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【槍弓】同じ朝を待っている/Novel by 田中M

【槍弓】同じ朝を待っている

18,254 character(s)36 mins

好意を失う薬があると聞いた弓が槍への恋心をなくす為にそれを飲み、弓の態度に違和感を覚えた槍が弓を元に戻す為にカルデアを駆け回る話。
槍弓記憶喪失シリーズのふたつめだけど、厳密には記憶喪失ではないです。

・カルデア時空
・いつも通りみんな女々しい。
・霊薬やルーンを都合よく解釈して自由に使ってます。細かいことは気にせず、雰囲気でどうぞ。

それでもよければお読みください。

ーーーーーーーーー
今までのものと比べ物にならないくらい、かなりの勢いで書いたので誤字脱字はあります。
今年もありがとうございました。どうか良いお年を…!

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きっかけは、少女の小さな疑問だった。

「パラケルススが作れない薬ってあるの?」

素材集めの為に訪れたオケアノス。
その休憩中。焚き火を囲んで他愛もない雑談していた時、ふとマスターがそんなことを言った。

「どうでしょう?いつかのクリスマスの時は熱病で遅れをとりましたが、たいていのものは用意できると思います」

パラケルススは燃え上がる火を眺めながら、涼しい顔で答えた。
その堂々たる態度に、さすがは稀代の錬金術師だな、とエミヤは素直に感心した。

「はい!私が空飛ぶ薬は作れる?」

元気よく手を挙げて聞いてきたのは、バーサーカーのバニヤンだ。
ゆらめく炎に照らされたその瞳は、好奇心でキラキラと輝いている。

「それなら魔術ででもできますが、あえてそういう薬を作ることも可能です」
「じゃあ、不思議の国のアリスみたいに小さくなる薬も?」

首を傾げるナーサリー・ライムに、もちろん、とパラケルススが頷く。
ずっとその様子を見ていたゼノビアが、ならば人間の感覚を変えるものはできるか、と聞いてきた。

「感覚ですか?」
「ああ、例えば、熱いものが冷たく感じる薬とか、恥ずかしいものが恥ずかしくなくなる薬とか」
「ああ、そういうものでしたら可能です」

必要でしたらいつでも処方しますが、というパラケルススに、いや、大丈夫だとゼノビアが慌てて首を横に振る。

それから次々に、まるで大喜利のような質問がパラケルススにぶつけられた。
動物になる薬はどうか。別人になる薬は。性別を変えられる薬は。
マスター達がなんとかパラケルススの作れない薬を挙げようとするが、どれもこれもパラケルススには簡単らしく、なかなかこれというものが出てこない。
それでも諦めずに、何度もパラケルススに質問をぶつける彼女達の姿を、エミヤは少し後ろから微笑ましく眺めていた。

それから数分後。
ついにマスターが、駄目だー、と降参するように天を仰いだ。

「パラケルススが作れなさそうな薬が全然浮かばない!惚れ薬とかも余裕そうだし……」

悔しがるマスターに、そうですね、とパラケルススがさらりと答える。
その時、黙って聞いていたエミヤの頭に、ふと浮かんだものがあった。

「惚れ薬ではなく、持っている恋心を失う薬はどうかね?嫌いになる薬、ではなく、その好意そのものをなくしてしまうものは」

エミヤの問いに、パラケルススはふむ、と初めて考えるような素振りを見せた。

「それは、好きになったきっかけを忘れる薬ではなく?」
「記憶などは弄らずに、好意だけを失わせるものだ」
「なるほど……。それも簡単ですね」

あっさりとした回答に、聞いていたマスターがパラケルススに胡乱な目を向ける。

「本当に?記憶そのままでっていうのは難しいんじゃないの?」
「確かに記憶を消す方が簡単ですけれども。……いいですか?マスター。例えば、私がマスターに惚れ薬を飲ませたとします」
「まぁ、それは大変」

ナーサリーが口に手を当て、面白がるように大袈裟な声を上げた。

「でも、すでにマスターの中に特定の人物への恋慕があったとします」
「わぁ、きっとカルデア中が大騒ぎになるね」

バニヤンもナーサリーの隣で、楽しそうにくすくすと笑う。

「ここで、惚れ薬を飲んだマスターが、薬によって元々恋をしていた相手以外に恋愛感情を植え付けられた場合、どうなると思いますか?」
「え?えーと、2人を好きになったら惚れ薬にならないから、前から好きだった人を好きだったこと忘れて、その惚れさせたい相手を好きになる、ってこと?」

自信無さげに辿々しく答えるマスターに、なるほど、と声を上げたのはゼノビアだった。

「つまり、惚れ薬にはもともとその成分が含まれているということか」
「……どういうこと?」

首をかしげるマスターに、つまりですね、とパラケルススが説明する。

「すでに誰かに恋している相手に、ただ別の相手を好きにさせる薬を飲ませても、心の中に好意が2つ生まれるだけで、惚れ薬としては失敗作です。もちろん、薬を飲ませた相手が特定の誰かに好意を持っていなければそれでも上手くいくでしょうが、そんな効くかどうかわからない、不確かな薬を仕込むのはナンセンスです。だから惚れ薬には、まず対象の感情をフラットにする成分を含ませるのです」
「つまり好意だけ失くす成分というのはすでに存在しているから、薬として用意するのは比較的簡単ということか」

エミヤがまとめると、その通りです、とパラケルススが頷いた。
なるほど、と、エミヤが呟くと、マスター達もつられるように、なるほどー、と声を上げた。

「えー、じゃあ惚れ薬って、パラケルススの中では作るのが簡単な類の物なの?」
「そうですよ、マスター。だから、必要な際は私にお声がけください。きっとご満足いただけるものを作れるかと」
「いや、いらないから」

マスターの素早い返しに、楽しそうな笑い声が辺りに響く。
その笑い声の影で、エミヤはパラケルススの話を反芻していた。
記憶をなくさず、好意だけを失くす薬があるという。

「……なるほど」

エミヤは誰にも気付かれぬ音量で、もう一度その言葉を繰り返した。



はじめは、ちょっとした違和感だった。

話しかけても、言葉に棘がない。
腹減った、とキッチンの前で言っても、いつもなら「黙って待てもできないのかね」と返ってくるのに、ここ最近は「もう少しだ。すぐに出来るから待っていてくれ」と申し訳なさそうに言われる。
嫌味な言葉を聞かずに済んだと思えばいいのだが、皮肉がない代わりに、会話もそこでぷつりと終わってしまう。
ランサーのクー・フーリンは、それを少し、物足りなく感じていた。

昨日もそうだ。
新しいサーヴァントの数が増えたということで、昨夜は食堂を貸し切っての宴会があった。
一次会でマスターやマシュは部屋に戻り、残ったサーヴァント達はそのまま酒盛りをしていた。そしてその中に、あの男の姿もあった。

夜もふけ、酔い潰れる者がちらほら出てきた頃、ランサーは新しい酒を取りに行こうと腰を上げた。
その時、グラスを片付けようとしていた男と偶然ぶつかってしまったのだ。

ランサーは、また嫌味を言われると思った。ここには君みたい丈夫なものばかりではないんだから気を付けろと、あのムカつく顔で説教されるはずだと。
だが、予想に反し、男は「すまない、よそ見をしていた」と素直にランサーに頭を下げた。
そしてそれ以上は何も言わず、男はキッチンの向こうに消えていった。
そのあまりにあっさりとした態度に言葉を失ってしまったランサーを、一人そこに残して。

喧嘩しなくなったね、と誰かに言われた。
それはきっと褒めているつもりだったのだろう。だがランサーは、男の変化を楽観的には捉えられなかった。

あの男の様子が変だと、キャスタークラスの自分に言ってみた。
だが、キャスターは、いつもあんな感じじゃねぇか、と特に気にしていないようだった。
確かに、よくよく思い返してみれば、あの男のランサーへの対応とキャスターへの対応は微妙に違う。クラスが違うせいか、あの男はキャスターにはそこまで突っかからない。
だから、今のあの男に違和感を持ったのはランサーだけだった。

「お前、なんか変じゃねぇか?」

ついに耐えきれなくなったランサーは、夕食の片付けを終え、私室に戻る男を捕まえて尋ねた。
廊下に並ぶ大きな窓の前で、男はランサーの言葉に目を瞬かせた。

「ほら、俺の前でそんな気の抜けた顔しなかっただろ」
「そうか?気を抜いているつもりなどないのだが」

男の方は本当に心当たりがないようで、眉を寄せ、考え込むように腕を組んだ。

ほら、それも。
ランサーは声に出さずに呟く。

男が、ランサーの言葉を否定せずに素直に受け止めることなど滅多になかった。
その態度はまるで、男がカルデアに数多いる他のサーヴァントと話している時と何も変わらない。
いや、冷静に考えれば、それが当たり前なのだが、男はランサーに対してだけはそうではなかった。子供のように些細なことで張り合い、負けじと食い下がってくる。
そんな過去の男との記憶が、今の男はおかしいとランサーに訴えていた。

「そうだぜ。いつも不機嫌そうに、眉間に皺寄せてオレのこと見てたじゃねぇか」
「そうだったか?それは不快な思いをさせて申し訳なかった」

だからそうやって素直に謝るのがおかしいと言っている。
ランサーは思わず、そう怒鳴りつけたい気分になった。

気持ちが悪い。目の前にいる男はよく知っている男のはずなのに、致命的に何かが違う。ランサーに向けていた棘のようなものが、すっぽりとなくなっている。
だけど、その違和感にランサー以外誰も気付かない。
まるで自分だけが別の世界に紛れ込んでしまったようだった。

ランサーの苛立った空気を感じたのか、男が、申し訳なさそうに口を開く。

「言ってもらってよかった。これからは気を付けよう」

その素直さが、ランサーにはこの上なく気持ちが悪かった。
では、と男が踵を返したのを見て、ランサーは咄嗟に男の腕を掴んだ。
想像以上の力がこもってしまったそれに、男の鋼色の目が大きく開かれる。

「どうしたんだ、ランサー?」
「それはこっちのセリフだ、馬鹿野郎」

ランサーは男の腕をぐいと引っ張り、強引に逆方向に歩き出した。
向かう先は、レオナルド・ダ・ヴィンチのいる管制室だ。
うだうだと考えるのはもうやめた。ランサーがおかしいと思うなら、おかしいのだ。
だから検査をしてもらう。それで何もないならランサーの勘違い。それだけの話だ。

戸惑いながらも、文句の一つも言わずに黙ってついてくる男すら、ランサーの神経を逆撫でる。
管制室に辿り着いた時、ランサーは苛立ちに任せ、その扉を容赦なく蹴破った。

突然破壊された扉に、中にいたレオナルド・ダ・ヴィンチやスタッフが目を丸くして振り向いた。
驚愕と困惑の視線を向けられる中、ランサーは大股でダ・ヴィンチに近付き、男を突き出して言った。

「おい、今すぐこいつのメディカルチェックをしろ」



「結論から言うとね、なんの毒も呪いも出なかったよ」

タブレットを見ながらそう告げるダ・ヴィンチに、まじか、とランサーは答えた。

「うん。変な状態異常もなし。肉体的な損傷も、何かが改竄された痕跡もない。至って健康体だ。ただ……」

そこでダ・ヴィンチは形容しがたい顔をした。強いて言うなら、これを言ってしまっていいのかな、という困ったような笑みだ。

「ただ、なんだよ」
「いやぁ、プライベートのこと聞いちゃって申し訳ないんだけど。でも聞かないとクー・フーリンが納得してくれなさそうだから聞くね、エミヤ」

居心地が悪そうに椅子に座っていた男が、ダ・ヴィンチの言葉に顔を上げた。

「なんだ?」
「君、今カルデアに恋人とかいる?」

まさかの質問に、ランサーも男も目をぱちぱちと瞬かせた。
男は戸惑いつつも、首を横に振った。

「いや、いないが」
「んー、そっかぁ」
「おい、どういうことなんだよ」

たまらずランサーが尋ねれば、ダ・ヴィンチは言いにくそうに口を開いた。

「実はね、エミヤの腹の奥に、とあるサーヴァントの魔力があるんだ」
「は?」

間の抜けた声がランサーから出た。
つまりさっきのダ・ヴィンチの質問は、誰かサーヴァントと性行為をしたのか、と男に暗に聞いていたのだ。

そう気付いた時、今までとは比べ物にならない不快感がランサーの中を駆け巡った。
ランサーは男を見る。
男は、そんな馬鹿な、とひどく慌てふためいていた。

「まさか!そんな行為、した覚えはない」

顔を青くして困惑している男に、ランサーは密かに安堵した。
もし、これで男が何かを隠すように沈黙していたら、正直ランサーはこの男に殴りかからなかった自信がない。
ランサーは自身を落ち着かせるように、ゆっくりと息を吐いた。

「じゃあ、エミヤ。もしかして君、最近、パラケルススの作った薬か何かを飲んだ覚えはないかい?」
「え?」

思わぬ名前に、ランサーと男が揃って声を上げた。





「ええ、頼まれたので薬を処方しましたよ」

何か間違いではないかと戸惑う男を引きずって、パラケルススの部屋にやってこれば、当の本人は涼しい顔で至極あっさりとその事実を認めた。

「で、それは何の薬なんだよ」
「それは言えません。口外しないことを含めての契約ですので。ちなみに私を殺したとしても、その効果は無くなりませんので、無駄な力は使わない方が賢明かと」

牽制するかのようなその言葉に、ランサーは思わず舌打ちをする。
そんなランサーに構わず、パラケルススはランサーの後ろで気まずそうに立つ男をちらりと見た。

「ですが、決して生活や戦闘などに影響が出るようなものではありません。処方する前、本人が1番気にしていたのもそこでした。だから私も念のため、服薬後の彼を注意深く見ていましたが、特におかしなところはありませんでした。だから、うまくいったと安心していたのですが、まさか彼が変わったことに気付くとは。さすがは光の御子、と言うべきでしょうか」
「御託はいいんだよ」

すらすらと淀みなく話すパラケルススを遮り、ランサーは親指で男を指した。

「どうしたらコイツを元に戻せる?」
「正攻法では無理です。簡単に元に戻らないようにしてくれと頼まれましたので、そのように」

その言葉に、ランサーは自分の後ろにいる男をギロリと睨んだ。
ランサーの責めるような視線を受けた男は、困惑した顔のままパラケルススに尋ねる。

「つまり、私が薬の処方を頼んだということで合っているか?」
「ええ、その通りです」
「その薬がなんだったか、私が聞いても?」
「あなた本人にも言わないという約束ですので」

ふるふるとパラケルススは首を横に振った。
ふむ、と男が考えるように口元に手を当てる。

「……その薬が、本当に私の活動に影響しないという保障は?」
「あなたの活動、という定義によりますが、少なくともサーヴァントとしての活動に支障はないと断言できます。むしろ、あなたは、このままではカルデアでの活動に影響が出るかもしれないと危惧して、私にその薬の処方を頼んできたのです」

つまり、この男は密かに何かに悩み、それを解決するためにパラケルススの薬に頼ったというのだ。
男は不機嫌そうに顔を歪めるランサーに気付かず、なるほど、と呟いた。

「じゃあ、このままでいいだろう」
「はぁ?」

男が出した結論に、思わずランサーは声を上げた。

「良いわけねぇだろうが!こんな気持ちの悪いことになってんだぞ!」
「気持ち悪いとはなんだ」

男がムッとして言い返してきた。
その苛立ちを含んだ視線が、今は妙に懐かしい。

「だいたい、気持ち悪いと言っているのは君だけだろう。私自身、変わったところはないし、マスターからの指摘もない。メディカルチェックでも、おかしなところはないという客観的なデータも出ている。だから、君の感じたものは勘違いである可能性の方が高い」

そもそも、と男は続ける。

「私が、カルデアの為にその薬を飲むのがいいと判断したのだ。どうして、それをわざわざ元に戻さなくてはいけない。せっかく病から回復した者を、また病に感染させてどうする。君が気にかけてくれたのは嬉しいが、私は大丈夫だ。その気遣いは別の者にしてやるといい」

つまり、誰も困っていないのだからこのままでいい、と男は言っているのだ。
男が飲んだ薬は、自分の役割を第一に考える男が、カルデアの為に必要だと思ったからパラケルススに依頼したものであり、ランサー以外、男が薬を飲んで変わったことに気付いてはいない。そもそも、ランサーが覚えたという違和感には何の根拠もないのだ。だから、このまま放置しておけと。
だが。

「ふざけるな」

ランサーの喉の奥から、怒りと共に低い声が這い出てきた。
体から漏れ出る魔力で、部屋の空気がずしりと重くなる。
男とパラケルススは咄嗟に身構えた。だが、ランサーは特に気にせず、パラケルススに問いかける。

「おい、パラケルスス。正攻法でコイツを戻すのは無理だっつったな?」
「はい、言いました」
「つまり正攻法以外なら、コイツを元に戻す手はあるということだな」

パラケルススは答えなかった。
それはおそらく、パラケルススに薬を依頼した男のために口を噤んだのだろう。

だが、そこまで聞ければ十分だった。
邪魔したな、とランサーは言い残し、男を掴んでパラケルススの部屋を出た。
喚く声が右手の先から聞こえるが、全部無視する。
向かう先は、もう決まっていた。






「この男から、パラケルススの魔力を引き剥がしてほしいだと?」

ランサーが男を引きずって師匠であるスカサハの部屋に向かえば、そこには師だけではなく、師と同じ顔をしたスカサハ・スカディもいた。

パラケルススは正攻法では無理だと言った。つまり、ひっくり返すと、正攻法じゃなければできるということだ。そして、そういうことなら、と、神代レベルのルーンの使い手であるスカサハの力を借りる為、ランサーはここにやってきたのだ。
そこに異聞帯の王であり、同じくルーンの使い手であるスカサハ・スカディもいたのは僥倖だった。

一通りランサーの話を聞いたスカサハは、何も答えないまま弟子を見た。
ランサーも言うべきことは言ったと、無言で己が師を見返す。
その張り詰めた沈黙は数秒続いた。
そして、呆れたように息を吐いたスカサハは、わかった、とだけ言った。

「いいのか?」

そう聞いたのは、スカサハ・スカディだった。

「ああ。こう見えて、かなり頭に血が上っておる。こうなったらテコでも動くまいよ。いつもなら私を倒してから、と言うところだが、今日はこの後、フェルグスやメイヴ達との約束がある。遅れると面倒だ。だから、さっさと済ませてしまおう」

恩に切る、とランサーは言った。
その横でスカサハ・スカディは、どこか諦めたような顔をしている男を、興味深そうにじぃっと見ている。

「この男から、その魔力を引き剥がすのか?かなりの力技にならないか?」
「ああ。だから師匠に頼みにきた」
「待ってくれ、力技とはどういうことだ?」

たまらず口を挟む男に、スカサハ・スカディがさらりと答える。

「その魔力は、お前の霊基と同化しかけておるのだ。だから、それを無理やり引き剥がすとなると、お前の霊基ごとごっそり剥がすことになる」
「つまり、剥がした瞬間、即座に魔力供給しないと、そのままお前は消えるだろうな」

当然のように続けるスカサハに、男の目が見開かれた。

「待て、私はこのままで構わないと言ったはずだ!」
「オレが構う。師匠、やってくれ」

喚く男を無視して言えば、男はいよいよ埒があかないと思ったのか、ようやく殺気立った視線をランサーに向けてきた。カルデアで、よくあるじゃれ合いではない。ランサーが力ずくで男をどうこうしようとしていることに、ようやく危機感を抱いたのだ。

前のお前だったら、もっと前の段階で激しく抵抗していただろうに。
ここまで、困惑しながらも黙ってついてきたのは、カルデアで共に戦う仲間としてのランサーを信頼してのことだったかもしれない。ここに来るまでの道中、そういうことを言われたような気もする。
だが、そんなものどうでもいい。

次の瞬間、ランサーは隠し持っていたルーン石を男の目の前で弾けさせた。
眩い閃光の後、男の体ががくりと崩れ落ちる。

ランサーはこの男を元に戻せさえすればいい。
説教は、その後いくらでも聞いてやる。

床に伏せる男を冷え切った目で見下ろした後、ランサーは再びスカサハとの話に戻ろうとした。

その時、何かがランサーの足首を掴んだ。
視線を下ろすと、倒れていた男が今にも閉じそうな目で必死にこちらを睨みつけていた。
よく見ると、足首を掴んでいない方の手の指が一本、不自然な方向に曲がっている。
おそらく意識を失わないために、自分で折ったのだろう。

「ほう、ルーンに意地だけで抗うとは。なかなか好ましい苛烈さだな」
「ああ、そういうところが気に入っている」

後ろから覗き込んできたスカサハの言葉に、ランサーは静かに答える。
男は睨むことはできても言葉までは発せないのか、悔しそうに口元を動かすだけで何も言わない。

「して、どうする?セタンタ」
「どうもこうも。もう一度大人しくさせるだけだ」

早くしないと、この頭の回る男はあっという間に逃げ出すだろう。
その前にもう一度眠らせようと、ランサーは指を宙に滑らせる。
だが、そのルーンが発動するよりも早く、ひとつの影が動いた。

「ほら、そんなに怒るな。何もお前を害そうとしているわけではない」

蕩けるように甘く、柔らかな声が部屋に響く。
声の主はスカサハ・スカディだった。
スカサハ・スカディは男のすぐ横にふわりと膝をつき、その目に手を伸ばした。

「安心して眠るといい。起きる頃には全て終わっていよう」

慈愛に満ちた真紅の瞳が、すぅっと細められる。
女神の手から逃げるように、男の体がわずかに動いた。
だが、白い手が男の目にかざされた時、その体は呆気なく床に沈んだ。
スカサハ・スカディは男が静かになったのを確認した後、すくりと立ち上がった。

「そろそろメイヴとの約束の時間だ。のんびりしている暇はないぞ」
「それもそうだな。……本当にいいのだな?セタンタ」

最後に、スカサハがそう確認してきた。

それは、この男の意思に反して無理矢理、霊基一部を引き剥がすこと。男の霊基が消滅するのを防ぐため、ランサーが魔力供給として男を抱くこと。そしてこれらの一連の行為により、この男から敵意を向けられる可能性があるということ。
それら全てのことを聞いているのだろう。

そしてランサーは、それらの全てに対して、ああ、と頷いた。
この男は、これから行う行為を何ひとつ望んでいない。
だが、それでも、ランサーは男をこのままにしておけないと思った。
それは断じて、この男を思ってのことではない。

「誰かの魔力で、こいつの在り方が捻じ曲げられているなど、虫唾が走る」

ただ、その一点が気に食わなかっただけだ。



ばちり。
目を覚ましたエミヤは、戸惑うことなく飛び起き、辺りを見回した。

部屋の中は暗かった。
ベッドサイドに置かれている簡素なランプが、エミヤの周囲を健気に照らしている。

そこはエミヤの部屋でこそないが、カルデアでサーヴァントに割り当てられている、ごく一般的な個室だった。シャワールームが付いていて、小さなテーブルセットとベッドが置かれている。
そしてエミヤがいるのは、その見知らぬベッドの上だった。

エミヤは混乱したまま、視線を下に向ける。
柔らかな明かりに照らされるシーツの上に、青い髪が散らばっているのが見えた。

その瞬間、エミヤは息が止まるかと思った。
青い髪を辿っていけば、そこにはエミヤに背を向けるように寝ている男がいた。
顔を確認するまでもない。気配でわかる。ランサーだ。いつもひとつにまとめられている髪は解け、ベッドの上に乱雑に広がっていた。

しかも、男は霊衣を纏ってはいなかった。しなやかな筋肉のついた体が、明かりの下に容赦なく晒されている。
そしてエミヤも、男と同じく裸だった。

叫びそうになる衝動をなんとか堪え、エミヤは意識を失う前のことを必死に思い出す。
確か男に連れられてスカサハの部屋にまでやってきて、そこで無理矢理眠らされたのだ。

なぜそんなことになったのか。
それは、男がエミヤの様子がいつもと違うことに気付いてしまったから。男はエミヤを元に戻そうと躍起になっていた。

なぜ、エミヤの様子がいつもと違ったのか。
それは、エミヤがパラケルススに作ってもらった、好意を失う薬を飲んだからだ。

そして今、エミヤが薬を飲んだことを覚えていて、かつ、隣に眠る男への想いが腹の奥に蘇っていることを自覚した瞬間、エミヤは自分の目論見が阻止されたことを知った。
エミヤは思わず両手で顔を覆った。

エミヤはランサーのクー・フーリンに、ずっと秘めた想いを抱いていた。
だが、そのことを男に言うつもりはなかった。何せ今、カルデアは人理の危機に直面しているのだ。余計なことにリソースを割いている暇はない。そんな中、自分の想いのせいで男との関係が不和になり、マスター達の手を煩わせるなんてことがあったら、エミヤは自分で自分を許せなくなる。

だが、共同生活をしているため、毎日嫌でも顔を合わせる。向こうは何も知らずに気軽に声をかけてくるし、エミヤが作る料理を美味しいと言って食べてくれる。その姿を見るたび、言葉を交わすたび、男への想いはどんどん膨れ上がっていった。

このままでは、勘の鋭い男に、この腹の中に溢れるものを悟られるかもしれない。
それだけは耐えられないと思っていたエミヤは、ある時、偶然、好意をなくす薬の存在を知った。
それさえ飲めば、エミヤを悩ませるものは全て解決できると思った。カルデアになんの迷惑もかけず、これからも男と共に戦っていけると思った。

しかし、結果はこの通り。
エミヤの恋心はしっかり戻ってきてしまった。

しかも、エミヤを元に戻す為に、ランサーは魔力供給までしてくれたらしい。折れた指までしっかり治っている。
放っておけばいいものの、変なところで面倒見のいい男である。
だが、いくら胸の内で悪態をつこうとも、エミヤの自分勝手な行動に男を巻き込んでしまった事実は変えられない。
罪悪感で、エミヤの胸がずしりと重くなった。

数時間前の、言われるがまま、男に呑気についていった自分が恨めしい。
エミヤだって、いくら同陣営とはいえ、このカルデアにいるサーヴァント達を警戒していないわけではない。むしろランサーのことは、好意があろうがなかろうが、相手の実力を肌身で感じてわかっているからこそ、決して油断などすることなどなかった。
それなのに、どうしてあの時の自分はあんなにも無防備についていってしまったのか。

それはきっと、あんなふうに英雄クー・フーリンに心配されたのが嬉しかったからだ。
痛いほど強く腕を握られ、エミヤの為にカルデアを駆け回っている男の姿に、エミヤは言いようのない喜びを感じていた。好意は無くなったはずだった。それなのに、あの時のエミヤの胸の内には、じわりと何かが生まれかけていた。それに戸惑っているうちに、エミヤはあっさりと男の術にハマり、眠らされたのだ。
思い返すだけでも、情けなさすぎて反吐が出そうだった。

「起きたのか?」

寝ていると思っていた男の声に、エミヤは思わず肩が跳ねそうになった。
それを意地でなんとか押さえつけ、隣に眠る男に目をやる。
男は怠そうに体の向きを変え、肘をついた状態でこちらを見上げた。その顔はどう見ても機嫌が良さそうではない。

それは当然だろう、とエミヤは思った。
ならば、まずすべきなのは謝罪だ。
だが、意思に反して、発すべき言葉が喉奥につっかえて出てこない。
迷惑をかけて申し訳ない、という謝罪の言葉も、余計なことをするなという反発の言葉も、浮かんでは泡のように消えるだけ。
結局何も言えないまま、エミヤは黙って男を見つめ返した。

どのくらい無言の時が流れただろう。
不意に男が口元を緩めた。
そして何を思ったのか、そのしなやかな腕を伸ばし、抱き込むようにしてエミヤをベッドに倒した。
体を包む柔らかな衝撃と、視界いっぱいに広がる男の肌。
動揺していることを悟られたくなく、エミヤは意識して硬い声を出した。

「……なんのつもりだ」
「お、元に戻ったみたいだな」

よかった、よかった、と男は呑気に言ってきた。
まるでさっきまでの行為など何もなかったかのように。
たまらず、エミヤはぎゅ、と唇を噛み締め、近過ぎる男の体を手で押し返した。

「余計なことに首を突っ込みおって。カルデアに害はないのだから、放っておけばよかっただろう」
「しょうがねぇだろ、気になったんだから」

めんどくさそうに言われた言葉が、男の行動に何の下心もないことを物語っていた。
わかっていたことだが、それでもエミヤは悲しかった。
こんな苦い気持ちを味わわないために、わざわざパラケルススに頼んで薬を処方してもらったというのに。本末転倒いいところだ。

「それに」

男がぽつりとつぶやいた。

「気持ち悪かったんだよ、あのお前。オレのこと、他人みたいな目で見やがる」

柘榴を思わせる赤い目がそっと伏せられ、長いまつ毛が影を作る。
その言葉に、エミヤが期待するような意味が込められていないことを、エミヤはちゃんと知っている。

「何を言っている。他人だろう」
「他人じゃねぇだろ。一応顔見知りだし、このカルデアでも、それなりに付き合いはあっただろうが」

予想通りの男の言葉に、ほら、とエミヤは胸の内で己を嘲笑う。
男の行動原理はそれだけだ。同じマスターの元に集められたサーヴァントの仲間として、エミヤの異変を見過ごせなかった。それ以上の意味はない。

あんまりな独り相撲に、エミヤはなんだか笑い出したい気分になった。
全く、この男は本当に憎たらしいほど英雄だ。
たった一騎のサーヴァントの些細な変化など、放っておいてくれたらいいものを。
いや、そこから万が一のことがあったらまずいから、わざわざその身を犠牲にして、この男は対応したのかもしれない。
だとしたら今回のことは、男の観察眼と行動力を見くびっていたエミヤのミスだ。

「そもそも、なんでそんな記憶をなくすような薬を飲んだんだよ」

ため息混じりに男に問われる。
それは、男にとって当然の問いだろう。
だが、本当のことなど言えるはずもない。
唯一の救いは、男がエミヤの飲んだ薬は記憶に作用するものだと思っていることだ。
だからエミヤは、できるだけ神妙な顔をして、忘れたい記憶があったのだ、と答えた。

「とある聖杯戦争での、まぁ、黒歴史のような記憶だ。パラケルススがたいていの薬ならなんでも作れると言っていたから、じゃあ、とお願いしたのだ。おそらく、その聖杯戦争に君もいたから、君に関する記憶も一緒に消えてしまったのだろう」
「黒歴史ってどんな?」
「言えたら、薬なんぞに頼るわけがないだろう」

それもそうか、と、男はエミヤの嘘にあっさり納得してくれた。
その態度に、じくりと良心が痛む。

「……とにかく、迷惑をかけて悪かった」

やっと出てきてくれた謝罪の言葉は、ありきたりで、ありふれたものだった。
もっと何かあるだろうと自分でも思う。だが、本当のことを言わない以上、何をやっても男に対しての誠実な謝罪など出来やしない。だったらもう、こちらから言えることなど何もない。ただひたすら頭を下げるのみだ。

「もう変な薬、飲むなよ」
「ああ」
「嘘吐きめ」

吐き捨てるように言った男に、エミヤは歪な笑みを返す。

「飲まないさ。その度に君に抱かれるのはごめんだからな」

さすがに、男にこれ以上の迷惑をかけるわけにはいかない。
エミヤの言葉に、男は何か言いたげに片眉を上げたが、その口から罵声などは出てこなかった。
気まずい沈黙が、2人の間に漂う。

エミヤは居た堪れなくなり、ベッドから出ようとした。
だが、体を起こす前にまた男の手が伸びてきて、エミヤを無理矢理ベッドに引き戻した。
再び襲ってきた柔らかな衝撃に、エミヤは少し瞠目した。

「全て済んだのだろう?なら、もう私がここにいる必要はないと思うが」
「いいじゃねぇか。魔力分けてやったんだから、ちょっとくらい付き合えよ」
「私が君に魔力供給を頼んだわけではない」

そしてこの男だって、エミヤと寝たくて寝たわけではない。
気まずさと申し訳なさがぐちゃぐちゃに入り混ざり、よくわからない感情のまま、エミヤは思い通りにならない男を睨みつける。
そんな身勝手な敵意を向けられてもなお、男は落ち着いていた。
その態度が、エミヤを余計に惨めにさせた。

わかっている。この男にだって情はある。
それはエミヤの望むものではないが、惚れた男からそんなものを向けられて、何も思わずにいられるほど、エミヤは達観していない。
そして、男をこんな目に合わせているにも関わらず、懲りずにそんな感情を持ってしまう自分を、エミヤは心から恥じた。

もし次に私が似たようなことになっても、君は気にしなくていい。少なくとも君の身を犠牲にするようなことではない。
そう言いたい衝動を、エミヤは必死に飲み込む。
エミヤがそう言ったところで、この男は決して聞かないだろう。
今回のことだって、男はこうと決めたら周りの忠告など全て無視をして動いていた。エミヤの言葉なんぞで止まるわけがない。

だから、もっと上手くやらなくては、とエミヤは思った。
でないと、この男はまた気まぐれにその身を犠牲にして、英雄らしくエミヤを救い上げるだろう。
これ以上、たかだか数回聖杯戦争で顔を合わせただけの自分の愚行に、この男を付き合わせるわけにはいかなかった。

そもそも、今回うまくいかなかったのは、エミヤが男を甘く見ていたのが原因だ。
恥ずかしいことこの上ないが、おそらく男にとって、エミヤが恋をしている状態が普通だったのだろう。そこが変わったから、男は気付いたのだ。
ならば、次は気付かれること前提で動いたほうがいいだろう。

今回は、対処がぎりぎり間に合うタイミングで気付かれたのがいけなかった。
だから、男がレイシフトなどで長くカルデア空けている時に薬を飲めば、帰ってきた時にエミヤの様子が変わっていても、もうどうすることもできない。そうなってしまえば、男だって、これはさすがに無理だと諦めるはずだ。
それに、今回エミヤの変化に気付いたのは男だけ。他の者は何の違和感も持たなかった。
ならば、この男さえどうにかしてしまえば、エミヤは望み通り、この想いを。

「言っておくが」

男の声が、エミヤの思考を遮った。
そろりと目を上げれば、静かな炎を湛えた赤色がそこにあった。

「次にまた同じことがあれば、オレは同じことをするぞ」

だろうな、とエミヤは思う。
だからこそ、次はそうなってもいいように対策を講じなくてはいけない。

「そしてもし、今回と違ってオレが間に合わなければ、オレはその歪められたお前を殺すだろう」

あまりにもさらりと告げられたそれに、エミヤは思わず目を瞬かせた。

「……また随分と物騒だな。身内同士で殺し合いなど、あの善良なマスターが悲しむぞ」
「あぁ、そうだな。そう思うなら、これ以上変な気を起こすんじゃねぇぞ」

オレはやると言ったらやるからな、と男は淡々と告げた。
どうやら1番嫌な形で釘を刺されてしまったらしい。
思わず舌打ちしそうになるのを、エミヤは何とか堪える。

いや、まだ何か方法はあるはずだ。例えば、薬を飲んでから、エミヤがレイシフトするのはどうだろう。しばらく離れていれば、いくら男だってエミヤに変化に気付くはずが。

「ほら、もう少し寝ようぜ。朝はまだ遠い」

男は表情を少し緩め、引っ張り上げたシーツをエミヤの肩にかけた。
いつもの気のいい兄貴風の顔に戻った男を、エミヤは恨みがましく睨む。

「……脅迫されて眠れるものか」
「脅迫じゃねぇよ」
「脅迫以外の何物でもないだろう」

感情のまま吐き捨てれば、男は小さく笑った。
その表情はまるで、聞き分けのない子供に呆れているようにも見えた。

「いいじゃねぇか、黒歴史のひとつやふたつ残ってても。オレなんかそういうの全部、文で残ってるんだぜ。それに比べたらマシだろ。それに、そこに居合わせただけで忘れられるオレの身にもなってみろよ」
「別に、君そのもののことを忘れたわけじゃないんだから、かまわないだろう」
「そうだけどよ。……それでも寂しいじゃねぇか」

惚れた相手にそう言われてしまっては、エミヤは押し黙るしかない。
くそ、とエミヤは胸中で吐き捨てる。
どうして自分はこんな想いを抱えてしまったのだろう。こんなもの、戦いには必要ない。想ったところで、相手が振り向いてくれるわけでもない。だったら、誰にも見えないところに捨ててしまってもいいだろう。実際そうしようとしたのに、どうしてそれすらも許されないのか。
このどうにもならない気持ちを抱えたまま、エミヤはここで過ごさなくてはいけないのか。

「そうさなぁ」

シーツの中で、耐えるように拳を握りしめるエミヤの前で、男が歌うように呟いた。

「もしお前がその抱えている黒歴史とやらに耐えられないなら、オレが今すぐ殺してやろうか。そっちだったらまぁ、許してやってもいい」
「何だそれは、野蛮人め」
「勝手に人のことを忘れた薄情者に言われたくはねぇなぁ」

何が楽しいのか、男は赤い目を細めて笑った。
神は残酷だ。人の心を知らず、気まぐれで人を弄ぶ。そんな単語が頭をよぎった。

「ランサー。私は真剣だ」
「そりゃ奇遇だな、アーチャー。オレもだ」
「……ランサー」

ため息混じりに、エミヤはその名を呼んだ。
わかってほしい、放っておいてほしい。そういう願いを込めて。
勘のいい男だ。それくらいわかっただろう。
だが、向こうは一切譲る気はないらしい。

「なぁ、アーチャー。どうしたら諦めるんだ?」

懲りずに、そんなことを聞いてくる。
どうしたら。そんなの、エミヤの方が教えてほしいくらいだ。
とにかく、この想いを1人で抱えていたくはなかった。今は大丈夫でも、あるだけでどんな悪影響を及ぼすかもわからない。だから忘れたいと思った。捨てたいと思った。それらは自分の為でもあるが、カルデアの為にもなる。それに何より、エミヤが恋するこの男の為になるのだ。
それなのに、どうして。
ぎち、とエミヤの奥歯が醜い悲鳴をあげる。

「そんなもの、私が知りたいさ」

責めるように吐き捨て、エミヤは男に背を向けた。
そうだ、自分でどうにかできないから薬に頼ったというのに。
まさか当人に邪魔されるなんて思わなかった。
今すぐ部屋を飛び出たい衝動に駆られるが、慣れない神性の魔力を取り込んだせいか、体がだるく、気を抜くと瞼が今にも閉じてしまいそうだった。

「アーチャー」

男が名を呼んだ。
それだけで胸が締まるのを、きっと男は知らない。

朝になったら、この部屋にいるのはきっと自分だけだ。
ベッドの隣は冷たくて、食堂で会うこの男も、いつも通りに戻っている。
そしてそれが、エミヤが壊したくてしかたなかった、幸せで残酷な日常だった。

「お前がそんなに必死になるほど、忘れたいものなのか?」
「ああ。居合わせた君には申し訳ないが、また私が同じ薬を飲んでも目を瞑ってほしい」
「その返事はさっきしたはずだ。それとも」

言葉が途切れると同時に、男の手がエミヤの肩を掴んだ。
そのまま強引に仰向けにされ、反抗する間もなく、男がエミヤの上に乗る。
そして、エミヤに馬乗りになった男の右手には、見慣れた朱色の槍が握られていた。
男が無表情で告げる。

「本当に今すぐ死ぬか?」

一切の容赦のない、半神の殺気がエミヤに降り注ぐ。
だが、だからこそ、思わずエミヤは言ってしまった。

「君こそ何故そんなに必死になるんだ。私に素っ気なくされたのが、そんなに堪えたのか?」

エミヤを気遣ってくれた男を揶揄うような言葉だった。
当然、ふざけるな、と男が言い返してくると思った。
だが。

「そうだな。もう二度と、あんな気持ちを味わいたくはない」

そのあまりにも素直な言葉に、エミヤの頭は真っ白になってしまった。
何を馬鹿な。
そう言おうと口を開くが、驚きすぎて言葉が出てこない。
咄嗟に男を見上げるも、その顔は真剣そのもので、冗談を言っているようには見えなかった。

わざとしおらしくして、言うことを聞かせる作戦かとも思った。
だとしたら、その効果は抜群だ。現にエミヤは今、何も言えなくなってしまった。

多分、いや、絶対にエミヤの望むような意図はない。わかっていても、その言葉に喜びを感じてしまう自分がいた。
そんな自分の愚かしさが、ひどく恨めしい。
ただこの想いを捨てたかっただけなのに、どうしてそれすらも許されないのだろう。
忘れたくても忘れてはならないことは山程あるから、せめてこの、ままならない恋くらいは忘れてしまいたかったのに。

男は不意に持っていた槍を消し、代わりにその手をエミヤに伸ばしてきた。
冷たい指先が頬に触れる。
想像もしていない温度に、エミヤの体がびくりと跳ねた。

何のつもりだ。次は首でも締める気か。
そう問いたくても声が出ない。喉が震える。
ただ静かに見下ろしてくる男から、目を離せない。

「ああ、もっとわかりやすくしたほうがいいのか」

男が薄く笑った。
その神々しさすら感じられる笑みを、エミヤは何も言えずにただ見つめていた。

「オレの気持ちを受け取らないまま、勝手にいなくなるんじゃねぇよ」

言い終わるやいなや、男はがぶりと唇に噛み付いてきた。

一口で身体ごと喰われてしまったような感覚。
それが口付けだと気付いたのは、その一瞬後のこと。
それでもエミヤは暴れることも、男を突き飛ばすこともできず、呆然とその唇を受け止め続けた。

部屋に水音が響く。
男の手がエミヤの頬を撫でる。冷たさはもう感じない。混乱の末、感覚がおかしくなってしまったのか。それともエミヤの熱で男の指が暖まったのだろうか。
何ひとつわからないまま、男の唇がゆっくりと離れていく。
エミヤは、ようやく口を開いた。

「君の、気持ちとは?」
「……ここまでわかりやすくしてやったのに、さらにそれを聞くか、てめぇ」

男の顔が嫌そうに歪んだ。

「さっき言った意味がわからないほど、お前は鈍い頭してねぇだろ」
「それでも、聞かせてくれないか」

もう勘違いで舞い上がりたくはないのだ。
エミヤがぼそりとそう呟くと、男は少し迷った後、がりがりと頭を掻いた。
そして、しょうがねぇな、と、くしゃりと笑い、エミヤの上から退いて、居住まいを正した。
赤い瞳が、真っ直ぐにエミヤを見つめる。

「お前が好きだ。だから、オレのことを何ひとつ忘れてほしくねぇし、どこぞの魔術師が作った薬でお前が変わるのも耐えられん。今のままのお前で、オレといてほしい」

その熱のこもった目に、エミヤは飲み込まれるかと思った。
そして。

「……わかった」

今まで腹の内で荒れ狂っていたものが嘘のように、とても静かな声がエミヤの口からこぼれ落ちた。

「じゃあ、とりあえず話も終わったようだし、今日のところは寝るとしよう」
「おい、待て」

シーツを引っ張り上げ、本格的に眠りの体勢に入ろうとするエミヤを、男が不服そうに止める。

「なんだ?」
「なんだじゃねぇよ。オレにここまで言わせたんだ。お前も言うことがあるだろう」
「言わなくてはわからないのか?君はそこまで鈍い頭をしていないと思ったが」
「それでも、お前の口から聞きたいと思うだろうが」

さっきとは真逆のやりとり。
本当は誤魔化して寝たふりを決め込みたかったのだが、この男はそれを許してはくれなさそうだ。

正直、エミヤの頭は嬉しさと驚きで混乱していた。だから一刻も早く眠り、微睡の中で今日のこの幸運を噛み締めたかった。
だから、もうなんとでもなれ、とエミヤは隣に座る男に手を伸ばし、その髪を思い切り引っ張った。
そして近くなった男に顔を寄せ、エミヤは言った。

「君がそう言ってくれるのなら、私はもう何かを消す必要はない」

そしてその唇に、さっき男がくれたものとは違う、ささやかな口付けをそっと落とす。
男は少し黙った後、そうか、と安堵するようにぽつりと呟いた。
そしていつものように、明るくニッと笑う。

「じゃあ、今日のところは寝るか、アーチャー」
「そうだな。そろそろ休ませてもらうよ、ランサー」

そうして2人はひとつのベッドで丸くなり、同じ朝を迎える。


終わり

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本当は前の記憶喪失槍と展開がほとんど変わらず、これは同じすぎだろうと色々弄った結果、全く違う話になりました。
怖い槍が大好きです。

Comments

  • スラスラ☆ダイスキ
    November 17, 2025
  • サポニン
    June 30, 2024
  • √@眞代
    June 23, 2024
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