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英霊が腐男子で何が悪い?!-解釈違いは地雷の初夜編-【サンプル】/Novel by たね

英霊が腐男子で何が悪い?!-解釈違いは地雷の初夜編-【サンプル】

9,936 character(s)19 mins

片恋を拗らせたエミヤさんがランサー推しの腐男子になったその後の後日談です。
一冊目はこちらとなります→novel/8808240
前回に引き続き、遊兎様に表紙をお願いしております。
以前上げたサンプルを消してしまっていた為、再度投稿させて頂きます。前回ブクマや評価して下さいました皆様有難うございました。
夏インテ発行となりますが部数アンケートも兼ねて早めに上げさせて頂きます。お手数ですが御協力頂けますと幸いです。

スパコミやインテで当スペースに足を運んで下さいました皆様本当にありがとうございました。
お言葉やお差し入れを頂きとても嬉しかったです…!!インテで発行した準備号をお持ち頂けましたらコピ本と引き換えに百円を本編から引かせて頂きます。お持ち頂くお手間をおかけいたしますが、よろしくお願い致します。

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◇◇◇
 体感時間としては、まるで時間が止まってしまっているような気持ちだった。
 ペラリペラリと紙を捲る音が静かな部屋に響く中、エミヤは自室の床に正座して両目を閉じ、絶望のソナタと言えるその音を聞いていた。耳の奥に心臓が放り込まれたように鼓動が鼓膜を煩く震わせていても、ページを捲る音ははっきりと聴こえている。紙の擦れる音は約七十八回。そろそろ読み終わる頃だろう。
エミヤは膝の上に揃えた拳に力を込め、逃げ出したい気持ちを踏み留めて唇を噛み締めた。

(生き地獄とはこの事か……)

 地獄をみた。地獄を視た。地獄を観た。
――何れ辿る地獄を見た。
何処かの並行世界でかつて口にした言葉が浮かび、走馬灯のようにアンデルセンの講義が頭を過る。
初めて触れた薄い本、ボーイズラブの定義、胸の奥に沈めた心の救済、ペンタブの専用ペンに託した思い、徐々に増えていく弓槍の検索結果とアンデルセンの槍弓本が脳裏に浮かび、エミヤは霧散させるように頭を振った。
後悔はない。切っ掛けがやや強引な勧誘ではあったが、結果自分が選び選択し絵描いた事に後悔などはない。
実際、形にする事でヘドロのように心に溜っていた片恋は何度も救われたのだ。何度も画面の中に彼を描き、それまで言えなかった気持ちを伝えた。それは積み重ねられた恋の死体の弔いになり、重く苦しかったエミヤの心を軽くしてくれたのだ。
――昨日までは。
急転直下の展開に未だ頭も心も落ち着いてはいないが、理解出来る事が一つある。

(その先は地獄だぞ私……っ!)

 地獄だ。地獄でしかない。
英霊とした在り方に憧れ、彼のような英霊になりたくて焦がれ憧憬し――恋し続けた相手に思いの丈を綴った妄想本を眼の前で読まれるなんて。勝手に登場させネタにされていた彼への詫びを兼ねて、もう。

(……座に帰るしかない)

 幸い人理修復は既に終え、カルデアに召喚された英霊達は各々好き好んで残っている状況でエミヤもその一人である。サーヴァントとして、守護者として正義の味方としての役目は無事に終えているのだ。
本来なら座に帰ってもおかしくはなく、多少の未練はあるが惜しむ事はない。

(……いや、まだアンデルセンの冬コミの新刊や刑部姫が描いてくれると言っていたランサーの漫画や連載を追っている商業BLがあるが!)

 奥歯をぎりぎりと噛み締め、煩悩を断ち切ろうと決意する。――が、しかし。

(座にアンデルセンの著作の気憶を記録として持っていけるだろうか……)

 持っていけないのなら自決する前に、記録に留める程気憶する為に再度読み直しする時間は設けておくべきだろうか。往生際が悪すぎる自覚はあるが、時には矜持を犬にでも喰わせねばならない時はある。ランサーもきっと情けは掛けてくれるだろう。昨日の事を補正すれば。

(……幸福は実に短かったな)

 この状況が正に昨日の出来事が間違いなく現実だったのだと知らしめていた。エミヤの自室でベッドに彼が座り、エミヤの描いた同人誌を読んでいる地獄を。

「……なるほど?」
「――っ!」

 パタンと本を閉じる音と同時に頭上から声が降り、エミヤの肩が反射的に小さく跳ねる。昨日会場でも読まれはしたがあれは軽くチラ見程度で、内容までを彼は把握していなかった筈だ。だが、今は正味十分程の時間を掛けてランサーは中身を読み込んでいた。
総ページ数百二十ページに渡る、エミヤが恋心と萌の衝動のまま描いたアーチャー×ランサー本を。

「つまり、この本はお前が俺に対して思ってる気持ちを代弁させた話って事だな?」
「……ああ」

ランサーの的を得た問い掛けに重く頷くが、俯かせた顔が上げられない。自分を登場させての夢本で思うさまにランサーへの思いをぶちまけている本に彼は何を思っただろう。
今を遡る事数十時間前、突然マスターと供にランサーが夏コミ会場に現われ――エミヤへ好いていると告げたのだ。晴天の霹靂とも言える出来事に何度も妄想が現実になってしまったのかと混乱のままに否定したが、ランサーはエミヤが否定する以上に惚れていると繰り返した。
彼らしくなく目尻を赤く染めたその表情に、エミヤはランサーの言葉が真実だと――詰まる所の両片想いだったのだと顔を真っ赤に染めたその言葉へと頷いたが、しかし。

(……流石に会場で本を手に取られていたから誤魔化せるとは思わなかったが――この断罪イベントは頭になかったぞランサー!)

 元々胸に仕舞い込み続け、叶う事はないと最初から諦観を枕にしていた恋だ。
エミヤの、ランサーに恋を伝えたい妄想が余す事なく具現化された本を彼が読み、嫌悪され唾棄されても仕方ない事だろう。唯一の心の救いは健全本である事だけだ。
 刑部のように肌色本を出し、あまつさえ今のようにランサーに眼の前で読まれたとしたら正座する前に座に還る為に迷わず自決を選んでいた。

「勝手に君を登場させてすまない。……気分を害しただろう? 私はこの後霊基をくべて貰うから、それで手打ちにしてはくれないだろうか」
「――はっ?!」

 上擦ったランサーの声に、やはり納得はいかないかと眼を閉じ、けれどとエミヤは言葉を続けた。

「不快な思いをさせた事への謝罪にはならない事は重々承知している。だが、私にはこれ以上君にどう謝罪して良いか」
「待て待て、待てアーチャー! 何が一体、どうしてそんな話になる?!」

 慌てたよう声と供に肩が掴まれる。俯いた視線の先にはベッドに腰掛けていた筈のランサーの霊衣が映り、そろりと顔を上げれば眉間に皺を寄せた美丈夫のドアップが広がっていた。

「うぐぐっ」

 衝動を耐えた喉がぐぅと唸り声を上げる。

(……こんな地獄の中でも推しの顔が良い……っ!)

白皙の顔に刻まれたその皺はエミヤに対する不快感なのだろうが、彼の雄雄しさが増していてエミヤは必至に心のシャッターを切っていた。萌と理性が二律背反し過ぎている自覚はある。
 己の欲に忠実な眼を顔ごと逸らし、エミヤは条件反射のように戦慄く心臓を押さえながら口を開いた。

「――っ、だから、私はこの後座に還るからそれで君への詫びとさせて欲しいと」
「だから、一体何がどうしてその話になったんだっての! 俺が一言でもそんな事言ったかよ?!」
「……そんなもの、私が描いた本を読んだのなら言葉にしなくても分かる。こんなむくつけき男に懸想され、あまつさえ夢本を発行されていたなど君に不快しか齎さないのは火を視るより明らかだ」
「いやいやそれ以前に俺が昨日お前に言った事を思い出せよ?! ……大体アーチャー、お前にとってこれは不快な読み物なのか?」

 肩を掴む腕とは逆の手に持たれている夏の新刊はエミヤの萌と恋と努力の結晶だ。何度顔面宝具とも言えるランサーの造詣にペンを握り締め苦悩し、何度現実と紙面の違いに罪悪感を抱き、妄想と言う名の積み荷を燃やそうとしたか知れない。
 ランサーが持つ本は――時にアンデルセンに叱咤され、時に刑部に励まされながら寝食を惜しんで描いた渾身の一冊だった。作中のランサーへと向けたアーチャーの言葉は、エミヤが言いたくても言えなかった想いの全てで、何一つの偽りもないのだ。

「何を言う。私にとっては想いの結晶だ」

 本に対する矜持を力に俯く顔を上げれば、二ヤリと口角を上げてランサーが笑っていた。雄味に溢れすぎてぐっと息が詰まる。雄雄しい、何と言う雄雄しさと尊みだろうか。心臓が先程とは違った意味で早く鼓動を打つ。
 恋をしている。恋をしていた。もうずっと、彼を。
 その相手が、眼の前で今まで視る事が叶わなかった表情をエミヤへと見せているのだ。胸が恋を叫ばない筈がない。
そして――実に困った事に創作意欲が湧き溢れてくる。

(この表情一つで六十ページの本は固い……っ!)

 くぅと内心で臍を噛む。立派な腐男子となったエミヤにとって、ランサーは恋慕う相手だが同時に二・五次元のような存在でもあるのだ。一言で言うなら推し。最推し。腐の世界を知った後、原稿中は何時も心の中でモール装飾を施した『ゲイボルグして❤』の団扇を掲げ、鷹の眼スキルで彼を盗み見る日々を送っていた。――のだが、それも今日でお終いである。

(……最後の最後は生き地獄だが、昨日――彼が私を好いてくれていると言ってくれだけで十分だ。……流石に自分達を投影した恋愛漫画を直に読んでしまえば、彼の眼も醒めてしまう事だろう)

 好いていると告白されはした。けれど、本を熟読された今、その言葉に安心する程エミヤは楽天家ではないのだ。考えなくてもわかる。

(……いや、彼が私を好いてくれていたという事実があっただけで、私にとっては溢れる程の幸福だ)

 一晩で霧散する、線香花火のような酷く短い幸せではあったけれど。それでも、ランサーから言われた言葉と表情だけで、これから英霊として在るだろう長い永い時間満たされるだろう。開眼した萌と供に。
 ――そう、エミヤが腹を括っているとランサーの腕がエミヤの頭をくしゃりと撫ぜた。

「……え?」
「なら、俺にとっても不快なモンじゃねぇ事くらい分かれっての」

 見開いた視界には先程の雄雄しい表情から、切れ長の目元を緩ませたランサーが映っている。聖母か。聖母だ。

「正直俺にはこの漫画ってモンの良さがイマイチ分からんが、これに描いてある事がお前の気持ちまんまなら、俺にとってもこりゃ好ましいぜ?」

 そう言って照れくさそうに笑うランサーにエミヤはただただ眼を見開く事しか出来ない。

(……やはりこの男、聖母なのでは?)

 後光が視える所の話ではない。その懐は彼の生まれ故郷にあるアイリッシュ海のように広く、全てを赦し得る聖母のように慈悲深い。いや元々ランサーは半神でもある事から属性としては近いのかも知れない。雄雄しい聖母とは一体何事なのか。属性がてんこ盛り過ぎてもはや供給過多だ。この設定だけで二冊は出せる。

(――ではなくてだな!)

 思わず腐方向にトリップしそうになる意識を瞬きで叱咤し、エミヤは未だ頭を撫でるランサーを凝視する。

「しょ……正気かランサー? 私は君を勝手に漫画に登場させたばかりか妄想を極めに極め.た漫画を描いていたんだぞ? 君だって読んだだろうに」

 言葉にすると中々に凄まじい事実を自分で言いながら心に酷い打撃を喰らってしまう。ランサーの手の中にある同人誌の中で、エミヤはアーチャーとして思う存分ランサーへの憧憬と愛を語り尽くしているのだ。その本人に持たれている事自体視覚的にもダメージは大きい。

「……まぁ、正直誰だって位には美化して描かれている気がせんでもないが、これは俺に対するお前の素直な気持ちって事だろ? 昨日まではお前に嫌われてるモンだとばかり思ってたから面喰らいはしたが、嫌って事はねぇよ」
「聖母が過ぎるのでは……?」
「あ? せいぼ?」
「ごほごほっ! いや、その。本当に……気持ち、悪くはないのかね?」

 思わず漏れた心の声を咳払いで誤魔化し、エミヤは恐る恐るランサーの掲げる自作に眼を向けた。
本を描いた事に後悔はない。むしろランサーに対する想いを思う存分に描けて満足すらしている新刊だ。だがそれはエミヤの事情であって、ランサーにしてみれば毀棄すべきものだと思っていたからこそ――言葉の真意を確認せずにはいられない。

「あ? さっきから言ってたんだろ? 不快じゃねぇし好ましいって。だからいい加減お前も、その今にも自害しますって面はやめろ」

 乱暴に撫でられた頭はすっかりと乱れ、降りた前髪にけぶる視界から「な?」とランサーが首を傾げた。

「もうクーフーリン聖母教を設立するしかない……」
「さっきからせいぼって何を言って」
「ごほごほごほっ! で、ではランサー、その本を私が描いたと知っても――その。昨日君が言ってくれたように私の事、を」
「ったく、何度も言ってんだろこのたわけ。とどのつまり、お前は本を描いちまう位俺に惚れてるって事だろうが。それでなんで俺の心根が変わると思う? それ以上抜かすなら――それはお前を好いている俺への侮辱だと取るぞ、アーチャー」
「……っ」

 呆れたように諭す声から一転、ランサーの殺気を帯びる声にぐっと心臓が締め付けられる。
何度も見惚れ続ける赤い眼に浮かんでいる感情は怒りで、彼が本当にエミヤの描いた同人誌を忌み嫌う事なく、『好ましい』ものとして見てくれているのだろう事が窺い知れた。この男の度量を見縊っていたのはエミヤだ。

(……ランサー)

 仮初の心臓が煩く跳ねる。
 これ以上好きにさせないで欲しいと思うのに、彼の持つ朱槍のように真っ直ぐな心根にどうしようもなく恋が募っていく。
 恋を。恋をしている。もうずっと、彼に。
 胸の奥の、穿たれた心臓の奥の奥。一番柔らかな場所で花開かせる感情が益々早鐘を打ってくる。
 もはや顔だけではなく、正座した太腿の上で握り締めた拳にまで熱が上がっていくのがわかった。
伝えられない心を液タブとペンに託してしまう位に、彼が好きで堪らなかった。憧憬から続く、諦観の恋だった。決して気付かれないよう、ただただ片恋を殺し続けた恋だった。想いが零れそうになる度に喉元を絞めて皮肉へ言葉を変えた恋だった。

(――だが)

これからは。

「俺が好きだろ? アーチャー」

 眼の前で目元を赤く染めて笑う彼に。

「――ああ」

 こうして心に素直に頷く事が出来るのだ。なんて幸福な事だろう。なんて――幸せな事なのだろう。
 目尻を赤く染めるエミヤの頬にランサーの右手が触れ、肌を確かめるように指の腹で撫ぜられる。酷く近い距離にランサーの顔があり、触れられる頬と相まって発熱しているように顔が燃えていく。きっと今、エミヤの頬は熟れた林檎よりも赤いだろう。魔術焼けした肌でも分かる程に。

「アーチャー……」

 耳に心地良い低音が呼称を呼ぶ。エミヤが描き続けた物語のように。けれどこれは紛れもない現実で、決して二・五次元同人誌ではないのだ。
 昨日の事も、この距離も。

「うぐ……っ」
(ランサーが、こんなに近くに……っ)

 昨日今日の距離感ではまだ耐性が追い付いて来ず、鼻先が触れ合う程近くに甘く眼を細めるランサーに反射的に心眼のシャッターを切る。先程から散々に供給過多で萌と恋心が息も絶え絶えになっていた。絶望と羞恥の生き地獄から一転、顔面宝具の威力に晒される眼福地獄の威力にエミヤのキャパシティはもう限界だ。

(アンデルセン……っ! 推しの……ランサーの顔が頗る良い!)

心の師に思わず脳内報告してしまう程に雄味が三割増して光の御子っぷりに拍車を掛けている。元々エミヤはランサーの顔に対しての耐性が低い自負があるが、今日の顔面力はエキストラアタックレベルに近い。
 昨日の夏コミ会場で臨界点を突破したかと思っていたが、まだまだ天井は高かった。何と言う戦闘力だろう。
惚れた欲目があるとは言え、流石ガイアの英霊――神と人のミックスだとでも言うべきか。
唇を噛み締めて耐えていると、頬を撫でていた手が離れ、太腿に乗せていた拳を取られた。

「……? ランサー?」

 そのままランサーが立ち上がり、握られた拳を取られる形でエミヤも膝を立てる。

「アーチャー、ベッドに座れ。そのままじゃ痛いだろうしな」

(……ああ、私が床に座っている事を気遣ってくれたのか。くっ、一々胸キュンポイントが高いなランサー!)

 促されるまま立ち上がり、言われた通りにベッドへと腰を掛けたエミヤの肩にランサーが両手を置いたかと思えば、視界がぐらりと揺れた。

「……えっ」

 ぼすりと音を経ててエミヤの上体がベッドへと倒れたのと、スブリングが大きく軋んだ音を経てたのは殆んど同時だった。真っ白なシーツに身体を沈めたエミヤの視界に映るのは、眦を赤く染めて雄雄しく笑うランサーである。惚れた欲目もあるが、全く持って非の打ち所もないイケメンっぷりに見惚れていると、薄く形の良い唇が動いた。

「――俺もお前に惚れていて、お前も俺に惚れてる。ならやる事は一つだよなぁ、アーチャー?」
「……ランサー?」

 笑うランサーに既視感が過る。主にアンデルセンから資料にと貸し出された同人誌と商業BLで学んだ知識がエミヤの脳裏を駆け廻っていく。
 ベッドに横たわる自分とその上に覆い被さるランサー。
 刑部の本でも良く視た構図ではなかっただろうか。

(……いやまさか。そんな訳がない)

 浮かんだシーンに内心で首を振る。そう、そんな訳がない。なのに、以前アンデルセンに言われた言葉を思い出してしまう。

『俺が童貞処女作家でなければ刑部達と一緒にドスケベ本を出している所だぞ』

あの時までそんな事を考えた事はなかった。
最初から叶わない恋だとエミヤが自覚していたからだ。心を自覚する度にその喉元を締め上げ続けた恋情だったから。だから、『そんな事』は想像すらしなかったのだ。
けれど――今は?
そういった欲求自体を忘れていた事も事実ではあるが、なら。彼への気持ちを言葉にする事を赦された、今は。

「……っ!?」

 ひくり、とエミヤの喉が鳴る。
ランサーの顔が酷く近くに迫り、絹糸のような髪が垂れてエミヤの赤い頬を撫で――探られた首筋に唇が、霊衣の上から腹筋を辿るように撫でる手に悟らない訳には行かなかった。
 彼は肌を合わせようとしている。他の誰でもない、エミヤと。
 驚きと戸惑いと羞恥で体中の血が沸騰しそうだった。
 昨日の今日で心の準備なんて出来ていない。大体先程まで座に還ろうとしていた位なのに、これは。

「ま、待ってくれランサー……!」

 肌にぴたりと張り付くアンダーの裾から指先を入れられ、びくりと身体を震えさせながらエミヤはランサーとの間に両腕を入れ、視た目よりも厚い胸板へ腕を突っぱねた。

「何だよ?」

 エミヤの首筋に顔を埋めていたランサーがむすりとした表情で顔を上げる。まるで拗ねた子供のような顔にエミヤの破裂しそうな心臓はまたスピードを上げるが、心のシャッターを切る事に専念してトリップは避ける。
 今はそれ所ではない。

「わ、私はまだ心の準備が……っ」
「心の準備ィ? ンなもんいるのかよ?」

 喋りながらもランサーの指先が脇腹を探り、エミヤは思わず漏れそうになる声を飲み込んで言葉を続けた。

「……っ、い、要るに決まってるだろう! 私は逸話の多い君とは違い、碌に経験もない。君に無理をさせる訳にはいかない」

 大体、アンデルセンに言われるまで同人誌の中でさえ、ランサーと『そういった行為』をする事さえ考えもしなかった位だ。
諦観の片恋を患い続けたエミヤにはランサーをリード出来る自信が全くない。恥を忍んで事情を知るアンデルセンか刑部姫に教授して貰ってからでないと。そう思っていると、

「ハッ、逸話はともかく、俺だって男を抱くのは初めてだっての。だがそんなもん関係――」
「待てランサー」

 幻聴が聞こえた気がしてランサーの言葉を遮った。
高鳴り続ける心音で鼓膜が馬鹿になってしまったのだろうか。幻聴でないなら酷い聞き間違えだ。

「君が男を抱く事が今必要なのか?」
「……あ?」

 眉間に深い皺を刻み、酷く怪訝そうな顔をするランサーの表情に見惚れながらもエミヤは疑問を口にする。

「いや、私が君を抱くのだから君が男を抱く必要はないだろう?」
「……誰が、誰を抱く、だって?」

 一言一言を区切り、確認するように言われて羞恥に益々顔が赤く火照っていた。

「わ……私が、その。君を、だ。だから私には、君を抱く心の準備がまだ」
「なら、益々その心の準備ってのは要らねぇな」

 二ヤリと笑ったランサーがアンダーに忍ばせていたままの手の動きを再開させ、エミヤの身体が驚きに強張る。
 腹筋を辿る指は脇腹を擽り、陥没気味の乳首を乳輪ごと捏ねてきたからだ。

「ぅあ……っ?!」 

 不意に与えられた胸への刺激にエミヤが上擦った声を上げれば、薄く形の良い唇が笑みを作る。

「……な? 要らねぇ、だろ?」
「ひぇっ」

 壮絶な色香を纏ったランサーの笑みに喉の奥から竦み上がった声が出た。身体もまるでスタンを喰らったように動かない。余りの美しさに身体が硬直してしまう。

「大人しく俺に抱かれろ、アーチャー」

(顔どころか声まで良い……っ!)

 今まで聞いた事のない甘い低音にぐぅと唇を噛み締める。と同時に――その言葉に、単語に。ざわりと肌が粟立った。なんて、事だろう。幻聴でも聞き間違いでもなかったなんて。彼の中で一体何がどう罷り間違ってそんな結論になってしまったと言うのか。
 これは由々しき事態だ。だって解釈が違う。
因りもよって推しと。ランサーと価値観の齟齬があるだなんて。
真っ赤になった顔をぐっと持ち上げ、光の御子の二つ名に恥じない程きらきらしている想い人を見上げた。

「……無理だ、ランサー」
「心の準備ってのなら要らねぇって言って」
「そうじゃない……っ」

 血反吐を吐くような思いで何時までも見詰めていたい顔から眼を逸らす。
何て事だろう。神様は何時だって残酷な事を知っていたのに、縋ってしまった、期待してしまった。己のような守護者はやはり望むべきではなかったのだ。
悲しみが胸に迫る。渓谷のような深い苦しみが両想いの歓喜に満ちていた心に滲み出す。こればかりは仕方ない事なのだ。趣味嗜好の問題、謂わば本能だと言っても良いかもしれない。
だって。

「私はランサー受派だからランサー×アーチャーは無理なんだ……!」

 この世の絶望を詰め込んだ声で叫ぶ。

「……はぁ?!」

 エミヤはランサー推しのアーチャー×ランサー派でリバは許せるがそれは性描写抜きでの話である。
 ランサー×アーチャーは地雷――解釈違いもいい所だった。




◇◇◇
「……ほう。それで、お前は迫るあの男から逃げ――行きつく先がなく俺の部屋に逃げ込んだという訳だな?」
「……ああ」

 両手に湯気の立つカップを包み、エミヤが沈痛な面持ちで頷けば――深夜突然訪れたにも関わらず、部屋に淹れたくれたアンデルセンが無表情のままぶはりと噴き出した。

「ア、アンデルン?!」
「ぶふ……っ! お前あれだけお膳立てしてやったのにまさかのカプ違いとは……っ」

 身を捩りながら笑う少年――アンデルセンにぐぬぬとなりながら、それでも生来の世話焼き気質から手元に備えていた紙ナフキンを渡し、ごほんと咳払いをする。

「……確かに、あの時配慮してくれた君には感謝はしてもし切れないが――そこまで笑う事はないだろう」
「くく……! いや、失敬。そうだな、お前にとっては笑い事ではなかったな。弓槍を描いている『衛宮』には特に」
「……今でも信じられない。ランサーが私を好いてくれていると言ってくれた事もそうだが――彼が、その」
「ランサーがお前を抱きたいと思っている事が、か?」

 どうにも言い辛く、エミヤが口籠っているとアンデルセンが心を読んだように付け足してくる。何処か嬉々として。

「……嬉しそうだな、アンデルセン」
「まぁな。お前も知っている通り俺はランサー×アーチャー派だ。嬉しくない訳がないだろう? いやこれで薄い本が益々厚くなるな! 感謝するぞエミヤ!」
「ぐ……っ! 地雷なのに読んでしまう君の本はずるい……! 新刊が今からとても楽しみだ!」

 二ヤリと笑うアンデルセンにエミヤは二律背反の胸に手を充て、ファンの心を口にしてしまう。腐男子に至る以前にアンデルセンの本に因って土壌を作られたエミヤにとって、彼の本は謂わば経典と言っても過言ではない。
流石は時代を虜にした文豪とでも言うべきか、カルデアを元ネタにし、『ランサー』と『アーチャー』を主軸として書き上げられた小説はランサーに諦観の片恋を抱き続けていたエミヤを見事にその道へと誘い込んだのだ。
そしてエミヤが胸に秘め続けていた片恋の躯の置き場に、『同人』という場所を与えてくれた。
伝えられない恋を『伝える』方法を教えてくれたのである。

Comments

  • わんわんお
    March 12, 2024
  • December 7, 2022
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