Fake Marriage
槍弓現パロ。
花嫁さんに逃げられた新郎アーチャーと神父見習いのランサーが、何やかんやする話。
表紙で髪を下ろしているのでキャスターっぽく見えますが、ランサーです。
FateシリーズはFGOから触れ始めた新参のため、まだまだ不勉強なところがあるかと思いますが
ご容赦いただければ幸いです。
こちらは全年齢作品ですが、本来は5ページ目と6ページ目の間にR18描写が入ります。
10/7のCOMIC CITY SPARK13にてR18版として発行予定です。
詳細は後ほどご連絡させていただきます。
表紙イラストはあばんじゃさん(user/2075716)に描いていただきました。
(*当作品はフィクションであり、特定の宗教団体を貶める意図は一切ございません。)
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――ああ、こんなことが現実に起きようとは。
「ほんっっと!!ありえない!!」
怒気を孕んだ声が部屋の中に響き渡り、ハッと我に返った。いつの間にか呆けてしまっていたらしい。
自分の身にまさかこんなことが起きようとは思ってもおらず、大変な事態が起きているはずだというのに、どこか他人事のように感じてしまっているのが正直なところである。
妙に冷静さを保った思考のまま、怒り心頭と言った様子の声の主にゆっくりと視線を向けた。
真っ赤なドレスを身に纏い、怒りに身を震わせているその女性は自分の従妹であり、今は勤め先の社長でもある遠坂凛。昔から頭が良く、飛び級で学校を卒業した才女であった彼女には、従兄である自分もよく世話になったものだ。
しかし、そんな彼女の持ち前の美貌は今現在、感情の昂ぶりから普段の何割か増しで迫力を帯びている。
「失礼にも程があるわ!」
「凛、落ち着くんだ」
「貴方こそ何でそんなに落ち着いていられるのよ!?」
「凛……」
とりあえず凛の怒りを鎮めようと試みてはみたものの、自分とて今の状況をしっかりと飲み込めているわけではないのだ。この状況をどうにかしようにも、どんな言葉をかけるのが正解なのかが浮かんでこない。ああ、何を間違えてしまったのだろう。
「姉さん、怒るのは尤もだけど、アーチャーさんの言う通りとりあえず落ち着いて……」
凛とそれを宥める妹の桜の声をぼんやりと聞きながら、どうしたものかと自身のいる小さな部屋の中をぐるりと見渡した。部屋の隅に置いてあった姿見に目が留まる。そこには、白いタキシードに身を包んだ新郎の姿が……紛れもない自分の姿が映っていた。あまりに間の抜けた顔に我ながら失笑ものだ。
「うちのアーチャーを捨てるなんて!あり得ないんだから!」
再び凛の激昂が響き渡る。
――そう。
私、新郎エミヤ・S・アーチャーは結婚式当日に花嫁に逃げられたのである。
◇
所謂、会社同士の政略結婚であった。
とはいっても、お相手の女性は由緒正しい家柄の御令嬢であり、むしろ何故縁談が持ちかけられたのかも不思議なほどに素敵なお嬢さんであったので、アーチャーとしては身に余る光栄であった。
新郎役としてアーチャーに白羽の矢が立ったのは、アーチャーが社長である遠坂凛の従兄であったことに他ならない。それに加え、この話の取引先の社長が以前一緒に仕事をした際にアーチャーのことをいたく気に入っていたらしく、縁談にひどく乗り気だったのも候補になった一因だった。アーチャー自身自覚してはいないが、どうにもアーチャーには人たらしの気があり、此度の件もその癖が存分に働いてしまったが故の結果なのであるが、それは本人の与り知らぬところである。
無論この件に関して、凛は勿論のこと、アーチャーの家族と呼べる人々は一切関わってはいない。会社の業績のために、一部の幹部が勝手に進めた縁談であった。流石のアーチャーも、突然そんな話を持ちかけられた時は驚いたし、大いに戸惑った。「嫌なら無理にとは言わない、他に適任者を探そう」とは言われたが、甚大な影響力を持つ取引先のトップから直々に「是非に」と推されれば、ただの一社員であるアーチャーにはやはり断りづらい案件である。
そのため、見合いはするが答えを出すのは女性側に委ねることを条件とし、アーチャーは縁談の話を受け入れたのであった。そして実際に一度顔を合わせ「娘は君を気に入ったようだよ」という返事を先方に聞かされたのは、見合いをしてからすぐのことだった。
まさか、と思ったのは否定しない。しかしそれは嫌だったからではなく、女性が自分のような男を受け入れた事実に驚いたのだ。
正直、アーチャーは自分の見目にはそこまで自信がない。褐色の肌に白い髪、そして髪同様に色素の薄い灰色の瞳。決して美しいとはいえぬ男であると。
そもそも、アーチャーが見合いの話に最初乗り気でなかったのは、何よりこれでは相手の女性が不憫だと思ったからだ。自分が大企業の社長令嬢と婚姻を結ぶなど、身分不相応としか言いようがない。相手の女性が嫌がるに決まっている、そう考えていた。だから、その点が問題ないということを聞かされた時、ああ、ありがたい話だなとアーチャーがこの話を受け入れたのは、極々自然な流れだった。
「はー……」
ぼんやりとしたまま新婦側の親族から手渡された置手紙に目を落としていたアーチャーは、深く溜め息をついた。空間に響いたそれは重々しい空気を孕み、アーチャーの後ろに流していた前髪がぱさりと一房、額に落ちる。
――結論から言えば。
女性には最初から心に決めた相手がいたらしい。つまり、女性がアーチャーとの婚姻を受け入れたという話は嘘であったわけだ。凛はこの点について、許されることではないと憤慨していたが、当のアーチャーは特段怒りなどは感じず、まあ、やはりそうだろうなとしか思えなかった。数度しか顔を合せなかったが、相手の女性は悪意を持って嘘をつくような人には到底見えず、何かしらの事情があったのだろうと察せられたからだ。恐らくあの心根の優しそうな女性は、自分の恋心よりも家の優先をして、親が選んだ相手との結婚を一度は受け入れるつもりだったのだろう。今朝、彼女の自室に残されていたという手紙によると、相手は女性の家の使用人の連れ子とのことらしい。
幼い頃から共に育った親しい間柄だという。
少し考えれば分かることだったのかもしれない。しかし、女性のそんな健気な嘘を、自分は見抜いてあげることが出来なかった。ああ、なんて不甲斐ない男なのだろう。一緒に逃げるのを決めた相手の男も、ましてや女性も、アーチャーには恨むことなど出来ようはずもなかった。
ふ……と思わず自嘲の笑みが零れるが、それを聞く者はアーチャー本人以外いない。先程までのゴタついた空気は今は見る影もなく、アーチャーは教会の新郎用控室に一人ポツンと取り残されていた。教会には、既に親族含め招待客の姿はない。凛がある程度平静さを取り戻し、妹の桜と共に足早にこの部屋を出て行ってしまったのも、もうだいぶ前のことだ。「あとは私に任せて貴方は家に帰りなさい!」などと言い残して。
アーチャーとて立派な成人男性である。これは自分の問題なのだから始末は自分でつけると言ったのだが「今回の件は個人でなく会社同士の問題、貴方はそれに巻き込まれただけの一社員、だからこれは上司である私の責任」と言って聞かなかった。自分でこうと決めた凛は非常に頑固で、何を言っても聞かないことを知っている。アーチャーは仕方なく凛の言い分を了承する他なかったが、ただ、これだけはどうか頼みたいと、一つだけ凛に約束を取り付けた。
「女性の事は、どうかそっとしておいてあげて欲しい」
そう告げて苦い笑みを零したアーチャーに、凛は唖然としていた。凛が怒ってくれるのは嬉しかったが、相手の女性も追い詰められていたのだろうことを考えると、逃げた二人を探し出してどうこうしようなど思えるはずもなく。
この件に女性は関係ない、彼女も巻き込まれただけ、だから二人のことは探さずにこの件は会社同士で解決してくれないか。そうアーチャーが懇願すると、凛は呆れたように溜め息をつき、わかったわと承諾してくれた。
ただその際、凛がひどく悲しそうな顔を浮かべていたのがアーチャーには気がかりであったのだが。
(――心配をかけてしまっただろうか)
気丈な彼女があんな顔をするのは、そうあることではない。アーチャーの縁談がまとまった後に全ての顛末を知ることとなった凛は大層戸惑い、同時にすこぶる怒っていた。社長である自身が会社で起きている事態に気づけなかったこと、自分の従兄という立場のアーチャーが会社ぐるみの取引に巻き込まれたこと。
その責任と後悔からか、凛はアーチャーに何度も、本当に良いのか、何か言われたのではないか、困っていることがあるのなら話して欲しいと真剣に向き合ってくれた。しかし、自分の意思で決めたことだとアーチャーがはっきり告げると、暫く疑い深そうにジッと何かを考えこんでいたものの、はぁと息をついて「それがあなたの幸せなら」と笑って祝福してくれたのを覚えている。だからこそ、このような事態になってしまったのが余計に申し訳が立たない。
控室の天窓から差し込む日差しの具合を見れば、既に陽が傾きかけているのが見てとれた。式は昼頃から行われるはずであったので無理もないが、自分は此処でどれくらい放心していたのだろうか。凛や桜は勿論、招待客らが自分の顔を見ることなく何も言わずに先に帰ってくれたのも、恐らく気を遣ってくれた故なのだろう。わざわざ集まってくれた家族や友人達には申し訳ないことをしてしまったとあらためて思う。
この埋め合わせは後日きちんとしなくては。
よし、と声を出し、アーチャーはいまいち力の入らない身体に鞭を打ち立ち上がると、はらりと一房落ちていた前髪をグッと掻き上げた。いつまでもここにいては教会側にも悪い。ただでさえ、これ以上ない迷惑をかけてしまっているのだ。当初の予定であれば、もう少しこの控室は使用していても大丈夫だったはずだが、用もないのに部屋を占領しているのも良くないだろう。
せめて部屋を早く空けようと、ずっと着たままだった白いタキシードを脱ぐ。役目を果たすことができなかった憐れなそれを、指定されていたクローゼットの中にかけ、少し息をついた。このタキシードを含め、式に必要なものはほとんど業者にレンタルで頼んでいたので手荷物はそう多くない。当初新婦側から費用はこちらで持つからと、オーダーメイドのタキシードを購入することを勧められていたが、自身の身の丈を考えて遠慮をしたのは、今考えれば良い判断であった。そういえば花嫁のドレスは一際豪華なものが拵えられていたな、などと思い出さずともいいことが頭を掠めたが、今は考えないでおく。身支度を整え、忘れ物がないか確認した後、アーチャーは控え室の扉をゆっくりと開いた。
(――――誰もいない……か)
現在の立場上、堂々と外に出るのを何となく躊躇し、扉からそっと顔を覗かせると、アーチャーはきょろきょろと辺りを見渡した。新郎の控え室の外は小さな中庭になっており、花壇には慎ましやかな花々が所々に色づいている。夕陽のオレンジが溶けた中庭に人の気配はなく、随分と静かでどこか寂し気だ。まあ、教会という場所柄、もともと賑やかなはずはないのであるが。
ゆっくりと控え室の扉を閉めて外に出ると、アーチャーは誰もいない中庭を歩き始めた。誰も来る様子はない。神聖な場である教会とはいえ、ここまで人気がないものなのだろうかと不思議に思いながら、誰でも良いから人を見つけなければと散策する。いくら事後処理は凛に任せてしまっているとしても、やはり当事者は己であるし、迷惑をかけてしまった手前、流石にこのまま何も言わずに帰ることなどできない。
「……ん?」
気のせいだろうか。どこからか何やら音が聞こえてくる。ふと立ち止まり耳を澄ませると、どうやらこれは楽器の音色らしい。
「……オルガン……だろうか?」
どこか郷愁に駆られる独特な音色が、ゆったりと漂うように流れている。何も不思議なことはない。教会であればオルガンもあるだろう。よくよく聴けばオルガンの音色の中に人の歌声が交じっている。風に乗って僅かに聞こえてくるそれは何とも心地が良く、アーチャーは無意識に音のする方へと足を進めていた。好奇心もあるが、そこに人がいるのが確実であるなら、丁度人を探していた自分に向かわない理由はない。
アーチャーが音色に誘われ少し歩くと、中庭の奥まった場所にある小さな礼拝堂らしきところに辿り着いた。式を挙げる予定であった大聖堂とは別にこんな場所があったのかと感嘆しつつ、その建物を見つめる。大聖堂ほどの豪華さはないが、小さいながらも古びた景観がどこか温かい雰囲気の小聖堂であった。オルガンの音色はこの小聖堂から聞こえてきているようで間違いないらしい。見れば小窓が少し開いていたので、邪魔をしないようにとそっと中を覗きこんだ。
きょろきょろと視線を巡らせれば、何人かの神父やシスターらが立ち並び、信徒らしき人々が恐らく聖歌であろう曲を歌っている。こういった光景はアーチャーにも映画等で見覚えがあった。成程、これが礼拝というものか。宗教には疎いため詳しいことは分からないが、日々の御祈りなるものがあるということくらいは少しばかり聞いたことがある。恐らくは教会中の人々がここに集まっているのだろう。道理で敷地内に人気がなかったのも頷けた。
「どうかしました?」
「っ……!?」
その声は突如、背後から投げかけられた。中の様子に意識を注ぎ過ぎて、人が近づいてきたことに気がつかなかったらしい。突然のことに驚き、びくんと肩を震わせると、アーチャーは反射的に後ろを振り返った。
「あー……と、すみません、驚かせてしまったようで。どうも、こんにちは」
「…………」
――心臓の鼓動が、どくり、と音を立てた。
そこには一人の男が穏やかに立っていた。犬歯の尖った白い歯をニッと見せて、屈託なく微笑んでいる。
思わず、言葉を失った。何故なら、その男が恐ろしい程に美しい容姿の持ち主であったからに他ならない。そもそもこの人物は本当に男なのだろうかという疑問まで浮かんでくる。
腰の長さ程もある大層目を引く鮮やかな青い髪。陶器のように色白の肌は、触らずともその滑らかさが伝わってくるかのような透明さ。下手をすれば壊れてしまうのではと思わせる整った顔には、煌々と力強い光を宿すルビーのような赤い瞳が輝いている。
人はあまりに美しいものを前にすると、動けなくなるのだと聞いたことがあるが、それを身をもって知ることになろうとは。人間離れした造形美に、ごくりと息を呑む。人ならざる存在感を放つその人物が、まるで女性のようにしっとりとした青い髪をさらりと靡かせ、小首を少し傾けると、耳につけたシルバーのピアスが、ちり……っと僅かに光った。
「たまたま通りがかったら、貴方が礼拝堂を覗いているのが見えたので気になりましてね。中、入っても良いんですよ」
そう言って、アーチャーを小聖堂に入るよう促しながら、再び蕩けるように微笑んだその人物から発せられた声は、紛れもなく成人男性のもので。その笑顔を見つめたまま、あぁ、やはり男だったのかとアーチャーは半ば放心しながらも、心のどこかで一人納得していた。しかし、依然何も言わないアーチャーを流石に不審に思ったのだろう。男は再び首を傾げると、訝しげにアーチャーの顔を覗き込んできた。
「ええっと……どうかしましたかね?」
初対面とは思えぬ程の、そのあまりの近さに驚く。しかし、その瞳の深い赤が自分の姿を映している事実に気がつくと、何故か全身が、ぞくり、と騒いだ。目が離せない。ああ、こんなに美しいものがこの世にありえたとは。アーチャーの意識は、いつしかその赤に吸い込まれてしまったかのように、朧だった。
「どこか具合でも悪いなら人を呼んで……」
「…………神様、ですか」
「………………へ?」
間の抜けた声をあげ、ぽかんと驚いた様子の男の顔を見た途端、アーチャーはハッと我に返り、自分が何を口走ってしまったのかに気がつき愕然とした。
「え……あっ、いや」
しまった、と慌てて己の口を塞ぐも時既に遅し。誤魔化せるはずもない。初対面の人間に対していきなり「神様ですか」など、ただの不審者だ。冗談にもならない。何とか弁解しなければと、未だ唖然としている男に向き直り、アーチャーはあわあわと口を開いた。
「い、いや違うんだ。その……貴方があまりに綺麗だったので、つい見惚れてしまって」
「は…………?」
「怪しい者ではない……と言っても説得力に欠けるな……妙なことを言った。申し訳ない」
それは傍から見れば全く申し開きになっていない、むしろ墓穴を掘ったとしか思えないシロモノであった。天然人たらしであるアーチャーだけが、その事実に気づくことができなかったのは、不幸としか言いようがない。
しどろもどろなアーチャーを、男は暫く呆気に取られたように見つめていたが、突然ぷっと噴き出して、その美しい顔を破顔させると、意外なほど豪快にからからと笑い始めた。
「くっ……ははははっ!!何だアンタ面白いな!!」
「……あの?」
「神様……神様ねえ……いやいや、男からそんなふうに口説かれたのは初めてさね!」
「は……ッ!?」
一瞬で顔に熱が集まったのが自分でも分かった。
余程ツボに嵌ったのか、目の前の男は「神様」という単語を繰り返し反芻しては、もう無理だと言わんばかりに自身の腹を抱えてひいひいと笑っている。アーチャーがいくら天然たらしとはいえ、こうまで笑われては、どうやら自分が何か対応を間違えたらしいということは、流石に察した。
「いや、悪い。こんなに笑ったのは久しぶりだわ」
「ぐ……」
初対面の相手に突然妙なことを口走ってしまったのはこちらの落ち度ではあるが、そこまで笑わなくても良いではないか。そんなに可笑しなことを言っただろうかと不満気な表情のアーチャーがまた可笑しいのか、男は笑いを堪えきれないといったように、涙目になりながら声を殺して肩を震わせ続けている。
とんだ恥を掻いてしまったと顔の火照りを感じながら、アーチャーは未だ笑い続けている男の顔を少しばかり恨めしげにまじまじと見つめた。先程までの人離れした印象は薄れたが、やはり美しい男であるのに変わりはない。男が涙を拭えば、髪色と同じ色の長い睫毛がしっとりと濡れ、潤んだ双眸の赤が光を増す。ただそれだけのことが、やたらと倒錯的に艶やかに感じてしまうのだから驚きだ。
笑われた事実は一刻も早くこの場から立ち去りたい衝動にアーチャーを駆り立てるが、男のどうしようもなく目を離しがたい魅力が、それを許さない。一体どうしたことだろう。戸惑いつつ、少しばかり冷静になった頭でその姿を見つめていると、ようやくアーチャーは男の正体に行き当たった。
だぼっとしたラインの黒い祭服に、首から下げた十字架。それは男が紛うことなき聖職者であることを示している。
「くくっ……あー……と、どうも御見苦しいところを。申し訳ない」
「ああ……いえ。私の方こそ神父様にとんだご無礼を……」
肩を震わせていた男は、アーチャーに「神父様」と呼ばれ会釈をされると、慌ててごほんと咳払いをし、失礼致しましたと畏まった。
「はは、こんな格好はしてますが半人前でして。正確にはまだ神父とは言えないんですが……まあ、神様ではないっつうのは断言できるかね」
そう言って悪戯っぽく笑った男に、アーチャーはうぐっと声を詰まらせた。「意地悪が過ぎましたかね」と目の前の聖職者はにこにこと謝罪していたが、さして悪いとも思っていないであろうことが丸わかりである。だが、そのどこか人懐こい雰囲気のせいか特段嫌な気持ちにもならない。
やはり不思議な雰囲気の男だなと、その見目麗しさとのギャップに内心驚きながらも、やはり気恥ずかしいことには変わりなかった。
「……ふぅん……」
居心地悪そうにしているアーチャーを、男は大層楽しげに見つめてくる。浮世離れした美しい容姿を穏やかに綻ばせ、赤い瞳は全てを見透かさんばかりにアーチャーを映して離さない。
「……あの、神父様」
「だからまだ神父じゃないって……まあいいか細かいことは」
暫くそうしていた男は、その後何でもないように視線をアーチャーから外すと、ふっと話題を変えた。
「ああ、そうだ。邪魔をしてしまいましたかね。礼拝に来られたんでしょう。今からでも中に入られたらどうですか。ご案内します」
「え、ああいや私は……」
どうやら男は、アーチャーを礼拝に来た信徒と勘違いしているらしい。要らぬ恥を掻いた居た堪れなさで忘れていたが、そもそも式のキャンセルについて謝罪を述べるために教会の人間を探していたのだ。
何やら妙な流れになってしまったせいで、どう切り出したものかと、暫し逡巡していたアーチャーであったが、それよりも先に何かを思い出したらしい男が、ああ、と手を叩く。
「んん……?あれ?もしかして、アーチャーさん?でしたっけ?」
「え?あ……そうですが」
「ああ、やっぱり。どこかで見た顔だと思ったんだわ」
初対面のはずの人間に名前を呼ばれ、思わず驚いたが、すぐに教会の人間であれば別に知っていてもおかしくないかと思い至る。この男も少なからず式の準備に関わっていたであろうし、ただでさえアーチャーは当日中止になった式の新郎だ。それなりに話題には上っているだろう。
そして「成程な」と一人頷き、男は何を思ったのかアーチャーの顔を再び覗き込んだ。
「んー……」
「あ、あの、何か?」
「中の様子、気になります?」
「え?いや、綺麗なオルガンの音が聴こえたので少し気になっただけで……」
先程から思っていたがこの男、やたらと距離が近くはないだろうか。多少の疑問を持ちつつも、男の明らかに東洋人とは異なった外見から、海外育ちなのかもしれないとアーチャーは自分を無理矢理納得させる。しかし尋常でなく整った顔を間近で見ると、こうも威圧感を覚えるものなのか。緊張からかアーチャーが身を固くしてされるがままになっていると、男はふいにニッと歯を見せ、微笑んだ。
「ふ、そうかい。そういうことなら」
いつの間にか男はアーチャーの手をそっと握っていた。突然過ぎる行動に流石にぎょっとする。
何を、と言いかける前に、男は握ったアーチャーの手をしっかりと掴んだまま、ゆっくりとどこかに向かって歩き始めた。
「どうぞ、こちらへ」
「え?いや、ちょっと待ってくれ」
何が何やら分からない。一体どういうことなのだろうと困惑するも、男のその有無を言わさぬ美しい風貌に圧倒されてしまう。しかし何より、自分の手を握るその男の手が不思議と不快ではなく、結果的に安心感を覚えたが故に大人しく導かれてしまったという方が正しい。
そうこうしているうちに、二人は小聖堂の裏側にあった屋根付きのベンチへと辿り着いた。
「……ここは?」
狼狽えるアーチャーに、男は空いた方の手をスッと差し出すと、ベンチに座るよう促した。まるで女性にでもするかのような振る舞いに、どういった反応を返せば良いものかと迷う。
恐らく厚意でしてくれている行いを無下にするのも躊躇われ、暫し戸惑っていたが、そんな気持ちを察したのか、男は握っていた手を離してアーチャーを解放すると、くしゃりと笑みを浮かべた。
「ははっ、そんな硬くならないでくださいよ。聖堂の中に入るのは抵抗があるでしょう。ここでもオルガンの音よく聞こえるんで、遠慮せず座ってください」
「いや、私は……」
「まあまあ、ゆっくりしてってくださいよ」
どうやら気を遣われたらしい。謝ったらすぐに帰るつもりだったというのに、せっかくここまで案内をしてくれたのを断るのは、悪い気がしてしまう。
案内された中庭の奥は、よく手入れの行き届いた美しい景観だった。朗らかな花々の匂いが香り、片隅にある小さな噴水からは涼やかな水音が聞こえてくる。心穏やかにさせるその空間に、少しくらいならここでのんびりするのも良いだろうかと、素直に厚意を受け入れることにした。
「えっと、では……」
「お気になさらず。後は……そうさな……」
「ランサーさん!」
アーチャーがベンチに腰を下ろしたのを見届け、満足そうに頷いた男は何かを考えているふうだったが、そこへ慌てたように別の若い聖職者が走ってくるのが見えた。
(ランサー……)
男がそう呼ばれているのを聞き、そういえばまだ名前すら聞いていなかったな、などと物思いに耽る。
そのうちに若い聖職者が息を切らしてすぐ傍まで駆け寄ってきていた。
「おう、どうした?」
「どうしたもこうしたもないでしょう!さっき小聖堂の窓のところで大声出して笑ってたそうじゃないですか!礼拝の最中だっていうのに……ランサーを連れてこいって言峰神父お怒りでしたよ」
「げ、まじか。聞こえてたのかよ」
まずったなと、心底面倒くさそうに顔を顰めたランサーは、くるりとアーチャーの方へ向き直ると、申し訳なさげに頭を下げた。
「すんません、野暮用が。すぐ戻るんで、アーチャーさんはゆっくり寛いでてください」
「え、ああ、はい」
そう言うと二人の聖職者は、アーチャーを置いてどこかへと行ってしまった。恐らく言峰神父とやらのところへ向かうのだろう。しかし、先程の会話の内容的に良い呼び出しでないのは確かである。
「悪いことをしたな……」
あの男が叱られるのは、他でもない自分が原因なのは明らかだ。断じて笑わせるつもりなどなかったとはいえ、こうして自分に親切にしてくれている男が、上から叱責を受けてしまうのかと思うと気が気でない。そういえば式のキャンセルの件も、結局謝り損ねてしまったなと思い出し、さらに申し訳なさが募った。
気掛かりだが、まさか後を追うわけにもいくまい。去り際にまた此処へ戻ってくるようなことを言っていたし、心配だが言われた通り、ゆっくり待っているのが正解なのだろう。そう思い直すと、アーチャーはベンチに座り直し、ふうと深く息をついた。
◇
陽が落ちる前の夕暮れ時は、世界が一番美しく映る時間だと聞いたことがある。薄紅の空の色が教会の中庭を淡く照らし、白い聖堂の壁に彩りを添えている情景は、日本らしからぬ異国情緒を帯びていた。こんなに穏やかな時を過ごすのはいつぶりだろう。忙しい社会人生活を営む中で、ゆったりとした時間を味わう幸せをいつの間にか忘れていたように思う。
淡い桃と橙色の混じりあった夕陽の柔らかな光に包まれながら目を閉じれば、オルガンの音色が優しくアーチャーの耳を楽しませた。教会がこれ程心落ち着く場所だとは知らなかったなと、年甲斐もなくうっとりとしてしまっている自分に思わず可笑しくなる。しかし、偶にはこういうのも良いだろう。ああ、本でも持ってきていたら良かった。こんな環境で読書にでも耽れたら最高だったろうに。
「アーチャーさん」
すっかりリラックスしてしまっていたらしい。少しばかり息を切らした声に呼びかけられ、僅かに微睡んでいた意識を覚醒させると、アーチャーは閉じていた瞼をふっと持ち上げた。
「良かった。まだいてくれたな」
視線を上げると、嬉しそうに顔を綻ばせるランサーがそこに立っていた。肩を上下させて大きく呼吸をしているのを見るに、わざわざ走って戻ってきてくれたのだろうか。
「遅くなってすみませんね。良ければこれ、どうぞ」
「これは……?」
ランサーは手に持っていた銀のトレイをアーチャーの隣に置いた。意匠の凝ったティーポットにカップ。何やら高級そうな茶葉の入った缶。そして香ばしい焼き色のスコーン。それは紛れもなく、アフタヌーンのティーセットだった。
「口に合えば良いんだが。この教会では礼拝の後に皆で茶会をする決まりでしてね。こうしてゆっくりするのにはお誂え向きかと」
「良いのだろうか、そんなものを私がいただいてしまって」
「もちろん」
そう言って笑みを浮かべたランサーはアーチャーの隣に腰を下ろすと、茶の準備を始めた。思えば今日はごたついていて、朝に軽くパンを口にしたきり何も食べていなかったことを思い出す。
「……それでは、お言葉に甘えさせていただく」
意識をした途端、急に腹が空腹を訴えだすというのはよくあることで。厚かましいのではとも思ったが、せっかく用意をしてもらったのだから、頂かない方が失礼にあたるというものだ。
焼きたてだろうか、ほんのりと温かなスコーンの香りが鼻を擽る。隣のランサーを見れば、茶を淹れながら鼻歌なんぞを歌って何やらとても上機嫌そうだ。
たしかこの男はここに戻る前に言峰神父とやらにお叱りを受けてきたはずであるが、それは大丈夫だったのだろうか。
「あの」
「はい?」
「その……申し訳なかった。私のせいで神父様が怒られてしまったようで」
「ん、あぁいや、まあいつものことなんでね。慣れっこというか……礼拝中に大声を出したのは俺だしな。まあそんなことより、遠慮しないで食べてくださいよ」
「……ええ、では」
そう言ってランサーに手渡されたカップを受け取る。どこの茶葉だろうか。湯気と共に芳醇な香りが立ちのぼるそれは、とても良いものに違いない。手に取ったスコーンを一口齧り、紅茶を口に含む。
「……美味いな」
「それは良かった。紅茶はお好きですかね」
「ええ、茶葉を色々と試したりするもので。このスコーンも作りたてだろうか」
外の生地のサクサク感と、中のふんわりとした生地が噛む毎に口の中でほどけていくのがたまらない。
小麦の香ばしさとバターの濃厚な味わいがちょうど良く、紅茶にとても合う。
「近くにある洋菓子店のものなんだが、教会とは古い付き合いみたいでしてね。いつも礼拝の時間に合わせて焼きたてをくれるんだわ。ここのは冷めても美味いんですけど」
「なるほど、それは良いことを聞いた。宜しければ場所を教えて頂いても?」
「……アーチャーさん、甘いもの好き?」
「まあ……好きな方ではないかと。従妹がいるんですが、よく彼女らに焼いてあげたりもするのでね」
「へえ!自分で!じゃあ、料理もよくするのかい?」
ランサーは興味深そうに身を乗り出し、目を輝かせた。そんなに意外だっただろうかと予想外の食いつきに戸惑うも、否定することでもないのでこくりと頷く。
「ええまあ、趣味の範囲ですがね。今は一人暮らしなので機会は減ったが、前は家族にもよく作っていた」
「へえ、良いなあ。俺も食ってみてえ」
そうぽそりと漏らしたランサーは、その長い睫毛が印象的な瞼をふっと細めると、まるで子供のように屈託なく笑った。そのどこか甘えるような表情に、思わずどきりと胸が高鳴る。きっと社交辞令だろう、そう自分に言い聞かせても、はっきりとそんなことを言われたらやはり照れてしまう。
「……そんなに大したものは作れないのだが」
返答に困り、アーチャーは誤魔化すようにスコーンを頬張った。しかし、そんな口いっぱいに咀嚼するアーチャーをランサーはどこか愉し気ににまにまと見つめてくる。
何だこの状況は。気恥ずかしさに耐えられなくなり、口の中のものを紅茶でごくりと押し込むと、アーチャーは何でも良いから話題を逸らそうと口を開いた。
「そ、そういえば神父様は礼拝に参加しなくてもいいのだろうか?」
「だから見習いなんだって。まあ、当番制でしてね。ここの教会は大きいから聖職者の数も多いんだわ。俺は半人前だから、そういう仕事より雑用が多くてな。教会にも催し物とかまぁ色々あるから、その準備やら片づけやら」
「……あ」
ランサーの言葉にアーチャーはハッとした。恐らく雑用とやらには、結婚式などの準備も含まれているのだろう。そうであった、自分は呑気にティータイムなんぞをする前に、するべきことがあったではないか。
「……その、今更なのだが申し訳ない。今日は突然式をキャンセルしてしまって、教会の皆さんには迷惑をかけてしまった。何と謝罪をすれば良いか……」
教会の雰囲気が心地良くて、美味しい紅茶と菓子に舌鼓を打って。神父見習いの人懐こい男と穏やかに語らううちに、何よりも大切なことを忘れるところであった。
「え?ああ、そんなことか。気にしなさんな。まあ、人生色々っていうだろ?」
「いや、しかし……」
「まあ、突然だったもんで、俺も少なからず驚きはしたがね。事情はちゃんと聞いてるしな。まあ俺含めて、教会の人間で怒ってる奴なんていねえって。そんなことより茶のおかわり要るか?」
そう言って何でもないように、ランサーは笑ってティーポットを差し出した。その行動に、アーチャーは今更ながらにランサーの真意に気がつく。もしや、この男は自分を元気づけようとこんなことをしてくれていたのだろうか?と。
「……何と言えばいいか」
「ははっ、まぁたとえ見習いと言えど、聖職者たるもの、悩める子羊を導くのも務めってね。まぁそんな心配をするよりも、お前さんは自分のことをもっと大事に考えた方が良い。俺で良ければ話とか聴くし、アーチャーさんも遠慮しないでくださいよ」
柄でもないことしちまったかなと、ランサーは恥ずかしそうに苦笑した。その笑顔に申し訳なさで固くなっていたアーチャーの身体から、自然と緊張が解れていく。太陽のように眩いこの男といたことで、ごたついていた頭の中は、いつの間にか綺麗に晴れてしまっていた。男のからっとした人懐こい雰囲気のせいもあるのだろう。中庭に流れる夕方の優しい風を肌に感じながら、この男がまるで自分の昔からの友人のように錯覚させられる。
「その……神父様」
ランサーは黙ったままのアーチャーをじっと見つめ、口を開くのを静かに待ってくれていた。
「んー……まずはそこからかね」
「え?」
「その神父様って呼び方、やっぱこそばゆくてな」
頭をがりがりと掻いて、どうもしっくりこないというように、ランサーはぽそりと漏らした。
「もっと気軽に呼んでもらって良いぞ」
「む、では……ランサー神父?」
「おっ、俺の名前覚えてくれてたんだな。クー・フーリン・ランサー。ランサーで良い。年も近そうだし、その方が話しやすいだろ?」
いきなり呼び捨てなど、見習いとはいえ仮にも聖職者相手に無礼なのでは。しかし、本人がその方が良いと言ってくれているのだから拒否するのも逆に失礼だろうと、思い切って口にしてみる。
「えぇと……ではランサー」
「おう!」
「私のこともアーチャーで良い。よろしく頼む」
「ああ、よろしくなアーチャー!」
ランサーはみるみる顔を緩ませ、嬉しそうに笑った。……自分はおかしくなってしまったのかもしれない。こんなにも人を眩しいと思ったのは、生まれて初めてのことで、心が掻き乱されるとはこういうものを言うのだろうか。
固まったまま、ぼうっと黙ってしまったアーチャーを不思議に思ったのだろう。ランサーは首を傾げながら、アーチャーの顔の前で手を軽く振った。
「おーい、アーチャー?」
「……ああ、何でもないよ」
「どうかしたか?」
「いや……君はやはり美しいな、とそう思っただけさ。特にその笑顔が魅力的だな。目が眩むよ」
「へっ?」
ふっ、と笑ってこともなげにそう言うアーチャーに、今度はランサーが面食らい固まる番だった。
そして信じられないと言ったように両手で顔を覆い、深く溜め息をつく。
「さっきも思ったが……それ無自覚か?」
「無自覚?」
何の話だと言わんばかりのアーチャーの反応に、何を言っても無駄だと悟ったランサーは、両手で顔を覆ったまま首を横に振り、大きく項垂れた。
「どうした?顔が赤いぞ」
「いや、いい。忘れてくれ。ほんと、本人にその気がないってのが一番タチ悪ぃ……」
「すまないランサー、よく聞こえないのだが……」
「……俺のことはもういいだろ。ほら、言いたいことがあるなら、さっさとぶちまけちまえ」
はあ、と大きく溜め息をつくと、ランサーは取り乱していたのが嘘のように平静さを取り戻し、ほれ、とアーチャーに続きを促した。聖職者にしては些か乱暴すぎる言葉遣いが可笑しく思わず笑いそうになったが、ランサーは至って真面目な様子だったのでアーチャーもぐっと堪える。薄々気がついてはいたが、これがこの男の素なのだろう。
「ぶちまける……という程のことは何もないのだが。今回の件は所謂、会社同士の結婚というやつでな」
「ああ、そういう話だったらしいってのは、少しばかり耳にしたな」
「ならば話は早い。私は会社の社長の従兄で、お相手は先方の社長の御令嬢でな。だからまあショックではあったが……心に傷を負っているという程のものでもないんだ。皆に申し訳ないと感じる以上に思うことはないよ」
「……申し訳ない?」
アーチャーの言葉に、ぴくっとランサーの片眉が上がる。そして、解せぬと言いたげに首を傾げた。
「それっておかしくないか……?式当日にいきなりいなくなったのは花嫁の方だろ?何でアーチャーが申し訳なくなる必要がある」
「まあ、そうなんだが……相手の女性が私のことを気に入ってくれたという話だったので受けた縁談だったんだがな。何ということはない、女性には最初から心に決めたお相手がいたのさ。自分の親に気を遣って、本心を隠していたらしい。それに今日まで気づいてあげられなかったのは私の落ち度だろう?」
「いやいや、そんなの気づかないのが当たり前じゃないのか。それに……いやちょっと待ってくれよ」
理解が追い付かないとばかりにランサーは眉間に皺を寄せ、頭を抱えた。
「突っ込みたいことは色々あるが……選択権があったってことは一応は断ることもできたんだろ?お前さんは相手の花嫁さんが自分を気に入ってくれたからって理由で、好きでもない相手と結婚しようとしてたってことか?何故だ?別にお前さん、金に目が眩むような人間でもあるまい?」
「ふ、随分と買い被ってくれるのだな。私は君の思う程、高尚な人間ではないさ。まあ……女性はとても素敵な人だったからな。こんな御令嬢と一緒になれるなんて、私はどれだけ幸せ者なのだろうと思ったものさ」
「いや、そうじゃなくてだな……。相手がどんなに綺麗だろうが優しかろうが、その花嫁をお前さんが好きかどうかとは別の話じゃねえか。お前さんは花嫁のことを愛していたのか?」
ランサーの言っていることが今一つ、理解できなかった。真実こそ異なってはいたが、女性はアーチャーを好きだと言ってくれた。そしてアーチャーはその気持ちを大切にしたいと思った。それは、愛することとは違うのか?
「……自分のことを好きだと言ってくれる人がいたら嬉しいし、好意を寄せられたらその人のことを大事にしたいと思うものだろう?」
「んんんん、そういうことを言ってるんじゃないんだが……分からんかねえ」
会話が噛み合わぬとばかりに再び頭を抱えたランサーに、何かおかしなことを言っただろうかと、アーチャーも戸惑う。決して、困らせるつもりはなかったのだが。
「何かこう……お前さん、ちょっとズレてるんだよなぁ。言っちゃなんだが、アーチャーは今回の件では被害者だと思うぞ?どうしてそこまで自分を責める?」
「……まぁ、何というか。申し訳ないと思うのは、相手の女性に対してだけではないからだろうな」
「……どういうことだ?」
頭を抱えていたランサーが訝し気に頭を上げた。その何でも見通しそうな赤い瞳にアーチャーは隠し事はできんなと腹を括り、ふっ、と苦笑する。
「……実は私は孤児でな」
「孤児……?」
ランサーの瞳の色が変わる。アーチャーは内緒だぞと口元で人差し指を立てた。これはアーチャー自身とごく限られた人間しか知らないことであるからだ。
「ああ、私は社会的には凛……会社の社長の従兄ということになっているんだが、本当の血縁というわけではないのだよ」
――そう、エミヤ・S・アーチャーは元々孤児である。
とある事故で両親を亡くしたアーチャーは、切嗣という男に養子として迎え入れられた。切嗣はアーチャーを本当の息子のように、それは温かく、大事に育ててくれたし、両親を亡くしたアーチャーが塞ぎ込むことなく健やかに成長することができたのは、この切嗣のおかげであることは疑いようがない。
しかし切嗣は、アーチャーを引き取ってから数年後に病気で亡くなってしまい、その後は家が近く交流もあった遠坂家に世話になることになった。遠坂家の姉妹と共に兄妹のように扱われ、親戚が引き取った養子というほとんど他人にも等しいアーチャーを、遠坂家は切嗣同様に大事に育ててくれたのである。
アーチャー自身は別に良かったのだが、孤児であるという出自についてもその方が生きやすいだろうからという理由で、公にはしないでくれているのも遠坂家の厚意だ。
切嗣を亡くした頃まだ中学生であったアーチャーを、高校、大学と通わせてくれただけでもありがたいのに、今の会社にも大学で就職先に悩んでいたところを凛によって引き抜かれる形で勤めることになったという経緯があり、遠坂家にはいくら礼をしてもしきれぬ程の恩がある。アーチャーは切嗣と遠坂家がいなければ、ここまで生きては来られなかったのは間違いないのだ。
「……そんな折に縁談の話が来たんだ」
ランサーは黙って聞いてくれていた。
「勿論、見合いの段階で私が孤児であることは伝えたよ。流石にそれを隠して婚姻を結ぶなどありえんからな。しかし、それでも良いと、女性もご家族も一度は私を受け入れてくれた。幸い、お相手は自分のことを気に入ってくれたとのことだし、この縁談がまとまれば遠坂家にも少しは恩が返せるだろうと……そう思ったのさ」
「……成程な」
「ああ、会社の利益のために女性との結婚を良しとしたのは、縁談を決めた上層部だけでなく、私の意思でもあったわけだ。それが私の目を曇らせ、結果彼女の本心に気づけなかったことに繋がったのかもしれない……愚かだろう?」
「ああ……愚かだな」
そう言い放ったランサーの瞳は、どこかやりきれないというように伏せられ、曇っていた。
ああ、失望させてしまったかと、アーチャーは心の内で自嘲する。まあ当然だろうと、こんな明朗快活な男に暗い顔をさせてしまう程に、自分は酷い男なのだと肩を落とした。
「……そうとも、私は自分に好意を抱いてくれた女性の心を、言わば利用しようとした無礼極まりない男なのさ。しかも、女性は私の元孤児という身の上を知った上で縁談を受けてくれた心の優しい女性だったというのに。……本当に愚か者だよ」
「違う。そういうことを言ってるんじゃねえ」
ランサーは誤解だと言うようにアーチャーに真正面から向き合うと、その両肩をがしりと掴み、ジッと目を見つめてきた。
「お前さんはもっと自分を大事にしろ」
ランサーの眼差しは真剣そのものだった。そのどこか悲しんでいるような……いや、少し怒っているようにも見える瞳の色に、戸惑い見つめ返す。
しかし、ランサーの両手は力強くアーチャーの肩を掴んだままで、訝しげな表情を浮かべるアーチャーにランサーは、がっくりと頭を垂れた。
「……こう言っちゃなんだがお前さん、逃げてくれた花嫁さんに感謝した方が良いかもな」
「……どういう意味だ?」
「今回は違ったが……もし、本当に花嫁さんがお前さんに好意を寄せてたんだとしてもだ。それで籍入れても花嫁さんは喜ばなかっただろうよ。勿論お前さんの家族もな」
「何故だ……?」
不思議そうに首を傾げるアーチャーに、ここまで重症だとはとランサーは呆れたようだった。
「ったく……子供でもここまで手のかかる奴そういねぇぞ」
「……私は、何か間違えていたのだろうか」
「間違えたっつーかなあ……んー……」
がりがりと頭を掻き、どうしたものかと暫し何かを考えるような素振りを見せるランサーに申し訳ない気持ちになる。
自分は皆が幸せになる方へと、諸々の選択したはずである。しかし、それがランサーに言わせるとどうやら良くないことだったらしい。自分の選択が結果的に間違えていて、こんな気の良い男のことまで困らせてしまっているとは。
「なあ、アーチャー」
いつの間にか項垂れていたアーチャーが顔を上げると、至近距離にランサーの顔がありたじろいだ。肩を掴まれて、ただでさえ近い距離が余計に狭まっていたが、ランサーに悪意はないため邪険にもしづらい。
「な、何かね?」
「ちょっとそのままでいろよ」
ランサーはアーチャーの肩を掴んでいた手を、そのまま背中にがばりと回すと、その身体を自身の方へとぎゅっと引き寄せた。一瞬何をされているのか分からず呆けてしまったアーチャーであったが、すぐに自分の置かれている状況に気がつき慌てふためく。
「な……ら、ランサー!?一体何を……!」
「んー……いーから、いーから」
端的に言えば、アーチャーはいつの間にかランサーの腕の中に抱き締められていた。驚きのあまり咄嗟に身体を離そうとしたが、ランサーはまるで意に介した様子なく、より一層抱き締める手に力を入れる。
「何も良くないのだが……君は一体どういうつもりなん」
「まあ、目閉じてみろよ」
「……何故」
「良いから」
ランサーの意図がまるでわからない。しかしどうやら悪ふざけをしているわけではないらしいことだけは、その声色からも伝わってくる。仕方ないと諦め、これも所謂、聖職者なりのやり方なのかもしれないと、言われた通りに目を瞑った。
……が、正直とても恥ずかしい。
「そうそう、良い子だ」
ランサーはそう言うと満足げにアーチャーの頭を撫でた。まるであやすようなそれが居た堪れなくて、思わずぐっと唇を噛む。しかし、動揺するアーチャーの身体を、ランサーはまるで子供にしてやるかのように、ぽんぽんと優しく宥めた。
「お前さん、色々と気が張りすぎだ」
「……どういうことだ?」
「一見、頭は良さそうなのに自分自身のこととなると、てんで駄目になると見える」
「……私が?」
ランサーの声色は優しかった。耳元で囁かれる声に気恥ずかしさが込み上げるも、その優しい体温が、じわじわとアーチャーの心を穏やかに緩ませていく。
「なんつーかなー……お前さんが他人のためになることをしようとしているのはわかるんだが。それを別に否定はしねえけど、アーチャーがやっているのは全部自己犠牲だろ?」
「……別にそんなことは」
「いーや、お前は自分の身を蔑ろにしている。自分を好きだと言う人がいるなら、その人のものになろう。自分を育ててくれた人達の役に立つのなら縁談も受けよう……そこにお前の望む意思はないじゃねえか。アーチャーが大切に思う人らは、その犠牲の上で本当に幸せになれると思うのか?その人らは、そこまで薄情な人間じゃないはずだ」
「それは……」
「俺も一応は聖職者だ。その献身には感心する。しかし、大事だと思う人間には幸せでいてもらいたいって願うのは、お前さんだけじゃないんだよ。それはわかるだろ……アーチャー?」
問いかけられて、アーチャーはこくりと頷いた。その素直な態度にホッとしたのだろう。息をついたランサーは、されるがままになっているアーチャーの頭を今一度嬉しそうによしよしと撫でた。
「っし!ちょっとは反省したか?」
「む……」
ランサーはアーチャーの顔を覗き込んで、ニッと笑う。その宝石のような赤い瞳に自身のぼんやりとした顔が映り込んでいるのを視認し、我に返ったアーチャーは、一瞬にして全身に熱が巡るのを感じた。
「も、もう離れてもいいだろうか」
「おうよ」
ランサーの腕から力が抜けたことで、アーチャーは慌てて距離をとった。
焦るアーチャーとは対照的に何故かランサーはにこにこと楽し気であったが、それを気にするだけの余裕は今のアーチャーにはない。火照りを何とかせねばと、状況を整理し、必死に冷静さを取り戻す。
「……その……聖職者の仕事とはこんなこともするのだな。初めて知ったよ。大変だな、君も」
「ん?いや?普通はこんな真似せんぞ」
「えっ」
そうあっけらかんと言い放ったランサーにアーチャーは愕然とした。仕事ではない……とすると、では何故ランサーは急にこんな奇行に走ったのか。
再びアーチャーが動揺していると、ランサーはからからと笑ってアーチャーの肩をポンポンと叩いた。
「いやぁ、ふと思い出したんだがな。俺が子供の時……まあ結構やんちゃなガキだったんだが、ああされると不思議と落ち着いてな。お前さんの思い詰めようがあまりに重症だったんで、試してみたんだわ」
「なっ……!?」
悪戯っぽく笑ったランサーに、アーチャーは絶句した。つまりそれは、自分が子供扱いされていたことに他ならないだろうか。
「っ……!君はなかなか底意地が悪いな……」
「おいおい、見習いとはいえ、聖職者様相手にそれはねえだろう?」
「私をいくつだと思っているんだ……!」
羞恥で震えるアーチャーを尻目に、ランサーは大層満足げに残っていたスコーンを口に運んだ。
すっかり冷めてしまっているであろうそれを、もしゃもしゃと咀嚼し、ごくりと飲み込む。
「まあ、アーチャーは自分のことをもっとよく考えな。それに捉えようによっちゃあ花嫁さん、運が良かったとも言えるんじゃねえか?」
「え?」
突然何を言い出すのかと驚くアーチャーに、ランサーは少し考えた後、言葉の先を紡いだ。
「いや、その花嫁さん、お前さんとの縁談の話がなくてもいずれはどこぞの誰かと婚約させられてただろうしよ。好いた相手と一緒に逃げられて結果的には良かったんじゃないかってな。式当日に逃げ出すなんて無茶やらかしたら普通ただじゃすまんだろうが……お前さんの会社、花嫁さんを責める気ないんだろ?」
「まぁそうだな……探す気もないよ。それは社長にも伝えてあるし、彼女にはどこかで穏やかに暮らしてくれればと思う」
「だろ!ラッキーだったな花嫁さん。まあ、後は親御さんに見つからんのを祈るだけだが、これ以上はアーチャーが気負うことなんざ何にもあるまい?」
「む……」
あっさりとそう言い切ったランサーに、成程そういう見方もあるかと感嘆する。
女性の今後の生活についてはまだ心配なところはあるが、胸の中で痞えていた重みが少し軽くなったような気がした。
「……おっと、名残惜しいがもうそろそろ時間だな」
いつの間にか、辺りはとっぷりと陽が沈んでいた。気づけば礼拝も既に終わっていたのだろう。あのオルガンの音もしなくなっている。
「門は閉まっちまうが、別に必ず出て行かにゃならんわけでもない。真夜中に祈りに来る信徒さんもいるんでな。どうする?まだ此処にいるかい?」
「いや大丈夫だ。失礼するよ」
「そうか」
アーチャーの返事を受け、ランサーはベンチから腰を上げた。
「また来いよ」
「ああ。その……今日は世話になった。迷惑をかけた上に話まで聴いてもらってしまうとはな……。君の淹れてくれた茶も、とても美味しかったよ」
「気にしないでくれや。俺もアーチャーと話せて良かった。次くる時、紅茶の銘柄調べておいてやるよ。いつでも話聴いてやる」
「……ああ、ありがとう」
ランサーに案内され教会の門を潜ると、見上げた夜空には既にきらきらと無数の星々が瞬いていた。まるで降り注ぐようなその光を、目を細めつつ見つめる。
「気ィつけて帰れよ」
後ろを振り返れば、門の前でランサーが手を振って見送ってくれている。ふっ、と笑って軽く手を振り返せば、年若い聖職者はその夜に溶ける青く長い髪をさらりと靡かせ、アーチャーに穏やかに微笑んだ。
星の瞬きのように赤い宝石を湛えた瞳。男の姿は夜にあっても、ひどく眩い。
(ランサー……か)
先程抱き締められ、頭を撫でられた感触がまだ身体に残っている。そういえば、頭を撫でられたのはいつぶりのことだろうか。自分のようなむくつけき男を、ああしてあやすような真似をする奇特な人間はそうはいまい。最後に自分にああしてくれたのは……ああ、たしか切嗣だったかな。
「……フッ」
何だか可笑しくなって吹き出しそうになったのをぐっと堪える。不審な自分の挙動が、あの気の良い聖職者様にバレていないことを祈りながら。
今日は、人生のうちで一度あるかないかのとんでもない一日だった。しかし、不思議と疲れはない。
自身の身体が妙な高揚感と共に、確かな熱を灯しているのを自覚しながら、ゆっくりと教会に背を向ける。
星の光に照らされた夜道を歩くアーチャーの足取りは、とても軽やかだった。