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【キャス弓】魔術師の秘密の庭/Novel by きよべ

【キャス弓】魔術師の秘密の庭

17,384 character(s)34 mins

◇FGO時空/サボタージュキャスニキとファザコン弓兵/できてない
◇植物と妖精に愛される光の御子アツい… アツくない?という妄想をこじらせただけの産物です
◇キャス弓っていうかキャス←弓っていうか ほんとすいません

◆便宜上槍弓タグお借りしております
◆表紙お借りしました(illust/49400363

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「恋をしていますね」

 あまりに突然な指摘に対し、エミヤが「なんでさ」と呟いた。




「違いましたか?」
「違う。というか何だ、その格好は」

 カルデアの談話室兼食堂には人気が少ない。平時は両手に余る数のサーヴァントたちでひしめき合うことも多い憩いの場だが、ここ数日は各々が好きなように動きまわっているからだ。

 酒気に惑った京の都、突如飛ばされた天竺の旅。このところ続いたイレギュラーなレイシフトの数々は、成長途中の若きマスターにはいささか堪えるものであったらしい。それでも虚勢を張って新たな人類史救済の旅に出向こうとした少年を医務室に担ぎ込んだのは、供給される魔力のゆらぎを敏感に感じ取った彼のサーヴァントたちであった。

 カルデアの誇る優秀なドクターの下した診断は、軽度の疲労。数日間の休養を命じられた少年は、今は自室で後輩に看護をされていることだろう。

 伴い、彼の率いる英霊たちに降って沸いたのは思いがけぬ休暇であった。歓喜する者、残念がる者、反応は実に様々である。
 自室でひたすら惰眠をむさぼる者、仮想戦闘訓練室で手合わせという名のストレス発散に打ち込む者、ごく短時間のレイシフト――これはマスターの許可に加え厳重な行動制限を必要とするが――による物見遊山を楽しむ者。さすが歴史に名だたる英霊たちともなれば、余暇の使い方も十人十色であるといえる。今現在、この場で呆れたように眉をひそめている褐色の肌の男を除き。

 エミヤはそっと溜息をつき、手にしていた盆を近くのテーブルに置く。マスターに届けた雑炊の椀は舐めたように空になっていた。とりあえず食欲は戻ったようで幸いである。

 目深に被っていた紫紺のいろのフードを脱ぐと、なかから現れたのはひらめく白い軽装であった。ふぅ、とかるく息をついたセイバー・リリィが、照れたようにはにかんだ。

「ここのところレイシフトもありませんし、エリザベートさんが暇だ暇だと言い出しまして」
「あぁ…」

 かのドラクル娘の顔を思い浮かべ、大体の察しをつけたらしいエミヤが遠い目を向けた。

「マスターに何か精のつくものを作ってあげると主張していたのですが、清姫さんの大反対であわや喧嘩になりそうだったのです。さすがにカルデアが半焼するのはマスターに申し訳ないですし、なんとかお止めしようと」
「よくやってくれた。竜同士の喧嘩では半焼では済むまい」

 加えて、純然たる好意の発露とはいえ弱ったマスターに毒物を与えられてはたまらない。想像しただけで傷んだ胃を抑え、深い深い溜息をつく。いえ、と謙遜した剣の少女が続けた。

「修行にもお誘いしましたが、汗臭くなるから嫌だと。では占いでもしてみましょうかと言ったら、これがお二人とも大喜びで」

 今日は私のことはフォーチュン・リリィとお呼び下さい。心なしか誇らしげに胸を張る少女剣士を前に、なんでさ、と再び弓兵が呟いた。

「…一応聞くが、なぜ君が占いを?」
「お忘れですか、エミヤ先輩。私の後見人は稀代の星見です。見よう見まねですが、私とていずれはブリテンを負って立つ身。恋占のひとつもできずに何とします」

 あまりにも純真な笑顔に、少年時代を通り過ぎて久しい男は言葉もない。それにいつの時代も女性とは占いに目がないものだと、望むと望まざるとに関わらずおんなに縁深い生涯を辿ってきたこの守護者は知っている。

「的中率もまあまあではないかと自負しています。清姫さんの恋のお相手は黒髪碧眼人望深いタイプの殿方、エリザベートさんの気になるお相手もそれによく似た真摯な魔術師と占ったところ、お二人からグランド占い師の称号を頂きましたので、こうして他の方も見て回っているのです」
「そうか……」

 ”スキル・直感B”の単語が脳裏に浮かんだが、賢明な男はそれを口に出すことはしなかった。というか直感以前の観察の問題であるような気もしたが、やはりそれも言わなかった。
 手にした水晶球を紫紺のローブで丁寧に包んだ剣の英霊が、何事も形からですのでこれはメディア殿からお借りしました、と付け加えた。

「それでなぜ先程の結論になる、セイバー・リリィ?」
「フォーチュン・リリィです。なぜだかそうに違いないと思ったのですが、外したとあっては騎士の名折れ。もう一度占わせて下さい。花の魔術師の名にかけて、今度こそ当ててみせましょうとも!」

 意気込んだリリィが、むむむと唸って目を閉じた。水晶球はローブの布地に包まれたままであったので、どうやら本当に雰囲気作りの小道具でしかないらしい。

 純情無垢な剣の英霊、聖剣を帯びたかの少女の面影を前に、エミヤの名を持つ弓兵が口を挟めるわけもない。不遜に腕を組みつつも、多分な困惑といくらかの甘さをもって待つ男に、見えました、と顔を上げたリリィが微笑んだ。

「クー・フーリン殿と喧嘩をしましたか?」

 男の褐色の無表情、常に刻まれた眉間の皺が0.2ミリほど深まった。




 あの男とは相性が悪い。

 エミヤはそう確信している。旧友では決してなく、旧知と呼ぶには温すぎる。

 冬木の聖杯戦争を始めとして、時を変え場所を変え巡りあい、殺し殺されあってきた因縁は根深い。もはや見慣れた紅い魔槍ではなく、杖を手にした青いキャスターとして現界したかの男の姿を見た此度の召喚には驚いたものの、本質はどこまで行っても変わらぬとみえる。森の賢者と称されるドルイド、年経た叡智の具現として在るぶんだけ、エミヤにとってはむしろ厄介であるともいえた。

 一言でいえばやりにくい。ソリが合わない、相容れない。打てば響く荒々しさを秘めたかのランサーとは違う馬の合わなさである。

一の皮肉に対し十の憤激をもって返す槍兵とは異なり、かの魔術師はそれを飄と受け流すのが常だった。

 青年の美貌にうかぶ古樹のような眼、余裕げに細めてこちらを見やる男の瞳は、相対するエミヤをいつでも落ち着かなくさせた。まるで子どもをあしらうような、老練な微笑、それでいて甘くも鈍くもない舌鋒と物腰、この崩れた世界にあって唯一の、導きの役割をおのれに課した大英雄。格の違い、という言葉の意味をつくづく知るのはこういうときだ、と自嘲じみてエミヤは思う。

 そもそも此度の召喚、このカルデアにおいておのれはまだまだ新参者である。対してあの浅葱のキャスターは最古参の一角。サーヴァントとしての純粋な戦闘能力なら遅れはとらぬと自負してはいるが、練度経験諸々に差が残るのは致し方ない。加えて、と考え、弓兵は渋面をつのらせた。

 …あの男が、あれほど懐深い性質だとは知らなかった。

 冷徹なばかりの狩人、慈しみをもたぬ男と思っていたわけでは決してない。むしろ義理を人一倍重んじる男、女子どもや年少者には情け深く、時にはおのれの損を承知で助けになることを厭わない英雄であると――冬木の戦争あるいはいくらかの生前の記憶を通して――知っている。

 けれど、と弓兵は思った。その対象がまさか自分にまで及ぶとは、一体誰が予想するだろう。 


『よう、アーチャー。お前も来たか』

 召喚に応じたあの日、溢れ出る魔力のひかり、笑顔の滲むマスターの少年、その後ろにひっそりと佇む魔術師、目深に被った浅葱のフードをほんのすこし跳ね上げて、不敵に口端を吊りあげた男は、たしかにそう言ったのだ。

 関わらないほうがいいだろうと、最初は思った。何しろ両者の因縁は根深く、相性の悪さはもはや折り紙つきである。ましてや通常の聖杯戦争と異なり、今回は同一のマスターを掲げる身だ。手駒同士の無駄な争いなどないほうがいいに決まっている。

 そう思っていたのに。



「まぬけ」

 無造作に掴まれた腕のあつさを覚えている。


 カルデアの戦列に加わってそう間もない、ある日の戦場だった。

 敵は屍兵の群れ、数は多いがさほど骨の折れる相手でもない。振り落とされる大ぶりの剣を干将でさばき、莫耶で薙ぐ。背後からの斬り込みを躱し、カウンターで一撃。どこか向こうでぼん、と大火の弾ける音がした。恐らくは同行していたかのキャスターのルーンであろうと当たりをつけ、概ねカタはついたようだと思考した。

 それがよくなかった。油断とも呼べぬほんの一瞬の隙をつき、もはや消滅を待つばかりであったアンデッドが、折れた剣の刃先をこちらに突き込んだ。いなし損ねたそれは武装を裂き、褐色の手の甲に一筋の傷を残す。

「…!」

 舌打ち混じりに叩き込んだとどめの一撃で、今度こそ屍兵は魔力の塵となって消える。じんと傷口が痺れ、再び舌打ちを漏らした。

 毒だ。瞬時にそう理解した。ぱっと押さえた傷口から、どろりとした毒気がいっそう匂い立つのが分かった。

 まずい、と思った。死に際の一撃は強力な呪いにもなり得る、半ば受肉に近い身として在るいまは、サーヴァントとはいえその影響は避けられない。

 己の失態に何度でも舌打ちをしたい気分だった。終わった終わったー、とのんきな声、マスターの少年がサーヴァントたちを率いて、セプテムの丘の向こうからやってくるのが鷹の目で見えた。
 
 傷口の痺れがじわとその濃度を増した。脳で思考するより先に、手早く裂いた聖骸布の端で手の甲を覆う。

「エミヤ、お疲れ様」

 間もなく近づいてきた少年が言った。あぁ、と無表情で応えつつ、周囲に視線を巡らせる。

 マスターの背後には戦闘の名残でかるく頬を上気させた盾の少女。くぁ、と欠伸を噛み殺したのは浅葱をまとった術の英霊。さりげなく傷口を背中に隠した弓兵に気づかず、少年は辺りを見回した。

「あれ?ロビンを見なかった?」
「いや、こちらには合流していないが」
「先輩、ロビンフッドさんなら辺りの森ではないでしょうか。戦闘後、薬草類の調達をしたいと言っていましたから」

 傍に控えていたマシュが言った。緑衣の弓兵がこの場にいないのは幸いだった、と息を殺すエミヤは思った。こと毒の扱いとそのけはいに関し、かの無貌の王の右に出るものはこのカルデアにはいない。

「そっか、じゃあ手伝いに行こうか」
「それなんだがよ、マスター」

 つまらなそうに腕を組んでいたクー・フーリンが、一歩足を踏み出した。それから乱雑に伸ばした腕で、エミヤの腕を引き寄せた。実に何でもないようなしぐさだった。
 どん、と肩と肩がぶつかる鈍い感触がしたが、何が起こっているのか弓兵が把握するには少しばかりの猶予を要した。

「オレぁ肉が食いたい。ここらの森は小さいが肥沃だ、鹿か兎くらいなら捕れンだろ。草のほうは坊主たちに任せる」
「エミヤと一緒に?」

 少年が不思議そうに二人を見た。不測の事態に瞬きを繰り返すばかりだった弓兵が、ようやく何らかの抗議を口にしようとした瞬間、背中に隠した手の甲を誰かの指がきつく掴んだ。クー・フーリンの指だった。

 ざ、と背中に汗の滲むのが分かった。表面上は鉄面皮をたもつエミヤを見ることもなく、青い英霊が続けた。

「血抜きが甘いと味が落ちる、と煩え奴がいるからな。本人にやらせりゃ手間はねえ」

 少年は苦笑し、分かった、と素直に頷いた。

「太陽が中天にかかるまでに、レイシフト座標点に集合。何かあればすぐ連絡して」
「了解。分かってるたぁ思うが、森じゃ迂闊にその辺の草に触るなよ。あの緑のに聞いてからにしな」
「大丈夫だよ」

 先輩は私がお守りします。きりりと告げる後輩に、うんお願い、とにこやかに返しながら少年たちは去っていった。仲睦まじく結構なことである。

 かれらの後ろ姿が見えなくなった頃、ようやく弓兵は「おい」と言った。不審といらだちを込めた声だったが、半分は虚勢がこもっているのを自覚していた。

 抗議をのせて睨んだつもりが、返されたのは実にひややかな一瞥だった。ぐ、と思わずたじろぐ真隣で、青い男が呆れを含んで鼻を鳴らした。

「まぬけ」

 そのまま掴み上げられた腕から、傷口を包む聖骸布が落ちる。途端、ぶわと吹き出したのはもはや瘴気に近い毒気である。慌てて手を引こうとしたが、存外に力強い腕で――畜生、恐らくは強化のルーンを使っている――捉えられたそれは叶わなかった。

「なぜマスターに言わん?貴様程度の対魔力でどうにかなる毒か、これが」
「…これしきでマスターの手を煩わせられるか。私一人のミスだ、そもそも君にも…」
「関係ねえってか?」

 しずかに凪いだ声だった。出自や因縁に関わらず様々な英霊たちが一人のマスターの元に集うこの戦争において、それは口に出すべき言葉でないという自覚はあった。黙りこんだ弓兵に、青い魔術師は大きく息を吐く。

「手間がかかる」

 そう言って、光の御子は手甲を外した。目に痛いほどにしろいてのひらがあらわになって、褐色の傷を押さえるように包み込んだ。ひどく熱い手だと思った。

「何を…」
「黙ってろ。解毒も治癒も得手じゃねえからな、時間はかかるがわめくなよ」

 もう片手のゆびさきが、ほの青い魔力の軌跡をえがいて文字を刻む。
 男の指がうごくたび、蝋が滴るようにじわりと毒が抜けていくのが分かった。もはやほとんど動かせなかった痺れが消えてゆき、ふと息が漏れる。男の魔力が心地よい微熱をおびて、全身をめぐるような感覚だった。

「お前の単独行動癖は今更だがな」

 傷に目線を落としたままの男が呟く。独り言のような口調だった。

「いい加減慣れろ。ここは冬木でも月の戦場でもない。あの坊主の下で命を懸ける以上、オレたちが成すべきことは一つだ。くだらん意地張っとる場合か」

 淡々と諭すしずかな声は、勢いのまま罵倒されるよりよほど堪えた。言い返すこともできず、エミヤは重く目を伏せる。この男の言う通りだった。自分の失態で傷を受け、自分の頑迷で事態を悪化させるところだった。粗相を隠そうとする子どもと何ら変わりはしない、嫌になる、と沈む脳髄の隅で思う。

「おい、何ヘコんでんだ。ったく」
「…ヘコんでなどいるか、たわけ」
「おうその意気だ。虚勢も張れなくなったら終いだからな」

 にぃ、と男くさく笑んだキャスターが言った。秀麗な顔に不釣り合いな表情だと思ったが、妙に様になってもいた。やがてこみ上げてきた感情――屈辱と呼ぶには生温く、羞恥というには甘やかなそれ――に気づかなかったふりをして、エミヤはもう一度顔を伏せた。

「……あなたはどうなんだ」
「あ?」
「我々の因縁は根深い。殺し殺された記録も一度や二度ではあるまい。こうしている間にも、我々の他の分霊は首を奪りあっているかもしれない。それが今回ばかりは例外と言われて、君は割り切れるのか?」

 この男が癒やした利き手とおなじ手が、今もどこかでこの男とおなじ顔をのせた首を落としているかもしれない。心臓を屠っているかもしれない。

 それは冒涜的な想像だった。同時にどこか甘美な想像でもあった。

「何を言うかと思や、ンなことかよ」

 くだらねえ、とばかりに息をついた男が言った。む、と眉をひそめた弓兵をよそに、ゆびさきがもう一度癒やしのルーンを刻む。

「他の召喚のことなんざ、今は知るか。まあ馬が合わんのは同意だがな。大体なあ、こちとら生前は寝返りくらっただの嵌められただの、陰謀やっかみには事欠かなかったんだ。主命なら親の仇とでも背中預け合うのがアルスターの流儀だ、今更にも程があらぁ」

 聞きようによっては陰惨な語りをからりと締めくくった大英雄は、ほれ、と言って手の甲を叩いた。傷痕も残さず癒えたてのひらを何度か握り、開き、また閉じてから、エミヤは細く、けれど確かな声で言った。唇はどうしたって尖っていた。

「……感謝する」

 ふ、と目元だけで笑んだ男が、上等、と呟いた。

「まあ槍のオレなら少しは話が違ったかも分からんが、今のオレの本分は導きだからな。 …それに」

 半端に言葉を切り、青い魔術師の紅い瞳がじっとエミヤに注がれた。ぱちと瞬きをしたはがねの眼が、何だ、と呟く。
 
 男はゆるく首を振り、それから耳元をかりこり掻いた。お前もお前でなぁ、と呟く声が小さい。

「何か言ったか」
「何も言わん。おい、そろそろ行くぞ。ああ言ったんだ、牝鹿の一頭も無しじゃ格好がつかん」

 浅葱のローブを翻し、森に分け入っていく背中を慌てて追った。すっかり癒えたはずの手が、魔力の残滓をうけてじわりと痺れるような心地がした。


 遠い背中だと思った。偉大な背中だとも思った。かつて一生かけてもたどり着けないと思った背中が、二度目の生をもってもまだ遠いとすら思った。


 神の子として生まれながらも、ただ一人の戦士として在ることを選んだ男。陰謀と妬みと嫉みが渦巻く国中にあって、誰も謗らず驕ることもなく、たった独りで数万の敵前に立った男。玉座も富も権威も欲さず、ただ名誉と武勲とおのれの誇りのみに殉じた気高い男。

 眩しかった。敵わないと思った。同時につい先まで自分のなかで割り切れずにいた拘りや意地のようなものが、何の価値もない土くれのように思われた。

 世界を救う旅、人類の明日を取り戻す道、あれほど渇望し熱望したはずの正しき戦いにこの自分が呼ばれたのなら、それに恥じぬだけの働きをしようと改めて思った。まっとうな英霊ではない身、ただの守護者にすぎぬ身ではあるが、かの真っ直ぐなマスターの僕として恥じぬように。あの青い英雄と肩を並べるに足るように。

 …そう思ったはずだったのに。



「おたくさあ、殺気は消せよせめて」

 考えごとをしながら廊下を歩くと、目的地にはすぐに着いた。おざなりなノックの直後に開け放った休憩室の奥で、ソファにやる気なく座したロビンフッドが言った。げんなりしたふぜいを隠そうともしない優男は、溜息とともに紫煙を吐き出す。

 さして狭くもない室内に満ちた煙を手で払いながら、エミヤは後ろ手にドアを閉める。換気扇を回せと言っているだろう、いつも、全く、こいつらは。

「言いがかりはよしてもらおうか。それより何だ、この煙は?いつからここはガス室になった」
「自覚がねえって余計やべえよ。つーかオレ一人のせいじゃねえですし。つーかおたく何しに来たんだよ?喫煙難民のささやかな憩いの場への弾圧か?」
「用がなくてこんな所に来るものか。青いキャスターは、」
「いねえ」

 間髪いれずに返された返事に、思わず眉が寄る。短くなった煙草の先を備え付けの灰皿に押し付けながら、さっきまでいたけどな、と緑衣のアーチャーが続けた。

「おたくがこっちに向かってんのが分かったからじゃねえか?あの青い兄さんも勘がいい。ぱっとどっかに行っちまったですよ」

 心当たりある? にまりと性悪狐めいて細められた濃緑の眼に、赤い弓兵の眉間の皺が更に更に深まった。



 避けられている。エミヤがそう確信したのはごく最近のことだ。
 
 編成次第ではレイシフト先の戦闘で部隊をともにすることも多いが、青い魔術師の態度は変わりない。相変わらずの余裕げな態度、全てを見透かしたかのような老獪をもって部隊を纏め、エミヤともごく普通程度に会話をする。時折思い出したかのように繰り出す弓兵の皮肉を笑い、いなして投げ返すあたりも全く以前と変わらないと言えた。

 だが、ことカルデアに帰還してからは別だ。ちょっとした所用――今回のようにマスターからの伝言を帯びた時だとか――でもってかのキャスターに声を掛けるとき、妙な困惑と間の悪さに曇る顔を見る機会がとみに増えた、とエミヤは思う。

 概ねは中庭やあのガス室めいた休憩室にてソファに懐いているばかりの男が、時にはかの緑の弓兵や風変わりな髭面の海賊とともに煙を吐き、他愛もない雑談に興じる愛嬌のある顔が、エミヤの顔を認めた途端に鈍く曇る。

 気のせいかとも思った。または単純に、穂先を揃え敵に挑むべき戦場とは違い、平時のカルデアにおいてくらい自分の仏頂面を見たくもないというのなら、まあ気持ちはわからぬでもない。

 けれど、とそこまで考え、弓兵は褐色の頬を渋く歪めた。

 不愉快だ。自分に不満があるのなら、はっきりとそう告げればいい。少なくとも最近では、あの男はカルデア内において自分を明確に避けてすらいる。
 不満の原因であろう弓兵本人を排除することも、完全な無視をすることもない魔術師の態度は、エミヤの心中に奇妙な波を呼び起こした。

 単純に不快なだけだ、とエミヤは思う。そもそもああして逃げ回られては、マスターからの指令ひとつもまともに伝えられぬではないか。実務上でも差し障りがある。断じてそれ以上の感情はない。

 ともかく、あのキャスターを探さねばならない。胸に滲み始めた苦い澱をうち払い、エミヤはさっさと歩き出した。避けられていようがもう知ったことか、ここまでくれば文句の一つも言ってやらねば気が済まぬ。



 私室、食堂、訓練室、ブリーフィングルーム、ラボ、中庭、図書室、裏庭、もう一度私室。
 およそ立ち寄りそうな場所はすべて探したが、あの青い背中はどこにもない。途中で顔を合わせた英霊たちに心当たりを聞いたところで、一様に首を振るばかりである。

 グランドオーダーの契機となった大事故以来、職員も数えるほどであるこのカルデアでは、施設の中央機能も自然と中心部である本館に集約される。従い、東西の分館に当たるこの辺りには人の出入りが少ないらしい、広々とした廊下は新しいが、薄っすらと埃がつもっているのが見て取れた。

 もはや渓谷じみた眉間の皺に指を当て、エミヤははぁ、と息を吐いた。歩きまわった挙句、普段はほとんど人の近付くことのないエリアにまで来ていたらしい。

 しまった、と思った。それから自分は一体何をしているのだろうとも思うと嫌になった。わざわざ探し回らずとも、あの男に伝達をするだけなら方法などいくらでもある。意地になっているおのれを自覚し、ついでに自嘲の吐息が漏れた。

 …戻ろう。寄りかかっていた廊下の壁から身を起こしたとき、視界にあわい光が映った。


「……?」

 光の蝶だ。

 ゆびさきに乗る程度のひかりの粒が、ふわりとひらめくようにしてエミヤの目の前を通り過ぎた。一度、二度、踊るように円をえがき、それからひらひらと飛んでゆく。誘うように。導くように。

 なぜこんなところに蝶が、だとか、いやなぜ光っているのか、だとか、さまざまな常識的思考が脳裏をめぐった。けれど神代の英雄から近代の偉人までもが顔を突き合わせ、神秘満ちるこの機関において、一般的常識だとかいうものは控えめに言って何の役にも立たないことは、召喚されたての新入りサーヴァントでさえ知っている。

 そっと蝶の後を追うと、ひかりの粒は満足そうに舞った。しばらく進んだ先の無機質な壁にぶつかると、融け込むように消えてゆく。

 白い壁が水面のように不規則に波打つ。恐る恐る手をのばすと、そこはほのかに暖かかった。奇妙に懐かしいような気もした。その正体に思いを馳せる間もなく視界が歪み、次の瞬間エミヤは草木の只中にいた。



「…ここは、」

 呆然と呟いた声に反応したか、辺りの木々から名も知らぬ小鳥が飛び立った。

 見回すかぎりの緑だった。どこからか涼しげな風が吹き、樹木の腕からのびる葉の豊かさと蔦を揺らす。目もくらむような新緑と濃緑が絡みあうなか、細かな群れを成して咲く花の彩りがまぶしかった。

「…植物園…庭園、か…?」

 耳を澄ませば清らな水の流れる音がした。足元を見ると古びた石畳のあいだに、苔むした水路が巡っていた。一際大きな葉をつけた睡蓮から、小さな青蛙によく似たいきものがぽとりと飛び込んだ。ヒトの手を離れて長いのだろう空間は独自の輪を築き、今やここはここだけで完結した世界のようだった。

 ふわり、と、先ほどの蝶が目の前を過ぎる。なかば確信を持ってその後を追うと、ひかりは水路をたどるようにしてエミヤを誘った。背丈ほどもある茂みの葉をかき分けた先、視界が開けた。


「………」


 そこは光に満ちた場所だった。ぽかりと丸く空いた天井から蒼穹が覗く。おちた陽光が緑を照らし、枝と葉のかたちに切りとられた影が茂みを色濃く透かしていた。

 そこには大樹があった。大の男が5人も連なり腕を回しても足りぬような幹から、その一本で慎ましやかな家なら建てられそうなほど豊かな枝を無数に伸ばしていた。国の興りから滅びまでを、十も二十も眺めてきたかのような旧い樹だった。張り巡らされた水路の終わりが隆起した根のあいだで池となり、崩れかけた苔むす縁石のあいだから、ぽたぽたと澄んだ雫をこぼしていた。

 その大樹の根本に、見慣れた浅葱のフードがあった。こちらには背を向けて座り込み、どっしりとした幹に背中を預けていた。鷹揚に立てられたその膝元に、何匹かの蝶が遊んでいた。

 あまりに清冽な光景だった。エミヤは声をかけることも忘れ、ただその場に立ち尽くした。

 光と影と静謐だけがそこにあった。鳥の声も虫の歌声もすべては遠く、葉からこぼれる影の濃淡が男の頬を染めていた。

 神と呼ばれるものがいたとして、ひかりと緑と水と風が見事に調和したこの箱庭が、ただ美しいから描いたとばかりの一枚のスケッチのようだと思った。


 エミヤを導いた光の蝶が、浅葱の膝に飛び込んだ。気だるげに振り返った男の美貌が、こちらを認めてげ、と言わんばかりに苦く歪んだ。その唇には熱のともる煙草を銜えている。

「お前、マジかよ」

 がりと紙巻の端を噛み、溜息とともに天井を仰いだ男がぼやいた。

 弓兵の頭蓋の奥の奥、武器であれと律してやまないはずの部分が音を立てて切れた。腕を組み、半眼で睨むようにして男を見る。冷静になれと自身に告げるも、呟く声が苛立ちを含んで毛羽立つのを止められなかった。

「………見損なったぞ、クー・フーリン」
「あぁ?」

 男の銜える煙草から、ほろりと火種が草地に落ちた。

「…君が私に好感を持っていないのは知っている、そんなことは当然の話だ。だが君は、もっと理性的な男だと思っていた。少なくとも、個人の好悪で足並みを乱すような真似はしないと思っていた」

 私の勘違いだったようだ。

 ひどく馬鹿馬鹿しい話だった。この男が悪いのではない、全ては自分の勘違いだ。
 認められていると思った。肩を並べて戦うに足る男になったと、成れたと、思っていた。大した思い上がりだった。

  あるいは無数の巡り会いのうちのひとつ、焼けつくような邂逅が、刃と刃の撃ち合いでもってお互いのたましいを測り合うような、この男との殺し合いの螺旋が、此度この召喚ばかりは果たされずにいることに、ほんの僅か、一瞬であっても、安堵のような感情を覚えた自分自身を、嗤わずにはいられないとすら、思った。

 八つ当たりだと分かっていたが、なじるような声を抑えることができなかった。なぜだか不審げに眉をよせる男のほうをまともに見られず、顔をそむける。見えないようにちいさく唇を噛んだ。
 
「…何?」
「……気を遣わせてすまなかった、次からは戦場でも無視してくれていい。だが最低限の連携だけは保ってくれ、マスターのために」

 自分の愚かさに溺れて死ねそうな気分だった。ぱっと踵を返した向こうで、おい、と呼び止めるような声がした。聞こえぬふりで立ち去ろうとした。マスターからの伝言が脳裏をかすめたが、他の者に言付ければいい。

「おい、待たんか」

 男の呼びかけも無視をして、苔むした地面に足を踏み出す。踏み出したと思った。瞬間、目の前で光の粒が弾けた。


「ッ…!?」

 くらん、と足元が泳ぐ。眼窩の奥がスパークし、平衡感覚を失った。視界が閉じ、身体がかしいだ。倒れる、と思った。次の瞬間、背中に力強い感触があった。

「おい、いらん気を回すな」

 クー・フーリンの呆れたような声がした。途端、本のページを捲るように視界が戻る。

 ぱっと逃げていったのは数匹の光の蝶だった。ったく、とぼやいた男の腕で背中と腰を支えられている体勢に気付き、エミヤは慌てて身を起こした。

「おう、悪かったな。あいつらも悪気はねえんだが」
「…今のは、」
「妖精どもだな。本来気のいい連中だが、どうにも悪戯好きで困る」

 座り直した光の御子のてのひらが、隣の草地をかるく叩いた。もはや何となく立ち去る気も失せ、エミヤは大人しくそこに座った。

 大樹の幹に背中を預けると、知らず詰まっていた息がほどけて融けていくような気がした。息をつき、ふと隣の男の横顔を見た。人の子ならぬあかしの青い髪と同じ色の睫毛が、木々を透かしておちるひかりに染まって淡かった。

「…ここは君の魔術陣地か?」
「ンな大層なもんじゃねえけどな」

 いつの間にねじり消したのか、男は新たに銜えた火のない煙草を揺らして言った。

「先代の所長だか誰だか知らんが、まあ魔術師の隠し工房、研究所みたいなもんだったんだろう。カルデアの連中も知らん場所だ。オレが見つけたときには朽ちてたが、水路を満たしてやればだいぶ芽吹いた。中心の樹が生きてたのもでかいが」

 男は淡々と語ったが、おそらくはこの大英雄の存在そのものが寄与したところも大きいだろうとエミヤは思った。かの太陽神を父に持つ半神、ただ在るだけでその周りでは緑に生気が満ちるようだった。どこかで小鳥の鳴く声がした。

「…いい場所だな」

 思わず声がすべり出た。掛け値なしの本音だった。クー・フーリンがぱちとひとつ瞬きをして、それからにぃと破顔した。少年のような笑みだった。

「そうだろう」

 とっておきの縄張りだ。青い英雄がごろん、と身体を伸ばした。

 この泰然とした古老のような男の、若木めいて眩しい笑顔を前にして、皮肉屋の弓兵は思わず言葉を失った。清濁併せ嗤うようなふぜいでもなく、敵と戦いと血の匂いに高ぶるけもののそれでもない笑みだった。

 エミヤの心臓のあたりが一瞬、とても妙な音を立てた。古傷が疼くような音だった。なぜだかその笑みが自分に向けられていいものとも思えず、ごまかすように頭上を見る。大樹の葉の影の向こうに、突き抜けるような蒼天があった。

 けれどもこの人類最後の戦いの砦、カルデアの一歩外は崩壊の巷だ。恐らく何らかの術式による天体の再現であろうと当たりをつけた。
 舞い戻ってきた光の蝶、妖精たちが膝元で遊ぶのを好きにさせていた男が、ふと何かに気付いたように顔を上げた。

「そういやあお前、何しに来たんだ」
「……」

 忘れていた。む、と思い出したかのように渋面をつくった弓兵は、腰を浮かせながら用件を述べる。

「…マスターからの伝言だ。ずいぶんと復調している、間もなくレイシフトに復帰できるだろう。明後日に開く修練場はゴーストが多い、活躍してもらうから用意しておいてくれ、とのことだ」

 以上だ。早口で告げた勢いのまま、今度こそこの場を去ろうと立ち上がりかけた。なぜか長居してしまったが、本来自分は招かれざる客だ。

 ふぅン、と気のないようすでそれを聞き、クー・フーリンが片眉を跳ね上げた。

「何だ。寂しくてオレを探してたんじゃねえのか」


 …は?

 うすく開いた弓兵の口から、実にまぬけな声が漏れた。半端に腰を浮かせた体勢のまま固まるエミヤに、青い魔術師が追い打ちをかける。

「このところ構ってやれなかったからな。またぞろ勘違いでもして拗ねたかと」
「たわけ!」

 どっかんと怒りを爆発させた客に驚き、妖精たちがぴゃっと光の粒子を散らして逃げた。構わずエミヤは声を荒げる。褐色の頬がひどい侮辱に染まっていた。

「用もなしに誰が貴様なんぞ探すか!私から逃げまわっていたのはそっちだろう。それに拗ねるとは何だ、そもそも―」

 片目を眇め、罵倒を楽しんですらいるような魔術師の、妙な違和感に目が止まる。エミヤは一度言葉を切り、男の口元を凝視した。

 先ほどから、なぜか火をともすことをしない煙草の先を。


「お前の間が悪いのが悪い」

 気付かれたことに気付いたか、紙巻の先を揺らした男がしれっと言った。
 
「お前が寄ってくるのは大抵一服してる時だからな、おちおち煙も味わえん。隠れ家まで嗅ぎ当てるとは大したもんだ」

 イインチョウって奴か、お前は。おそらくは召喚システム由来、あるいはかの黒髭に毒されたかのような無駄知識でもってぼやくケルトの大英雄に、エミヤは胡乱げな視線を向けた。

「……一応聞くが、なぜ私が煙草を吸えない理由になる?」

 つとめて冷静に問うたつもりが、嫌な予感は正直していた。
 
「ガキの前じゃあなあ」

 面白がるふぜいで目線をくれた魔術師が、そう言った。オレぁこう見えても公序良俗には従う質でね、と続ける声が笑っていた。

「………」

 殺そう。エミヤは微笑み、次いで夫婦剣を投影した。

「落ち着け弓兵」
「やかましい。迅速に死ね」
 
 音もなく抜き放った干将莫耶を強化した杖で留めながら、それでも余裕げな態度を崩さぬ男が言った。

「お前だって坊主と嬢ちゃんの前じゃ控えろと煩いだろうが」
「彼らは成長途中の未成年だ、副流煙の害など論ずるまでもない。私と一緒にするとはその目は硝子玉か何かか?」

 怒りも過ぎると笑えてくるものだと初めて知った。ぎりぎりと鍔迫り合う剣の向こうで、苦笑めいた表情をうかべた男が呟く。

「オレからすればお前もさして変わらん」


 その眼が、宝石めいた紅い目玉が、あんまり真面目なような、やさしいような、父が子を遠くから眺める慈しみめいて、細められて見えたので、見えた気がしたので、エミヤは思わず、力を緩めた。


「った!?」

 次の瞬間、後ろ髪を強く引かれてのけぞる。今のはナイスだな、と嘯く光の御子の周りに、ひらと踊り出る妖精たちが見えた。

 ここは徹頭徹尾彼の縄張りだ。勝ち目はない、とようやく悟ったエミヤが、仏頂面極まる様子で体勢を正す。

「…煙草くらい何だというんだ、馬鹿馬鹿しい」

 いくらか拗ねたような声になるのは仕方がないと思った。思っていたかった。

 おや、とばかりにこちらを見やったクー・フーリンのゆびさきから、一匹の光の蝶が飛び立った。ふわりと近付き、白灰の髪のうえで跳ねる。まるでなぐさめるような妖精のしぐさに――それが考えすぎだとしても――実に微妙な心持ちになりながら、エミヤは続けた。

「確かに私に喫煙の習慣はないが、他人の嗜好に無闇に口を出すほど野暮でもないつもりだ。そもそも以前の召喚軸では構わず喫っていただろうが」
「んなことは分かっとるわ。あくまで今のオレの気分の問題だ」
「それが傲慢だというんだ、たわけ。そもそも生前は身近に喫煙者もいたくらいだ、貴様ひとりの煙くらい、別に…」

 そこまで言いかけ、エミヤは黙った。

 もはや遠い記憶ですらなくところどころ欠損しかけた記録に近い、それでもいつかどこかに確かにあった、一枚の古い絵のような思い出のことを思った。

 もう顔も声も思い出せないなにか、誰かのことを思った。ゆったりと頭を撫でる大きな手、いつでもすこしつめたい手、乱雑な書斎、夜の縁側、見上げた横顔に漂う、煙草の香り、もう思い出ですらないような、そんな小さな断片のことを。

 そういった、もはや元の姿もわからぬ、けれどうつくしい陶器のかけらのようなものを、ひとつひとつ手渡されているような気がして、だから、目の前のこの青い男が紫煙をくゆらせるのを見るのは、何となくだが悪くはないと、思っていた。

 エミヤのはがねのいろの瞳が、穏やかなものを見るようにふと緩まった。

「………」
「…うわっ、何をする!」

 貴様、とエミヤが吼えた。突然白灰の髪を手荒くかき回した魔術師が、悪びれもせずふん、と鼻を鳴らす。

「その顔だ、その顔。オレを他の男の代わりにしようとは舐めた真似しやがる」
「何の話だ!?訳の分からんことを言うな」
「これだよ。自覚ねえんだからな」

 質が悪い。不機嫌そうに、しかし諦めたようにぼやき、男は幹に背中を預け直した。額に乱れおちた髪をかき上げながら、エミヤはそれを半眼で見る。どうにも理不尽な気分だった。


「…お、」

 ふ、と。灯りを落とすように、黄昏から夜を早回しで過ごすように、目の前がほの暗く染まる。

 異様な変化に気付いた弓兵が、身を起こしかけて辺りを見る。警戒した赤い武装の腕を、なだめるように伸びた浅葱のローブが抑えた。

「大丈夫だ。おいお前、運がいいな」
「何が起こっている?」

 先ほどまでこの空間全てを照らしていたはずの陽光は陰り、鳴きさざめいていた鳥の声も失せていた。ひらりとやってきた妖精が、安心させるかのように小さなひかりを纏いながらエミヤの肩にとまった。

 隣の男の白皙と青い髪は、薄暗がりでもほのかに輝いているのが見える。穏やかに目を細めた魔術師が、長老の眠りだ、と言った。

「……?」

 ふわ、と目の前に何かが散った。あわく光る、薄い花弁が散っていく。

 見上げると、無数に伸びる大樹の枝から、吹雪のように散りおちる花びらの群れがあった。一枚一枚が淡雪めいてうすあわく、微光の空気を含んで舞っていた。思わず手を伸ばすと触れられなかった。てのひらを透かして落ちた花弁が、空気に融けて消えていった。
 
「この樹の夢だ」

 膝を立て幹に寄りかかったままの姿勢で、クー・フーリンが語った。

「世界樹の血でも入ってんのかね、相当な年寄りだ。ここ数ヶ月は起きっぱなしだったから、そろそろ眠る時期だろうとは思ってたが」
「夢とは?」
「若い時分の記憶だろうな。こうして咲き誇ってた頃の夢を、オレたちにも見せてくれる。眠りに落ちる瞬間しかお目にかかれんがな」

 美しいもんだ。

 輝石めいた瞳を眇め、神代の大英雄が呟く。確かに夢のような光景だった。冗談のような光景だった。この男が、この光の半神が、あるいは生きた頃にも眺めたのかもしれない光景だった。
  
「人の子の世なんぞ、こいつらには関係ねえんだろうがな」

 平坦な声に、隣を見る。立てた膝にゆるく投げ出したしろい指に、妖精たちが羽を休めていた。

 目の前の泡沫の幻を眺めながら、男が続けた。誰に聞かせるでもないような、しずかであわい口調だった。

「人類の世界が終わっても、こいつらの夢は続いていく。人の理も、星の一生からすればほんの午睡みたいなもんだ」

 だから気負うな、と英雄は言った。

「やりたいようにやりゃあいい。あの坊主が人の明日の夢を守ろうってんなら、オレたちはその露を払って駆けるだけ駆けて、そうして前のめりで倒れるだけだ。だから気負うな。全てが終わったあともどうせ、この年寄りはうつらうつらしてやがんだ。そう思えば気が抜けるだろう」

 男の視線はまっすぐ前を眺めていた。エミヤは何か言おうとして、それから口を引き結んだ。気負ってなど、と言いたかった。あるいはそう言えるのは、あなたが神と人の子だからだろう、と言いたかった。全てを守り、全てを遺し、戦いの果てに座に駆け昇り、そうして今も戦い続けているからだろう。

 人ならぬ英雄の俯瞰を前に、どこまでも矮小な人の子である守護者はそっと息をつく。花はまだ散っている。

「…それで、全てが終わったら、どうするんだ。人の世も理も夢もすべてが消えれば、我々は、その時は、」

 本心からの問いかけだった。きっとそれこそ道に迷った子どものような、親とはぐれた子どものような、すがるような眼をしていたかもしれない。おだやかな大悟のやどる瞳を細め、光の御子がエミヤを見た。


 端正な唇が、馬鹿め、と言わんばかりにうすく笑む。

「そん時ゃ眠ればいいんだよ」






 青い魔術師を残し、弓兵は緑の庭を後にした。

 長老の樹が深い眠りに落ちると幻は消え、周囲は明るさを取り戻した。再び小鳥たちの囀るなか、見送るかのように佇む男に背を向けて、草木を割って歩き出す。

 いくらか進むと、新緑に埋もれるような朽ちかけた木戸があるのが見えた。手をかけくぐると、来たときと同じような暖かさを覚えた。目を開けると見慣れた無機質な廊下だった。

 先導した光の蝶が、名残を惜しむかのように見えなくもないしぐさで舞った。エミヤは軽く微笑み、礼を告げる。たった今通り抜けたはずの空間の扉が、白い壁に波打っていた。

 エミヤは一度だけそれを見て、それから本館に戻るべく歩き出す。


 クー・フーリンは、もう来るな、とも、また来い、とも言わなかった。
 だからきっと、振り返ればもうあの庭への扉は消えているだろう。あれはそういう男だ。王でなく神でなくただの槍であることをおのれに課しながらも、自由と誇りのみを求めて在る男だ。

 だからこの胸のうちを占めるのは感傷だ。求めても得られることのない英雄への、どこまでも遠い青い背中への、過ぎ去って久しいいつかどこかの記憶への、甘ったれただけの憧憬だ。それだけだ。それ以上で、あってたまるものか。


 ……恋をしていますね、なんて。

「…馬鹿馬鹿しい」

 恋などではない。絶対にない。だから後ろは振り返らない。もし振り返ってしまったら、その向こうに、あの庭への扉が、あってもなくても、それを、探してしまったら、自分はもう、立っていられなくなる。あの歯車の廻る鉄錆の丘にも戻れなくなる。

 自分が自分で、いられなくなる。


 エミヤは一人立ち止まり、手をひたいに押し付けるように俯いた。その手の甲に傷はなかった。


 あの男など、欲しくはない。求めても手に入らない。隣にも立てない。恋などではない。恋などではない。欲しくなどない。どうせ、手に入らない。
 

 痛いくらいにきつく閉じた瞼の奥で、あの魔術師の庭を思った。人理を救っても救えずとも、この旅の果てで眠りに就くであろう青い男のことを思った。光満ちる静謐の庭で、大樹に背中を預けて眠る男のことを思った。


 その夢はきっと紫煙の香りがするだろう。


「………」


 ゆるく振った顔を上げ、再び彼は歩き出した。振り返ることはしなかった。

Comments

  • わんわんお
    March 2, 2024
  • September 29, 2023
  • p13

    とても幻想的で美しい情景で素敵でした…キャス弓良いですね!読ませていただきありがとうございます!

    September 5, 2021
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