前さん、惚れたオンナは無くとも、寄りかかられた腕を振り切る事はせなんだろうさ」
カラカラと笑いながらも、話を続ける村正は、惚れた腫れたの話よりも、単に猥談の相手が欲しかったのだろうと見当をつけ、当たり障りのない返事を返す。
抱いた相手の遍歴など聞いたところで何も面白くはないだろうに。
「さぁ、どうかな。何分記憶が摩耗してるのでその辺はあまり覚えてはいないよ」
記憶が摩耗しているというのはこういう時には都合がいい。大切な記憶は残っている。その他の有象無象は、エミヤシロウからすれば取るに足らないものだったのだろう。
「己が女難体質だと自覚しているから、極力色恋沙汰というのには関わらないようにしていたものでね」
エミヤはこの話は終わりだとばかりに起き上がり、この場を立ち去ろうとした。しかし、村正の腕がエミヤの手首を掴んでそれを阻む。
「そりゃ罪作りだ。儂から見たらお前さんは人を惚れさす才に長けてる」
「……そう……だろうか」
村正の指の腹が手首の薄い皮膚から、手の輪郭をなぞるように沿わされる。魔力供給を行ってようやく落ち着いたと思っていた肌は、簡単な触れ合いで熱を再び取り戻す。
「天性の誑かしだな」
「……たぶらかすなど…」
人聞きの悪い、と反論しようとしたが「まぁ、そういう手合のやつは大概が無自覚だ」という独り言にも似た呟きによって遮られる。
「裏があるような奴にゃ出来やしねぇモンだから、尚更質が悪い。惚れさすだけ惚れさしておいて当の本人の本命は別のものだから『その気は無かった』と人の思いも何もかも、無碍にするのが得意ときてる。そうなりゃもう、愛し恋しも転じて憎し恨めしになるしかねぇだろうよ」
村正の言いように思い当たる節が無いとは言い切れないエミヤは黙るしか無く、相槌すらも打てないエミヤに対し、だからな、と村正は話を続けた。
「少しばかり気になっちまった。お前さんが惚れた相手がいたとしたらどんな相手だったんだろうってな。お前さんみてぇな真っ直ぐで綺麗な心根の奴が惚れるんだ。そりゃよっぽどの相手だろう……と」
まぁ、実際蓋開けてみりゃ、それはそれでお前さんらしいっちゃらしい返事だったワケだ、と漏らす。
村正の親指の腹はエミヤの小指の付け根から手首にかけての掌の膨らみをなぞり、残りの指は手の甲を這っている。
ただ触れているだけだ。エミヤが軽く手を動かせば、その手は簡単にのくだろう。
だというのに、その触れ合いが名残惜しいのか、それとも村正の話を少しでも聞いていたいと思うのか、エミヤは身じろぎ一つすること無く、村正の指の動きを見ていた。
「……綺麗ではないさ。私の性根は腐っている。なんせ過去の自分を殺してしまおうと一度は考えた男だぞ」
苦し紛れにそう伝えれば、そうかい、と呆気ない返答。それにはああ、と返すしかない。
「エミヤ」
不意に名前を呼ばれた。
なんだ、と返す間もなく反転する視界。起き上がった体はまた布団に押さえつけられ、その上に村正がのしかかる。
「こう見えても儂ァ、物の真贋にうるさい方でな」
溶けた鉄の、煌々と燃え上がる様を思わせるような橙の瞳がエミヤを睨みつけていた。
「いっぱしの目利きが無けりゃ、刀匠なんぞ名乗りはしねえ。刀を打つっていうのはそういう業だ。その儂が違うものかよ」
息を飲む。心臓が嫌な脈拍を叩きはじめる。
村正の気迫に呑まれてはいけない。
事実は事実だ。それだけは間違ってはいけない。
心根が綺麗なものであるのならば、苦しむ事は無かったはずだ。諦めることはなかったはずだ。切り捨てた人達の命を思い、無力な己を責める事もなかったはずだ。
真っ直ぐに前だけを見て、決して後ろを振り返らない。失った命の為に、前に進んでいく。
「……私の心は紛い物だ。偽善に満ちている。借り物の理想を抱いてーー」
「そして目指し、辿り着いたのが今の手前だろう」
反論の言葉すら奪われてしまった。
「高みを目指し、技を研鑽し、理想を体現した。どれだけ心が折れそうになっても、どれだけ自分を責めようとも、その先を望んで、力を手に入れたお前さんの心は、どう言おうが儂にとっちゃ真っ直ぐで綺麗なんだよ。丁寧に研ぎ澄まされた刀の様にな。それを仕込んだのは紛れもなくお前さんだ」
「……」
喉から出かかった言葉は、言い知れぬ感情に支配され、漏れ出すこともなかった。誰かから、面と向かって言葉にされたのは初めてかもしれない。
間違いだらけの思いでも、間違ってなんかいない、と言い切っていたのは衛宮士郎(過去の自分)だけだと記憶している。
後悔はしていない。
誰かに理解されようなどと考えたこともない。
その心を、目の前の男は綺麗だと評したのだ。
その感情は彼が姿を借りている士郎から発されたものであるかもしれない。
だが、相手が衛宮士郎であるならば、素直に言葉を受け入れなかっただろう。心を揺さぶられることもなかったはずだ。
揺らぐ鈍色の瞳。はくはくと呼吸を繰り返すのみで、何も言い返せないエミヤの様子に、己の意見を受け入れられたと確信したのか、村正は満足そうに表情を和ませる。
両手を使ってガシガシとエミヤの頭をかき、そのまま顔を近付けてきた。
「待て、待ってくれ、村正殿。何を」
「何って口吸いだろうが。今更、生娘みたく口吸いの一つや二つ、減るもんでもあるめぇし」
突然の制止に、あっけらかんとした返答が紡がれる。先程、魔力を供給し合ったばかりだ。体の中に満ち溢れている魔力。もう体を重ねる必要もない。
「魔力供給はもう…」
「野暮なこと言うもんじゃねぇよ。儂ァお前さんと情を交わしてぇって、面と向かって言わなけりゃ分からねぇか」
「何故」
「それこそ今更だ」
後は黙っていろとばかりに落ちる口付けに、エミヤはなすすべもなく翻弄されるしかなかった。
――キィン!
どこからか耳に馴染みがないが、聞き慣れている、と感じる音が響く。
鋼を打つ音、鍛刀の音だ。
ここは夢か。英霊が夢など見るはずもないが、過剰な魔力供給によって、カルデアとは別のパスが繋がり、過去を覗き込んでいるのかもしれない。
村正が鍛冶を行っている。
轟々と火を焚べた炉から取り出された真っ赤に燃える鋼を一心不乱に打ち続けている。
鉄鎚が伸ばされた腕から一直線に振り下ろされ、頭蓋を揺らす程の硬質の音が響く。同時に激しく爆ぜる火花の勢いは、まるで火山噴火のよう。
火の粉がどれだけ降りかかろうとも構わずに彼は一定のリズムを保ち、鉄槌を振り下ろす。
――キィン! ――キィン!
鉄槌は重いだろう。爆ぜる火花は熱いだろう。
刀を打つ間は寝食を忘れ、ただ刀のみに向き合わなければならない。体に相当の負担を強いるはずだ。
それでも鉄を溶かしたような彼の瞳はただ真っ赤に溶ける玉鋼のみに向けられ、その心は彼の理想とする刀を創る事に注がれている。
汗止めの為に巻いていた頭の手ぬぐいも既に意味はなく、額から滴り落ちる汗を拭う腕にも大量の汗の玉が浮いている。それでも、視線は常に生まれ出ようとする刀に注がれ続けて。
――キィン! ――キィン! ――キィン!……
力強く撃ち落とされる鉄槌。
硬さを帯びて益々高くなる撃音。
祈るように一心不乱に鉄を打つその姿は。
とてもうつくしいと思った。
昔、誰かに感じた感情を今の自分がまた抱くなどありえないと思っていた。
しかし、それは確かに憧れであったのだ。
疲れて寝入ったエミヤの髪を村正は漉いていた。
涙と精液で汚れているが、寝ている時には意外と幼く見えるその寝顔に一人呟く。
「憧れの一言で片付けておきながら、そいつらの事は好いていたんだろうさ」
まったく、と呆れたような声を出しつつも口元には笑みをたたえている。
「人たらしは、手前の事をなぁんも判ってないんだな」
仕方のない奴だ、と漏らしながらも、その声はとても優しかった。