共犯者の墓は空【槍弓】
この思い出で、一生暮らしていけるよう、ずっと覚えておこうと思っていたんだ。
偽装結婚していた槍弓。事故で弓が記憶をなくすところからスタート。
いろいろあるけど最終的にはハッピー槍弓。
何に重きを置くがランサーとアーチャーでは異なるしそこは絶対分かり合えないんだけど、そのまま共に生きてくれ槍弓!
【ご注意ください】
現パロ。
槍弓が結婚済。
士郎と凛が恋人同士。
弓の弟が士郎、姉がイリヤ設定。
同性同士が普通に結婚できる世界線。
表紙は「かんたん表紙メーカー (https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)」様からお借りいたしました。ありがとうございました!!
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「……少し、混乱している。話を整理させてくれ」
そう言ってアーチャーは、深い皺が刻まれた眉間を、指先で軽くおさえた。
眩しいほど白いベッド。ふわふわと漂う消毒液の匂い。薄い生地の入院着に身を包んだアーチャーは、はぁ、と重いため息をついた後、ベッド脇のスツールに腰かける可憐な少女へちらりと目線を送った。
「凛。まさかとは思うが……そこの男とグルになって私を担ごうとしているんじゃないだろうな」
それを聞いた凛の形の良い眉が、ぴくりと跳ね上がる。
「生死の狭間を彷徨った病人にドッキリを仕掛けるほど、非常識じゃないわよ」
ここ数日、まともに寝ていなかったせいだろう、隈の残る目元できっとアーチャーをにらみつける凛。少女とは思えぬ迫力に、アーチャーは黙り込んだ。そこへ凛の厳しい声が、追い打ちをかける。
「疑うのなら、貴方たちの新婚旅行の写真でも見せてあげる。とびきりラブラブなやつを」
「いや、遠慮しておこう」
アーチャーはふるふると首を振り、手元に視線を落とした。ごつごつとした、無骨な指。その薬指には、見覚えのないプラチナの指輪が輝いている。サイズはぴったり。肌に吸い付くように鎮座している指輪は、水仕事をする時でも邪魔にならないような、シンプルなデザインだった。もし自分が結婚指輪を選ぶなら、こういうものを選ぶだろうという、まさに理想そのもの……。
アーチャーは、ごくり、と唾をのみ、意を決して顔をあげた。
むすっとした表情の凛の後ろに、ひっそりとたたずんでいる長身の男を、改めてまじまじと見つめる。
美しい立ち姿だ。武道か何かやっていたのだろうか。一分の隙もない、お手本のような姿勢だ。加えて、整った顔立ち。鮮やかな青い髪、長い睫毛。日焼けなど知らない白い肌。凛やセイバーを筆頭に、顔面偏差値の高い人間に囲まれた自分でも、一瞬見とれてしまうほどの美丈夫。まるで人形染みた美しさだな、と思っていたところで、石榴をかち割ったような赤い目と、ばっちり視線がかみ合った。アーチャーは迷った末、おずおずと唇を開いた。
「あー……確か、クー・フーリン、と言ったか?」
「ランサーでいいぜ。お前さんは、そう呼んでた」
「そう言われても、私には君と親しくしていた記憶がないものでね。遠慮しておくよ」
つい皮肉じみた口調で返した瞬間、隣の凛がくわっと目をむいたのが分かった。
「ちょっとアーチャー。その言い方はないでしょう」
すぐさまたしなめるような声が飛ぶ。ランサーの気持ちも考えろ、と言うのだろう。
凛の説明を聞くに、目の前のこの美丈夫は、愛しの伴侶が事故に遭って生死を彷徨い、懸命な治療の末命こそ助かったものの、目覚めた伴侶は自分のことを綺麗さっぱり忘れていた……という、傷心の身であるらしい。
何たる悲劇。私だって木石ではないのだから、同情くらいしよう。
ただし、その愛しの伴侶とやらが、自分でなければの話だ。
男の左手の薬指で、自分と寸分違わぬデザインの指輪が光る度、壁に頭をうちつけたい衝動に駆られるのを、アーチャーは必死でこらえていた。
本当に、信じられないことに、この男と私は、愛を誓った仲らしい。
記憶が飛んでいる、ほんの二年の間に、いったい何が起こったのだろうか。いや、この男と出会い、恋に落ち、結婚するに至ったのだろうが、それが自分には信じがたいのだ。いきなり他人の人生を継ぎはぎされたかのような、違和感がぬぐいきれない。
当のランサーは、アーチャーの無愛想な言葉に気分を害した風もなく、くっくと愉快そうに肩をすくめた。
「や、いいって。こいつにとっちゃ、俺とは初対面なんだから。しかし、記憶が飛んでも、スカしたところは相変わらずだな」
口元にふっと笑みが浮かべ、軽口を飛ばすランサー。部屋に光が差すような、明るい笑顔だ。笑うと、随分印象が変わる。神話染みた美丈夫から、一気に人好きのする気さくな男になった。
「この調子なら、記憶だってそのうち、ひょっこり戻ってくるんじゃねぇか?」
「分からないわ。戻らない可能性だって……」
「……そんな顔すんなって」
唇を噛みしめてうつむいた凛の背中を、ぽんぽん、と軽く叩き、ランサーは言った。
「記憶がなくなったって、こいつはこいつだろ。何も変わりゃしねえよ。
命は助かったんだ、それで何よりじゃねえか」
「……そうね。うん、悩むより、これからのことを考えましょう」
凛は真剣な顔つきになってアーチャーの方へと向き直ると、長い指をすっと立て、きびきびと説明を始めた。
「目下の課題は、帰る場所よ。
アーチャー、貴方の記憶が二年前で止まっているのなら、住んでいるのは会社近くのボロアパートって認識よね?」
「ああ。ボロは余計だが」
「そこね、ランサーと結婚した時に、引き払ってるのよ」
予想していたことではあったが、ぐ、と喉からうめき声が漏れる。となると、今は当然……。ちらりと向けた視線に答えるように、ランサーが口を開く。
「今は、俺と一緒に、その近くのマンションに住んでるぜ」
ならば退院後は、この見知らぬ伴侶とひとつ屋根の下暮らしていかなければならないのか。アーチャーは正直、困り果てていた。自分はこだわりが強く愛想もないということは自覚している。弟の士郎とだってしょっちゅう喧嘩していたのだ。赤の他人と共同生活などして、うまくやっていけるはずがない。
よほど渋い顔をしていたのだろう。凛がこそりと、小声で話しかけてきた。
「士郎は、実家に戻って来れば良いって。私も賛成。落ち着くまで、帰って来ない?」
凛の青い目が、心配するようにのぞきこむ。
凛の厚意はありがたいが、それも御免こうむりたかった。愚弟と凛が良い仲であることは知っている。おそらく今も、凛はあのだだっ広い武家屋敷に入り浸っているのだろう。そこへのこのこ出戻るのは、流石に気が引ける。何より懇意にしている少女と愚弟の情事など、おぞましすぎて片鱗すら察したくない。心はガラスなのだ。アーチャーはふっと唇をゆるめると、すらすらと口上を述べた。
「ありがたい話だが……片道二時間近くかけて通勤するのは、現実的ではないな。
かと言って面識のないクー・フーリン氏と同居するのも、お互い気詰まりだろう。ここは会社近くのアパートにでも」
「一人は駄目よ。記憶が飛ぶくらい頭を打ってるのよ。いつまた倒れるか分からないんだから」
言い終える前に、固い声でぴしゃりと遮られる。
「……しかしだな、」
「駄目。ランサーと暮らすか、私たちと暮らすか、二つに一つよ」
にべもない。こう言い出したら、凛は聞かない。しかし自分にとってはその選択肢はどちらも針のむしろだ。いい大人なのだから一人暮らしくらいさせてほしい。
困り果てた末、アーチャーはランサーへと視線で訴えた。伴侶だったと言うのなら、きっと助け船くらい出してくれるだろう。
その願いが通じたのか、ランサーは心得たとばかりにこくりとうなずくと、唇を開いた。
「俺が面倒みるぜ。記憶だってすぐ戻るかも知れねぇんだろ? 引っ越すだけ無駄じゃねぇか。それに、前と同じ生活してた方が思い出しやすいんじゃねぇか」
水平線の彼方に見えた助け船が、いきなり砲撃をぶち込んできた。たわけ。このたわけが。松平信綱か貴様は。
アーチャーは怒鳴りたいのを必死にこらえ、ぴくぴくとこめかみを震わせた。
今、確信した。この男とは絶対に、微塵も気が合わないに違いない。なぜ自分はこの男と結婚なんぞしたのだろうか。我が事ながら、正気を疑う蛮行である。
奥歯をぎりぎりと噛みしめながら、アーチャーは悪あがきを試みた。
「クー・フーリン。君と結婚していたという事実はあっても、記憶がなければ赤の他人だ。君に厄介になるいわれはない」
「おいおい、お前の旦那様は、記憶がないからって伴侶をほっぽり出すような、薄情な人間じゃねえぜ」
「私がほっぽり出したら死ぬようなか弱い存在に見えるか? だとしたら一度病院にかかった方が良い」
「現在進行形で病院のベッドに居る奴が何を言ってやがる」
ランサーは呆れきった表情を隠さず、がしがしと乱暴に頭をかいた。
「お前がいくら頑丈でも、寝ない食わないじゃ体調を崩すし、車に跳ねられりゃ最悪死ぬ。
……流石に、今回は肝が冷えたわ」
ランサーの声は決して荒いものではなく、淡々と、小さな子に言って聞かすようなものだった。だからこそ余計に、ぼそりと独り言のようにつけられた最後の言葉が、耳に残った。
目が覚めた時、自分の手が、この男に包むように握られていたのを思い出す。心配をかけてしまったということは確かなようで、どうにもばつが悪い。黙り込んだところで、
「決まりね」
凛がうなずいた。いったい何が決まったというのだろう。分からない。分かりたくない。
そんなアーチャーの心情を読んだかのように、凛は言う。
「諦めなさい、アーチャー。
記憶はないって言うけど……貴方たち、本当にうまくいっていたのよ。きっと仲良くなれるから」
だから私は、この男との親交を深めたいなどと、全く思っていないのだが。
アーチャーは深々と刻まれた眉間の皺をもみほぐすと、重いため息をついた。そうしてランサーの方へと向き直り、ゆっくりと唇を開く。
「クー・フーリン。お言葉に甘えて、しばらく世話になろう。ただ、一つだけ頼みがある」
「んだよ、固ぇなあ。俺たち夫婦だろ? 気にせず何でも言えって」
「それだ。その、夫婦という認識を、改めて欲しい。
以前の私と君が、どういった暮らしをしていたかは知らない。教えてくれなくて結構だ。同じ暮らし方をするつもりはないのでね。
今から記憶が戻るまでの間は、君と私は、ただ一緒に暮らすだけの他人だ。夫婦らしいやり取りはいっさい抜きで頼む。ご了承願えるかな?」
半ば脅しつけるような鋭い眼光で、ぎろりとにらみつける。ランサーは、赤い目を大きく見開いた後、にやりと唇に笑みを浮かべた。
まるで、新しいいたずらでも思いついたかのような、子どものような笑みだった。
「ああ、いいぜ。なぁんも問題ねえよ」
思ったよりもあっさりと、了承の言葉が返ってくる。かえってアーチャーの方が拍子抜けしたくらいだ。ぱちぱちと瞬きをしていたところで、目の前に大きな、固い肉刺のある手が差し出される。
「よろしくな、アーチャー」
「ああ」
あたたかく乾いた体温が、一瞬、手のひらに触れた。