【槍弓】あかいろふたつ
カルデアで体だけの関係だった槍弓。槍がこの関係を終わらせたいと言い、弓がそれを了承した次の日に、槍がカルデアに召喚されてから今までの記憶を一切失う話。
かわいい話を目指しました。
いつも通りみんな女々しいし、今回の弓は流されやすいし、キャスターはなんとかしようとしてます。
なんでも許せる方向けです。勢いで読んでもらえると嬉しいです。
よろしくお願いします。
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オルガマリークエストは、山の翁がなんとかしてくれました。さすが初代様……!
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「別に、もう魔力供給する必要ねぇだろ」
男のその言葉に、エミヤは思わず動きを止めた。
夜のカルデア。人気のない廊下の片隅で、目の前に立つ男の顔をエミヤは見返す。
月明かりに照らされた男の肌が、やけに白く見えた。
「それこそ最初の頃は、魔力を賄う電力もギリギリで、お互い助け合うためにやってたけどよ。今はもう必要ないだろ。魔力も別に困ってねぇし」
その正しすぎる言葉が、エミヤの胸に静かに突き刺さる。
男が言う通り、魔力供給を必要としていたのは、カルデアがレフ・ライノールの企みで、ボロボロになっていた初期のこと。なけなしの電力をかき集めて召喚されたエミヤと男は、傷付いたカルデアの負荷を少しでも軽くするために、戦闘の後はよく互いの魔力を分け合っていた。
最初は血液、次は唾液。それから体を重ねるに至るまで、そう時間はかからなかった。
男に抱かれながら、これはカルデアの為だと、エミヤは必死に自分に言い聞かせた。
じゃないと、己の内に巣食う想いが今にもあふれてしまいそうだった。
だから必死に自制してきた。つい最近も、男にこちらの体を気遣う必要はないと伝えた。これはあくまで魔力供給だ。万が一にもエミヤが勘違いしないよう、できる限りの手は打ってきたつもりだった。
だが男に、この行為は必要ないとはっきり指摘された今、エミヤは目をそらし続けてきた自分の気持ちが、誤魔化しきれないほど膨れ上がっていたことに気付いてしまった。
いや、だからこそ、この関係の意味のなさに言及することなく、だらだらと男に抱かれ続けたのかもしれない。
そんな自分の浅ましさを、目の前に突きつけられたような気がした。
男に指摘される前に、こんな関係、もっと早くに断っておくべきだった。
そんなありきたりな後悔が、今更エミヤを襲う。
「まぁ、それもそうだな」
口から出てきた声は、意外と落ち着いていた。
そのことに、エミヤは内心ほっとした。
「考えればわかることだったが、君に声をかけるのが習慣になってしまっていた。全く、慣れというのは恐ろしいな」
「まぁ、なんだかんだ1年くらいだからな。習慣にもなるだろ」
しょうがねぇ、と男がその赤い目を細めて笑う。
男からその表情を向けられるまでに近付けた喜びを、エミヤは胸の奥で噛み締める。
そして同時に、自分はもうこれ以上、この男に近付くことはできないのだと、静かに理解した。
「これからは気を付けよう。ではな、ランサー。今まで世話になった」
エミヤは男への未練を断ち切るかのように、くるりと踵を返し、男に背を向けた。
背後から男の視線を感じたような気がしたが、振り向かずに足を進める。
振り向いて、そこに男がいないことを認めたくはなかったのだ。
キツく拳を握りしめ、エミヤは足早に自室に向かう。
一刻も早く、ひとりになりたかった。
そして。
ランサーのクー・フーリンが、カルデアに召喚された日から全ての記憶を全て失ったのは、その次の日のことだった。
*
どうやら自分は、このカルデアに召喚されてから今日に至るまでの記憶をすっぽり失くしてしまったらしい。
レオナルド・ダ・ヴィンチにそう告げられた後も、ランサーにはその実感というものがなかった。
ランサーにある記憶は、このカルデアに召喚された瞬間のこと。マスターである少女に、ついさっき名乗ったばかりだ。
だが、実際にはそこから1年以上の時が経っており、今や自分はこのカルデアにおける古株だという。
知らない間に年を取ったような、妙な気分だった。
ダ・ヴィンチの話によると、自分と同様に記憶を失ったサーヴァントは数騎いるらしい。
どれも今日一緒に行動していたメンバーで、おそらくレイシフト先で、毒か呪いをかけられてしまったのだろう、というのがダ・ヴィンチの見立てだった。
こちらでも解除方法を調べるから、君達はいつも通りカルデアで過ごしてほしいと言われてから、早3日。
ランサーの記憶は、まだ戻らずにいる。
「どうだ?カルデアには慣れたか?」
レイシフトを終え、少し遅めの夕食を食堂で食べていると、キャスタークラスの自分が揶揄うようにそう言ってきた。
初めてキャスターに会った時、正直、ランサーはひどく驚いた。
それどころかオルタ化した自分や、プロトと呼ばれる若い自分、セタンタという名だった頃の自分もいるものだから、一体、前の自分はどんな気持ちで増えていく自分を見ていたのだろうと思った。
「おかげさまでな」
「で、どうよ。記憶の方は」
尋ねながら、キャスターがランサーの向かいの席に腰を下ろす。
自分の顔を見ながら食事をするというのは、なんとも不思議な気分だった。
「残念ながら、さっぱりだ」
はぁ、とランサーが深いため息を吐く。
何せ記憶を失ったと言われても、ランサー自身にその自覚はない。
だから、取り戻そうと思っても、何をどうしていいかわからない。
ダ・ヴィンチには、いつも通り過ごしてくれとしか言われておらず、とりあえず今日もレイシフトに同行してみたのだが、残念ながら記憶が戻る気配はなかった。
「なぁ、本当にオレの記憶はなくなってんのか?」
「そりゃあもう。じゃなきゃ、マスターに心酔している奴らが、お前のことをあんなに睨むわけねぇだろ」
確かに、ランサーが記憶を失ってからというもの、カルデアにいる一部のサーヴァントからの視線が異様に厳しかった。
言葉にはしないものの、よくもマスターを悲しませたな、という思いが、殺気と共にビシビシと伝わってくる。
「そんなこと言われても、オレだって忘れたくて忘れたわけじゃねぇよ」
「まぁまぁ。あ、カルデアのログは見たのか?特異点修正の」
「一応。だが、自分のことっていう感じはしなかったな」
自分がカルデアに早いうちに召喚され、いくつもの特異点修正に関わってきたことは記録を見ればすぐにわかった。
だが、いくら記録に目を通しても、自分がそこにいた実感がまるで湧いてこない。
わかるのは、そこで自分がどう動き、どう戦ったかだけ。当然のことながら、そこでランサーが何を思ったかまでは記録されていない。
「……本当に何も覚えてねぇのか?」
ランサーの話を聞いたキャスターは、何かを探るようにそう聞いてきた。
「なんだよ、どういう意味だ?」
「お前さぁ、本当に全部忘れてんの?」
その問いに、ランサーは思わず目を瞬かせる。
「だから、そう言ってんだろうが」
「本当に全部、まるっと忘れたのか?」
「ああ」
「このカルデアでのことは全く覚えてねぇと」
そうだ、と苛立ちながら答えれば、キャスターは、ふぅん、と小さく呟き、何かを考えるように腕を組んだ。
その含みのある態度に、ランサーは思わず眉をひそめる。
「なんだ?何かあんのか?」
「いや、……あ、アーチャー!」
キャスターは話を逸らすように、キッチンにいる一人の男を呼んだ。
いつもの赤ではなく、黒い礼装に身を包んだ白髪の男。
過去の召喚で何度も顔を合わせた相手。アーチャー。真名はエミヤというらしい。
そういえば、ランサーの記憶が失われたとわかった時、この男からも小言をもらったのを思い出した。
『マスターは周りに気を使わせないように気丈に振る舞うだろうから、君もマスターへ迂闊なことは言わぬよう重々気を付けることだ』
そう言う男の眉間には、深い皺が刻まれていて。
お前も結構、あの嬢ちゃんのことを気に入っているんだな。
そう思ったのを覚えている。
キャスターに呼ばれた男は、食器をしまっていた手を止めて、こちらを向いた。
「なんだ?キャスター」
「あのさ、この前のアレ、出してくれよ」
「アレ?……ああ、アレか」
男は少し考えた後、キッチンの奥に引っ込み、細長いガラス瓶を持ってキッチンの中から出てきた。
瓶の中には色とりどりの果物と、赤い液体がたっぷり入っている。
男はそれをキャスターの前に置いた。
「グラスもいるかね?」
「いや、部屋にあるからいい」
ありがとな、と言って、男は瓶を片手に立ち上がり、さっさと食堂を出ていった。
どうやらキャスターは、あれを取りにここに来ていたらしい。
じっと見ていたせいだろう。ランサーの視線に気付いた男が、ああ、と何かに気付いたように説明し出した。
「あれは、フルーツを赤ワインで漬けたサングリアというカクテルだ。前に一度頼まれて作ったら、思いの外、評判が良くてな。こうして、たまにもらいにくるサーヴァントがいるんだ」
「へぇ」
興味なさそうに、ランサーは視線を食事に戻す。
と言っても、ほとんど食べ終わってしまい、残っているのはお茶くらいだ。
ランサーはそれを無言で飲み干した。
かつての自分は、その酒を好んでいたのだろうか。
そんなことを考えると、何故だか胸の奥が少し騒ついた。
「お茶のおかわりはいるかね?」
「……いや、いい。それより、キャスターが言ってたことが気になるんだが」
「キャスターが?何を言っていたんだ?」
「お前は本当に全部まるっと忘れたのかって」
キャスターの言葉をそのまま伝えてやれば、男はきょとりと目を瞬かせた。
「……どういうことだ?」
「そりゃ、こっちが聞きてぇよ。ったく、あいつは一体、何を疑ってんだか。アーチャー、なんか、知ってるか?」
そう聞くが、男も心当たりはないらしく、いや、と首を横に振った。
「君たちはよく一緒に酒を飲んでいたから、そういう場で金を貸す約束でもしてたのではないか?」
「あぁ、そういうやつか。でも、オレだったら、記憶を失くそうが普通に言うと思うんだがな」
「……まぁ、それもそうか」
何か気付いたことがあったら伝える、と言い残し、男はまたキッチンに戻っていった。
自分から離れていくその背に、ランサーは思わず口を開く。
だが一体、何を言おうというのだろう。
少し考えた後、結局ランサーは何も言わないまま、食器を持って立ち上がった。
食べ終わった食器をカウンターに返し、キッチンの中にいる男に向かって、「ごちそうさん」とだけ声をかける。
男はこちらをちらりと見て、ああ、と短く答えただけだった。
*
「お前はこのままでいいのかよ」
突然部屋にやってきたキャスターにそう言われ、エミヤは思わず眉を顰めた。
「一体、何の話かね?」
「とぼけんなよ。槍持ちのオレのことだ。お前ら、ヤってたんだろ?」
そのデリカシーのかけらもない物言いに、エミヤはキャスターをぎろりと睨む。
だが、男は特に気にすることなく、エミヤの横を通り過ぎ、どかりとベッドに腰を下ろした。
「お前さ、あいつに、そういう関係だったって言わねぇのか?」
「何故?記憶をなくして混乱している時に、わざわざ言うことではないだろう」
「そうだけどよ」
それに、あの関係は解消されたのだ。今のあの男に言う必要はどこにもない。
だがキャスターは、どこか不満そうだった。
「というか、君は知っていたのか」
「そりゃあ、自分のことだしな。あの頃のカルデアの状況も知ってるし、魔力が足りなかったらそうするだろうなってのは想像がつく。相手がお前になることも」
確かに、初期にカルデアに召喚されたのは清姫やランサーのエリザベスで、あの男がそういう取引を持ちかけられるのは自分くらいしかいなかった。それはエミヤもわかっている。
そこに、エミヤは図々しくも便乗したのだ。
焦がれる相手に誘われて、何の下心もないような顔をして。
エミヤは、ぎゅ、と眉間に皺を寄せる。
「そうか、不愉快な思いをさせて悪かった。でも、安心したまえ。あの関係はすでに解消されている」
「解消だって?最近までヤってただろ」
「……記憶が消える直前に解消したのだ」
こう言うと、エミヤがキャスターを黙らせる為に嘘を吐いているように聞こえるかもしれないが、本当にそうなのだ。
関係を解消したいと言われた次の日に、あの男は記憶を失った。
タイミングが悪すぎるのだ、と、エミヤは胸中で舌打ちをする。
「だいたい、解消したいと言ってきたのはランサーの方だ。だから尚のこと、私から、実は君とはそういう関係だったなどと言えるはずがないだろう」
「ランサーが?」
そこでキャスターは意外そうに目を瞬かせた。
「あいつの方から、お前とヤるの止めるっつったのか?」
「そうだ」
「マジで?」
「ああ」
エミヤがきっぱりと言い切ると、キャスターは、なるほどなぁ、とぶつぶつ呟きながら、面倒くさそうに後頭部を掻いた。
エミヤは構わずに続ける。
「とにかく、私から言うつもりはない。呪いということであるのなら、いずれ記憶は戻るのだろう?ならば、記憶のない今、特に言う必要はない」
「あー、そうか。まぁ、そうだな。お前の事情はわかった」
ひとり納得した様子のキャスターは、すくりと立ち上がった。
そして、邪魔したな、と言い残し、呆気に取られるエミヤを置いて、あっさり部屋を出ていった。
一体何だったんだ。
エミヤは、キャスターが去っていった扉を呆然と見つめる。
『お前さ、あいつに、そういう関係だったって言わねぇのか?』
先程のキャスターの問いかけが、エミヤの胸の奥をガリガリと引っ掻いた。
あっちの方からこの関係をやめたいと言ってきたのだ。それなのに、どうしてこちらからそれを言わなければならない。
だって、そうすると、まるでエミヤの方があの関係に未練があるみたいではないか。
いや、みたいではない。おそらく、きっとそうなのだろう。
だからこそ、それを匂わせる態度は絶対に取りたくなかった。
それがエミヤのせめてものプライドだ。
誰が縋ってなどやるものか。
エミヤはぎり、と奥歯を噛み締める。
頭に過ぎるのは、男との関係が始まった日のこと。
当時、エミヤと男はすでに血液や唾液よる魔力供給を行う関係になっていた。
そこから体を重ねるに至ったのは、珍しく2人で酒を飲んでいた時、あの男が最近そういう行為をしていないと愚痴を溢したのがきっかけだった。
『そんなに溜まっているなら、どこかの国にレイシフトして誰か抱いてきたらいいだろう』
エミヤは氷が溶けて薄くなった酒を飲みながら、そう返した。
すると、男は不服そうに口を尖らせた。
『だって、レイシフトしたらモニタリングされんだろ。誰かに見られながらやる趣味はねぇよ』
『見られるのはバイタルだけだ。公式のレイシフトではないのだし、具体的に君が何をしているかまでは見ないだろう』
『そんなのわかんねぇだろうが』
『……念の為言っておくが、スタッフを含め、カルデアにいる女性陣には手を出すなよ。君は奔放なところがあるから、下手したら修羅場になる』
『へいへい』
『絶対だからな。人類最後の砦が恋愛で内部崩壊など笑い話にもならん』
『あー、もう、わかったって。めんどくせぇなぁ。そんなに言うなら、お前が相手しろよ』
おそらく男は冗談のつもりだったのだろう。エミヤの小言に対する、ささやかな意趣返し。
いつものエミヤだったら、そんなもの、馬鹿馬鹿しいと鼻で笑って吹き飛ばしていたはずだ。
だが。
『確かに、その方が効率的だな。今はこういう状況だし、使えるものはなんでも使ったほうがいいだろう』
エミヤはそこで、男の誘いを受け入れてしまった。
言い訳なら、いくらでもできる。
酒が入っていたとか、素材集めで疲れていて頭が働いていなかったとか。
でも、エミヤはわかっている。
どんな立派なことを言ったところで、エミヤはただ自分の欲に負けただけだということを。
戦いの後の男との口付け。
土ぼこりに塗れながら、血の匂いが漂う男に唇を貪られる。
その行為に、エミヤはどこか言いようのない興奮を覚えていた。
しかも相手は、ずっと憧れを抱いていた男だ。
魔力を奪うために行われているものなのに、唇を重ねるたびに、まるで自分を強く求められているような錯覚に陥る。
そんな日々を重ねていくうちに、エミヤは少しずつ欲深くなっていった。
いや、いっそのこと、君の口付けに興奮して我慢ができなくなったと、正直に自分から言い出せていたら、まだ潔かったのだろう。
だが、エミヤは全てを男の軽口のせいにした。醜い欲を隠し、もっともらしいことを言いながら、男に抱かれること受け入れた。
人理を守るという崇高な目的を掲げているカルデアを隠れ蓑にして、エミヤは自分の欲を叶えたのだ。
そんな関係、壊れて当たり前だ。
誰もいない部屋で、エミヤはひとり、唇を歪める。
一体どうしてこんなことになってしまったのか。
はじめからあの男の誘いなど乗らなければ、こんな思いはせずに済んだ。
あの時、考えもなく欲に飛びついた自分が心底恨めしい。
何より許せないのは、ついさっき、キャスターが部屋にやってきた時のこと。
扉から顔を覗かせたキャスターを見て、エミヤはあの男が誘いにきたのではないかと思ってしまった。
一瞬でもそんなことを思った自分を、エミヤは跡形もなく粉々にしてやりたかった。
*
あの男の部屋から、キャスターが出てきた。
廊下の向こうに見えた光景に、ランサーは思わず目を見開く。
もちろん、このカルデアにおいて、キャスターはランサーに次いで古株で、あの男とも付き合いが長いのは知っている。カルデアの記録ではそうなっていた。
だから、あの男の部屋からキャスターが出てきても、おかしいことは何もない。
1年近く一緒にいるのだ。夜にふらりと部屋に行って話すこともあるだろう。
そういえば、キャスターは食堂で酒をもらっていた。もしかして、あれは男と飲む為のものだったのか。
それであの部屋で、2人で。
そこまで考えた時、なぜかランサーの胸の奥がひどく騒ついた。
理由はわからない。ただ、なんとなく落ち着かない。
あの男の部屋を出たキャスターは何かを考え込んでいるようで、ランサーが見ていることに気付いたのはその少し後だった。
だが、キャスターはランサーを見ても何も言わなかった。
ただ呆れるように息を吐いただけ。
「……なんだよ」
その不愉快な態度に、自然とランサーの声が刺々しくなる。
「別に。お前も不運だなと思っただけだ」
対するキャスターは涼しい顔で歩いてきて、そのままランサーの横を通り過ぎた。
ランサーはその背に向かって声をかける。
「なぁ、あそこってアーチャーの部屋だろ。何してたんだ?」
「別に。あいつの様子が変だったから話を聞きにいっただけだ」
すげぇ嫌そうな顔されたけどな、とキャスターは肩をすくめた。
キャスターは足を止めることなく、じゃあな、と軽く手を振りながら、そのまま廊下の向こうへ消えていった。
ひらひらと揺れるローブの残像がまだ目に残る中、ランサーは廊下に立ち尽くす。
その胸中は、ひどく動揺していた。
あいつの様子が変だっただと。
そんなこと、全くわからなかった。
今日、食堂で話したあの男は、驚くほど普通だった。
作られた料理の味に何の問題もなくて、おかしな様子は何ひとつ見受けられない。
あれはランサーの知っている男そのものだった。
だが、キャスターには違和感があった。
だから、あの男の部屋に行った。そして男が嫌そうな顔をしたということは、おそらくそれは図星だったのだろう。
自分にはわからないあの男の異変を、キャスターは見抜いていたのだ。
その瞬間、ランサーの腹の奥から溢れてきたのは嫉妬だった。自分よりも先にあの男の異変に気付くことができたキャスターに対する嫉妬。
何故こんな感情が湧き上がったのか、ランサーにはよくわからない。
ただキャスターにはわかって、自分にはわからなかったという状況が許せなかった。
それだとまるで、自分よりもキャスターの方が、あの男と仲が深いみたいではないか。
まさか。
ランサーは浮かんだ考えを即座に否定する。
きっと、ランサーの記憶がなくなっているから、男の異変に気付けなかったのだ。
記憶がなくなっていなければ、自分だって気付いていたはず。
だって、そうでなければ、男とランサーの関係はその程度のものだった、ということになる。
だからなんだと言うんだ。
ランサーは踵を返し、男の部屋に背を向けて歩き出した。
なんだかひどくむしゃくしゃする。体を動かしてから休もうと思っていたが、そんな気はとっくに失せてしまった。
そもそも、どうして自分はあんなところを歩いていたのだろう。
シミュレーションルームだったら、自分の部屋からもっと近い行き方もあったはず。
それなのに、どうしてわざわざあの男の部屋の前を通るルートを自分は選んでいたのか。
この3日間、こんな小さな違和感はいくつかあった。
記憶を失ったのだから、そんなものだろうと思っていた。
だけど、どうにももどかしい。気に入らない。苛々する。
セタンタと呼ばれる自分があの男と仲良さげに手合わせをしているのも、若い自分が「この前のアレが食いたい」とあの男にねだっているのも、オルタの自分が、時折り気遣うような視線を男に投げかけるのも。
キャスタークラスの自分が、さりげなくあの男を気にかけていることも。
同じクー・フーリンだからわかるのだ。自分が何の下心なく、そいつに優しくするわけがない。
もしかして、男との間に何かあったのだろうか。
今のランサーは、それすら知らない。
ランサーは苛々と後頭部を掻いた後、不意に足を止めた。
そしてもう一度、踵を返し、来た道を戻る。
行き先は、さっきキャスターが出てきたあの男の部屋だ。
このままでは眠れない。気になるのなら、直接聞いてやる。
ランサーはどすどすと足を鳴らして男の部屋の前まで行き、そしてその扉を二度ほど叩いた。
数秒の後、眉間にこれでもかと皺を寄せた男が、迷惑そうな顔で出てきた。
「……今、何時だと思っている。ノックくらいもう少し静かにできないのか?」
時刻は23時をすぎた頃だ。
もうすでに寝ている者もいるのだから、気を使えということだろう。
悪い、悪い、と軽く謝りながら、ランサーは男の脇を通って部屋に入る。
そこは、ベッドと小さな机が置かれているだけのシンプルな部屋だった。
もし、ランサーが前にこの部屋に来たことがあるのなら、何か感じるものがあるかもしれない。
そう密かに期待していたが、そのような感慨はランサーの胸に湧いてはこなかった。
それを、ランサーは少しつまらなく思った。
「さっき、キャスターがこの部屋から出てくるのを見たんだが」
「ああ、少し前に来ていたからな」
「お前ら、実は付き合ってたりするのか?」
すると男は一瞬、虚をつかれたような顔をした後、やれやれと言うように肩をすくめた。
「君はカルデアでの記憶と共に、生前の恋愛経験も忘れてしまったのかね?部屋にちょっと2人でいるだけで付き合っているなど、現代の10代でも思わんぞ」
もちろん、それはランサーにもわかっている。
だが、どうしても気になってしまうのだ。
それに、この男にその気はなくとも、キャスターの方にはあるかもしれない。
クー・フーリンが、惚れた相手をに逃すわけがない。記憶のないランサーでも、それくらいはわかる。
だから、その前にこの男を奪わなくてはいけない。
そんな焦燥感に背中を押され、ランサーは口を開いた。
「なぁ、ヤろうぜ。アーチャー」
*
その言葉聞いた時、この男は一体何を言っているんだとエミヤは思った。
そんなもの、もちろん御免だ。
なぜまた、この男に抱かれねばならない。
この男は忘れているかもしれないが、エミヤとの関係を終わらせたのはこの男は自身だ。それを棚に上げ、何を抜け抜けと言っているのか。
それに、もしここで抱かれたら、辛くなるのは間違いなくエミヤの方だ。
だって、エミヤの方のはまだ男に想いがある。抱かれれば、きっとまた男への想いに苦しむことになるだろう。
今は、男への想いを断ち切る絶好のチャンスなのだ。それをみすみす逃すことになる。
男の方だってそうだ。
エミヤをまた抱いたとなれば、記憶が戻った時に、せっかく関係を切ったのに、と後悔することになるだろう。
男の為にも、エミヤはこの誘いを絶対に断らなければならなかった。
だが、気付けばエミヤは、乱れたベッドの上で、ぼんやりと天井を見つめていた。
辺りには、まだ情事の香りが漂っていた。
気だるさの残る体を横たえたまま、エミヤは目だけでベッドサイドの時計を確認する。
早朝というには、まだ早すぎる時間だった。
エミヤの隣に、男はすでにいない。
行為を終えた後、手早く身なりを整えた男は、寝たふりをするエミヤを置いて、さっさと部屋を出ていったのだ。
去っていく男の姿が、まだ瞼に残っている。
そこでふと、思い出してことがあった。
そうだ、こうやって部屋から出ていく男の姿を見たくなかったから、エミヤはこの部屋で、絶対に男との行為はしなかったのだ。
抱かれるのは、いつも男の部屋だった。
男がこの部屋にやってきても、わざわざ男の部屋に移動した。この部屋には意地でもいれなかった。
男は少し不満そうだったが、部屋を汚したくないし、君だってそのまま寝ていられるからいいだろうと言えば、男は渋々納得し、エミヤの希望を受け入れてくれた。
だって、この部屋で男と寝てしまえば、ここに寝るたびに、エミヤは男との夜を思い出すことになる。
関係が続いているうちは、まだいい。
だが関係が終わった後、ベッドに横になるたび、男に抱かれたことを思い出すのは嫌だった。そんな日々、想像もしたくない。
だから気を付けていたのに、まさか記憶のなくなったあの男と、この部屋ですることになろうとは。
エミヤは寝転がったまま、自嘲するように口元を歪めた。
この部屋には、まだ男の匂いがたくさん残っている。
今からこの痕跡を何とか消さなくては。
掃除と、シーツ類の洗濯。それでも駄目だった場合は、最悪、部屋を変えてもらうか。
幸い、このカルデアには空き部屋がまだいくつかある。
食堂に近いところに移りたいと言えば、マスターも許してくれるだろう。
だが、まずはこの体を清めねば。霊体化して、男に触れられた痕を全て消すのだ。
そう思い、エミヤがのそりと体を起こした時だった。
「お、起きたのか?」
部屋の扉が開き、2本のペットボトルを抱えた男が入ってきた。
てっきり男は自分の部屋に戻ったと思っていたのだが、どうやら水を持ってきてくれたらしい。
ベッドにどすりと腰を下ろした男は、持っていたペットボトルの片方をエミヤに差し出した。
エミヤは大人しくそれを受け取る。
「大丈夫か?」
「……大丈夫そうに見えるか?」
嫌味ったらしくそう言ってやれば、男は、悪かった、と素直に謝罪の言葉を口にした。
そのしおらしい態度がどうにも落ち着かず、エミヤは気まずさを誤魔化すためにペットボトルに口をつける。
喉を通る水の冷たさが、エミヤを少しだけ落ち着かせてくれた。
「……私に声をかけるほど溜まっているのなら、どこかの国にレイシフトして誰か抱いてきたらいいだろう」
言った後、ふと、いつか男に似たようなことを言ったのを思い出した。
すると、男は不服そうに口を尖らせた。
「だって、レイシフトしたらモニタリングされんだろ。誰かに見られながらやる趣味はねぇよ」
返ってきたのも、いつか聞いた答えと同じだった。
だろうな、とエミヤは思った。
それに、と男は続けて言った。
「どうせ抱くなら、好きな奴がいい」
その言葉に、エミヤは動きを止めた。
男の言った意味が一瞬わからなかったが、すぐに、ただの一般論か、と気付いた。
「それはそうだろう。何を当たり前の事を言ってるんだ」
「だから、お前がいい」
ぶつけられたまっすぐな言葉に、エミヤは今度こそ言葉を失った。
一体この男は何を言っているんだ。かけられたのは、記憶を失う呪いではなく、何か頭の大事なところをイカれさせる呪いだったのだろうか。
そんなことをぐるぐる考えているうちに、なぁ、と男が顔を近付けてきた。
ぎし、とベッドが軋む。
目の前に広がる男の整った顔に、エミヤの頭が真っ白になった。
「ま、待て!」
思わず、男の体を手で押し留める。
手に触れる男の体は熱く、男の目に冗談の色はない。
その視線に、背筋がぞくりと震えた。
「……君のそれは何かの勘違いだ。考え直した方がいい」
「何故だ?」
「それは」
それはエミヤが知っているからだ。エミヤが男に切られたことを。
だが、黙秘したまま逃してくれるほど、男はきっと甘くない。
背に腹はかえられない、とエミヤは意を決して口を開く。
「君は覚えていないだろうが、私達の関係はすでに終わっているんだ」
エミヤはじりじりと距離を詰めてくる男の体を留めながら、必死に説明をした。
頻繁に魔力供給をしていた関係であったこと。記憶がなくなる前日に、男の方から関係を終わらせたいと言われたことを。
だから、今そう思っているのは何かの間違いか、記憶がない今だからこそ出てきたバグのようなものであり、記憶が戻ったら、関係を戻したことを絶対に後悔する、とエミヤは言った。
エミヤの言葉に、男は不快そうに眉を顰めた。
「お前も、オレとの関係を終わらせたいと思っていたのか?」
それは、エミヤにとって答えにくい質問だった。
本当はエミヤは男との関係を続けていたかった。エミヤの根底には男への想いがある。でも、それを言うと、まるでエミヤがこういう行為を好んでいるようにも聞こえるだろう。
いや、むしろそう開き直っていた方が、男との関係は続けられたのかもしれない。
口をつぐみ、何も言わないエミヤに、男が何を思ったのかはわからない。
男はおもむろに両手でエミヤの顔を掴み、無理矢理その顔を上げさせた。
そして。
「前のオレが何を考えていたのかなぞ知らん。今のオレは、お前と恋人になりたいと思っている」
だから抱いた、と、男はそう、はっきりと告げた。
その堂々とした態度。
エミヤは思わず、鼻で笑ってしまった。
「……記憶喪失が何を言っている。どうせ記憶が戻ったら、今言ったことなど全て忘れるくせに」
「忘れねぇ」
「現に忘れているではないか」
そう言うと、さすがに男は少しバツが悪そうな顔をした。
「……それはしょうがねぇだろ。じゃあ、もしオレの記憶が戻って、今言ったことを全部すっかり忘れていたら、思いっきりぶん殴っていいぞ」
「どうせそれも忘れるんだろう?随分と無責任なことだ」
全く、話にならない。
エミヤが呆れるように息を吐けば、それでも、と男は言った。
つらそうに、顔を歪めて。
男のそんな表情を見たのは、初めてだった。
「それでも、オレはお前が好きなんだ」
食い下がるように言われたその言葉に、エミヤは思わず息を呑む。
正直、動揺したのだ。男がそんな顔で、まっすぐに告白をしてくるから。
その隙に、男の唇がエミヤの唇に押し当てられる。
いくら混乱しているとはいえ、男の体を押し返そうと思えば押し返せた。
馬鹿なことを言うなと言って、男をベッドから蹴落とすことも。
だけどエミヤは迷った末、大人しく男の唇を受け入れた。
それは単純に、行為の後で体が怠かったのと、この問答がいい加減面倒になってしまったからだ。
この男の性格上、いくらエミヤが言ったところで、素直に聞き入れてはくれないだろう。
それに、どうせ男が思い出せば、今の記憶が残っていようがいまいが、この関係は終わる。
だったら、今だけのボーナスステージだと思って、男を受けいれた方が楽だ。
それにエミヤだって、体だけの関係ではなく、ちゃんと男と付き合いたいと思ったことがないわけではない。
終わるものだとわかっている分、きっと前よりは割り切って楽しめるはずだ。
男の口付けは徐々に深くなり、エミヤの体は再びベッドに沈められた。
エミヤは男の背中に手を回し、そこにある美しい髪にそっと指を絡める。
柔らかな感触。あと何度、エミヤはこれに触れられるのだろう。
「いつでも触らせてやるから」
エミヤの考えを見抜いたように、唇を離した男がそう言った。
思わず、エミヤは小さく笑う。
「信じてねぇだろ」
「……いや、君のことは信じているよ。記憶のない今の君なら、少しだけ」
それは本当にそうだった。
記憶がないくせにエミヤにまっすぐ告白してきたこの男に、きっと嘘はないだろう。
何かの不具合であっても、正直、エミヤは嬉しかった。
「記憶が戻ったオレは信じられないか?」
「そうだな。君だって実際のところ、前の自分が何を考えていたのかわからないのだろう?」
図星だったのか、男は一瞬、口ごもる。
「だから、いいのだ。今だけだと思っていた方が、私も楽だ」
「……記憶がなくなる前も、きっとオレはお前に惚れていたと思うぞ」
男にしては下手な慰めだなと思った。
だが、男にだって前の自分がどうだったか確信はない。慰めるには、そう言うしかないのだろう。
そうだといいな。
エミヤは男の熱を感じながら、淡い夢に浸るように、ゆっくりと目を閉じる。
それから2日後。
レオナルド・ダ・ヴィンチらの尽力によって、ランサーを含め記憶を失っていたサーヴァント達は、全ての記憶を取り戻すことができた。
*
ランサーは怒っていた。
赤い目はギリギリと吊り上がり、抑えきれない怒気が体から溢れ、青い髪をゆらゆらと巻き上げた。
キャスターから、お前にも責任はあるんだから程々にな、と言われたが、加減できるかどうかはわからない。
ランサーは一歩一歩、まるで怒りをひとつひとつ丁寧に数えるように、ゆっくりと足音を鳴らしながら、とある部屋に向かっていた。
記憶がなくなる前、ランサーはその部屋にほとんど入った事はなかった。
せいぜい扉から覗く程度。それ以上入る前に、いつもあの男がランサーを押し出すように外に出てきた。
あの部屋に入り、あの男を抱いたのは、記憶をなくした時が初めてだった。
そして今そこで、記憶が戻ったランサーをあの男が待っている。
ランサーが別れを切り出すのを。
ぎち、と奥歯が嫌な音を立てた。
あの男との体の関係の始まりは、下心のある軽口だった。
それまでも男とは、簡易的な魔力供給として口付け程度はしてきた。
だから正直、それは、いけたらラッキーだな、くらいの誘いだった。
意外なことに、男はランサーの提案を拒まなかった。
今は使えるものはなんでも使うべきだろう、と真面目な顔で男は言った。
その責任感に、ランサーはつけ込んだ。
はじめはそれでも良かった。
魔力ももらえるし、何より惚れた相手も抱けるのだから文句はない。
カルデアの運営が安定してきて、魔力供給する必要がなくなっても、男との関係は終わらなかった。魔力が足りないと言えば男は抱かせてくれたし、男もキッチンで魔力を使いすぎた日はランサーに魔力をねだってきた。
今なら魔力なぞ、一晩寝れば元に戻る。
それをわかっておきながら、どちらも何も言わなかった。
このままだと、この関係はずるずると続いていくだろう。
それでもいいかと思っていたある日。
行為の後、男が言ったのだ。
別に恋人ではないのだから、そこまで私の体を気遣う必要はない、と。
その時は、別にどう抱こうと勝手じゃねぇかと流したのだが、その言葉が妙に引っかかった。
もちろん、軽い気持ちで男をこんな関係に誘ったのはランサーだが、その根底には男への想いがある。でなければ、そもそもこんな関係に男を誘わないし、魔力供給の必要がなくなった今でも、男を抱き続けたりはしない。男の方も何も言わないし、きっとそうなのだろうとランサーはどこかで思っていた。
でも、違った。ランサーがいくら想おうとも、あの男にとってランサーは、魔力供給と欲の処理をする相手でしかなかった。
そう気付いた時、ランサーはひどく嫌な気分になった。
今のままでは、この男はいつまでもランサーのことをそういう相手としか見ないのだろう。
ランサーは男のことが好きだった。だが、この関係では男にそれは伝わらない。
だから、あの日、ランサーは男にこの関係を終わらせることを告げたのだ。
ランサーの想いがちゃんと本気であることを伝えるために。
男の部屋の前でランサーは足を止め、ひと呼吸置いてから中に入る。
中にいた男は、やっと来たか、という顔でランサーを見た。
「随分ゆっくりだったな。それだけの殺気を撒き散らしているのだ。君の俊敏さを活かして、最速で飛び込んでくると思ったのだが」
「ほざけ。おい、アーチャー。てめぇ、あれはどういうことだ」
「あれとはどれだ」
「記憶のないオレと付き合うのを了承した時のことだ」
すると、男は呆れるように息を吐いた。
「やはり記憶がなかった頃のことも覚えているのだな。私はきちんと忠告した。それでも君がゴネるものだから、断るのも面倒で一時的に受け入れただけだ。いずれ君の記憶が戻ることもわかっていたしな。だから、あの付き合いは無かったことにしてくれてかまわない」
その言葉でカァッと腹の奥が熱くなる。
ランサーはつかつかと男に近寄り、その胸倉を容赦なく掴み上げた。
だが、いくらランサーが睨もうとも、男は涼しげな顔をしている。
その態度が余計にランサーの怒りを煽った。
それではまるで。
「なんで」
自分ばかりが男に惚れているみたいではないか。
「なんで記憶のないオレのことは素直に信じるくせに、お前と1年一緒にいたオレのことは信じねぇんだ!この馬鹿!」
ランサーは怒鳴った。
胸に溢れるのは、やるせなさと後悔だ。
変な呪いなどもらって記憶などなくさなければ。いや、簡単に体の関係になどならなければ、この男はランサーの気持ちだって素直に信じたかもしれない。
だが、そうはならなかった。そうなってはくれなかった。
男は少し驚いたように目を開いたが、構わずにランサーは続ける。
「でもって、記憶がなくても健気に告白したオレのことも、今この瞬間あっさり捨てやがったな!もう少し粘れよ!なんなんだ、てめぇ!」
「なに、とは……」
男はランサーの言葉がうまく理解できていないのか、戸惑った表情を浮かべていた。
そのどこまでいっても他人事のような態度に、ランサーは思わず舌打ちをする。
「オレはずっとお前に惚れてたんだ!だからお前を抱いてたのに、お前は一向になびかねぇし。それだけでも腹立たしいのに、記憶が戻ったらオレはお前を切るだの、今だけだと思ってた方が楽だの、オレの気持ちを無視して好き勝手言いやがって……!」
「……いや、だが、私との関係を止めると言ったのは君の方では……」
恐る恐る言い返してきた男を、ランサーはギロリと睨みつける。
「あのままオレがお前に告白しても、お前は絶対信じねぇだろうが。だから一度、何もない状態に戻ってから、ちゃんと好きだって言おうと思ったんだよ!でもあの日、お前はさっさと帰っていくし、すぐその場で言っても嘘くさいだろうから明日でいいかと先延ばしにしたんだよ」
そうしたら変なタイミングで記憶を失くして、全部めちゃくちゃになっちまったんだ、とランサーは悔しそうに吐き捨てた。
「……うそだ」
ランサーの告白を聞いた男は、案の定、そんなことを言い出した。
やっぱりそう来るか、とランサーはため息を吐き、男を掴んでいた手を離してやった。
「嘘じゃねぇって。そうなるだろうから、関係を一度リセットしておきたかったんだよ」
「いや、絶対嘘だ。もしくは、まだ君に何らかの不具合が残ってる可能性がある。もう一度バイタルチェックしてもらったほうがいい」
「もうどこもなんともねぇよ。ダ・ヴィンチのお墨付きだ」
はっきりとそう告げれば、さすがに男も少したじろいだようだ。
ひどく混乱した様子で、ランサーから距離を取ろうと後退る。
ランサーはムッとして、離れた距離を詰めるように男に一歩近付いた。
「とにかく、オレはちゃんと言ったからな。で、お前はどうなんだよ。一度は記憶のないオレの告白を受け入れたんだろ?実際のところ、お前はオレをどう思ってるんだ?」
じとりと睨んで尋ねるが、男は黙ったまま、居心地が悪そうにランサーから視線をそらすだけ。
ランサーはもう一度尋ねる。
「お前はオレをどう思ってるんだ?」
「……そういえばキッチンに忘れ物が」
くだらない嘘を吐きながら、逃げようと踏み出した男の足元に、ランサーは朱槍を容赦なく突き刺した。
鈍い音を立てて、白い床にヒビが入る。
「床なぞ、後でいくらでも直してやる。で、お前はどう思っているんだ?」
再度ランサーが問いかければ、男は何かに耐えるように歯を噛み締め、恨めしそうにこちらを睨んできた。
その表情の意味がランサーにはよくわからない。嫌いなら嫌いだと、そう言えばいいだけのこと。その答えをランサーが受け入れるかは別だが。
ランサーは首を傾げる。
「わからねぇなぁ。なんでそこで詰まるんだよ」
「……」
「おい、文句あるならはっきり言えよ」
そこで男はようやく口を開いた。
「文句など、あるわけがない」
絞り出すように言われた言葉。
その次の言葉を、ランサーは辛抱強く待つ。
そして男は意を決したように、恐る恐る口を開いた。
「そもそも、いくら非常事態とはいえ、私は好きでもない相手と何度も体を重ねたりはしない」
悔しそうに吐き出されたその言葉は、間違いなくこの不器用な男の本音であり、告白だった。
なんだ、そうだったのか。
それに気付いたランサーの口元が、思わず緩む。
その表情が癇に障ったのか、男は表情を一変させ、ランサーをギッと睨んできた。
「ちゃんと言ったからな」
「おう、聞いた」
「なら、今すぐその顔をやめろ。……私はキッチンに忘れ物を取ってくる。帰ってくるまでにその床をなんとかしておけ」
「ああ、それは嘘じゃなかったのか。了解」
ランサーが答えると、男はふん、と小さく鼻を鳴らして、部屋を出ていった。
どうやら男が帰ってくるまではここにいていいらしい。
素直じゃねぇなぁ、とランサーは小さく笑う。
さて、男が戻ってくるまでに床の片付けをしなくては。
これで何もしていなかったら、さすがの男も本気で怒るだろう。
床に刺さったままだった槍を回収したところで、結構な破片が床に飛び散っていることに気付いた。
面倒だが、ほうきの類を何処かから借りてきたほうがいいかもしれない。
鼻歌混じりに、ランサーは男の部屋を出た。
そして廊下を出てすぐのところで、口を手で押さえ、耳まで真っ赤にして立ち尽くしている男と目が合った。
数秒の間。
ランサーは何も言わずに、出てきた部屋に戻った。
扉の向こうから、言葉になっていないような悲鳴が聞こえてくるが、それどころではない。
「まじかよ」
予想外の男の姿を見てしまったランサーは、ぼそりと呟き、そのまま頭を抱えてうずくまる。
その顔は、廊下にいた男と同じくらい真っ赤になっていた。
おわり
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槍を床にガンってするところが書きたかった。
いつか弓が記憶喪失になる逆のパターンも書きたいです。