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ただ神に祈ることは/Novel by なり椰

ただ神に祈ることは

14,534 character(s)29 mins

ソロモン戦後のFGO時空。生前弓で槍弓です。ほんのりキャス弓風味もあり。捏造ネタバレ何でも来いな方向け。設定上戦地での描写が続きますので苦手な方はご注意ください。

生前弓ということでエリア51脱出ネタやハートロッカーなネタも考えたんですが、6章7章の背景絵が好きなので中東に落ち着きました。

今回重かったので次回は軽めなギャグの予定です。

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【1.赤砂の大地】

 踏み進む地面の感触が唐突に変わった。
 ブーツの底に砂粒と確かな石畳とを感じる。
 目標陣営の現在の本拠地と特定された小さなその街はまだ深く闇に沈んでいるようだった。
 すでに遠い風以外は物音ひとつしない。
 日の出までは標準時で二時間ほど。
 あまり猶予もない。

「――」

 指先で防砂マスクをずらし引き下げる。
 途端に砂嵐の過ぎた土地特有の乾いた大地の匂いと、砂丘ひとつ向こうに広がる覚えのある海の匂いがした。
 さらに数歩を過ぎてから、探るようにエミヤは手のひらを煉瓦の石畳に押しつけた。
 ハードな行軍のわりに調子は悪くない。
 わずかに魔力を指先に通す。
 静かに一呼吸。
 地下深く亀裂をくぐる水脈のイメージに近い。

「‥‥」

 触れる気配も、逆に触れることが『できない』違和感も、近くには存在していなかった。
 上々だと息をつく。
 魔術を使う敵が相手となれば分が悪い。
 物質の強化、構造把握、構造変化、初歩の魔力探知や魔術防御。
 自身がまともに扱えるのはせいぜいがその程度だ。
 もっとも秘匿を旨とする魔術師と、前線や戦場で出遭ったことはまだ一度もない。彼らの好む神秘はここになく、政争には絡んでも実際の戦争には絡んでこないのが現代の魔術師や協会であるからだった。
 だからこそ自身がここにいる。
 感傷に許す暇はない。
 右のイヤーパッドを下げ顎下にマイクを貼り付ける。
 シームレスのパッドが通信の意思を感知し、受送信の状況を振動で知らせてくる。
 良好。

「エミヤだ」

「ポイントに到達した。最初の指示を」

 この段階で変更が生じる可能性はないはずだった。
 生存と通信状態を確認する最初のルーティンになる。
 事前のブリーフィングで決められた所定の手順はここまでで、通信に衛星を利用できる時間帯は十二分割で日に三度、画像のバックデータ入手も同様で、クライアントの懐に詰まった資金の潤沢さを思えば望めばさらに得られるかもしれないが、そのために機材や手順を増やすよりも速やかに目的を遂行し離脱する方が単独行動のセオリーに適っている。
 相方のハシーシュ、地言葉で麻薬を意味する通信相手の男もそんなことはとっくに承知しているはずだった。
 わずかな雑音は通り過ぎた砂嵐の影響か、それでも気のいい声がすぐそこにいるような精度で応えてくる。
 背景に流れる音楽はラジオか彼持ち込みのCDトラックだ。
 エミヤとのつきあいは長い。

『オーケイ時間どおりだ、そこから北東二十三度、四角い白い建物は見えるか。 そいつがターゲットA<管制塔>だ。ジャックポットの可能性が一番高い。欲は出すなよ、人質さえ助け出せば後の始末は正規軍の仕事だ』

 風向きと空を確認しながら方向を変える。
 身を低く、段差を利用しながら目標へ近づいていく。

『南東に50MほどがターゲットB、ここから熱量で量っても大した<武器庫>だな。吹っ飛ばしちまえばモノの数分でそこいらすべてが瓦礫に帰る。寝坊すけどもが朝めし食う時間もねえぐらい呆気なく、な。食う前にてめえらどもが朝めしのターキーって寸法だ』

 げらげら笑う掠れた声を聞き流しながら積んだ煉瓦壁の陰に走りこむ。
 街ひとつを一人で探しきるには数時間では足らない。
 手元の端末に送りこまれる赤外線マップ、救出対象の持つ脆弱な信号、それ以外はエミヤの経験と勘とに成否のいくらかが左右される、端からみればおそらく雑と呼んでもいい作戦内容だった。
 秘密の多いエミヤには快適な方針でもある。

「先にAに向かう‥ああ、ターゲット前に歩哨らしき影が三つあるな。三棟のそれぞれに一名。そっちからは見えない。屋根の迫り出しの下だ。サブマシンガンにハンドガン、ガンベストの下に私服‥民兵、いやPMCの雇われだろうな。お互いさまだ」

 遠く甲高い女の笑声が通信越しに聞こえた。
 どうやら今回のBGMはラジオになるらしい。
 中東に特有の哀愁を帯びた抑揚のないメロディが話し声に重なって時折り聞こえている。

『どうだ。手に負えないか』
「いや問題ない」
『どんな連中だ。所属は』
「読めないな。ただこのあたりなら東欧だ。旧式のAKがずいぶん積まれている」

 雇われ兵に雇われ分析官。
 こちらがそうなら向こうも実態は同じというわけだった。
 近年では外部の介入を嫌う民族紛争や一国内の武力衝突ですらこんなふうに戦争ゲームの様相を呈している。
 経済活動としてのプロの戦争屋たち。
 民兵とは違う、軍経験を臭わせる身のこなしが彼らの特徴で、軍に所属し正規軍の制服をまとえば彼らは傭兵と呼ばれ、所属なしに民兵やゲリラ兵を指揮指導するのが民間軍事警備会社、PMSCと呼ばれる企業体に属するコントラクターたちだった。
 都度の契約による場合もあったし、一つの企業に継続雇用される者もいる。
 近年のエミヤは前者として認識されているようだった。
 選り好みは激しいが腕のいいコントラクターだと、戦場での名が上がるごとに自身の目的に適った契約を選ぶことが容易になっていた。
 エミヤの求める正義がそこにあること。
 後顧の憂いとなるしがらみを残さないこと。
 口にしないそれはおそらく、単にひどく気まぐれな男とだけ知られているのだろう。
 何度か組んだ馴染みであればどこかで薄々は察しているのかもしれない。

「三分だな。周辺を見回る男がいる。その隙に入れそうだ」
『どの棟だ』
「西だ、中央と東は動かない」

 ターゲット<管制塔>の東側には崩れかけた腰の高さの土塀が見える。
 敵とは言え死角を減らすには妥当な判断だった。
 ニックネームの理由になった小型ヘリの降下できそうな広場も西側に隣接されている。

「ああ。窓はまずいな。メンテナンスハッチが見える。屋上から侵入する。‥この通信はどうなる」
『おいおい相変わらずの鷹もびっくりな視力だな。こっちからは‥ああいや、見えた、けどどうやって上るつもりだおまえ、あんなとこまで』
「‥ハシーシュ」
『ああ。ああ‥悪かった。詮索はなしだな。通信か、こいつは問題ない。通じる。大丈夫だ。出発る前にカプセル飲んだだろうおまえ。戻って糞するまで中継ポイントは正常に確保される。せいぜい漏らさねえようにケツの穴締めとくんだな、あア?』

 移動する歩哨の男の歩幅を読もうと指を折り始めたときだった。
 おかしくてたまらないといった笑い声が聞こえてくる。
 戦地での下卑た冗談が士気高揚に役立つのは常識で、しかし内容にうんざりと顔をしかめる。

「っ、‥あんたあれは興奮剤だと」

 潜入作戦行動に適した早朝の時間帯は、しかし潜入する側にとっても同じように身体や判断の能力低下リスクをもたらしてしまう。
 閉ざされた室内の移動であればまだ軽減の期待はあるものの、太陽の見える屋外を通過する以上、どれほど訓練を積んだ兵士であれ、どうしても何らかの影響を視覚情報から受けてしまう。
 自律神経の緊張を維持するために軽い興奮剤を処方されることは珍しくもなかったし、ここ数回エミヤとタッグを組んでいる軍医上がりだというハシーシュの言葉を、疑わずに渡されたカプセルを口にしたことを今になってエミヤは自身の油断だと後悔していた。
 利点はわかる。
 ただ気持ちの問題だ。
 わけのわからない機械を知らずに飲み込まされたというのはどうしても落ち着かない。

『おい。ご機嫌斜めだな。糞すりゃそのまま出てくるし心配ないって。ちっとキレイにして充電すりゃ何回かはまた使えるし』
「‥信用の、問題だ」
『何だよ恥ずかしいってのか? 心配ならオレが出してやるって」
「ふざけるな。願い下げだ」
『つれねえなあ? ああそう、何なら今回のクライアントにやらせてやりゃあ報酬が倍になるんじゃねえのか。何しろ連中ときたら会うなりおまえのケツに興味津々で、』
「‥切るぞ」

 無駄にする時間もない。
 通信はここまでと一方的に信号を送り、動き出す前にもう一度だけ体内の魔術回路に細く魔力を通す。
 機械であれば生物組成よりは容易い。
 体の奥、今はまだ胃のわずか下にある。

「――、‥」

 馴染んだ詠唱の言葉を口に乗せる。
 数瞬で探査の終わる小さな金属は、なるほど確かに通信機械の構造をしているようだった。
 息をついて、エミヤは目標の低い構造物の方へと身を滑りこませていった。


【2.キャメル・ライド】

 代理人を名乗った男は、しかし親族ではあるのだろう、彫りの深い目元に緊張と疲労とを張り付かせ、スーツに身を包んだ長身の頭には信仰を示すグドラが丁寧に巻きつけられていた。
 何度か言葉を交わした後、エミヤを含む数人がひとつ離れた隣りのヴィラへと移動させられた。
 国際空港から100kmは離れているだろう、砂漠に浮かぶオアシスひとつを丸々擁した、おそらくはクライアントの所有する、それぞれ離れた各室にプライベートプールが据え付けられた隠れ家のようなプール・ヴィラだった。
 装飾は濃色に統一され夜の砂漠で水の中を泳ぐ蛇のような幻想的な仕掛けが通路の角々で実用的に視覚を遮らせていた。
 案内された先にいたもう一人の老年に近い男は、真っ白で質のいい皺ひとつないカンドゥーラにゆったりと身を包んでいた。
 息子を頼むと、握られた手のひらは硬く乾いて温かかった。
 一言を伝えるために直接出向いてきたようだった。
 ほどなく退出を促され、来た時のように再び市街地までヘリで運び戻された。
 ヘリから眺め下す、どこまでも続いた砂丘と岩山の大地。
 戻ってからはそれぞれが打ち合わせどおりに出発の支度へと分かれた。
 いくつかのチームはあのまま陽動ルートを経て国境へと出発しているのだろう。

「どうした、何か食うもんでも買い足すか」

 直に日も沈む。
 エミヤは首を振った。
 昼の熱暑は徐々に落ち着きをみせ、この時間になればようやく市場にも人出と喧騒が戻ってきはじめている。
 量り売りのスパイスや布地を売る小さな店がひしめき合うスーク、少し行けば金細工の店が連なる一角もあり、過ごしやすい夜になれば更に観光客で彩りと賑わいとを取り戻していくだろう。

「出発は」
「あと一時間もないな。港にでも出るか、たまには太陽が沈むのを見るのも悪かねえもんだぜ」

 送られてきたのは少年の左手首だった。
 反革命軍を名乗る旧体制派のゲリラ陣営は、しかしそこでひとつ決定的な間違いを犯していた。
 とある政府要人の息子と間違われ報復に攫われた少年は、しかし想定よりもさらに重要で裕福な人物の溺愛する末の息子だったからだ。
 同じはずの命の軽重に是非を問うよりも先にすべてが迅速に動き出した。
 馴染みの警備会社からは中東経験の多いエミヤとハシーシュ、敵対案件を持たない他社からも同様にいくつかのチームが呼び集められ、一夜を待たずに全権を示すIDカードと共にこの国に送りこまれていた。
 大量の失血と同時に発信を始める小さなカーボン製のICチップ。
 当初は検知されなかっただろうそれが命綱だった。
 あらためて調べられる前に、気づかれる前に。
 血とともに流れる命が、失われる前に。

「‥足は」
「別便で最新式のかわい子ちゃんが届いたぜ。きれいなキャメルカラーのステルスSOVだ」

 SOV。特殊作戦用車両。
 資金面での遠慮は一切いらないのだろう、すべてが向こう持ちだ、それなら同行するハシーシュも通常より近くからエミヤの支援と状況分析を受け持つことになる。
 すでに国境付近のポイントに向かった他チームは、派手なルートを経由して軍事作戦のカモフラージュを行うことになっている。
 同時に動くエミヤたちの方が今回の作戦では本隊だった。
 目指すポイントに準備拠点である以上の重要性はない。
 戦略上の意味から言えば陽動拠点の方こそが優先される。
 救出作戦と思わせないための罠。
 エミヤたちはその間に目標となる少年を救い出す。
 その後に待つ殲滅行動は民間会社の関知することではない。
 人選はオアシスで対面したクライアントの意向を汲んでいるようだった。

「‥また気にしてんのか、おまえさんは」
「そうじゃない」
「救えるものは救う。そうじゃないものは諦める。『救うべきひとつ』の可能性を下げるならそれも諦める。正直連中の噂は知ってるがどうこうできるもんでもねえぞ、あそこまで行っちまうと」

 本拠地とされる砂漠の街に、盾として囲われているのはおそらく人質の少年ばかりではなかった。
 元はごく普通の街道沿いの街にすぎず、日干し煉瓦としっくいに塗り固められた砦跡が建ち並ぶ、旧時代の遺跡を残すありふれた街のひとつであるはずだった。
 占拠されたその日、夜を待たずに男たちは殺されているようだった。
 残された女や子どもが街から出た形跡は確認されていない。
 逆に大陸から連れこまれた子どもの目撃談だけが数えきれないほど頻出するようになっていた。

「エミヤ」
「‥そんなんじゃない」

 親を殺され連れこまれる子どもや、さらには親や親族を自身の手にかけさせられ連れてこられる子どもたち。
 この数年飽きるほど見続けていた。
 彼らにはもう戻る場所がない。
 紛争や衝突の爆発音に無数の悲鳴が飲まれていく。
 戦場に送りこまれるゲリラ少年兵の数が一気に増えだしたのもこの頃からだった。

「‥な。見てこうぜエミヤ、砂漠と海に沈む夕日なんてそりゃあ絶景だ。スタートが市街なのもいいチャンスだ、こんなに金の心配がないのもな」

 いつだって生きてりゃいいこともあるもんさ。
 支給された車を倉庫に引き取りに向かった男の背を見送り周囲に目を戻す。
 店先に垂れ下がる色とりどりのストール、鮮やかに積まれた果物の籠。
 エミヤですら名を覚えきれないスパイスの陳列瓶が模様のように積まれ並べられている。

「‥いつか、――」

 時刻になれば流れる礼拝の呼びかけ。アザーン。
 昼は五十度にもなる真夏の太陽と砂嵐の大地。
 ここではすべてがエミヤの知る遠い島国とは違いすぎている。
 人がいれば起こる争いと国境線。
 だからこそここにいる。
 やるべきことはいまだにわからない。
 それでもここにいる。

 紅く染まる砂丘と海原に沈むその日の夕日は、ひどく美しかった。


【3.手のひらの上の太陽】

「‥ナジーム?」

 結論を言えば容易かった。
 予想していたよりもずっと住人が少ないのか、屋上で処理した一人を除けば、無防備にならざるを得ない通路を進む間も途中で兵の誰かに行き遭うことはなかった。
 屋上で身を潜めるうちに、すぐ脇の低い建物からバラバラと出てきた数人を乗せた四駆装甲車が慌てたように砂塵を巻き上げ街道の方へ向かっていった。
 ここからは地平のわずかな光源としか見えない、先行した国境の陽動作戦がよほど上手く注意を引き付けてくれているようだった。
 一通り見回った西の建物に求める目標はいなかった。
 敷かれた道だけの通用路を通って隣の棟へ移っていく。
 途中子どもが三人押しこまれた部屋の脇を通り過ぎ、交替で就寝を取る時間なのか寝転ぶ感情のない目がただ何も見ずに天井を見上げているのに眉を顰め、しかし素早く目を走らせれば子どもたちの手はどちらも手首の先が揃っていた。
 次の部屋へ向かう。

「しっ‥大丈夫だ」

 垂らした布の向こうに座る小さな姿が見えた。
 身を屈め跪き、肩をそっと押さえながら少年の口に人差し指を押し当てるとわずかに瞳孔が開きそのまま焦点を結んでいく。
 エミヤは目を落とした。
 左手に赤黒い包帯が巻かれている。
 手首から先はない。
 埃にまみれ固まり変色した包帯の先からは、滴るほどのダメージはなくともまだ鮮やかな赤がじわりと新たな色を滲ませている。

「‥ナジーム、だな」

 少年から腕を離さずに、横目で携帯した端末の光点を確かめる。
 重なる小さな白い点と赤の点。
 間違いない。ビンゴだ。

「‥ハシーシュ」
『ああ。見つけたか。信号は見えてる』

 拘束の類はない。
 隣にもう一人、少年がいた。
 そちらに怪我は見えず、救いにきた少年よりいくらかは年かさのようだった。
 同じ黒い髪に黒い瞳。
 自力で動けるなら一緒に助けられる。
 戻る道の計算を始めながら正面に目を戻す。

「オレの言葉はわかるか。ナジーム」

 こくりと首が動く。
 その動きが引き金になったのか、思い出したように急速に瞳に人間性が戻ってくる。
 苦痛と恐怖に眼球が震え、うっすらと涙を浮かべている。
 これなら大丈夫だ。
 まだ精神をやられてしまうほど誘拐されてからの時間は経っていない。

「‥大丈夫だ。君は家に帰れる」

 落ち着かせるように抱えた薄い背中は、しかし不自然に熱かった。
 傷から感染症を起こしているのかもしれない。
 しかし一人ならこのまま抱えて離脱することもできる。
 やはり問題になるのはもう一人の損傷の程度のようだった。

「君のお父さんの依頼で来た。大丈夫だ。君は家に帰れる。それまではオレが君を守る。‥君もだ」

 言いながら隣の少年の様子を探る。
 ナジームと同じ部屋にいたその少年の方に、特に言葉に対する反応はなかった。
 言語が違うのかもしれない。
 しかし口調から意味は伝わっているだろう。
 暗がりの中、虚ろな瞳がわずかに先ほどよりも開かれている。

「‥お父、さん‥」
「そう。いいぞ。ゆっくりでいい。立てるな? オレの腕につかまるんだ」

 時間は惜しいが焦るわけにはいかない。
 どちらの子どもでも同じだった。ここで叫びだされれば元も子もない。
 しかしナジームの方は、怯えてはいてもどうにかまだ正常に近い思考を保てているようだった。
 エミヤの袖口をつかんで膝に力をこめようとする。
 指先が震え始める。
 しかし大丈夫だ。
 これならまだ日常に戻れる。

「‥君は、どうする――」

 言いかけて、エミヤは年かさの少年の腕が自分の腹に伸びるのを見た。
 ただの繊維になりかけた布をまとう腹を無表情のまま探っていく。
 咄嗟にエミヤはその少年の腕をつかんだ。
 空手の指先が引きずりだされる。
 しかし確かに何かを。

「っ、くそ」
『どうしたエミヤ』
「爆発物だ、クソッ‥」

 通信越しに状況を見守っていたらしいハシーシュがエミヤの慌てた様子に口を挟んでくる。
 腕を捩り上げられた少年がエミヤを見る。
 目の中には張り付いた恐怖があった。
 戦場の兵士には見慣れた色だ。
 しかし子どもには重すぎる。

「‥大丈夫だ。死ぬ必要は、」

 どうすればいい。
 トリガーは引いていない。
 ただそう教えこまされているのだろう。
 この場を離れさせようとすればおそらく死ぬ。
 一種の洗脳のようなものだ。
 見捨てていくしかないのかと、覚悟を決めようとした、

「‥いや、」

 しかし腕を離そうとした瞬間、ぶるぶると子どもが震えだした。
 そして理解する。
 諦めるのはまだだ。
 大丈夫だ。
 この子どももまだ内側に人間らしさを残している。
 震える少年の顔に腕に胸に、びっしりと玉のような汗が噴き出している。
 死への本能的な恐怖。
 それさえあれば人間は生きていける。

「っ、動くな」
『エミヤ?』
「いや大丈夫だ。‥大丈夫だ。オレは何もしない」

 宥めるようにナジームの肩を一度押しやり少年の方に向き直る。
 つかんだままの腕を上げさせ、びくりと身を引こうとする少年の痩せた腹を残る片方で探る。
 不格好に引き連れた下腹部の傷跡。
 エミヤはそっと手のひらを押し当てた。

 ――同調、開始。

 今日はもう二度目だ。
 通信用に飲み込まされたカプセルを自身で探るのと同じだった。
 特性が働かない有機物のいくつかを過ぎて、自身にもどうにか扱える起爆回路の構造を探っていく。
 もう少し、見えにくい、今見つかれば蜂の巣だと緊張に息を吐きながら目を閉じ眉を寄せ神経をそこへ研ぎすませていく。

「っ、‥」

 見つけた。
 起爆装置だ。
 瞬時に金属部分の強化をはかる。
 作動しないほど強力に。
 安定したただの一体化した塊へ。

「‥大丈夫だ。もう作動できない。君たちは、全員これを――?」


【4.ブルー・ブルー・スカイ】

 すでに空は薄明るく、朝の気配が上り始めている。
 二人の少年を連れ、ときには両腕に抱えてエミヤは建造物の間を走っていた。
 吐き気のする話だった。
 事前のブリーフィングで位置だけは確認していたターゲットの一つ<武器庫>。
 熱量は当たり前だった。連れてこられた少年たちは大半がそこで作業と寝泊りとを交替で繰り返している。
 腹に人数分の爆薬と、死体の数だけの同じ爆薬とを抱えて恐怖の内側で過ごしている。

「‥街道に出た。今から離脱する」
『大丈夫かおまえ』
「問題ない。それより帰投する増員がないかを見張っていてくれ』

 まともな医療技術もない。道具もない。
 ただ腹を割いて小型の爆弾を詰め込む。消毒もせずにただ縫い合わせる。衛生状態に耐え切れずに死んだ仲間の腹からはまた爆弾を取り出し新しく来た子どもの腹の中に埋めこんでいく再利用の兵器生産システム。
 何て醜さだと反吐が出る。
 しかしそれでも、まずはこの子どもを父親の元へ届けなければならない。
 集中しろ、言い聞かせるように意識を負の感情から引きはがす。
 一つずつだ。手の届く場所から。

『‥エミヤ』
「ハシーシュ?」
『いや、なんてのかこう‥嫌な予感がする』
「何か異常か」
『いや‥わからない。急いでくれ。できるだけだ』

 地図以外で知らない場所へ潜入するよりは、元来た道を戻る方がまだ容易い。
 足元の砂をブーツの底に噛ませながらエミヤは足を速めた。
 ハシーシュからこんな警告が出ることは少ない。
 しかも曖昧だ。
 こうなるともう子どもは抱えた方が早い。

『‥なあ。エミヤ』
「聞こえてる」
『ああ。あれさ‥綺麗だったな。昨日一緒に見たの』

 必死にしがみつく細い腕。
 大丈夫だ。
 安心させるように両腕に力を込める。

『あれ、もう一度‥見れねえかな』
「‥何の話だ?」
『何って‥太陽。沈むの見ただろ、一緒に』

 エミヤは眉を顰めた。
 ため息をつく。
 この男とのつきあいは確かに長い。
 だが緩みすぎではないのかと。

「そいつは今する話か」
『ああ?』
「勘弁してくれないか。こっちはぎりぎりだ」
『けどなあ‥今じゃなきゃできない話でもある、っていうか』

 どうにも要領を得ない。
 何の感傷かと、しかし言われてみれば確かに話すうちに怒りに冷えた血が戻ってきた気はする。
 切り替えろという意味なのかもしれない。
 仕方なく思い返す。
 観光客を乗せたデザートサファリの隊列が過ぎた後なのだろう。
 向かった真っ赤な砂丘の斜面にはいくつもの四駆車の轍が残っていた。

「‥久しぶりだ、確かにな」
『エミヤ?』
「それに‥この国で誰かと、あんなふうに過ごしたのは初めてかもしれない」

 人が生きるには厳しい大地。
 だからこそ様々な理由で生き抜くための争いが起こる。
 血色に染まる、それでもやはり美しい砂漠と灼熱の太陽と。
 なぜここに最初の文明が生まれ根付いたのか、見るだけで理解できるほどの壮大な夕暮れだった。
 隣に立つ男の似たような瞳の色も、やはり同じように美しいと思ったのを覚えている。

「‥何、‥――?」

 しかし思い返すうちに、何かが引っ掛かった気がした。
 両手に抱えた子どもが顔を上げる気配がする。
 首を振って、エミヤは止めかけた足を速めた。
 何か、違和感がある。
 それが何なのかわからない。

「‥気が緩みすぎなのは、オレか‥――」

 そんな場合じゃない。
 まずは行動だった。
 もうすぐ街の入口に出ようとする、

「っ、‥?」

 しかしそのときだった。
 違和感。危険。
 違う、そんな単純なものじゃない。

「っ、何が」

 全身の神経が異常を感じ竦み上がった。
 違和感どころじゃない。
 これは魔力の気配だった。
 強力な魔力が唐突に出現した感覚だった。
 それもかなり近くに。
 皮膚が総毛立つ。
 とんでもない圧倒的な何か。

 エミ、ヤっ‥‥。

 次の瞬間、通信越しに聞こえていたはずの声がすぐ側で聞こえた。
 同時にエミヤの視力は確かに捉えていた。
 何か、強烈な力。
 少し離れた岩山の上だった。
 赤い、何だ。
 聖骸布‥?
 赤い服を来た、真っすぐに立つ白い髪の男。
 黒い弓に矢を番えている――。

「――」

 上空から何か恐ろしいものが降り注いだ。
 知覚できたのはそれが魔力で編まれていたことだけだった。
 体内の魔術回路が悲鳴を上げる。
 千本の矢だ。
 万本の矢が降り注いでいる。

「っ、何が」
「動くなっ‥」
「でも、あれは」

 叩きつけられる魔力の衝撃はすぐ間近にまで及んでいた。
 気づけば砂と石畳の上に倒れこんでいる。
 そして圧し掛かる男の姿に気づく。

「何、っ‥?」

 どきりとした。
 青の武装。
 青く長い髪。
 手にした赤い魔槍もそうだ。
 忘れるはずがない。
 この男を自分は知っている。

「っ、ランサー‥!?」

 急激に古い記憶の中へ引き戻されていくようだった。
 夜闇に見た青、そして瞳の赤、吸い込まれる槍の赤さと胸の痛み。
 確かに見覚えのあるその姿が覆い被さるように、突き立つ魔力からエミヤを庇っている。
 そうだ。庇っている。

「あー‥解けちまったか」
「っ、何を」
「それより、何つうか‥」

 見えたのか。あれ。
 本気で目がいいんだなおまえ。
 笑いながら、しかしランサーが顔をしかめる。
 そして気づいた。
 今の自分はランサーの結界の中にいる。
 降り注ぐ魔力の矢から辛うじてエミヤのいる場所だけが守られているようだった。

「容赦ねえな、守護者ってのは‥分霊の分際じゃ無理か、持ちそうにねえ」

 聞くまでもなくじりじりと結界が狭められているのがわかる。
 守られているのはエミヤの身一つだった。
 気づいてエミヤは慌てて周囲に目を向けた。
 他には何もない。
 すべてに光のような矢が降り注いでいる。
 それなら自分はおそらく。
 任務は失敗してしまった。
 助けることができなかった。

「エミヤ」

 無力感に息が震えそうだった。
 しかしすぐに失望から引き戻される。
 そうだ。この男だ。

「っ、あんたは」

 いつからこの男をハシーシュだと思いこんでいた。
 軍を退役しこの世界に入った男がこんなに若いはずがない。
 親子ほども年の離れた男だった。
 なのに昨日の夕日を一緒に見たのは、間違いなくこの男だった。
 ランサーだ。
 何がどうなっているのかわからない。

「エミヤ」
「っ、何」
「いいから聞け。今のオレじゃこいつは持たねえ。ただな、おまえのアレなら多分別だ。あの野郎が消そうとしている『この場所』から身を隠せる」

 言う間にも矢の圧力は強まりランサーの表情は苦痛の色を増していく。
 何を言われているのかはわかった。
 エミヤは首を振った。

「ランサー‥それは」
「完璧にこなすには魔力が必要なんだろう? だからオレの残りの魔力をやる。おまえは、生き残れ」
「何を」
「いいから聞けって。ああ、最初はもうちょっと優しくしてやんのがオレの流儀なんだがな‥」

 にやりと笑う男の整った顔が目の前に迫ってくる。
 頬をたどる指先の感触があった。
 一度だけ口唇の角度を確かめるように優しく、しかし意識を保っていられたのはそこまでだった。

「ッ、‥ア、ア‥――!」

 奔流となって流れ込む魔力の量に圧倒され完全に意識が飛んでいく。
 記憶に間違いがないなら男はサーヴァントだ。
 一度だけ聖杯戦争で経験したことがある。
 こんなものを人間が受け止めきれるはずがない。
 神経のすべてが悲鳴を上げ、開く。
 同化した魔術回路のすべてが過ぎる魔力を吐き出す場を求め開いていく。
 出口を求めて体中を駆け巡る熱の渦があった。
 何かが切れそうだった。
 光。音。痛み。
 覚えのある鉄の錆びた匂いが広がっていく。

 口唇が、無意識に動いていた。


【5.カルデア】

 クー・フーリンが戻った‥!

 ばたばたと取り囲む何人もの足音が聞こえた。
 どこかへ叩きこまれた感覚とそこから引きずりだされる感覚と。
 もう何度か覚えのある再召喚の手荒さに、打ちつけた腰を押さえながら目を開くと心配と怒りとに震えるマスターやスタッフの顔が並んでいた。
 それはそうだろう、決して無理はしないからと約束して偵察に名乗りを上げたからだった。
 焼却された過去の復元スピードはすさまじく、当たり前のようにあるべき時代があるべき場所へと戻り、観測されるカルデアスの座標も次々に過去の照合データへと青のシグナルを返していく。
 しかしその中でいくつか、修復の流れを受け入れずに疑似特異点とでも呼べる歪みが生じている地点が見つかっていた。
 調査するにしてもグランドオーダー後のレイシフト凍結は今後を考慮すれば絶対の条件となっている。
 どう対応すればいいのかと、しかし主体がサーヴァントでさえあれば話が違うと言い張れなくもない。
 国連にしろ魔術協会にしろ現代のどんな権力の支配下にもなく、そもそもが召喚システムの応用で成立しているレイシフトを今さらどう使おうと、サーヴァントに限って言えば現状がレイシフトで召喚されているのだと主張することもできるからだった。
 そんな中で、現在にごく近い座標のひとつに、ランサーが送りこまれた。
 そして座標軸での一週間が過ぎる頃、突然のように霊基の完全な消滅が確認された。
 基点のある召喚ルームにはカルデアに残ったほとんどの人員が集まっているようで、どうにか立ち上がり降参を示し両手を上げると、途端に泣きそうな顔のマスターからはこっぴどく叱られ、一通りの小言が済んで見上げた先には、壁際に腕を組んだまま立つ変わらない赤い弓兵の姿がある。
 何か気づいているのかいないのか、ランサーの視線と目が合うと、ひどく嫌そうな顔をして踵を返していった。


「‥おーお疲れさん。ランサー」

 食堂の壁際のカウンター席で、反省にしばらくのレイシフトを禁じられたランサーが暇を持て余しごろごろしていると、目の前にことりと湯気の立つコーヒーのカップが置かれた。
 顔を上げる。
 キャスターの姿で現界している同じクー・フーリンだった。

「おう‥サンキュ」

 肩をすくめて手を伸ばす。
 あの弓兵なら紅茶だった。
 きっとまだ許されてはいないのだろう。
 キッチンの中にはいつもいるブーディカと、今日は他に頼光が来て弓兵と並んでいるようだった。
 あれ以来まだ口をきいてもらえていない。

「オマエもなあ‥先に言ってから行きゃよかったんだ。どうせバレてんだから」
「バレてねえよ、あいつ以外」
「そりゃな‥まあオレにはどうでもいいんだがな。巻き添えでメシ減らされたらどうすんだっての。オルタなんざ大暴れすんぞあれ」

 日常が戻るのは早かった。
 ランサーの一連の報告と他の歪みの座標から推測されたのは、過去に存在した『抑止力』の発現が多重の歪みを嫌い、一つずつ接続されていくために他の地点と流れがずれたのかもしれない、というものだった。
 観測を続けるうちに少しずつ歪みは波のように弱まり均一に同化しているようだった。

「‥で。会えたのか、あいつに」

 ランサーは顔を上げた。
 薄い水色の髪を背に流した男はランサーを見ていない。
 あまり興味がなさそうに口にされた言葉の重さを、隠されてもランサーは知っている。気づいている。
 ランサーには記憶があった。
 過去、あの赤い弓兵と殺し合った記憶も、別の次元では恋人となり邂逅を誓った記憶も、途中で見失い二度と会うことができなくなった記憶も。
 同じようにキャスターにもおそらく、その記憶がある。
 ただ、少し年長に見えるこの自分は、弓兵の知る自身の姿がランサーとして現界した自分であることを知っている。
 ランサーを気遣うというよりは、弓兵の混乱を望まない。
 おそらくはただそれだけの理由で、何も知らない顔をしてこうしてランサーに道を譲ることが多かった。
 同じ執着を持つはずなのに止めはしなかった。
 自分が行くと言いだすこともしなかった。

「ああ。何つうか、あのまんま死んだらそりゃあいつになるよなって‥――」

 同じ白髪と瞳の色。
 しかし確かにまだ人として生きていた。
 今見る英霊エミヤよりも少し、衛宮士郎に近い気がした。
 そして突如現れた感情のない、岩山に現れたあの姿。
 あれは誰かの手に負える存在じゃないと、伝えるとそうかと、キャスターが視線を下げた。
 ランサーにはあれが精いっぱいだった。
 キャスターなら違うのかもしれない。

「‥もう一回、会いてえなあ‥――」

 呟く自分への呆れた視線を感じなから、ランサーはすべてが消え一人残されただろう男と、それまで留まっていたかわからないもう一人の男を思った。
 その後あの場がどこの世界へ繋がり戻っていったのかはわからない。
 何もかもが無に帰され瓦礫となった砂漠で、しかし少なくとも見上げてみただろうか。
 もう夜が明けかけていた。
 霊基を失う前にランサーも見上げた。
 岩山の輪郭に上る太陽と、

「‥いつか、‥――」

 青い空。


 END

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  • p13
    May 7, 2023
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