【槍弓寄稿原稿web再録】三夜の逢瀬
版権元:Fate/stay night
注意事項:腐向け(槍弓) ネタバレ ねつ造 原作程度の残酷表現
にのみ屋様主催の槍弓アンソロジー『廻』(2017年秋発行)に寄稿させていただきました小説です。
sn、ha準拠の槍弓ということなのでど真ん中sn槍弓を書かせていただき大変満足でした。
素敵なアンソロジーにお誘いいただき、また当時お読みいただいた皆様もありがとうございました。
追記
言い忘れましたがFate/stay nightのUBWルートの話です。原作知らないと意味分からないと思いますが御容赦を……。
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基本に重んじた型をなぞりながら、型破りな捨て身を平気で選択してくる男だった。
古今東西、あらゆる武術の理論をどん欲に求め続けた生涯が透けて見える。名声への執着、武功への憧れ、名誉への依存。それらあらゆる一切を完璧に捨て去った、不純なものの混在する余地のない剣筋。
彼の双剣には、虚飾を切り捨てた者だけが得られる最高位のうつくしさが確かにあった。血の滲むような努力を習慣として乗り越えてきた軌跡が容易に想像できる。強固な信念。絶対に折れぬ鋼、あるいは折れても幾度となく鍛え直され蘇る剣のような。
強くはない。が、得難いと思った。
己が生前を通してみても。死んでからの慰めに眺める数多の記憶の中においても。彼より強い者はいくらでもいただろう。だが、あれほどの純粋さを湛えた武人には二度と出会うまい。
確信を持ってそう言えた。故に、ランサーは槍兵に過ぎぬ自らを惜しんだ。
あらゆる縛りから解き放たれ、戦おうという意志のままに槍を振るい、余計な悲願になど煩わされない男と生死を賭けた全霊の闘争を果たせれば、それは自分にとっての最高の誉れになるだろうと信じたからだ。
閉じた瞼に火の粉がちらつく。焼ける城にて、最期の回想を試みる。
――始まりの時は夜。
青と赤。最初の邂逅は、無人の学び舎にて果たされる。
⁂
取った、と思わされること幾ばくか。
おそらく十は下るまい。ランサーは研ぎ澄まされた直感と鍛え抜かれた経験の双方から、わずか二度目にはこの『勝利への確信』が男の誘いであると看破した。見抜いた上でなお十度。思惑に乗るまいとするこちらをあざ笑う程に自然に撒かれた隙の数。警戒されることすらも見越した計算ずくの戦闘論理。
ランサーでなければ気づけなかった隙が幾つもあった。ランサーだからこそ乗ってやった挑発が何度もあった。妙な戦い方だ、と思う。これは双剣使いが死合う相手であるランサーの強さに一種の信頼を寄せて初めて成立する戦闘だった。
白兵戦の間合いだ。つまらない言い逃れをさせないように、赤色の武人が庇う赤色の女魔術師に、ランサーは最初のちょっかい以外に一度も手を出していない。
――つまり、ランサーは本気であった。とどめだけは刺す気がなくとも、奴自身の血に塗れた地面に這いずらせる完璧な敗北の味を教えてやるという気概があった。自惚れでも油断でもなく、ランサーは敵味方の能力を正確に推し量った末で、この試合が己の勝ちで決着すると予想していた。
今もまた。今度こそ避けられぬと踏んで払った穂先の腹が、無謀にも剣を捨てた男の指先で撫でるように反らされる。ランサーの膂力は助走なしの一振りで馬車ごと馬を引き倒すだけの強さがある。それをいなすなど尋常ではなく、正しく達人の技であった。
(苦しげなのが、演技というわけでもあるまいに)
敵ははっきり言って非力だった。おそらく生きた時代が違うのだろうが、ランサーの生きた神代からすれば少年兵よりもなおか弱い。下手をせずとも自身の幼年期より劣るだろう。その覆せぬ力量差を埋めて戦闘を成立させているのは、紙一重で回避できる攻撃を狙って撃たせる男の戦闘論理と、連続する紙一重の選択で常に正解を選び続ける類稀なる戦術眼であった。
死角からの蹴りをわかっていたかのように回避される。突きを躱した硬直を狙って槍を跳ね上げ肋を狙うが、そのころには弾き飛ばしたはずの中華剣が男の手に戻っていて、渾身の力で防がれる。
男はランサーの繰り出す突きの内およそ半分も目で追えてはいまい。地力全てでランサーが上回っているのに間違いはなかった。次には倒せると何度でも確信できる。
……が、やはり倒せない。
妙な野郎だ。似たようなことを改めて思う。出会ったことのない手合いだった。ランサーが順応するのにあわせて守り方も攻め方も変え続けている。そんな小細工、いずれは尽きるだろうと見越して攻め続けたが、堅い守勢を突き崩すことが適わず、ランサーはついに大きく槍を振るって間合いを開き直した。
「――テメエ、どこの英霊だ?」
そこで名を問うたのは、別に探りを入れたいわけじゃなかった。純粋に戦士として、男の名を知っておくべきだと思ったまでだ。
しかし今は真名を秘すべき聖杯戦争。男は大した従者ぶりで、この調子では名前などとても聞き出せまい。
殺し合う相手の名すら満足に語れないとは、全くつまらない縛りもあるものだ。そんな戦争に乗ったのは自分の責任とはいえ、興が削がれるにもほどがある。
こちらは男の正体にさっぱり心当たりもないというのに、アーチャーの方はランサーの真名にあたりをつけたようである。それがまた気に食わなかった。名を知られたのなら、こちらも名を突き止めるべきだ。弓兵でありながらこれほどの使い手、制約があっても真剣勝負。このクー・フーリンを相手にして接近戦でついに一太刀も許さなかった守戦の達人が、まさか無名の英霊であるなど許されるわけがない。
――試してみようか。手にした愛槍の慣れた重みに、不意にランサーは魔が差した。あの神父から宝具を切るな、とは命じられていない。とどめを刺さずかつ敗北するなというだけの令呪である。
あり得ざるべきことだが、ランサーはどこかで、この男が己の宝具をも凌いでみせるのではないかと予感した。非才の身でありながら自分の知らない戦術でここまで自分に食らいつく名も知らぬ英霊ならばあるいは、と。一種の期待すらあったかもしれない。
必ず殺すという決意と、今一度生き延びてみろという期待が同居する複雑な心情のまま槍を構える。体に重くまとわりつくのは令呪の縛りだった。殺すつもりなら止めておけという強制を、案外死なないかもしれないじゃないかという楽観で誤魔化し魔力を込める。
――しかし。
結局、その場は決着に至らぬまま。
思わぬ目撃者によって一度目の戦いは中途に途絶えた。この中断すら今になって思い返せばなるほど運命の悪戯の妙であったが、ともあれランサーが男の名もアーチャーとしての闘い方も何も突き止められなかったという結果だけが残った。
命じられた待機時間を持て余しては、どうすれば突き殺せるだろうかと夢想する。次に逢うまで殺されてくれるなよと息災を願いすらした。このまま取り逃したとあれば名折れである。
幸い、男のマスターは優秀な女魔術師のようだった。度胸も実力も申し分ない。必ず最後の数騎にまで残ってくるだろう。
来る決戦の日。その暁にて存分に槍を振るい、矢の雨をくぐり抜け、あの男の心臓を仕留められればいい。そんなことを慰めに、来るべき日を待った。
さて、二度目までは少し日が開く。
夜の帳の落ちた教会。待ち望んだはずの決戦の時。
久しく心待ちにしていたはずの再戦の時は、しかし、ランサーの望んだものにはならなかった。
⁂
ランサーは怒っていた。より正確には、失望していたと言っていい。
教会を背に立つ男。体格でわずかにアーチャーが勝るが、視線はほとんど水平に交差する。こうして距離を取って対峙する今などは特に。
よく躾られた軍犬のように主人に従順だったはずの男の傍には、しかしあの日の女魔術師の姿はない。代わりに背に守るのは教会に潜むキャスタークラスのサーヴァント。
主替え、すなわち裏切りである。
それは――ランサーが一度男の実力を認めたからこそ――何よりも許し難い所業であった。
どんな暗君であろうとも仕え続けることこそ戦士の本分、義務のはずだ。少なくともランサーはそう信じたし、その通りに殉じて死んだ。
アーチャーはよき主人に恵まれ、忠誠を誓い、互いに信頼を寄せていた。その主を裏切り、誓いを破り、信頼に背を向けてまで生きるのならば死ぬべきだ。それでもなお生きよと命じる遠坂凛の揺らぎなさを知るからこそ、余計に許し難い。
いい女きっての頼みだ。アーチャーを殺しはしない。が、思う存分蹂躙し、あの歪んだ性根を叩き直すまでは許されよう。
槍を構える。身を低くする。舌戦など児戯にもならない。あの夜の続きを、あの夜以上の熱量で。そうでなくては鎮まらない。
怒りを殺意に。余計な感情は取り払う。ただ戦うための機構である己に埋没する。機構を回すための原初の欲求だけを煌々と、他の全ては深く深く沈めていく。
真剣勝負はこれで二度目。
三度はない、必ず仕留める。
意志と肉体が同じ目標を設定する。逸る心の瑞々しさのままに、ランサーは吼えて地を蹴った。
……負けもせず、また勝ちもない。
アーチャー自身は己が負けだと感じているようだが、それはランサーも同じだった。こちらは宝具を抜いて仕留めきれず、対するアーチャーには伏せられた手札がいくつも残っている。客観的には、引き分けだろう。
槍兵と弓兵が、白兵戦のこの間合いで、引き分け。ランサーは己の間抜けぶりを笑ってやりたい心地であった。しかも宝具を『切った』のではなく狙って『切らされた』のだ。その思惑ごと粉砕してやるつもりで乗ってやって、結局抜けきらなかった。完敗ではないか。笑わないとやってられん。
それでもランサーが大笑を堪えたのは、どうせこの男は「この惨状を見ろ、どう見たって君の勝ちだ」とか言い出すに決まっているとわかっていたからだ。論点をずらされた堂々巡りの言い争いなどつきあう気も起きない。
「で、結局俺には名前を教えるつもりはねえのか?」
白旗代わりに両手を挙げる男に対し、構えを解いた槍を肩に乗せて問いかける。
「君も案外しつこいな。この聖杯戦争において私の真名ほど無価値な情報もあるまい」
「今更テメエの出身を聞いてるわけじゃねえさ。ただ名乗りを聞かせろと言っているだけだ」
「ランサー。私の名の意味を知るものはこの世界のどこにも存在しない。それに座に戻ったなら忘れる記憶を徒に増やしてなんになる?」
言い逃れと本心が半々に混じったようなアーチャーの呆れた言葉にも、ランサーは真摯さを崩さず、僅かに目を眇めるだけで怒気を逃がした。
肩に当てていた槍を振り払うように下ろす。下を向いた穂先を手先だけで反転させて、石突きを地に置いた。意思を込めて目を合わせる。
「先の戦い、見事だった。我が宝具を真っ向から受けきった者は生前死後含めても貴様が初めてだ。比類無き勇士と認めよう。
故に名を問う。……俺にとっちゃあこれは単純な話なんだが、この流儀はお前の故郷にゃ伝わらんかね?」
真剣に言ったランサーの眼差しに、ゲイ・ボルクを前に一歩も退かなかったはずの男が怯んだように身を僅かに引いた。
挙げていた両手がゆるゆると落ちる。アーチャーは一度口を開いたが何も言わず、堪えるように目を塞いだ。白く抜けた髪をはためかせて首を二度横に振る。
「……光栄だ。クー・フーリン。私も君ほどの戦士を他に知らない。
だけど。それでも、オレには誰かに名乗りをあげるような名はないんだ」
声に皮肉の色はない。ランサーは、男の本心を初めて目にした、と感じた。
「――わからんな。名を語らず、武勲も求めず、聖杯にかける願いもなく、勝利など端から興味がない。ならば貴様は何に依って立ち、何を果たすために戦う?」
こいつはおよそ俗世に溢れる欲というものを有していない。もうそれくらいのことはランサーだって見抜いていた。しかしその浮き世から離れた性質は、現界を求め召喚に応じてここに在るサーヴァントという存在と矛盾する。
当然とも言えるランサーの疑問に、アーチャーは引き結んでいた口を重く開いてこう返した。
「果たすべきと、定めたことを果たすために」
⁂
――それで、結局いずれも決着は得られないまま。
どちらの対峙においても常に、アーチャーにはランサーとの闘いよりも大切なものがあった。言い換えれば、勝とうが負けようがどうでもよかったということだ。真剣勝負を前になおそんな不誠実な態度を取る輩の首を一度ならず二度までも逃すとは、自分も焼きが回ったものである。
己の不手際であれこれと余計なものを背負い込んだ偽りの生だったが、思いの外悪くはなかった。少なくともランサーは、『生前得られなかったような闘争を』という願いを叶えている。だから余計に、全身全霊瞬間ごとを削り合うような真剣勝負にならなかったのを残念に思うのだが。
あの、強情で融通がきかず誇りなどないと言い放った、どうあっても気の合わない男と。しがらみもなくただ戦うことのためだけに戦えたのなら、きっともっと愉しかったはずだ。
この現界も悪くはなかった。本心だ。それでも『こうあれればきっと』の妄想を止められないのは、人という生き物のサガなのだろう。
熱された空気が重く仮初めの肺に落ちる。そろそろいいか、と未練たらしい回想を終わらせようとしたランサーは、ふと閉じていた瞼を持ち上げた。
黒い武装を纏う何者かの脚が目に入る。視線を動かすのも億劫な気だるさを堪えて、ゆるゆると顔の高さまで眼球を回す。
「…………」
肩でする呼吸は荒い。今し方繰り広げた回想の中でランサーと死合っていた男が、手負いの獣のような抑えきれない執着を纏って座り込むランサーを見下ろしていた。
あるいは幻かもしれん、とランサーは初め己の正気を疑ったが、幽鬼のように立つ偉丈夫はどうやら現実のようである。
「……よお」
待っていても埒が明かないので、血生臭い口を無理矢理開いてランサーは無難な声をかけた。本当は洒落た口上の三つ四つ付け足してやりたかったが、自分の出血で溺れたような有様の呼吸の中では労力と成果が釣り合うと思えなかったので止める。
「――ひどいザマだな、色男」
と、自分も随分な瀕死状態のアーチャーが、冗談を言うような血色でもないのに懲りずに減らず口を叩いてくる。
筋金入りの強情さに、ランサーは愉快な気持ちになった。そうでなくては、という感想。そういう男だろうという期待に反しない在り方が嬉しく思えた。
「この熱い中、ご苦労なこった。看取りなら不要だ。とっとと消えな」
まさかご丁寧に見送りに来たわけではないとわかっていたが、口火を切らない男の煮え切らない態度を揶揄するつもりで素っ気なく突き放す。
軽口に乗ってこないランサーに、アーチャーは少し困ったように押し黙った。無言のまま視線のみが交わる。
……体力の問題で実行には移せなかったが、ランサーは笑い出したくなった。互いに余裕なんざどこにもないのに、まあことここに至ってバカなやりとりをしているものである。
アーチャーはしばし立ったまま逡巡していたが、どこかでガラガラと耳障りな崩落音が聞こえてくるころになると意を決したように膝をつき、ランサーと視線の高さを合わせてきた。不器用な誠実さを隠す余裕もないようで、発された声は真摯だった。
「私は見ての通りの死に体だ。だけどまだ退場するわけにはいかない事情がある。……そこで提案なんだが。君のどうせ消えるだけの残りの命、私に食らわせてくれないか」
言葉を柔らかく包むことを知らない、全く率直な申し出である。ランサー好みのわかりやすく実用的で生き汚い提案であった。
口端を僅かに上げながら、緩やかな瞬きとともにひとまずランサーは回答を保留した。代わりに問う。
「果たすべきことはどうした?」
その答えは知っていたが、まあ、間際での戯れである。『どうせ消えるだけ』の身であるのだから、多少無駄な問答を楽しんだところで咎められまい。
「それはもういいんだ。ここから先は、オレの勝手な感傷だ」
ランサーの意地悪い確認に、やはりアーチャーは生真面目な様子で答えた。
こういう無防備なところがあるから余計にこの男はタチが悪い。生前はさぞ女泣かせであったろう。
「……いいぜ。こんな残り滓でも腹の足しになるんなら、好きにしろ」
「よし」を待つ猟犬に許しを与えてやるつもりではぐらかした先の要請に肯んずる。
どうせ痛みも何も残っていない半死体だ。腕でも脚でも首でも気が済むまで持って行けばいい、と至って自然体で捕食されるのを待つ。
アーチャーは獲物自らが出したゴーサインに、「感謝する」と丁寧に返して、血と魔力に飢えたギラつく目のまま動作はあくまで丁寧に、床についた両腕を支えに前のめり、ランサーの方へと口を寄せる。
「――」
……思うに、喉笛に食らいつくのと口づけのための動作はあまりにも似ているのではないか。
首を傾ける所作、接近に伴い開かれる唇、作法のように塞がれる瞳。ほとんど相似形である。初見で見抜けというのは無理難題に近い。
なにより、傷だらけで腹ぺこだろうサーヴァントが空腹の慰めを訴えてきたこの流れで、ダラダラと流血まみれのランサーを前にまさかお上品に唇を求めてくるとは思わなかったのだ。血でも臓物でも生き肝でもなんでも好きに啜ればいいのに、まったく珍妙な野郎である。
完全に意表を突かれたランサーは、間抜けに開いた口に侵入してきた男の厚い舌を歓迎も拒絶もできず、されるがままに放置してしまった。反応のない甲斐性なしのランサーにもめげず、アーチャーは声もなく一心に舌を操っている。ランサーの血で塗れた咥内をざらついた舌で拭い、なけなしの魔力を集めようとしているらしかった。
キスというより獲物を子に譲り渡す野生動物の親にでもなった気分だ。立てる水音は一丁前に官能の場面に似た粘着性を保っていたが、いかんせんムードもテクニックも何もあったものではない。内実としては輸血のようなものだ。口を合わせてはいるが接吻ではなく人工呼吸というべきマウストゥマウスであった。
アーチャーも消滅ギリギリを踏みとどまっているようで、荒れる呼吸を懸命に繋ぎ息継ぎの代わりにランサーから寄せ集めた体液を嚥下する様はいっそ健気ですらある。
体力さえ許せば、今度こそこの現界一の大笑いをかましていたところだった。全く最後の最後まで悉くランサーの予測を上回ってくる男である。
実際のところは笑いの代わりに吐息が鼻から漏れて僅かに肩が揺れた程度になったのが残念だ。腹を抱えて転げ回り指さして笑ってやれれば羞恥に顔を赤くする弓兵が拝めていただろうに。
黙々と経口での栄養補給に努めていたアーチャーは、ランサーの精一杯の笑いの発露を抗議の身動ぎか何かに受け取ったようである。名残惜しそうに唇が離れ、
「足しにはなった。さすがの純度だな」
礼のつもりらしい感想を漏らし、寄せていた体も引こうとする。
全く俺は何度最後の力を振り絞らなければならないのか。内心で苦笑しながら、ランサーは細胞一つ分の感覚すらない腕を持ち上げて立ち上がろうとするアーチャーの後頭部へと掌を合わせる。力なんてもう入れられなかったので、腕の自重だけで男の顔をこちらへと引いた。
意図は伝わったらしく、目を丸くしながらもアーチャーは起こしかけていた体を戻し、引くランサーの手に逆らわず背を丸めていく。
「……ガキが。キスってのはこうやるもんだ」
ほとんど囁きに近い声量の呟きは、果たしてアーチャーに届いたのか。
それを確認するより前に、無防備に差し出された紅のわかりにくい男の唇に己のそれを被せる。口内に溢れているのは唾液ではなく肺に満ちて逆流した血液だったが、腹の足しには変わるまいと惜しみなく全て送り込んだ。重力に逆らって輸送されていくランサーのなけなしの魔力を受けて、困惑していたアーチャーも勿体なさが勝ったか吸い上げるように飲み下しだした。
自然、唇は深く貪りあうようなそれになる。死別を前にした恋人たちに似た熱烈さで、温度と魔力を溶かし合う血臭に塗れた口づけに夢中になった。
「――ン、ふっ……」
時間経過の覚束ない息の交わし合いの中。先に根を上げたのは与えられ満たされていっているはずの弓兵だった。それにフフンと気を良くして、肩を叩いて降参を示すアーチャーが今度こそ唇を離すのをよしとする。
焦点の合わないほどの至近距離。網膜の再現すらままならなくなってきた視界でも、なお異彩を放つ鋼色そのままの瞳を見つめ返す。
「これで最後だ。お前さんの名は?」
火の爆ぜる音。
振動も知覚できなくなったポンコツな体は、舞う火の粉の熱も厚く隔てられたようによくわからない。
それでも急かさず待った。返答に窮して黙りこむ男は、しかしいつでも振り払える弱さのランサーの掌をそのままに、唸るような声を上げた。
「……しつこいな、君も。知っている通りのつまらない男だよ、オレは」
それきり口を閉ざす。
どうも、これがコイツの精一杯の回答らしい。
「は。臆病者が」
――卑怯者が、と言わなかったのは、ランサーがアーチャーに寄せた今生の理解の全てだった。
笑い飛ばす息も絶え、男の項に引っかかっていた掌もついに落ちる。それをアーチャーは寸でで拾い上げたようだが、もう認識の外の出来事だった。
「いいさ、そのツラ覚えた。次に逢ったら覚悟しやがれ」
意地だけで最後のセリフを残す。
消えるランサーの手に頬を寄せた男が何かまだ話しているようだったが、続きは再会の日に問い質そうと、ランサーは瞼を落とすのに似た穏やかさで意識を切った。
Comments
- emikofApril 24, 2024