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背の高いサロメ/Novel by ねづ

背の高いサロメ

32,032 character(s)1 hr 4 mins

再録/
デュラハンキャスニキって、かっこいいよね!という一心で書いたもの。
デュラハンキャスニキはいいぞ。
*槍弓要素も含まれるため、1キャラ1CP派の方はご注意ください。
*時間軸はFGOハロエリちゃんイベント1部になります。

1
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horizontal

 ほろりとあっけなく頸部から転がり、テーブルの上に見事着地したのはキャスター――クー・フーリンの頭部だった。


「よお、エミヤ。こっち来な」と、カルデアの備品の点検に向かう道筋にいたエミヤを呼び止めたのは、キャスタークラスで顕現しているクー・フーリンだった。腰に届くか届かないかといったあたりの長髪が、動きに応じてさらりとたなびく様を花が散るようだと言ったのは、詩を愛する少年だったろうか。
 絆の浅い第二部隊をシャドウサーヴァントとの戦いに赴かせているため、エミヤが配されている本隊は一時休暇を与えられている。霊脈から魔力をくみとる担当であるキャスタークラスでありながら、前線に立つ任についているクー・フーリンもまた、まれな休日を謳歌しているはずなのに、顔に浮かぶ色は憂いの名がふさわしい。
 エミヤは赤原礼装で守られていない腰部を無意識に両手で隠し、浮かない顔のクー・フーリンにふりむいた。
「なにか私に用か?」
「どうせ手空きだろう。あからさまに嫌がるんじゃねえよ」
「べつに……嫌がっているワケでは」
 ただ落ち着かないだけだと、心もとなく言う姿はいとけなさがある。冬木での聖杯戦争の記録、あるいは記憶を保有しているせいか、エミヤは召喚システムでよばれた他の英霊はともかく、クー・フーリンやアルトリアに対して苦手意識を持っていた。第二特異点で聖杯を回収したところで、やっと真名呼びに慣れてきていた様子だが、一対一で向かいあうと途端に生娘のようにちぢみあがる。
「じゃあ照れてンのか? ほんのすこしばかり姿かたちが変わっただけだろうが、いい加減慣れろや。あのセイバーでさえも、マスターからの真名呼びにすぐに慣れたっつうのにテメェは……なんというか、妙なところですくむ癖がついてんな」
「君のようにふてぶてしくないのでね、主が変わったというのにすぐさま尻尾を振るような狗とは。昨日もマスターにあれを作ってくれやらこれを用意してくれやらと、甘えたようじゃないか?」
 カルデアの通路に険悪な雰囲気を充満させるきっかけをエミヤがつくるが、クー・フーリンは小指で耳をほじってまともにとりあうことをしなかった。樫の杖で床をうちならして、「嫉妬か?」とのうのうと言い放った。
「だ、誰が嫉妬をするか! そもそもどっちにだ!?」
「案外マスターにかもな。オレと仲良しのマスターにやきもち焼くとは、いつにもまして可愛らしいところがあるとは知らなかったぜ」
「だからっ、嫉妬などしていないと言っているだろう!!」
 いきりたち、腰から手を外して拳をつくってムキになるエミヤをクー・フーリンはにやにやと笑ったが、間を置かずに真剣なおもざしに切り替えた。
「正当な主替えにいちいち抗議するほど、この『オレ』は若くねえぞ。だからな、いまテメェがアホほど狗呼びしたところでなんともねえよ。や、ちょっとはむかつくけど。ま、なんであれこの身は従う者ではなく導く者としてあるんでな、挑発を受けてやれねえワケ」
「……」
 思わずといった風に、エミヤが小声で「調子が狂う」と告白した。クー・フーリンは目尻に小じわを寄せて、くしゃりと破顔した。老いと若さの混在する不思議な笑みに、褐色の頬骨が赤みを帯びた。
「もういい」
「お?」
「用があるのだろう。こんな場所で問答をつづけてもムダだということは、先程のやりとりで嫌でも理解できる。どうせ最終的には君の言うことを聞いてしまうのだろうし、もういい、好きなところへ連れていくがいい」
「聞き分けがよくて助かる。んーと、マスターから借りた部屋があるのはこっちだな」
 クー・フーリンは樫の杖で行き先を示し、エミヤの腕をつかんで一瞬静止した。
「ク、キャ、ラ、…………クー・フーリン?」
 何度も迷ってから吐きだされた呼称に、クー・フーリンはばっとエミヤの腕を放りだした。筋力Eに乱暴に扱われたくらいで痛む耐久ステータスではないが、困惑にエミヤの眉が攣る。
「君、自分でひとの腕をつかまえておいてその反応はなんなんだ」
 掌中をまざまざと眺めているクー・フーリンは曖昧に苦笑し、はだの感触さえもふりはらうように掌をひらひらと上下左右に振る。
「そういや武装ないな」
「休みだというのに武装するサーヴァントは少なかろう」
「だよなあ、そうだよなあ」
 広がった獣の瞳孔をとざし、クー・フーリンは血の気がゆびさきに集まるのを感じて手のひらを太ももの隣に固定した。思いがけないはだの柔らかさとこころよさに、予測のつかない欲がわいた。それをエミヤに言うつもりはない。自身の冷静さが崩れかけたのには参ったが、マスターが一人前にならない限りは導きの役割に没頭しなければならない。キャスターとしてのクー・フーリンが自ら課した務めを全うしないうちには、欲から目を背けておきたい。
 たくましい二の腕をさらす、いまは亡き未来の英雄は凪いだ瞳でクー・フーリンを見ている。青を反射する鋼色がまっすぐ己に向かっているのが小気味よくなり、降参した気分でエミヤの腕をふたたび捕まえた。
「もっとおまえの体は、つるぎのように固いのかと思ってたんだが、そうでもないんだな」
「かりそめでも命を仮託している存在なのだから当たりまえのことだと思うが」
「へえ? オレの手は温かいのか」
「死んだところで、貴様の手は熱を失うほど凡庸ではないだろうに」
「嬉しいこと言ってくれるじゃねえか。そうか、オレの手の熱はおまえに移っているのか」
「クー・フーリン?」
 わずか高い位置にある瞳がクー・フーリンを見つめた。蒼い蔭がきざまれた額に気恥ずかくなり、エミヤは瞬いて感情を逃がした。数週間あっても見慣れないキャスターの透明がかった顔貌は、『ランサー』であるのに『ランサー』ではないようだった。ひとではなく、より魔に近しいいきものに思えてやまない。
「行くぞ」
 クー・フーリンがエミヤの腕を手繰り寄せた。「オレの言うこと、きいてくれるンだろ?」耳朶をさしおいて、直接注がれた呼気がぞっとエミヤの背を粟立たせた。
「そう、だが」
 胸元を喘がせたエミヤを悪戯げな顔で見遣ったクー・フーリンが邪気なく笑みを深めるのに、容姿が整った男はなにをしても魅力的に見えるのだろうなと他人事のように思った。
「やましい用ならば、話の途中でも切り上げさせてもらうぞ」
「やましいことされることに心当たりでもあんのかよ?」
「君とは付き合いが長いのでね、ないとは互いに言いきれないだろう」
「ほおお? 『ランサー』とナニがあったのか」
「さあ、どうだろう。摩耗してよく覚えていないよ」
 魔術師にしては固い槍ダコのある指の腹に動きを封じられた腕の血管がどくりと脈打つ。クー・フーリンのつまさきが床をとらえる度に、気の抜けたぺったらぺったらした音が響く。力の劣るキャスター風情におとなしくされるがままのエミヤは、あいかわらずぎこちなく緊張している。ランサーとして召喚されたさいは己が技術と力量とで一歩うしろにともなっている弓兵を圧倒したが、カルデアにいる現在は精神的に征服したような錯覚がある。
 体は精神に従うものだ。数分前にちらりと欲情の端をかすめたものが、怯えるエミヤに煽られて顔をだしそうになった。
「きっとテメェの肉はあまいんだろうなあ」
「何の話だ」
「とある猛犬の話さ、気になるか?」
「遠慮しておこう、猛犬には良い思い出がない。出会い頭に心臓をつらぬかれたり、人の事情も知らないのに事態をかきまぜたりされたものでな」
「そりゃ残念だ、面白い話だったんだがな」
 マスターの部屋の前を過ぎ去り、中央管制室にほどちかいあたりでクー・フーリンは立ち止まった。うつむいていたエミヤは、くたびれたフードに顔をつっこんで妙な声をあげてしまった。
「おっ、ちゃんと結界張ってあんな。あのひよっこ、なかなか気を利かせるのがうまい」
 エミヤの腰をひきよせ、クー・フーリンは機械仕掛けの扉に自身を認証させた。空気がすぼまりに消える音がし、扉がなめらかに開かれた。過度な接近に息をのんだだけで、エミヤは黙してその背についていった。
 ふたりそろって越えた扉のむこうには、清涼な花の香りがとどこおっていた。
 ちいさなテーブルをはさんで正面に顔をつきあわせたエミヤに、クー・フーリンは表情を凍らせて樫の杖に唇を寄せてから告げた。
「エミヤ、声を殺しておけ」
「なに――」
 つぎの瞬間エミヤが目の当たりにしたのは、蝋人形のような色味の頭部がクー・フーリンの体を離れてテーブルへと落下する光景だった。

 カルデアの一室、誰が活けたか知らないが見事な黄薔薇が一輪、花瓶に刺さっている。
 無粋なことば選びだと思うが、エミヤには薔薇の正確な名前も、繊細な角度の活け方も、誰がなにを思ってそうしたのかを理解できない。追想すればいくらかの知識が得られようが、眼前の相手との会話をさえぎってまで没頭しようとは思えなかった。
 顔を覆い隠すには適切な長さのフードがついたマントはところどころが解れ、あつらえたように破けていた。乱暴な切り口だとエミヤは疎む。かつて美しく染色されていただろう薄青のマントは使用者の粗忽さで、見る影が残るばかりだ。
 エミヤは数秒視線を捉えていたマントから目を外し、やっとテーブルで瞼を閉じているクー・フーリンの頭部を見据えた。血の気の通っていないようなしろさは体についていたときからで、目を瞠るものではなかった。視線を反らそうにも間に合わずにまともに見てしまった頸部の切り口は、うつろで黒々とした闇を広げている。エミヤはどちらに話しかけたものかと一瞬悩み、やはり体のほうだろうかと目を伏せた。
 合わせる目のない体のみぞおちを気だるげに流し見て、エミヤは「面倒を起こすのが巧い」と感心しているような素振りで、ひとまず言ってみせた。口調は皮肉まじりで刺々しかったが、頭部と体躯が分かれてもなお生きながらえている男に本音から感嘆していた。
 首にわだかまるうつろからクー・フーリンは声を響かせて、自らの頭部を手甲と指輪のはまった手でかかげた。
「今度ばかりは面倒じゃねえよ。仕事だ」
「仕事? 自らの首を自らの手で切り離すことが仕事とでも言うのか。これはまた悪趣味な仕事があったものだ、貴様の事情を詮索するつもりはないが、それに私を巻きこむ甲斐性には毎度驚かされる」
 本来言葉を弄する機関を持つ頭部は微動だにせず、切り口の闇がひょうひょうと答える。どういった仕組みなのかと胸がこごるが、それよりも陶磁器のような頭部の冷やかさが気になった。
「いやならいやと素直に言え、皮肉屋。言っておくが今回の仕事はどうしてもひとりじゃ出来ねえ、癪だが助力を頼みたい」
「首と肉体をきりはなして、為さなければならない仕事か。――私を選んだ理由は?」
 エミヤは頭を振り、花瓶へと首を巡らせた。
「キャスタークラスを与えられたいまならば、あそこの花の精とやらに付き合ってもらえばいいだろう。弓兵もどきの守護者では満足な働きを保証できんよ」
 いつか侮られた折にかけられたことばを反芻すると、クー・フーリンはフードを揺らした。くつくつと笑っているようだが、鳴らす喉は半ばで途絶えている。空咳じみた笑いごえが余命いくばくもないのだと脅しているように聞こえ、エミヤは所在なさげに両のかかとを合わせた。
 笑いの矛をおさめたクー・フーリンは、自らの頭部をひと撫でしてから「可愛くねえ拗ね方だこと」と、肩をすくめた。
「剣を扱い、固有結界に長けたテメェが、守護者風情と自嘲したところでうわごとにしか思えねえよ」
「自嘲ではなく適切な評価だと思うがね。まあいい、本題に入れ。君はいったい私にどんな『言うこと』をやらせたい?」
 クー・フーリンは「イイ子だ」と空恐ろしい響きで言った。
 空調システムが働き、天井のあたりから冷えた風がふうふうとエミヤのうなじをくすぐった。
 あげている髪がすこし逆立って、とさかのようにたちあがる。クー・フーリンは見えないはずの光景に、ガキみてえだなと胸中であざわらった。
「なにをニヤニヤと見ている」
 エミヤは奥歯を噛み、ぎっと首の洞を睥睨した。といってもエミヤもクー・フーリンの表情を察したわけではなく、吐息の拍子でおそらくそういう表情をしているのだろうと推測したのだ。
「あまりにもテメェがかわいくって見惚れてたんだよ。そら、弓兵。こいつを受け取りな」
 クー・フーリンは有無を言わさずエミヤに己の頭部を引き渡した。
「腹立たしいが、このカルデアで『オレ自身』の次にそこそこ信用できるのはアーチャー。おまえだけだ。オレが帰るまでそいつを頼むわ、ちっと長旅になりそうなんでな」
 エミヤはどこへとはたずねなかった。愚行を繰り返したくはない。とくにクー・フーリンのような男相手には。代わりにエミヤは「マスターから許可はもらっているのか」と訊いた。クー・フーリンが再度笑ったような、気がした。
「おう、ちゃんともらってるぜ。近々でかい祭りがあるから困る、と泣きつかれちまったが。こちらこそ、おいそれとはぐらかすにはまずい場所に行くんだ。それによ、あのヤロウ普段はひとを思いきりコキ使いやがる。羽休めぐらいさせろと言ってみたら、『俺、クー・フーリンは戦闘狂だと思って。喜ばれてるのかと思ってた』だと。毎日はさすがに疲れるっつの」
「祭りについては私も聞き及んでいるが、それよりも、君にも疲労という概念があったことに驚いている。獣は飢えを知るが、疲れを知らないものだとばかり思っていたが。誤りだったらしいな」
 エミヤの言葉に、クー・フーリンが杖の幹を指弾した。乾いた音に、エミヤがびくりと喉をけいれんさせる。
「挑発はきかんと言っただろうが。これから真面目な仕事に行くって昔馴染みにかける言葉がそいつでいいのか?」
 エミヤは眉をひそめて首を振った。
「ならばなおさらだろう。とっとと仕事を終わらせてこの場所に帰ってくるべきだ。私のような守護者に体の一部を預けるとは、キャスタークラスになって戦意が鈍ったのかね?」
 あずけられた頭部からクー・フーリンの指は外されていない。ためいきをつき、エミヤは 文句をつけられないようにしっかりと頭部に指を絡め、ひんやりとした美貌をそっと厚い胸元に引き寄せようと肘を引いた。ようやくクー・フーリンも納得したのか、日焼けしていない生白い肌が去っていく。
「へえ、おまえに自覚があるとは知らなかったな。オレの片思いじゃなかったとは、嬉しいねえ。心躍るぜ」
「思ってもいないことを言うな。戯言にしても正気を疑わざるを得ん」
 エミヤははっと鼻で笑い、青い髪をさらりと梳いた。
 見えているのか見えていないのか不明のクー・フーリンには悟られたくない行為だったが、エミヤにも一時の別れを名残惜しいという気の迷いがある。片思いなどという乙女じみた単語を使われたのには気分を害したが、何度も顔を合せている英霊はそういない。たとえ出がけに自らの頭部を預けてくる奇行をされようとも。
 あの大火の記憶を保有するクー・フーリンがいなくなる。記憶を共有するだけで心を通わすほどには至っていないものの、他のサーヴァントとは選り分けられた特別なものがあった。
 エミヤのさりげない感情表現に、分かたれたしなやかな体躯はなにも言わなかった。
「じゃあオレは行く」
「さっさと行け、クー・フーリン。そしてはやく帰ってこい。いつまでも奇妙なものを預けたままにするなど、貴様らしくない駄々だからな」
「だが嬉しかっただろう? そいつはオレの命だ、せいぜい大切にもてなしてくれや。テメェのお優しい手でちょうどいいくらいの軟弱者だけどな」
「……ランサー」
「オレはランサーじゃねえよ。わかってんだろ、エミヤ。オレは行く、またな。くそったれの運命」
「君はどうしてそんなに口が悪いんだ」
「テメェほどじゃねえさ」
 クー・フーリンはエミヤの次の句を待たずに、マントを寛がせて腕を挙げた。すると壁面を境に、部屋が異空間へとつながる。かなたから馬の嘶きがあらわれ、見事な黒馬がひづめを掻いてクー・フーリンのそばへと近寄った。杖を抱いた柳のようにしなやかな体躯が、器用に黒馬へと飛び乗った。
 体の興奮に呼応するように、胸に抱いた頭部の面に動揺がさしこんだ。うすく開かれた瞼の下から神秘的な赤色がエミヤをあおいだ。
「つかのまの別れらしい」エミヤが体に向けて言った。すでに頭部は鎮まっていた。「貴様のようなたわけた男に付き合う私も、まあ、愚かなのだろな」
「ちがいねえ」
 体が言い返し、片手で手綱をゆるく引きいて尻を叩く。
「祭りが終わるだろう夕べに戻る」
 まるで館に残す妻へむける言い分だ。エミヤは瞬き、ああと言う。
「一日のはじまりか」
「分かってきたじゃねえか。そうだ、夕べに帰る。それまで誰にもさらわれるなよ!」
 馬のいななきががつよく空を震わせた。蹄鉄がかつりと鋼鉄の床を蹴り、馬上のクー・フーリンともども壁へ向かって走り出した。
 異空間となった室内を駆け回り、本来の広さよりもあてなく拡がった空間内で思う存分駆けた馬は、やがて壁へと吸い込まれていった。その背には首なしのクー・フーリンがいたが、重さを感じさせないさわやかな足取りだった。日常のカルデアに戻った室内で、エミヤは目を閉じた頭部の額あたりを指先でやさしく撫でた。
「寝首を掻かれるということわざがあるが、言わなくて正解だったような」と笑い、上等な布を用意してやろうと退室した。
 首となった光の御子は、半神ではなく魔のうつくしさを湛えていた。けれど先のやりとりで、エミヤの中のクー・フーリン像と魔術師の格好をしたクー・フーリン像とが重なり合い、むやみにきざす羞恥心がうすれていた。ふと思い立ち、エミヤは魔術焼けした褐色の腕に舌をはわせてみた。
「やっぱり、貴様とやましい仲になどなっていないぞ。こんなにもこの肉はしおからいというのに」
 その場面を、偶然通路を歩いていたダ・ヴィンチに目撃されていたとは知らないエミヤは、「は、馬鹿馬鹿しい」と吐き捨てた。

 ****

 ハロウィンが近い!と廊下をばたばた駆けずり回っているマスターに、食堂前に佇んでいたエミヤはメールを打つ手を止めた。
「アーチャーがメインの狩場へ行くから今日はおやすみしてていいよ。大丈夫! 矢避けの加護組連れてくからさ」とのんびり言われ、本隊での任務を免除されたエミヤはひさかたぶりに食堂で食事をつくろうかと献立を考えていたのを邪魔された形になる。
 カルデア所属の英霊には、迷子札もどきの携帯端末を装備するようDR.ロマンから通達があり、以来エミヤはふたりのクー・フーリンを体よく使いパシリにしている。
 端末にはメール機能や通話機能が搭載されており、世俗に染まった冬木の元英霊たちは嬉々として端末を使いこなしている。召喚されて早々、エミヤは聖杯戦争で顔なじみだった英霊とメールアドレスの交換を済ませておいたのだ。通信履歴にはクー・フーリン、ランサーが並ぶわりに、アルトリアの名が一行もないのはエミヤなりの葛藤だったりする。
 マスターに廊下を走らないよう注意するまえに、ターミナルポイントから帰還せず森でぶらぶらしているだろうランサーに野菜と豚肉を買ってくるようメールしなければと、つるつるとした画面のキーボードに指をはしらせた。送信を選択して一分もしないで返ってきたメールには『チキンカレー食いてえ』とだけあり、ランサーが買い物の内容で献立に気づいたことを知る。
「『確定、事項に、意見をいうな、たわけ』と」
 端末の電源を落としたエミヤは、またもそばを走り去ろうとしたマスターの首根っこを掴んだ。
「あ、エミヤ」
「あ、ではない。いくら忙しかろうと、規律は守っておいたほうが後々外聞がいいものだ。自らの首を絞めるような真似はすべきではないと思うが?」
「敏捷対決してるライダーとランサーを注意するときに反論されないように、ってのは分かるけど。だけどエミヤ、ハロウィンが近いんだ!」
「君、弁解をするならせめて尤もらしくだな……」
 言い訳にもならない言い訳に、エミヤはこめかみに指をあてた。マスターは長くなりそうな小言の気配を察し、両手を合わせるとその姿勢で逃走を果たした。
「ごめん! 説教はあとでたのむ!」
「マスター!!」
 いさぎよい遁走ぷりに、エミヤはむむむと唇を引き伸ばした。だが長息のあと、諦めて食堂へと踵を返した。途中足元に安置した赤原礼装で包んだ塊を忘れずに手にとり、食堂の自動ドアがひらくと同時に安寧の地へと踏み入る。
 キャスターのクー・フーリンから託された首は、模索した結果武装でおおいかくすことに決めた。腰部の布地で包むのには躊躇があったが、独力で首を損なわないようにするにはそれが最善だった。
 くすんだ棚からフライパンや鍋、包丁を取り出していると、ぷしゅりと空気が抜ける音が鼓膜を打った。
「ふっざけんなよアーチャー! 『人数分買って来い』っておかしいだろ!?」
 半裸のランサーが膨らんだ麻袋を片腕に担いで食堂にはいってきた。「市場で年のイったネエちゃんたちにおまけされたし、筋力あっても重いモンは重たいっつーの!」
 お子さんがいっぱいいるのねェ~、なんてからかわれたぜったく、じゃあなんだ?テメェがママでオレがパパか?うっわ気持ち悪っ!などと愚痴をこぼすランサーを無視して、エミヤは備蓄していた小粒のジャガイモに芽がついていないのを見てから麻袋にしまい直して紐をしめた。食料倉庫の前にあった麻袋をずるずるとカウンターの奥へ運び、エミヤには腰の位置が低い洗い場へとジャガイモをながしいれた。
「豚肉はどうせ森でイノシシかなにか狩ってくるかもしれんと思っていたが、本当に狩ってくるとは……。これだから狩猟民族は」
「聞こえてんぞ農耕民族。一丁前にウサギも狩れねえのに、ぐちぐち言うんじゃねえよ。美味くて新鮮な肉にありつけるんだから感謝しやがれ」
「床にこぼれた脂や毛を掃除するのは私だというのに、アステリオス君でさえ出来ることで自慢されると哀れめばいいのか、未熟な小僧にするように馬鹿にしながら褒めればいいのか分からないではないか」
「変化球の賛辞なんざいらんわ、打ち返してやる」
 どさりと、いかにも重たげな音を立てて置かれた麻袋には大量の野菜が詰まっていた。もうひとつランサーの肩に担がれているのはイノシシだ。血抜きはされているが毛皮はついたままだ。野菜の麻袋をシンク前に移送すると、ランサーは食堂端にしゃがみこんで床に裂いた麻袋を敷き、手慣れた様子で毛皮もろとも捌いていく。
「内臓食う?」
 あらかじめ腹はあけていたのか、ランサーがこともなげに肝臓をひきずりだしてシンク前で作業をしているエミヤに披露する。
「血抜きは」
「森で済ませてきた。腸は調理がむずかしいだろうし、獣にやった。心臓もな」
「それは残念だ」
 あらかじめ調合した香辛料を瓶からスプーンで小皿へと掬いだしているエミヤはつづけて、「貴様の槍に穿たれた心臓を見ておきたかったのだが。この身にされたように、一縷の望みさえなく破壊されていたにちがいない」とほほ笑んだ。
「あ゛ー? しつこいなテメェは。謝ってほしいのかよ」
「まさか。あの痛みがあったおかげでいまの私がある、君たちには感謝してもしきれんよ」
「左様でございますか。……っと、よし。こんくらいでいいか。おい、アーチャー、肉はどのくらいの大きさにしとくんだ?」
 カウンター越しに叫んだランサーに、「バーサーカークラスの分は大き目、それ以外は君の裁量で頼む」と張りあげた声を返した。
「りょーかい。あのリスもどきにやる分も別にしとくかね」
 解体に使うのはエミヤが投影したナイフだ。剥いだ皮を無造作にまとめ、ランサーは目分量にしては適切な大きさに切り分けていく。うなじから伸びる一房の髪は、紆余曲折があり最終的にランサーの元へ戻ってきたものだ。髪がないほうがピアスが見えやすかったのだと今更感づき、エミヤは野菜についた泥をぬぐう手が休んでいるのに眉をひそめた。
「クー・フーリンはなにをしているのか、知っているか?」
 作業台の下段棚の包みは、預かって数日を経過してもうんともすんとも言わない。そういえば行き先はともかく、仕事の内容さえ教わっていなかった。エミヤの問いかけに、ランサーはもぞりとくすぐったげに背をたゆませた。
「何度きいても、真名呼びはむずかゆい。で、テメェがクー・フーリンのことを訊くってのは、キャスターの『オレ』のほうかい」
「それで、なにをしているんだ?」
「その口ぶり、あっちのオレはテメェを選んだのか。我がことながら趣味がワリいな」
「は?」
 つまり選ばれたエミヤは悪趣味な人間が好むような男ということになる。それは別段かまわないが、話の切りだし方にしては早々に喧嘩を売っているように聞こえる。剣呑な眼差しで焦点を当てると、ランサーはあらかた捌きおえた肉をていねいに並べており、エミヤの尖った目に顔を背けていた。
 武装を身につけている槍の英霊はたいぎそうにゆっくりとエミヤを振り返り、しかたねえなあと片目を眇めた。
「知ったところで、おまえは何も出来ねえだろうに、よくもまあ首をつっこみたがるもんだ」
「気に食わないかね」
 ランサーは麻布の前にあぐらをかき、にやにやと笑った。
「見方によっちゃ可愛いかもな」
「貴様も悪趣味か」
「カルデアはイイ女ぞろいだが、たまには珍味にも心惹かれる。男の悲しいサガってやつだ」
 血の色をした瞳に浮かんだなにかは、エミヤがクー・フーリンに見出したものと同じ形をしていた。
「驚いた、ほんとうに悪趣味だとは。話をはぐらかすにしても下卑が過ぎているし、猥談がしたければ君のところのやんちゃな子犬を連れてくればよかろう。答える気がないなら毛皮を持って、食堂から出て行きたまえ」
「おいおい、口には気をつけろよ。あのやんちゃ坊主は一度キれると手に負えねえんだからな。若いから挑発にものりやすくってなあ」
「……」
「やるなよ?」
 不穏な沈黙にランサーが釘をさす。やや唇を尖らせたエミヤは、子どものようにふてている。顔見知りがサーヴァントに限定されているせいか、エミヤはどことなく幼い仕草をすることが増えた。庇護欲には駆られないが、その童顔の丸みのある頬をついと引っ張りたくはなる。
 エミヤの噛みしめられる機会が多い唇はかさつき、艶が見受けられない。作業台で野菜を刻みながらぼそぼそとつぶやいた。
「……クー・フーリンはなにをしている」
「チッ、しつけえな。わかった、答えてやるからやめろよ。聖杯戦争ならオレも一緒に暴れたいところだが、カルデアではそうもいかん。我慢を強いられる日々ツライワー」
「む」
 ふざけた口調のランサーが、よっと立ち上がり厨房へと踏みこんできた。適当な鍋をつかみ、「手伝いの報酬は味見でよろしく」と頼んでもない手助けを始めた。
 ふたりで肩を近づけて作業をするのはごくまれで、エミヤはうなじがこそげるような気分で包丁を握った。
 今回の召喚はめでたくほとんどのサーヴァントが、座にいる本体からの記録を保持していた。マスターとふたりきりになればランサーもエミヤも、同じ部隊に配属しないでほしいと主張するほどの仲の良さだ。むろんとびきりの笑顔で、「これから仲良くなれる! 俺が保証人!」と親指を立てられて、本隊の前線に置かれている。
 いまだにランサーをクー・フーリンと呼ぶ覚悟ができていないエミヤは、となりで語られる穏やかな声に耳を傾けた。

「オレとあっちのオレと、まあやんちゃ坊主とで持ち回りでやるかね、っつう話だったんだがな、最初は。だがキャスターが『魔術師のオレの役目だろうよ、ガキ共はマスターの祭りに付き添ってやれ』と言って、それで決まりだ。マスターがハロウィンだハロウィンだとやかましいだろうが? オレたちもこの時期はサウィンだなんだのと、手が回らなくなる。いつもは常若の国で妖精らの面倒をみるだけで事は済むンだが、今回はちっと事情が違ってな。人類滅亡が関係しているかは知らんが、魂が迷っているらしい。親父も動けねえというから、オレたちで迷ったやつらを導くことになった」
 子ども舌連中にはかぼちゃのカレーにしてやろうと思案しつつ、エミヤはランサーへと目をあげた。炒めている猪肉をつまもうとしたいたずらな手をはたくのを忘れない弓兵に、ランサーがちぇっと舌打ちした。
「クー・フーリンは常若の国にいるということか?」
「常若の国というには狭間にちかいが、そういうこった。ちなみにその首級は大切にしとけよ、そいつがあっちのオレにとってのしるべだからな。そいつを失うと、体が帰ってこれなくなるかもしれねえぞ」
「なっ!? 君はそんなに大切なものを私に預けたのかっ!!」
「オレじゃないですー、キャスターの『オレ』ですー。だから趣味がワリぃっつったんだろ、たわけ」
「貴様の方がたわけだ、大たわけめ! なぜ止めなかった!? まったく、クー・フーリンはなぜ私のような男にあずけたんだ……キャスターになって幾分か思慮深くなったと思ったというのに、所詮は外見が変わっただけで中身は四足の獣にすぎなかったということか……」
「ひさしぶりにおまえの滑らかな罵倒に殺意がわいたわ」
「ハッ!? この横にいる男の首をきりおとして接着させればすべてはオールオッケー……!?」
「待て待て待て待て待て!! 解決策でひとの首を落とそうとすんじゃねえよ!」
 投影開始、と口ずさみ容赦なくひとふりの介錯刀を魔力で編んだエミヤに、ランサーがとっさに菜箸で防御する。猪肉の鍋の火を弱めついでに、エミヤの右手から包丁を奪い取る。
「混乱する気持ちはわからないがな、あの『オレ』がおまえにそいつを託した意味を考えたほうがいいんじゃねえのか? 趣味ワリぃのはしかたないとして、オレは情がある程度で首をあずけるなんざしねえ。首をあずけるに足りる技量があると認めたからこそ、そいつはおまえの手元にあるんだぜ」
「クー・フーリンが私を認める? なにかの冗談かね、それは。あれは信頼しているとは言ったが、ままある戯言だろう」
「そいつが唯一無二のしるべと知っても自嘲をつきとおすたァ、困ったやつだなおまえ」
 思いのほか柔らかい語調で言ったランサーは、「自分で自分に妬くとは、オレもたいがいだ」と首を振った。
「ハロウィンが終わるにもサウィンが終わるにも時間があるし、オレも珍味に手を出すほどまだ飢えてない。よかったなエミヤ、そいつのおかげで幸運があがったみたいだぞ」
「ランサー?」
「ムカつくが、無自覚でもあっちの『オレ』が仕掛けるのが先だったんでな。年功序列ってやつだ、オレは味見程度にしとくかねえ」
「ひとを珍味扱いするのはいいかげんやめないか、ラン――」介錯刀を消して包丁を取り返そうと、ランサーの手元に意識がいっていたエミヤの右耳の裏に温かい刺激が襲った。「は?」惚けたエミヤの手に包丁を握らせ、ランサーはにやりと口の端をつりあげた。
「しょっぱいな」
「……汗に塩分が含まれていないとまずいだろう……」
「そりゃそうだ」
「ああ……」
 火の通りにくい野菜を選んで鍋に投入していくランサーにつられ、エミヤも切り終えた野菜を掴んで鍋へ放る。肉の脂と野菜の自然の旨みが空気中にとけだしていく。
 大方火が通った頃合いで水を入れ、猪肉の臭みを消すためにハーブの葉を落とし、灰汁が出るまで待つ。
「…………」
「…………」
「ランサー、ひとついいか?」
「おう。なんだよ」
「たしか私が記録していたかぎりでは、おまえは女性好きだったと思うのだが」
「あー、まあ惚れたら抱いてたし」
「それを踏まえて質問させてもらうが、先程のあれはなんだ? 感触からして、おそらく耳の裏に鬱血している個所があるような気がするし気のせいでもない気がする」
「ああ、キスマークつけたから」
「やはりキャスターに頼んで自殺させるしかないな」
「マスターを悲しませるつもりか?」
「ぐぅっ……!」
 鍋に触れている部分が泡立つ。灰汁が出るにはもうすこし時間があったので、ランサーはとっておきの猪のフィレ肉にかんたんに塩コショウをふりかけて隣のコンロで炙ってみることにした。
「マスターを引き合いに出すのは、卑怯だ」
「まあ冷静になれよ、いまのところは手を出さねえって。あっちの『オレ』がまどろっこしい手管で落とすのを待っていられるうちは静観しといてやる」
「君たちは暇つぶしにたいして、ずいぶんと凝り性になるんだな」
 炙り方に不満があったエミヤが、見兼ねてフィレ肉をつかみとる。素手で肉を焼いていた事実に青筋を立て、箸でフライパンの上へと移動させた。
 両面側面にまんべんなく焼き色をつけホイルをかぶせていると、ランサーが低く唸った。
「阿呆。遊びごときでこれほどオレが、『オレ』たちが手間をかけるかよ」
 エミヤは聞かなかった振りをした。 

 ランサーがてきぱきと灰汁をとるかたわらで、エミヤは結び目がほどけかけている赤原礼装をかまっていた。布の合わせからのぞく青い髪に指をさしいれて、神妙に目を細めた。この首がクー・フーリンの帰途のしるべになるというが、あまり実感がわかないのだ。
 じっと生気のない首を見下ろしていると、ランサーが「どんな気分だ?」と声をかけた。
「年増のサロメになった気分だ」
「サロメとは豪勢にいったな」
 ゲオルギウスの夜半語りに、暗記している聖書がある。ローマ以前の時代出身のサーヴァントは、ゲオルギウスの夜の集会によく足を運んでいるらしいがランサーもそのひとりだったようだ。「こんなにいかついサロメがいたら、王サマは甘やかすどころじゃねえ」と吹きだした。
 エミヤは結び目を固めて、屈めていた腰を伸ばした。
「首を預かるなど、本来は私のような者よりも、君の奥方がその任にふさわしいだろうな」
「終わった生について語るのは好みじゃないんでな、パスだ」
「すまない、不躾だった」
 苦々しく戒められた眉間に、エミヤは謝罪した。生前の語らいを良しとする英霊もカルデアには召喚されているが、ランサーは好まないようだ。しかし飄々とした男は、不機嫌をみじんもおくびに出さずに野菜の瓶詰めを開けてカレーに追加した。最初にエミヤがいれた茹でトマトにならって、実をつぶした。
「おいエミヤ、いつ香辛料を継ぎ足すんだ?」
「む、もうそこまで行ったのかね。カレーの面倒はこちらでするから、君はあちらで片付けでもしておくがいい」
「おう」
 香辛料の量を確認しているエミヤにうなずき、ランサーは厨房から出て行った。
「ランサー、そういえば味見はいいのか?」
「あー、もうしたんでな。ごっそーさん。オレはもうちっと塩辛くても食えるぜ」
 そのセリフが何を指し示しているのか理解できないほど、エミヤは無垢ではない。耳の裏にぱっと手をやり、わなわなと震えた。
「貴様の好みなど知らん!!」
 怒声に、後姿のランサーが「でも、ちゃんと覚えてくれるんだろ?」と聞き捨てならないセリフを残して去った。
「誰が狗に食わせるかっ!」
 閉じた自動扉に怒りをたたきつけ、エミヤは錯覚の頭痛にみまわれて、てのひらで顔を覆った。困惑と警鐘がなりやまない。奇跡のような地獄が起きた世界で、エミヤは誰とも懇意になるつもりはないというのに、クランの猛犬二匹は容易に垣根を越えてこようとしている。ランサーは、キャスターのクー・フーリンは無自覚だとか言っていたが、肝心のエミヤはクー・フーリンの欲を察していた。気持ちのほうは詳しく知りたくないが、ひとかけらの殺意と共に欲がはしれば、さすがに気づく。
「考えたくない、が。考えざるを得んか」
 ずるずると芋づる式に自分の気持ちまでうかがってしまいそうだ。
 鍋から漂う湯気で頬を熱したエミヤは、憂鬱に息を吐いた。

 ****

 某ドラクル娘が聖杯のかけらを入手したことにより開始された不条理なハロウィンパーティーは、鍛えあげられたゴリラ本隊によって殲滅させられた。現在、マスタールームの飾りつけに使われた魔力量を分析しているエミヤもゴリラの一員だ。
「ア――エミヤ、ここにいましたか。マスターが呼んでいます」
 やはりゴリラのメンバー入りを果たしているアルトリアが、どもりながら開放されているマスタールームのエミヤを呼んだ。
「もう出発するのか?」
「はい。私も遅れて参戦する予定ですので、よろしくお願いします」
「彼女はセイバー・リリィを連れて行くつもりなのか……」
 修行中のリリィを鍛えてあげるって約束したから、と今朝がたマスターが意気込んでいたような。エミヤはふむ、と首を傾げてから端末をベッドへと置いた。次いで、ずっと背負っていた包みをアルトリアに渡した。
「一旦、DR.ロマンへ報告に赴いてからでないと出発できん。すまないが、代わりに彼を預かっててくれないか、ア、アルトリア」
「はい、承知しました。マスターへそう伝えておきましょう、エ、エミヤ」
 にこやかに言葉を交わしたアルトリアとエミヤは、顔面に笑みを貼りつけて数秒硬直したあと一斉にためいきをついた。深呼吸三回分の長さで吐きだされた息に、互いに顔を見合わせて苦笑する。
「むう、まだまだ慣れませんね。キャスターは嬉々として、『アルトリア、リリィもちょっとこっち来てっ。着せたい服があるのよ』などと華麗に名前呼びを敢行するというのに……」
 似ていないものまねに眉間をなごませて、エミヤは腕を組んだ。
「あれは例外だ。私や君は、縁があるぶん気恥ずかしさが勝ってしまう」
「ランサー相手ではそうでもないのですが。そういえばこちらの包みには、キャスタークラスのクー・フーリンの首が入っているとのことですが真でしょうか?」
 ハロウィン仕様のマントを羽織っているアルトリアは、赤原礼装を大事そうに胸元へ寄せた。手先に宿るいつくしみに、不意にエミヤの胸がちりちり焦げる。しかし胸内を正視はせずに、アルトリアにむかって首をすくめた。
「ふだんなら根も葉もない噂だと捨ておいたが、いまは真実そのとおりでね。サウィンの祭りが終わったら帰ってくるらしいから、それまで不承不承預かっている」
 アルトリアがうれしそうに肩を上下させ、「では一時とはいえ、私の任務は重大ですね」と満足げに息を吸った。憧れの象徴のような少女からかおる優しい空気に、ついエミヤはどきどきする。記憶にあるまばゆい星が眼前にいるのだから仕方がないと、誰それに弁解してエミヤは頬を掻いた。
「ア、ルトリア?」
「いえ、その……ここしか寄る辺はないとはいえ、貴方が『帰る』という単語を使ったことに、感慨を覚えてしまいました。きっと私の中の記録が、そのような感情を抱かせたのでしょう。不可思議だと思いませんか?」
「さてな。たかが単語ひとつにも過敏に反応するような記録を持たない身だ、共感を求められても応えられんよ」
「ああ、貴方は摩耗していたのでした」
「守護者には、人格や功績をかたちづくる伝承を持たない者がほとんどだ。枠があるだけ幸いで、その中で魂は酷使されてすりきれていくのは摂理だろうな。とりあえず私はDR.ロマンのところへ行く。またあとで会おう、アルトリア」
「ええ、長話で時間をとらせてしまい申し訳ありません」
「いや、貴重な時間だった」
 エミヤは髪を掻きあげ、部屋を出た。

「彼は忙しい方ですね、クー・フーリン」
 アルトリアは包みに話しかけた。――一瞬、うかつにも非戦闘状態であるのに竜気を帯びてしまったときがあった。魔力が風となって展開される前におさめられたが、契機はまたたきの間ほどに飛ばされたエミヤからの敵意だろう。味方同士、マスターからの誉れを競う仲でもないのに不思議なことだ。
 エミヤの考えることを推測するのはむずかしい。剣となった彼は、彼自身がとる手段と理想と思考回路が摩擦を起こし、ちぐはぐな継ぎはぎのようだった。いずれかを優先させればいずれかが削られ、いずれかを死守しようとするどれもがくずおれていく。難儀な生き方をしていると思うが、アルトリアは積んできた時間を慮ると、うつくしいといと暁光をあおぐ気持ちになった。
「――……アーチャー」
 ひとつ疑問があった。エミヤシロウはアラヤと契約した守護者だという。ならばカルデアのメンバーが、観測された人類滅亡の節理をくつがえさなければ分霊たるエミヤはどこへ帰還するのだろう。人類の集合無意識たるアラヤは、人類を存続させるためにある。では、人類が滅亡したいまアラヤは”有る”のだろうか。
 鳳凰の羽根が縫いこまれたサテン織のマントをひるがえし、アルトリアは不穏な問いを直視するのをとめた。


「いや~、生首連れて戦闘に出るなんてすごいなあ」
「君の崇高な趣味にくらべれば、まだまだ半端だと思うがね」
「日々の癒しを得るのに躊躇なんてしてられないから、それはそれ、生暖かく見守ってくれると嬉しいな」
 どこかしら火災のあとがある発電室で、ロマンから貸してもらったフード付きコートを着用したエミヤは、フードの大きさを確かめようと首をひねった。
「これも武装の一種のようだな」
 赤原礼装ほどではないが、外界からの衝撃を緩和する機能がある。数秒で看破したエミヤに、ロマンは「さすがだね」と拍手した。
「ダ・ヴィンチちゃんが礼装や武装を開発しているんだよ。それは試作品だけど、良かったらダ・ヴィンチちゃんに使い心地とか報告してくれない?」
「武装を無事に返却できたのならば、そうさせてもらおう」
 なににも染まっていない白いコートの首周りを調整しつつ、エミヤはまつげに落ちてくる前髪を手で払った。ロマンが「モテる男はさりげない仕草がちがうんだなあ……」となぜか凹んでいるのを放置し、礼をもういちど口にしてから発電室を退出した。
 サイズを合わせていない武装は、唇から下を完全に覆い隠している。赤ではなく白を身につけるのは生前において、せいぜいが体育の時間か怪我をしたときくらいだ。セイバー・リリィには白がよく似合うが、自分のような平凡な容姿で白を着こなすのは至難だ。不詳の羞恥心にかられたエミヤは、この姿をクー・フーリンには見せたくないなと唇を引いた。絶対にからかわれると解かっているのに、あえて自ら恥をさらしにいくのならば全力でクー・フーリンに首をなげつけるつもりだ。
 中央管制室が視界に入り、出立のため急ごうと歩を速めたエミヤは、ちょうど正面からマスターがやたらきらきらしい瞳で駆け寄ってくるのをみとめた。
「マスター、あれほど廊下は走るなと――」
 叱咤しようとしたエミヤの腹部に跳びこんできたマスターは、固い腹筋にぐりぐりと頭を押しつけてから顔をあげた。
「ドッペルパーティー最高!」
「む、医務室に連れて行ったほうがいいかもしれんか」
 開口一番、謎の単語を発したマスターの額に手を当てる。てのひらと同じか、すこし低い体温は平熱を意味している。笑みのなごりを顔のはしばしにのぼらせたマスターは、興奮で汗ばんだほおを震わせた。
「クー・フーリンがいっぱい祭りなんだっ」
「……なにを力説したいのか知らないが、クー・フーリンを相手取るならばセイバークラスのサーヴァントが有効なのではないかね」
「そうだけど、クー・フーリンのあとはアルトリア祭りで、エミヤが必要なんだよ。エリザベートを待たせてるから一緒に行くぞ」
「え、ちょっ、待っ」制止をきかず、マスターは強引にエミヤの手をひっぱって、管制室までの距離二メートルを駆け抜けて、自動扉の隙間から侵入した。
 ハロウィンに浮かれたドレス姿のドラクル娘が、「アタシを置き去りにして、ハロウィンパーティーに行くのは許さないわよ子イヌ!」と憤慨している。ハロウィン騒ぎを提供した真犯人の怒りに対し、マスターは「新作ミニドレスの刺繍をヴラド公に一緒に頼みにいってあげるから、今日はもうベッドで寝てて」と説得した。一緒、新作ミニドレスに惹かれたのか、存外でもなくチョロすぎるアイドルは牙をちらつかせて「そ、それならいいわよ、許してあげるわ!」と可愛らしい高慢さで胸をはった。
 マスターのコミュニケーション能力の高さに舌を巻いたエミヤは、カルデアで唯一サーヴァントを率いることができるマスターが一介の魔術師ではなかった幸運に心底ほっとした。下手な魔術師ではプライドのたかさで、サーヴァントと折衝を起こすかもしれない。マスター適正によってカルデアに選考されたという主は、未熟ではあるけれど強かな性格をしている。その場しのぎの出任せであっても、後日この少年はエリザーべートと共にヴラド三世に頭をさげにいくのだろう。
 機嫌が上昇した場合どうにも手をつけられなくなる傾向があるのには頭痛がするが、おおむね良いマスターなのだとエミヤは思っている。
 よしよしとエリザベートの頭を撫でたマスターは、ロマンとの念話で転移の準備を進めてもらっている。ハロウィン監獄城はマスター意向で一夜限定で存続に許可が出されており、第四部隊までが城下町や墓地で武装礼装発掘を続行しているのだ。エリザベートがいるのは移転の際の座標固定に必要だからで、一旦固定してしまえば不要なのに、マスターにじゃれついて離れようとしない。
「ほらエミヤがいるし、もう隊員はいらないのはわかっただろ? 徹夜はお肌によくないって言うし、エリザベートはマイルームでおやすみしようよ」
「子イヌがアタシを心配してる……ですって……!? ハロウィンが終わる前に帰って来るのよっ。待ってるんだから!」
「はいはいおやすみ」エリザベートの尻尾がぴいんと張り、マスターに帽子の位置を直してもらったことで機嫌のよさが増す。ぶんぶんと腕を全力でふって管制室から出て行ったエリザベートに手をふりかえしてやってから、マスターが「で、エミヤ」と踵を鳴らした。
 身長差の関係でエミヤの胸元に向かって話すマスターは、指を三本折ってひいふうみいと本隊の人員を数えた。
「ドッペルパーティーは本隊の切りこみ組でいけるかと思ったんだけど、やっぱり足りなくなって。エミヤにはドッペルアルトリアを任せたいからよろしく」
「了解した、マスター。期待に応えようとしよう」
 エミヤがうやうやしく一礼しおえると、部屋の隅で待機していたアルトリアが歩み寄った。赤原礼装の包みをエミヤに返し、「貴方がいだくほうが相応しいですね」とほほ笑んだ。
「すまなかったな、……アルトリア」
「いえ、なにごともなく返すことができて良かったです。それと、アーチャー」
「なにか忠告かな?」
「忠告ではありません、どちらかといえば苦言になりますが。その……、もっと自身の気持ちを直視したほうがいいかと」
「それはどういう意味だ」
「言葉通りの意味でしかありません。貴方は冬木の地獄でキャスターと交戦されたことを覚えている、つまりそういうことでしょう」
「……君に明かすことではあるまい。断言は避けさせてもらう」
「ふたりとも、喧嘩?」
「ちがう」
「ちがいます」
 不穏な気配に、マスターが首をつっこむ。エミヤとアルトリアは顔を見合わせ、そろって否定した。
「そう? 仲良しなんだ、ふたりとも」
「縁があるだけだ、マスター」
「そうですとも。さあ、出発ですよ、マスター。気を引き締めてまいりましょう!」
 無機質な機械音声によるカウントダウンがはじまった。エミヤは包みをなんとかフードへとおさめ、馴染みの双剣を投影した。呼気一拍で形を成した双剣をかまえる。アルトリアは細腕にあまると思われる大剣を、腰帯からぬいた。
 機械音声がいち、と言い終えた瞬間、管制室は眩い赤光につつまれた。

 ――そうして彼らが転送された先は、監獄城から外れた街の端の端。切りこみ組もとい、ランサーとヴラド公が応戦している途中だった。
「マスターよぉ、ちっと援軍呼ぶのが遅いんじゃねえか? 意地でも一体は崩したが分が悪い」
 往生際の悪さに定評があるランサーの矢避けの加護をもってしても、最優のセイバークラスふたりを相手にするのはまずいようだ。しろい頬には切り傷がつくられており、ヴラド公の蒼白の肌にも黒い血がこごっている。
「ごめん、ランサー! エミヤ、ヴラド公と交代してくれ。アルトリアはもうすこし待機で頼む」
「了解した。さがりたまえ、ヴラド三世。君の無念、私があずかろう」
 エミヤは入れ違いにランサーのかたわらへ走った。霧のような黒衣を引きずったヴラド三世が「血を……」とひと言のこしてマスターに回収されていった。
 唇についた血を舌で舐めとったランサーが、本来後衛のはずのエミヤをちらりと笑った。
「ドッペルパーティーだとよ。第一陣はオレたちの形をしたサーヴァントが出やがった、おかげで苦戦したぜ」
「同じ顔だからと、戦意が萎えるような自己愛主義だとは知らなかったよ」
 エミヤがしれっと応えると、ランサーはセイバー・オルタの一撃を槍の柄で防ぎながら「自己愛なんぞ知らねえな、強敵であれば十分だっつうの!」と歯を食いしばった。
 間髪なくランサーを狙ったカリバーンを双剣ではじきかえし、エミヤは詠唱の一節を唱える。宝具を使用するためには、エミヤの場合は真名解放ではなく己の世界に埋没する呪文が必要だ。心象風景によって世界を塗りかえるリスクは守護者であるエミヤにはほとんど与えられない代わり、己の心を見出さなければならない。
 舞うようにセイバー・リリィを切り伏せ、エミヤはクー・フーリンの首の重みだけ動きづらいフードを揺らしてひざまずく。レンガ造りの道路はひざに冷たいが、己の世界にある剣よりはあたたかい。
 ランサーの損傷がおおきくなっていく中で、とうとう最後の一節を意識にのみこませようとし。
 セイバー・オルタがもの言わず、金色の双眸でエミヤを見上げているのを正視した。「っあ、」脳裏にノイズがはしり、エミヤは呻いた。
「アーチャー?」
 動きがとまったエミヤをふりかえったランサーが、目を瞠った。
 固有結界が発動する直前アルトリアが守護するマスターの背後から、ゴーストが迫っている。セイバーに注意をうながそうと口を開きかけたランサーは、ゴーストが無防備なマスターを素通りしてエミヤの背後を狙っているのを察知した。
「おい、アーチャー!」
 精彩を欠く動きであるものの、セイバー・オルタが黒い甲冑を不吉に鳴らしてエミヤへと大剣をふりかぶった。ほぼ同時にゴーストがフードの中身へと骨の手を伸ばし、ランサーは「くそったれ! 戦場で忘我するなんざ、初陣のガキでもやらねえよ!!」と槍をセイバー・オルタの心臓へと突き刺し、エミヤをつきとばした。
 つきとばされた勢いで、フードから包みが飛び出た。エミヤは真っ青になり、ゴーストが宙のそれを捕まえようとするのに競い指先で空を掻いた。
「だめだ! それはクー・フーリンが私に……っ!」
 常若の国に旅立ったというクー・フーリンがエミヤの元へ帰ってくるために、必要なものだ。
「私が、彼のために、守っていなければならないものだ!!」
 ゴーストの骨が触れるのに先んじ、包みを手のひらで受けとったアーチャーをランサーが鋭く一喝した。
「馬鹿野郎! そいつから離れろ!!」
 神出鬼没のゴーストは、自らに内包している霊力を爆発的に放射させることで空間転移を可能とする。エミヤが我に返ったとき、すでにゴーストはしろい火花を放とうとしていた。
「エミヤ!」
 恐々とした叫びを耳が拾うまえに、エミヤはゴーストを道連れにこつ然と消えた。

Comments

  • わんわんお
    June 2, 2025
  • なぎさん
    February 25, 2023
  • August 22, 2022
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