1
炎に焼かれた記憶は、三年やそこらで消えたりはしない。
右腕を、右足を焼かれて、右目は飛んできた木片にえぐられた。
ぼくは未だになくした手足の、右目の痛みを覚えている。失くなったそれらが、亡霊となってぼくを苛んでいる。
喪失した部分はとっくに機械の――義肢や義眼に換装しているけれど、それでも幻肢痛は未だに、神経をちりちりと灼いた。
雨の日、嵐の日、そして悪夢から目覚めたとき。
忘れるな、忘れるな。おれたちを忘れるな。
見捨てた郷里の仲間たちが追いすがるように、ぼくにそう言い聞かせる。
目が覚めたとき、ぼくの船内ジャケットの内側は、蒸し風呂状態だった。
自分の汗が体温で蒸れて、体をじわじわと熱している。冷やそうとした肉体が汗を吐き出し、また、蒸し焼きにしている。
ぼくは船内に吊るされているチューブを一本取り出して、それをジャケットの「口」にはめた。
換気用チューブが起動して、余計な熱と水分を吸い出していく。
ジャケットがぴっちりと肌に食いついた。胸や脇、腹、股間がぎゅっと締め上げられる。寝起きの生理現象で膨らんでいるそこが、じくりと痛んだ。
「大丈夫か、うなされてたぞ」
「ああ……平気だ」
親友のワグテイルが、副操縦席でそう言った。
曖昧に返事をするぼくが平気ではないことなんか、悪夢を見ていたと看破された時点でわかりきっている。しかし、いらぬ不安を煽る必要は、今はない。
小型の宇宙往還艇。夜の帷号。定員は二名。
全長四一・三メートル、空虚重量六六五トンの鉄の塊(ほんとうに、鉄だけでできているはずもないが)は、言うまでもなく閉鎖空間である。
パラシュートをつけてダイブすることも、泳いで陸に上がることもできない、宇宙という極限空間を泳いでいる。
ぼくらは確かに宇宙へ逃げた。けれど、宇宙から逃れ得る場など、ない。
「また、郷の夢か」
「うん」
「忘れちまえ、あんなところ。滅んで当然のくそったれだろうが」
ワグテイルの口調は厳しい。ぼくがまだ、ホームシックにかかっていると思っているような。
そんなはずはない。と思う。
けれど、ならばなぜ彼が悪夢から脱却して、ぼくだけが囚われているのか。
「ごめん。別に、郷愁なんかありはしないよ」
「どのみち、帰れやしないんだ、おれたちは。マーズ星じゃあ、おれたちは殺人犯だ」
「そうだね」ぼくは、無重力下で歩けるように備えられている磁力ブーツで床を踏みながら、操縦席へ向かう。
武装のたぐいは、生身にに向ければ必殺の、けれど宇宙での戦闘では屁の突っ張りにもならない豆鉄砲。申し訳程度のパルスレーザショットが二門。
それから、敵を欺瞞し、撹乱するための電磁式撹乱装置。
プリインストールされている制御AI――イブニングによる自動操縦で航行するナイトシェードは、現在、あてもなく彷徨っている。
この宇宙でそれは自殺行為である。そんなこと十五のぼくにだってわかる。
しかし行く宛がない。
三年間、なんとか曖昧に放浪者で通してきたが、同時に限界も感じていた。
いちおうの設定マーカは「近傍、水分を持つ小惑星ないしは商船・都市船」としている。補給を受けたかった。叶わなければ、氷塊なりを採取して、水分を確保したい。切実だった。
「ヴォルフ、シャワー浴びてこいよ」
親友のワグテイルがぼくに言う。気遣いは嬉しいが、そんな無駄遣いできるだけの水は、もうない。
羽ばたく者。彼は、ぼくより二つ年上のメカニックだ。
端正な顔立ちは、まるで女のよう。彼はそれが理由で、故郷では「雌男」などと揶揄されて、性的な嫌がらせまで受けていた。ワグ――ワグテイルの愛称だ――はぼくと違って、故郷を憎んでおり、あの出来事を胸がすくようだと言っている。
ぼくだって、あんな、辺鄙な場所のしなびたような、若者を締め付けるようなふるくさい土地なんか好きじゃない。やることなすことがいちいち束縛的で、ぼくだって、大嫌いだ。
しかし、嫌いだ。嫌いだったが。決して憎んでいるわけでもない。複雑な感情がそこにある。
故郷が――ミクモリの郷が灰になって、三年が経つ。
原生鳥獣――単に、WBと略されるそいつらの異常活性が原因の、一種の鳥獣災害。それによって、郷は蹂躙された。
おそらくぼくらは唯一の生き残りだ。
そしてそのとき、ぼくらはひとを殺した。
郷から逃げたとき――見捨てたとき。そこにいた、およそ二〇〇〇人を見殺しにしている。
マーズ政府はこれを「仕方がないこと」としつつも、地元当局は「看過されざる重大な大量殺人」として、ぼくらを指名手配していた。ぼくらは地元じゃあ、二〇〇〇人を虐殺した大悪党だ。
「シャワーを浴びたいのは山々だけど、水が少ない」ぼくは言った。「どっかで氷塊を取らないと。それか、商船やなんかにわけてもらおう」
「そうだな……節約はしといたほうがいいかもな。悪い」ワグは素直に謝って、「こんなおんぼろ、飛ぶだけ御の字とはいえ、だいぶ無茶させてる」
「誰が、おんぼろですか、ミスター・ヴァーグナー」
航行制御AIのイブニングの、むすっとした声が差し込まれた。
ワグは悪びれもせず、「いや、船体の話。イブは美女そのものだろ? ただ、肝心のおべべがな」
「なら、はやく出世して着飾ってくださいよ」
なかなか手厳しい女性だ、イブは。
ナイトシェードは、三年間一緒に過ごしてきた船だ。ぼくたち三人にとってはかけがえのない家である。
しかし、だからといって棺桶にするつもりはさらさらない。ぼくもワグも、イブ――イブニングだって。
そうさ。ぼくたちは出世する。この宇宙で、腕っぷしで、そしてお互いを結ぶ確かなつながりで、のし上がる。
辺境惑星の片田舎、誰も知らないまま滅んだ郷の、何者でもない若造と、ただの航行AIで終わるつもりなど、ぼくらにはない。
ぼくの名はヴォルフ。ヴォルフガング・ライスヤード。十五歳。
親友の名はワグ。ワグテイル・ヴァーグナー。十七歳。
そして、頼れるイブ。イブニング・ナイトシェード。年齢はわからない。
イブはぼくの親父とも付き合いがあるから、多分一番の年長者だ。長い事手入れもされず眠っていたせいで、光ニューロAIに、若干の記憶の欠落があるらしい。
ぼくたちは親友で、恋人で、家族で、そして逃避者だ。
すべてを無くしたぼくたちは、互いに求め合うまま、どこかに堕落していくように、この宇宙を彷徨っている。
最後に補給をしたのは、かれこれ二ヶ月ほど前。
ぼくたちが銀河共通暦――Galax Calendarとよんでいるこの暦が、地球標準周期に同期されたのは、だいたい、千年ほど前だという。
多くの銀河種族は地球標準周期を合理的なものと判断したらしく、また、新参者を受け入れる意味で、その暦を採用した。
こうした風通しの良さもあって、ソル太陽系に起源を持つとされるソル太陽系人類は、あっけないほど銀河種族の仲間入りをした。
当初危惧していたような侵略戦争は起こらなかった――むろん、それは幸運なファースト・コンタクトに限った話。
その後、ぼくたちソルズは宇宙も世知辛いという事実を嫌と言うほど思い知った。
ぼくとワグ、イブがいた星は、マーズという星である。ソル太陽系の第四惑星、母なる地球の、お隣さんだ。
ソル太陽系は銀河の基準で言えばド辺境のクソ田舎。なんとなれば、銀河共通暦が十四万年も経過してなお、あらゆる種族が近寄らず、感知さえしなかった宙域だ。
ソルズが銀河入りして二千年、銀河共通暦一四万七一四三年現在。それでもマーズは「旨味がない」とされていた。
じっさい、ソルズの資源は、ほかならないぼくたち地球起源人類が食いつぶしてしまっていたし、軍事的な戦略価値も薄い。つまり、侵略する旨味もなければ、投資したところでリターンの比率は雀の涙というわけである。
そんな鄙の地にやってくるのは、たいていが、訳アリだったり脛に傷を持つような奴らだ。
ぼくの親父はそういう訳アリだった。傭兵崩れで、郷では用心棒をしていた。
ワグも似たようなもの。彼の父親はぼくの親父の友人であった。
ワグは親子三代に渡ってメカニックで、ぼくの方はといえば母方が稲作農家をやっている家だ。稲畑という苗字も、つまり、そういうこと。
イブは先述の通り、むかしからこの船にいたらしい。それ以前の記憶がないことから、おそらく、専用のAIとして設計されてはいない……のだろう。自己認識が曖昧なAIは、せいぜいが、簡便なぷろんプロ処理が限度である。
しかし彼女は自分についての曖昧性をものともしない、明確な彼我認識を成り立たせている。
いわく、仮想シミュレータの振る舞いで、AI同士のプロンプト、そして、学習記録の取捨選択――ぼくら風に言えば、性行為による世代交代を行った結果、彼女は生まれた――らしい。
つまり、ひとの手で作られたわけではない。だから、制作者もいない。ゆえに、設計記録自体が、存在していない。
宇宙艇――ぼくたちは、「ナイトシェード号」の船内で、空腹を凌ぐように、互いの体を弄って、唇を相食むようにしてスキンシップを交わす。
ワグの、乳腺が発達する病気は先天性のものらしい。彼は、女性ホルモンが普通より多いとかなんとか。
ぼくにとってはどうでもいい。
ワグの手がぼくの髪をグシャグシャに乱す。彼にはこういう性癖があった。相手を貪り蹂躙するという、けだものめいた性向が。
それで少し満足して、離れた。
イブは、男の子同士の「じゃれあい」が好きな女性人格らしい。古き良き、オタク・ランゲージで言うところのフジョシ、である。
「ヴォルフ」ワグがコンソールを叩く。前かがみになっていたが――彼はなにか発見したようで、副操縦席に座る。
ぼくは操縦席に座って、「ああ。小惑星だ。水がある」と応じた。
「マスター・ライス」メインAIのイブニングが、柔らかな女性の声で話しかけてくる。上部のサブモニターには、夜会服をまとった、夜色の長い髪のインナーカラーを、星空のように輝かしている美女の生成映像が浮かんでいる。「氷塊を含んだ小惑星を捉えました。操縦補助を行います」
「頼む、イブ。ひとまず水は確保できる」ぼくは胸を撫で下ろした。
「幸いフードプリンタはまだ動く」ワグは採取に使うマニュピレータをチェックしつつ、「テキトウなもんを砕いてインプットすれば、食いもんを印刷できるぜ」
「マスター・ライス。目標との距離、六〇〇〇キロ」
「ランデヴ、最接近距離は八〇〇メートルにする。修正誤差は一〇キロ――いや、五キロ。なるべく燃料を節約したい。マニュアル操縦でいいかい」ぼくはワグとイブの二人に聞いた。
ワグはすぐに「意義なァし」と返答。
イブは「おまかせします、マスター・ライス」と応じた。
ふたりとも、べつにぼくに盲目的に従っているわけではない。
ワグもイブも俺の実力を知っている。
AIに自由意志や拒否権がない――なんてのは、そんなの、カビの生えた古臭い考えだといっておく。今の時代、AIにだって適切な提案、選択、肯定と拒否くらいする。
彼ら、彼女らは、とっくの大昔に、ひとつの「意思と人格」を獲得していた。
そのうえでイブは、ぼくに判断を託した。
コンソールや、操縦桿を操作。両足はペダルを踏んだり、離したりを繰り返す。パイロットには特異な才覚がいる。
航法野――人類が二〇〇〇年をかけて手に入れた、宇宙航行のための先天的な脳機能領域という、歴然とした天賦がいるのだ。
義眼が船外カメラと、ゼロタイム通信で接続されており、これによってぼくは巧みに彼我の距離を計算し、細かな補正を体感的な操縦に取り入れられる。
こういうのは、フルサイバネティクスや、宇宙空間での操縦技術が生存に直結する銀河種族なら当たり前なのだが――。
一五のソルズがこれを行うのは、稀だ。――と、自負している。
三年前はイブにおんぶに抱っこだった宇宙艇の操縦も様になってきた。彼女は教えるのがうまい。ぼくは半年でコーパイ基準になって、その一年後には、イブに頼らず飛ばせるようになった。
操縦している間は、なにかに夢中になっている間は、――ぼくはほんとうの意味で自由で、この星の海と、一つになっていられる。
そこには余計なノイズも、過去から襲いかかってくる亡霊も、幻肢痛さえもありはしない。
熱湯に落とした砂糖のように。
ぼくたちは、この宇宙に散逸する。
メインカメラが目標小惑星を補足。全く同時に、義眼もそれを捉える。
目標は、一見すると止まっているように見える。しかし、じっさいは惑星の重力を振り切るような速度で飛翔しているのだ。
それこそ、星と激突すれば、双方が爆散するような勢いで。ちっぽけな宇宙艇が下手なランデヴをすれば、爆散どころか、消滅することは容易に想像がつく。
「ワグ、ランデヴ軌道に乗った。目標氷塊採取は手早く頼む」
「わかってる、ヴォルフ。イブ、いまのカーゴ空き容量は?」
「およそ一三〇トン。目標から採取できる氷塊は、カーゴ総容量一六〇トン以上です。提案、八〇トンの氷塊が理想的かと。燃料を考えると、それ以上は危険です」
「そうだな、あんま重いと推進剤が足りねえ」
当然だが、重たいものを飛ばすには、相応の推進剤がいる。
人類が銀河入りし、最初に手にした恩恵はエルダスという特殊なエネルギー物質だ。
これによって、対消滅機関を超える推進力を得た人類は、より安定した恒星間移動を可能とした。
ぼくたちが用いるこの宇宙艇もまた、そのエルダスを推進剤としている。
しかし、夢のような物質だって、無限に積み込めるわけではない。
安全上の積載制限があるし、なにより、質量比という問題がある。燃料で重たくなった船は、より多くの燃料で飛ばさなくてはならないというパラドックスが、どうしたって存在するのだ。
それはずっとずっと昔、ぼくらが地球に縛られていた頃から変わっていない。
荷運びのロバの腹を満たす餌を運ぶために、別のロバがいる。そういうわけだ。
と、目標小惑星が近づいてくる。
最接近――距離は、八三三メートル。理想的というか、過去一と言えるくらいの数値だ。無修正のランデヴ軌道でこれ。ぼくの腕も、もうプロ顔負けではないか。
遠点噴射を行い、相対距離をゼロにする。
愛機ナイトシェードから着陸脚が伸びる映像が、サブモニタの一つに写っている。
その着陸脚が、がっちりと、小惑星の岩肌を掴んだ。
「ランデヴ完了、ワグ、頼む」
「前戯なし、ちと荒っぽいが許せよ、小惑星ちゃん」
「冗談はいいから」
ぼくは笑いつつ、油断なくレーダを睨む。
噂では、原生鳥獣の中には宇宙空間に到達し、適応する宇宙鳥獣までいるという。
それこそ、トクサツ、というアニメ・ジャンルの定番モンスターである……カイジュウというようなやつだろう。
ギレルモ・デル・トロという旧時代の監督の映画を見たことがある。巨大ロボが、怪獣をやっつけるという、まさにトクサツ的な映画だった。
削岩用のドリルが、岩肌を砕いていく。ワグは両手に持っている、さながら、ゲームコントローラのようなもので、それを操作していた。
周囲の岩を砕き、割って、レーザ照射で弾き飛ばしていく。
やがて見えてきたのは、氷の塊だ。
「よし、こいつを掴みだして、曳網でカーゴに引っ張り込むぞ」
「乱暴だな」ぼくは思わず言う。
「仕方がない」ワグは、コントローラのスティックを小刻みに弾いたり、ボタンを押し込んだりしながら答える。「お古の宇宙艇だ。採掘、砕氷できるだけでも奇跡なんだぜ」
この船艇は、ぼくの親父の持ち物だ。
ナイトシェードという名前も、船内の傷と弾痕が穿たれた装甲板に、ペンキで乱雑に書き殴られていたものである。実はこのナイトシェードが艇の名前かどうかわからない。
イブの苗字にこそしているが、それは、ぼくらが勝手につけただけである――イブも、気に入ってくれていたけど。
とにかく、ナイトシェードは親父がマーズへ乗り込んだ際のものだと、親父がそう言っていた。
リールを操作して、氷を絡めた曳網を巻き上げていたワグが拳を小さくあげた。
「よし……カーゴに入れた。推定、七三トン!」
「ご明察です、ミスター・ヴァーグナー。七三・三トンの氷塊を採取しました。利用可能水分を計算――向こう半年は飲み水、シャワーに困りません。やりましたね」
「やったぜ」ぼくは快哉を叫んだ。「さっさとずらかろう」
「下手なもんが激突したら、デブリシールドも破られるからな」
と、イブがサブモニタの中で顎に手を当てる。
「忠告、距離二八万五四〇〇キロ先、商船の航行軌道変更を取得しました。当機の航行修正を行うべきです。商船へ衝突しかねません」
「ふうん?」ワグは端正な顔をメインモニタに向ける。「商船が軌道変更、ってのは、まあ彗星やらを回避するためかな?」
「おそらく。それから……」イブがこのように再提案する。「補給交渉をしてはいかがでしょう? たったいま採取した氷塊は、取引資源になります」
宇宙空間において、飲水、生活水の水源である氷塊は、「現物通貨」として有用だ。
「渡りに船だ。おれたちにもツキが回ってきたんじゃないか」ワグがぼくの肩を叩いた。
「ああ。行こう。なにか仕事をもらえるかもしれない」
それが、出世の蔓を掴むきっかけになるんじゃないかと、そんな気もしていた。
コメント投稿
スタンプ投稿
このエピソードには、
まだコメントがありません。