おれの好きなもの。
体育の授業とオムライス、目玉焼きがのったハンバーグと、頭を撫でてくれる大きな手。
どこか甘くて柔らかい、おれの名を呼ぶときの低音と、ふにゃりとした笑顔。
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ふと陽が陰ったような気配に、思わずとたとたと縁側に出てみたら、己の養父が昼に干していたのだろう、布団がその場に残されていた。
とはいえ養父本人は今は外出しているようだから、あとでちゃんと片付けるつもりで日光の射し込むこの縁側に布団を広げていったのだろうか。
すん、と鼻をひくつかせて外の空気を吸い込んでみると、なんとなく水っぽいにおいがする。空気が妙になまぬるいような、土くさいような。雨が降る前の独特のにおいは嫌いじゃないけど、なんかどことなくよそよそしい感じがして落ち着かない。
そんな風に、思った途端。
不意にドライヤーで乾かしたおれの髪をブラシで整えつつ「セタンタはいつでも日なたのにおいがするな」と呟いて、ふわりとこめかみ辺りにキスを落としてきた養父のことを思い出して、思わず頬が上気する。
……風呂上がりにそんなことをするなんてズルいと思う。
いや、キチンと風呂で磨いたあとだから汗くさく無くてよかったとは思ったけど、まるきり子ども扱いだってことくらい、おれにだってわかるさ。
以前は特に理由もなく、いちゃいちゃベタベタと引っ付いたりにおいを嗅いだりしていたけれど、さすがにもうこの歳でまだそんなスキンシップをしていると同級生とかに知られるのは気恥ずかしくて――風呂はひとりで入るようになったとはいえ、未だに義父に髪を乾かして貰っていて、何を言ってるんだって話なんだけれど。
いや、でも、そう。まだ子どもなんだけれど、あんまり子どもっぽいことはもう出来なくて。
ちょっと前だったら養父と一緒に布団に横になって、トントンと胸を叩いてくれるリズムや、もっと密着したときのあの人の心音。あの人の厚い胸に顔を埋めて嗅いだ、オトナのひとのにおいに包まれて眠れたのに、おれはもうある程度大きくなってしまったから。そんなのとは久しく遠ざかっていて。
縁側の布団を畳の部屋までズルズルと引きずって、雨が降り込まないよう外に繋がる掃き出し窓を閉めて。陽に当たってぬくぬくと温まった布団に吸い寄せられるようにして倒れこむと、おひさまのにおいに混じって、嗅ぎ慣れたオトナのひとのにおいがした。
人肌みたいな心地の布団に包まれて、懐かしいような興奮するような、あの人のにおいを鼻からおもいっきり吸い込んで。
じわりと汗が滲むのは、雨が振り込まないよう窓を閉め切ってしまったせいだろうか。それとも夕立が来そうで湿気が多くなったとか? それとも――何故だかわからないけれど、ズボンの前がすごく窮屈なのも、汗が噴き出てくる原因なのかも、しれない。
ぎゅうと下腹に力を込めてみるも、身体の中心に集まった熱は、消えるどころかむしろ増してしまったような気がした。
以前に武道を教えてもらったときの丹田って場所を意識しながら、もう一度腹筋に力を入れてみるも、集中して、気を落ち着けて、と喋る義父の声と、胸が大きく開いた道着姿の方ばかりが思い出されて、全くと言っていいほど効果がない。
下っ腹が、というより、あけすけな物言いをすると、自分の性器に血が集まって、元気になっていっているのには気付いていた。
でもこう、コイツって結構持ち主の言うことを聞いてくれないっていうか、よくわからないタイミングでぴょこんと主張し始めたりするっていうか。
今のコレもきっと“そういうモノ”なのかなって思いながら、そろそろと自分の下肢に手を伸ばし、熱くて固さを増している自分のものを着衣の上からなぞってみる。触れた途端にピクリと跳ね上がるソレは、自分の身体の一部であるはずなのに、なんだか別の生きものみたいだ。
落ち着く気なんて少しもないよ、と主張する熱の塊を服の上からなだめるように撫でまわし、急に元気になってしまった箇所に対してご機嫌うかがいをする。
いったいどうしちゃったんだよ、オマエ何で熱くなってるんだよ。
そうやってイイコイイコとなだめていれば、大抵の場合はすぐに元通りになってくれるんだけど、どうしてか今日のコイツは全然そんな素振りすら見せてくれなくて。
致し方なく、そろそろとズボンを下ろして下着になると、性器が直接触れている部分が湿っぽく濡れていた。着衣が減って窮屈さとムレた感じは軽減されたけれど、おれの意思を聞いてくれないブツは相変わらず固くなってぴょこんと主張したままだ。
今度は下着ごしにヨシヨシとなだめてみる。すると、何かがじぃんと広がっていくように腰の奥の方がしびれて、なだめるどころか余計に先っぽの方から汁っぽいものがにじみ出てきた。全然治ってくれなくてどうしよう、という気持ちと、もしかしてコレはキモチがイイんじゃないか? という気付きとで、手を止めたらいいのか、このまま動かしていていいのかわからなくなる。
助けを求めるように身を包んでいる布団にすりすりと頬を擦り寄せると、陽だまりのあたたかさに加えてあの人の匂いがするものだから、暴れん坊の下半身は治まるなんて気配すらみせずに、先っぽからじゅわじゅわと汁を分泌する。
「――――……うゎ、」
思わず声を漏らしたら、より一層自身のパニックと興奮を自覚してしまってダメだった。
……興奮。そう、興奮してるんだ、おれ。
どうしたらいいんだろう、と戸惑ったままで恐る恐る下着の中に手を突っ込み、熱をもった自分の一部に直に触れる。その暴挙に驚いたのか喜んだのか、ひくん、と小さな肉の塊が根元から身をもたげ、いよいよもってコレをどうしてやればいいのかわからなくなる。
触れれば触れるほど、細長いそれの先のほうからじわりと液体が生まれて垂れてきた。かと言って変に触れないままでいても、そのまま熱が引いていってくれそうなカンジでもなくて、自分のソレと身体の奥の方がジンジンすると思いながら、こわごわした手つきで自身に生えた長細い肉を不器用にこする。
少しでも落ち着くために、すんすんと吸い込んだ布団の匂い自体はさっきと変わらなかったけど、ちょっとだけ湿っぽくて鼻水まじりだった。……それもそのはずか。興奮しすぎて目は勝手に潤んできてるし、いつの間にか水っぽい鼻水が垂れそうになってるし。
心細くて、でも誰かに助けてもらおうにも、今自分がやっている行為にどこか後ろめたさがあって。
股間から耳慣れぬ水音を立てながら、固くなった肉の先っぽの皮を強く引っ張るようにすると、にゅるんと普段は露出していない部分までもが空気に晒される。
充血した自分のモノの先端のカタチが、風呂場で見た義父のソレとそっくりになっていて変な方向で感慨を覚える。ここもオトナになってきたってことなのかな。
……ああ、でも。と、思い出したのは、結構前にまだ義父と一緒にお風呂に入っていた頃に教えられたこと。
ちゃんと洗わなきゃダメなんだ、と言って義父はおれの背中側に回って、後ろからおれのモノを持って、“洗い方”を教えてくれた。くすぐったくてケラケラ笑って身をよじるおれに対し、あの人は生真面目な顔で真剣に教えながら「大事なことなんだぞ」と念を押した。
「ちゃんと中までキレイに洗ってないと、バイキンが入っちゃうかもしれないんだ」
バイキンが入っちゃうと腫れて大変なことになるんだぞ、という脅し文句も付け加えつつ。おれのモノをちょっと強めに引っ張って皮を剥いて、恥ずかしさでふざけるおれに困った顔を向けながら、自分で全部洗うようになってもちゃんと忘れずやるようにって。
そのとき教わったのと同じように、余った皮を滑らすように、にゅちにゅち、にゅこにゅこと握った手の中で性器をこすってみる。
握り込んだモノがジンジンするのは気持ちがいいからなんだって、自分でもうわかってる。だんだん腰が重くてビリビリしびれてるような感じがするのだって、そのせいなんだって。
あの人が、やってくれたやり方と手のひらを思い出して、露出した先っぽに指を回して、グリグリってなぞって。
……いや、そんなこと。されなかったしあの人がしてくるはずもない。
でもされたいんだ。この熱いのを何とかして欲しいんだって思いながら、思い描いてるひとの匂いがする布団に顔を突っ込んで。
にゅるにゅるぐちぐち、自分の性器をむちゃくちゃにいじり倒して。
自分のじゃない、褐色の大きな手が、自分の小さくて白い手に覆い被さるように重ねられて、出てきたばかりの柔らかい先っぽを、指の腹で強く押されたりなんかして。
「――……ぁ、つぃ……、ちんこ、熱いんだよぉ」
――――とうさん、と。
熱に浮かされて、思わずうわごとじみたことを口走った瞬間に、自分の手に何かがびゅくりと吐き出されて、途端、身体と昂ぶりが弛緩した。
全速力で走ったみたいにハアハアと息を繰り返しながら、急速に襲ってきた罪悪感と冷えた気持ちに突き動かされて、みるみるうちに視界が涙で滲んでいく。
洟をすすったら、自分がもうほとんど泣いてるような状態だって気付いた。とうさんの布団にくるまって、両目からこぼれてくる涙を片方の袖口で拭って、もう片方の手は、股間に添えられたままぐっしょりと濡れていて。
理由のわからない後悔と後ろめたさが急にずっしりと胸にのしかかってきて、涙が溢れて止まらなかった。泣きながら布団の匂いを吸い込んでも、水っぽい鼻水が喉奥に落ちてくるばっかりで、あの落ち着く匂いが認識できない。
とうさん、と。心細さのあまり助けを求めてそう呟いて、干したばかりの父の布団に泣き濡れた顔を埋めて突っ伏した。
+++++
鍵を開ける、ガチャンという音と、それに続く引き戸を開ける音。ただいま、という少し低めだけれどよく通る声。
ようやく泣き止んで洗面所で手を洗っていた己は、洗いかけで泡がついたままの手で廊下に飛び出し、待ちかねていたその人の姿を目に映すなり思わずもう一度泣きそうになった。
かわりに「おかえり!」とだけ大きな声で叫んで、手を洗いに戻る名目で俯きがちに洗面所へと逃げ去る。
だいすきな保護者に少しでも不審な動きだと疑われぬよう、泡まみれの手を丁寧にすすぐと、義父が洗ったふかふかのタオルで水気を拭き取り、すぐさま彼の元へと駆けつけようとした足を、ふいと反転させて背伸びで鏡を覗き込む。
大丈夫。目の端だって白目だって赤くなってないし、まぶたも腫れてない。
手にこぼした生ぬるいぐちゃぐちゃだって全部洗い流したし、泣いてたなんてわからないはず、とぱちぱち瞬きを繰り返すと、ぬう、と背後から義父その人が現れた。
びっくりして思わず飛び上がるも、「ただいま」と「手を洗っていたのか」なんて軽くおれに話し掛けながら、戸棚からフェイスタオルを取り出して肩や髪を拭った。濡れて色濃くなったシャツを見て、思わず「雨……?」と呟くと「ああ、途中で降られてしまった」と苦笑する。
「帰宅する頃の天気が怪しそうだったから、洗濯物を取り込むだけ取り込んで、一応傘を持って出たのだけれど、ギリギリ雨には降られてしまった」
持って出た折りたたみ傘じゃ、私には少し小さかったみたいだ、と。おどけたように軽く肩を竦め、何も言わずに留守にしてしまって悪かったと謝罪しながらおれの頭をやさしく撫でる。
いつもならちょっと照れたり恥ずかしがって逃げ出したりしてしまう義父のその行動を、今日は強がったりせずに、素直にその感触を堪能した。
この手が好きだ。大きくてゴツゴツしているけれど荒っぽさなんかカケラもなくて、優しい手つきで慈しむように撫でてくれる。
この人に、とうさんに、頭を撫でられるのが、好きだ。
それをあらためて自覚したから余計に、その優しい手と、声と、何気ない思い出を、あの白いべたべたで汚しちゃったんじゃあないかっていう罪悪感が腹の底の方からふつふつと湧き上がってきて、思わず洗ったばかりの両手を握りこむ。
とうさんが好きだ。ずっと前からそうだし、その気持ちが変わることなんか絶対にないって思っていたけど、いま目の前に立っている義父に対して、いつものように真正面から「好きだ、大好き」だなんて言いながら、抱きつくなんてことできない気がしてくる。
……とうさんが好きだし、これからもずっと大好きなのに。
とてもとても大切なものを、自らの手で台無しにしてしまったかのような後ろめたさに、自然、顔を強張らせて小さく俯く。
とうさんはちっとも何も悪くないのに、おればっかりが自分の気持ちに振り回されて、この心のモヤモヤをどこにも持って行きようがない。とうさんはいつも通り優しくて、ちっとも悪いとこなんかないのに。
そんなおれの態度を見て、普段と違う様子のおかしさを悟ったのだろう。とうさんはおれの頭の形を辿るように、大きな手でもう一度わしゃわしゃとおれの髪の毛をかき混ぜると、乱れた髪を撫で付けるようにして戻しながら、優しい顔で笑いかけた。それにおれが反応を返す前に身を起こして、自身のシャツの濡れ具合を確かめる。小さく息を吐いて首元のボタンを緩め始めたのを見るに、どうやらタオルで拭いただけでは不十分なので着替えることに決めたらしい。
そのままここで濡れたシャツを脱いでしまうのかと思って見ていたら、上から三つほどボタンを外したところでおれの方に向き直り、そういえば、と切り出した。
「急に留守番をさせてしまったお詫びに、今日の夕飯はセタの食べたいものを作ろうか。せっかくだから多少面倒なものだっていい。……リクエストはあるかい?」
おれは視線を開いた胸元からとうさんの顔の方に移して、目を瞬く。普段から見慣れてるはずのとうさんの身体を視界に入れていて、どうしてか腹の底がぞわぞわした心地がしていたのが、たちまちのうちに食欲の方に塗り替わる。
優しい笑顔。おいしいものを作ってくれる、優しいひと。
そう。そうだ。おれがとうさんを好きなのは、ゾクゾクしたりジリジリしたりするような重い気持ちじゃなくて、好物を目にした時みたいな、ウキウキと心があったかくなるソレのはずで。
好きなもの。好きなひと。
食べたいもの。食べたいものを作ってくれる、あったかいひと。
何でもいいっていうんなら、リクエストは一番の好物に決まってる。子どもっぽいとかそんなこと知るもんか。子どもの頃から、このひとの作ってくれるそれが大好きなんだから。
「じゃあ、じゃあ、オムライス! と、ハンバーグ!!」
面倒臭くてもいいって言ったから、ここぞとばかりに好物を二つともオーダーする。
笑って「目玉焼きは?」と問うてくる義父に、当然「いる!」と元気よく返事を返した。
「ふむ。ではオムライスとデミグラスソースのハンバーグにしよう。ハンバーグには目玉焼きものせて」
ついでにオムライスには旗でも立てようかと言うのに同意を返しつつ、手伝いがいるかを問いかける。
「ああ、着替えてきたら一緒に作ってくれると助かる。付け合わせにサラダとスープも作るから、ちゃんと野菜も食べてくれよ?」
トーゼン! と、喜びで飛び跳ねつつ返事をしたら、とうさんはおれの後頭部をポンポンと軽く叩いてから、嬉しそうな顔で洗面所を後にした。さっき自分で言っていたとおり、濡れたシャツを着替えに行くのだろう。
大きく開いたシャツからのぞいていた、張りのある褐色の肉体を思い出しかけて、卵のしあわせな黄色が己の脳内の後ろ暗い愉しみをかき消していく。
ケチャップライスの上にふわふわの卵がのったオムライス。その横には主役の上にさらに主役を重ねるように置かれた、みっちりとしたひき肉の塊。そしてそれら主役の両方に、旨味たっぷりの焦げ茶のソースがかかっていく、まさに至福としか言いようのない光景。
「…………うん、サイコーだ」
ついさっきまで泣き顔をごまかすために顔を洗っていたなんて思えないくらいに浮ついた気持ちで、電気を消してからさっさとキッチンに向かおうとしていたのを思い留まり、もう一度石鹸で手を洗い直す。食事の支度を手伝うなら、衛生を気にしておくに越したことはないと思ったのだ。
手首まで洗いながらふと上げた視線の先に映った、鏡の中の自分は、どこか自分じゃないような、人形やハリボテのように作り物めいた表情をしていて。少し充血した赤い色の瞳に射抜かれると、まるで自分がまだ子どもであると装っていることを見透かされているような気がして、鏡の中の自分自身と目を合わせないよう、逃げるようにして洗面所から立ち去った。
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