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【槍弓】英霊が腐男子で何が悪い?!【再録】/Novel by 加糖

【槍弓】英霊が腐男子で何が悪い?!【再録】

56,423 character(s)1 hr 52 mins

たね垢のアカウントパスを忘れてしまったので加糖垢で再録させて頂きます。
以前出した槍弓本ですが、追納依頼をずっと頂いていたのですが再版予定がない為期間限定で再録させて頂きます。当時お手に取って下さいました皆様有難うございました。続きはとらさんで取り扱って頂いております。→https://ec.toranoana.jp/joshi_r/ec/item/040030661762/
※もしたね垢に去年の二月以降メッセージを送って頂いて下さった方がいらしたらすみません。ログイン出来ていない為確認出来ておりません。再度ご連絡いただけましたら幸いです。
夏頃にキャス弓本出せたらと思っておりますので、もし見かけましたら立ち読みでもして頂けると嬉しいです。

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 標高六千メートル、積雪を戴く斜面に入り口が設けられた施設の名前は人類継続保証機関フィニス・カルデア。
人類の存続を世界へと保障し、約束する保健機関――通称『カルデア』は人理修復を終え、今は束の間の休息と平和を満喫していた。
哀悼痛惜を乗り越えたマスターやマシュ、幾多の英霊達も疲れた心と身体を休めるように各々過ごしている。




※※※※
「エミヤ、今日のご飯も美味しかったよ!」
「エミヤ先輩、御馳走様でした。食後のデザートの、タルトの中にアーモンドクリームがたっぷり入って上にアーモンドスライスが乗っていたものが、特に美味しかったです……っ!」

 食堂と厨房を仕切るカウンター越しにマスターから満面の笑みを贈られ、彼の後輩であるデミサーヴァントのマシュも大きな眼をきらきらと輝かせながらエミヤを見上げてくる。
 子供のような素直な賛辞に少し頬を緩め、エミヤは明日の朝食の下拵えをしながら二人へと視線を向けた。

「マスターの口に合って良かったよ。アマンディーヌは初めて作ったものでね、気に入って貰えて何よりだ。また作ろう」

 喋りながらも刻んだ食材をタッパーへと仕舞い、次々と仕込みをこなしていく。

「あ、有難う御座います! 楽しみです……っ」
「良かったな、マシュ! あ、リクエストして良いなら、エミヤが暇な時で良いから俺どら焼き食べたい!」
「では明日のお八つはマスターのリクエストにしよう。アマンディーヌは今週中に。間を置かずに同じ菓子を出しても偏るからね。どうだろう、マシュ?」
「もちろん! 明日もエミヤ先輩のお八つが食べられるなんて嬉しいです!」
「マシュはエミヤが作る料理の大ファンだもんねー」
「むむ! 大当たりですけど、先輩もだって知ってますよ?」
「はは、それは光栄だな。明日も腕に因りを掛けて作ろう。
さぁ二人供、呪腕のハサンが育ててくれたカモミールのハーブティをサーバーにセットしてある。食器を片付けたら飲むと良い」
「カモミール! 私そのお茶大好きです! 先輩、早く片付けましょう!」

嬉しそうに笑うマシュ達が食器を湯の張ってある流し台へと持って行き、粗方の汚れを濯ぎ落として食洗機へとセットするのを横目にエミヤは最後の下拵えを終え、冷蔵庫の蓋を締めた。使い終わった調理器具を洗い、水気を拭いて道具棚へと戻して時計を見ると『約束』している時刻に迫っている。

「……不味いな。タマモキャット、ブーティカ。後は頼んで良いだろうか? 朝食の仕込みは全て終わっているんだが……」

 急いでエプロンを脱ぎ、使用済みタオルやエプロンを入れるリネン籠へ畳むと、少なくなってきたとは言えまだ配膳に動く女性陣へとエミヤは声を掛けた。

「またあんた一人で仕込みまでやって……勿論良いに決まってるでしょ? でもエミヤ、まだ自分の分食べてないんじゃ……」

 ブーティカが呆れた顔で言ってくるが、調理の合間に詰めた包みを見せて大丈夫だと首を振る。

「自分の分はこれに包んでいるんだ。少し自室でやる事が有ってね。……では、頼んだよ」
「任せなさい! あっ! カエサル様は食べ過ぎよ! お代わりは三杯まで、クレオパトラ様にまた泣かれちゃうから聞き入れて頂戴ね!」
「なんだとー!?」

 もはや一分一秒が惜しいとばかりに、そそくさと包みを持ち厨房を後にしたエミヤの背中を、ブーティカの母を思わせる叱咤とカエサルの嘆きが見送った。
 
「あれ? エミヤ何処行ったの?」

 湯気を立てるハーブティを片手に、カウンターへと腰を下したマスターは調理場を見渡すと首を傾げた。
隣に座ったマシュも周囲を視るが、先程まで向かい側に立っていた筈の彼は何処にも見当たらない。

「うにゃ? エミヤならやる事があると言って、自分の部屋に戻ったぞ?」

不思議に思っていると、配膳カウンターからタマモキャットがシチューをたっぷりと皿によそいながら教えてくれた。そう言えばここの所、カルデアの母の別名を持つ彼は気が付けばキッチンから姿を消していた気がする。

「え? エミヤまだ自分のご飯も食べてないよね? 最近直ぐ自室に籠って……ハッ!」

 ハサンが収穫したカモミールティーを飲み込んだ瞬間、マスターの直感スキルが唸りを上げた。

「先輩? 日本漫画のゴルゴ十三みたいな顔をされてどうしたんですか?」
「マシュの知識凄いね! 絶対あの人の影響だね?! じゃなくて、俺……気付いちゃったんだけど」

 彼女の偏った比較対処の知識に今は亡き医療部門のトップへと一瞬思いを馳せるが、持ち直したマスターは酷く真剣な顔でマシュを見る。

「何にでしょう?」
「家事スキルは最初からエクストラレベルでカンスト状態、人の世話を焼くのと厨房が大好きで暇さえあれば掃除に勤しみ四六時中カルデアを動き回るエミヤが突然、それこそ自分の夕食を食べる暇すら惜しんで自室に籠るって……どう考えてもおかしくない?」
「良く視てますね先輩。でも……言われてみれば。以前のエミヤ先輩なら日付が変わる位まで食堂に居たような……」

 むしろ皆が休め休めと言っても嬉々として家事をこなしていた。家事の達人スキルを持つタマモキャットやブーティカが居るにも関わらず、カルデアの母の名を欲しいままにするまで。

「だろ? ――って事はだ。エミヤには何よりも優先させたい事、優先したい人が居るって事じゃないか?」
「そ、それはつまり」

こくりとマシュが喉を鳴らした。
結論はもう彼女も思い描いているのだろう。僅かに頬を染め固唾を飲む後輩へとマスターがむふふと笑えば、

「つまり、エミヤに恋人が出来たって事だろ?! いやー厳冬のカルデアにも春が……」

 左隣の席にがたりと食事が盛られたトレイが置かれた。

「うん?」

 エミヤ特製シチューが波とよそわれた皿からは湯気が立ち、山と乗せられた塩パンからは豊潤なバターと芳ばしい香りが。付け合わせのサラダは瑞々しく色彩を放ち、特製ドレッシングに和えられて食べられるのを今か今かと待っているようだ。
 けれど誰も座らない。誰が置いたのだろうとマシュから視線を逸らせた瞬間、どかりと左に座った男が長い腕を伸ばしてマスターの、マシュ側の肩を抱いて覗き込んできた。

「――おいマスター。その話、もうちょい詳しく聞かせろや」

笑顔なのに、どうしてだが全く笑っていないような眼をしたランサーが。




※※※
 厨房を後にしたエミヤが急ぎ自室のドアを開けると、途端に叱責が飛んでくる。

「――遅い、この愚鈍が!」

 顔も上げずに背中を向けたまま、部屋の主を叱るのは小さな背丈の少年――没後百四十二年、未だ世界を虜にして止まない稀代の童話作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセンだ。

「す、すまない。だが、まだ約束の時間になっていないだろう? あと、簡易だが私と君の分の夕食を詰めてきた」

エミヤはドアを確りと施錠し中に入ると、昨夜持ち込まれたばかりの、質素な部屋に合わないマガボ二ー製のテーブルへ包みを置いた。
タブレットに接続したキーボードを叩く手を留めないまま、エミヤを見上げたアンデルセンは鼻を鳴らして笑う。

「ふん、馬鹿め。約束と時間は不確かなものだ。それはさながら人生のように、一分一秒を競う程に予見出来ず、またそれに伴う合理性もない。だから俺は約束の時間よりも前にこの部屋へと着き、勤勉に執筆を勤しんでいるのだ! ……が、まぁ。お前が厨房になくてはならない人材だという事も理解しているし、最大限努力してこの時間になったのだろう事も解っている」
「アンデルセン……」
「――だが、そんなものは締切りと言う悪魔の前では何一つも考慮されない! ディアボロに慈悲はなく、ただひたすらに無慈悲だ。我等は哀れな馬車馬。白紙を埋める妄想の旅人だが、同時に回廊に繋がれた罪人だ。今日こそは明日こそはと解放される事を願って止まない。そして解放されるべき悪魔は三日後に来る……この意味が解るなエミヤ!?」 
「……締切りを自覚しろと言う事だな?」

 その幼く愛らしい容貌に関わらず、成人男性のような艶のある声が朗々と語る言葉にキーワードを拾い頷けば、「解れば良い。そしてお前が言う事にも一理はある」と立て石に水が止まった。
良かった、答えは合っていたようだ。彼の例えは詩的過ぎて現代英霊のエミヤには少々長い。

「腹が減っては戦が出来ぬと日本でも言うだろう。何よりお前の作るものは何から何まで美味い。美味い物が眼の前にあれば戴くより他には術があるまい。何せ俺は昼食を喰うのをすっかりと忘れていた事を今、そうたった今思い出してしまった!」
「……君からの賛辞は些か照れるな。それにしても昼食を抜くのは感心しないぞ、電力で賄えない魔力を食物で補う役割がこの三食にはあるのだから。君は特にその稀有な頭脳を使う。幾らサーヴァントだと言っても糖分はあった方が良いんじゃないか?」

 素直な褒め言葉に面食らいつつ、こほん、と咳払いをしたエミヤはタブレットを片付けたテーブルの上にまだ湯気の立つ料理を並べて行く。

「……それは認めよう。脳の活性化に一番良いのは、死してなおも糖分に尽きる」

小型のスープジャーに詰めたシチュー、具材をたっぷりと挟んだオープンサンド。マシュに評判だったアマンディーヌのニ切れは、夜食用に取っておく。
「そして俺は美味いものには惜しみない称賛を贈る主義だ。お前の作った物は須らく美味い。――んっ、ほら美味い!」
エミヤが持参したおしぼりで手を拭ったアンデルセンは、ローストビーフが今にも溢そうなオープンサンドに小さな口を大きく開けてかぶりつく。こればかりは外見と見合い、子供のようにはぐはぐとサンドを食べるアンデルセンに頬を緩めたエミヤもスプーンを手に取った。

「それはどうも。出来るだけ片手で食べる方式にしようとは思ったんだがね、ついシチューも持って来てしまった」
「いや、殊勝なその心掛けは良しだがシチューを持ってきた事ももっと素晴らしいぞエミヤ。スモーブローに良く合う味付けだ」
「スモーブローとは……?」
「ん? ああ、このサンドの事だ。デンマークではその呼び方をしていたのでな。まぁあっちでは片手で食べるのではなく、ナイフとフォークを使うのが一般的なんだが……ああ、これも美味い」
「ほう。その方式は初めて知った。乗せる具材如何では夕食のメインとして出せそうだな」

 中身は成熟した大人だと解ってはいるものの、食事をする姿は年相応の子供でしかなく、エミヤの頬は自然と緩んでしまう。

(これ程美味そうに食べて貰えるなら、また弁当を作ろうか。今日は残り物を詰めただけだが、今度は彼の好物であるカリカリに焼いたベーコンでバーガーを作っても良いな)

 頭の中でアンデルセン用のメニューを考えながら、これから始まるだろう決戦に備えて体力と魔力を、何より糖分を補うべくオープンサンドへと手を伸ばした。


エミヤが用意した弁当を二人で平らげ、腹も八分目になった所でアンデルセンとエミヤは所定の位置に付き、作業を開始した。アンデルセンは彼自身が持ち込んだ飴色のテーブルでまたタブレットを開き、繋いだキーボードにひたすらに文字を打ち込んでいく。
エミヤはと言うと、ベッド脇に元々備えてあったカウンターテーブルへ陣取り、アンデルセンに借りているパソコンに繋いだ板タブレットへとペンを走らせていた。
 夕食の支度に出る前に描いておいた下描きに清書のペンを入れているのだ。最初の二時間程は順調にペン入れをしていたが、アップの顔に差し掛かった時にエミヤは思わず天井を仰ぎ見て唸った。
脳裏に浮かぶ、凛々しい眉毛と切れ長の眼。
白百合さえも恥じらうだろう美しさを湛えた白皙の顔に、赤い線で描いた下描きとの差異に擦り減った理性が軋みを上げてしまう。
違う、そうではないのだと。彼の見眼麗しさを三分の一も表現出来ていない。

「ぐっ、ランサーはこんな顔ではない……っ! もっと、もっと可憐な花のような、美しい顔をしているのに……っ」
「落ち着けエミヤ、それは三次元と二次元の隔たり補正だ」
「――はっ!?」

思わず消しゴムに切り替えようとしたエミヤを冷静な声が引き留める。規則的に途絶える事のないタイピング音の澱みなさは、流石文豪アンデルセンと言った所だろうか。彼が例える所のディアボロ――締切りまであと三日を切った今、下描きを消すのは自殺行為に等しい。

「すまない……助かったアンデルセン」
「同人作家には付きもののジレンマだ。気にするな」

頭を振り、息を吐く。作業を始めて百二十分、一息入れるには丁度良いタイミングなのかも知れない。

「茶を入れよう、カモミールは平気かね?」
「ああ、嫌いじゃない」

 椅子から立ち上がり、サイドボードに弁当箱と一緒に置いていたポットからマグカップへとハーブティを注げば、豊かな香りと湯気にほっと気分が安らいだのが解る。
 ティータイム用に取っておいたアマンディーヌと供に、アンデルセンの前にカップを置くと視線が礼を言ってくる。
軽く頷き、エミヤも再び椅子に座るとマシュが喜んだ手製の菓子を食べ礼装の腕を捲ってペンを握った。
壁に張ったカレンダーの日付は何度確かめても動かない事は解っている。エミヤに出来る事は、ただ己を信じてペンに全ての萌を注ぎ込むだけだ。
 彼に対する想いのありったけを、全部。

「……よしっ」

気合いを入れ、先程挫けたランサーの顔に取りかかる。
あの男は何と言っても顔が良い。とにかく顔が美しい。
流石は神代、神と人とのミックスだと唸るより他ない。
英霊は見眼麗しい美男美女ばかりだがランサーは取り分け、エミヤにとっては身震いする程に美しく視える。
 魔術焼けした褐色の肌の自分とは違い、アイルランド人特有の抜けるような白い肌と筋肉がそうあるべきだと伴う、細身ながらも鍛え抜かれた事が窺い知れる肢体。男だと忘れてしまいそうな程に美しい、白皙の顔立ち。
 けれどと、誰に否定するでもなくエミヤは頭を振った。

(いや、男の顔なんだ。ランサーの顔は。女性のような線の細さもない、紛れもない男の顔なのだが)

 太く凛々しい眉は決して女性的ではなく、切れ長の眼は冷涼な眼差しを湛えている。海の深い色を映し込んだ、稀有な髪色と同じ睫毛の下で。
神性を帯びた赤い眼が宝石のように煌いて。

(……ランサー)

 脳裏に思い浮かべるだけで頬に熱が上り、心臓をとくりと逸らせる理由なんて、たった一つだ。
その理由の為にエミヤはこうして自室に籠り、鍛えた身体を猫背にしながら板タブレットへ向かっているのである。


 そもそも――エミヤがこうしてアンデルセンと供に自室に籠り、締切りを悪魔だと呼んでは手を動かしている原因はかれこれ三ヵ月程前に遡るのだ。
乱層雲が晴れて太陽が顔を覗かせるその日は、絶好の掃除日和だった。カルデアでの良き家事仲間である呪腕のハサンやブーティカ達と掃除に勤しむ最中で、日頃ゴミ部屋になっている事が多い作家連中、即ちシェイクスピアやアンデルセンの部屋の惨状を見に行った時の事だ。
エミヤが彼等の部屋を訪ねた際、シェイクスピアの部屋は鍵が掛かっていたがアンデルセンの部屋に施錠はなく、一応の断りを言葉で入れて部屋へと入る。
予想も正しく乱雑に物が散らかった部屋は静まり返っていて、留守だと解った。

「ああ……そう言えば今日彼等はレイシフトに出ると言っていたな」

朝から慌ただしかった気がすると思い出し、床やソファに脱ぎ捨てられた服をとりあえずと拾い上げる。ついでにシーツも洗って置こうとベッドに近付いたエミヤの眼に、ロココ調のサイドテーブルに山と積まれたカラフルな色彩が映り込む。
現代英霊のエミヤが識る雑誌とも、単行本とも形状が違うそれはまるでノートのような薄さだった。表紙には中々に整った顔の青年が色彩豊かに描かれている。

「漫画……?」

 そう言えば生前、まだ学生だった頃は週刊少年誌を偶に読んでいたなと小さく笑う。当時雑誌の看板を背負っていた少年は結局海賊王になったのだろうかと、何処か懐かしい気憶に揺り動かされてエミヤはその薄い本を取り――何気なくぺらりと捲った瞬間に、穏やかな郷愁は一気に吹っ飛んでしまった。

「――な、な、んだ、これ……っ!?」

 見開いた榛色の眼に映り込むのは、生々しさが滴る程に卑猥な――同性同士、男同士のセックスシーンだ。
驚きから思わず本が手を滑り落ち、腕に掛けていたアンデルセンの服も雪崩のように床へと埃をたてる。

「しまった……!」

慌てて本だけを拾い上げ、表紙が折れてないかを確かめるとエプロン越しにほっと胸を撫で下ろした。
どうやら破損はないようだと、煌びやかな表紙を見詰めたエミヤはこくりと喉を鳴らし、辺りを見渡すと改めて中を開いた。怖いもの見たさ、と言うよりは好奇心が勝っていたかのように思う。男同士でこんな事が出来るのかと驚く反面、今にして思えばエミヤはそれを『知りたかった』のだろう。
ページを捲れば、やはり圧倒的な裸体が描かれて激しい行為が続いていた。気恥ずかしさからか、それとも余りにも直接的な描写の為か、頬に熱が上がっていくのを止められない。

「か、彼はこういった、ものも嗜んでいるのか。いやもう一世紀半にも近い価値観の違いだろうし……ん?」

 気持ち薄眼で見ていたエミヤは数ページを読んだ所で、絡み合うキャラクター達に何だか見憶えがある事に気が付いた。裸体に気を取られてしまっていたが見憶えがある、なんてものではない。よくよく見れば、絡んでいる男二人は。

「おい、誰だそこに居るのは……!」
「――っ!?」

 突然開いたドアと同時に、鋭く放たれた声にエミヤはびくりと肩を揺らした。部屋の構造的にワンルームの作りをしている以上、逃げる暇などない。
「……その赤いエプロン。エミヤだな」
「レ、レイシフトから戻ってきたのかアンデルセン……っ」

 確かにカルデアで赤いエプロンを着用しているのは自分だけだと思い至り、エミヤは背後を振り返った。動揺したまま、両手で胸に抱いている薄い本の事をすっかりと忘れて。

「見たのか」
「……はっ!? あ、いや、これは、その……っ!?」

幼い外見らしからぬ声にハッと胸元の存在を思い出すが、時すでに遅し。言葉に詰まるエミヤへ向かい、広くない部屋にコツコツと靴音を経ててアンデルセンが距離を詰める。

「視たんだな?」

 すぐ目の前で立ち止まり、晴天の空を切り取ったような髪に似た、スカイブルーの大きな眼がひたりとエミヤを見詰め、小さな唇が弧を描いた。

「上気した頬はその本の中を見て少なくない昂りを覚えたからだな? 一般的に『普通』とされる異性愛者であれば、その本の中身を見るなり嫌悪を出して即座に手放している筈だ」
「そ、れは」
「よしんば好奇心で中身を覗いたにしろ、興味を持った事に違いはない――違うかエミヤ」

 幼い指先を突き付けられ、エミヤはたじろぐ。アンデルセンの言葉はまるでエミヤの心を見透かしたように当たっていたからだ。驚きこそすれ、嫌悪感はない。
むしろ、もう少し先を見たかったとも、思ってしまっているのだ。

「掃除が目的とは言え、勝手に部屋に入って君の私物を視た非礼は詫びよう。……だか、アンデルセン……こ、この本の中に描かれた二人は……っ」

 突き付けられた桜色の指先に、ぐっと見せ付けるようにフルカラーの表紙を見せ付ける。

「ホームズ探偵とモリアーティ教授ではないのかね……!?」

 ――そう、特徴的な彼等の衣装は描かれては居ないが、その顔立ちや達振舞いは先月このカルデアに来た二人の英霊に良く似ていた。その彼等が、激しい情をこの薄い本の中で交わしているのだ。

「惜しい、調停者と新宿のアーチャーだ」
「そ、それは彼等の別名で……」
「いや、『その本の中ではそれが彼等の名前』だ。間違ってはいないさ」

 アンデルセンは突き付けられた本を受け取ると、肩に掛けていた大きなトートバッグをベッドへと下し、自身も腰を掛ける。アンデルセンは自分の隣をポンと軽く叩き、野暮ったい黒縁眼鏡をだぶついた白衣の袖口から指先を出さずに直したかと思えば、口角を上げた。

「お前も此処に座れ、英霊エミヤ。講義の時間だ。聖杯に因って与えられる知識にはない世界を教えてやろう」


それから――エミヤはアンデルセンの言葉の通り『講義』を受ける事になったのだ。
そう、あれは正しく講義だった。
教師はアンデルセン、生徒エミヤで行われたのはエミヤが勝手に覗き見した薄い本、通称『同人誌』についてである。彼の言葉通り、聖杯からもたらされる情報叡智には該当する項目がなく、エミヤは叩き込まれる事となった。
 古くは明治時代、硯友社が発行したと言う『我楽多文庫』から始まり、二千十七年現在に於いても、特に日本を中心として栄えている文化なのだとアンデルセンは口火を切った。同じ嗜好を良しとした個人や、その仲間と作り上げる本の一種だとも。
エミヤが視てしまった本はその同人誌の一種、同性同士の恋愛を扱ったボーイズラブ言われる分類の本だそうで、戸惑いながら「ゲイやホモではないのか?」と聞くと、「その文化はきちんとあるが、どちらかと言うと男向け、本当の同性愛者になるな」と返されてしまった。
 違いが解らず唸っていると、アンデルセンはトートバックから数冊の薄い本を取りエミヤへと差し出した。
表紙には大きく成人向けと書かれ、その肌色具合も相まって思わず眉を顰めてしまったのも無理はないだろう。
エミヤが見付けてしまった本とはまた別の人物が描かれているが、どうにも見憶えがあった。

「……これは、また先程と違う本だな。しかしまた既視感があるような……これはスパルタク」
「今は深く追求するな。丸きり初心者のお前には実物を見せた方が解り易いだろう? つまり、お前が言っているのはこの筋骨隆々、またはこの髭が雄雄しく生え褌姿も立派な日本男子達が性交するタイプはホモやゲイに分類される事が多い。対してボーイズラブ、略してBLと言うのはこっちの、絵がライトな層の事を言う。基本的に描いている作家や編集、買い手も女が多いのが特徴だ。無論、俺のように男も多少は買っているがな」
「……ほう?」

 見せられる本の絵柄は何れも対極で、何となくアンデルセンの言っている事は解る。特徴から察するに、ホームズ達が大変な事になっていた本はボーイズラブに分類されるものなのだろう。なんと言っても描かれた筋肉量が違う。

「そんな難しい顔をして見るものではないぞ。この本一冊一冊に女達と、少しばかりの男の夢と希望。重い愛と深い萌が詰まっているんだからな。」
「愛ともえ……?」

 表紙に十八禁と記され、明らかに肌色が多い本を撫で穏やかに笑うアンデルセンに、エミヤは控えめに挙手をする。

「質問か?」
「失礼、『もえ』とはなんだアンデルセン。若葉が萌ゆるの『萌』か? あと何故貴方がこれらを所有しているんだ?」
「ふむ、良いだろう。まず『萌』だが……お前の言うそれは古典に於ける使用事例だな。俺が言っているのは俗語の方だ。そうだな……対象を見ると胸がきゅうと締め付けられるような、胸の奥の一番柔らかな場所を擽られるように感じる事が多々あるが、まぁそれらは個人差だ。萌えは本能で解る」

そう語るアンデルセンの眼は何処か熱を帯びていた。
エミヤの知る彼は厭世家であり、スカイブルーの眼には諦観の影を忍ばせていた筈だ。

「本能……?」

けれど、今の彼の眼にそれは見受けられない。
どころか暗い影を落としていた眼差しは、

「ある意味宝具みたいなものだ。それに『目覚め』さえすれば嫌でも解る。己が内から湧きでる萌えの奔流がな。そして俺がこれらの本を所持しているのも萌えの為だ」

 まるで星空のようにきらきらと輝いていた。
――が、しかし。

「貴方の言う所の『萌え』がどうにも奥が深いものだと言う事は解ったが、その肌色の本を仕舞っては貰えないだろうか。……円卓の騎士達に良く似ていて眼のやり場に困る」
「ふふん。忠実だろう?」

 エミヤが気恥ずかしげに逸らした視線の端で、やはり輝きに満ちた眼でアンデルセンは満足げに口角を上げていた。
その後は薄い本、即ち同人誌を売買する場所を即売会と言う事、通称イベントと呼ばれるそれらは夏と冬に何十万人もの人間が集まり、上半期と下半期の集大成とも言える――コミックマーケットなるものが東京ビッグサイト、つまり日本で開かれている事を。一般参加とサークル参加の違い、既刊と新刊、イベントマナーエトセトラをアンデルセンは懇切丁寧に教えてくれた。

「――此処までが基本情報だ。そして先程お前に見せた本が散々に説明した『同人誌』となる訳だな」
「う、うむ……?」

 丁重ではあるが、立て石に水が如く詰め込まれた未知の知識に首を傾げながらエミヤは唸る。専門用語も噛み砕いて教えてくれたお陰で解るには解ったが、どうにも特殊過ぎて理解が付いてこない。
内容が濃すぎる、とでも言うべきだろうか。

「許容量を超えたか。まぁ追々と解るだろう。今は知識としてその頭に詰め込んでいると良い。実物に触れて行く内に実感は伴われるものだ。……さてエミヤ、此処からが本題だが――お前、恋をしているな。それも相当に拗れ焦がれ、蜂蜜のような濃度で煮詰められた恋だ」

アンデルセンと肌色の強い表紙を往復していたエミヤの視線が紙へと止まる。
仮初の心臓がどくりと跳ね、余韻のままに心音を早めいくのが嫌でも分かった。悟られないように、気付かれないようにしなければ、いけないのに。

「は……、なにを」
「先に言っておくが誤魔化しは無用だ。俺の人間監察はスキルA。視るのはその性根、人物像だが――その気になればケツ穴の使用有無まで鑑定出来るぞ」

 馬鹿げた事を。そう言い掛けたエミヤはアンデルセンの言葉に口を噤んだ。弁が立つこの童話作家相手に迂闊に喋れば、上げ足を取られる事は明白だろう。
相変わらずメルヘンの欠片もないが、摩耗した記録の断片にある、月での彼も似たような台詞を言っていた。恐ろしい程の慧眼で無銘で在ったアーチャーの本質を捉えていたのは確かだ。

「その相手はアイルランド神話『アルスター物語』に登場する大英雄、朱槍の使い手クーフーリン、だろう?」

 アンデルセンの自信に満ちた声に薄い本が手の中でみしりと悲鳴を上げた。

(なぜ、相手までバレているんだ?!)

 一時的な受肉状態にある項の汗腺から、じわりと焦りが滲む。

「……っ」

 アンデルセンが指摘する通り――エミヤはランサー、クーフーリンに恋をしている。
 もうずっと、ずっと。座へ刻まれ下された分霊の霊基に染み込んでしまった程に深い恋を。
静けさが耳に痛かった、忘れられないあの夜の。
初めて間近で見た英霊の恐ろしさに慄き、けれど英霊としての在り方に焦がれ、刃先で仕合いさらに深くなった畏れと憧憬は――巡る召喚の中で『恋』へと変質していた。けれどエミヤは胸の奥の、彼に穿たれた心臓の奥の奥。一番柔らかな場所で芽吹いた感情を自覚した瞬間、その喉元を締めて閉じ込めたのだ。
誰にも気付かれないように、誰にも気取られないように、想いを喚きそうになる口を塞いで、出て来られないように重い錠を掛けて。
なのに、なのに。
 どうしてこの男は知っているのだろう。

「なんだ、反論しないのか?」

 楽し気な声にぐっと息を飲み、看破された心をこれ以上見透かされないように精一杯の虚勢を張る。

「……反論どころか呆れてものが言えないだけだ。ご自慢のスキル精度、此度の現界で下がったんじゃないかね?」
「ふん、ではその耳まで赤くなっているのをどうにかしてからそう言った台詞は吐くと良い。ああ、持っている表紙を見てだなんて言い訳を吐いた日には拡声器を持って今お前に言った事を食堂で語ってやろう」

 肌も露わな表紙を凝視していた視界に手鏡が差し出される。曇り一つ、指紋の一つも無いつるりとした鏡面に映し出されるエミヤの顔は、魔術焼けした肌の濃さにも負けずに赤い。

「うぐ……っ」

 語るに落ちるとは正にこの事、熟れた林檎の色で何を弁解しても無駄だろう。

「……そ、それがそうだとして、貴方に何か関係があるのかね?!」

 反論出来ないところが余計耳にも痛く、羞恥で消え入りたい気持ちを叱咤して自棄気味に言えば、手鏡で顎を掬い取られて上を向かされる。思ったより近い距離にアンデルセンの、人形のように整った顔がありエミヤが思わず息を飲めば、薄い唇が弧を描いた。

「ない。全くもって何一つもないな」
「そうだろう! だったら、」
「だが――創作者として興味がある。大事に大事に仕舞い込み、けれども隠し切れずに恋情を眼差しに言葉に吐息に乗せる、無骨なお前の中にあるその恋心にな」

 口を挟まないで欲しいと続けようとした言葉はアンデルセンの楽しげな声に遮られる。
少年の外見らしからぬ低い声は踊るように続けた。

「そんな眼で睨むな。ああ、勘違いするなよエミヤ、俺はお前の恋を茶化したい訳じゃない。むしろその逆だ」
「……逆?」
「そうだ。お前、あの男にその馬鹿げた程に一途な恋を伝える予定はあるか?」
「貴方の言い廻しはどうにも文学的で困る。……いいや、そんなつもりは毛頭ないし、大体、忌み嫌っている相手からの懸想など、彼にはいい迷惑だろうさ」 
「ほう? お前は青いランサーに嫌われていると?」

顔を見ればその秀麗な顔を歪に歪めるランサーの態度が、何より雄弁に語っている。
彼は、エミヤの事が心底嫌いなのだろう。

「……もし貴方が彼や周囲にこの事を言いふらすつもりなら、私は霊基を掛けて貴方を叩こう」

 精一杯の抵抗を榛色の眼に込めてアンデルセンを睨む。
 これ以上踏み込んでくれるなと、たくさんのものを取り零してきた自分がたった一つ、これだけはと座に持ち帰った心をこれ以上暴くなと言外に伝える。
 馬鹿な事だと理解していた。
愚かな事だと自分が一番良く理解している。
 アラヤに魂を売り渡して英霊になった癖に、神様に近い大英霊に恋をするなんて厚顔甚だしい事くらい。
それでも、芽吹いた心は殺せない位に大事だった。
どれだけ霊基を重ねようが忘れる事も出来なければ、摩耗する事も出来なかった。
エミヤがそうしたくはなかったからだ。

(俺が、穿たれた心臓ごと座に持って帰ったから)

 それ程に大事だった。大事で大切で、血塗れの心臓を後生大事にずっと抱えている。召喚されたどの場所でも、鋼の啼く丘でも。反英霊の素養を持つこの身には余る、人理を修復するだなんて大舞台にも後生大事に抱えてきてしまった程に。

「やれやれ、どうにも敵視されたものだ。勘違いするなと言っただろうが。お前はクーフーリン、ランサーに想いを告げるつもりはないのだろう?」
「当たり前だろう。……だが、貴方に私の気持ちが知られていたという事は、もしや彼にも気付かれているのだろうか?」

 考えただけでも背筋に悪寒が奔ってしまう。
もし、ランサーに懸想している事が万が一にでもバレてしまっているなら。種火と一緒にこの霊基をくべてもらうしかない。

「ああ、安心しろ。恐らくそれはないな。お前の気持ちに気付いたのは俺が人間観察をスキルになるまで好み、かつ腐男子だからだ」
「……腐男子?」

 一瞬安堵しかけたエミヤはまた聞き慣れない用語を聞き留め、盛大に眉を顰めた。

「先程の復習になるが男同士の恋愛を好む者、つまりBLを嗜む者には『腐』を付けるんだ。女なら腐女子となり、男なら腐男子。即ち俺だな」
「ほう……? 待て、アンデルセン。その理屈なら私も『腐男子』になるのだろうか?」

 男同士を好む、と言う訳ではないがエミヤはランサーに恋をしている。首を傾げながら問えばアンデルセンはエミヤの顔を上げさせていた手鏡を引き、我が意を得たりとばかりに笑った。

「そう、そこが本題だエミヤ。……お前の、この胸の奥で溢れ出してしまいそうになっているあの男への恋心、一つ形にしてみないか?」
「……何だって?」
「なに、別に強要する訳じゃない。一つの提案だと思ってくれ。お前はその胸に閉じ込めた初心な恋を伝えるつもりはなく、けれど捨てる事も殺す事も出来ずにいるのだろう? お前が幾ら忍耐強くとも、愛おしいと恋しいと思う気持ちをたった一人で抑え込むのは些か苦しくはないか? 何しろ相手は同じカルデアで共同生活をして、四六時中とは言わないまでも顔を合わせる。日に日に雪のように降り積もっていくだろう思慕は、けれど解ける事はない」
「それ、は」

 ぐらりと揺れる。まるで甘い誘い水のようなアンデルセンの言葉に胸の奥に貯め込んだ、片恋の死体が詰まった場所がぐらりぐらりと揺れる。
出して欲しい、息をさせてと。恋しい心をこれ以上殺したくはないのだと、剥がれた指先で理性を揺さぶる。

「お前の手の中にある本。……それも一つの想いの形だ。それを書いたサーヴァントはその二人に焦がれ、どうしようもない萌えを形にして吐き出している。立派な腐女子としてな」
「何だと?! 英霊がこの本を?! ……いや。少なくともサーヴァントを知っている者ではないと、こうまで似せては描けないか……」
「まぁな。因みにキャラ情報源と言うか元ネタの流出は俺だ。ネットで知り合った後にサーヴァントだと分かった次第だが……何も書くのはプロだけではないぞ。先程お前に説明した同人活動は素人からプロまで入り乱れて一つの世界を築いている。その中でも、とり分けBLはオリジナルから二次と懐が深くまた入り易い」

 まさかの英霊著作の真実とさらっと言われた重要事項に戸惑っていると、アンデルセンがベッドから降りてエミヤの前へと立つ。

「つまり、書けると言う事だ。その心の衿を誰にも憚る事なく自由に吐き出す事が出来る」

お前が持つ本のように。
その言葉に、ごくりと喉が鳴った。
行き場もなく心に澱んだ気持ちを自由に吐き出す事が、出来る。甘言がじわりと心に絡みつく。
――けれど。

「……私は、絵は勿論小説だって書いた事はない」

 こんなに肌色なものなんて想像も出来ないが、生前は勿論サーヴァントになってからだって料理や機械弄り、日曜大工以外創作活動に携わった事はない。

握っていたのは何時だって包丁以外は剣と弓ばかりで、読み物を書くだなんて事は想像も出来ない。
「そんなもの、誰だってそうだ。みな最初は誰だって『書く事』から始めるのだからな。俺だって最初は書いた事ないから始めたぞ!」
「稀代の童話作家である君と一緒にしてくれるな! そ、そもそも何を書いたら良いのかが私には分からない!」

 首を振れば盛大に溜息を吐かれ、眼前に手鏡が突き付けられる。

「青いランサーに対し、お前が常日頃思い描いている事を素直に書けば良いだけの事だ。さっき言っただろう、対象を見ていると胸が締め付けられる事はないか、と。お前はあの男を見てそんな気持ちになった憶えはないか? 存在を尊く感じたりした事は?」
「それ、は」

 そんな事はのべつ幕無し、四六時中だ。
ただでさえ頭の中を占めている男を一目でも視てしまえば、その美しさから眼を逸らすしか他ない。カルデアに召喚されたお陰で日々遠巻きにその姿をこの目に焼き付けては日々の糧としていたが、それはつまり――エミヤにとっての。

「はっ!? これが『萌え』という現象なのかアンデルセン……っ!?」

 萌えの解釈がいまいちよく分からなかったが、少なくともランサーを見ていると胸は締め付けられるように苦しみ、ケルトの英雄達と供に過ごす姿を見てはその煌びやかさに心中で手を合わせていた。キャスタークラスで召喚されたクーフーリンと並んでいる時なんて、どれだけ脳内シャッターを切ったが数え切れない。
そう息を急って話せば、答え合わせのように幼い口角が上げられた。

「んん、そこら辺はジャンル的に夢男子だが……『萌』の一端、お前の中で見つかったようだな?」

 見事な細工が施された手鏡を白衣の中に仕舞ったアンデルセンが掌を差し出してくる。

「腐の世界へようこそ、英霊エミヤ。俺はお前を歓迎しよう」

 両手に握り締めていた肌色の薄い本をベッドに置き、エミヤは自分の手よりも二周り以上に小さな手を握ると困ったように眦を下げた。

「……よろしく、アンデルセン」

 未知への世界に踏み込む事に少しの戸惑いはあったけれど、胸の中で腐っていくだけの。片恋の亡骸を少しでも供養出来るのなら、縋りたかった。
だってエミヤの胸には、伝えられない恋の死体が今この瞬間にも積み重なっていくのだから。

「よし! では実際の空気に触れ、実物に触れる事から始めるとするか! 売り子から始めその後は供に合同誌で同人デビューさせてやろう……だかその前にテストだな」
「テスト……? そんなものが要るのか?」

「何事も早いに越した事はないだろう?」
 エミヤより劣る筋力の筈なのに、痛い程にぎゅうと強く手が握り締められて引っ張られたかと思えば、ノートパソコンの前にエミヤを座らせるとマウスを操作し、あるサイトを開いた。

「これは今日本で流行っているピク支部というイラスト&小説の投稿サイトだ。同人作家、二次創作を以前お前に説明したかと思うが、このサイトもそれの一端を担っている。簡単に言えば、自分の『萌え』を胸の内から現実へと形にし、名も知らぬ多数の人間の元へと曝け出す場所だな。世界各国、プロもアマチュアも自分の好きなものを好きなだけ投稿して、それをまた視るだけの者もブロもアマチュアも楽しんで『萌え』を共有している」

 そう言うと、アンデルセンは手慣れた様子でマウスを動かし、ページを開いては何かを打ちこんでいく。

「俺も基本的にはここで作品をアップしている。何作か連載し、纏まったら本にしてイベントで領布する形を取っているが、ピク支部にだけ上げている作品もある。全体数から見てもイベントで本を出すオフ活動とネットのみで活動するオン活動は半々ではあるが……まぁそれはお前の好きにすると良い。……よし、これで登録は完了だ」
「う、うむ……?」

 タン、と小気味良い音を経ててアンデルセンはキーボードから手を離した。十七インチの画面にはプロフィールの編集というページが開かれていた。笑っているような丸いアイコンの下にアーチャーと書いてある。

「登録する際に俺が勝手に打ってしまったが、ペンネームは好きな名前にすると良い。直ぐに思い付くようなら今変更するが?」

 どうする? と視線で問われて考えるが、名前など真名しか思い付かない。と言うか何故ペンネームがいるのかが分からない。が、とりあえず彼の作家名が気になったエミヤはちらりとアンデルセンを視た。

「……貴方は何と言うペンネームを付けて?」
「俺は『童話作家』で活動している。真名は日本と言えど知名度が高いからな、ペンネームとしては使えん。下手に炎上すれば厄介だ」

 確かに彼の名前は子供の頃一度は必ず眼にし聞いた事がある名前で、そのまま使うには中々難しいだろう。
 エミヤは少し考え、口を開いた。

「……では衛宮で。衛は衛のえい、宮は宮参りのみやだ」
「ほう。宮を衛ると書いて『エミヤ』か。実にお前らしい充字じゃないか。お前がこれから自分の二次創作を書いていくなら『アーチャー』よりこちらの方が気付かれ難い。では『衛宮』で登録しておくぞ」

 充字ではなく生前の本名なのだが、自分らしいと言われて少しだけ気恥ずかしくなってしまう。義父の名字はエミヤにとって誇らしいものなのだ。

(いやむしろ切嗣でも良かったんだけど……それは流石に図々しいよなぁ。何よりちょっと恥ずかしいし)

 カタカタと打ち込まれ、プロフィール画面の名前が衛宮へと変わった。

「ではこれで完了だ。腐の世界へようこそエミヤ。ここで思う存分、お前が感じた萌を形にすると良い」
「は?」

 肩をポンと叩かれ、薄い笑顔で親指をサムズアップされる。ほんの少しだけ感傷に浸っていたエミヤの意識は現実に引き戻された。
――嫌な予感がする。

「ま、待てアンデルセン! 形にするとは聞いていたがそもそも……」

戸惑いを口にしかけたエミヤの脳裏に、そもそも気付く切掛けを与えた彼の本と以前手にした肌色の表紙が浮かび生唾を飲み込んだ。いやそんな。
――まさか。

「それは、どういう」

 恐る恐る聞けば、エミヤの肩に置いていた左手を離し腰に当て、右手を黒縁眼鏡へと当てた。

「言っただろう? ここでお前の感じた萌えを思う存分発揮すると良いと。健全からドスケベ漫画、小説でもなんでも良い。ツールは全てこのパソコンの中に入っているしやり方は俺が手づから教えてやろう。何、礼は要らんぞ。同人業界とはいうのは経験者が未経験者に教え自分のスキルも人のスキルも磨いていく所があるしな。そうして繁栄し成長していくのが同人だ」
「……やはりかっ!」

 立て石に水が如く熱弁を奮うアンデルセンに予想が当たったとエミヤ頭を抱え、けれどと躊躇いを口にする。

「ア、アンデルセン落ち着け! 何度も言うが私はそもそも今日この世界を知った初心者だぞ?! 才能ある君じゃないんだ、ハードルが絶壁並に高すぎる!」

 大体創作活動など今までした事などない者に対し、無茶振りにも程があるのではないだろうか。

「ふん、俺は三流物書きだと言っているだろう。大体俺は元々こき下ろすにこき下ろされて物書きになったタイプだ。何を書いたらか……そうだな、まずはお前が絵に向いているか小説に向いているのかから始めるか」

一度離れたアンデルセンがまたエミヤの背後へと廻り、マウスへと手を伸ばしてフォルダを開いていく。カチカチと数度繰り返し、画面に白いキャンバスを表示させたかと思えば、机の下部をスライドさせ板を示した。

「サイと言う絵描きツールだ。これがペンタブレットの板と、机の端に立ててあるペンがそれを入力する……この板が原稿用紙でこのペンが付けペンだと思えば良い。何、使っている内に慣れる。機械は得意だっただろう? ああ、設定や使い方の説明はこの実践サイトが分かりやすいぞ。ブクマ済みだから参考にすると良い」
「いやだから」
「あとは追々知識を付けていけ。まずは実践だ。お前のその胸の内にある萌えをそのペンで描いてみろ!」
「……描いてみろと言っても」

 何を描けば良いと言うのか。アンデルセンを振り返るも、何時の間にか背後のソファに腰を下していた彼はまた親指を立てて放任を決め込んでいる。
エミヤは溜息を吐くと取り合えずと画面に向かい、使い方のエントリーに眼を通してペンを握った。

「一通り書いたら次は小説……短編を書いてもらおう。私小説でも青いランサーを讃えるだけの文でも何でもいい。それが済んだら次はイベント参加だな。未知の領域を知るには実際の空気に触れるのが一番だ。そして非力な俺の代わりに無数の段箱を持て!」
「だから初心者に対して色々と詰め込み過ぎではないかね?!」
「――はっ! 飛んで火に居る夏の虫をこの俺が逃すとでも?! いいかエミヤ、時は金。カルデアで言うならQPだ! 一秒一分十分一時間、俺の時間にはそれ相応の対価が要る。暇さえあればパンを踏んだインゲルの、はだかの王様の、雪の女王にカイを浚われたゲルダの、恋を飲み込んで泡となったアラーナの続きを強請られ望まれるこの俺、他でもないヨハン・クリスチャン・アンデルセンがその貴重な時を使ってお前に腐の一端を講義したんだぞエミヤ!」 

 アンデルセンはまるで水を得た魚のように、エミヤの背後でいきいきと語り始めた。ペシミストではなかったのか。

「いやそれは貴方が勝手に話し出したのでは」
「つまりだ! 勧誘は別としてまずお前は俺の講義を受けた。その対価は支払われて然るべきではないか?」
「いやだから講義自体は貴方が勝手に」
「そもそもマスターから掃除の際は入って良いと許可を受けているカルデアブラウニーとは言え、人の部屋に家主の許可なく入り私物を盗み見たのは誰だった?」

 誰がブラウニーかと開き掛けた口は、偶然とは言え彼の私物を結果読んでしまった後ろめたさに閉じてしまう。

「うぐぐ……っ」
「はっはっはっはっ! 見事な『ぐぬぬ』じゃないか!」

 唸るエミヤにアンデルセン高らかに笑う。愛らしい少年の外見から恐ろしく色の在る声が嬉々として放たれた。

「折しも丁度イベントがある。これはもう天啓、いやある意味運命だな。来週の日曜はその忙しない身体をまる一日きっちりと空けておけよカルデアブラウニー! おはようからおやすみまでまるっと綺麗にな! あと現代服を用意するように!」
「だから私はブラウニーではないと言うに! ……休みの調整はマスターとブーティカに相談すれば何とかなるが現代服……? 来週に何があるんだ?」

 頭の中でカレンダーを捲るが特に行事はない。

「冬が終わり夏が来るまでの間、ゴールデンウィークがまっている。初夏に入る前の収穫祭だ」
「収穫祭? なんだ、作家系サーヴァントなのに何か育てていたのかね? 畑仕事になるのなら対価云々の前に協力するのも吝かではないがその時期となると……」

 トマトやピーマン、トウモロコシだったかと聞けば、アンデルセンは片眉を上げ胸元から端末を取り出し、子供らしからぬ顔でにやりと笑った。

「そうだな……ある意味実りには違いない。だが愚鈍な問い掛けだ! お前は先程の俺の言葉をちゃんと聞いていたのか?! 講義の後はフィールドワークだ! あと手を動かせお前の萌えを形にしろ……! もしもし刑部? ああ、売り子はゲットしたぞ!」
「誰に電話を……? トマトではないのかね?」


そんな遣り取りをして、無事に休みをもぎ取った約束の朝。せめてもと朝食を作り終えたエミヤが余った材料で弁当を拵え、何時ぞやの召喚で着ていた黒のシャツとスラックス姿でアンデルセンの元へ向かえば、酷くやつれている癖に眼だけは爛々と輝かせた彼にレイシフトルームへと連行され。「私が頼んだふたなり本もよろしくね!」と笑顔のダヴィンチちゃんに見送られながら――二千十七年の東京へと飛ばされたのだ。
連れて行かれた先、アンデルセン曰くフィールドワーク兼初夏の収穫祭、日本最大のコンペション施設でエミヤを待っていたのは、大きなホールのシャッター前に設置された長机のスペースと平たく詰まれた段ボールの山。そして、見知らぬ一人の少女だった。

「アンデルくんおはよー、あ、そっちの人が例のエミヤくんだね! 初めまして、今日はよろしくお願いします!」

 羽織に似た、一目でも質の良さが解る薄桃色の薄いロングポンチョに和風ゴシックロリータを着込んだ黒髪の美しい少女がアンデルセンとエミヤを交互に見遣る。

「は、初めましてお嬢さん」

 状況が飲み込めないまま下げられた小さな頭にエミヤも下げ返した。紫のヘアバンドから零れる豊かな黒髪がさらりと揺れる。

「おはよう刑部姫。ああ、こいつは今日がイベント初参加だから迷惑を掛けるかもしれんが、よろしくな」
「ううん、こっちこそ! 売り子さん来てくれて良かったよー! くろひー来れなくなったからほんと助かる!
新刊あるし姫とアンデルくんだけだったら絶対炎上しちゃうもんね~姫引き籠りだからスペ手伝ってくれるようなリア友居ないし……はぁ正直今から帰って引き籠りたい青空がしんどい」
「せめてこの段箱を少しでも減らしてから帰れ」
「アンデルセン、このお嬢さんは……?」

 親しげな二人の様子に戸惑いながら困惑をした視線を童話作家へと向けた。
何が何だかエミヤにはまずさっぱりと解らないし、何より何故デンマークの英霊であるアンデルセンとどう見ても日本人だろう彼女との接点が分からない。加えてエミヤ達を送り出したダヴンチちゃんにしても手慣れている印象で、恐らくアンデルセンはこの場所へ来るのは初めてではないだろう事は窺い知れた。

「ああ、この女は刑部と言って――今日俺と合同スペースを一緒に取っている同人作家だが……お前が俺の部屋で視たホームズ達の本を描いた作者と言えば分かりやすいか」

 隣接とは何だと首を傾げかけたエミヤはアンデルセンの言葉に眼を剥いた。脳裏に、あられもない二人の姿が蘇ってしまい顔に血が上っていく。

「な……っ?! こ、このお嬢さんがあれ、を!?」
「やだー、姫の本読んでくれてるのエミヤくん! あ、さん付けじゃなくてエミヤっちでも良い? そいでもって、良かったらこれ、今日の新刊なんだけどどうぞ!」
「あ……ありがと……うっ?!」

 甘い声ではしゃぐ少女――刑部に面食らいながら、華奢な手で渡された薄い本を見てエミヤの言葉が詰まる。
 肌色だった。肌色を白濁で汚した見憶えのある二人がとんでもない事になっている。辛うじてボクサーパンツが引っ掛っているのは、作者の良心なのだろうか。

「えへへー、こんなにカッコいい人が姫の本読んでくれてるなんて嬉しいなー、でも何でパジャマ着てるの? 寝坊? もしかしてコスプレだったりする? 」

動きが固まったエミヤの袖口をくいくいと摘まむ刑部に正気へ戻されると、肌も露わな表紙を胸に抱き込んで隠し、咳払いをする。

「……ごほんっ、褒めて頂けたのは嬉しいがこれはパジャマでもないしコスプレでもない、私の私服だ」
「やだーエミヤっちださいー!」
「ダサ……?!」
「刑部、ナリはこれでも心は硝子だからそれ位にしておけ。あとそろそろ設営の手伝いもしろよエミヤ。この為にお前を呼んだと言っても過言ではないんだ。非力な俺の代わりにこの段ボール箱の中身を長机に並べていけ、お前の几帳面さを表すように美しくな!」

容赦のない刑部の言葉にまたしても言葉を失ったエミヤへ、段ボールの箱を黙々と開けていたアンデルセンからお呼びが掛かる。

「んー。折角視てくれは良いのに勿体ないなぁ。これもギャップ萌えで全然悪くないけど黒は汚れが目立っちゃうし……、あ、そうだ。今度作ろうと思ってたノベルティの試作品が此処に……よしあったー! エミヤっち、これあげるから付けて!」

 背後に積んでいる段ボール箱に頭を突っ込んだ刑部がガサゴソと音を経て、取り出したのは二つの袋だった。
 透明なビニールに包まれたそれを彼女は取り出し、エミヤの前に「じゃん!」と自前の効果音と供に並べた。

「……カフェエプロン?」
「うん、冬コミ合わせはエプロン本にするから、それのノベルティ! Fサイズで作ってるからエミヤっちでも……多少お尻が窮屈かも知んないけど入ると思うよ! ね、どっちの色が良い?」
「……女性用のFサイズなら尻以前に腰が窮屈だと思うのだが」

 眼の前に広げられたニ色の生地を手に取り縫い目を確かめると、雑な仕事ではない事が一目で知れた。

「……ふむ、生地も縫製もしっかりしている。ノベルティにはとても見えない仕事振りだ」
「あっ、分かるのエミヤっち!? これね、ちゃんとした縫製会社さんにお願いした自慢の試作品なんだ~! 本は勿論、ノベルティにだって姫は手を抜かないんだよエライでしょう~! ねっ、ねっ、どっちが良い? まだ他にも何色か試作品あるけど」

 誇らしげに掲げられたのは馴染みのある赤と、腐れ縁のある青。肌に魔力に霊基に馴染んだ赤に伸ばした指先は、けれど鮮やかに染色された青を抓んでいた。

「……っあ」
「ん、エミヤっちこの色好きなんだ。はい!」
「す、好きな、わけでは……っ」

 笑顔で渡されたエプロンを思わず握り締めてしまう。
 赤を手に取ろうとしていたのに、無意識に彼の色を選んでしまっていた。我ながら素直すぎる色の選択に頬へと上がる熱を止められず、俯いたエミヤの耳に押し殺した笑い声が聴こえた。

「……くく」

視線だけをちらりと上げれば、童話作家が両手に肌色の本を大量に抱えて笑いを噛み殺している。

「な、何だねアンデルセン!?」
「いや、失礼。事実は小説より奇なり、事実とは創作よりも破壊力があると思ってな。……これでどうしてカルデアで、特にあの男にバレてないのか俺にはさっぱり解らん! だがエミヤ、何時までも乙女心を全開にしていないで設営を手伝え! 時は金だと言ってだろう! イベントが終わった後なら心ゆくまで蕩ける事を許可する、そして俺にネタを寄越せ!」
「だから何だねその乙女心と言うのは!? ネタ?!」
「はいはい、二人供そろそろ本気で段箱開けていかないと間に合わないよー! 姫スタッフちゃんに怒られるのだけは勘弁なんだからね! ほらほら、エミヤっちはさっさとエプロン付けて! 時間ないんだから!」
「う……っ」

 急かされて手の中のエプロンへと視線を向ける。
 つい、つい選んでしまった。エミヤの気持ちを知っているアンデルセンだけしか居ないから、つい。

(……彼の色を)

 勿論、流れるような髪はもっと鮮やかで。
美しくしなる無駄のない筋肉を覆う礼装は彼の神気を帯び、まるで夜明け前の藍色の空を溶かし込んだような稀有さを湛えている。違う青、彼とは違う青だけれど。

(カルデアでは纏えない色だが……)

 こくりと息を飲み込む。
誰も視ては居ないと知ってはいるが辺りを見渡し、手早くカフェエプロンを腰に巻き付けた。今日だけ、今日だけだからと言い訳を胸の内で繰り返し臍の下でリボンを結ぶと、刑部が言うように尻廻りがどうにも張る気がするが動けない程でもなく、指示された段ボール箱の中身を開けていく。

「ナイスサポートだ刑部」
「ふっ……。私を誰だと思っているのアンデルくん。陰世治める高津鳥、即ち私は八天堂。百鬼夜行の刑部姫はガチムチに対してだって手抜かりはしないわ!」

ランサーの色とお揃いだと、内心で浮かれるエミヤの背後で、アンデルセン達が「尻神の降臨」と呟きながら写真を撮っていた事など――てんで知る由もないままに。


 そして秋の収穫祭と言う名のイベントが始まり――エミヤは聖杯戦争とは違う、また一つの違う戦争を視た。
 日本人の制とした列が長机の前に綺麗に並び、領布開始のアナウンスと供に差し出される紙幣、減っていく本の山、進んだ列の分だけ補充されていく人の波――。
 どれ位の時間が経った頃だろう。
長机に積んだ分の、空になった段ボールで会場内部側に作った段箱ポスター立ての在庫が全て無くなり、刑部が筆ペンで『新刊・既刊供に完売しました。有難う御座いました』と書いたスケッチブックを机に置いた所でエミヤはコンクリートの床に片膝を付いた。
頭の中では覚え込んだ領布価格が踊り、在庫の上げ下し補充&接客で酷使した両腕は疲労を訴えている。

「お……終わった……のかっ?!」

 ぜぇと息を吐き、上目で両隣に立つ刑部とアンデルセンを交互に見れば、汗が弾ける笑顔でサムズアップをされた。

「喜べ、搬入した分全てが嫁にいったぞエミヤ。お前の品出し&接客スキルは俺の見立て以上の働きだった!」
「ほんとほんと、すっごい助かったよエミヤっち~! 売り子初めてなんて嘘みたい!」
「いや、婦女子の購買意欲というものは何とも凄まじい。と言うか貴方達は凄く人気なんだな。……まるでお一人様一パック卵特価セールか新春家電福袋を狙う列のようだった。流石文豪アンデルセンと言った所か……」
「姫の本も忘れないでよね! 腐女子は萌本にある意味命掛けてるから必死なんだよー。いやでも今日は本当にお疲れ様エミヤっち! お陰さまで最速の完売だった……アンデルくんもお疲れそして私もお疲れ……お腹減った……」

 額に光る汗を腕で拭った刑部は椅子に座り、きらきらと輝いていた眼を虚ろに濁らせて腹を抱えていた。何時の間にかアンデルセンも用意されていたパイプ椅子の一つにぐったりと頭を乗せ、地面に膝を付いて伸びている。

「刑部も良くやった……。そうだな……そう言えば俺も昨日飯を食ったきりだ。……しまった、自覚した途端腹が盛大に減ってきたぞ」
「ああ、それなら」

 そう言う彼の腹から子犬のような鳴き声が聴こえ、エミヤは重だるい腕を叱咤してカルデアから持参したトートバックの中身を取り出した。

「この場所で飲食は大丈夫かね? 簡易だが弁当を用意してきた。口に合うかは解らないが良かったら――」

 言い終る前に項垂れていた眉目秀麗な顔がエミヤへとくわりと向けられる。

「「食べる!!」」
「……その、手拭きでちゃんと手を綺麗にしてから食べてくれ。一応アルミホイルで包んではいるが野外だしな」
「「了解!」」

 差し出した除菌ティッシュを受け取り、高速で掌を拭いて弁当を開ける二人に苦笑しながらエミヤは保冷ボトルに淹れていた麦茶を、これまた持参した紙コップに注いで手渡した。

「ひゃぁああ何これ何これめちゃくちゃ美味しい~! 視た目も可愛いし……あっ、写真撮り忘れた!」
「ふむ……白米でおかずを挟んで海苔を上から巻いているのか。もぐもぐ、まるでサンドイッチみたいだな」
「口に合ったようで何よりだ。収穫祭だと聞いていたのでね、片手間で食べられる方が良いかと思って『おにぎらず』にしたんだよ。……収穫は収穫でも芋ではなく本だったようたがね」

 海苔に塩をまぶした白米を敷き詰め、朝食から失敬した焼き鮭や金平ごぼう、出汁巻き卵を配置良く並べてその上からまた白米を、海苔を乗せてサンドイッチの形を作り、三角形になるように切れば和風サンドの『おにぎらず』の出来上がりである。割ったおにぎらずの横には動物ピックで刺したタコさんウィンナーやミートボールも添えておいた。

「エミヤっち……君は良い嫁になるよ……。アンデルくんやくろひーから噂には聞いてたけどお手拭きお弁当に冷たい麦茶とかお腹膨れ出したら萌えしかなくてやばい。私基本ガチムチ属性ないけどエプロンの威力と相まってやばいし尊い」
「直に相対すると恐ろしさすら覚えるだろう? 因みにくろひーと俺はこれを毎日美味しく頂いている」

褒められているのかどうなのか判断に困る会話に混じる、聞き慣れない名前にエミヤはそう言えばと首を捻る。
刑部と最初に会った時も確かその名前を言っていた。

「その、くろひーとは一体誰だね? 私を知っているとなるとカルデアに今居る英霊だろうか?」
「ん? ああ、黒髭ティーチの事だ。奴はくろひーと言うペンネームでシェイクスピアと組み男性向けで活動していてな。本来はくろひーが非力な俺達の代わりに補充や列整理、搬出を手伝ってくれる手筈だったんだが生憎あいつ等の方の締切が焦げ付き、劇作家様の部屋を精神と時の部屋にして缶詰修羅している訳だ」
「成る程、黒髭だからくろひー……ここ最近食堂に姿を見せずやつれ顔で偶に夜食をデリバリー注文してくるのはそれが原因だったのか。歴史に名前を刻み続ける文豪と劇作家、海を制した海賊まで何をやっているんだ」
「ふん、愚問だなエミヤ。楽しい事に決まってるだろう。何、今にお前にも分かるさ。人間には絶対に引っ掛かる琴線がある。それはお前だって例外ではない。因みにシェイクスピアのペンネームはウィリアムおじさんだ」
「いや私は……と言うか本当にシェイクスピアはそれで良いのか」

 ピックに刺さったウィンナー片手に、無駄に良い声でドヤ顔をするアンデルセンと項垂れたエミヤを交互に見ていた刑部が羨ましげに溜息を吐いた。

「良いなぁカルデア楽しそう……けものSNSでも結構良いって書いてあったし私ちょっと真面目にカルデア考え……あ、駄目……私超絶引き籠りだから駄目だわ……家でナイツオブマーリンズの彩色しないといけないし何より人と話すの耐えられない人見知りには絶対無理!」
「もしや君も英霊なのか……? いやその前に君の何処が人見知りなんだ?」

物凄くぐいぐいきていたがと顔を上げれば、俯いてぶつぶつ言い始めた刑部の代わりにアンデルセンが頷いた。

「ああ、何時かそいつも召喚されるかもしれんが……まぁ視ての通り引き籠り腐女子だ。脱稿&イベント日に限り眼鏡を外したこいつはオタサーの姫モードで一応は人前に出られるようになるんだが、それもイベント時間の極短い間だけだな。そろそろ帰らんとこいつの姫モードが切れる。……と、そうだエミヤ。お前に俺の新刊を渡してなかったな」
「腐女子……前に貴方が言っていた腐男子の女性版か……。ん? 貴方達の本は全部売り切れたのでは無かったのかね?」

 以前の講義で習った言葉を思い出していると、アンデルセンは最後のウィンナーを口に入れながら左手を自身の鞄に突っ込み中を探っていた。

「表向きはな。身内用に何冊かは取り置いて……と、あったあった」

 そう言って取り出した本は、先程完売したばかりの、彼が書いたと言う一冊の文庫本だった。エミヤの眼の前で飛ぶように売れて行った『同人誌』である。
まるで本屋に売って居るような仕様で表紙にはすらりとした長身の影が二つ、背中合わせに立っていて誰が主役でどんな物語かも皆目見当がつかない。けれど、世界に童話を浸透させた彼の作品だと言うだけで読みたい気持ちがそわそわと浮足立つ。
アンデルセンに言った事はないが、エミヤは生前から彼の作品の読者だったのだ。
醜いアヒルの子、雪の女王、人魚姫。
それらはどれも、幼い頃、養父だった切嗣が幼い『士郎』に不器用ながらに読み聞かせてくれた童話達だった。

「まぁ、健全本と言ってもあくまでBL本だ。無理にとは言わんが……」

 健全本、と言う事は刑部の本のように肌色白濁過多な本ではなく、そういった描写はないと言う事だろう。
ボーイズラブと言う事はさて置き、何処か郷愁のような気持ちと純粋に彼の作品を楽しみたいという気持ちがエミヤの口元を綻ばせる。

「いや、世界に愛され続ける貴方の著作を読ませて貰えるなんて光栄だ……二人が食べている間に読ませて頂いてもいいかね?!」
「そうか、では一切苦情は受け付けんぞ?」と厚い文庫本を手渡され、前のめりに聞けばタコさんウィンナーに齧り付いたアンデルセンが鷹揚に頷いた。
「ああ良いぞ。しかし照れるな、眼の前で読まれるなど」
「姫の分もちゃんと頂戴ねアンデルくん! ……て言うか、エミヤっち凄いきらきらした眼で読み出したけど」

 刑部がおにぎらずを片手に自分の新刊を渡せば、アンデルセンも彼女の白い手に自分の本を裏向きにして乗せた。裏表紙は刑部に描いて貰っていて、表紙はその絵に意図的に塗り潰してもらったものを使用しているのだ。

「そもそも今日の新刊って」

 裏表紙には長身の男が二人、背中合わせに立っている。一人は赤く、一人は青い。二人供凛々しい顔立ちをしているが、その内の一人は嬉しそうにアンデルセンの本を捲るエミヤに良く似ていた。
 私服の姿ではなく、カルデアでのエミヤの姿と。

「ああ、こいつ等がモデルだな」

 深い青の礼装に身を包んだランサーに。


 そんな遣り取りが在ったあの日――アンデルセンから渡された本の内容は、エミヤの予想とはまるで違っていた。大人が子供達に読み聞かせるような物語ではなく、文庫本に納められたそれは恋愛小説だったのだ。
その内容に、結果から言えばエミヤは嵌った。
言葉だけでは曖昧模糊だった『二次創作』、『同人』という世界に開眼してしまったのだ。
 『ランサー』を主役とした、ボーイズラブの世界に。
 二人が手製の弁当を食べている間に読み耽ってしまった本の中の二人は今でもエミヤの心のバイブルだと言って良い。
アンデルセンの新刊を読んでいく内に『エミヤ』自身がモデルである事は容易に知れた。名前はクラス名の『アーチャー』と記されていたが、外見や性格に自他供に認める共通性を認め、またその『アーチャー』の相手役も分かってしまったのだ。
彼もまたクラス名で登場していたが、彼を示す容姿やその兄貴肌の性格からあの男の事だと直ぐに分かった。思わず本を閉じ、絶句してアンデルセンを見れば彼は無表情で親指を立てていた。一度はその本を見なかった事にしようとも思ったが、途中までの展開の続き読みたさに負けてページを捲ってしまった結果。刑部とアンデルセンが食事を終え、帰り支度を終えてもエミヤは物語から抜けられず夢中で読み進めてしまった。
文字の中で感情目まぐるしく時に果敢に、時に感情豊かに、時に切なく狂おしく心を吐き出し、たった一人の男を愛していく作中の『ランサー』に。読んでいく内に何度『アーチャー』に嫉妬したか知れない。
 さすが文豪アンデルセンと言った所なのか、エミヤの知るランサーと小説の中のランサーに相違は殆んどなく、読み進めていくにつれて心に迫り何度も息を飲んだ。
 けれど、決定的に違うものが根本的に一つだけあった。
 実際の彼はエミヤを愛さないし、そもそも毛嫌いしている節がある。けれど、文字で綴られるランサーは『アーチャー』を不器用に深く、まるで春の海のように深く愛していた。
その真摯さに、想う心根の美しさに何度心を打たれ、何度心を詰め付けられたかしれない。
そして、そんな彼に愛される『アーチャー』が酷く羨ましくて。焦がれて焦がれたその結果、立派な腐男子となり果ててしまったのである。
最初は自分の伝えられない気持ちを発散出来るのならと足を踏み出したエミヤだったが、同性同士だからこそ生まれる感情の機微、さらにそれを繊細に露わす幾多の表現方法に引き込まれ――アンデルセンが言っていた『萌』の意味を果たして、きちんと理解したのだ。
 己が内から湧きでる感情の奔流、尊いの感情を。


「貴方の例えは本当に秀逸だな。正しく萌とは本能、宝具のようなものだった……」

あの日の事を思い返せば知らず言葉が漏れ、エミヤの独り言を拾ったアンデルセンは怪訝な声を上げる。

「なんだいきなり。あと、いい加減二人称を変えろと言っているだろう。男から『貴方』等と言われるとどうにも尻の座りが悪い」
「ああ、すまない。つい癖が出てしまうな。……いや、ランサーの顔が良過ぎて私がこの世界に嵌った時の事を思い出していたんだ。気憶をトリップさせるとは末恐ろしい……推しの顔が良い」
 ほうと溜息を吐けば休みなく打ち込まれていたタイピング音が止まり、アンデルセンが深く頷いた。
「それな」
「それな」

 それが真理だとばかりに真顔で答えられ、エミヤも真剣な顔で頷き返す。『推しの顔が良い』。それはアンデルセンとエミヤの共通認識である。
アンデルセンはエミヤと違い、ランサーに対して懸想は抱いてないがその顔は本を出す程に気に入っている事もあり、エミヤのランサー話に付き合ってくれるのだ。

「俺も老若男女数多の美形を見て来たが、あの男の顔は正しく神代に相応しい。面喰いのお前が惚れるだけはある」

 再びキーボードに指を滑らせるアンデルセンにエミヤは片眉を上げた。彼の顔が良いのは周知の事実だが、今の言葉は聞き捨てならない。

「失敬な、私は別に面喰いな訳ではない。好きになった彼の顔が偶々破天荒に良かっただけだ。そもそも英霊達自体見眼が良いし、大体貴……君だってランサーにも負けず劣らずの容姿だと思うがね? スカイブルーの美しい髪にサファイアのように煌く瞳。まるでお伽噺に出て来る無垢な王子様のようだ……が、私は君ではなくあの男の心根に惚れている。どうだ、面喰いではないだろう」
「……お前、本気で言ってるのか?」

 まじまじと顔を覗き込まれ、意図が読めず宝石のような青い眼に首を傾げる。

「何がだね?」
「……いや。流石はドンファン、誑し込まれると同時に惚気られるとは思わなかった」

 苦虫を噛み潰したような渋い顔でアンデルセンがこちらを見て来るが、ますます意味が分からない。

「まぁ、言われてみればそうだな。英霊補正が掛かるのか顔が良い奴等ばかりだ。若しくはそこが惜しい代わりに霊基に美しさが現われている者か……と言っても俺は妄想し放題だから有難さしかないがな! そして俺が美しいと認めるなら俺×お前を描いてくれても構わんぞ! 肖像権は徴収するが!」
「謹んで辞退させて頂こう。……そう言えば、君の本を貰った時から気にはなっていたんだが、何故私のような図体の男を受にしたんだね。いや、筋肉受けと言うジャンルは分かる……分かるが自分だと論外だ」

 そっと自分の身体を見降ろすがやはり首を傾げるしかない。老人のような白髪に魔術焼けした肌、ランサーよりも身幅のある身体。性格だって少々癖が強いと自覚している。今ではすっかりと造詣が深くなったこのボーイズラブ業界、カップリング対象として受けの立場は愛される位置付けが多い事を思えば、殆んど真逆の人選だとしかエミヤには思えない。
なおさらケルトの大英霊で太陽からも愛される、光の御子の異名を頂くランサーが適任だろう。
事実、エミヤはアンデルセンの『ランサー』×『アーチャー』に嵌りはしたが、実際に描いているのはその真逆のカップリング、『アーチャー』×『ランサー』である。
健全な話しか描いていない事もあり、どちらのカップリングでも読める体ではあるがエミヤの解釈として愛される立場と言えば、やはりランサーがしっくりくるのだ。

(いや、愛される気分を味わえて心が満たされたのは確かだったが)

 何度読んでも読み飽きない本の一冊でもあるけれど。

「安心しろ、世の腐女子達はお前のような図体のでかい男が見眼麗しい男に愛される事を好んでいる。健全から組んでほぐれずのぐっちょんぐっちょんもな!」

 アンデルセンが至極真面目な顔で言った言葉にエミヤは間髪入れずに首を振る。ない。

「それはない」
「何を言うか。俺が童貞処女童話作家でなければ刑部と一緒にお前達のドスケベ本を出してる所だぞ。大体なんだそのでかい乳と括れた腰、これまたでかい尻。性的にも程がある!」
「は、はぁ?!」

 明け透けな言葉に熱が頬へと上がってしまう。
こんな筋骨隆々な男を捕まえてこの作家先生は何と言う事を言うのだろうか。
ランサーと、エミヤがそんな。
あの日に視た、探偵達を模した本のようにだなんて、そんな。

「ぱ……馬鹿な事を言ってると君の本の表紙描かんぞ! 大体乳と言うな! これは胸筋だ!」
「おっと、それは回避したい案件だ。成長目覚ましいお前の絵で是非俺の悲喜劇は彩って貰いたい。そうだな、締切はもう眼と鼻の先だ。ラストスパートを頑張るか!」

 何時の間にか付けられていた、にこにこ動画のゲーム実況が流れるエミヤの部屋にキーを打つ音がまた規則的に混じっていく。

(……っ、くそ。アンデルセンめ)

 目元や頬に上がった熱は引かず、エミヤは赤い顔のままペンを握り直すと板タブへと居住まいを正した。
深呼吸をし、いざと画面へと向かう。
描き掛けのランサーにペン入れをし、処理を進めていく。顔が良い。本当に顔が良い。だから、熱が引かないのだと、内心で言い訳をしながら。

(わ、たしと。ランサーが。妄想の中でも、そんな)

 事になる訳がない。自分の身体を恥じる訳ではないが、半神である彼には何一つも釣り合わない事は自覚している。そんな彼に、心どころか身体も愛されるなんて。
 ――正直、今まで想像した事がなかった。
最初から叶わないと解っていたから。
いや、そもそもサーヴァントとなって久しく、そんな欲求自体を忘れていたと言っても良いかもしれない。
だからこそ、その発想にまで至らなかったのだろう。

(第一、そんな事。例え妄想の中でも彼に対して申し訳ない)

 ただでさえこの殺し切れない思慕の受け止め役をして貰っているのに、流石にこれ以上はエミヤの中の良心も羞恥も耐え切れない。そう、エミヤはただ。妄想の中だけでも彼に気持ちを伝えたかった、だけで。
自分の都合の良い世界なのは分かっている。
けれど、彼の美しさや英霊としての強さ、その存在の在り方を皮肉もなくただ素直に伝えたかった。

(面と向かってだと、攻撃的な彼に私もつい反抗的になってしまうからな。けれど創作の世界なら気持ちを包み隠さずに曝け出せる)

 自分の都合の良い世界のランサーはエミヤに嫌な顔をしない。エミヤを見ても顔を顰めたり舌打ちしたり、直ぐに顔を逸らしたりは、しないから。

(……こうして、素直に伝えられる)

 画面の中の、自分が描いたランサーに。
ジャンルはある意味二次創作で自分自身を題材としたオリジナルだが、アンデルセンが先に書いていた為共通設定のキャラクターとしてストーリーを練るのは酷く楽しかった。だって、惜しみない愛の言葉を彼に伝える事が出来きたのだ。誰憚る事なく、恋しいと、愛しいと、好きだと伝える事が。
『アーチャー』から、『ランサー』へと。
 恋の躯にせめてもの墓標をと始めた創作は気が付けば結構な枚数になり、アンデルセンに教えられた『ピク支部』へと投稿する内、最初は少なかった閲覧数もエミヤの絵が上達していくと同時に増え――今では人気ランキングに載るまでにエミヤの『アーチャー』×『ランサー』は好評を得るまでになっていた。
 今描いている原稿も元々ピク支部に上げていた連載物ではあったが、コメントやメッセージなどで紙媒体で読みたいとの声を多く貰った結果、アンデルセンやイプ仲間になった刑部からの提案で本として出す事となったのだ。最初は羞恥ばかりが先行し頑なに拒んでいたが、エミヤをこの世界へ叩き落とした作家に「お前の本に短編を寄稿してやろうと思ったのだがな……残念だ」と最大の御馳走を鼻先に突き付けられ、エミヤは呆気なく陥落したのである。
 あの二人にまた会えるのだと思えば、自分の恥ずかしさなど瑣末事に近い。そう、唇を噛み締めて。



※※※※

「どうぞマスター、マシュ。お八つの残りのどら焼きだ。横のホイップは味のアクセントに付けてくれ」
「うわー! 有難うエミヤ! 昼間も作って貰ったのにまたごめんね?」
「ありがとうございます、エミヤ先輩!」

 二人の定位置となったカウンター席の前に、どら焼きとホイップクリームを盛り付けた皿を置けば、きらきらとした眼で見上げられる。

「いや、餡が苦手なサーヴァントも居たのでね。残っていたから食べて貰えてるとこちらとしても助かる。どれ二人供、抹茶は平気かね?」
「うわー、抹茶とか凄い好き……流石エミヤ」
「褒めても出るのは抹茶だけだぞ?」
「ではもっと素直に褒めなければいけませんね、先輩!」

 はぐりとどら焼きにかぶりつく二人の前に簡易的に立てた抹茶を置き、エミヤは時計に視線を滑らせる。

(……そろそろ良い時間だな。早くここを片付けて部屋に戻ろう)

 昨日と違い、今日は皆夕食に来るのが早かったのか、食堂に殆んど人は居ない。エミヤが抜けても支障はないだろう。そう思い配膳カウンターの食器を片付けていると、空のトレイが眼の前に突き出される。

「ああ、いらっしゃ」

 い。そう言い掛けた口は差し出す相手を視認して閉じてしまった。どんな色でも再現が難しい、海の深い、深い青。神性を帯びた赤い眼がエミヤをひたりと捉えている。いや、そう思いたいだけで、実際は配膳の前にエミヤしか居ないからだと解っているが。

「おい、飯」
「……分かっている」

 催促するランサーの声にハッと意識を引き戻し、名残惜しげな自身の眼を彼から豚汁の入ったスープジャーへと逸らした。磨き上げたステンレスの蓋に動揺する自分の顔が映っている。

(あ……余りの美しさで脳がスタン状態になってしまった……ここ最近修羅場続きで彼を盗み見ていなかったせいで耐性が薄れているな)

思わず呆けてしまう程に久し振りに直視すると美しさが半端なかった。すっかりと萌を理解した頭では、推しの顔が良いの一言に尽きてしまうのだ。

(駄目だ……久々の近距離生ランサーの顔が良過ぎて正視できない)

けれどそれでは配膳もままならない。自分を叱咤し、差し出されたトレイに波と注いだ豚汁と山と盛り付けた唐揚げ、肉じゃがの小鉢、ほかほかと湯気の立つ白米を乗せると、

「……なんか、多くねぇか?」

 訝しげに呟かれた。

(――しまった)

確かに些か盛り付け過ぎた皿や茶碗が乗っている。
惚れた欲目が無意識に出てしまっていたようで動揺を咳払いで押さえ、尤もらしく説明する。

「ごほん。……殆んどみんな食べ終わったのでね。残ると勿体ない。胃袋に余裕があるなら食べて欲しいのだが」
「いや俺としては逆に有難てぇけどな。てめぇの飯は美味いし」
「……は?」

 咄嗟に言い繕えば予想外の言葉が返され、思わず呆けた声が出る。今、この男は何と言ったのだろう。

「なんだその呆けた面は」
「い、いや……君からそんな世辞が聞けるとは思えなくてね。参った、明日は猛吹雪の合間から雹が降ってくるんじゃないか?」
「てめ、人が珍しく褒めりゃ……」
「さて、君も食事に来た事だし私はこれで失礼するよ。ではマスター、それを食べ終えたら何時ものように食器はシンクに付けてからセットしてくれ」

 早口で捲し立て、アンデルセン用に作った弁当を手早く包んでいると残っていた甘味が視界に入る。

(……今の流れなら渡しても、不自然ではないか)

その隣に置いていたどら焼きの残りを勇気と供に手に取り、冷蔵庫からホイップを取ると皿に盛り付けて血色ばむランサーのトレイに乗せた。

「あ?」
「どら焼きだ。……残りもので悪いがね」

 眼を逸らし、エプロンを外して厨房に残っているブーティカ達に声を掛ける。

「すまない、後は任せて良いだろうか」
「勿論! 良いに決まってるでしょ?」
「助かる、では」

ここ最近ですっかりと習慣化した遣り取りを終え、弁当を手に取り厨房を出ようとすると、「おい」と引き留められた。彼は餡が嫌いだっただろうか。

「……何だね。ああ、餡が苦手ならマスターに渡してくれても」
「喰うわたわけ。……じゃなくて、てめぇ最近直ぐに部屋に籠ってるようだが、一体何を」
「……っ」

 その言葉に、後ろめたさがびくりと肩を揺らした。

「アーチャー……?」
「君には関係ないだろう、ではな」

 いや、ある。大いにある。
けれど――ランサーに懸想した挙句に自分相手に同人誌を描いている、なんて口が裂けても言える訳がない。そもそも言えていたら原稿の苦労もないのだ。とにもかくにも早くこの場を離れなければ、アンデルセンからまた容赦のない叱咤を喰らうだろうし、徹夜続きの頭ではボロを出し兼ねない。

(……だが、今日はランサーをこんなに近くに視られたし、訝しげな顔はされたが嫌そうな顔はされなかった。なにより食事を褒めて貰えた)

「っ、待て」

(――早く、この嬉しさを原稿にぶつけなければ……!)

 エミヤは弁当を手に慌ただしく厨房を出て行った。
 後に残されたランサーが白皙の顔にビキビキと血管を走らせ、その後ろのカウンター席で「確定か……兄貴立ち直って!」「ランサーさんファイトです、当たって砕けろと言う言葉も先輩の生まれた日本にはあります!」とマスター達が励ましていた事も、知らずに。



※※※※

「――遅い、締切を自覚していない馬鹿が! 良い子入稿がモットーの俺に割増し入稿をさせる気か貴様!」

 弁当を下げ、自室のドアを開けば当たり前のように叱責が飛んでくる。昨日と同じく、待ち合わせの時間より前にアンデルセンがエミヤの部屋で我が者顔でキーボードを叩いていた。

「うっ、それに関しては重々自覚している。すまない。割増は全力で回避したいが、色々あって遅れてしまった」

 そう言いながら部屋に入ったエミヤの顔を視るなり、アンデルセンはにやりと口角を上げて笑う。

「……ネタか?」
「ネタと言うか……その。ランサーに私の作る食事は美味いと、言われてだね」
「だからそんなにでれでれの顔をしているのか。お前は図体に似合わず反応が一々生娘レベルだな」
「誰が生娘だ。……彼に、その、褒められるの云々はさておき、料理を褒めて貰えると嬉しいのは当たり前だろう。君は本当に口が悪いな」
「ふん、俺が褒めた時よりも大層に嬉しそうだがなぁ?」

 鼻で笑うアンデルセンの机の前へ手に持っていた弁当包みを置くと、途端にくぅと小さな音が鳴る。

「君は口が悪くても腹は素直だな。不精は止めていい加減食堂に来たまえ」
「誰の原稿を書いていると思ってるんだ。自分の個人誌だけならずお前への寄稿もだぞ。正直今は食堂に移動する間も惜しい」
「それに関しては一読者、一ファンとして楽しみにしている」

 エミヤが一緒に持ってきた手拭きを使い、タッパーの蓋を開けたアンデルセンは口元を綻ばせた。

「今日はベーコンがメイン具材か! 良いなこの肉厚感、実に俺好みで美味そうだ!」
「昔何かで読んだ気憶が在るんだが、君は確かカリカリに焼いたベーコンが好きなんだろう? あと、今日は和食中心の献立にしていたから簡易俵弁当も作ってきた。私はこちらを食べるが、君も良かったら摘まむと良い。夜食は昼に作ったどら焼きだ」
「お前は本当にかいがいしいな。さすが最速最短でカルデアの母称号をその手にしただけはある。……しかし俺の好物を熟知しているとはお前相当にファンだな。ふん、悪い気はせん。後でサインをやろう」

 その言葉に、エミヤは弁当を開ける手を止めてアンデルセンへと前のめりに詰め寄る。

「それは本当かね!? では君から貰ったあの本に後ほど!」
「突っ込みより自分の欲求を優先させるとは……。割と引く勢いで俺のファンか」
「当たり前だろう! 元々私は君の描く童話は嫌いではなかったし、この『同人界』に於いては心のバイブルと言っても過言ではな」

 先程からのテンションが尾を引いているのか、思わずアンデルセンの自分よりも二周り程小さな手を握り締めた同時に、軽い音を経てて部屋のドアが開いた。

「おい、アーチャー……」
「――い?」
「……ほう?」

 声が上がったのはほぼ同時だった。
開くドアの隙間から一歩足を踏み入れたランサーと、マガポニー製の作業机を挟み、童話作家の手を握るエミヤと左手を握り締められたその作家アンデルセンの、三人分の声が重なった。エミヤはまさかの来訪者に眼を丸くし、ドアの前に立つと男を凝視する。
どうして、何故。
何故彼がこの部屋に。
先程食堂で会ったばかりのランサーを視界に捉えたまま、瞬時に危険回避スキルが働いたエミヤは自分の部屋の状況へと考えを巡らせた。
彼に見られて致命的なものなかっただろうか。

(――パ、パソコンは、私のはまだ付けてない、同人誌も視える所には置いていない筈)

 項にどっと汗を滲ませながらエミヤがぐるぐると思考を廻していると、ぎゅっと強く手を握り返される。

「アンデルセン……?」

 その感触にハッと我に帰り、自分の前に座る作家を見れば酷く楽しげな笑いを湛えていた。アンデルセンは食べ掛けていたベーコンサンドを置き、空いた左手をエミヤが握ったままの右手へと添えて。

「無粋な男だな。一体何の用だ」

 朗々とした声で、嘲るようなニュアンスを持ってドアの前に立つランサーへと話しかける。

「……てめぇ、物書きのキャスターか」
「ああ、如何にも」
「なんでてめぇがこの弓兵の部屋に居る」
「おや。『視て』わからないのか?」

 瞬間、ぶわりと殺気が立ち上った。

「――っ?!」

 ランサーから。

「ラ、ランサー?! いきなり入って来て何を殺気立っているんだ?! 大体人の部屋に入る時はノックぐらいしたらどうかね!」

 礼装の上を撫で上げる、怒気にも近い殺気にエミヤが声を上げると、白皙に青筋を幾重にも立てたランサーが剣呑な視線で睨んでくる。

「アーチャー、何でこいつがお前の部屋に居やがる」
「……っ、そ、れは」

君の同人誌を供に出す修羅場の為です。とは言える訳もなく、言葉に詰まるエミヤに顔を近付けたアンデルセンが目線をランサーへと流した。

「人にはとても言えないなぁ、エミヤ?」
「――んだとぉ?!」
「何故君の殺気が濃くなるんだね?!」

 膨らんだ殺気は一触即発に近く、慌ててエミヤが声を上げればランサーは派手に舌を鳴らした。

「チッ……。おい、何時まで手ぇ握らせてやがる」
「おい。間違えるなよ、ランサークーフーリン。エミヤが『握らせている』ではなく、俺がエミヤに『握られている』んだ。文法は正しく使わんとその宝具のような顔面に広辞苑投げるぞ」
「……上等だこのクソ餓鬼。てめぇ今すぐ訓練室来い、その小憎たらしい顔に宝具ブチ込んでやる」

 ランサーは低い声と供にその手の中に朱槍を出現させる。赤い、紅い、彼がランサーたる所以のゲイボルグを構えた。腰を落とし、右手に持った槍に左手を添える。

「――ハッ! 音に聴こえたアイルランドの光の御子サマらしからぬ言葉じゃないか……訓練室に来いだと?! 俺は自慢じゃないが最低最弱サーヴァント、顔にゲイボルグされた日には因果の果てに座の霊基まで粉々に砕け散るわ! 幼女にさえ容易く筋力の劣る弱者を嬲るのがお好みとは、中々に高尚な趣味をお持ちだな!」
「誰がだ! んな事威張りながら言うんじゃねぇよ!」
「ア、アンデルセン! 分かっているのならランサーを煽るのは止めないか!」

 宝具のような顔面とは言い得て妙だと感心しながら、けれどもゲイボルグの出現で彼の本気を感じ取ったエミヤは童話作家の手を離し、椅子から立ち上がると彼を背に隠すようにランサーの前へと出る。

「……そいつを庇うってのか、アーチャー」
「庇う以前の問題だ。アンデルセンは自他供に認めるサポート特化型、魔力以外は概ね最低値と言って良い。君ともあろう英霊がステータスで明確に差の付く相手にその朱槍を出してどうする。大体君は死力を尽くし、強者と戦う事を良しとしていた筈だろう?」
「お前何気に俺に失礼な事を言ってるな。概ね事実だが」

アンデルセンを一瞥したランサーは舌を打つと槍を構えていた体勢を辞め、握っていた朱槍を霧散させた。

「……チッ。命拾いしたなクソ餓鬼」
「クソでも餓鬼でもない。ヨハン・クリスチャン・アンデルセンだこの鈍感男。大体、貴様がノックもせずに勝手に部屋に入って来たのが悪いんだろうが」

 エミヤの背後で何時の間にか食事を再開し、特製サンドへかぶり付きながら言われた言葉に「そう言えば」と首を傾げる。

「……ランサー、君はそもそも一体何の用で私の部屋に来たんだね? マスターから伝言でも?」

片付けも早々に厨房を出たエミヤへ何か伝え忘れたのかも知れない。そうでなければこの男がエミヤを尋ねる訳はないだろう。だって、エミヤが一方的に片恋をしているこの男は。
エミヤの事を毛嫌いしているのだから。

「……っ」
「ランサー?」

 薄く形の良い唇を突き出すように何度か動かしたランサーは小さく、本当に小さく呟いた。

「……飯、今日も美味かった。どら焼きも」
「――うん?」
「それだけだ! じゃあな!」

 言い捨てるように叫ぶと、ランサーは踵を返してエミヤの部屋から出て行く。

「待て、声が小さくて良く聴こえなかっ……流石最速の槍兵、もう背中が視えないだと……」

 彼らしくない、酷く小さな呟きを聞き逃したエミヤが慌てて廊下へ出るが、もうその姿は影も形も見当たらなかった。

「……ふん、やっとあの男も自覚したか。夜な夜なこいつの部屋に来たかいがある」
「やれやれ、ランサーの奴め一体何をしに来たんだか。……ん? 何か言ったかアンデルセン」

 部屋へと戻れば、この男には珍しく頬杖を付きながら最後の一口を咀嚼していた。

「何でもない。それより、お前も早く食べてしまえ、時間が押しているぞ! 時は金なりと言っただろう、割増は悪、許される事のないディアボロだ! 俺は猛烈にネタが降ってきたから作業を先にするぞ……いや美形はお前の飯と同じ位に美味いな!」

 空になった弁当箱を自分の分だけ片付けると、言うや否やアンデルセンは端に寄せていたキーボードを叩き始める。タイピングの速度に負けじと、エミヤも残った弁当を片付けるべく箸を取る。
彼の気持ちが痛い程に分かるからだ。
ランサー×アーチャー本を書いた彼はきっと今、エミヤと同じ気持ちなのだろう。

「あ、ああ! 私も早くこのときめきを表現したい……。推しの……ランサーの顔が良くて本当に困る! 何だねあの顔、青筋が立ってるのに美しいとか反則だろ雄雄しい美人しんどい……っ!」

 何故ランサーが嫌っている筈のエミヤの部屋に来て、挙句にあそこまで怒ったのかはよく分からないが――ある意味全てが尊みに溢れていた。
怒りを湛えた顔もまた美しく、何度心のシャッターを切ったか知れない。

「分かる、分かるぞエミヤ。あの男は腹の底から気に入らんがあの顔はそれを補って余りある。……俺の働きに対する対価はそうだな、今度の俺の本の表紙でどうだ」

 戦慄くエミヤへと深く頷き、にやりと笑うアンデルセンに箸で抓んでいたウィンナーが弁当箱の中へぽとりと落ちた。

「……なっ!? まさか君、ランサーを口汚く罵ったのはあの顔をさせる為に……っ?! 策士……何と言う策士だアンデルセン! 孔明にも負けず劣らない……!」

「はっはっはっ! 褒めろ讃えろそして俺からもたらされた眼福に平伏して原稿に励むと良い!」
 箸を握ったまま唸るエミヤに満足気な声を掛けると、アンデルセンは猛烈な勢いでキーボードを叩き始めた。
 どうやら先程の一件は彼の創作意欲をいたく刺激したらしい。エミヤも落ちたウィンナーを改めて口に運び、急いで残りを食べ進めていく。アンデルセンの小説も原動力ではあるが、やはり実物の破壊力は凄まじい。

(ああ、あのページの表情やあのコマ、あとあの場面も描き直さなくては……っ!)

そわそわと逸る心で弁当を食べ終えたエミヤは蓋を閉じようとして、そう言えばと首を傾げた。

(……ランサーは結局何をしにこの部屋に来たんだ?)

 理由を言ってくれていたようだがその声は酷く小さくてエミヤには聞き取れなかったのだ。
彼がエミヤの部屋に来た事など過去一度もなく、また来るような間柄でもない。恐らくマスター絡みか何かなのだろうが、それでも嬉しかった。腐男子となり、自分とランサーの漫画を描いている身としては戦々恐々ではあるけれど、それでも。
恋しい相手が尋ねて来てくれた事は、理由はどうであれ嬉しくてペンを握る手にも力が入る。

(――よしっ)

パソコンを立ち上げ、描き掛けのファイルを呼び出したエミヤは気合いを入れて原稿へと取り掛かった。
充実した脳内フォルダと供に、ランサーへの気持ちを思う存分発散させる為に。




※※※
予想外の恵みにありつけたエミヤの筆は進み、仕上げた原稿をアンデルセンに託すとその足でマスタールームへと足を向けた。殆んど不眠不休で仕上げた想いの結晶を形にする祭典へ参加する為である。
マスターの部屋をノックすると返事がなく、けれど鍵が開いていた為中を覗くと彼はベッドに腰を掛けていた。
何時も誰かが傍にいる彼は珍しく一人でぶつぶつ言いながらタブレットを凝視している。

「マスター? 少し良いだろうか?」
「……」

 部屋の外から呼びかけるが集中しているようで返事はなく、少し迷ったが室内へと足を進めた。

「マスター?」
「……ぶぇ?!」

 ベッドの横に立ち、少し大きめな声で呼ぶと、肩と言わず身体をベッドから跳ねらせ たマスターが聞いた事もないような声を出した。

「エ……エミヤ……っ?!」

 エミヤの姿を認め、持っていたタブレットをわたわたと持ち直しベッドへと伏せるマスターにエミヤは眉尻を下げる。折角の一人の時間を邪魔してしまっただろうか。

「すまない、驚かせてしまったか。何度か声を掛けたのだが……」
「う、ううん! ごめんね、俺こそ気がつかなくて!」
「そう言えば随分と熱心に何かを見ていたな。邪魔をしてしまったかな?」
「全然大丈夫! え、ええと、何か用事……だよね?」
「そうか? それなら良いのだが……八月のオフ申請を持ってきたんだ。まだ調整は可能かね?」

 休み希望を書いたメモ用紙を渡すと、マスターはサイドテーブルから卓上カレンダーを手に取ると日付を確認してエミヤへと頷いた。

「むしろもっと休んで欲しい位だけど。この日程だね、分かった!」
「すまない、助かる」
「何言ってるんだよ、気にしないでエミヤはゆっくり羽根を伸ばして来てね! 俺もその日は休み希望出して……。うん?アンデルセンと同じ日程だね?」
「――ああ、彼と少し予定があってね。なんだ、アンデルセンはもう希望を出していたのか」

 原稿にばかり気を取られ休みの申請をすっかりと忘れていたエミヤと違い、余裕入稿を掲げる彼はオフ申請もそれに倣っているらしい。

「アンデルセンは半年前位からずっと言って……はっ! 俺の直感スキルが唸りを上げている?! 偶然だと思っていたけど今全てが直線に繋がった気がするよマシュッ!?」
「ど、どうしたマスター?! マシュは此処に居ないぞ?」

 突然眼を見開き、後輩サーヴァントの名前を叫んだ少年は慌てるエミヤを穴が開くかと思う程に凝視して「ナンデモナイデス」と首を振った。

「何でもない訳がないだろう、大体君カタコトになっているぞ?」
「イイエ、ナンデモナイデス」

 頑なに首を振りカタコトで繰り返すマスターへの、それ以上の追求を諦めたエミヤは仕方がないと溜息を吐き、
そう言えば聞きたい事があったと凝視してくる少年を呼び直した。

「マスター。昨日、ランサーに伝言でも頼んだりしたのかね?」
「シテナイケドナンデ?」
「そうなのか……。いや、昨日私の部屋に彼が来たのでね。君からの伝言かと思って」
「えっえっ、兄貴が来たの?! 何て、エミヤ何て兄貴言ってたの?!」

 言い掛けたエミヤの言葉を遮り、ベッドから腰を上げたマスターが元々の発音で矢継ぎ早に問い掛けてくる。

「な、何だねそんなに喰い付いて。カタコトまで直ってるぞ?! いや……扉を開けるなりアンデルセンと言い合いになって、そのまま帰っていった」
「……アンデルセン、部屋に居たの? エミヤの部屋に? あの後?」

確認するように尋ねられ、不審に思いながらも頷いた。
マスターの様子から察するに、ランサーには何も事付けていないようで首を傾げてしまう。

「ああ? だがマスターからの用事ではないのなら益々ランサーがどうして私の部屋に来たのか分からんな」

疑問が思わず呟きとしてエミヤから漏れた途端、またくわりとマスターが詰め寄ってくる。

「エ……エミヤ、もしかしてここ最近直ぐに部屋に戻るのってアンデルセンと会う為だったり、する……?」
「そうだが……何故知っているんだね?」
「アーッ!? まさかの大穴ーっ?!」

 そう叫んだマスターは突然頭を抱え、床へとしゃがみ込んでしまった。

「な?! さっきから一体どうしたんだ?!」
「まずい、不味いよー! 俺発破掛け……エミヤ!」

 文字通り頭を抱えたマスターはエミヤを見上げ、タブレットに視線を往復させたかと思えば立ち上がると、エミヤの身体をドアに向かって押していく。

「おい、マスター?」

 どうにも様子がおかしいと振り返った途端、パンッと
小気味良い音を立てたマスターが眼前で両手を合わせてその頭を下げていた。

「ごめん、俺今すっごい急用思い出しちゃった! 予定受理したから、その間は安心してゆっくり休んでね!」

 捲し立てられるように謝られてしまえばそれ以上の追及は出来ない。エミヤは溜息を吐くとマスターの無造作に跳ねた髪にその手を乗せ、軽く撫でた。

「では、私はこれで失礼するが……何かあるなら相談して欲しい。余り根を詰めないように、マスター」
「……う、うん。有難うエミヤ」

 上目でちらりと窺ってくる青い眼へ目元を和らげたエミヤは手を離し、踵を返した。気にならないと言ったら嘘になるが、多感な年頃の少年に無理強いをするつもりもない。

(大方私を嫌っているランサーが私の部屋に来た事に驚いていたのだろう。マスターには彼とパーティを組まないようにとも以前言った憶えがあるしな)

 そう思い直し、静まり返った廊下を自室へと歩き出したエミヤの背中を見送ったマスターは部屋へと入り、また蹲ってしまった。撫でられたばかりの頭を抱え、両膝の間に顔を挟んで呻く。

「昨日兄貴がガッツ回復間に合わずに攻撃喰らったような顔してた理由、これだったのか……」

 どうにも自分はお節介を言ってしまったらしいと悟り、唸るけれどもうどうしようもない。かと言って、グランドオーダー発令時からマシュやキャスターと供に戦い続けてくれたエミヤの幸せを邪魔する訳には行かない。

「い……いや、まだアンデルセンが相手だと決まった訳では……」

 『彼』を応援したいと思う気持ちと『彼』の幸せを願う気持ちに、まるで振り子のように揺れるマスターは強く眼を閉じ、けれどと迷いを振り切るように立ち上がる。

「約束したのに、ごめん」

小さく呟くとベッドに裏返したままのタブレットを手に取り、ヘッドセットを繋ぐとスカイプへと繋いだ。
一昨日廊下で会った時、酷くげっそりした顔であの男は修羅場中だと呟いていた。ならば直接部屋に行くより、スカイプで通話した方がまだ出てくれやすい。恐らく部屋に行けば居留守を使われるのか、最悪アシスタントに囚われて最低三日はあの部屋から出て来れないだろう。
呼び出す電子音が続き、一度切るべきかと画面をタッチしかけた矢先に回線が繋がった。
掠れた声に相手の死相を感じ取りながら、それでもマスターは意を決して口を開く。約束は大事だ、大事だと解っているけれど、それでも彼に協力したい。

「ごめん、その日売り子出来なくなっちゃった!」

 開口一番の言葉に相手が絶句したのが分かり、マスターもまた内心で涙を飲む。
約束を反故にする事への申し訳なさ、また提示されていた対価を喪失する事に対し痛む心を叱咤して奮い立たせるのは、自分を今まで支えて来てくれた英霊へのせめてもの恩返しをしたいと思う気持ちだった。

(確かめよう、エミヤの相手を)

今を遡る事一ヵ月程前。
食堂でエミヤが部屋に早く帰る事を話題にしていると瞳孔の開いたランサーに顔を覗き込まれ、そのまま彼の胸の内を聞く事となった時から密かに応援していたのだ。マシュと供に。
 腐れ縁だと聞いていた割に、ランサーがエミヤに対して取る態度は、エミヤが召喚された時から『嫌っている』としか思えないような態度だった。顔を合わせれば舌を打ち表情を歪ませるのだから、そう思っても仕方ないだろう。マスターもマシュもそう思っていたのだから、そんな態度を取られ続けるエミヤなんて押して知るべしだ。
けれど、それが違うのだとあの日に知った。

『――おいマスター。その話、もうちょい詳しく聞かせろや』

 常にない笑顔で米神に血管を浮き上がらせ、そう言った男は、エミヤに全く真逆の感情を抱いていたのだから。
 絶望に染まった声に何度も頭を下げてマスターは決意する。本当にエミヤの相手がアンデルセンかどうかを確かめようと。もしそうなら、もしそれで二人が仲睦まじくデートしているのなら彼を、ランサーをマシュと供に慰めてあげよう。
それが信頼を託してくれた仲間に対して、マスターとして自分が出来る精いっぱいだろう。そう堅く心に誓い、マスターは断腸の思いで未だ野太い嘆きが耳を突くスカイプを切った。
エミヤが来る直前。売り子の報酬にと、この端末で資料を送信したばかりの――マシュのドスケベ礼装本が泡となって消える事実に涙を流しながら。
 



※※※
 カルデアに薄い朝日が差し込む中、何時もの礼装ではなく黒いシャツとブラックジーンズ姿のエミヤは風呂敷包みを結び、ほっと息を吐いた。壁時計を見れば出掛ける時間まであと一時間程余裕がある。

「これでよし。後は麦茶を入れるだけだな」

 調理台に小型のマグボトルを三つ置き、冷蔵庫から氷と麦茶の入ったピッチャーを取り出して中身を注いでいく。前回は大き目の水筒に入れた茶を用意していたが、人数が前もって分かっているならこちらの方が便利なのだ。
(嵩張るのが少々アレだが飲みやすいしな)
 最後のボトルの蓋を閉めた所で背後でドアが開き、明るい髪と金色の耳がひょこりと覗いた。メイド服に真っ白なエプロンを着込んだタマモキャットがエミヤを認めると、ほてりと首を傾げる。

「うにゃん? 今日から二日程、エミヤはオフではなかったか?」
「おはようキャット。弁当を作らせて貰っていたんだ」
「タマの休みなのに弁当まで作るなんて勤勉の極みだな? アタシに言えば良かったものを! 三段弁当でも十段弁当でも作ってやると言うのに!」
「自分の事位は自分でするさ。ああ、弁当を作るついでに朝食の下拵えを少ししてしまった。冷蔵庫の二段目、四つのタッパーがそれだ。勝手にして悪い」
「……せっかくのオフにまでオマエは何してるんだワン。まったく、後はアタシ達に任せてアンタはのんびり休むが良いぞ! ブーティカやロビンもそろそろ来るだろう」

 ふかふかの手で自身の豊かな胸をポンと叩き、にぱりと笑うキャットにエミヤも釣られ、頬を緩ませて頷いた。

「ああ。君達が居れば何の心配もいらないな。ではお言葉に甘えて行ってくるよ」
「おお、行ってらっしゃい! 楽しんでくるのだぞ、エミヤ!」

ピンク色の肉球に見送られ、弁当や人数分のマグボトルを詰めたダ・ヴィンチちゃん特製の保冷バッグを手に調理場を出る。

(アンデルセンはちゃんと起きているだろうか。昨日はまさかの支部更新をしていたからな。様子を見に行った方が得策か)

 レイシフトルームで待ち合わせをしているが、一応確かめておこうかと長い廊下を歩き出した所で銀色の爪先が俯く視界に入った。

「……っ」

不意打ちの色に足が止まってしまう。
銀の装甲の合間から覗く、足首へと続く礼装の色は青。
何度も眼で追い何度も焦がれた色をエミヤが見間違う訳はない。条件反射のように心臓がとくりと恋に跳ねる。
視線を上げていけば、むすりとした表情のランサーが立っていた。

(朝から彼と会えるなんてラッキーだ。今日は良いイベント日よりになりそうだな。口元がへの字になってはいるが今日も相変わらず美しい)

そんな顔をしていても彼の魅力は何一つ損なわれる事がないのが恐ろしい。推しの顔が良過ぎて困る。

「おはよう、ランサー」

 どうせ舌打ちか何かしか帰ってくる事はないだろうと思いながらも挨拶を口にし、けれど彼の姿を心のシャッターで激写しながら横を通り抜けようとすると、「おう」と低い声がして思わずエミヤは振り返った。

「……なんだよその顔」

 驚きが表情に出てしまったらしく、ランサーが片眉を上げてエミヤを見ている。何がおかしいと言わんばかりの顔だが、エミヤには驚きしかない。

「いや。……君が私に返事をしてくれるとは思わなかったのでね」

 だって彼はエミヤを視るなり顔を歪ませて舌を打つのが常なのだ。なのに、短いけれど言葉を返してくれた。それこそ、ランサーの言動窘めるマスターが居ないにも関わらず。

「俺だって挨拶くれぇは……あ、いや待て。そうだな、確かにお前にはちゃんと返してはなかったな。すまん」

 何処かバツが悪そうに、そう口にするランサーにエミヤは今度こそ眼を剥いた。驚く所か頭でも打ったのかと疑ってしまう程の衝撃である。

「何か拾い食いでもしたのか? 頭と腹の具合が悪いならナイチン女史の所に行った方が良いぞ」
「……てめぇの自業自得とは言えお前の言い方にも原因の一端があると思う」

 心底心配すれば、何とも言えない微妙な表情でランサーが溜息を吐く。言っている意味がいまいちよく分からないが、何時もの険悪さはない。常にないランサーの様子にエミヤの頬に熱が上ってしまう。
だって、好きな相手、なのだ。
 今やランサーに対して萌が大部分を占めているが、元々エミヤはこの男に恋心を持っていて、今だってその根幹を占めていると言っても過言ではない。
ランサーに伝えられない言葉を伝えたいが為に、同人活動を始めたのだから。

(……今はすっかり両片想い設定のBLにはまってしまっているのも確かだが)

すっかりと火照ってしまった頬を隠すように顔を逸らし、目線だけはランサーを盗み見る。
何度でも繰り返すが顔が、推しの顔が果てしなく良い。
先日と言い今日といい、これは眼福だと内心でテンションを上げていたエミヤにランサーが「それはなんだ」と声を掛けてくる。彼が指差す先には包んだばかりの弁当が入った保冷パックがあった。

「それ……? ああ、これは弁当だよ。今から少し出掛けるものでな」
「……何処に行くんだよ、弁当なんざ持って」

何処に。何処にと聞かれて答えられる訳がない。
いつぞやの問答ではないが、君の同人誌を即売会へと持っていくのだと誰が言えるだろうか。いや、言えない。
エミヤ×ランサーの同人誌を描いている事を知れた日には、霊基ごと消して座の本体供に虚無へと還るしか術はないだろう。出来るかどうかは良く解らないが。

「……ピクニック、へ」

 我ながらどうかと思う言い訳だが、別に嘘と言う訳でない筈だ。同人即売会と言う名のピクニックなのだと胸の内で言い訳を重ねれば、ランサーが傍目にも分かる程に顔を顰めた。

「そんな死相浮かべてピクニックに行くのかお前は」
「……っ、き、君には関係ないだろう」

 言い訳の後ろめたさからそう言えば、

「関係ねぇだと?」

 ざわりと空気が動く。常になく穏やかな気配を纏っていた男から一転、肌を撫で上げる殺気が滲んでいた。
(――何故怒る?!)

 急に怒りを露わにさせるランサーにエミヤは内心で頭を抱えてしまう。今の遣り取りに彼が怒る要素がまるで見出せない。同人の事なんて億尾にも出してはいないし、ピクニックとしか言っていないのだ。
(いや、強いて言うなら私が気に喰わないから、だろうか)

 気紛れに挨拶を返したものの、嫌っている男との会話に嫌気がさした、という所だろうか。それならば、早く彼の前から消えた方が得策だろう。少しは会話出来たと喜び、勝手に傷付いてじくりと痛む心臓にも良くはない。

(……分かっていた事だ。彼に嫌われている事なんて。だからこそ始めたたんじゃないか、彼に伝えたい言葉を思う存分吐き出す為に、同人を)

 そして、形にしたものを今日広めに行くのだ。
彼に伝える事のない気持ちを存分に吐き出した、エミヤの思いの結晶を。

「……そういう訳で私は少し急いでいてね。では」

 もっと顔を見ていたいが、嫌っている男が近くにいるのも嫌だろうし何よりイベントがエミヤを待っている。取り敢えずはアンデルセンの様子を見に行かなくてはなるまい。
エミヤがランサーの隣を通り抜けようとしたその瞬間、

「アーチャー」
呼ぶ声と供に保冷パックを持っていない右腕を引かれた。

「――っ!?」

 強く引かれた腕に身体が引き寄せられ、ランサーの白皙がエミヤの顔の、酷く近くに寄った。
染み一つ、皺一つもない造形美に言葉を失ってしまう。礼装越しに伝わってくる体温や息使いに、先程よりも体温がぶわりと上がるのが分かった。
魔術焼けした肌は火照る目元や頬を隠してはくれるが、至近距離ではその赤味はきっと隠し切れない。
分かってはいても熱が心臓から上へと昇ってしまう。
だって、見開いた視線の先で赤い眼が真っ直ぐにエミヤを視ているのだ。誰でもない、ランサーが。

「な、にを」

驚きと戸惑いに息を飲み込むと、ランサーの薄く形の良い唇が動いた。

「誰と行くつもりだ?」
「……は?」
「テメェは誰と、その弁当を喰うつもりだって言ってんだよ。礼装じゃねぇ、そんな服着て誰と、何処で」

 思わぬ問い掛けに瞬きをすれば、焦れたような声が繰り返してくる。エミヤには何故彼がそんな声を出し、あまつさえ引き留めるように腕を掴んでいるのかが分からない。苛立ちを感じさせるランサーの表情も嫌いではないが、何が彼の機嫌を損ねたのだろう。いや恐らくは自分なのだろうが、今の会話からでは見当がつかない。

「……質問の意図が分からないのだが、それが君に何の関係がある?」
「っ、そりゃあ俺が――」

 俺が何だと聞き返そうとした時、ランサーの背後の廊下の壁に設置されている時計がエミヤの視界を掠めてハッとする。調理室を出た時よりも時間は大分進んでいて、アンデルセンの様子を見に行く所か、むしろレイシフトルームへ急いだ方が良い時刻となっていた。

「す、すまないランサー、私はこれで」

 ランサーが自分から触れるなんて、きっともうない事だと名残惜し気に内心で嘆きながら腕を振り解き、エミヤはそのまま駈け出した。

「――っ、アーチャー!」

呼称を呼ぶランサーの声に後ろ髪を引かれながら、それでもまだここに留まっていたい未練を断ち切るように。
だってこんな機会は恐らくもうない。
彼とあんなに近くに話す事なんて。
怒ってはいたけれど、何時ものように顔を背けられる事も舌打ちをされる事もなかったのだ。

(……それに、私に触れてくれた)

掴まれた場所がまだランサーの体温を残していて、二次創作の中に閉じ込めた筈の恋が息を吹き返す。嫌われている癖に、好きだと心臓が喚いている。
もっと、もっと触れていて欲しかったと未練を叫ぶ。
でも、だからこそこれ以上のボロを出す前にランサーの前から離れなければいけなかった。せぐりを上げる感情を誤魔化すようにエミヤは唇を噛み締め、長い廊下をレイシフトルームへと急いだ。
振り解かれた手を悔しそうに見詰めるランサーを一度も振り返る事なく。


レイシフトルームのドアを開けると、危惧していたアンデルセンはちゃんと起きていて、準備万端でエミヤを待っていた。

「何だ、お前にしては珍しくギリギリじゃないか。手荷物から察するに弁当を作っていて時間でも忘れたか?」
「いや、まぁ。似たようなものだ。君こそきちんと起きているなんて珍しいな。此処に居なかったら君の部屋に行こうかと思っていたのだが……」

 その必要は無かったなと言えば、アンデルセンは黒縁眼鏡のズレを直しながら肩を竦めた。

「劇作家様達がついでとばかりに起していったんだ。俺はもう少し惰眠を貪りたかったが……どうにもあいつ等の所でトラブルがあったらしくてな、朝一で先に出て行ったぞ」
「ああ、くろひー達も今日のイベントに珍しく参加していたのだったな。男性向けだからホールは大分遠いか……」
「あいつ等の所どうも売り子に逃げられたらしくてな、挙げくにノベルティに不備があって新刊セットを朝から組む事になったそうだ」

シェイクスピアと黒髭のサークルは男性向けではシャッター配置の大手だ。搬入量も多い筈で、当日に組むのは中々に大変そうである。

「朝からセット組みか……彼等の腰と体力が持つと良いが」
「ふん、極道入稿のツケが廻ってきたんだろうさ。ああ、因みに慈悲の心で手伝ってやろうという気は起された事によって完全焼却されているので俺達はそのまま自分のスペースに行くぞ」
「深夜に支部更新してたものな君……」

 寝不足の隈をうっすらと湛え、実にいい笑顔で言い切るアンデルセンにエミヤがしみじみと頷いていると、ダ・ヴィンチの美声がレイシフトルームへと響いた。

『ああ、エミヤ来たのかい。じゃあ今からで良いのかな?』

 ルームを見渡せるように造られた調整室から、強化ガラス越しに絶世の美女が手を振っている。エミヤも応えるように手を上げた。

「すまないダ・ヴィンチちゃん。朝から面倒をかける」

『いいよ、折角のオフ日だ。楽しんでおいで。境界記録帯である君達の単独顕現再現は立香くんを定義付ける程の電子演算は必要ないからそれ程苦ではないんだよ。費用は君達の売り上げから出しているし、大体私も先に行ったくろひー達に買い子を頼んでいるからね』

「そう言ってくれるとこちらもまだ気が軽い。ああ、そうだ。貴方の好きなふたなり作家の新刊が出ると告知があったが私も買い物部隊に参加しようか? スペースが落ち着いてからにはなってしまうが……」

 エミヤやアンデルセンが腐男子であるように、ダ・ヴィンチもまた『こちら側』のサーヴァントだった。
レイシフトが必要不可欠なイベント参加活動をサポートしてくれる、何とも力強い同士である。範囲は男性向けからBL、百合やおねショタふたなりにまで理解は深く、彼女の萌話にたまに付いていけなくなる時もある位にディープな腐女子――いや、彼女は元々彼だから厳密には腐男子なのかもしれない。

「いや、大丈夫だよエミヤ。何時もはアンデルセンに頼んでるんだけど、あの作家さん今回はくろひー達の隣スペなんだ。あと幾つか欲しい本も大体くろひー達の近所でさ」
「それは何よりだな。その好立地はくろひーの買い子スキルが唸るだろう」

 ダ・ヴィンチが頼む本は種類が多く、また性癖も多岐に渡っている為イベント慣れをしていないエミヤには正直まだハードルが高い。買い逃す可能性が多いだろうがティーチなら安心だ。
あの男は正しくその二つ名に相応しい仕事をする。
男波と言う名の荒波を泳ぎ、欲しい本は必ずゲットして帰ってくるのだ。エミヤも一度その姿を視た事があるが、正直オタクTシャツを着て肌色の本を掲げているティーチは特異点の戦闘時より格好が良かった。

「そうそう。――さ、座標はそのままにしているから何時でも有明にいけるよ。そろそろサークル入場が始まる時間だろう?」
「あ、ああ。よろしく頼むダ・ヴィンチ女史」

 ダ・ヴィンチの声に促されて擬似霊子変換投射へと入り、空間航法を渡る。ほんの少し未来で、ほんの少しの過去の東京から算出し、調整した現在の有明へとエミヤ達は旅立った。
 カルデア内の電力で高速に演算される霊子パターンに眼を通しながら、誰も居なくなった筈のレイシフトルームへとダ・ヴィンチが声を掛ける。

「――さて、『彼等』のレイシフトは無事完了したよ。で? 君達は何処へ行くのかな?」
「えへへ……バレてた?」

開いたままのドアの影から、黒縁眼鏡にキャップを被り、白いTシャツにカーキのライトカーディガンと黒のワイドパンツを合わせたマスターがひょこりと顔を出したかと思えば、ルームへと入りガラス越しのダ・ヴィンチに手を合わせて頭を下げる。 

「ごめん、ダ・ヴィンチちゃん! 俺をエミヤ達の所まで飛ばして欲しいんだ……俺のレイシフトがサーヴァント程容易じゃない事も大変な事も分かってるんだけど……うん? 君達?」
 遅まきながら、ダ・ヴィンチの言葉に疑問を覚えたマスターが頭を上げた。
「……元々、くろひーから君を売り子としてレイシフトさせたいって言われていたから電力の貯蔵は十分だけど」
美貌の天才は肩を竦めて疑問符を浮かべるマスターの背後へと目線を向ける。釣られてマスターも後を振り返り、その大きな眼を見開いた。
「――えっ?!」
「彼も連れていくのかい?」
 青い礼装の代わりに、白いTシャツと黒のスキニージーンズに身を包んだランサーの姿に。



※※※※
「新刊と合わせて千八百円になります。――二千円からお預かりしまして二百円のお返しになります。有難うございました。お待たせしました、次の方どうぞ!」

 夏の容赦ない日差しが黒いシャツ越しに肌を焼く中、エミヤは慣れた手付きで押し寄せる女子の波を捌いていた。今回も刑部と取っているアンデルセンのスペースもくろひー達と同じくシャッター配置で、三列対応の長机の前に人の列が黒い波となって続いている。

「おい、新刊の在庫が薄いぞ、補充!」

 眼鏡を湿気に曇らせながらアンデルセンが叫び、エミヤは素早く減った本の種類を確認し、本を選んでいる女性に頭を下げた。

「ああ、すまないお嬢さん、少々お待ち頂けるだろうか?」
「えっ、あ、はい!」
「ありがとう」

 顔を真っ赤にさせながらこくこくと頷いてくれる女性にエミヤに断りを入れ、手早く新刊や在庫を積んでいく。

「エミヤっちついでにこっちも!」

 刑部が叫ぶと同時に残り数冊だった新刊の上に在庫を重ね、待たせていた女性への対応を開始する。

「申し訳ない、すっかりと待たせてしまって。希望の本はどれだろうか?」
「あ、あの、衛宮さんの新刊を一冊……サンプル視てから凄く楽しみにしてたんです!」

 微かに震える声で言われた言葉にエミヤは嬉しさを隠す事なくバリトンへと乗せ、眼の前の女性へと目元を和らげる。

「それは嬉しいな。ありがとう、一冊千円になります」
「は……はひ……っ!」
「ええい! 一々誑しながら売るなこのドンファン!」

 アンデルセンの叫びと供に英雄押しサークル『ガイア美味い』は領布スピードを増していき――太陽が真上を少し越え、山と積んでいた段ボールが無くなった所で漸くひと段落を終えた。


「……な……波が終わった……俺はもう駄目だ……」
「流石の姫も疲れた……エミヤっちお茶頂戴っ!」
「アン……童話作家も刑部もよく頑張ったな。後は私が売り子をしているから君達は休んでいたまえ。刑部、その中に冷たい麦茶と弁当が入っている」

 屍累々といった体のアンデルセンと刑部を日陰になる室内に置いたパイプ椅子に座らせると、日差しを避けて置いていた保冷パックを刑部に持たせてエミヤはまたスペースへと立った。

「う……うう……エミヤっちありがとう……新妻かよ」
「カルデアママはコミケに来てもバブみがありすぎるな。さて、有難く頂くとしよう……ぷはーっ! 美味い!」
「ママではないが、喜んで貰えて何よりだ。二人供きちんと水分を取るんだぞ。スポドリばかりだったからちゃんとミネラルの補給を……ああ、すまない大丈夫だ。合計で三千二百円になります」
 午後を廻り、完売した本も多く人の波も落ち着いたようで列になっても数人程度となり、残す本もあと十何冊かといった所でエミヤもアンデルセンが渡してくれたマグボトルを傾ける。熱気が籠っていた身体にすっきりと冷えた麦茶が入り、殊更に美味く感じた。

(残りの冊数から考えるとそろそろ帰り支度を始めておいた方が良いな。戦利品はダ・ヴィンチちゃん特製の持ち帰りバックに詰めたから後は残った空箱を潰して……)

 刑部に貰った青いエプロンを巻き直し、本の位置を揃えていると机に人影が映り込んだ。
俯いた視界に白い指先が映り込む。骨ばった長い指は男のものだろう。傾向としては女性向けだが、このサークル自体は作者が男の所為か腐男子も多く訪れるから珍しい事ではない。ないのだが、エミヤの新刊に伸ばされる指に甲に酷い既視感が湧く。綺麗に整えられた爪が乗り、血管が薄く覗く男らしい指先。

(……いや、まさか。そんな訳がない)

 こくりと息を飲み込んだ。
あり得ない人物を頭の中に思い浮かべてしまって心臓が驚いている。そう、そんな筈がない。
他人の、手の空似といったものだろう。

(暑さで馬鹿な事を考えが過るんだ。だが白人特有の肌の白さには違いない。外国人の読み手さんは初めて――)

 だな。そう内心で思いながら顔を上げたエミヤの眼に、柘榴の色が映り込み、一瞬で思考が停止した。
 あり得ない人物が、いるのだ。
 かちん、と。真夏に氷のように固まったエミヤの前に彼が、あり得てはいけない男が立っている。
 数時間前に至近距離で視た、薄く形の良い唇が動く。

「……こりゃ、一体どういうこった?」

 エミヤが付けているエプロンよりも、エミヤが丹精込めて塗り上げた表紙の髪の色よりも、深く青い髪と神性が滲む稀有な赤い眼をエミヤが見間違う事はない。
 今朝会ったばかりのランサーがエミヤの前で、エミヤが出した同人誌をペラリと捲って。

「――っ!」

その、紙の擦れた音に我に帰ったエミヤは咄嗟にランサーが持つ自分の新刊に手を伸ばしたが、容易く避けられてしまう。中を、中を見られてはいけない。表紙だけならまだなんとか誤魔化せるかも知れない。

「返せ」

 殆んど無意識と言ってもいいだろう、掌に魔力が編まれ夫婦剣を取り出そうとしていたエミヤの手を、長机の上へ音も立てずに身を乗り出したランサーが片手で器用に捩じり上げる。

「テメェ、こんな所で何考えてやがる」
「く……っ」

 掴まれた腕が痛み、現実だとありありとエミヤに伝えている。
混乱してしまう、どうして、何故彼がここに。

「ちょ、ちょっと待ってランサー! エミヤ大丈夫?!」

 突然の事態に頭が付いて行かないエミヤに、更に追い打ちを掛けるように何故かマスターがランサーの背後から顔を出してくる。
「ど、うして」

 もうエミヤ頭にはどうしての疑問符しか浮かばない。
 何故ここにランサーが、マスターが居るのだ。

「え、ええと。その……」

凝視するエミヤにマスターは視線を逸らし、被っていた帽子を取るとぐっと顔を上げてエミヤを見上げた。

「――ごめん。俺達エミヤの後を付けてきたんだ」
「付けて……? 何故そんな事を」

 掴まれたままの素肌の腕にランサーの掌が直に触れて、動揺したままの心臓はこれ以上ない位に跳ねている。

「アンデルセンと一緒に出掛けるって言うから……」
「は?」

 マスターの言葉に眼を剥いた。それだけで、どうして付けてくるという事になるのだろう。マスターを凝視すると暑さでだろうか、頬を赤くしてもごもごと口籠っている。何度か喋ろうと繰り返し、口の中に飲み込んでは言い直そうとしているようだ。

「あ、のね。エミヤ。エミヤって、そ、その……」
「お前はそこの物書きと付き合ってるのかよ?」

 今度はランサーの言葉に眼を見開いてしまう。

「は、はぁ……っ?!」
「……てめぇ、ここ最近そこで飯喰って呑気にこっちを見てる物書きと部屋にしけ込んでたじゃねぇか」
「それは今日の為に……っ」

 ランサーのとんでもない言葉に反論しかけたエミヤは慌てて口を塞いだが、赤い眼が未だ持ったままの本へと向けられる。

「今日の……これか」

 表紙には青い髪と赤い眼を持つ男が向日葵を持って佇むイラストを描いた。言い逃れがどう足掻いても出来そうにない程に、エミヤの両手を押さえる男の特徴を捉えている。

「これは俺だよな?」

 確認するように聞かれ、エミヤは血の気が引いてく音を自覚しながら眼を逸らした。

「……黙秘権を行使する」
「たわけが。んなモン白状してるのと一緒だろうが」
「うぐ……っ」

 表紙だけなら誤魔化せると思っていた数分前の自分を正座させてやりたい気持ちである。
無理だ。どう誤魔化しても誤魔化し切れない。
容姿は勿論、礼装だって細部まで描き込んでしまっているのだ。例え現パロ設定で描いた私服であったとしても、その特徴的な外見から流石に分かってしまうだろう。

(……い、いや、しかし! ランサーとてまさか私が絵を描くなど思ってはいない筈……っ! そうだ、しらばっくれればまだ活路は……っ!)

 ある。そう自分を奮い立たせたエミヤに、何時の間にか本を手に取って読んでいた、無慈悲なマスターの容赦ない声が浴びせられた。

「えっ? えっ?! 今俺のスキルマックス直感が唸ったんだけど、もしかしてエミヤがこの本描いたの?! この兄貴を?!」
「な……っ!?」

 今この時ほど、彼の直感スキルの有能さを恨んだ事はない。何度もそのスキルに助けられ、何度も逆転を可能にしてくれたそのレベルマックスの直感は、しかし今のエミヤには致命的である。

「これを……こいつが?」

 ランサーが信じられないと言った声を上げた。
いや、至極真っ当な反応だろう。
嫌っている相手から絵にされ、ましてや本にされているなんて晴天の霹靂もいい所だろうが――それよりもマスターを止めなければとエミヤはもがくが、ランサーに一纏めにされた両腕がびくともしない。
筋力Bと筋力Dの差が哀しい程現われていた。

「くっ、離せランサー! マスターもちょっと待ってくれ……っ」
「あっ、分かった! 俺、てっきりアンデルセンとエミヤは付き合ってるんだと思ってだけど……エミヤが夜な夜な自室にアンデルセンと籠ってたのは、この本を描く為だったんだね!?」
「な、な、何を、言って……っ! マスター誤解だ、そう、これはその」

頼む、頼むからそれ以上の追撃はしないで欲しい。
気付いたとしてもどうか口に出さないでくれと、懇願にも似た気持ちでマスターへ顔を向けるエミヤを待っていたのは、きらきらとした青い眼の輝きだった。
こんな場面でなければ無垢で綺麗な瞳だと賛辞を湛えただろう。

「この童話作家ってペンネームの小説はアンデルセンだろうし……衛宮って音読みで『えい』、宮は『みや』でえいみや……つまりエミヤって事だよね!」

エミヤの願いも空しく、日本人である少年は正しい音読みを言い切り、嬉しそうにはしゃいでいる。がくりと肩を落としてこの生き地獄に耐えるしか術はない。

「うぐぐ……っ」
「そっかー、エミヤも黒髭達と一緒で同人作家だったんだ……英霊だけでも凄いのに、料理や掃除に加えて絵とか漫画まで得意だなんて、やっぱエミヤは器用だね!」

 無邪気に褒めてくるマスターにエミヤのHPはボス戦を戦いぬいたようにもう瀕死だ。暴露された恐ろしさで顔を上げられない。
彼は、ランサーはどんな顔をしてエミヤを視ているのだろう。
汚物を視る様な蔑げずんだ眼で見られても当然だが、出来れば顔を上げる事なくこのまま霊基を一層して欲しい。彼のどんな顔でも愛おしく、萌える自信があると自負するエミヤだが、現界の最後に視る顔が自分を嫌う表情にはきっと堪えられない。

「う……、今すぐに霊基を焼べてくれマスター……っ」
「えっ?! 何で!?」

 喉奥から絞り出した懇願にマスターが驚いた声を上げる中、背後からトン、と背中を叩かれ伏した視線からその先を窺った。アンデルセンがじっとエミヤを見上げていた。

「アンデ……」

 助けてくれるのかと、地獄に垂らされた糸に縋るように心持ちで助けを求めようとしたその瞬間。

「中々面白い事態になっているから傍観していたが、これ以上の修羅場をスペース前でやられると邪魔だ。遠巻きにこちらを窺っている客の姿が見えんのか。お前達はそこの扉の影で洗いざらい話してこい」

 修羅場へと容赦なく背中を後押しされてしまう。
状況を理解しようとしてか、黙って遣り取りを視ていたランサーがアンデルセンへと片眉を上げた。
反応を窺うように。

「良いのかよ? コイツ連れていっても」
「構わんさ。生推しカプが見られるのはカプ者にとっては垂涎の映像だが、何分スペース前だ。お前等の乳繰り合いは萌と資料の為にカルデアでじっくりと拝見させてもらうが、今現在この場所では邪魔だ。良かったな、人波が過ぎた頃で。そうでなければ生ランサーと生アーチャーのコスプレが来たと騒ぎになっていただろうさ。なんなら次回から二人供礼装姿で売り子してくれて良いぞ。俺も読者も眼の保養でウィンウィンだ」
「アンデルセンの薄情者……ッ!」

 立て石に水が如く捲し立てるアンデルセンにエミヤは悲壮な顔をして訴えるが、童話作家は何処吹く風で手をしっしっと払ってくる。

「ふん、何を言う。俺はある意味お前等のキューピッド役だぞ。さっさとそいつを連れていけランサー」
「言われなくても。おい、行くぞアーチャー」

 未だ強い力で掴まれたままの腕を引かれ、エミヤは最後の砦であったスペースから連れ出されてしまう。
 この数十秒後、数分後に訪れるだろうランサーからの嫌悪を思えば、もう抵抗する気力さえ湧かなかった。

(……次に召喚される時はどうかランサーがこの記録を本体に継いでいませんように)

 ずるずると引き摺られるまま、エミヤは内心でアラヤへと願った。

(……いや、その前に彼はこの記録を放棄するかも知れない。自分が嫌っている男から懸想されていたなんて、ランサーも読むのは躊躇うだろう) 

「――……だっ」
「うわっ?!」

 考えに没頭していたエミヤは声の近さに眼を剥き、距離の近さに声を上げた。何時の間にか壁に背中が付いていたエミヤの前に、ランサーが酷く近い距離で立っているのだ。驚きに身動ぎしようとするが、さっきまでの腕の代わりに両肩を壁に押し付けられていて叶わなかった。
どうやら悶々と考えている内にランサーへと壁に押し付けられていたらしい。辺りを見渡すと、アンデルセンのスペースからはさほど離れてはいないようである。
建物の死角となっているせいか人眼は殆んどない。
エミヤの様子にランサーは訝しげに眉を潜め、腹の底から唸る様な声を出した。

「……てめぇ、今の聞いてなかったのかよ」
「す、すまない……っ! ええと、その。私をどう殺すか、それともマスターに言って今すぐ霊基を焼べてもらう話だったかね?」
「何でだよ?!」
「……っ」

肩を縫い留るランサーの手からみしりと音が鳴る。
 走った痛みにエミヤが顔を顰めると、ランサーはバツが悪そうに「悪い」と呟き、指先の力を抜いてくれた。
 肩に乗せた手はそのままで。
混乱するのはエミヤである。どうして今ランサーが謝ったのかが理解出来ない。彼にはそのまま力を込めてエミヤの肩を砕く権利だってあるだろうに。なのに、彼は気遣うようにエミヤの肩をその指で撫でている。

(最後の、情けだろうか。自分を懸想している男への手向けだとでも)

 困る。こんな事をされてしまえば益々彼に恋を抱いてしまうのに。彼だって捲っていただろうに。ランサーに恋を囁くアーチャーの姿を。紙の中でひたすらに愛を伝える男を視てしまっただろうに。

「いや、気にするなランサー。私が全て悪いんだ。……君ももう察しているとは思うが、私は、その」

 言い掛けたエミヤの唇を、肩に置かれていたランサーの手が塞いだ。唇に当たる、肉厚な掌の感触にエミヤは驚きに瞠った眼を間近のランサーへと向ける。薄暗い日陰の中からでも、色付いた頬が分かった。
 ランサーの頬に赤味が見て取れる。

(て……照れ…照れランサーだと……っ!?)

 状況から見て照れではないだろう。怒りかも知れない。しかし、すっかりと腐ったエミヤにはもうそうとしか見れず、最後の最後に萌えを有難うと内心でランサーを拝んだ。座の本体へ、この照れランサーだけはという思いで心のシャッターを切り続ける。

「……まぁ、さっきの本は正直驚いたが……まぁそれは追々お前に聞くとしてだな」

(追々聞く前に早く霊基ごと消してくれないだろうか)

 追及が恐ろしくて引いた血の気がまた遠のいていきそうだ。ランサーの掌の体温が辛うじてエミヤの正気を保っていると言ってもいいだろう。
顔が良い推しは掌までもイケメンで困る。
そう現実逃避をしかけるエミヤの眼を、柘榴の眼が覗き込んでくる。目元をほのりと赤く染めた男が『照れ臭そうに』笑った。

「物書きとお前が出来ているならあの男に死闘を申し込んでから、と思っていたが――そうでないなら、その先は俺にちゃんと言わせろエミヤ。俺は、お前が」



※※※

「大丈夫かな二人供……やっぱり俺、様子視に行って」

 引き摺られていったエミヤの安否を気遣うマスターがそわそわとスペース内をうろつく中、アンデルセンは大きく溜息を吐き彼の手を引くと、自分の隣へと座らせた。

「話がややこしくなるからマスターはこのまま此処に居ろ。外部が種明かしするのは推理小説と決まっているが――これはただの、長い恋の物語だ」
「う、うん。前は噂話でしちゃってたけど今は現実感が凄くて……」

 うおおお……と慄くマスターに童貞力を感じ取ったアンデルセンが大仰に頷いていると、先程までエミヤ達の遣り取りをスケッチし息も絶え絶えだった刑部が一息ついたのか、食べ掛けていた弁当の攻略を再開しながらアンデルセンの肩を後から突いてくる。

「姫マッチョ萌えないけどあのイケメンやばかったわー、生ホモの威力ぱねぇ。アンデルくんがあのカプ推すのも分かる……ってか、貴方幸福な話は嫌いなんじゃなかったの? あれどう見ても両片思いのハピエンじゃない?」
「ふん、童話とは大人が子供に読み聞かせる教訓だ。俺がこいつに用意したのは、あくまでBL。俺の創作の種にする為で……」
「ふぅん? わざわざ新しいペンタブやらなにやら買い揃えて上げて?」

 姫は何でも知ってるぞ、と言外に匂わせる刑部にアンデルセンは溜息を吐く。マスターも「でもエミヤとこうして本出してるって事は、アンデルセンはエミヤを応援してるんだよね? ランサー×アーチャー書いてるゲストの童話作家ってアンデルセンの事でしょ?」と的確に鋭い所を突いてくる。流石は直感スキルマックスとでも言うべきか。

「なに。以前の召喚では奴には少しばかり世話になったのでな。その礼を返したまでの事だ」
「礼? カルデアに来る前にエミヤと知り合いだったの?」

 興味深々とばかりに眼を輝かせるマスターへ、アンデルセンは「まあな」と頷いた。

「……俺は昔『人魚のひいさま』と言う童話を書いた事があってな。現代タイトルは『人魚姫』になっているが、そのひいさまは人魚たちの王国のひいさま、六女のアラーナがヒロインで、彼女は種族の違う人間の男に恋をするんだ。アラーナはその時初めて人間を視た訳だが、その他の大勢の人間を見ても『綺麗』だと思ったのは王子だけだった。アラーナの眼には王子がとても、とても綺麗に映った。恋をした眼で見ていたからだ」
 稀代の童話作家はふっと息を吐き、在庫の無くなった机に『完売しました』と書いたスケッチブックを開いて立たせた。パイプ椅子に背を凭れさせながら、視線をシャッター奥の外へと向ける。
非常用扉の影に、アンデルセンの有能な売り子兼相方作家のエミヤが――褐色の肌でも分かる程に真っ赤な顔をしてランサーと話しているのが視えた。

「アラーナは人間になっただけではなく、心を知った。だから王子を殺せなかった。あの話の人魚達は長寿だが魂がない。長生きと実利、快楽だけを求める人魚のままならアラーナは王子を殺していただろう。だが、彼女は恋を知り愛を知った。芽生えた心で恋を育み愛を慈しんだ故に王子は殺せなかったんだ」

 離れた距離では彼等の話している言葉は分からない。
けれどエミヤの口元が綻び、ランサーが嬉しそうに笑っているのは見て取れる。美男が笑うのは実に眼の保養になると腐った頭で考えつつ、次回作の構想を練りながらマスターへと視線を戻した。

「だから、俺にとってはあの話はハッピーエンドな訳だ。それを前置きとして――俺は口下手だったのでな、生前は失恋の連続だった。最後に恋した少女にも何も伝えられなかった。だからこその『礼』だ。あの月の世界で化け物を愛した俺に、それを伝える時間をエミヤは結果的に俺に寄越した『記録』がある。多少の不服はあるが、納得のいく筋書きの物語をな」

アンデルセンは身内用に取っていた新刊の表紙を撫でる。エミヤの本に寄稿したカップリングではない、自身の個人誌であるエミヤ受け本の表紙を。

「俺の趣味は実益を兼ねた人間観察。己が幸福の為に己の人生を掛けるのであれば、それがどんなに鈍く小さく傷だらけでも俺には尊い光に視える。愛は求める心、そして恋は夢見る心だ。俺の愛はあの月の世界で叶った。ならば、次はアラーナに似たあの男の夢見る心が報われる世界線があっても良いんじゃないかと思ったのさ。……独りよがりの報われない人生を送った同類だからな、俺達は」
「ううん、いまいちよく分からないんだけど……つまりアンデルセンは二人の恋のキューピッド役だったって事?」

 ムーンセルでの聖杯戦争を知らないマスターは不思議そうに首を傾げるが、やはりこの少年の直感スキルは侮れない。つまり、まぁ。元を正せばそう言う事、なのだ。
 借りを返さなければ尻の座りは悪い。
そして――偶然にも恰好の落し場があった。
落ちるか否かでまた筋書きは変わっていたのだが、見事にエミヤは嵌ってくれたのだ。アンデルセンにとっても同士を得たりの、願ってもない物語の落とし所に。
アンデルセンは新刊をマスターに渡すと、布を掛けたままの机に頬杖を突き、にやりと笑った。

「愛と恋と現実は三竦み――事実は小説よりも奇なり。アイツが見事なまでの腐男子になったのは、俺も予想外だったがな」
 
 視線の先では、アンデルセンの推し二人が照れ臭そうに抱き合っている。
新刊のネタは決まったようなものだ。次回作は童話作家初の年齢指定本になりそうである。


Comments

  • わんわんお
    March 24, 2025
  • わんわんお
    March 13, 2024
  • December 7, 2022
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