【Fate】愛の水【槍弓】
何か昔どこかに出したような気がする話をサルベージ。ああ、たしかMixiに上げていたような気がするよ。薄らぼんやり記憶では中々思い出せないな。多分サイトにも上げていたことを今思い出したがまあ確認するまでもなかろ。めんど。というgdgdな感じはさておき、Fate準拠で第5次槍弓です。既に出来上がってる不思議。
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愛情に形を与えるのならば、私は水だと思う。
それは深く、時に冷たく、そして手のひらから零れ落ちていくものだ。
どこにでもある有り触れたものであり、しかし時に枯渇し、干され、見ることすら叶わぬもの。
満たされている時には存在を知りもせず、カラカラに乾いてからその恐ろしさを知るもの。
人はいつからそんなものに頼らなければ生きていけなくなったのか。
あるいは水が、愛こそが人を凌駕しこの世を謳歌する生き物なのではないか。
「お前そりゃあ、人を愛したことがねぇ奴の言い分だろう」
そう言って鼻で笑ったのは、神に愛された伊達男だった。
祝福と呪いを同時に浴びせられながら、それでも笑いながら生きて死んだ男。
人も動物も空気も妖精も神も悪魔も等しく扱い扱われた男の観点からすれば、彼の愛など子供の戯言にすぎないのか。
「ガッと来てかーっと熱くなって、そのまま飲み込まれちまうもんだろ、愛なんて。それともそれは情熱で、実際には愛なんてものはないのかも知れんが」
そこら辺は主観の相違って奴だな、と男は軽く答えを放り投げた。
「そうか」
と、彼は頷いた。
元より彼は答えを持たぬ。持たぬのであれば彼に異論を挟む権利はない。
「大体、何で今になって愛だのなんだの考えだしたんだ。そいつは思春期に答えを投げ出す問いかけだろうが」
呆れた様子で見下ろす男に、それはそうなのだろうが、と彼は頷いた。
愛情について、彼は深く考えたことがない。
愛しい、愛惜しい、失い難き、と感じたことがないわけではない。
ただそれが、他の人間が感じているものと同じかどうかについて甚だ自信がないだけで。
彼は己が欠損していることを理解している。理解しているが故に、普通や、当たり前のことが理解できない。
理解できないということは恐ろしいことだ。
理解されないが故の迫害と排斥の源となりうる、それは格差だ。
彼にとって、排斥されることが恐ろしいわけではない。
迫害されることにも慣れた。
問題は、彼を除外されることによって巻き起こされる事象なのだ。
彼に協力していた人間が、言葉を交わした相手が、肩のぶつかっただけの他人が、感染するようにその対象になっていく様を見つめるのは、彼にとって己を痛めつけられるよりも痛ましいものである。
あの苦しみはたまらない。
誰も悪くなどないのに、悪いとすれば彼だけであるのに、何故他の人間が貶められていくのか理解できない苦痛。
痛めつけるのであれば彼を嬲ればいいのだ。
貶めるのにこれほど最適な人間もいない。
苦しませたいのならいくらでもやってみればいい。
ただ、それに他者が介在する必要はないと思う。
だが結局のところ彼がそういう風に考えるような人間である限り、彼を最も効率よく苦しませる為にそれは必ず起こる出来事だ。
愛していると囁いた口が聞くに耐えない罵声を吐き出し、愛していると抱いた手で細い首を締め上げる。
愛とはなんだと子供のように疑問を抱いたところで、許されない年頃でもないだろう。
それが許される程度には色々なものを味わってきた自負もある。
だが男は言う。それは子供の問いかけだと。
誰も大人になれば見失って、適当なものでごまかしたり、曖昧な認識を自己で矯正して生きていくものだと。
それは執着かもしれない。憎悪かもしれない。
情熱かもしれないし、惰性と恐怖かもしれない。
いずれにしてもくだらないもので、しかし誰もが持っているものだと男は言う。
誰もが生きている限り一度は経験するものだと。
では彼は。
「私は」
「あン?」
「私は、まだ生きているのかもしれない」
茫洋とした眼差しのまま、彼は呟いた。
だってそうだろう。
経験もしたことがない彼は、経験するまで死ぬことができない。
生きている限り誰もが必ず一度は経験するというのならば、その記憶がない彼にとってまだ自己は生き続けているものであると判断できうる。
あるいは可逆的に、そもそも生まれてもいなかった、と言えるのかも知れないが。
「おい、アーチャー。頭大丈夫か?」
心配そうな声が降ってきて顔を上げれば、あきれ果てた顔で男が覗き込んでいる。
その紅い瞳をじっと見上げながら、ぽつり、ぽつりと言葉が落ちた。
「大丈夫、ではないかもしれない」
視線は揺るがず、ただ紅を映し続けている。
「理解できないんだ」
「……なにが?」
子供をあやすような調子に気づいてはいたが、何も思うことはなかった。
或いはそれも理解できていなかったのかもしれない。
「私には、愛するということが理解できない」
理解できないと呟くたびに、頭の中でいくつもの鍵がかけられていく気がした。
言葉に、声に出してそれを耳から聞くたびに、頭の中で今まで感じてきたものが理解できないものとして全てが凍結していくような気さえした。
ただ眼に映る紅だけが熱く、暖かく。
「アーチャー」
伸ばされた白い手が、乾き始めていた眼を覆う。
促されるように、ゆっくりと瞼を落とした。眼球がひしひしと痛む。
「お前は愛情が欲しかったのか?」
問いかけはシンプルだった。それに対する彼の答えも。
「いや、いらない」
眼球はまだ痛む。
じわりと何かが湧き上がってくる予感がしたが、どうでもよかった。
「ただ見てみたかった。それがある光景を」
「見たことはないのか?」
「わからない。思い出せない」
だったら、と男が笑う。
そんな気がした。
見えないから、声だけで笑ったと、そう。
「見せてやろうか」
男の言葉に頷くよりも先に、眼球の痛みが霧散した。
そして彼は見る。
草の匂いを帯びた風が空を駆け巡り、ところどころに家が立ち並び、子供たちが草笛を吹きながら走り回り、帰ってきた父親達がそれを抱きとめ、家の戸口ではエプロンで手を拭きながら母親たちが笑っている。
或いは、街角で少年が笑いながら小突き合い、少女は笑いさざめきながら甘い菓子を頬張り、野良猫が辻で寝そべり欠伸をしている。
他にも、幼子を抱いた母親と傍らで寄り添う父親が一心に子を見つめている光景や、老夫婦が穏やかに笑いあう光景や、暖かい屋内で手料理を振舞われる旅人であったりした。
有り触れた、なんでもない、どこにでもある、だがけして平等にはもたらされない光景だった。
確かにそれは彼が求めたかった光景だった。彼が見たいと願った光景だった。
だがそれは一瞬の男が見せた幻で、幻であることが無性に憎たらしかった。
これは病なのだ、と彼は思った。
優しいものを見せたいと願い、そうしてくれた相手に対して、どうしてこれが皆に与えられないのかと責めるのはただの八つ当たりで。
ああ。凍り付いてしまえ、と彼は思った。
自分の中の願いなど、願いが叶わぬことに対する慙愧の念など、悔しいと思い八つ当たりをしてしまうような心は、凍り付いてしまえ。
だがそんな彼自身を裏切るように、既に心は溶け出していた。
白い手で覆われた下には、既に水が満ちていたのだから。