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そのルール間違ってます(槍弓)/Novel by ちなみ

そのルール間違ってます(槍弓)

20,707 character(s)41 mins

現パロで槍弓。同棲中の槍が自分のことを好きだったので焦る弓の話。
金時と酒呑と頼光が割と出てきます。

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 エミヤは学生時代の友人であるランサーと、同居している。こんなことになるとは学生時代は思っていなかったが、これがなかなかうまく共同生活をしている。
 一緒に住まないかと声を掛けてきてくれたのはランサーからだ。お前とはこれからも毎日顔を合わせていたい、と言われたエミヤは感動した。
 なぜならエミヤもそう思っていたからだ。とてもうれしかった。そこでまた素直ではない言葉を口にしたというのに、ランサーはエミヤの気持ちをわかってくれて、一緒に住むことになったのだ。
 就職先が違い、社会人になったらランサーとは会えなくなるだろうと心配していたエミヤは、本当にうれしかった。
 こんな簡単にエミヤを幸せにしてくれるなんて、これだからエミヤはランサーに惹かれてしまうのだ。


 ランサーは、細かいことは苦手そうだが実はそんなことはなく、何でも器用にこなす。そう、料理もだ。
 基本的にはエミヤが作るが、ランサーの料理は時短料理で、SNSで流れてきたから作ってみたと、ぱぱっと作ってくれる。それがまた手際よく、できたものもおいしい。ランサーがエミヤのために作ってくれたというだけで、すでに幸せで気持ちが満たされている。
 気配りはできるし、一緒にいてとても居心地のいい空間を作ってくれる。少し困っているのは夜のセックスだけれど、男の二人暮らしだから仕方ないのだろう。たまるものはたまるだろうし、エミヤで処理できるのなら手伝いたい。ランサーの相手に選んでもらえて光栄だ。
 だが、ランサーがまるでエミヤのことを恋人のように扱って、好きだと、愛していると甘い声で囁いてくるのはいただけない。あんなに熱っぽく言われると本気にしてしまう。
 私が本気にしたらどうするつもりだ?
 もちろん、私は自分の身の程を知っているつもりなので、本気にはしないが。
 そういうのはいいからと、本当は言わなくてはいけないとわかっているのだが、それができない。気分を盛り上げるために、ただの同居人であるエミヤに愛の言葉を与えてくれるというのはやりすぎではないかと思うが、恥ずかしさもあるがそれ以上にうれしいので嫌とは言わない。だから、ランサーも言うのをやめないし、ランサーからの愛の言葉をエミヤは望んでいるので止めることもしない。
 すまない、ランサー、君に大事な人ができたら必ず終わりにするから。
 そう思ってすでに三ヶ月が経とうとしていた。
 一緒に住むようになってからもランサーはやさしくて一緒にいるのは楽しいし、ちょっとしたケンカはあるけれど、今のところはとてもうまくやっている。
 私のようなつまらない人間とよく一緒に住もうなどと思ったなと、ポロリと零してしまったら、ランサーに『お前はつまらなくねぇよ』と笑われた。一緒にいるんだからくだらねぇこと言うなと言われて、そうだな、と反省した。
 確かに、そういうことを言うのはよくないな。
 恋人ごっこなのだとエミヤは理解することにした。そういうものなのだといったん認識したら、曇っていた空が晴れるかのようにエミヤの頭の中がクリアになって、いろいろと納得できたので、今の現実を楽しむことにした。
 もしランサーと本当に恋人だったとしても終わりはくるのだろうから、恋人ごっこでもなんでも同じことだ。
 ああ、よかった。ランサーの相手が私で。
 ランサーの恋人役にあてがわれるなんて、なんて幸運なんだろうか。


 そんな幸福の日々を過ごしていたある日、エミヤは風邪を引いてしまった。風邪を引くなんて久しぶりだ。前にいつ引いたか覚えていないほどに久方ぶりだった。
 病院に行って、何とか部屋に戻ってきたところまでは意識があったが、その後はよく覚えていない。
 ここのところ忙しいランサーの帰りは遅い。それまでに少しはマシになってくれていたらよかったが、症状は悪化してしまった。
 帰ってきたランサーが心配して声を掛けてくれて、エミヤのためにいろいろしてくれようとしたことが心苦しかった。
 今日は別室ということは当然のことだが、明日以降、エミヤの風邪が治るまでしばらくどこかのホテルに泊まってくれないかとお願いした。もちろん、ホテル代はエミヤが出す。明日にはマシになっているだろうが、もし治っていなければ、ランサーに風邪がうつってしまう。予防はできるならした方がいい。もしくは、エミヤが動けるようであれば、風邪が完全に治るまでエミヤが出て行ってもいいと伝えたら、それはもう相当にランサーに怒られた。
 エミヤの体調が悪いということを考慮してかなりおさえてくれていたのはわかるが、風邪で意識が朦朧としているエミヤにも伝わってくるくらいランサーは憤慨していた。
「どこの世界に一緒に住んでる恋人が風邪引いてるからって、その恋人を部屋に一人にする男がいる!」
 いや、だって、君と私は本当の恋人ではないのでは。
 ……とは言えない雰囲気だったので、エミヤは黙っていたのだが、やがてそうだったと思い至った。
 それだ、これは暗黙のルールだった。
 今ここで恋人じゃないと突きつけるのはルール違反だ。
 ランサーとエミヤは、一応、恋人同士なのだから。
「お前はオレの恋人だろうが」
「……ああ」
 ここで違うとは言うものではないので、エミヤは頷いた。
「好きな奴を心配して何が悪い」
 ランサーの言葉に、あれ、とエミヤは違和感を覚えた。
 今の、何だか本気っぽいぞ。
 いや、私が風邪を引いているからそう感じているだけかもしれない。
 うん、そうだ。今の自分は風邪でおかしくなっている。
 だからおかしなことを思ってしまうのだ。
 ああ、それにしても、ランサーは本当にすばらしい男だ。
 エミヤを本当の恋人のように扱ってくれて、愛情を感じるような言動で接してくれる。
 それがどれほどにエミヤの心をときめかせ、幸せにしているか。
 本当に、君が好きだよ、ランサー。
 ずっとずっと、大好きなんだ。


 翌日、熱はほぼ下がっていた。忙しいというのにランサーはなんと仕事を休んでいた。今の時期は忙しく、先週からずっと残業が続いていたというのに、エミヤのために休むなんて、とエミヤは安静にしているから仕事に行ってほしいとお願いしたのだが、ダメだった。
 エミヤは料理教室の先生をしているのだが、本日はもともと休みだ。動けるようになったら昨日体調の悪いエミヤの代わりに出てくれた同僚にお礼と、仕事の振り替えの話でもしようと思っていたのだが、今日は一日安静にしろとランサーに言われ、エミヤは外に出ることを禁止されてしまった。
 ランサーの仕事のピークは過ぎていて、明日からはほぼ定時で終われるようになると言うので、本当に仕事は落ち着いたようだ。そういうわけで、今日は大丈夫だから大人しくしていろと言われ、ランサーが引くことはないと察し、熱は下がったとはいえだるさを感じていたエミヤはランサーの言うとおりにすることにした。
 
 ここのところランサーが忙しかったので、ゆっくり二人きりで過ごすのは久しぶりだった。ランサーは甲斐甲斐しく、やさしかった。エミヤに対する態度があまりにもランサーからの親しみと愛情を感じてしまい、エミヤはどうしようと、静かに動揺していた。
 ランサーはちょっと私にやさしすぎないか。やさしすぎるだろう。
 エミヤのことを心配して仕事を休んで、エミヤのことを気に掛けていろいろしてくれている。
 空気が甘ったるくて柔らかなランサーの態度に、もしかして、と思い始めた。
 いつもあんなものかもしれないけれど、それにしてもランサーのエミヤに対しての態度は、思い上がりかもしれないが、愛を感じる……ような気がする。
 もしかして、ランサーは私のことが好きなのだろうか。
 そんなことを思った自分に、エミヤは自己嫌悪した。
 うぬぼれるにもほどがある。
 ランサーが私を好きなんて、そんなこと、あるはずがない。
 もちろん、一緒に住もうと思ってくれたのだから嫌われていないだろうし、同居人としては好かれているのかもしれない。
 だが、恋愛感情となれば別だ。
「ランサー」
「ん?」
「君が好きだよ」
 どう反応するのだろうとドキドキしながら、ありがとうと感謝の気持ちを伝えるように軽く告げてみた。
 何気なさを装っていたが、エミヤはひどく緊張している。ランサーが目を丸くしてエミヤを見返すのに、バクン、と心臓が大きく跳ねた。
「おう、オレもだぜ!」
 ランサーがうれしそうににかっと笑う。その笑顔は太陽のような眩しさで、エミヤは目が眩んだ。
 激しく動き出した心臓に、エミヤは息を整える。
 いや、まさか、落ち着け。今のは違う。
 冗談を本気で返したらつまらない。今のやりとりはそうだ。そういうものであって、これが本気のはずがない。
 早まるな。
 答えを早急に出しすぎだ。
 いいな、落ち着け。
「お前がそんなこと言うなんて、どうした?」
 ランサーはご機嫌だ。
 ソファに座っているエミヤの隣に腰を下ろし、ぴったりとくっついてくる。
「……ダ、ダメか」
 おそるおそるエミヤが尋ねると、ランサーは破顔した。
「いんや? すげぇうれしいぜ」
 ちゅ、と頬にキスされてエミヤは固まる。かぁっと熱が上がってきてエミヤがドキドキしていると、ランサーがエミヤの肩を抱いて自分に引き寄せた。
「はは、お前は弱るとかわいいなぁ」
「何を言っている」
「もっとオレに甘えろよ」
「できるか、そんなこと」
「してもらうさ」
 ランサーが顔中にキスの雨を降らせてくる。唇へのキスは、風邪が完全に治るまで禁止だと言ったことを、ちゃんとランサーは守って唇以外のところにキスしてきた。
 何なんだ、この甘ったるい雰囲気は。
 ちょっと、おかしくないか。
 ランサーは本当の恋人でもない相手によくしすぎではないのだろうか。
 もしかして、私のことを本当に恋人だと思っているとか……?
 ああ、いや、まてまて、落ち着け。
 いくら頭がうまく動かないからといっても、その思考はよくない。都合がよすぎるぞ。
 第三者の意見が必要だ。
 エミヤに近すぎる相手はいけない。エミヤに気を遣った返事をしてしまうかもしれないからだ。
 それなりに親しい相手で、しかも、変なことを考えない、素直でまっすぐな意見を言ってくれる相手に聞くのがいいのではないだろうか。
 そうだな、それがいい。そうしよう。


***


 坂田金時は、エミヤが学生からの友人の一人だ。エミヤの料理教室の生徒の息子が金時だったという偶然から、今でもなお親しくしている。
 金時はとんでもなくやさしくいい人である。頼りになるし、それに何よりとってもピュアである。こんな純粋な彼のためにできることがあるのなら何でもしようと思ってしまうくらいにはピュアな男だ。こんな人間はなかなかいない。
「オレでよけりゃ何でも聞くぜ!」
 エミヤが悩んでいるのをすぐに察知した金時の力強い言葉に、エミヤはありがたくその言葉に甘えることにした。
 場所を移そうとしたところで、「あの」と声が掛かった。
 振り返ると頬を赤らめた女性が二人いて、エミヤはピンとくる。
 これは坂田くんを誘おうとしているんだろうな。
 金時は金髪の筋骨隆々の青年で、サングラスをしている。レザージャケットに身を包み、しっかりと筋肉がついたたくましい身体はエミヤからみてもすばらしいものだ。サングラスを外したところを見たことがないが、金髪碧眼のイケメンだと聞いている。見た目は少し怖いかもしれないが、少し関われば金時の純粋さがわかる。とても好ましい青年だ。
 エミヤが一緒にいる時に金時がこうやって声を掛けられるのは一度や二度ではない。
 金時は強気に押してくる女性に弱く、どうしたものかと困った様子だ。
 今からエミヤの相談にのってもらうことになっているし金時も困っているので、申し訳ないがこの女性達の誘いはエミヤから断らせてもらおうと口を開こうとした時だ。
「何やってるん」
 色気と甘さを含んだ声に振り返ると、嫣然と微笑む酒呑がいた。
「小僧に何か用でもあるん?」
 二人の女性がひっと息を呑む。
「ああ、それともこっちの色男に用事でもあったん?」
 彼女達は「すみません」とか「なんでもないです」と慌てて逃げていってしまった。
 酒呑ははんなりとした美人だが、同時に底の知れない怖ろしいものを感じさせる女性である。できれば近づきたくないと思って彼女達が逃げていくのは何もおかしいことではない。
「ほんまに小僧は、隙があるからあんなんに声掛けられるんや」
「隙って、何の話だよ」
「小僧はほんま鈍いわぁ。まあ、エミヤはんも鈍いしねぇ。わからんのやったらええわ」
「私も?」
 酒呑に指摘されて、エミヤは眉を顰めた。金時が鈍いというのは理解できるが、エミヤは自分が鈍いつもりはない。
 まあ、確かにランサーや同僚などによく言われはするが。
 だが、どこが鈍いのかエミヤはイマイチわかっていない。
「まあ、ええわ。どっか行くんやろ。うちも一緒でええな?」
 微笑んではいるがまるで目が笑っていない酒呑に、エミヤがダメだと言えるはずもなかった。


 静かなカフェに移動したエミヤは、酒呑がいるので金時と二人で話すようにはいかないが、言葉を選びつつ正直に酒呑と金時にランサーとのことを話した。
「エミヤはんは罪深い人やなぁ」
「つ、罪深い?」
 どういうことだとエミヤが驚いて金時を見てみると、金時もどこか申し訳なさそうにしていたが、酒呑の意見に賛成のようだ。
「私が何をしたというのだね?」
 酒呑だけではなく、金時も同じ意見だということは、大体の人から見てエミヤは罪深いことをしているということだ。
「考え直した方がええやろな」
「私は、何を考え直せばいいのだろうか」
「何でわからんの? 小僧、言うてあげたら?」
「あー、いや、その」
 酒呑の言葉を受け、金時は困った様子で頭を掻く。そんな金時に楽しげに酒呑が微笑み、エミヤへと視線を移した。
「わからんのやったらしゃあないから、教えたるわ」
 楽しげに目を細める酒呑に、向かいに座っていたエミヤの身体に自然と力が入る。酒呑の隣にいる金時は、心配そうにエミヤを見ていた。
「ランサーはんはな、エミヤはんのことが、ちゃあんと好きなんや」
「……え?」
 パチ、パチパチ、とエミヤは目を瞬かせた。
 好き、ランサーが、私を?
 いや、もちろん嫌われているとはさすがに思ってはいないが、今の話の流れからすると恋愛感情でランサーがエミヤを好きという意味だ。
「それやのに、ひどいこと言うて」
 ふふ、と酒呑がそれはもう楽しそうにして艶やかに笑った。
「痛い目みるで」
 目を細めた酒呑に、エミヤはぞっとして言葉を失う。
 どういう意味かわからず、鈍い思考と重たい空気にエミヤは息苦しさを覚えた。
「酒呑、そういうこと言うんじゃねぇ」
 そこにさくっと切り込まれた金時の声に、酒呑の意識が金時に向いて、一瞬にして空気が軽くなる。
「ああ、小僧が言うならやめとこか」
「エミヤは悩んでんだ。あんまり困らせるんじゃねぇ」
「小僧はエミヤはんにやさしいなぁ。ええなぁ?」
 酒呑の視線がちら、と向けられたエミヤは背筋に冷たいものが走った。
「酒呑」
「あー、はいはい、わかったって。そない怖い声出さんといてぇな」
 酒呑は金時の腕にすると自分の細腕を絡めた。ぎょっとした金時に構うことなく、酒呑は金時に迫る。
「せや、小僧。そろそろうちと一緒に住まへん?」
「そ、そろそろ? そろそろってそんな話になったことねぇだろ!」
「ええやん。ほら、エミヤはんもランサーはんと一緒に住んではるし、な?」
「全然関係ねぇじゃん!」
「ふふふ、なあ、エミヤはんも、そう思うやろ?」
 金時が助けを求めているのはわかったので、エミヤは酒呑には同意せず、何も言わずにそっと目を逸らした。それくらいしかエミヤにはできない。
 酒呑と金時の関係がどういうものなのかエミヤにはわからないが、少なくとも酒呑が金時を気に入っているということはわかっている。しかも、尋常ではないほどに。


 二人の住んでいる部屋に帰ると、まだランサーは仕事から戻ってきていないが、今日は定時だと言っていたからあまり時間がない。エミヤは今日の夕飯を作り始めた。下拵えはしているので、それほど時間は掛からない。
 ランサーがやさしいからといって、調子にのるなよ。
 あんないい男が、エミヤに恋愛感情を抱くということはない。
 選び放題なのに、わざわざエミヤを選ぶ理由などないのだ。
 だが、友人としてなら隣にいられる。
 ランサーの隣にいられれば、彼と同じ世界に生きることができるなら、生きる理由には十分だ。
 生きる理由とは、自分でも重たい感情だとエミヤは苦笑した。
 だが、どうしようもない。エミヤは昔からランサーのことが好きなのだ。
 夕食の準備が整った頃にランサーは帰ってきた。時間ぴったりだ。うん、とエミヤは頷く。
 今日もおいしく仕上がった。ランサーにもおいしいと思ってもらえたら幸せだと、エミヤは帰ってきたランサーに「おかえり」と微笑んだ。


「今日、酒呑の姉ちゃんから連絡がきたんだが」
 眠るまでの少しの穏やかな時間、三人掛けのソファに座るエミヤにランサーが急にくっついてきた。
 ランサーと酒呑はエミヤと金時の繋がりでの知り合いだ。
 親しくはないらしいが、時々SNSでやりとりをしているらしい。
「お前、なんか変なこと考えてんのか?」
「何の話だね」
 何でもない顔をしているが、言われた瞬間、心臓は跳ね上がっていた。
「なんか含みがある感じでなぁ」
「彼女はいつもそうだろう。何を送ってきたか知らないが、今日は私が坂田くんと一緒にいたから、おもしろくなかったのかもしれないな」
「なるほどな」
 笑うランサーは何も疑っていない。
 金時と話していると酒呑が何らか仕掛けてくることはよくあることで、それをランサーもよく知っている。
「なあ、エミヤ。おかしなことは考えるなよ」
 ランサーから笑みが消え、真剣な眼差しをぶつけられたエミヤは息を詰める。
「いいな」
「もちろんだ。私はルールをきちんと理解している」
「ルール?」
 何の話だと不思議がるランサーに、エミヤは続けた。
「何かをする時、ルールは必要だ」
「おう? そうだな」
 そう言いながら、ランサーはよくわかっていなさそうな顔をしている。
 ランサーはわかっていないかもしれないが、エミヤが理解しているのでいいのだ。
 ルールはわかっている。
 ちゃんとわきまえているから心配しなくてもいい。
 君に愛されていると思わない。だが、嫌われているとも思わない。
 ランサーはエミヤを大事にしてくれている、知っている。
 だからエミヤもランサーを裏切らない。
 そう心に決めて切なくなっていたエミヤだったが、ランサーの手が動いてエミヤの身体を弄ってくるので、エミヤは小さく身体を捩った。
「ランサー、あの」
「うん?」
 いやらしい触り方に、エミヤは意識してしまう。
「最近、頻度が高くないか?」
 ランサーの残業の日々が終わってから、エミヤはランサーにほぼ毎日のように抱かれている。
「んー、お前がかわいくてなぁ」
「……っ! ま、前々から思っていたのだが、君の目はおかしい!」
「おかしくねぇよ」
 文句を言おうとするエミヤの口は、ランサーの口に覆われてしまった。
 トンと胸を叩くが、そんな弱々しいものでランサーが退くはずもない。それはランサーもエミヤもわかっている。
「……明日も、仕事があるだろう。私も、君も」
「ああ、だから、一回だけ、な?」
「君は……ずるい」
 ランサーに間近で見つめられたエミヤが断れるはずもない。
「そうさなぁ、オレはずるい。わかってるさ。だから、いいだろ?」
 断られると思っていないだろうランサーに、少し悔しくはあるが、仕方がない。
 本当は、毎日抱かれてもいいくらいにエミヤはランサーを愛しているのだ。
 エミヤは了承の意を示し、目を閉じた。


***


 ここのところランサーのエミヤに対しての愛の濃度が濃くなったことに、エミヤはほとほと困っていた。
 その愛というのは、エミヤがランサーに向けるものとは種類が違うと理解しているつもりだが、それにしても甘ったるすぎる。
 まるで自分が本当に愛されているみたいに感じてしまうのでやめてもらいたが、しかしやめて欲しくないという矛盾に苛まれていた。
 今朝も、当然のごとくおはようといってらっしゃいのキスをされたエミヤはランサーに聞いてしまったのだ。最近の君はどうしたのだと。
 先日、エミヤが熱を出した時に、自分を頼っていない上に恋人だとどうにも理解していないエミヤに愛を伝えるために、今まで我慢していたのを少し表に出したのだとランサーは口にした。
 まず少しというが、あれが少しだったとしたら、全力を出されたらどうなってしまうのかということと、何よりもランサーがまるでエミヤが本当の恋人のような口ぶりに狼狽する。
 まさか、そんな。
 エミヤは驚愕していた。にこやかなランサーが嘘を言っているように見えない。
 心臓がバクバクと騒ぎ出す。
 嘘だ、どうしよう。まさか、本当に?
 いや待て、分をわきまえろ。相手はランサーだぞ。
 エミヤに恋愛感情を向けるなどと……ああ、いや、そうだ。
 別にランサーはエミヤを唯一の人として選んだわけではない。ただ、そう、エミヤは今、現在進行形でランサーに一番近く、恋人役をしている存在だ。
 その相手を愛することに何か不思議なことがあるだろうか。いいや、ない。
 だから別にエミヤが特別ではないのだ。そう、そうだろう。そのはずだ。
 この考えにおかしいところはないはずだ。…………いや、どうだろう。
 まともに頭が動いてくれない。どうして、ランサーが私を。
 いや、まぁ待て、早まるな。
 エミヤは自分の頭の中で自分にストップをかけた。先ほどから頭の中は、自分とのやりとりで忙しいことになっている。
 私とランサーは友人だ。学生時代からの、そして今も関係は頗るいい。
 恋人というのは仮初のものではあるが、誠実なランサーがエミヤを好きだと言うのはおかしくないのでは?
 そうだ、そうだな。おかしくない。
『お前はまた訳わかんねぇこと考えてんだろ』
 そんなことはない、とエミヤは返そうとしたが、ランサーに口づけられて言葉が出てこなかった。
 ランサーはエミヤをまっすぐに見つめ、その美しい紅い瞳にエミヤだけを映していた。
『オレが愛を捧げるのはお前だけだ。他はいない。わかったな』
 頷かなければ離れてくれそうにないランサーに、エミヤは多大なる驚きを抱きながら何とか首を縦に動かす。
 もしかして、ランサーは、本当に私のことを好きなのかもしれない。
 そう考えると、急激に怖くなった。
 ランサーの愛を自分に向けられるなどと、思ってもいなかったからだ。
 恋人のふり、恋人ごっこだと思っていたから受け入れることができた。
 甘い言葉も何もかも、全部今だけのものだと思っていた。
 それがまさか、本気だなんて。
 ──いや、まだ決まったわけではない。
『私は、君が好きだよ』
 エミヤの言葉に、ランサーはうれしそうに『オレも好きだぜ』と返してきた。

 ランサーがエミヤを選ぶなどということをして、ランサーの輝かしい人生を台無しにするわけにはいかない。
 今ならまだいくらでも修正できる。
 自分がただ好きなだけだったから、一方的だったからよかったのだ。
 それがランサーから返されるとなると話は別だ。とてもではないが怖すぎてどうしていいかわからない。
 友人なら一緒にいられる。恋人ごっこなら、たとえ終わったとしても傍にいられる。
 愛の言葉はリップサービスのようなもので、与えられれば本当に幸せだった。
 しかし、しかしだ。もしもランサーが本気でエミヤを好きということになれば話は別だ。
 なぜ私を選ぶんだ? 趣味が悪すぎる。
 他にいくらでもすばらしい人がいるだろうに、よりにもよってエミヤを選ぶだなんて信じられない。
 ランサーには幸せになってもらわなければ困る。
 この世でもっとも愛しい存在なのだ。
 昔からエミヤは自分が大事にできない。それがどういうことなのかわからないのだが、家族にも親しい友人にも、そしてランサーにも言われたことだ。
 だが、それを気にしたことはあまりない。
 エミヤが特別に想っていても、エミヤを特別に想ってくれる存在はいないと思っていたからだ。
 しかし、エミヤがランサーの特別な存在なのだとしたら困ったことになる。
 エミヤはランサーを困らせたくないし、幸せにしたいのだが、本当にランサーの言うことの意味がわからないことが多々あるのだ。
 もしもエミヤの行動でランサーを嫌な気持ちにさせたらと思うと死にそうになる。
 困った、本当に困った。
 他にいい相手はいくらでもいるだろう。
 だから、君は私を選ばない。そうだな?



***


 先日、酒呑が入ってきたので、いろんな話ができなかったと気にしていた金時と今日は会うことになっていた。エミヤは本日の料理教室を終え、まだ約束の時間には少し早いので、とりあえず商店街で買い物でもしようかと考えながら歩いていたところ、源頼光に声を掛けられた。頼光は、金時の義母だ。美しく艶やかな女性で、金時のことを溺愛している。

「金時と仲良くしていただいて、ありがとうございます。先日は途中で邪魔が入ったと聞き及んでおります。本当に、嫌な気持ちだったことでしょう。エミヤ様の気持ちは痛いほどわかりますとも」
 頼光と酒呑の仲は非常によろしくない。それはもう絶対に二人が一緒にいるところに遭遇したくないほどだ。
「ですが、どうか、これからも金時と仲良くしてくださいね」
「それはもちろんです」
「よかった」
 美しく微笑む頼光は、ところで、とエミヤに近づいてきた。
「エミヤ様は随分と気落ちしているご様子。何か悩み事があるのではありませんか?」
「あ……いや、その」
「エミヤ様にはいつもわかりやすく丁寧に教えていただいて、感謝しているのです。しかも、金時の友人である貴方に悩みがあるのでしたら放っておくことはできません」
「あの、大丈夫です。ご心配いただきありがたいのですが」
「まあ、遠慮はいりません。そうですね、私のことは母と思って、どうぞ何でも言ってください」
 金時からは聞いていたし、実際何度かあったが、頼光はまるで話を聞いてくれない。
 これは言うまで逃がしてくれなさそうだ。
 仕方がない、とエミヤは溜息をつく。
 買い物は諦めて、話をするしかないな。
 こんなことを第三者に言うのはどうかと思うが、第三者だからこそ見えてくるものはあるだろうし、既に金時と酒呑に話している。それに何より、エミヤは悩んでいたので、頼光に話をすることにした。


「お二人は、とても好き合っているのですね。すばらしいことです」
 話を聞き終えた頼光は笑顔だ。
「す、好き合っている?」
 誰と誰が?
 いや、この場合はランサーとエミヤ以外にはいないのだが、好き合っているという認識はエミヤにはない。
「まあ、エミヤ様。まさか、知らなかったのですか? それはいけません」
 それはもちろん、知らなかった。
 ランサーがエミヤを好きなどと。
「どういうつもりでその方と一緒にいたのです?」
「どういう……そうですね。それなりに、いい同居人として一緒にいたのですが」
「まあ、まあまあ、それはいけません。そんな風に考えるなんて、相手の方は傷つきますよ」
「傷つく……」
「ええ、それはそうでしょう。相手は貴方を好きで一緒にいるというのに、貴方がそういう気持ちではいけません」
 ランサーを傷つけることになるとは考えなかった。
 何て自分勝手なんだろう。
 エミヤはショックを受けた。
 だが、もうしてしまったことを考えても仕方がない。ランサーを見習って前向きに考えなくては。
 ランサーはいつだって前向きで輝いている。
 今後、ランサーの迷惑にならないようにするには…………そうだ、さっさと同居を解消するのがいいのでは。
 一緒にいるから、ランサーは私を好きだと思い込んでしまったのだ。
 それに、一緒にいなければエミヤの困ったところを見なくてよくなるのだ。そうすれば、ランサーがエミヤのことで心を動かすこともなくなる。
 エミヤが何をしようと、どうなろうと、それを知らなければランサーがそれを心配することもなくなるのだ。
 うん、そうだな。早速、ランサーに話してみよう!
 それはとてもいい考えのように思えた。
 しかし、今までの経験から、エミヤが一人で考えて決めたことは大抵ランサーに呆れられることが多いので、熟考する必要があるかもしれない。
 まあ、その方向で考えてみよう。
 これでランサーに迷惑が掛からないぞ、とエミヤの気持ちは晴れた。
「ありがとうございます。話を聞いてもらえて気持ちの整理がつきました」
「それはよかったです。エミヤ様のお役に立てたなら私も……」
 頼光の瞳が、エミヤの後ろを見ている。その剣呑な瞳の輝きに、エミヤは寒気がした。
「金時」
 その呟きに、エミヤは振り返らずとも誰がいたのかわかってしまった。
 十中八九、そこにいるのは酒呑と金時だろう。
 エミヤが振り返った時にはすでに頼光は金時のところに向かっていた。
「金時、母を迎えに来てくれたのですか? とてもうれしいです」
 頼光は聖母のような笑みを浮かべ、金時を見ている。その眼差しは柔らかく、愛情に溢れている。そして、完全に酒呑を無視だ。
「何言うてんの? 小僧があんたを迎えに来たわけあれへんやろ」
「さあ、金時、母と一緒に帰りましょう」
「ふふ、牛女はさっさと退場した方がええんとちゃう? 目ぇが曇って、真実が見えへんみたいやなぁ」
「どういうことです」
 甘く艶やかだった頼光の雰囲気が急変し、ひやりと冷たく感情のない声色は背筋が凍りそうなほどだ。
「見てわからへん? うちと小僧は仲良しなんや。邪魔者はあんたやで」
「何ですって?」
「なあ、せやろ? 小僧、そろそろ言うたり、この女にはっきりと」
 金時は沈黙を守っている。
 その金時を間にして、にこやかなのに全く目が笑っていない酒呑と、感情を失ったかのように無表情の頼光が睨み合っていた。
 何ともおそろしい空間である。すぐにでもこの場を離れたい。
「うるさい虫がぶんぶんと。虫が私と金時の邪魔をするなんて、許せることではありません」
「はぁ~、嫌や嫌や。年増はさっさと消えたらどないや?」
「うるさい虫はさっさと潰してしまわないといけませんね。目障りですから」
 頼光と酒呑を交互に見てから、金時はエミヤに視線を向けてきた。
 すまない、坂田くん。私では役に立てない……!
 エミヤは心から謝った。
 金時を助けたい気持ちはあるが、今、エミヤが入っていいところではない。
 エミヤは完全なる部外者だ。ここに入ることはできない。
 傍観者になることを決めたエミヤに、酒呑が「ああ、せやった」と振り返る。
「エミヤはん、いい加減にした方がよろしおす」
「え?」
「ほおら、色男が来はったよ」
 何の話だと思った時には両肩を強い力に掴まれていた。
「お前なあ! 何考えてやがんだ!」
「……ランサー?」
 どうしてここに。
 仕事が終わるには早い時間だ。
「早退したんだよ! 酒呑の姉ちゃんからお前と何話してたか聞いて、いても立ってもいられなくてな!」
「君、そんなことしたら」
「大丈夫だ。お前も知ってるディルがうまいことやってくれるってよ」
 ディルムッドはランサーの後輩で、とてもランサーのことを慕っている。すばらしく仕事のできる色男である。
 彼がうまいことしてくれるというのなら、問題ないのだろう。
 だが、仕事を早退するなんて。
 いやそれよりも、とエミヤが酒呑へと視線を移す。
 酒呑が先日のことをどこまで話したかわからないが、ランサーに話すなんてと思ったが、すぐに酒呑ならありえると受け入れてもいた。
「エミヤはんが小僧とあんまり仲良ぉしてるから、気に入らんかったんよ。……堪忍な?」
 ねっとりと笑う酒呑の妖艶さに、戦慄が走る。
 どこまでも悪気はなく、ただ、自分が気に入らなかったからやったのだと言う酒呑はいっそ清々しかった。
「まあ、怖い。まるで鬼みたいですね」
 頼光が冷ややかに零す。
「鬼? ああ、そうやね。うちは鬼やさかい、ぱくっとこの小僧のこと食べてまうかもしれんで」
「ふふっ、ははははは! ……そんなこと、許しません」
 冷たい眼差しの頼光に、酒呑はうっすらと笑う。
「怖いんはどっちや」
 金時はひたすらに無言だ。とても口を挟める空気ではない。
「お前はこっちだ、帰るぞ!」
 エミヤはランサーに引っ張られるままに足を動かす。
 ランサーの怒りは痛いくらい伝わってきていて、エミヤは口を閉ざした。
 サングラスをしているのではっきりとはわからないが、おそらくだが金時と目が合った。
 お互い大変だな、と一瞬だが、確かに気持ちは通じ合っていた。


***


「お前、どういうつもりだ」
 部屋に入るとすぐにランサーは我慢ならんとばかりに怒鳴る。抑えきれない感情をぶつけるように、ガン、と思いっきり玄関のドアを殴りつけた。
「すまない、ランサー。君を怒らせるつもりはなかったんだ」
 それは本当だ。
 エミヤはランサーの気分を害したいわけではない。
「オレはお前が好きだと言っただろうが。愛していると伝えたな?」
「ああ、そうだ」
「それがどうして恋人ごっこになる! よくもまあそんなことが言えたな!」
 ランサーは怒っている。
 こんなに怒っているランサーを見たのは久々だ。
「なぜだ! なぜ、そんなことを思う!」
 悲痛なランサーの声に、エミヤは胸を痛めた。
 エミヤのために仕事を早退させてしまい、ランサーを嫌な気持ちにさせてしまっている。
 最低だな、私は。
「オレの愛を捧げるのはお前にだけだと、そう言っただろうが!」
 そうだ、ランサーは言ってくれた。他にはいないと、エミヤだけだと。
 夢のような言葉を口にしてくれたのだ。
「オレの愛が迷惑か!」
「そんなはずない!」
 黙っていられなくて、エミヤはランサーを睨むように見た。それにランサーの眉がピクリと動く。
「ほお? そうかい。その割にはオレの愛を受け入れられんようだが」
 エミヤが黙ると、ランサーは静かに美しい笑みを浮かべた。
 そのあまりの美しさに、身の毛がよだつ。
「黙るな。いつもみたいにオレが口を挟む隙がないくらい言い返してこいよ」
 エミヤが何も言わないでいると、ガンッ、と思いっきりランサーがドアを殴りつけた。
「いいから言え!」
 ランサーは激高している。
 エミヤの、せいでだ。
 心苦しさに、心臓が止まりそうだ。
「エミヤ!」
「……っ、ルール違反だろう!」
 弾かれたようにエミヤが返した。
「ルール違反? 何の話だ」
 訝しげなランサーに、エミヤはぎゅっと自分の手を握り、拳を作って小さく震わせる。
「本当にすまない、ランサー。私は違うところで暮らすよ」
「はあ? 今そんな話してたか? そういうところだったか?」
 ガンガンと何度もランサーがドアを叩くのが怖い。
「私は君を不愉快にさせてしまった」
「だから、今後はそうならないようにするんだろうが!」
「君はやさしいからチャンスをくれたのだろうが、それはいけない。もう私を切り捨てるべきだ」
「何でそうなる! オレは今、お前とそんな話してねぇよな! オレの話をちゃんと聞けよ!」
「聞いている」
 ランサーの怒りを鎮火させたいというのに、なぜかランサーの怒りを煽る結果になってしまっている。
 おかしい。何が悪かったのだろう。
 甚だ疑問だ。
「お前はオレのだろうが! オレの前から消えようとすんな!」
 どうしたことだろう。
 ランサーはエミヤのことが嫌になってもおかしくないというのに、エミヤを引き止めるようなことを口にしている。
「君の前から消えたいわけではないよ」
「じゃあオレの傍にいろ!」
「だが、私は」
「オレはお前が好きなんだ! 愛してんだよ! 他はいらん! お前だけだ。そのお前が出て行く? オレから離れるなんざ、許せるか!」
 殴りつけたドアは、バァンと一際大きな音を立てた。
 頑丈なはずのドアがへこんでしまったのではないかと心配するほどの音だ。いや、それよりもランサーの拳は、とエミヤはドアを殴りつけたランサーの拳をそっと両手で包む。
 よかった、血は出ていない。
 ほっと息をついたエミヤに、「お前なぁ」と呆れたランサーの声が聞こえた。
「君の怒りをぶつけたいのなら、ドアではなく私にぶつけてくれ。君の手が傷つくのは嫌だ」
 こんなにランサーを怒らせてしまうなんて、本当に私は最低だ。
 ランサーは実のところ冷静で、ほとんど本気で怒ることはない。そのランサーがこんなにも怒っているなんて、滅多にないことだ。
 今までもランサーが怒ったことはあるが、その全てがエミヤの記憶にある限り、エミヤ絡みのことだった。
 怒るというのはとても疲れるし、気分のいいものではない。
 ああ、残念だ。
 本当に辛いことだが、この部屋を出て行くしかなさそうだ。
 さて、どうしようか、すぐに部屋を見つけられるとは思えない。
 そうだ、兄に頼ってみようか。
 兄は年下の美丈夫に言い寄られて困っていると言っていたし、一緒に住むのはどうだろうか。
 エミヤにとびきり甘い兄は、何だかんだと言いつつ、エミヤと一緒に住んでくれるに違いない。
 うんそうだ、そうしよう。それしかない。
「お前、またろくでもねぇこと考えてんじゃねぇだろうな」
「とんでもない! とても大事なことだ」
 ランサーのためになる、今後のことだ。
「じゃあ何考えてたか言ってみろ」
「この部屋を出て兄と一緒に住もうと考えていたが」
「ほらな! ろくでもねぇこと考えやがって! 何だってんだ、お前は、本当によ!」
 ランサーはエミヤの手を振り払うと、その両腕でエミヤの身体を包み込んだ。
「お前な、オレはお前が好きなんだって、何回言ったらわかるんだ!」
「ダメだ、ランサー。それはルール違反では?」
「何だよお前の言うルールってのはよ! 全然、わかんねぇんだが!」
 真正面から睨みつけてくるランサーに、エミヤはときめいていた。
 こんなにまっすぐにランサーの感情をぶつけられているということに、特別さを感じてしまう。
 どうしようもなく愚かだと自覚はしているが、それでもやはり、ランサーはエミヤにとって特別で、好きだという気持ちを抑えることはできない。
「円滑な日常生活を過ごすために、同居している間は恋人同士のつもりで接する。相手に深い愛情があれば、うまくいくことも多々あるだろう。君に大切な誰かができるまでの、短い期間、楽しく過ごすための関係だ。私は、君の恋人になりきるし、君も私を恋人扱いする」
「お前がオレと一緒にいるための、それがルールか」
「君が私と一緒に住もうと誘ってくれた時、私は感動した。とてもうれしくて、夢かと思ったよ。恋人としているのは、とても楽しかった。君はやさしかったし、私もいつもよりは素直になれたつもりだ。だって、これは恋人ごっこだったから、本当じゃなかったから、素直に楽しまないともったいない。……それが君と一緒にいるためのルールだ。そうだろう?」
「違うわたわけ! 何勝手なこと言ってやがる!」
 怒鳴られたエミヤの身体は、ランサーに強く抱き締められた。
「痛いぞ、ランサー」
「あのなぁ! オレはお前が本気で好きなんだ! 恋人ごっこだなんてバカにすんな!」
「バカにしていない! 私は真剣だ!」
「だから手に負えねぇんだよ、っとにお前はよお!」
「ランサー。大丈夫か?」
 ランサーが非常に疲れた様子で、ぐりぐりとエミヤの肩に額をこすりつけてくる。
 そんなランサーの様子に胸が痛んで、エミヤはランサーの背中に自分の手を回し、トントンと柔らかく背中を叩いた。
「ランサー、君に何かあったら心配なんだが」
「お前は、そんなにやさしくしといて、恋人ごっこだとかふざけたこと口にしてここから出て行こうとすんのか」
「君に申し訳ないからな」
「申し訳ないと思うなら、オレの傍にいろよ! 何でそういう発想になるんだお前は!」
 がばっと顔を上げたランサーが鼻先がくっつく距離で声を張り上げる。
 こんな至近距離で見ても、ランサーの顔は美しく、エミヤをときめかせた。
「いいか、お前はオレのもんだ! オレの恋人だ! だからオレから離れるな! オレはお前が好きなんだ! 何度言や理解できる!」
「ランサー、そんなことを言ってはいけない。私が期待してしまう」
「期待? 何の期待だ」
 ランサーの紅い瞳は美しく、吸い込まれそうだ。いや、ランサーは何もかもが美しい。艶やかな青い髪にきらめく紅い瞳、稀有は色を持ち、整った顔立ちとバランスよく筋肉がついた身体はすばらく、どこをとってもランサーの容姿はすばらしかった。
「君に好きだと言われたら、君が私を好きなのかもしれないと期待してしまうよ」
「しろよ! いい加減、オレの言うことを理解しろ!」
 理解はしたつもりだとエミヤがランサーを見返すと、ランサーが目を細める。スッと感情の色が消え、エミヤは身が竦んだ。
「そうか、理解してるから逃げようとしてんのか」
「ランサー?」
 ランサーは黙ってエミヤの手をしっかりと握り締めて歩き出した。
「ランサー、一体どうしたんだ。手を離してくれ」
 向かう先は寝室だ。
 エミヤの体格はよく、体重だってしっかりあるが、それをものともしないくらいランサーは力がある。エミヤをベッドに放り投げたランサーは、すぐさまエミヤに覆いかぶさってきた。
「お前のルールは間違ってる。だから正してやるよ」
「ランサー、落ち着いてくれ」
「お前が理解しねぇからだろうが! 自業自得だたわけ!」
「待て、待ってくれ!」
「明日はお前の料理教室はなかったな?」
 確かにそうだが、他の先生方との交流や講習やいろいろやりたいことや、やらなければならないことがあるので、教室がないからといって何もしないわけではない。
 だが、そんなことはとても言えそうにない状況だ。
 何しろ、ランサーは怒っている。
 それはもう、恐怖のあまり血も凍りそうなほどに。
「オレは明日も休みをとる。なぁに、先日まで忙しくしてたからな。ちょっとくらい休んだところで問題ねぇ、心配すんな」
 ぞっとするほどの美しい笑みに、エミヤは身を震わせた。
 心配はする。するとも。
 この状況でしないはずがない。
 自分が、どうなるかをだ。
 ランサーはやると言ったらやる。必ずだ。

 明日は兄さんに電話して、事の次第を伝えて一緒に住む話を出してみようと思っていたが、それはできそうにない。


***


 昨夜は激しくされてしまいエミヤはすぐに起き上がることができなかったので、朝食はランサーが用意してくれた。それはとてもありがたかったし、朝食はおいしかった。昨夜のことはまるで夢だったかのように穏やかな朝食の時間だったのだが、朝食を食べ終えた後、「さて」とランサーが切り出したところで空気が急に変化した。
「で、理解したんだろうな」
 こくこくとエミヤは頷いた。
「本当だな?」
「ああ、本当だとも」
 本当に、理解した。
 ランサーはとても情が深く、一途だということを。
 今はランサーはエミヤと一緒に暮らしているのだから、不実なことをするはずはなく、ランサーがエミヤを恋人と思ってくれている間は、エミヤ以外に心を動かすことはないのだ。
 自分はなんて思い違いをしていたのだろうと、合わせる顔がない。
「すまなかった、ランサー。私が悪い」
 しゅんと落ち込むエミヤに、ランサーが溜息を落とす。
「わかったならいい」
「ランサー」
 ぱぁっとエミヤの顔が輝く。
 ランサーに許してもらえたことは喜ばしく、心から安堵する。
「お前の恋人がオレだってことをちゃんと理解しろよ」
「ああ、ランサー、理解したよ」
 本当に、なんてランサーは寛大なんだろうか。
 エミヤは感激していた。
「私と一緒に住んでくれている間は、君は、私の恋人だ」
 本当に勘違いをしていた。
 ランサーは一緒にいる間は、ちゃんとエミヤを恋人にしてくれる。
 恋人ごっこではなくて、ちゃんとした恋人だ。
 彼の実直さをわかっていながら、何とも失礼なことを思ってしまっていた。
 反省しなくてはならない。
「……ちょっと待て」
 エミヤの向かいに座っていたランサーが表情を険しくさせ、低い声を出す。
「何がわかったのか、言ってみろ」
「君が誠実な人で、私と一緒にいてくれている間は、君は私の恋人だということがわかったのだが」
「お前と一緒にいる間ってのは何だ」
 機嫌が悪くなっていくランサーに、エミヤはどうしたのだろうかと首を傾げる。
「言葉通りの意味だ」
「わからんから聞いている。言え」
 抑揚がない声に、アーチャーはランサーが怒っていることに気がついた。
「ランサー?」
「いいから、さっさと言え」
 なぜランサーが怒っているのかわからず、戸惑いながらもエミヤは口を開く。
「君が私と一緒にいる間は、恋人ごっこではなくて、ちゃんと私を恋人の扱いをしてくれるということだろう?」
「そうだ……で?」
「君が本当の恋人を見つけた時は、君はちゃんと私に話してくれるだろうから、私は心配することなく、君が一緒にいてくれる間は自分が君の唯一の恋人だと思って過ごすというのが、君と一緒にいるルールでは?」
 しん、とあたりが静まり返り、エミヤはひやりとした。
「ランサー?」
 声を掛けるとランサーはイスから立ち上がり、向かいに座っていたエミヤの腕を掴んで立ち上がらせる。
「ど、どうしたんだ?」
「お前の頭ン中はほんっとにどうなってやがんだ? 昨夜のアレで何でわかってねぇんだよ!」
 強引に引っ張られたエミヤはランサーの腕の中におさまり、骨が軋みそうなくらい強く抱き締められた。
「痛いぞ! ランサー!」
「オレの心の方が痛ぇわ!」
「何? どうしたんだ? 一体何が」
 ランサーの心が痛むようなことがあったのなら大変だと、エミヤは痛みも忘れて心配げにランサーを見ると、ランサーは複雑な表情をしていた。
「ランサー、どうしたんだ? 私にできることなら何でも言ってくれ。ああ、私にできることは少ないかもしれないが、何か少しでも役に立つことができるなら言ってほしい。私は君が心配なんだ」
「お前のせいだろうが!」
 怒鳴られたエミヤは目を瞬かせ、眉根を寄せる。
「私の、せい? 私が何を……」
「あのなぁ! ぜんっぜんわかってねぇじゃねぇか!」
 ぎりぎりぎりぎりと骨が砕けるのではないかと思うくらいに強く抱き締められたエミヤは、普段なら文句を言って突き飛ばすなり殴るなり抵抗をするところだが、ランサーが辛そうでイライラしているのが見てとれて、抵抗できない。
 エミヤには全然わからないのだが、おそらくエミヤが原因でランサーは怒っているのだ。
「ランサー? どうしたんだ」
「どうしたじゃねぇよ! あー、くそ! お前、今日は外に出さねぇからな!」
「ランサー! あっ!」
 がぶりと首筋を噛まれたエミヤは、痛みに声を上げてしまった。
 皮膚に食い込むような感覚したのでおそらく血が出ているだろうが、興奮しているランサーがやめてくれるとは思えない。
 痛みはひどいが、とても文句が言えそうにないし、それどころではない。
「まだわかってねぇらしいから、わからせてやる!」
 ランサーとは恋人のような関係で接することが、エミヤの中での、ランサーと一緒に暮らしている間のルールだった。
 それが、ランサーが大事な誰かを見つけるまでは本物の恋人だと思っていいのだと知って、怖いくらいの幸せを感じた。そこまでがエミヤが理解できるぎりぎりだ。
 ランサーは昨夜、これから先もエミヤ以外を選ぶことはなく、エミヤだけを恋人とし、永遠の伴侶とするなどとおそろしいことを口にしていたけれど、それがどういうことかは自分の中で消化できていない。
 エミヤにとって、それをすぐに理解するのはとても難しいことだ。
 それに、エミヤが一方的に好きなのではなく、ランサーに愛を返されるとなるとどうしていいかわからない。
 そんなこと、いいのだろうか。
 私が幸せすぎないか? 幸せすぎるだろう。
 それは公平ではない。
「お前の思考回路は、ほんっとに訳がわかんねぇなぁ」
 ランサーの紅い瞳が剣呑な光を帯び、エミヤは血の気が引いた。
「今度のルールは正しく理解しろよ」
 微笑むランサーは美しく、そのあまりの神々しさに、エミヤは眩暈を覚えた。


 こんなに美しい人から強い言葉で言われたら、私が間違っているかと思ってしまう。
 いや、実際間違っているのかもしれないけど。
 恋人ごっこではなくて、ランサーが私のことを本当に好きで、愛していて、永遠の伴侶だと思っている……?
 そんなの、誰が思う。
 少なくとも私は思わない。
 だから、ランサー、手加減してくれないと、心臓に悪い。わかるだろう。君は美しいんだ。
 私は君の顔はもちろん、身体も好きだし、中身だって好きで、言ってしまえば何もかも好ましく、そんな君に愛を与えられるなんて、あまりに幸せにするのはやめてくれないか。
 幸せには慣れていない。
 じゃあ慣れるようにずっと傍にいるとか、もっと愛をわかってもらうようにいちゃつくとか、愛を伝えようとしてくるのも本当にやめてくれ。
 ランサー、 君が怒っているのはわかった。わかったから。
「だってお前はここまでしてもわかりゃしなかったんだから、どんだけしたってやりすぎってことはねぇだろうよ」
 いや違う。そんなことはない。
 そう否定したけれど、ランサーがそれを聞いてくれるはずもない。

 ああ、私は、痛い目を見る。

Comments

  • わんわんお
    September 6, 2024
  • September 24, 2023
  • July 5, 2022
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