第二次世界大戦の主要人物は全員フリーメーソン(笑)
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日本の第二次世界大戦は真珠湾攻撃の前、「中国大陸」の”中華民国”との戦争からだ。
アメリカとの戦争の謎解きはまだ簡単で、イギリスは正義のナチスドイツに勝てない。ユダヤは戦争の最強のポテンシャルを持つアメリカ国を参戦させたかったが、アメリカの孤立主義がそれを阻む。
孤立主義を破壊する議会への説得と世論誘導のために、戦線布告なしの先制攻撃を日本にさせる必要があった。それが日本の真珠湾攻撃でルーズベルトの罠だ。
第二次世界大戦の戦争の是非で難しいのは、真珠湾攻撃の前からやっていた中国との戦争だ。みんな考察に中国と一括りにするから謎が解けないのだと思う。中国は王朝が変わる大陸だし、日本と戦争始めるついこの前までは清国だったのだ。というわけで、清国崩壊➡︎中華民国の成り立ちから話を始める。
◉第二次世界大戦に繋がる日中戦争は『中華民国』との戦争です。
◉タイトルはワシの質問で、返答はアヒルAI
孫文は1911年、清朝の打倒と中華民国の建国をもたらし、帝政を終焉させた。
孫文は、清朝の打倒と中華民国の建国をもたらした1911年の中華民国革命を主導したことで知られています。彼は、国家の近代化において重要な役割を果たしたことから、台湾では「建国の父」、中国本土では「革命の先駆者」と呼ばれています。
清朝打倒における孫文の役割
背景
孫文は中国史における中心人物であり、「建国の父」として知られています。彼は1866年11月12日、広東省に生まれました。(中国人なのに何故か)ハワイで教育を受け、医師になりましたが、清朝に対する革命活動に転向しました。
1911年の中華民国革命
孫文は、辛亥革命としても知られる1911年の中華民国革命において重要な役割を果たしました。この革命は、中国における2000年以上続いた皇帝統治の終焉を象徴するものでした。この革命は、清朝政府に対する広範な不満、特に腐敗や外国の介入によって引き起こされました。
革命日:1911年10月10日
結果:清朝は倒され、1912年1月1日に中華民国が成立しました。
指導者と遺産
革命後、孫文は中華民国初代臨時大総統を短期間務めました。しかし、間もなく軍指導者の袁世凱に権力を譲りました。しかし、孫文は国民党(KMT)の指導者として、中国政治に影響を与え続けました。
政治哲学:孫文は、国家主義、民主主義、そして人民の福祉を重視する「三民主義」を提唱しました。
孫文の尽力は、後に国民党を率いて中国統一を目指して闘いを続ける蒋介石をはじめとする、未来の指導者たちの礎を築きました。彼の功績は、帝政終焉の立役者として、台湾と中国本土の両方で高く評価されています。
1911年10月10日に勃発した辛亥革命を受け、革命家の孫文が1912年1月1日に臨時大総統に就き、中国を代表する政府として中華民国臨時政府が成立した。
同年2月12日に清朝の皇帝である宣統帝(愛新覚羅溥儀)が退位して、中華民国は名実ともに中国を代表する国家となった。その後、袁世凱が第2代臨時大総統を経て初代大総統に就任した(北京政府)。袁世凱を筆頭とする北洋軍閥と対立した孫文は1919年に中国国民党を創建し、1923年には後の国民政府の基となる広東大元帥府を広州に樹立したものの、1925年に死去した。
1924年には中国共産党との間で第一次国共合作を行ったが、1927年に南京事件が起こったことで同年4月に国共合作を解消すると、孫文の後継者となった蔣介石の指揮下で上海や武漢などの各地方で中国共産党員を掃討する運動、いわゆる上海クーデターを起こした。
国民政府はその後、汪兆銘らの武漢国民政府とこれに反対する蔣介石らの南京国民政府とに分裂(寧漢分裂)するが、間もなく両者は合流、北方軍閥の張作霖が日本軍によって暗殺された後、跡を継いだ息子の張学良は蔣介石の傘下に入り、満洲(東北部)は国民政府の支配下に入った(易幟)。
日中戦争
その後、満洲事変を契機に日本の後援により、愛新覚羅溥儀を執政として満洲国が建国された。さらに1937年に起きた盧溝橋事件を契機として、中華民国は日本との全面戦争状態に入った(ただし宣戦布告はどちらからもされておらず、昭和天皇の詔勅もなかったので正式な戦争ではなく支那事変と呼んだ)。
ワシ:汪兆銘と張作霖は日本軍側のアヘン売りの手下だよな。アヘン商人イギリスの次に日本がアヘン商人やっているし、アメリカは出遅れているし、また、ユダヤ人ルーズベルト大統領はアヘン商人の名門デラノ家の血筋。ルーズベルトは個人的にも日本にムカついてたんゃないかな?こっちの線も唸っているんだけど、それは別noteで。
なお、日本のアヘンの売上は満州国の国家予算の2割程度らしい。大きなお金だが、大英帝国が儲けた金にしたら端金。
(日本と蒋介石の間にいて判断が難しい)
孫文はフリーメーソンでハワイで学びました。
フリーメイソンリーと秘密結社
孫文は正規のクラフト・フリーメイソンリーの会員ではありませんでした。
彼は、しばしば中国フリーメイソンリーと呼ばれる組織に関わっていました。
孫文はハワイ・ホノルルで、秘密結社ネットワークである三合会と関係のある志公堂(チー・クン・トン)に入会した。
これらの組織との繋がりは、清朝に対する革命活動への支持を集めるのに役立った。
孫文の教育と秘密結社への関与は、彼の革命思想の形成と中国における共和国樹立への努力において重要な役割を果たした。
そう、中国には独自の流れのフリーメーソンがある。それが西洋のメーソンと合流したのではないかと思うのだが、今、取調べ中。
孫文はフリーメーソンで有名ですが、蒋介石もフリーメーソンでしたか?
はい、蒋介石もフリーメイソンの会員であり、生前はフリーメイソンの活動に関わっていたことが知られています。彼とフリーメイソンの関係は、特に国民党における指導力や孫文との関係において、重要な意味を持っていました。
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