何でも許せる人向けです。
地獄を、見た。
そう表現する以外無いような光景であった。
赤いマントの奥のくすんだ肌と白く抜けた髪。包帯で隠れていない目は死んだ鋼色。
知っている。彼を、知っている。
マスターから紹介されるより早く、脳が、血潮が、全身が訴えかけてくる。
朧に残る記憶があり得ないと叫んでも、もう逆らえない。彼は、彼だ。
踵を返す。
背後からマスターが呼びかける声が聞こえた。そう言えば、新たに来た仲間に施設内を案内してほしいと頼まれていたのであった。
仲間。つまりは、英霊。
何ということだろう。英霊。英霊。英霊。
身に纏った雰囲気から、彼がおそらく自分と同じ守護者という存在であることは推測できた。
地獄を見た。
耳の奥遠く、錆び付いた歯車が歪に動き出しす音がした。
*****
新たな特異点として観測された土地は、日本の冬木市であった。
聞けばマスターが初めて人理の定礎復元をした土地も同じ場所であったというから、彼の地は呪われた土地と言っても過言では無いのかもしれない。
現に己がまだ未熟者であった時分に参加したあの戦いも、5度目だったというのだから驚きだ。管理者である金喰い魔術師一家には頭の下がる思いである。
マスターから英霊たちに伝えられた情報によると、新たな特異点はそれ自体独立したものであり、時期としては1994年、第四次聖杯戦争真っ最中であるという。
それに伴い、案内役として諸葛孔明もといロード・エルメロイⅡ世に同行してもらうこと、また、第四次聖杯戦争に縁の深い英霊に主に戦闘を任せることが通達された。
ロード・エルメロイⅡ世は第四次聖杯戦争を生き抜いた御仁である。更に人格者であることや、教師としてマスターを導いてくれるという点で申し分無い采配だ。
今回は私の出番は無さそうだな。
そう思ったエミヤは、マスター及び英霊たちが十分に力を発揮できるよう兵站としての役割を全うするため、頭を切り替えた。
胸によぎるものがなかったと言えば、嘘になる。
第四次聖杯戦争といえば、かつての自分のサーヴァントであるアルトリアがいる。そして、そのマスターも。
しかし、実際に戦い参加した英霊や冬木から帰国後徹底的に冬木で行われる聖杯戦争について調べ上げたロード・エルメロイⅡ世を押しのけて同行を名乗り出るほど理性を失ってはいない。
だからこそ、サポート役として彼女たちに関わることにした。そうすれば少しは自分の気も休まるだろうという利己的な考えに至ったことに自嘲の笑みを浮かべる。
ことは急を要する。
マスターたちがすぐにでも出立できるよう、装備諸々の確認をするためエミヤは備品倉庫へ向かった。
*****
冬木での戦況については詳しく聞くことをしなかった。
今回の特異点に限らず、レイシフトした先の状況は逐一映写室に映し出され、確認出来ることになっている。よほどの個人的なレイシフトや通信障害がない限り、映像は基本的に流れたままだ。いつ特異点に呼ばれるかわからない英霊たちが、常に状況を把握できるようにするためだという。
いつもならば用事がない限り映写室にいるようにするエミヤだが、今回は自然と足が遠のいていた。戦況を理解しなければサポートもなにもないとわかっているのだが、見ていることしかできないことに歯がゆさを感じてしまい、戦線から戻ってきた英霊や他の英霊同士の会話を盗み聞いておおまかな流れを掴むだけでいた。
そんな少ない情報からでも、今回の特異点が本来の歴史と大きく異なることはわかった。
アインツベルンが優秀であった世界。
外部の魔術師に頼ることなく己の作り出したホムンクルスがマスターとしてセイバーを召喚する世界。
それは結果として彼のいない聖杯戦争であるということを示すことになる。
ひいては衛宮士郎の誕生しない世界。
それはひどく複雑な感情をエミヤに抱かせた。
答えを得たとは言え、やはり自分に至る存在が生まれないということは何処か心を軽くする。と、同時に彼の不在が胸に重くのしかかるのだ。
新たな特異点での彼は、一体どこにいるのか。
現場に行けない自分が思い巡らせても何も始まらないことは理解しているが、気がつくと彼のことを考えてしまう自分がいる。
自然、顔が強張ってばかりいたのだろう。セイバーのマスターが嘘偽りなくアインツベルンのホムンクルスであると判明してから数日後、青い槍兵に辛気臭ぇ顔晒してんじゃねぇと自室に押し込められて、初めて自分が思いつめていたことに気がついた。
そういえば、最近いつもはカルガモよろしく後ろを付いて歩くジャックやアリスが寄り付かなくなっていたと思い出す。おそらく機嫌のよろしくない自分に近寄れなかったのだろう。なんて大人気ない。
悩んでも仕方ないと気持ちを入れ替え、エミヤは二人の元に謝りにいった。
ジャックとアリスは顔を見合わせた後、もう大丈夫?と気遣いをみせ、大丈夫だと笑ってやると安心したように笑みを浮かべた。
幼子に気を使わせてしまったことを反省しつつ、槍兵の元へも足を運ぶ。
映写室にいるという情報を掴み、もうしばらくご無沙汰だった扉を開く。様々な英霊が思い思いのスタイルで映像を眺める中、目当ての人物は部屋の後方で膝を立て座っていた。
後ろから近寄り、声をかける。すまなかった。そう呟いた言葉が固いのが自分でもわかる。槍兵は映し出されるマスターの映像から視線だけこちらに動かすと、何のことだ?とすっとぼけた。
つまり、貸し借りは無しだということだろう。その心意気に口には出さず感謝する。
今夜は君の好物にしてやろう。そう言いながら踵を返した視界の横に、妙に心をざわつかせる赤いフードがよぎった気がした。
*****
走る。
電飾に照らされ白く光る廊下をただひたすら走る。
途中何人かとすれ違ったが取り繕う余裕なんてなかった。いくらも走っていないのに、息はすでに絶え絶えだ。先ほどから膝が笑って不恰好な走り方になっているのがわかる。
それでも走ることをやめなかった。
今は少しでもあの場所から離れたかった。
エミヤ先輩に似たアサシンに会いました。
マシュからそう告げられた時から、頭の片隅にもしかしたらという気持ちはあった。
戦い方、武器、宝具名。
どれを取っても彼のスタイルと合致した。
けれど、同時にあり得ないとも考えていた。自分がここにいる理由、守護者となった始まりの物語。自分の生き方を定めた呪いの言葉。
彼が成れなかったものを自分が目指したのだ。彼が自分に託したから自分はここにいるのだ。
だから、その仮説はあり得ない。
そう、思っていたのに。
ずくり。
体の中でしてはいけないような音がした。続いて背骨を伝う突き刺すような痛み。骨髄の奥からジワリと溢れ出る痛みが、エミヤの足を止める。
その痛みに思わず廊下にしゃがみ込んでしまった。
きし、きし。
鉄同士のこすれ合う甲高い音。その音ごと痛みを和らげようと両手で体を包み込むが、痛みは強さを増すばかりでなんの効果も得られない。
次第に短くなる呼吸。
息を吐こうとしているのに出来ない。まるで餌に飢えた獣のように、口から涎が零れ落ちる。
ぷつぷつ、と内側から肉を裂く感触。数多の剣が体を突き破ろうとしている。
「ガッ…ハッ」
「アーチャー!?」
満足に出来ない呼吸に狭まる視界に、蒼色が入り込んできた。
アルトリアのエミヤの背に伸ばそうとする手が止まる。今、エミヤの体からは剣の切っ先が何本も突き出していた。
「アーチャー!どうしたのですか!」
「ハッ!…っぅ…!」
答えようにも呼吸すらままならず、声を出すことが出来ない。
触るな、傷つく。
そう伝えようと首を横にふる。はたた、と唾液やら涙やらが床に落ちた。
全く、こんな姿を彼女に見せてしまうなんて。
これ以上無様な姿を晒すわけには行かないと立ち上がろうとするも、バランスを崩して壁際にもたれかかってしまう。
カシャンと硬質同士のぶつかる音。腕を見るとそこにも微かに鈍色を確認することが出来た。
「とにかく、私はマスターを呼んできます!貴方はそこから動かないように!」
待ってくれ、マスターの側には彼がいる。それは君にとっても望ましくない。
けれどやはり思いは声にならず、不規則な呼吸だけが漏れ出す。次第に遠くなってゆく足音と比例するように、視界も黒く霞んできた。
これはいよいよマズイかもしれん。
自分の弱さに嫌気がさすが、そんな事を今嘆いても仕方がない。実体化に伴う労力を減らせば少しはマシになると考え、体を霊体化させる。
薄れゆく体をぼんやりと眺めながら、悪い夢なら早く覚めてくれ、と。
それよりいっそこのまま消えてしまえたらどんなにかいいだろう。そう、思った。
*****
目覚めは唐突だった。
底なし沼から一気に引き上げられたような感覚。久方ぶりの酸素に呼吸が追いつかない。
「ぐっ、ごほっ、ごほっ」
「起きたかアーチャー」
えずきながら声のする方へ顔をむける。そこには青く長い髪を下ろしたドルイド、キャスターのクー・フーリンが呆れたような目をしてこちらを見ていた。
「お前なぁ、霊体化するならするでもう少し場所とタイミングってやつを考えろよ。剣はやしながら消えてくもんだから、マスターはお前がカルデアから消えちまったもんだと思って甚く取り乱した。セイバーのやつもあれからやけにピリピリしてるしよ。早く二人に顔見せてやれ」
はぁ〜疲れた。と肩を鳴らしながら伸びをしてドアに向かうクー・フーリンの背中に問いかける。
「君はどうしてここに…」
「あ?お前の治療だよ。魔力が暴走して実体化に必要な魔力が霧散してたから、マスターが魔力を注ぐのと並行して俺がその魔力を散らばらないようにしてたんだ。ここには他にもキャスターがいるが、お前の場合俺に一度心臓を穿たれてるからか、俺が一番お前の魔力を扱い易かったんでな」
「それは…、実に申し訳ないことをした。すまない」
あれは固有結界の暴走によるものだ。そう簡単に収まるものではない。まして、自分ではない英霊の魔力をコントロールするとなると、キャスターとはいえかなりの精神力を要した事だろう。自分にそこまでの労力をさかせてしまったことを謝った。
クー・フーリンの足が止まる。と神性の証であるが赤い瞳がこちらを射抜いた。
「なぁ、お前のそれは何に対する謝罪だ?」
「それは、わざわざ君の魔力を私に費やしてしまったことに…」
「俺はマスターの頼みを聞いただけだ。だが、それでもお前のことを今この時は同じ目的を有する仲間だと思ってる。お前がこのまま居なくなることと俺の魔力を消費すること、どちらに天秤が傾くのか何て一目瞭然なんだよ。お前はそう考えないみたいだがな。お前が度し難い阿呆だってことは知ってるが、いい加減その眼ぇ開いて周り見てみろや。その自己評価の低さは、お前を思っている奴を馬鹿することと同義だ」
「……」
「ここでのお前は冬木のお前よりマシな奴かと思ったんだがな」
マスター呼んでくっから待ってろ。
そう言い残して部屋からでたクー・フーリンの言葉を反芻する。
確かに彼の言う通りなのだろう。行き過ぎた自己否定は己のみでなく周囲の人間すら傷つける。かつて、幾人に言葉は違えど同じことを言われた。
お前の天秤は間違っていると。
けれど己の在り方を間違いだとは思えない。
だからこそ、歪んだ天秤を抱えたままここまで歩んできたというのに。
彼がいた。
借り物の理想を突き詰めた先に、正しい持ち主が現れたなんて何てお笑い種だろう。
「これで自分を否定するなだなんて、俺には難しすぎるよ…」
*****
あの後矢のように飛んできたマスターに散々泣かれてしまい、寝ていたベットのシーツが大洪水となった。一心に向けられる親愛がただただ痛い。
今回の件についてマスターから問いただされるかと身構えていたのだが、会話は不自然な程核心に触れることなく進む。肩透かしをくらった気分だったが、彼とほぼ同時にやってきたアルトリアの眉間の皺や常にドアの外に気を張っている様子から、大体の状況は把握できてしまった。
その自分に向けられるには相応しくない過保護もまた、居た堪れないのだ。
だが、自分の口で言葉に出来るほど気持ちに整理がついたわけでもなく、その気遣いにありがたく便乗する。
マスターからは一週間の絶対安静が告げられたが休んでどうこうなる話でもないため、彼を安心させるために2.3日休養をとった後はすぐにいつも通りの生活に戻った。
「おかあさん!」
勝手知ったるカルデアの台所、もはやここはエミヤのテリトリーである、にて食材の確認や軽い掃除をしていると背中に軽い衝撃が走る。首を回すと、そこには満面の笑みのジャック・ザ・リッパーが抱きついていた。
ちなみに「おかあさん」とはエミヤのことを指す。その呼称については色々と一悶着あったのだが、ここでは割愛する。
「こら、ジャック。台所では急に抱きつくなと言ったろう。包丁を持っていたらどうする」
「ごめんなさい…ねぇ、もう動いて大丈夫なの?」
「ああ、マスターに治療してもらったからもう大丈夫だ。心配をかけてすまない」
「ううん、元気ならそれでいいの」
いっぱいおいしいご飯作ってね?と上目遣いでおねだりをしてくるジャックを見つめる。
また、だ。また自分の身には不相応な思いを受け取ってしまった。
けれど、ジャックの純真な眼差しに先ほどは罪悪感ばかりだった胸に温かみがさした。
「…うむ。3日休みをもらった分、今日は普段より豪勢な食卓にしようか」
「ほんとうに?アリスたちに伝えてくるね!」
と言うと、ジャックは彼女らには珍しく少し足音を立てながら厨房を出て行った。
そんなに嬉しいのかとむず痒さを無視して掃除の続きを始める。
さて、今夜はどんな献立にしようか。久しぶりの料理で無意識のうちに心が弾む。
ひき肉があったからハンバーグか、煮込みなら今から作れば味もしみるだろう。豆腐もあったし豆腐ハンバーグもいいかもしれない。メインは決まりだとして副菜は…
「あの、…エミヤ、さん?」
鈴のような声。まるで人知れず雪山で暮らしていた妖精が初めて口を開いたかのように清廉な声。これと似た声を、残酷で無邪気な声を知っている。
入り口に目をやる。そこには正しく雪の精のように美しい女性がいた。
「初めまして、私はアイリスフィール。…貴方と話がしたくて来ました」
KUMA様。ご高覧そしてコメントありがとうございました。 気がつけばもう8月になってしまいました…まだ完結しておらず不甲斐ない限りですが、(中)を投稿いたしましたのでそちらもぜひ! (そうです、そのネタです笑!)