新興宗教という語は侮蔑的表現ってホント?
はじめに
安倍晋三元首相銃撃事件の発生以降、宗教と政治の関係は、すっかり日本政治の重要トピックの一角を占めるようになった感がある。そうした社会情勢を背景に、近年、新興宗教という言葉を目にする機会が増えたと感じている方も多いのではないだろうか。
実際、Googleトレンドを利用すると、銃撃事件直後に新興宗教という語の検索数が急激に上昇したことが確認できる。こうした動きが生じたのは、多くの人が問題の渦中にある旧統一教会のことを新興宗教として認識していたからだと、ひとまず解釈できるだろう。
ところが一方、この語が頻繁に用いられている状況を目の前にして、本来ならば新興宗教という言葉は侮蔑的表現なので使うべきではないと主張する人もいる。たとえば、旧統一教会問題をきっかけにメディアによく登場するようになった宗教社会学者の塚田穂高は、2022年に、Xに次のような投稿をした。
2022年にもなって、大手メディアや識者が「新興宗教」なんて侮蔑的表現をサラリと使ってなんとも思わない時点でにわかもいいところで不勉強に過ぎると思いますし、まあ宗教社会学~新宗教研究の敗北な感じがしますけどね。
https://x.com/hotaka_tsukada/status/1595616258145546240?s=61&t=fpSQEK0XbA4uYsPGsmVMvg
なお、このポストが投稿された2022年11月24日、この日の朝日新聞朝刊には、東京大学教授の林香里による「新興宗教と女性」と題した時評が掲載されていた。
塚田の投稿が何を念頭に置いていたのか定かではないが、いずれにせよ、このポストは、新興宗教という語を用いる大手メディアや識者を「にわかもいいところで不勉強に過ぎる」と断じ、その語が普通に使用されている現状を「宗教社会学~新宗教研究の敗北」だと総括する内容であるのは間違いない。
聞くところによると、現代宗教研究の一分野である新宗教研究では、一般的に新興宗教と呼ばれるような諸教団を新宗教と呼び、大学の授業でもまずはじめに新興宗教という言葉を使わないように教えるという。したがって、これは塚田個人の意見というよりも、現代宗教研究の現場で広く共有されている感覚を代弁したもの、と言ってもよいだろう。
しかし、「新興宗教は侮蔑的表現だから新宗教と呼ぶべきだ」という主張には、どこか釈然としないものが残る。素朴に考えて、「興」の一字を外しただけで、意味合いがそれほど大きく変わるとも思えない。だったらむしろ、「宗教を古いとか新しいとか区別することをやめ、等しく宗教とだけ呼ぶべきだ」という議論のほうが、よっぽど分かりやすい。
そこで本稿では、新興宗教という語が侮蔑的表現とされているのはどうしてなのか、その主張が唱えられた地点にさかのぼって理由を探ってみることにしたい。
こうした議論では、往々にして「当事者の感じ方が優先されるべきだ」という意見が出てくる。もちろん、コミュニケーションの基本として、相手が嫌がる言葉遣いをしないのが大原則であることは言うまでもない。
しかし、それとはまた別の水準の話として、特定の対象をどう呼ぶかという問題は、ときにある種の政治性を帯びる。そして実のところ、新興宗教ではなく新宗教と呼ぶことも、そうした政治性と無関係ではない。筆者は新宗教という語を用いることに抵抗があるわけでも、あえて新興宗教という語を使いたいわけでもない。だが、それらの言葉にまつわる政治性を踏まえたうえで、どの言葉を選ぶか各人が判断できるようになることもまた、言論空間の成熟の一つのかたちだろう。
などと少し高尚ぶったことを書いてみたが、正直に言えば歴史的経緯を調べたら思いのほか面白かったので、ぜひ聞いてもらいたいというのが本音である。
それではまず、「新興宗教は侮蔑表現だ」という話がどこから始まったのか、その起点から見ていこう。
◆ 「新興宗教=侮蔑語」説の概要
先ほど新宗教研究分野での指導方針に触れたように、「新興宗教という語は侮蔑的表現だ」という主張は、「だから代わりに新宗教という語を用いるべきだ」という提案とワンセットになっている。
では、その新宗教という代替語はどこから来たのかというと、新宗教研究の基礎文献である『新宗教辞典』には、新日本宗教団体連合会の前身にあたる二つの団体が、名称として掲げていたのが直接の起源だと書いてある(*1)。
新日本宗教団体連合会(以下、新宗連)は、1951年に結成された新宗教教団の連合組織である。公式ホームページによれば、現在は五十六の教団が加盟している。毎年、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で開催してきた平和祈願式典には野党関係者が参列することも多く、このためマスコミでは野党寄りの宗教票として言及されることもあった。ただし2026年現在、その構図が従来どおり維持されているかどうかは、必ずしも自明ではない。
「新興宗教は侮蔑的表現だから新宗教と呼ぶべきだ」という主張の発信源が新宗連だったことは、他にも信頼できる文献から確認できる。たとえば、アメリカの宗教学者H.N.マックファーランドが1967年に刊行した『神々のラッシュアワー』には、新宗連が新宗教という呼び名を提案したこと、そしてそれが新興宗教という否定的な名称に対抗する意図で考案されたことが記されている(*2)。
では、新宗連は新興宗教という語が侮蔑的表現である理由を、どのように説明していたのか。
それについて手がかりを与えてくれるのが、新宗連結成から四年後の1955年、創文社から出版された『現代宗教講座』 の第五巻に、新宗連の初代事務局長・大石秀典が寄稿した「新宗教について」という論文だ(*3)。この文章で大石は、新興宗教が侮蔑的な表現だと言える理由を二つ挙げている。
第一に、この語は単に成立の新しい宗教団体を指すだけでなく、戦前・戦中に活動を認められていなかった「擬似宗教」や「類似宗教」といった存在の、いかにもいかがわしく聞こえる言葉の意味合いまで背負わされている場合が多く、ときに「迷信・邪教」とほとんど同じような意味で使われてしまうからだという。
第二に、「新興」という文字を冠した既存の言葉の連想から、話し手に悪意がなくても受け手に侮蔑的なニュアンスが伝わることがあると論じている。ちなみに、「新興」とつく言葉の例として大石が別の機会に挙げていたのは、「新興成金」や「新興階級」などである(*4)。
以上が、「新興宗教は侮蔑的表現だから新宗教と呼ぶべきだ」論のおおまかな内容だ。1955年の時点で大石は、新宗教という言い方は最近になって広まりはじめたものの、依然として新興宗教という呼称の方が一般的であり、「極めて徐々に」入れ替わりが進んでいると述べている。
とはいえ、「新興宗教は侮蔑語だ」という見解が、必ずしも新宗連全体の総意だったとも言い切れないようである。そのことは、新宗教という語がスローペースながら着実に浸透しつつあった1970年代末の、ある書籍に記された証言から確認できる。
1979年に大蔵出版から刊行された全五巻の『新宗教の世界』第一巻には、宗教ジャーナリストの梅原正紀と清水雅人、宗教学者の小野泰博の三名による討論が収録されている。なお、この討論は参加者名こそ明記されているものの、個々の発言者はA・B・Cとだけ記され、誰がどの発言をしたのかは分からない。その座談の中で、A氏は新宗教という用語について次のように話している。
A […]新宗連の事務総長だった大石秀典さんは、しきりと新興宗教ということばは、ニュートラルではない、どうも類似宗教、淫祠邪教のたぐいのことばからきていて、伝統仏教教団と比較すると、インチキくさいイメージがつきまとうから、新宗教のほうがいいのだという説をずっと唱えていました。
[…]
C その名称が変わったということは、外からの価値判断が変わったことと、それから実質的に波乱を生き続けてきた教団自身が内容、組織の面でリファインされてきたこともあるわけですか。
A と思いますね。ですから新宗教ということばがつかわれるようになると、たとえば立正佼成会の庭野日敬会長のように、逆になに新興宗教でいいんだよと、新しくおこった宗教そのものなのだからそれでいいのだよ、というような発言をする人さえでてきますね。新宗教が地歩を固めた証拠でしょうがね。
立正佼成会は、新宗連の結成にも加わった主要な教団の一つであり、開祖の庭野日敬は1965年から1992年まで第二代新宗連理事長を務めた人物でもある。つまり、A氏の言葉を信じるならば、『新宗教の世界』が刊行された1979年当時、新宗連の理事長という立場にある人が、新興宗教という語を差別的・侮蔑的だとは必ずしも感じていなかったということになる。
「新興宗教ではなく新宗教を用いるほうが望ましい」という問題提起は、組織内部で激しい対立を生むような類の論点ではなかっただろうし、外からは一枚岩のように見えたことだろう。しかしこの証言からは、新宗連という団体がそのように提唱したと一括りに言っても、各人の受け止め方には温度差があったことがうかがえる。
もちろん、差別語・侮蔑語をめぐる議論では、そう呼ばれる当事者の感じ方にもグラデーションがあるのが普通だ。ただし、ここで一つ見過ごすことのできない事実を挙げておくと、新宗連の初代事務局長だった大石秀典は、実は曹洞宗の僧侶なのである。そうなると、「その言葉を投げかけられると嫌な気持ちになる」という意味での狭義の「当事者」かどうかは、やや微妙なところがある。
結果として、大石が組み立てた論理は「当事者」たちも巻き込んだ運動へと発展し、学問の世界を中心に新宗教という用語を定着させる成果を生むにいたった。だがしかし、そもそもなぜ曹洞宗の僧侶である大石が新宗教の連合組織で要職に就き、「新興宗教は侮蔑的表現だから新宗教と呼ぶべきだ」という論陣を張ることになったのだろうか。
その経緯には、「当事者が新興宗教と呼ばれると侮蔑されたように感じる」というのとは、全く異なった理由のヒントが潜んでいるように思われる。そこで次節では、大石秀典という人物の経歴を簡潔にたどってみることにしよう。
◆ 大石秀典とはいかなる人物なのか
先に人物辞典風に一言で紹介しておくと、大石秀典(1903–1996)は、敗戦後の占領期に法務府特別審査局で宗教団体の調査業務に従事し、1951年以降は新宗連の幹部として新宗教の社会的地位の向上に寄与した人物である。
八十二歳の時(1985年)、大石は「戦後宗教史研究会」という集まりに招かれ、間接統治下の日本の役人として、どのように宗教行政に関わったのか回顧する講演をおこなっている(*5)。以下では、この講演で語られた内容を軸として、新宗連・初代事務局長に就任するまでの大石の半生を追ってみよう(*6)。
大石秀典は1903年、福岡県北九州市に生まれた。本名は清木秀夫という。尋常小学校六年のとき、親戚の曹洞宗のお寺に養子として迎えられ、出家して大石秀典を名乗るようになった。苦学の末に東京帝国大学へ進み、文学部印度哲学科で仏教研究に心血を注ぐ。卒業後は世田谷にあった曹洞宗系の中学校に就職して教員となるが、時代は戦争へと突き進み、戦争末期には生徒を軍需工場へ引率して勤労奉仕に明け暮れる日々が続いた。
敗戦後、大石は教師としておこなった戦争協力を後悔し、勤務先の学校を辞職する。その後、別の学校に招かれて教壇に立った時期もあったが、そこも長くは続かなかった。
ちょうどそのころ、GHQの方針を受けた法務府特別審査局が、昭和二十一年勅令第一〇一号(のちの団体等規正令)を根拠に、全国規模で宗教団体の調査に乗り出していた。仕事を任せられる宗教の専門知識がある人材を探していた特審局に、東大の印度哲学科のツテで大石が紹介され、調査課で宗教団体を担当することになる。辞令の日付は1948年12月25日、その日は仕事納めだったため、実際の勤務は1949年の年始からはじめたという。
団体等規正令は、暴力主義的ないし軍国主義的とみなされる団体を規制することを目的とした法令である。政治団体や暴力団、宗教団体など、さまざまな団体を調査し、もしそうした活動をおこなっていると判断されれば団体は解散、全ての財産を国が没収し、主要役員を公職から追放することが定められていた。
わかりやすく言えば、団体等規正令は破壊活動防止法より前にあった団体規制のための法令であり、法務府特別審査局はのちの公安調査庁の前身にあたる組織である。大石はそこで、宗教団体取り締まりのための調査を担うことになった。
大石が着任した当初、周りは警視庁や警察庁出身の刑事ばかりで、彼らは暴力団の事情に通じてはいても宗教団体の調査となると分からないことも多かった。そうした中で大石は、豊富な宗教知識を基礎に、対象教団の出版物を丹念に読み込み、教祖にも直接会って話を聞くという姿勢で調査に取り組んだ。そのため報告書の質も高く、局長賞をもらうほどの優秀な調査官として評価されたという。東大出身という経歴により、同じ東大の後輩にあたる局長から一目置かれたことも有利に働いたようだ。
また、調査を受ける側、とりわけ集中的に調査対象となっていた新宗教の関係者にとっても、大石のこうした調査姿勢は好ましく受け止められた。新宗連結成十周年の記念行事の一環として企画され、1963年に刊行された『戦後宗教回想録』は、この時期の団体等規正令にもとづく取り締まりについて、次のように記している。
こうして規正令にもとづく特審の活動は、全占領期間を通じて宗教界に脅威を与えていた。
だがしかし、いくつかの行き過ぎはあったにせよ、調査が広範囲にわたり、かつ神経質だったわりには、宗教団体に対する規正令の適用は、最少限度にくいとめられていたと言ってよいだろう。
これには、宗教に対して理解の薄い特審当局者の中にあって、二十三年末以後宗教関係を担当した大石秀典氏が、宗教団体に対して理解と愛情をもってのぞんでいたことが、あずかって力あったようだ。
奥付けを見れば明らかなとおり、この書籍の出版には大石自身も関与しているので、若干の内輪ボメ感はぬぐえない。それに加えて、最終的に嫌疑無しとされた教団側からの評価であることなど、色々と割り引いて考えるべき材料はある。それでも、日頃から猜疑心の視線を向けられがちな新宗教の人間たちが、大石のことを話の通じる自分たちの理解者と感じたのは間違いない。
こうして、業務内容は宗教団体を取り締まるための調査であったにもかかわらず、大石はその仕事を通じて、役所の内外から厚い信頼を勝ち得ていった。大石が法務府特別審査局に在籍した期間はおよそ二年半にすぎなかったが、この間に築きあげた宗教界の幅広い人脈が、新宗連という組織の成り立ちに直接つながることとなる。
連合軍による日本占領の終結を一年後に控えた1951年5月、役所の仕事に見切りをつけた大石は退職を申し出て、新宗教の教団同士が協力する枠組みづくりのために奔走する。背景にあったのは、業務を通じて懇意になったGHQ民間情報教育局(CIE)宗教文化資源課のスタッフ、ウィリアム・P・ウッダードの次のような構想だった。
ウッダードは、占領軍がいなくなった後で日本が再び戦前の体制に回帰するようなことになれば、新宗教が国から弾圧をされるのではないかと危惧していた。そのような事態に備えて、複数の教団同士が協力して信教の自由を守っていくような仕組みがあるのが望ましい、というのがウッダードの考えだった。
ウッダードの構想に共感した大石は、これを実現するために全国各地を巡り新宗教の教団に声をかけて回った。呼びかけに賛同する教団が集まり、1951年10月に新日本宗教団体連合会(新宗連)が発足する。成立の立役者となった大石は、周囲からの懇願もあり初代事務局長に就任することとなった。
以上が、新宗連・初代事務局長に就任するまでの大石の足跡である。
大石本人の回想を読むかぎり、新宗連という組織の設立に大石秀典という個人が果たした役割はきわめて大きい。これを裏付ける間接的な証拠として、没後十七年の節目に新宗連が開催した「新宗連顧問・大石秀典師を偲ぶ会」について報じた『新宗教新聞』第1047号の記事は参照に価する。記事によれば、会に参列した一部の関係者は大石のことを「新宗連生みの親」「新宗連の開祖さん」と形容してその遺業を讃えたという(*7)。
さて、「新興宗教は侮蔑的表現だから新宗教を用いるべきだ」と熱心に唱えていた大石が、「新宗連生みの親」と目される人物であったという事実は、この議論自体の捉え方に多少なりとも変化を及ぼすように思われる。単刀直入に言えば、この主張は単なる差別語・侮蔑語をめぐる一般論という以上に、新宗連という組織の成り立ちや理念と深く結びついていたのではないだろうか。
だとすると、本稿の問題関心に即して次に注目すべきは、「新興宗教という語は侮蔑的表現だ」という主張そのものよりも、それとワンセットになっている「だから代わりに新宗教という語を用いるべきだ」という提案のほうだろう。この「新宗教」という言葉と新宗連という組織に関係があるとしたら、それは一体どのようなものだろうか。
次節ではこの点について、新宗教という語は本当に単なる新興宗教の言い換えにすぎないのか、という視点から検討してみることにしよう。
◆ 新宗教はただの新興宗教の言い換えなのか
そもそもちょっと立ち止まって考えてみると、不思議な点が一つある。新宗連の正式名称は「新日本宗教団体連合会」だが、ここには「新宗教」という語が入っていない。
少しばかり結成過程の詳細に立ち入ると、大石の呼びかけに応えて集まった新宗教団体連合会が、それとは別にあった日本新宗教連合設立準備会と合体して新宗連は発足する。似たような字面が続いて目が滑るが、元になった二つの団体はいずれも名前に新宗教を掲げていたのに、新宗連の正式名称からは消えている。もし自分たちを新宗教の連合組織と位置づけるなら、名称にそれをはっきり反映させてもよかったのではないか。
この疑問に答える手がかりになりそうなのが、前半でも参照した『新宗教の世界』第一巻の討論である。そこでは、次のようなやり取りが出てくる。
C ところで、新興宗教ということばではなく、新宗教ということばに変わっていくのはいつ頃ですか。
A これが定かではないのですが、一つには新宗連ができてから。新宗連ができたのは昭和二十六年ですけれども、新日本宗教団体連合会というのが正式名称で、あの頃「新日本」とか「新生日本」ということばが非常にはやったんですね。新日本の宗教団体なのだということです。ところが、略称新宗連で一般的には新宗連のフルネームは、新興宗教連盟というのがむしろポピュラーだったのです。だから、必ずしも新宗連が意図した新日本の宗教団体なのだというのは、ポピュラーになっていかなかったのです。
またもやA氏の言葉を信じるならば、新宗連の正式名称の「新日本宗教団体連合会」には、自分たちは「新日本の宗教団体」の集まりだと名乗る意図が込められていたという。
改めて確認すると、1951年は約七年におよんだ連合軍による占領の終わりが、いよいよ来年に迫った時期だった。この年に発足した新宗連が「新日本」の文字を看板に掲げたことの意味合いは、当然この時代背景を抜きにして語ることはできない。
この時期に流行した「新日本」や「新生日本」とは、一義的にはGHQの多種多様な改革によって「民主化された日本」のことだと考えられ、具体的に何を指しているかは話者によってかなり幅がある。が、宗教政策の脈絡に即して言うなら、それは「新憲法のもとで信教の自由が保障された日本」というほどの意味だったと見るのが妥当だろう。
「新日本」という語の意味をこのように捉えると、新宗連が自分たちを「新日本の宗教団体」の連合と自己規定したのは、ウッダードの最初のコンセプトとぴったり合致していることがわかる。
先に触れたように、CIE宗教文化資源課のウッダードは、占領が終わったあとも日本で引き続き信教の自由が守られるのか懸念を抱いていた。ウッダードが最悪のシナリオとして思い描いていたのが、独立を回復した日本で軍国主義や超国家主義が復活し、再び宗教弾圧がおこなわれる未来だったであろうことは想像に難くない。新宗連設立のアドバイスは、そうした望ましくない事態への予防策の一環だった。
つまり、「新日本の宗教団体」という自称は、日本の民主化によってもたらされた信教の自由の恩恵を享受している宗教団体という含みを持っていて、さらに言うと、将来的にもしも信教の自由が危うくなるようなことがあれば、この連合組織に集まった教団同士が手を取り合って抵抗する——そんな意気込みまで示すものだったと考えられるのである。
ところが、こうした覚悟が世間一般に伝わることはなく、新宗連のフルネームは新興宗教連盟だと勘違いされるのがお決まりのパターンだった。そこで登場してきたのが大石による「新興宗教は侮蔑的表現だから新宗教と呼ぶべきだ」論である。
新宗教という語に新日本の宗教という含意があり、単なる新興宗教の代替語とは言い切れないとすれば、「新興宗教は侮蔑的表現だから新宗教と呼ぶべきだ」という主張をそのまま素直に受け取るのは難しくなる。そこには、差別語・侮蔑語の是非をめぐる議論を超えて、新宗教という呼び名をめぐる政治が入り込んでいる可能性があるからだ。
とはいえ、「新宗教という語を用いるべきだ」という結論部分に別の思惑があったとしても、「新興宗教という語は侮蔑的表現だ」という前提がそれはそれとして正しいという可能性も十分ありうる。そこで、本稿の最後となる次節では、新興宗教が侮蔑的な表現だと言える理由として大石秀典が提示した二つの論点を、改めて吟味してみることにしよう。
◆ 新興宗教という語は侮蔑的表現ってホント?
まず最初に検討するのは、「新興」と付く別の言葉からの連想によって、話し手に悪意がなくても受け手に侮蔑的なニュアンスが伝わるから、という理由である。大石が例として挙げたのは、新興成金や新興階級といった語だ。
しかし結論から言えば、「新興」と頭につけると軽蔑のニュアンスが発生するというのは、過度な一般化だろう。実例として示された語も、どちらかというと否定的な評価の対象になっているのは成金や階級のほうではないか。たとえば新興産業・新興国・新興市場など、「新興」が価値中立ないし肯定的に用いられる例はいくらでもある。
代わりの言葉として出てくるのが新宗教なことも、説得力を削いでいる。古い/新しいといった区別そのものをやめようという話ならまだ分かるが、「新興」ではなく「新」を使えばOKという理屈には、やはり釈然としないものを感じる。しかもすでに我々は、この新宗教という語が、ただ単に新しく成立した宗教を指すだけではないことも知っているのである。
もう一つは、新興宗教という語には明治憲法下で公認されていなかった擬似宗教や類似宗教と同じような意味が込められ、迷信・邪教という意味で使われる場合もあるから侮蔑語だ、という論証だ。これには語の使用法の問題が関わってくる。
試しにNDLのNグラムビューアで「新興宗教」を見てみると、この語の出現頻度が1950年代後半にかけて大きく増えていることが分かる。
このグラフからは、大石が『現代宗教講座』で「新興宗教=侮蔑語」説を唱えた1955年は、まさに新興宗教という語が世の中で盛んに用いられはじめた時期だったことがうかがえる。
この時期によく使われていた新興宗教という言葉が、多くの場合、否定的で侮蔑的な意味が込められていたのは紛れもない事実だろう。迷信や邪教のような扱いをされることも少なくなかったに違いない。だが、それは言葉の運用によって侮蔑のニュアンスが生じたものであり、新興宗教という語それ自体が侮蔑語であるとは言えないのではないか。
たとえば、外国人という語は、日常会話で広く用いられる一般的な語であり、言葉の意味からしても侮蔑語とは言えない。しかし、吐き捨てるように言ったり嘲笑を込めて使ったりすれば、たちまち差別的・侮蔑的なニュアンスを帯びることは、多くの人が経験から理解しているだろう。とはいえ、そこから直ちに「外国人という語は本質的に侮蔑語だ」と結論するのは飛躍がある。侮蔑性は語そのものに備わっているというより、その運用によって生じているからだ。
もう一度Nグラムビューアの図に目をやると、新興宗教という語の出現頻度が1960年代末に急減しているように見える。だがこれは、本文データが搭載されているのが、図書については主として刊行年代が1960年代までのものに限られているためであり、見かけ上減っているように見えるだけだ。これ以降のグラフは、主に雑誌記事のデータに依拠したものとなる(*8)。
しかし、よく見るとその見かけ上の急減より前に、1967年から1968年にかけてすでに出現頻度が下がりはじめているのが読み取れる。もしこの下降トレンドが現実の動向を反映したものだとすれば、ひとつの要因として考えられるのは、この時期に活発になった靖国神社国家護持運動への反対運動の中で、新宗連が一定の存在感を示したことだ(*9)。
まさに「日本の軍国主義化」に抵抗する「新日本の宗教団体=新宗教」を名乗るにふさわしい活動を展開した結果、目標を同じくした人びとからの新興宗教への蔑視が和らぎ、全体としてその語の使用頻度も減った可能性が考えられる。そうした視線の変化を背景として、1970年代後半には当時の新宗連理事長・庭野日敬のように、新興宗教でも新宗教でもどっちでもいいと感じる当事者が現れてきたのかもしれない。
だとすると、「新興宗教=侮蔑語」論は、それが形成された1950〜60年代の時代状況においては一定の意義を持っていたとしても、今日においてなお新興宗教という語それ自体が侮蔑的表現だ、とは言い切れないのではないか。
この見方を裏づける傍証として、この説の主要な提唱者である大石が後年に見せた言葉遣いは、なかなか示唆的である。本稿で大石の半生をたどる際に依拠した1985年の講演録の中で、大石は「新宗教」という語を三回しか用いないのに対し、「新興宗教」は九回も口にしている。他人の発言の直接引用に当たる箇所を差し引いても、「新興宗教」の登場は六回にのぼる(*10)。
もちろん、過去を振り返る講演の性質上、当時の用語をそのまま使って説明せざるをえない場面もあるし、単純に回数だけで結論を出すことはできない。とはいえ、かつて「新興宗教=侮蔑語」説を唱えた当人が、後年この語をそこまで神経質に避けているわけではないという事実は、新興宗教という語それ自体が侮蔑語だ、という見方に疑問を抱かせるものだろう。少なくとも、この語の侮蔑性は固定的・本質的なものではなく、時代や文脈、そして使われ方に左右されると考える余地が十分にあるのではないか。
おわりに
冒頭でも述べたとおり、筆者は新宗教という言葉に不満があるわけでも、どうしても新興宗教という語を使いたいわけでもない。それなのにあえて「新興宗教は侮蔑的表現だから新宗教と呼ぶべきだ」という主張をネチネチ検証してきたのは、宗教をめぐる言葉遣いにおいて、いま現実に起きている複雑な問題を解きほぐしたいと考えているからだ。
そもそも現在の日本で、迷信や邪教といった侮蔑的なニュアンスを前面に押し出して使われている語は、新興宗教ではなく、圧倒的に「カルト」のほうである。
だが、日本の現代宗教研究者のなかで、「カルト」という語は侮蔑語だから使用するのをやめようと提案する声は、あまり大きくない。それどころか、カルト研究という名称の分野すら存在する。ちなみに、なぜ日本に「カルト」の名称を冠した研究領域があるのかについては以前論じたことがあるので、ご関心があれば以下の拙稿を参照していただきたい。
新興宗教という語を侮蔑的表現だとみなす研究者の代表として挙げた塚田穂高も、SNS上で冗談めかして自分自身が研究対象にしている宗教団体は「カルト」だと言明していたことがあり、この語を用いることに全くためらいがないことがうかがえる。
https://x.com/hotaka_tsukada/status/672213110502002688?s=61&t=fpSQEK0XbA4uYsPGsmVMvg
筆者の感覚からすれば、新興宗教という呼称は侮蔑的だとして許さない一方で、「カルト」という蔑称が気軽に用いられている現状を容認しているのは、どうにもバランスを欠いているように感じる。しかも、英語圏を中心とする海外の現代宗教研究では、「cult(カルト)」のような強烈な非難語を避け、「new religions(新宗教)」や「new religious movements(新宗教運動)」という表現を用いるのが一般的なのだ(*11)。
本稿で見てきたように、「新宗教」という言葉には、世間の無知や偏見に起因する「新興宗教」への蔑視を是正しようとする意図があった。さらに、この語には「信教の自由が保障された新しい日本」を守ろうとする気概も託されており、そのことは平和運動への参加という実際の行動を通じて示されてきた。
もちろん、信教の自由の擁護と平和運動とが不可分のものと考えられてきた歴史の蓋然性は理解できるし、そこに今まで注がれてきたエネルギーにも敬意が払われて然るべきだ。
ただその結果、「新宗教」という語の肯定的な意味合いが強まるにつれて、無知や偏見からではなく、現実に社会とのあいだに軋轢を生み、共感しにくい宗教団体を指すための言葉のポジションが空くことになったのではないか。その間隙を海外由来の「カルト」という極端な非難用語が埋めることになったのだとすれば、結果として良い宗教と悪い宗教の線引きが、かえって厳しくなったと見ることもできる。
世間から嫌われ、排斥されやすい宗教的マイノリティの権利を、日常のレベルでどう守るのかという課題に向き合ううえで、いま必要なのは価値判断をいったん脇に置いて対象を指し示せる、よりニュートラルな言葉ではないか。そう考えると、「新しく興った宗教」という中立的な意味を表現できる「新興宗教」という語の使用をゼロから検討してみることだって、あながち悪くないのかもしれない。
【註】
*1:井上順孝他編『新宗教辞典』弘文堂、1990年、p. 2.
*2:H.N.マックファーランド『神々のラッシュアワー:日本の新宗教運動』社会思想社、1969年、p. 28.
*3:大石秀典「新宗教について」『現代宗教講座 第五巻』創文社、1955年、pp. 200-210.
*5:大石秀典「占領軍と新宗教」井門富二夫編『占領と日本宗教』未来社、1993年、pp. 471-495.
*6:大石秀典「新宗連四十年の歩みとその成果」新宗連奥羽総支部事務局編『新宗連の役割と使命』1994年、pp. 7-23.の内容も適宜参照した。
*7:「新宗連顧問 大石秀典師の遺徳讃える」『新宗教新聞』、2013年10月25日、P. 1.
*8:Nグラムビューアを利用する際の注意点については、小林昌樹『もっと調べる技術 国会図書館秘伝のレファレンス・チップス2』皓星社、2024年、pp. 179-187を参照のこと。
*9:この時期の靖国神社国家護持運動に対する新宗連の立場については、新宗連編『靖国神社問題に関する私たちの意見』新宗教新聞社、1968年を参照のこと。
*10:前注5講演。
*11:実はこの「cult」の代替語として「new religions」が用いられるようになる過程にも、大石秀典が関与している。新宗連設立に助言を与えたウィリアム・P・ウッダードは、1952年の日本独立後、いったん帰国したのち再来日し、1954年に日本の宗教研究の国際的拠点となる国際宗教研究所を設立した。現在の公益財団法人国際宗教研究所のウェブサイトには、ウッダードの共同発起人として東京大学の宗教学者・岸本英夫の名が挙げられているが、大石秀典もまた、この研究所設立の協力者である。国際宗教研究所の英語紀要『Contemporary Religions in Japan』が1960年に刊行を開始すると、それを通じて「new religions」という用語が海外に向けて発信されていった。そして、1970年代のアメリカで「cult」が「人びとを洗脳して信者を増やす集団」といった強い負のイメージを帯びた語として流通するようになると、学者たちは日本由来の「new religions」を代替語として採用するようになった。この点については、次の拙稿でも触れているので、あわせて参照していただければ幸いである。


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