“外向的な自分”でしか生きられなかった私を掬った、たったひとつの解釈
「ほんとうに面倒である」
自分のことだ。
人と会う前に毎度「スイッチ」を入れ、どんな人の前でもニコニコへらへらとしている自分を俯瞰で見ながら、ひどく落胆している。ただ正直、ほんとうの自分でいるよりも、“この方”が楽なのである。
そもそも、ほんとうの自分もわからなくなっている。社会に出てから、10年かけて染み込んだこの様相。これ以外に着る服がない。
私の第一印象として、ほとんどの人が「明るい」と言ってくれる。もちろん、言葉を合わせてくれている部分も多いとは思うが、そう私が仕向けている自覚がある。
こう、なんというか。
周りの人からは外向的に見られているけれど、実際は内向的——そういう人は、意外と多いのではないだろうか。
社交がまったくできないわけではない。
ただどこか、うんざりだと思っている。
それなのに、人と話すのが楽しくてたまらないという瞬間も同じくらい胸に抱いているのである。
だからほんとうに、面倒だなと思う。
◼️じゃあ、どう生きていく?
自分の中で、人格?みたいなもののバランスがとっくの昔に崩壊している。「これが私だ!」と、たまに思えたりするが、すぐに「これは本当の私じゃないのに…」という気持ちになる。いそがしい。
なんだかいつもまとまらない。
それをまとめようと、ある自己啓発本を開けば「ありのままの自分でいよう」と書いてある。SNSを眺めれば「自分らしさ」を謳う投稿で溢れている。
ただ私には「ありのままの自分」なんてものが、もうよくわからない。
外向的なのか、内向的なのか。
演じていたいのか、本音で生きたいのか。
誰かといたいのか、ひとりでいたいのか。
全部、本当なのだ。矛盾しているようで、矛盾していない。
この10年で気づいたことがある。
「どちらか」を選ぼうとするから、苦しくなるのだろう。
説明をする上では便利な言葉かもしれないが、外向的か内向的か、という問いそのものが自分を縛りつけているだろう。
結局、私を落ち着かせてくれた解釈、それは——
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