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夏。14歳。三泊四日。ホームステイ。/Novel by キューイ

夏。14歳。三泊四日。ホームステイ。

16,255 character(s)32 mins

アーケードセタ弓現パロ
・セタ(14歳)×エミヤ(アラサー)
・セタンタが少し子供っぽい
・直接的な部分はないけど、一部性的な内容が出てきます(R15ぐらい?)

何でも美味しい人向け。
少しでもお楽しみいただけると嬉しいです。

表紙は䑓様(user/1817022)様のフリー素材お借りしています。

1
white
horizontal

 シャンシャンシャン。シャンシャンシャン。
「はっ……はっ」
 シャンシャンシャン。シャンシャンシャン。
 絶え間なく聞こえる蝉の音の中。見通しの良い直線道の端。幅は車二台がなんとかすれ違える幅。履き慣れたスニーカーで、主に砂利と青々とした草、たまにコンクリートを踏みしめた。障害を避けようと、大きく体を揺らすと、青い三つ編みが揺れる。
 時刻は七時。眩しい東からの光は、木、草、土を照らし木陰を作り出していく。この村はもう目を覚ましだす時間のようで、犬に散歩の他に農作業へ出かける人々や、軽トラックに軽自動車とも数台すれ違った。
「ふう……」
 息をついて忙しく動かしていた足の速度を落としていく。ゆっくりと足踏みをして、軽く伸びをして……身体にもう朝の運動は終わったのだと伝えていく。
 ゆっくりと向かっていくのは、一軒の平家。
 周りの家と田んぼで隔たれているその家は、塀の代わりによく手入れされた草木が敷地を囲み、家の横には赤い軽自動車が一台だけ止まっている。
「おかえり」
 玄関代わりの境界ブロックを超えた頃、男が一人現れる。ホース片手に白銀の短い髪を大きな麦わら帽子で覆った褐色の男である。筋肉質の体にあまり似合っているとは言えない姿の相手に、セタンタはほろりと笑う。
「ただいま」

 白い肌に赤い瞳、背中まである秋空のような青い三つ編みが特徴的な少年。セタンタと、この平家の家主の青年エミヤとの関係は『家族』ではない。
 セタンタが彼と出会ったのは3年ほど前。春空のような浅葱色の髪を持つ従兄弟に連れられてショッピングモールに行った時。
 従兄弟が友人を見つけ、声をかけた。知り合いを見つけても相手が気づくまで何もしないことが多い従兄弟が珍しい。と思ったことを覚えている。その友人がエミヤだったのだ。
 当時、小学生であったがもう高学年。人見知りをしない性格であったセタンタはすぐにエミヤと溶け込んだ。当時セタンタがハマっていた総合格闘技選手の話で盛り上がったり、エミヤの趣味だと言う料理の写真を見せてもらったり、従兄弟について内緒の情報交換をしたり。彼と過ごす時間は楽しく、それ以来、たまに従兄弟経由で彼と会うようになった。
 現在のセタンタは思春期真っ盛りの十四歳、学校は夏休み期間中である。
 休みといえど、所属している陸上部はほぼ毎日練習があるのだが、世に言う『盆休み』で珍しい四連休が与えられた。部活動の仲間や学校の友人は、親の実家に帰ったり、家族旅行予定であったり、恋人と念願の1日デートの計画を立てたりと浮かれているようだった。しかし、親の故郷が海外。加えて外資系企業に勤め。ちょうど気になる女子もいなかったセタンタには、特別予定がなかった。
 四日間、適度に自主練して、ゲームでもしながら過ごそうと思う。
 お盆休みの三日前、そんな話を丁度やって来ていた従兄弟にすれば、彼はニヤリと笑いながらこんな提案をしてきた。
「じゃあ、エミヤん家にホームステイさせてもらうか」
 中学になってから久しく会っていなかった相手の名前に少し心を躍らせながらセタンタは頷いた。従兄弟は完全に思いつきで提案したようだったが、その日すぐにエミヤから大丈夫だと、直接セタンタの家に電話があった。
 電話に出たセタンタに、両親に話をさせて欲しいということで、電話を代わり、エミヤについて従兄弟に前々から話は聞いていたこと。部活動での合宿も経験したこと。自分たちが仕事で何もしてやれないことから、両親は了承した。
 お盆休みの1日目。必要だと思うものを詰め込んだリュックを背負い、従兄弟が迎えに来た白い自動車の助手席に乗り込んだ。流石に目に見えてはしゃぎはしないが、修学旅行や遠足と似たような気持ちに心を躍らせた。
 住宅街を抜けて、国道沿いを走り、ぐねぐねと曲がった山道。トンネルを三つ抜けていく。途中、疲れただろうと道の駅で、アイスを片手に一休み。青く輝く海を通り過ぎ、また山道を登っていけば、景色は夏の日差しを浴びた田畑の緑でいっぱいになる。
 家を出るときは東にあった太陽が、真上に移動した頃。
 車の扉を開くと、蒸し蒸しとした空気が身体に触れる。鼻をくすぐるのは、学校の近くの雑木林で嗅ぐような湿った土の香りと、草の香り。目に映る影と日向は、別世界のように彩度が違う。周りに高い建物がない、緑と茶色の世界へセタンタは降り立ったのだ。
 今は滞在2日目の朝。
 昨日は、小さな村だからと周辺住民と村長への挨拶回りでほぼ時間が潰れた。エミヤが用意してくれた早めの夕食を三人でとったあと、従兄弟は一時間ほど仮眠をした後、4日目の朝に迎えにくるからと残して帰ってしまった。
 部活動で体は鍛えているし、体力に自信はあったが精神的な疲れもあったのだろう。湯船に浸かり、髪を乾かしたセタンタはエミヤより先に泥のように眠ってしまった。
 セミの声で、目を覚ましたのは六時。既に服を着替えていたエミヤに、軽くトレーニングをしていいかと訪ねて、セタンタは走り込みを行なっていたのだ。身体が鈍り切らない程度にと軽めの走りであったが、汗は出るものでエミヤが勧めるままシャワーを頂いた。ふかふかの白いタオルで体を拭いて髪を乾かし、持ってきた白い半袖Tシャツとお気に入りの黄色いハーフパンツに着替えて居間へ向かえば、テレビでしか見たことがなかった丸いちゃぶ台に、朝食が準備されていた。
「和食で大丈夫かな? 何か苦手なものや禁止にしているものがないか聞くのを忘れていた」
 お茶碗からこんもり顔を出した白米に、ビニールに入った焼き海苔。大振りの梅干し。綺麗な狐色がついたネギ入りの卵焼きに、ふっくらしている焼きたてシャケの切り身。白胡麻がかかったほうれん草のおひたし。茄子と豆腐と玉ねぎが入った味噌汁。絵に描いたような和朝食にセタンタは目を輝かせながら首を横に振った。
「オレ、どっち?」
「では、こちらに」
 掌で案内された座布団の上に、すぐあぐらをかいて座る。鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌のセタンタに、エミヤは小さく笑う。
「ご飯のお代わりはあるから。梅干しと焼きのりも」
「やりっ!」
 喜びを元気よく口に出すとセタンタは勢いよく両手を合わせる。エミヤもゆっくりとそれに倣い二人の声が重なった。
「「いただきます」」
 まずは、シャケの切り身に手をつける。シャケは口へ運ぶと油と身の香りが口いっぱい広がった。
 飲み込んだ後舌に残るしょっぱさにご白米が欲しくなる。白米を口へ運べば、またしょっぱさが欲しくて梅干しを……。ループは止まるところを知らない。気づけば夢中で茶碗片手に何度もおかずを口へと運んでいた。
「うめぇ!!おかわり!」
「お口にあったようで何より」
 すっかり空になった茶碗を差し出す。エミヤは嬉しそうに笑うので、食事からきていた幸福感が更に増して、胸も心もぽかぽかする。従兄弟のいない二人きりの食事。しかも、エミヤの手料理。そして、美味い。初めてのシチュエーションに、ここへやってきて良かったとセタンタは心の底から思った。
 結局、白米を三度。セタンタは梅干し一度おかわりをし、朝食を終えた。
「ごっそさん!はー。うまいうまい」
「はい、お粗末様」
 きついわけではないが、余裕があるわけでもない腹をさすりながら息をつく。その間に、エミヤはセタンタの使っていた食器を重ねて持ち、立ち上がる。彼の行動に倣って、セタンタはちゃぶ台に残されたエミヤの食器を重ねていった。
「君はお客さんなんだからゆっくりしてくれていいんだぞ」
「泊まらせてもらってんだ。手伝う」
 セタンタの返事に少しばかり驚いた顔をしたエミヤだったが、何かを少し考えて、小さく頷いた。
「そうだな。じゃあ、ついてきてくれ。私が洗った食器を拭いてくれるかい?」
「応!」
 
 台所で食器を片付け、一息入れようとエミヤは冷たい麦茶をいれてくれた。
 家の割には小型なテレビの中では、女性タレントが「今日も暑いですね」と都心から現在の温度や湿度を伝えている。
 室内に置いてある室温計を見るに、この地域はセタンタが住む場所より少しばかり涼しいらしい。
 実際、今は空調がいらない。代わりに襖は開いていて、蚊取り線香の香りがほどよくする。夜、寝る時間にはタイマー付きで空調をつけてくれていたが、扇風機だけで過ごせそうな気もする。
 液晶に表示された時刻が10時を過ぎた頃。セタンタのコップが空になったのを見て、エミヤは口を開いた。
「そろそろ買い出しに行くのだが、今日の夕飯は何がいい?」
「俺も行って決めたい」
「では、一緒に行こうか」
 コップを片付けて、ちゃぶ台を拭いた後、二人は赤い軽自動車に乗り込んだ。
 流石に空気の入れ替えをしていなかった車内は蒸し暑く、あわてて窓を開く。
 運転席にエミヤ。助手席にセタンタ。道があまり整備されていないこともあるのだろう。正直、従兄弟の車より乗り心地は良くない。しかしそれが非日常感を引き立てているのか、セタンタの心の中は踊り出す。
 いくつになったんだったか。学校は楽しいか。
 クリスマスに、うんざりするほど親戚に問いかけ続けられている質問だって、楽しく答えることが出来た。
 最近は何にハマっているのか。陸上部は楽しいか。セタンタの答えを嬉しそうに受け止めて新しい質問をゆっくりとエミヤは投げかけてくる。決して、部活動や学校の友人と馬鹿騒ぎするような盛り上がりはない。どちらかというと穏やかな時間が流れるのだが、セタンタが彼といて飽きることはなかった。
 車で20分ほど走って着いたのは、国道沿いのスーパー。
 昼は暑いし素麺だ。夕食は何がいい。というエミヤの問いに、ぱっと浮かんだ「ハンバーグ」をセタンタが口にするとエミヤは楽しそうに「了解」と返した。
 帰宅後の昼食。宣言通りの素麺。麺は市販のみのではあるが、つゆはエミヤ特製。庭で栽培しているきゅうりとトマトが添えられているお陰だろうか。自宅で口にするものとは一味違い、いつも以上に箸が進んだ。
 食器を片付けた後、部屋の扇風機をつけ、エミヤはちゃぶ台の上、買い出しに行った店のレシートを取り出してノートに何かまとめ始めた。セタンタは、畳の上大の字で寝転ぶ。エミヤの短い白銀の髪が時折風で動くのをセタンタは飽きずに眺めた。
 扇風機の風、井草と蚊取り線香の香り。居間に座る褐色の成人男性。
 おそらく、彼にとっては日常的な出来事なのだろう。けれど、セタンタにとっては空間が酷く新鮮で、心の中は踊りっぱなしだ。
「私は少し出かけるが君はどうする?」
 レシートを手動のシュレッターにかけゴミ箱へ捨てた後、ノートを元あった場所に戻しながらエミヤは尋ねた。
 時刻は、13時。薄ら汗を描き始めた頃である。
 本日、彼と過ごす以外に用事があるわけではないセタンタの返事は決まっていた。
「俺も行く」

 シャンシャンシャンシャン
 右から左から、蝉の鳴く声が聞こえてくる。
 日差しが強いからとエミヤに被せられた麦わら帽子と、斜めがけの水筒をぶらさげてセタンタがやって来たのは山の中だった。
 少しばかり足元が不安定な、いわゆる獣道を歩いていく。
 生い茂る木々から出来る日陰があるためか、山へ入る前より暑さは和らいでいる気がする。暗い色の葉の間には、何度か知らない虫がひょこひょこと飛んでいる。たまに蚊が飛んでくるが、虫除けスプレーのお陰か吸い付いてくることはない。
 大きめのトートバックを肩にかけて歩くエミヤの背中を見上げる。
 セタンタよりずっと大きくて広い背中だ。少しキツそうな黒いポロシャツに小さなシミが出来ている。日陰の中、首筋を流れる汗が見えて、セタンタはごくり。と唾を飲み込んだ。
「さて、ついたぞ。お疲れ様」
 獣道を抜けた先にあったのは、名前が刻まれた長方形の石が並ぶーー墓地である。よく見れば、セタンタ達がやってきた道と反対方向には簡易的な駐車場があるようだ。
「水分をとって少し待っていてくれ」
 そう言うと、近くにあるプレハブ倉庫へエミヤは姿を消した。
 周りを見回す。敷地自体は一周するのに5分とかからないだろう。暑さの中で少し傷んでいるようだがまだ新しい果物や、まだ綺麗な色を保っている花。中にはビールやワンカップが備えられている。そういえば、お盆休みとはそういう時期だった。セタンタは水筒に口をつけながら思い出していた。
「お待たせ。こっちだ」
 戻ってきたエミヤの手には、水の入ったバケツと柄杓が握られている。
「日差しが強いから、気分が悪くなったら言うんだぞ」
「そんなやわじゃねぇよ」
 日陰から日向へ一歩足を進める。そのまま、エミヤの後ろを進んで、比較的まだ新しい花が添えられた墓石の前で立ち止まる。エミヤの表情が少し優しいものになった気がした。
「何をすればいい」
「じゃあ、これを持っていてくれるか。あと、中から線香とライターを出しておいてくれ。巾着の中にある」
 そう言い、エミヤはセタンタにトートバッグを預け、腰を下ろして砂利に生える小さな雑草をむしり始めた。先ほどまでの道のりで影を作っていたような木々は近くになく、強い光がエミヤを照らしている。
 汗染みが少しずつ大きくなっていくのを見つめる。夏の昼間。暑さを吸収すると理科の授業でセタンタさえ知っている黒い服で上下を揃えて、墓の前にいる姿は、曽祖父を送った日に感じた『喪』を思い出させる。
 その懐かしんでいるような。悲しいような。うまく表現できない雰囲気に、今までエミヤへ感じたことない気持ちが湧き上がってくる。さて、何なのか。一瞬考えてしまうが、すぐにそんなもの蹴散らそうと首を横に振って、セタンタはトートバッグを開いた。
 中にあったのは、財布にエコバッグ。彼の言っていた巾着。布の小物入れ。タオルと手ぬぐいに、真新しいビニール袋が三つ。
 あとは、煙草一箱。
 エミヤが煙草を蒸しているところをセタンタは見たことがない。従兄弟はたまに蒸しているが、パッケージは違う。銘柄もコンビニやスーパーで見た記憶のないものだ。大人とは常に携帯しておくものだろうか。
「すまないが、ビニール袋はあったかな」
「はい」
 エミヤの言葉にトートバッグからビニール袋を手渡す、彼の首筋にはまた汗がながれていて、手は熱かった。かくいうセタンタも首筋に三つ編みからあぶれた中途半端な毛が張り付いている。ビニールに抜いた雑草を入れると、今度はバケツにくくりつけられた柔らかいスポンジを水の中に付け、エミヤは墓石を撫で始めた。
「あついだろ……」
 優しく手を動かすエミヤの口から出た小さな言葉は、セタンタに向けられたものではない。黙ってセタンタは、分からない誰かに思いを馳せているエミヤの見つめていた。
「すまない、待たせて。君も線香をあげてやってくれるか」
 バケツの中で軽くスポンジを水洗いした後、エミヤは振り向いた。
 彼の言葉に、スライド式の入れ物から一本だけ緑の線香を取り出して、仕舞う。
 セタンタの様子に、エミヤは小さく笑って手を差し出した。こちらに渡してくれ。という意図を汲み取ったので、トートバッグを差し出すとエミヤは再度、線香の入れものを取り出し、四本ほどセタンタに握らせた。そして、カシュッと100円ライターで火をつける。セタンタが線香を傾けると、先が黒くなり、不思議な香りを帯びた煙が空へとのぼっていく。
「世話になった人が眠っていてね。一緒に来てくれてありがとう」
 柔らかく笑うと、エミヤは布の小物入れから丸い石がたくさんついたブレスレットーー藍色の房がついた数珠を取り出して手を合わせる。
 目の前にある墓石に眠る相手の顔も年齢も性別もセタンタは知らない。ただ、エミヤが『世話になった人』であるなら、何かしら感謝はすべきだろう。ぼんやりそう思い、セタンタも同じように手を合わせて目を閉じた。
「朝に来るべきだったな。流石に暑い。君は日陰に行っておいで」
「エミヤは?」
「少しだけやることがってね。すぐに終わる」
 目を細めてエミヤは、なんとなく今までと雰囲気が違って、「なら一緒にいる」とはどうにも言い出せなかった。何もしないで待っているのも、またよく分からない気持ちが湧き上がっていそうで落ち着かない。代わりにバケツの片付けを申し出れば、「なら頼む。スポンジは軽く絞ってくれ」とプレハブ倉庫の鍵を託された。
 普段のトレーニングのこともある。バケツは水の量も少なくて、それほど重くは感じない。
 チラリと振り向いてみると、線香とは違う煙が上がっていた。それに、セタンタは口の中が苦くなるのを感じた。
 プレハブ倉庫を開くと、そこには同じようなバケツや杓水がいくつも積まれていた。水を捨て、言われた通りスポンジから水を吐き出させていく。といっても、日差しのおかげがほとんど水分はなくてあまり意味のない作業のようにも思えた。倉庫へバケツと杓を直して鍵をかけた頃、エミヤがやってきた。
「付き合わせて悪かった。汗でびしょびしょだな。帰ったらシャワーを浴びて、アイスでも食べようか」
「やった」
 ほんのり彼を取り巻く香りは変わっている。それを意識すれば、また、よくわからない気持ちが湧き上がってきて、今度は胸まで熱くなっていく。

 下りの山道は行きよりバランスが取りにくい場所もあったが気持ちは楽であるし、速度も速い。今まで知っていたのと違うエミヤと、もう少し長く居たいような。早く戻りたいような。ハッキリしない気持ちを振り払うように、足元だけをみて川の間の石を跳んで渡るような足取りで下っていく。
 お世話になった人。とはどういう関係なのだろうか。以前なら気兼ねなく口にしていただろう質問が、どうにも不躾な気がして出来ない。『嫌』とも違う、なんと表現すればいいかわからない気持ちが湧き上がってくる。ぐるぐる頭の中が回っていく。まるで、記録が伸びなくてただ、がむしゃらにトレーニングだけ続けていた時と同じ気持ちだ。
『何か見逃しているのでしょう。落ち着いてみてはいかがですか』
 顧問の言葉を思い出す。一度、落ち着こう。深呼吸して目を閉じた。
 足を止めないままに。
「セタンタ!」
 叫び声が聞こえ、セタンタの視界が大きく揺れた。
 咄嗟のことであったが、反射的に受け身を取り地面に尻餅をつく。すぐに分かった。足を踏み外し、転けてしまったのだ。周りには長い名前も知らない草が生い茂っている。
「いって……」
 顔を上げると、獣道の端にくっきりと愛用のスニーカー裏の模様がついている。どうやら、水が溜まって出来たぬかるみに足を取られたらしい。ぼんやりしているセタンタに駆けつけてきたエミヤは、険しい顔をしていた。
「油断しちまったわ」
 そう、セタンタは悪戯っぽく笑って見せる。立ち上がろうとした時、ジクリ。痛みが走る。
 視線を下ろすと、くるぶしに赤い粒が出来ていた。同時に見えた地面にはキラキラと光るものーーガラスが散らばっている。
「少しこちらへ。歩けるか?」
 険しい顔のままのエミヤがセタンタの脇に手を回し連れてきたのは、大きな木の下。トートバッグから取り出したタオル地面に置いて、座るように促される。傷口は大きくない。少し痛む程度で歩けないことはない。そう口にしようとしたがあまりにもエミヤの顔が真剣で、何も言えなかった。
「靴と靴下脱がすぞ」
「あぁ」
 エミヤのゴツゴツとした両手が靴紐を解いていく。ゆっくり丁寧に、百貨店の店員がするように靴を足から外す。次に少しだけ縁が赤く染まった白い靴下をゆっくりと脱がしていく。
 見下ろせば、白銀の髪がある。こんな角度で彼を見るのは初めてだ。
 目の前に広がる光景に、セタンタの胸の鼓動が速くなっていく。セタンタの素足に、エミヤの指の熱が伝わっていく。傷口を真剣に見つめる鉛色の瞳に、ごくりと思わず、唾を飲み込んだ。
「ガラスは入っていないな。出血も見た目ほど影響はなさそうだな……少し、気持ち悪いかもしれないが……我慢できるか?」
「おう」
 真剣なエミヤの言葉。『痛い』ではなく、『気持ち悪い』という単語に疑問を抱きつつ。セタンタは頷いた。
 温かい褐色の手が、白い足と、足首を優しく包み込む。少し位置を上げると、そのままゆっくりエミヤの顔がそこへ近づいてくる。
 胸がどきりと跳ねた。ドクドクドクドク。鼓動が先ほどより速くなる。
 何をするのかーーなんとなく予想がついた。
 そうなると、心の中はざわめきっぱなしで、顔が熱くなり、息を思わず止めてしまう。
 薄い男の唇が傷口に触れる。そして、そのまま小さく口を開いて、傷全体をやさしく包み込んでいく。
 日陰の中、生温かさを感じる。近くにある白銀の髪、汗でじっとりとした褐色の肌、閉ざされた鉛色の瞳。細くて短いまつ毛。
 エミヤがセタンタの足に、吸い付いている。
 目の前の光景に、ゾクリと身体を走ったものはやがて身体を熱くしていく。
 周りの音が一切消えなくなる。ムズムズしているのに、赤い瞳は動けない。思わず息を止めて、集中してしまう。
 吐息で皮膚が撫で、ペロリと唇を舐めると、エミヤはカバンから取り出した四角い大きな絆創膏を取り出した。
「大丈夫か?顔が赤い……」
「だ、大丈夫だ」
 心配そうなエミヤの顔に、ハッとして呼吸を取り戻す。
 シャンシャンシャンシャンシャン
 ミーンミンミンミン
 ーーセミのなく声が聞こえ、汗が頬を伝う。


 井草の香りがする空調の効いた部屋。並ぶ夏用布団は二組。二つの布団の距離は、布団縦半分ぐらい。客間には空調がないからと、昨日からこうして、セタンタはエミヤの寝室並んで二人眠っている。
 襖の向こう側からは、昼間とは違う少し高い虫の音が聞こえてくる。今の時刻は何時か分からないが、『おやすみ』と声を掛け合ってからそれなりに時間は経っていた。一度、目を閉じたものの、うまく眠りにつけずセタンタは寝返りを打つ。
 昼間、エミヤはセタンタをおぶって、知り合いだと言う白髪の青年に足を診せに行った。
 表情が少ない短髪白髪の青年曰く、見た目は派手だが、大したことない切り傷だという。消毒をして、ガーゼを傷に被せて包帯で固定してもらう。見た目だと、捻挫のようなそれに「大袈裟だ」と苦笑いをしたセタンタだったが、エミヤは真剣な顔で「大事な足だろう」と答えた。それはきっと、セタンタが陸上部に所属していることを知っているから出た言葉なのだろう。
 帰宅してすぐにエミヤは電話をかけた。相手は、従兄弟である。
 一通りの状況説明と、謝罪を何度も口にする。
 何度もつけたことがある傷と、さほど変わらないのに。セタンタがなんとも居た堪れない気持ちになっている中、彼は電話を差し出してきた。
「どうよ。わんぱく中坊。足の調子は」
「こんなの、へでもねぇなの。そんなやわじゃない」
 愉快そうな声で茶化す従兄弟の言葉に、どこか緊張が解けてセタンタからため息が漏れる。すると、ケラケラ笑い声が聞こえて来た。
「あいつなりに責任感じてんだよ。お前は未成年、あいつは一時的でも保護者なんだ」
 従兄弟の言葉に、セタンタは顔をしかめた。『保護者』の言葉が、どうにも心の中でつっかえる。状況的にそうであることを頭で理解はできるのだが、なんだか気に入らない。
「お前の父ちゃんと母ちゃんには俺から言っとく。どうせ、似たような傷一年のうちに何度も作ってんだろ?あ、エミヤにもう一度変わってくれるか」
「分かった」
 セタンタと同じ温度で、傷を受け止めている従兄弟にホッとした。
 眉を少し下げて二人分遠くに立っていたエミヤに電話を差し出せば、彼は目を細めた。
「もういいのか?」
「あぁ」
「では、風邪を引くといけないからシャワーを浴びておいて。足にはこれを巻いてくれ」
 そう言って、手渡されたのはビニールだった。
 包帯を濡らさないようにということなのだろう。絆創膏を貼って入ればいいのに。と大袈裟な対応に戸惑いはしたが、セタンタは素直に頷いてその場を後にした。
 不安そうな視線感じながら、廊下を経由し、脱衣所に向かう。
 汗で不思議な模様を描いたシャツを脱ぎ、次に、ボトムとパンツを脱ぐ。洗濯物はここに。と昨日教えられた洗濯カゴへそれらを入れているとき、近くに洗面器があることを思い出す。そこには、セタンタの靴下がある。履き口に色を変えた血が染み付いた靴下だ。脳裏に、森の中でのできことが浮かぶ。
 木陰の暗さの中に感じた温かさ。映った光景。身体がなんだか痒くなり、慌ててシャワーを浴びて気を紛らわせ入浴をなんとか済ませる。
 準備されたパジャマに着替えて、居間へ向かうとまだ、通話中のようだった。咄嗟に廊下で足を止める。まだ、謝罪をしているのか。不安になったが、声色に重さはなくてただ雑談をしているようで、ふうとため息をつく。
 念のため様子を見ながらゆっくりと心地いい冷たさの廊下を進んでいた時、こんな言葉が聞こえてきた。

「いくら私が男性を好んでいるとはいえ、子どもには手を出さないよ」
 
 布団の柔らかさを感じながら、綺麗な仰向けの状態で静かに寝息をたてている青年の顔を見つめる。
 あの言葉がどんな表情で紡がれたのかは分からない。
 しかし、セタンタの知る限りこの青年は冗談でもそんな事を言いはしない。あれだけ楽しみにしていた、彼と買い出しに行った晩御飯のハンバーグの味はよく覚えていない。ただ、胸の奥から、体がどんどん熱くなっていく。ぎゅっとシーツに皺を作り、身体を丸めてみるが、熱は収まりはしない。小さく開いた薄い男の唇を見ると、顔が熱っていくのが分かる。
 この感覚をセタンタは知っている。親がいない友人の家で秘密で見た動画を見た時の感覚。先輩に甘い言葉で誘われたときの感覚。
「……」
 ぎゅっと目を閉じた中、浮かんでくるのは蝉の鳴き声と湿った褐色の肌に、熱い吐息。

 盆休み。三泊四日の二泊目。自分が何を感じたのか。この気持ちはどんな気持ちか。セタンタは夢の中で気が付いた。

 ミーンミンミンミン。ミーンミンミンミン。
 青く晴れた空の真ん中にある太陽から、燦々とした光を降り注いでいる。
 時刻は十二時半。今日の昼食は、エミヤがご近所さんから貰ってきたざる蕎麦だった。薬味のネギは裏庭で栽培しているもので、なめことオクラの和物が添えられている。
 いつもなら、一人前ではもの足りない量だ。
 なのに、セタンタの腹はまだ足りないとは叫ばない。おかわりを口にもしない。
 足の怪我ももう大丈夫だろうと、大袈裟な包帯から四角い絆創膏に変わっている。
 朝、走り込みはちゃんと出来た。日差しはそんなに浴びていないし、今日は暑いからと、襖を閉めた居間には空調が効いている。別に、体調が悪いわけではない。
 ちゃぶ台の前、いつもでは考えられないほど、静かに座る少年に、片付けを終え麦茶をいれたエミヤは話しかける。
「もし、よければ、今日家まで送って行こうか?」
「え?」
 大人が子どもに話しかける優しい声に、セタンタは顔を上げる。
「二時間の旅が快適とは言い難いが、自動車はある。家の鍵は君が持っているだろう?ここで我慢する必要はないんだ」
 彼は眉を下げて、彼にそう言わせる原因は心当たりはあった。
 今朝、セタンタは、目を覚ました時不快感を覚えた。それが、何であるかは、昨晩と同じようにすぐに分かった。いや、それこそが原因なのだ。ゆっくりとタオルケットをめくったそこは、生臭い匂いで湿っていた。
 ここはエミヤの家で、隠すことなくそれは見つかって、彼は「仕方がないよな」とただ笑ってシーツと布団を片付けてくれたのだ。
「もう、ここには……私とは顔を合わせたくないだろう」
「っ。んなことねぇ!」
 恥ずかしい。理由も理由で、気不味い。いろいろな感情は渦巻いている。けれど、その中にエミヤを拒否する気持ちはひとつもなくて、思わずセタンタは声を荒げた。先ほどまで元気のなかった少年の突然の大声に、エミヤは目を丸くして驚いていた。
 彼の表情にハッとして、セタンタは口を閉じた。そのまま唇を噛み締める。
 駄目だ。このままじゃ。駄目だ。中途半端な状態じゃ。そんな気持ちから、首を一度横に振り、深呼吸して顔を上げた。
 真っ直ぐ見つめる先は、エミヤで、はっきりした感情を口に出す。
「俺は、エミヤのことが好きだ」
 一瞬だけ、音が消えた気がした。セミの音。空調の音。遠くで聞こえる車の音。
 全部全部、聞こえず、エミヤだけがそこにいるようである。
「エミヤのことが好きだ。だから、エミヤを思って……欲情してあぁなった。正直恥ずかしいけど、明日まではお前のそばにいたい」
 赤い瞳でまっすぐに思い人を見つめながら、素直な願望を口にする。
 なんとなく、心の中が軽くなる。けれど、胸の鼓動はどんどん早くなって、思わず手を握りしめた。トータル、心持ちは変わらない。
 誤魔化しも何もない、真っ直ぐな気持ちに真っ直ぐな言葉。少し眉を顰めた後、エミヤは、よくセタンタに見せる『大人』な笑顔を見せた。
「そうか……君がいたいというならいればいい」
 それは優しくて、どこか残酷な言葉にセタンタには思えた。
 理解がある『大人』がしょうがない『子ども』に向けたような言葉。エミヤの中から出てきたものではない。見本のような言葉。直感的にそう感じたのだ。
 立ち去ろうとするエミヤの腕をぐいっと掴む。手加減などない。セタンタのいっぱいの力を込めれば、エミヤはバランスを崩して畳の上に足をつく。そのまま、セタンタは自分より大きな体に覆い被さった。相手の広い胸に手を当てて、問いかける。
「お前は、どうなんだ。オレといたい? 顔も見たくない?」
 セタンタが見つめる先にあるエミヤの表情は、『無』だった。歓迎はなくたって、少なくとも驚きがあることを期待していたのに。ただ、何もない『無』だった。それに、胸が締め付けられて我慢ならず言葉を吐いていく。
「お前、男でもいけるんだろう? オレはもう、小さいガキじゃない。お前をこうやって倒せるし、セックスのやり方だって分かる。コンドームの付け方だって知ってる。好いてる相手を思って射精だってする!子供と大人の『好き』の違いだってわかる!」
 気づけば、襟元を皺が出来るほど握りしめていた。あんなことをしておいて、こんな気持ちを残しておいて、気づかせておいて、子どもの戯言だと流されることは我慢ならなかった。
 セタンタの目にどんどんと力が入っていく。赤い瞳の色がみるみるうちに悔しさと憎しみに変わっていく。エミヤに対してこんな気持ちを持ったのは初めてだ。
 薄く口を開く、そしてそのまま、目の前の男の唇へ顔を押し付けた。

 しかし、暖かさはあっても柔らかさは感じない。

「……なんでだよ」
 セタンタは顔を離し。ポツリ。呟く。
 眼下にあるはずのエミヤの唇は、大きな褐色の手で封をされていた。畑仕事で硬くなった手の甲だけにセタンタは口づけをしたのだ。
 明らかにこれは、問いに対するノーだ。なのに、未だにエミヤはセタンタを払い除けはしない。また、なんともいえない感情が渦巻いていく。
 子どもだから想いを伝えることを許されて、子どもだから明確な返事はなくて、子どもだから今こうしてここにいる。
 やり切れない気持ちの中、ゆっくり口を開く。
「地面に埋まってる男の方がいいのかよ」
 八つ当たりでしかない言葉だった。山の中、墓石の下に眠る相手にエミヤがなんらかの感情を持っていることはわかる。けれど、それとこれとは別問題だ。理解している。ただ、やり切れなくて、出た言葉にただじっとセタンタを見ていただけだったエミヤの瞳が揺れた。
「……君は自分を子供じゃないという」
 自分の口から手をゆっくり離し、エミヤが言葉を紡ぐ。落ち着いた大人の声色だ。
「けれど、この状況はどうだ。君は感情だけで私に向かってきた。こちらの気持ちなど気にもしないで。仮に、君のその気持ちを受け入れて、好き合ってみてみなさい。まだ、義務教育の少年と、もうすぐ三十路にさしかかる男ーー世間はどう受け取るか。私の立場がどうなる? 一人で会いに来ることだって出来ないじゃないか。周りが反対すれば、一瞬で崩れてしまう関係をこの時期に? そういうことを何も考えていないのを『子ども』というんだ」
「っ……」
 返す言葉が見つからない。心のどこかでは分かっていたことだ。彼が払い除けない理由だって、明確に口で断らない理由だって。全部全部そのせいなのだ。悔しい。今、心の中に広がっていくこの悔しさは、エミヤの態度にではない。自分自身に対してだ。手から力だ抜け、代わりに下唇を噛み締める。これでもかと噛み締める。すると、優しく褐色の指がセタンタの頬を撫でた。ふと見た先には、優しく笑うエミヤがいた。なぜだろう、苦しそうに見えた。
 『大人』の表情ではない。エミヤ自身が見えた気がした。
 居た堪れなくて、歯を立てることをやめ、言葉を吐き出した。
「ごめん。エミヤ」
 ポツリ。小さな小さな、謝罪の言葉。この状況への。自分の子供の部分への。エミヤを苦しめたことへの。謝罪の言葉。
 頬を撫でた手が、今度はセタンタの青い髪を優しく撫でる。
 大人が子どもにする行動。相手にとって、自分が『そういう相手』でないことがわかる行動。しかし、セタンタの心の中の悔しさは消えていた。


 その後、エミヤはセタンタに「帰るか?」とは一度も尋ねなかった。
 一緒に買い出しに行って。晩御飯のリクエストを聞いてくれた。
 家に戻って、しばらくはテレビを流して、エミヤは読書を。セタンタは学校の課題を進めていく。暑さがましになった夕方になると、庭に植えられた野菜の様子を一緒に見て、リクエストの餃子を一緒に包んで焼いて、食べた。肉汁がよく出てネギと生姜、大葉でひつこすぎない味付けで、すごくすごく美味しかった。
 きっと、いつもなら「また食べたい」なんて口にするのだが、流石にその言葉を口にする気にはなれず、白米と一緒に飲み込んだ。
 食後、少しだけ遊ばないかと言うエミヤの手には線香花火が握られていた。
 縁側から外に出て、金魚の尾のような色合いのやわらからかい部分を持てば、エミヤはマッチ棒で火をつけた。じゅうじゅうと火薬を含んだ部分が音を立てる。ジンジンと振動を指に伝えながら細長い形状をしていたそこは丸くなっていき、パチパチと火花を散らせた。
「分けてくれ」
 そう言って、エミヤはまだ火のついていない線香花火をセタンタの線香花火に近づける。
 火花を浴び、火がつくと同じように形状が変わっていく。
「綺麗だな」
 ジリジリ。パチパチ。丸い線香花火が二つ並ぶ。
 土と火薬の香りとじっとりした暑の中、呟くエミヤを見てセタンタは頷いた。
「ああ、綺麗だ」


 花火を終えて、風呂に入って、変わらず寝室に敷かれた二枚の布団の片方に潜り込む。相変わらず手本のように仰向けで眠るエミヤとは逆を向いてセタンタは身体を横たえていた。
 どうにも、眠れない。昨日のような気持ちは……ないわけではないが、違うのだ。眠ってしまえば明日が来る。それが惜しくて、悔しくて。あぁ、こういうのを子どもというのだろうか。
「セタンタ。起きてるか」
 低い声が名前を呼ぶ。なんだか見透かされているようで、思わず眉を顰めて顔を顰めてしまう。
「……起きてる」
 狸寝入りを決め込むか通ったが、小さい声で返事をする。
「教え忘れていたことがあったんだ」
 布団の擦れる音がする。どうやら、エミヤはセタンタの背中に向かって話しかけているらしい。しかし、どうにも彼の顔を見る気にはなれなくて、何も返事はせず、ただ黙って耳を傾ける。
「あそこに眠っているのは、私を拾って育ててくれた恩人なんだ」
 ゆっくりと聞き取りやすい低い声が紡ぐ言葉に、セタンタはゆっくりと寝返りを打った。
 暗がりの中見える鉛色の瞳は澄んでいて、嘘をついているようには見えない。
「彼のことを好きかと言えば。そうだが、君が思っているような関係ではないよ」
 ホロリと笑って見せるエミヤに、セタンタは少しだけ頬を赤く染めて眉間にシワを寄せる。
 恥ずかしさからなのか、彼の表情に反応したのか、はたまた別の原因か。本人にも、よく分からない。けれど、心は軽くなる部分と、更にもやがかる部分がある。
「あと、一つ」
 付け加えられた言葉にセタンタは難しい顔のままエミヤの方を見る。
「好きだ。と言ってくれてありがとう」
 優しい言葉だ。優しい偽りもない言葉。セタンタの昼間の言葉を、受け入れはしないが、受け止める言葉。認める言葉。胸の中が震えて、痛くて、温かくて、どこか悲しくて。なぜだろう。今いる空間が、昨日とは違う部屋のように感じた。
「エミヤ……」
「なんだい。セタンタ」
 名前を呼んだ相手は、相変わらず柔らかい表情をしている。これはきっと、自分が『子ども』だからなのだろう。そう分かってはいても、笑みを返してしまう。
「手。繋いでもいい?」
「構わないが、また布団を汚しはしないかね」
「しねぇよ」
 口を尖らせれば、エミヤは少し意地悪く笑っていた。大人が子どもに向けるようなものではなく、まるで、友人や家族が揶揄い合うような笑みのように思えて、セタンタの胸は熱くなる。
「なあ、オレが、大人になったらお前はオレの気持ちに応えてくれる?」
「……どうだろうか。君は可能性の塊だから」

 盆休み。三泊四日の三泊目。二組の布団をつけて、セタンタは眠りについた。

 田畑の緑を通り抜け、山を降り、青く輝く海を通り過ぎていく。
 途中、疲れただろう。と道の駅で、テラス席に座りながら、プラスチックカップに入ったアイスカフェオレを一杯飲む。
 今朝、もともと予定していた時間より三十分遅れて従兄弟は、迎えにやってきた。
「私相手だけならいいが、彼が待っているんだ。連絡ぐらいしろ」
 そう、エミヤに叱られながら、すまんすまんと従兄弟は苦笑いを浮かべていた。
 本日は、曇り空からの快晴予定。どんよりとした雲が空を覆っていた、朝食の席で、洗濯物が乾くといいんだがな。とエミヤは言っていたが、彼の住む村がある方向にもう雲はない。
「ありがと!元気で!またな!」
 玄関先でそう、別れの挨拶をしたセタンタに対してエミヤは何も言わず、ただ手を振るだけだった。少し、困惑したように。けれど、どこか嬉しそうな表情であったことに、セタンタの胸は高鳴った。
「なあ」
「なんだ?」
 紙コップに入ったホットブラックコーヒーの熱さに面を食らっていた従兄弟に話しかける。
 フーフーとコーヒーを覚ます口元は、エミヤよりよく手入れされているようだったが、一昨日感じたような気持ちは微塵もない。
「バイクの免許っていくらかかるんだ。十六歳でとれるんだよな」
 テラスから見える駐車場。車とは違うスペース、自分と二つ三つしか変わらないだろう少年が跨ったバイクを見つめて、問いかける。従兄弟はコーヒーを一口飲んで、頬杖をついた。
「さぁな。まあまずは、年玉貯めて、義務教育終わったらバイト紹介してやるよ。中古は、んな高くねぇし……2年ぐらい貯めりゃ取れんじゃねぇの」
「……そっか」
 空にかかっていた雲が切れ、太陽が顔を出す。
 近くの大きな木が木陰を作り出した。
 ミーンミンミンミン。ミーンミンミンミン。
 じっとりとした空気の中、蝉の声が聞こえてきた。

 14歳。お盆休みのことである。

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  • 两支热水壶
    October 22, 2023
  • 两支热水壶
    October 22, 2023
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