【プロ1年目物語/小久保裕紀編】「プロ野球はダイエーが先頭に立ってリードする」 チームの未来に懸けた己の野球人生
背番号9を与えられたルーキー小久保は前年夏に左すねを骨折していたが、三塁にはFAで獲得したベテランの松永浩美がいたため、キャンプでは外野でもノックを受けた。オープン戦でアマチュア時代にほとんどやったことがなかった送りバントを失敗して、チームが練習休みの日に西戸崎室内練習場で1時間にわたりバント練習に取り組んだこともある。代表取締役専務兼監督を務めた根本陸夫の方針で一軍帯同を続け、投手の攻め方や球種をこまめにノートに記録。オープン戦打率.258ながら、新人王にあたる「サッポロビール・フレッシュ・マン大賞」を受賞して、賞金20万円を贈られた。
イップスにも悩まされて
迎えた94年4月9日、小久保はオリックスとの開幕戦に「六番・右翼」でスタメン出場するも、6打数無安打という散々なプロ生活のスタートとなる。翌日、野田浩司からプロ初安打となる二塁打を放ったが、レギュラー定着はできず、開幕から西武と首位争いをする好調なチームにおいてベンチを温める日が続く。待望のプロ初アーチは、開幕から3ヶ月近く過ぎた7月5日のロッテ戦、園川一美のスライダーを北九州市民球場の左翼席へ運んだ。この日、3打点を挙げた小久保はプロ初のお立ち台へ。だが、試合後、ある先輩から「おい、ルーキー。ヒーローインタビューで両手を上げるのはまだ早い。片手にしておけ」と注意を受けた。平成前半、球界にはまだ昭和の殺伐さが色濃く残っていた。現役引退後に出した著書の中で、小久保はプロ1年目にイップスに悩まされたことを告白している。
「私の足を引っ張ったのはスローイングです。ゲーム中のスローイングミスはほとんどなかったのが救いですが、イニングの合間に行うボール回しで、セカンドの私がサードの松永浩美さんやショートの浜名千広さんに高く抜けたボールを投げ、あちらこちらへボールが行き、迷惑をかけました。小学生の子供でもできることが、プロである自分にできず恥ずかしくてなりません」(一瞬に生きる/小久保裕紀/小学館) 年下の選手には普通に投げられるのに、先輩相手だと緊張してコントロールできなくなる。今ではソフトバンクホークスを率いる小久保監督にも、そんな下積み時代があったのだ。試合前にコーチ相手にひたすらキャッチボールを繰り返して、なんとかそれなりに投げるコツを掴むのに二ヶ月近くかかったという。そんな苦悩の日々の中で、夏場になるとようやくバットで存在をアピールする。8月23日、山形での日本ハム戦ではプロ初の2打席連続本塁打を含む3安打4打点。26、27日のロッテ戦ではこちらも自身初の2試合連続アーチとなる5号、6号を放った。8月だけで5本塁打を記録してみせるのだ。