ある日バイトから帰ると、しゃ、しゃ、と何かを削る音がする。まだ明るいとはいえ電気もつけずに、窓際に座ってアーチャーが何かしていた。
紆余曲折を経てランサーの恋人となったこの男にしてはめずらしい。いつ見ても何やら立ち働いているのが彼だ。
「何してるんだ?」
「・・・ナイフを作っている。」
「ペーパーナイフか?お前なら、一瞬で投影できるだろうに。」
「自分で作ることに意義があるのだよ。まあ娯楽のようなものかな。」
「ふーん。ま、お前が楽しいならいいけどよ。できたら見せろよな。」
「ああ。」
受け答えする間も、エミヤは黙々と木を削っている。その削るためのナイフは投影で一瞬で出したものだというから酔狂なことだが、趣味と言うのはそういうものかとランサーは適当に頷いた。
もともと何でも器用にこなす男で、家事となれば裁縫どころか刺繍さえやってのける執事A+のエミヤだ。
たっぷり数日をかけて削りあげ、丁寧に仕上げた30センチほどの木のナイフは見た目にも美しい。
だがよく見ないうちに隠すように仕舞われてしまう。
「もう出来上がりか?よく見せてくれよ。」
「・・・いや、まだだ。折角だからキャスターに呪い(まじない)のひとつも頼もうと思う。」
「マジかよ!?何を対価にゆすられるかわかったもんじゃねぇぞ。」
「交渉事は得意分野さ。」
次の日、エミヤはナイフを布に包んで、手土産に洋梨のタルトをこさえて、柳洞寺の長い階段を上った。
山門のところでアサシンに会い、軽い世間話をする。
「今度また本でも持ってこよう。」
「それは有難い。それにしても女狐に頼み事とは、対価にとんでもないものを取られないようにするのだな。」
「そうだな。」
寺に入ると、キャスターが待ち構えていた。柳洞寺はキャスターの陣地、入った瞬間から全ては筒抜けである。
「やぁキャスター。洋梨のタルトを作ってきたから、葛木と食べるといい。」
「相変わらず豆な男ね、アーチャー。それで?頼み事とはなんなの。」
「ああ、実は君の魔術の腕を借りたい。」
玄関先でする話でもないので客間に通され、アーチャーはテーブルの上にごとりと木のナイフを差し出した。
「これが何か?見たところ特別に魔術的な価値があるようには思えないけれど。・・・いえ、木は良いものを使ってあるわね。」
「流石だな。この木はこの国の歴史ある神社の御神木がついに寿命で倒れたと言うので、頼み込んで一部をもらい受けたものだ。樹齢は千年を越えると言う。それを私が細工した。」
「・・・それで?」
「これに呪い(まじない)をかけて貰いたい。・・・そうだな、抗魔力を上げるものか、呪い(のろい)を弾き返すものが良い。」
「対価には何を差し出すつもりなの。」
「さあ?私に差し出せるものなら、最大限の努力をするつもりだ。君の良いように。」
対価を丸投げするような返答に、キャスターは軽く目を見開いた。
この底抜けのお人好しの男は、しかし強かな面も持っている。こういった交渉事は男の得意分野で、自分に利するように小細工を仕掛けるのも厭わないはずだ。それがキャスターの良いように、などとは異常事態である。
「何のつもり?この剣に何があるのか、まずそれを話しなさい。」
「・・・長々と話すような理由はない。ただの女々しい感傷さ。君もご存じの通り、私とランサーは現在恋仲だ。まったく、改めて口にしてみても信じられないような現象なので、その記念にと思ってね。」
エミヤは茶化すように軽く言ったが、キャスターはエミヤの思いを見抜いて思わず息を飲んだ。キャスターもまったく同じ思いを抱えているからだ。
ここにいるサーヴァントは皆分霊、座にいる本体のコピーに過ぎない。
今は聖杯の気まぐれで戦うこともなく日常を謳歌しているが、いずれ必ず座に帰るときが来る。
そうなれば、ここでの記憶は記録に成り下がり、どんなに胸焦がすような熱情も、本で読んだような他人事になってしまう。
――――忘れたくない。
座に帰るのは良い、それはもうどうしようもない摂理である。永遠なぞ望むべくもない。人に死が、一日に日没があるように、物事には終わりがある。それを覆そうなどとは思わない。
だけど、たったひとつだけ願うなら。
――――忘れたく、ない。
彼から貰った口付けを、言葉を、温もりを。
死した身で尚、命がけの恋をした。泣きたいくらいのこの愛しさを、無かったことにしたくない。
ましてこの男はアラヤの守護者。その任において磨耗し、召喚されたばかりの頃は記憶喪失のような状態だったと聞く。
キャスターは目を細めて目前の男を眺めた。
キャスターもまた、この現界においてかけがえのない恋をした。座に戻れば、この記録を大事に抱いて、何度も何度も読み返すだろう。
だけどこの男にはそれさえできない。
召喚されることなど滅多にないガイアの英霊と違い、アラヤの守護者であるアーチャーには数多の召喚の記録がある。そのなかに紛れて、彼の一世一代の恋の記録はいつか磨耗し消えてしまう。
だから、男は剣を作った。
男に許されたたったひとつの大魔術、彼の固有結界は視認した武器をすべて溜め込む。それも、彼の投影はただ能力や形をなぞるだけではない。
投影六拍、という。
創造理念(どのようないとで)
基本骨子(なにをめざし)
構成材質(なにをつかい)
製作技術(なにをみがき)
成長経験(なにをおもい)
蓄積年月(なにをかさねたか)
これを追想(トレース)することで、限りなく真に迫った偽を創り出す、それが彼の投影である。
キャスターはテーブルの上に置かれた木のナイフを改めて見つめた。
全長30センチほど、白木の表面はすべらかで木の質感が生かされている。特徴的な直刃はそう思って見るとあの男の槍先に似ている。柄に施された精緻な紋様もどことなくケルトの文化を思わせて、アーチャーが何を思ってこの剣を作ったのか、解析などせずとも伝わる。
「・・・我ながら、女々しいとは思う。」
「馬鹿ね、恋に男も女もないでしょう。」
ひと彫りひと彫り、彼への思いを込めて。
記憶は記録に成り下がっても、この剣を投影(トレース)すればその思いを追想(トレース)できる。
記録は磨耗しても、固有結界に溜め込んだストックはけして消えない。
いつか座にいる本体が剣の丘を検索し、この剣を投影しさえすれば。
「だが、ただの剣では駄目なのだ。私の剣の丘は取捨選択をしない。武器と見れば無節操に取り込むものだから、何の変鉄もない包丁から量産品のカッターナイフまで星の数ほど登録されている。だから、有事の際に検索に引っかかる性能がなければならない。それで、」
「――――それで、私の魔術が必要と言うわけね。確かに、あなたの紙っぺらのような抗魔力を補える剣なら使いどころがあるでしょう。・・・わかりました。キャスターの名にかけて請け負います。道具作成Aの実力を見せてあげるわ。」
「対価は?」
「恋する者の誼(よしみ)で、特別に負けてあげる。あなたの投影品で良いわ。そうね、古い儀式用の剣を。あなたのストックのなかで一等良いやつよ。」
「お安い御用だ。・・・恩に着る。」
心から頭を下げて、アーチャーは去っていった。
キャスターはそれから数日をかけて、木の剣に魔術を施した。出来上がったものは神代の魔女メディアをして会心の出来で、メディアは胸を張ってそれを差し出した。
「あらゆる悪意ある呪い(のろい)を無効化する概念を込めたわ。瘴気を清め、怨念を弾き、穢れを祓う。我ながら良い仕事ね。」
「・・・驚いたな。宝具並みじゃないか。」
「素材も良かったのよ。この国の神道とやらは浄め祓うことに特化してるのね。その御神木を使ったんだから、随分やりやすかったわ。」
「これでは対価が釣り合わないな。」
「メディアともあろうものが、契約の後に対価を釣り上げるような真似はしません。いいのよ、私も楽しかったわ。」
「・・・ありがとう。」
始めて見た皮肉な色のない微笑みはどこか幼くて、メディアはなるほど確かにこの男はあの少年の果てなのだと今更ながら納得した。
***
今日のバイトは午後までのはずだったのだが、台風で客足がなく、このままでは帰れなくなるからと店主が早上がりにしてくれた。
横から叩きつけるような風のなかで傘は役に立たず、ランサーは開き直って濡れながら帰ってきた。玄関前で霊体化してびしょぬれの体をリセットし、鍵を開ける。
「ただいまーっと」
習慣で声をかけたが、なかにアーチャーの気配がないことには気づいている。
アーチャーは現在遠坂凛から冬木の管理人代理を言い遣っている。おそらくこの嵐で水難事故でも起こっていないか、見回りに行ったのだろう。
テーブルの上を見ると書き置きがあり、
『帰りは遅くなる。
夕飯の支度はできている。冷蔵庫のなかにおやつがあるので食べるといい。』
と男にしては綺麗な文字で書かれていた。
コーヒーでも淹れて飲もうと、ランサーはコンロにケトルをかけた。
冷蔵庫のなかを見るとアーチャーお手製のカスタードプディングが冷えており、ありがたく頂くことにする。
窓の外は、びょうびょうと風が唸り、ガラス戸に絶え間なく雨粒が叩きつけられる。
お湯が沸くまでふと手持ちぶさたになったランサーは、妙な気配に気づいた。
「・・・?」
厭な気配ではない。むしろ清澄な霊気を感じる。
魔力探知をするとすぐに見つかり、アーチャーの部屋の戸棚の中からだった。
「・・・開けるぞー」
主の居ない部屋に無断で入り戸棚を開ける言い分けに、ランサーはぼそりと呟いた。
「――――・・・。」
果たして入っていたものは、先日アーチャーが作っていた木の小刀だった。完成した造形は、クーフーリンの目から見ても立派なものだ。試しに握ってみると、しっとりと木の感触が手に馴染む。
施された魔術はギリシア系のもの、これもまた見事というしかない。
「・・・・・。」
ランサーは目を瞑り、音もなく唸った。
アーチャーの思いは、この剣を見れば一目でわかってしまった。
「・・・バカだなぁ。」
しみじみと、剣を眺める。
ランサーには、アーチャーのような反則じみた解析の能力はない。ただ、この剣に施された魔術の方向と、アーチャーの丁寧な手仕事ぶりがわかるだけだ。
だからアーチャーが、どんな気持ちでこの木を削り上げたか、丹念にヤスリをかけたか、正確なところはわからない。
だが・・・。
「ホント、馬鹿な奴だよ、あいつは。」
愛しげに刀身を一撫でして、無造作にランサーはゲイボルクを顕現させた。
――――そんなに忘れたくないのならば、言えばよいのだ。
ランサーに、迎えに来いと、アラヤとガイアの壁さえ越えて、会いに来てくれとただ一言言えば――――
「できるわけねぇかぁ。」
助けてくれと、その一言が言えない男だ。
意地や性格で言えないならまだしも救いがあるが、あの男は救われたいという思考自体ができない。
愚かで、優しい、正義の味方。
ランサーが愛した馬鹿な男のあり方だ。
「――――誓いをここに」
剣を置いて、槍を片手に、ランサーは言葉を紡ぐ。
「赤枝の騎士団、光神ルグの息子クーフーリンの名において、必ずエミヤを迎えにいく。
空が落ちない限り、地が裂け海が我を飲み込まない限り、必ずこの誓いを果たそう。」
言葉は誓約(ゲッシュ)となって、クーフーリンの身を縛る。
ランサーは愛槍で、剣の柄の底の部分に、キャスターの魔術の調和を崩さぬように細心の注意を払いながら、守護のルーンを刻んだ。
***
アーチャーが戻ったのは、日付を跨いで、嵐が止んだあとだった。
未遠川で流された子供を助け、土砂崩れをアイアスの盾で一時的に止め、道路を塞ぐ倒木を二本片付けて、最後にこの街で一番高いビルの上から助けを求める人が居ないか見渡して帰ってきた。
同居人を起こさないように、と音を立てないようにドアを開閉する。
音もなく玄関を上がったそのとき、パッと暗闇が消し飛んだ。
「お疲れ。」
「・・・起きていたのか。」
「おう。お前を待ってた。」
「こんな時間まで?明日では駄目だったのか。」
訝しげに眉をあげるアーチャーは、雨に濡れて一度霊体化したために、前髪が下りている。そうすると一気に印象が変わって、途端に童顔が際立つ。
「それで?用があるなら手早くしてくれ。思いの外魔力を消費してしまった。節約に睡眠をとらねば。」
ロー・アイアスを投影したのが痛い。もしも今戦闘になったらまずいというくらい、アーチャーの残存魔力は減っている。
「そりゃあ丁度いいや。」
現在の残存魔力でとれる戦術について思考を飛ばしていたアーチャーは、伸びてくる腕に顎を掴まれてぱちりと目を瞬いた。
そのまま玄関前の廊下の壁に押し付けられ、口付けられる。
「・・・っ、ん・・・ふ」
滑り込んでくる舌に反射的に肩を押して抵抗するが、びくともしない。トン単位で物を持ち上げるサーヴァントにとって、筋力BとDの間には絶望的な差がある。
「ん・・・ぅ、ン」
唾液に含まれる魔力が甘い。魔力不足のアーチャーにとってそれはまるで砂漠に落とされた慈雨のようで、いつしか夢中になってキスを返していた。
ランサーの左手が背骨をなぞるように滑り込んでやっと、アーチャーは我に帰った。
「こら。」
「んだよ、魔力足んねぇんだろ?しようぜ、魔力供給。」
「・・・その為にわざわざこんな時間まで待っていたのか?」
「おう。急にお前が抱きたくなった。」
ストレートな表現に、アーチャーの頬が微かに赤くなる。
気まずげに目線を反らすと、掠れた声で言う。
「否やはないが・・・ここでは嫌だ。」
「ん、ベッド行こうな。」
目元に優しく口付けられて、今度こそアーチャーの頬が赤く染まった。
***
くったりと意識を失ったアーチャーの寝顔を眺めながら、ランサーは煙草に火を着けた。一息目をゆっくりと味わって、ふうと煙をくゆらす。
明日になったら、アーチャーは木のナイフに施されたルーンに気付くだろう。
ランサーの誓約(ゲッシュ)にも気づくかもしれない。
アーチャーがどんな反応をするのかは想像に難くない。きっとまず呆然と泣きそうな顔をして、それから顔をしかめて「馬鹿なことを」とか言うに違いない。
そうしたら、馬鹿はテメェだと言い返してやるつもりだ。
ランサーはアーチャーの白い髪をそっと撫ぜる。
童顔が、寝顔になるとさらに幼い。皮肉なリアリストの仮面の下で、心の芯は少年のまま成長したみたいなこの男の歪さがいとしい。
「・・・指輪でも買うか?」
いっそ首輪でも良いかもしれない。
他者からの愛に鈍感で、自分は愛される資格がないなどと本気で考えている男には、縛り付けて独占するような愛が似合いなのだ。
「逃げられると思うなよ、エミヤ。お前はもう俺のなんだからな。」
物騒な笑みでニヤリと笑って、ゆったりと紫煙を吐き出すのだった。