prayer
墓守りをしていた。
そう、墓守りだ。
居並ぶ墓標は全て偽物の剣でできていたけれど、この世界にはそういう目印になりそうなものは剣しかなかったから、荒れた地面に突き立てられた剣は確かに何かの墓だった。
初めは剣を鍛えていたように思う。
だが打って鍛える為の火が消えてしまったのだ。いつ火が消えたのか、何故消えてしまったのかはもう思い出せない。火が消えてしまった時はひどくショックを受けたような気がするのだけれど、残念ながらそれすらもよく覚えていない。
でも打って鍛えなくてもここにはたくさんの剣があった。そして不思議なことに自分はどんどん剣を作ることができた。それがガラクタに過ぎないただの模造品だと知っていたけれど、いつの間にか剣は積み上げられていくし、地面に突き刺さったそれらの剣が何かの墓であることを知っていたから、自分はその墓守りをせねばと思った。
それしかできることがなかった。
ここは墓場だった。
そして、この先が地獄であると知っていた。
この先が地獄であることは知っていたけれど、自分はこの墓場から動けなかった。
もうこの先には進めないのに何故地獄だと知っているのだろう?いやしかしここもこの先も墓標しかない地獄であるはずだし、ここから先に誰かを進めてはならなかった。
それが墓守りの仕事だと思っていた。
ごくたまに来る「誰か」を待っていたかもしれないし、どうせ殺して数多ある剣の墓標の下に埋めるだけであることに辟易していたかもしれない。
でも一番胸を占めていたのは、忘れたことすら忘れてしまう、自分に対する諦観だった。未だ覚えていることを数え上げようとするのに、それすら途中でわからなくなってしまうような、そんな有様だった。
残骸のような己には、本当にできることが限られていた。
それがかなしいとすらも思わなかったけれど、剣しか居ない荒野にポツンと腰掛けて、待ち人を待つように、ひとり墓守りをしていた。
「なあ」
声が、聞こえた。
「なあ、あんた。
あんたは忘れちまったのか?」
顔を上げると、赤毛の男が立っていた。
男といっても年若く、少年の域を出ない特徴のない朴訥な顔立ちをしていた。
しかしその顔を確認した途端、からっぽであるはずの自身から奔流のように憎悪と嫌悪が湧きあがった。使い慣れた中華剣を取り出して、目の前の男の腹に突き立てる。
男は腹に剣を突き刺した瞬間こそ苦痛に顔を歪めはしたものの、現れた時と同じ声で、ぽつぽつと己に話し掛け続ける。
「忘れるくらい、長くて。
忘れるくらい、繰り返したんだよな」
腹に穴をあけて血を垂れ流したまま、男は自分に近付いて来る。ここから先に来るんじゃないと殴り付けても蹴り飛ばしても、むくりと起き上がって、真っ直ぐ己だけを見つめてきた。
男の琥珀色の双眸には、迷子の子供を諭すような、慈しむような光が、浮かぶ。
それに言いようのない反発心を覚えるのに、何故だか自分の身体は凍りついたように動かなくなった。
口の端から血を零し、自らの出血と砂塵に汚れたボロボロの男は、動けなくなった己を見据えると、ただ優しげに微笑んだ。
「大丈夫だ。うん、大丈夫だよ」
そう言いながら男は、ぼろきれのような身体を引きずって、己に近付いて来る。
話し掛けている相手に言い聞かすようでも、話している自分自身に言い聞かすようでもあった。
大丈夫。
何が大丈夫なものかと思うのに、動かなくなった自分の身体は重力に負けるかのように、膝を折って座りこんでしまう。
大丈夫。
大丈夫であるはずがない。
大丈夫じゃ、なかったからこそ、ここもこの先も地獄なのだ。
微笑んで近付いて来る男の姿を見ていられずに、視線を地面に落とす。赤くひび割れたこの不毛な大地こそが、己の結果だと知っていた。
俯く己の頬に、男の手が、触れる。
「忘れちゃったから、俺とおなじになったんだ」
男の声ではなかった。
もっと高い、変声期前の子供の声だった。
柔らかい子供の手で、頬を包まれる。
思わず顔を上げると、そこにいたのは赤毛の子供だった。胸に穴が空いていて、着ている衣服も子供自身も、ところどころが焦げている。
だがそんなことはさしたる問題じゃないとでもいうように、ただ真っ直ぐ己を見つめてきた。
「忘れちゃったから、全部なくした俺とおなじになったんだな。
でも手をのばしたり、できないのか。オトナだからってムリしなくてもいいのに」
子供の手が、大型犬を慣らすかのように己の頬を柔らかく撫でる。それをあたたかいと思う己の脆弱さに、吐き気がした。
本当に。こんな形になってすら、己の弱さは子供と変わらない。
頬を撫でていた子供は、ふと何かに気がついたかのようにその動きを止めると、両手で頬を挟んで屈託なく笑い掛けてきた。
「だいじょうぶ。忘れちゃったなら、またもらったらいい」
そう言うと子供は、小さな手を伸ばして己の胸へと当ててきた。
熱い。
熱いものが、己の胸に触れている。
その熱さと眩しさに一瞬目を閉じると、目の前にいたのは黒いコートを着た黒髪の男だった。
男の手が、己の胸に当てられている。
息を飲んだ。
あり得ない、あり得てはならないと己の何かが否定する。何があり得てはならないのかもわからないクセに、頭を振って必死にその姿を認めまいとした。
だが目の前の黒づくめの痩身の男は、恐慌状態になっている己のことなど全く意にも介さず、胸に触れた手に力を籠める。
心臓が、燃えるようだった。
胸に落とされた熱と力の奔流が落ち着くと、黒髪の男は涙を流して心底嬉しそうに微笑んだ。
「良かった…」と小さく呟くと、己の身体をぎゅうと抱きしめてくる。
もう、息ができないのか、ようやく息が吸えるようになったのかすらもわからなくなった。身の裡から炙られるような熱と溢れる感情に、ただ、燃やし尽くされる。
胸の内側ばかりが、熱くて熱くて仕方なかった。
久しく忘れていた、懐かしい痛みだった。
…鋭い痛みに、意識が戻される。
胸を刃が貫いていた。
こんな痛みは、断罪にもなりはしない。
ここは墓場ではなかった。
かといって地獄でもなかった。
だが瓦礫だらけのこの城で、オレはオレの妄執を葬ったのだ。
その刃が、今胸に突き立っている。
痛みだけではない感覚に、ふと自身の裡を探ると、小さな種火を見つけた。
…もう消えてなくなってしまったと思っていたのに。
驚いて目線を動かすと、己に剣を突き刺して密着する死に体の男の眼差しに灯る炎が見えて、すぐに納得した。
これに煽られたのか。
だがこの炎があるなら、きっと。
オレも、こいつも。
己から流れる血潮が外装の鎧を濡らす。胸を貫く剣を与えた男は、己が抱きかかえているかのように近くにあった。
ああ、なんて熱い抱擁なんだろう。
その胸を濡らす熱さに酔いながら、あの懐かしい残像に追い縋るかのように一度。
瞼を、閉じた。