振ってくれというから付き合ってみた
えふご軸の槍弓です。キャスターがだいぶ出てきますが術弓要素はありません。
前作はたくさんのブックマーク他ありがとうございました。びっくりしました。
旬ジャンル…すごいですね…。
(表紙:user/595217 よりお借りしました)
以下、本編読了後に読むことをお勧めします。
大変読みにくいうえにキャスターがとある誰か(名言なし)に執着している様子がありますし、読んだって何も変わりはしませんので何でもウェルカムでなければそっとUターンしてください。
弊カルデアの設定だなぐらいのメモ書きです。
*****
あっ? 何あいつらやっとくっついたのか。うわーもう長かったわ。ずっと槍持ちの俺の無自覚惚気につき合わされてたわけよ、最悪。何が悲しくてデッレデレになってる自分の顔みながら酒飲まなきゃいけねーんだよ、美味い酒も不味くなるわ。しかも俺にアーチャーが話しかけてると焼き餅焼くんだぞあいつ。いみわかんねぇ。あぁ? 俺は違うんだよ、何でお前までそんな面倒くせぇ誤解してんだ。確かに思うところはあるけど、俺はあいつの好敵手になりえんだろ。ダメなんだよ。アーチャーにとって俺はそういう対象じゃねぇから、俺はただの英雄クー・フーリンであってあいつの中のクー・フーリンにはならんのさね。判りにくい? お前らもいろいろややこしい召還されてんだから判れや。は? 結局俺はどう思うのかって? いやいやいやいやいや、違うからな! おい誤解するな本当に違う誓っていい! あ~~~……そうだな、久しぶりに再会した危なっかしい昔なじみみたいな……恋愛になんか発展しねーよ! どういう媒体からの知識だそれは! だからこの間ちょっかい出してたのは、ただの憂さ晴らしというか八つ当たりであってだな! いや、マスター止めてくれたのはアーチャー的にはありがたかったと思うが…はぁ~~……だからな、俺はアーチャーの運命じゃないし、アーチャーは俺の運命でもないんだって。なんで判るのかって? んなのお前さんが聞くかねえ。会えば判るだろうが、運命なんて。いや……ほんとその誤解止めろよ俺が槍で刺されかねんぞ。お前らだって聞いてるだろ、アーチャーを運命だって宣ってるのは槍の俺であって俺じゃないんだって。別側面だけど違うんだよ、英霊エミヤのすべてはまるごとクー・フーリンの運命というに今のとこ否はねぇが、アーチャーの運命のクー・フーリンの側面を俺は持ってねぇの! あ? だから最初からそう言ってんじゃねぇか、お前さん何で今更気がついたって顔してんだよ。ハハッ、そんなの教えてやると思うか? やなこった。あん? なんだよその顔は。だーかーらー、槍の代わりに杖持ったぐらいで変わるわけねーだろ。俺も俺だっての。うるせえ、知恵が回るようになったといえ。なに、誓えってか? こんなところで誓ってなんになるってんだと言いたいところだが、それで納得するなら幾らでも誓ってやろうじゃねーか。
「――あいつが、俺の運命だ」
- 1,875
- 1,956
- 27,882
聞こえた言葉に我が耳を疑った。
「はぁ?」
ここはカルデアの片隅にある赤い弓兵の私室。
ランサーを無理やり引っ張り込んだ部屋の主は、いつものニヒルな笑みも皮肉も取っ払って、ひどく真面目な、そして追いつめられている表情で同じ言葉を繰り返す。
「私を、振ってくれないか」
「おい……何言ってんだ、大丈夫か」
二回聞いても同じ言葉だったので、ランサーはとりあえず男の体調と正気を疑うことにした。ここしばらく、戦闘時の動きが冴えないとは思っていたところだ。
死にそうな顔をしていること以外見た目は大丈夫そうではあるが、己もこの男もサーヴァントであり、しかもこたびの召喚は特殊なものだから霊基に何らかの異常が出ているのかもしれない。
それとも「振る」という言葉には己の知らぬ隠喩でもあるのだろうか。いっそそうであって欲しい。
期待に縋るような――そんな感情をコイツ相手に抱くことになるとは思わなかった――思いで目の前の弓兵を観察していたが、男は薄い唇をゆがめて無理やり笑みを作った。
「前提を話していなかったな。すまない」
まるで嫌悪しているかのような顔で。
「私は君のことが好きなんだ。だから、振ってくれないか。こっぴどく。一抹の期待も残さぬように」
吐き捨てられた言葉は隅々まで苦々しく、こいつは己に告白をしてきたのだと気がつくのに時間がかかりすぎて、顔色がいよいよ悪くなった男に同じ言葉を二回繰り返させてしまった。
ランサーの頭の中に正しく意味が行きわたるのに、かつてないほどに時が必要だった。
ようやくアーチャーの言い分を理解したランサーは、腹の底から声を出す。
「はぁあ!?」
「不快にさせたのはすまない」
眉を寄せて頭を下げようとするアーチャーを慌てて止める。
「ちげぇよ、そういう意味じゃねぇ。……なに、お前俺のこと好きなの」
「ああ」
「ああって、随分と冷めた告白だな……」
即答なのに温度がなく、褐色の頬には赤みの欠片も見受けられない。
せめて顔を真っ赤にして言ってこれば可愛げもあっただろうにとは思うが、自分より体格のよい男に、しかもよりによってこの弓兵に可愛げを求めても不毛ではある。
「……あいにく、情熱的に語れるような綺麗な感情ではないし、君の前でこれ以上の醜態をさらしたくはない」
相変わらずの顔で言われてしまえば、ランサーもそれ以上は言えなかった。
いつものアーチャーならば何を言っても倍以上になって返ってくるだろうし、己からの勢い任せの言葉を気に病むとも思っていなかったが、今のアーチャーに軽はずみな言葉をかけていいと思えるほど人でなしではない。
結果として二人の間に微妙な沈黙が落ちてしまい、慣れぬ状況に居たたまれなくなってランサーは視線をさまよわせるはめになる。
目の前の男は腐れ縁でいろいろあって相いれない存在ながら、同じマスターの元でまあまあの距離感でうまく共闘してきたと思っていたのだが、どうしてこんなことになっているんだ。二人でいて殴り合いになることはままあれど、居たたまれなくなる日が来るとは考えてもいなかった。妙な思考回路をしている奴だとは前々から思っていたがまさか振れ、とは。
「っつーかなんで振れって話になる」
「ふ――るだろう? 君こそ何を言っている」
声が震えた。
おや、と思いながら視線を向けたが先ほどと変わらぬ表情のまま。しかし、いつの間にか握られていた彼の拳に不自然なほどの力が入っている。肩も、腹も同じで、普段の油断も無駄もない立ち姿はどこにもない。
黙って観察を続けていたランサーの前でアーチャーは嘲笑する。
「もちろん私などに好かれても不愉快なだけなのはわかっている。これまでそのような感情を持って君に接していたことについても、いくら謝っても足りない。掃除屋風情の懸想など、侮辱ととらえられても仕方のないことだと思う。本来ならば座に帰れと言われてもしかたがないだろう。だが今は人理修復中で私も微力ながら――」
「待て、待て、止まれ。そうじゃねぇ」
「ちゃんと隠し通そうと思った、隠し通せていたんだ、だが、こんなに、ながく、君と」
「違う。ちょっと黙れアーチャー」
っく、と喉が鳴ってようやくアーチャーは口をつぐむ。
喉を震わす代わりに、揺れた鈍色の瞳がそっと伏せられた。
ランサーはがしがしと後頭部を引っ掻く。アーチャーの希望通りにすることについて否やがあるわけではないのだが、彼が最初から己の気持ちがランサーにとって不快な感情だろうと切り捨てているのがどうにも気に喰わない。
ソレはアーチャーの感情ではないのか。
形はどうであれ、好意を向けること自体が相手にとって侮辱だと、どうして聞きもせず思いつめるのか。ランサーはそんなことを言った覚えはないし、言うつもりもない。
「まず、お前の気持ちはわかった。懸想ってんのはアレだな? 恋愛感情的な好きだって解釈でいいんだな? ――なるほど」
律儀に黙ったまま首肯したアーチャーはまだ視線を上げない。引き結ばれた唇が震えている。
こいつがねぇ、と信じられない気持ちが勝るのだが、ここまで真剣な瞳を向けられては狂言の類を疑えるほど阿呆ではない。冗談めいて言われれば勘弁してくれとでも返せただろうが、真摯な想いにはこちらも真正面から返さねば失礼だ。
「まず、俺はお前をそういう対象で見たことはねぇ。想われてるって想定したこともなかった。だが予想外なだけでそれが不愉快なわけではない。驚いちゃあいるが」
アーチャーの瞳がそろりと横へ動く。信じられないのだろうか。きっとそうだろう。この男は、そういうめんどくさいところがあるのだ。かつてのマスターだった少女も、今のマスターも困り果てるぐらいには。
「だから謝罪はいらねぇ。それから振るってんのも断る」
「は!?」
目をかっぴらいて顔を上げたアーチャーに、ランサーは鼻に皺を寄せた。
「てめぇに指図されるのが気に喰わねぇ。自分の感情を粗末にしてんのもだ」
「な――ば、馬鹿か貴様は! 無茶苦茶な!」
褐色の肌からますます血の気が引いていく。告白する前に振ってくれと言いだすといったくせに。無茶苦茶はどちらだ。
「それになぁ、弓兵」
こいつが自分を蔑ろにしがちな性質なのは知っている。
隠し事が上手い男なのも知っている。
一方で、矜持が高い男なのも、知っている。
だからランサーはアーチャーの希望通りにはできなかった。皮肉という防御もできず、声を震わせ、全身で必死に取り繕うとしているのにできていない男の告白を一刀両断して――その先の顛末に予想がつかないほど初心でも冷たくもない。
「ここで俺が振って、きっぱり諦めがつくのかよ」
「……そ、れは」
ランサーの指摘にアーチャーは反論の一つもできない。いつもはマスターをも黙らせる口が動かない、それこそが何よりの答えである。
「ほれみろ。んなの振り損さね。だからよ」
だから提案をした。
もちろんランサーからアーチャーに対して、戦士としての好感を抱いている以上の感情はない。ランサーの恋愛対象は今も昔も女性だ。生前に男を抱いた経験こそあるが、どこもかしこも堅そうな体は、一夜限りと言われても食指は動かない。
だが、この男が見せた彼の、彼のための彼だけの感情は――当の本人が切り捨てようとしているそれは――いま、ランサーが握りつぶすべきではないと思ったのだ。
「とりあえず振る前に付き合ってみねぇか?」
「なんでさ⁉」
「付き合ったらお前もなんか違うってなるかもしれんし、俺もちゃんと振ってやれるだろ」
「い、いや、その理屈はおかしいだろう。待て、待て……」
先ほどまでの生気すらなさそうな様子とは違い、今のアーチャーの頬はうっすら赤い。片手で口を押えて必死に言葉を探しているようだが、弓兵に拒否権などないのだ。
「そんな、一時的とはいえ私などが君と。いや、本当におかしい。何かあったのかランサー」
「告白しといて、付き合おうってなったら人の頭の心配してんじゃねぇっての。ぐだぐだ考えすぎなんだよてめぇはよ」
俺が決めたんだよ文句ないだろ、と言えばさらになにか言ってきそうだったので先制して一歩踏み出して弓兵の白い頭をわしづかみにする。
思ったより柔らかい髪質より、その動きが許されたことに驚いた。かわされると思っていたが、それどころではないらしい。どうにも調子が狂う。
乱暴に髪の毛をかき乱せば後ろに流されていた前髪が落ちてきて、非戦闘時はまま見かける出で立ちとなった。これはこれでもう見慣れている。大人しく髪を見出される様は少しだけ動物みたいだ。
「んじゃぁ今日は遅いから休むわ」
そのまま弓兵の横を通り立ち去ろうとしたが、返事がなかったので足を止めて顔を覗き込む。
未だ顔は染まっているだろうか。しかめっ面だろうか。髪を下ろすと本当に幼げな顔になるんだよなぁ――そんなことを考えながらの行動だった。
「それとも褥を共にするところから始めたほうが良かったか? ちっと準備がねぇが――」
やってりゃあ多少はその気になるかもしれんし、と言いかけた口は間抜けなことに開きっぱなしになる。
耳まで赤くしたアーチャーは、両手で顔を隠したままずるずるとその場にしゃがみ込む。
「きみは、ずるい」
「お、おお?」
「すきなんだ」
「それは聞いたが」
「あきらめる、つもりだったのに、もっと、すきにさせて、どうする……」
「わ、悪かったな……?」
「本当だよ。ふ、ふふふ」
しゃがみ込んだままのアーチャーは何が面白いのかそのまま笑いだして、しばらくそうしてからようやく顔を上げる。
少なくともその顔に生気が戻っているのには安心した。
「ランサー。君は、かっこいいな」
いつもの皮肉が欠片もない言葉に戸惑うランサーの前で、アーチャーは困ったような顔で、微笑む。いつもと違い眉間に皺はなく、双眸を細めて、低い声はわずかにかすれた。
「……本当に、大英雄だ」
なんだかその言い方に、その態度に腹が立ったのだが。
その時のランサーは理由が分からず、アーチャーの部屋を後にした。
**
ランサーとアーチャーが「付き合い」出してから一週間がたつ。
ランサーとしては最終的に振るのを前提で付き合いだしていたし、アーチャーも付き合ってこれは違うと思った場合は振った後に気まずかろうと思い、二人の関係性の変化については今のところ口外していない。だから二人の現在の状態について確実に知っているのは――。
「聞いてくれやばい」
「聞かされるこっちの身にもなりやがれ」
座っている椅子を自身と同じ顔に蹴られながら、ランサーは頭を抱えた。
「あいつダメだ。なんっつーかダメになるわ。シーツいつもきれいだし弁当は好物ばっかり詰め込まれてるし、いや弁当はもともと美味いんだが明らかに品数が増えた。礼言えば嬉しそうにするしリクエストも聞いてくるし、酒のつまみもどうみても豪華で手ぇかかってるし、ぜってぇあれ数日前に仕込んだのだろ」
「惚気か」
「ちげぇわ!」
半目になったキャスターの前で、呻きながら短髪にしている髪をかき乱す。
己と共通の霊基を持つキャスターには隠し事は難しい。付き合いだした翌日にはバレて、笑顔で問い詰められたのであっさり吐く羽目になった。今ではそれでよかったと思っている。吐き出す相手がいなくなるところだった。
「あいつ、あんなに甲斐甲斐しかったのかよ」
「惚気はもういらねぇんだが」
「惚気じゃねぇよぉ……」
呻いて椅子の背にもたれかかる。
そう、惚気ではない。困っている、とも少し違う。あまりにも予想外だったのだ。あの男が、顔を合わせれば皮肉ばかりの弓兵が、いけ好かないアーチャーが――あんなに、純粋な好意を前面に出してくるとはなぜだかちっとも思っていなかった。
あの男の性格からして付き合っていることは隠すかと思っていたのだ。いっそ表面上は何も変わらぬのかとすら。だが実際は違っていて、弓兵は他者の目があるところでも喜々としてこちらの世話を焼いた。何かできるのが楽しくてたまらないとその全身が語っていて、こいつは世話焼きでもあったのだと思いだす。
その世話の焼き方がまた絶妙で、こちらがうっとうしいと感じないラインはきちんと守っているものだから、この一週間でランサーは相当に甘やかされてしまった。罪悪感はあまりに楽しそうな弓兵の姿に帳消しにされてしまって、いい加減にしろとも言えない。
「このままだと俺がダメになる……すでにあいつの飯じゃないと物足りねぇのやばい」
「まぁアーチャーの飯は美味いからなあ。つかお前持ってきたの酒だけかよ、つまみはどうしたつまみは」
「ああ、それなら」
ランサーが何か言う前にキャスターが先に反応する。壁に手を走らせれば扉が滑らかに開き、その向こう側には髪を下ろし軽装になってる第二再臨姿のアーチャーが盆を片手に立っていた。
「なんだ?」
「すまない。つまみを持ってきたんだ」
口にあえばいいのだが、と言いながらアーチャーがキャスターの前の机に盆を置く。盆の上にかけられていた布をとれば、複数の小鉢に盛られた料理が姿を現した。彩もバランスよく考えられたその盛り付けは、素人目にみても片手間に作ったようなものではない。
キャスターからヒュウと口笛が飛ぶ。すげぇなという賛辞の言葉に、アーチャーは否定するでも皮肉を言うでもなく、ゆるり唇を綻ばせた。
「酒にあうといいが」
「お前が出してくるってことは自信あるだろ。飲んでいくか?」
「遠慮しておこう。君たちは酒に強いだろうが、ほどほどにな。食器は明日回収するからそのままで構わない」
では、と踵を返そうとしたアーチャーの手首をランサーがつかんで引き留める。そこでようやく彼の視線がこちらへとむけられた。驚いたのか丸くなっている瞳は以前よりずっと無防備だ。
「ランサー?」
「おやすみ」
ランサーはそれだけ言うと手を離す。ぶらり体の横に戻った腕にはっと我に返ったアーチャーが、髪と同じ色の睫毛を伏せた。
「っ、あ、ああ。……おやすみ、ランサー」
低音の声を掠れさせながら返し、来たときよりも足早に去っていく背中が扉の向こうに消えてから、ランサーはキャスターの方へ向き直る。
なぜだか彼は机の上に突っ伏して足をじたばたさせているのだが、酒かつまみのせいだろうか。
「~~~~っ、あまずっぺぇええええ」
「どれだ?」
用意した酒は辛口よりのはずだし、アーチャーの差し入れにもそれらしきものはない。じたばたするぐらい酸っぱいものといえば経験的には梅干しぐらいだが、それも見当たらない。
「味の話じゃねぇよ。かーっ、何の罰ゲームだこれ。それでもクー・フーリンかよ槍の俺」
「は? 何言ってんだてめぇは」
キャスターを睨むも、めんどくさそうに手を振られて視線を遮られてしまう。釈然としなかったが、こうなってはキャスターは何も説明しない。そんなことはよくわかっている。
それでもなお、じとりとした視線を向けていれば、あきらめたのか溜息と共に一つだけ導きが振ってきた。
「気が向いたら、あいつになんで「お前」であって「俺」じゃねぇのかを聞いておけよ」
「あぁ? あー……ふむ」
確かにキャスターもクー・フーリンである。このカルデアにはもう少し若い頃のクー・フーリンも召喚されている。あの弓兵の中でクー・フーリンといえば一番縁があるのは槍持ちのランサーだと思っていたが、このキャスターも基本となっている部分は同一だ。しかもこちらの方がカルデアで共に過ごした時間は長いはずなのだ。
アーチャーはこのカルデアの中でも屈指の古参だ。ランサーが召喚された時はすでに主戦力として戦場を駆けていた。今は相性なども考えチームを組むが、当時は戦えるものがひたすら前線に向かっていた。必然的に、キャスターとアーチャーが組む回数も多かった――と、聞いている。
きっとキャスターのクー・フーリンは、ランサーのクー・フーリンの知らぬアーチャーを知っている。
まだ右も左も分からぬマスターを導き、鼓舞し、時に叱って、最初の特異点を駆け抜けた。その時のアーチャーを知っている、のだろう。ランサーが知りえぬアーチャーを。
「おい」
カシャンとグラスを鳴らされて、はっと視線を上げた。
鏡写しのように同じ顔をした男が、大げさにため息を吐く。
「飲む気もねぇなら帰れ」
「なんでだよ。つまみを独り占めする気か」
我ながら意地汚いと思いながら手を伸ばせば、天井を仰いだキャスターが片手で顔を覆っていた。
「は~~……嘘だろ」
「あぁ?」
先ほどからキャスターの考えが分からず、ランサーの片目が眇められる。言いたいことがあれば口にしろという意思表示のつもりだったのだが、ようやくこっちを見た男はただ無言でぐびりと酒をあおってからつまみを食べ、結局それらしいことを言うことはなかった。
**
カルデアのキッチンはよく整備されている。ランサーにはこの時代においてここのキッチンが普遍的なのかすらわからなかったし、置いてあるものの多くは何に使うものなのか検討もつかなかったが、キッチンの主とまで言われるアーチャーはすべてを理解しているのだろう。
食事の際は込み合うが、それ以外の時間は閑散としているそこに足を踏み入れれば、せかせかと動き回っている男がランサーに気がつき顔を上げた。
「よ。何してんだ」
「なぜ、君がここに?」
「てめぇが部屋にいなかったから探しに来たんだよ。仕事中毒め、ちったぁ休め」
今日のレイシフト組から外れており、シミュレーションルームは調整中で使用不可能、マスターから雑用を頼まれてもいない。シフト表を見れば今日はアーチャーも仕事が入っていなかったなと気がつき、部屋に行ったが姿がない。どうせ雑用をしているかここにいるだろうと見当をつけて来てみれば案の定である。
要は暇だったので顔を見ようと思ったのだ。ついでに仕事がない日でも仕事を探しているたわけを少し休ませてやれば、マスターも安心するだろう。
それぐらいの気まぐれと少しの優しさのつもりで声をかけたので、皮肉交じりに一蹴される可能性も十分考えていたのだが、アーチャーはただぽかんと口を開くのみだった。呆けた顔をさらしてからようやく唇を閉じるも、むにむにと口の端が動いている。
くるりと背中を向け、顔が見えなくなる。
「酒がいいかね」
答えるのが遅れる。
アーチャーが振り返るまで、ランサーは何も言えなかった。
「ランサー?」
「お、おう。酒、そうさね。あとはこないだのつまみの、鮭のやつ」
「昆布巻きか。あれは昆布をしっかりともどさなくてはいけないからすぐに出すのは難しいな」
いつもの調子で動いている弓兵の顔は見慣れたものになっている。
先ほどの表情がなんどもなんどもちらついたが、同じものを見せてくれることはなかった。
なんであんなに嬉しそうだったんだ。
どうして引っ込めてしまったんだ。
「そうだ。いいものがある。今日はそれで勘弁してくれないか――っ!?」
そう言いながら冷蔵庫を開けようとしたアーチャーの手にランサーの手のひらが重なる。ビクリと肩を震わせたアーチャーに体を近づけて、普段より小さな声で囁く。
「やっぱいいわ。休め」
「ぁ、いや、酒の」
「いいって。木の実とかチーズとかあるだろ。酒とそれだけ持って部屋に行こうぜ」
「いくって」
言葉は通じているはずなのに意図が全く通じていないアーチャーに、常なら苛立ちそうなものだが、このときは不思議とそんな気分にはならなかった。
体温を感じるほどの距離で、立派に鍛えた体格のいい男の手がランサーの手のひらの下で震えている。こちらに見えているのは背中なので表情がわからないのはもったいない。
「俺とお前、休みなんだから部屋で一杯やっても罰は当たらねぇだろ。飲もうぜ」
声にならぬ吐息がアーチャーから漏らされる。
重ねた手に力を込めて扉を閉めてから、久しぶりに味わう人肌がどうにも放し難くてそのままアーチャーの手の甲を撫でれば、ぴくりぴくりと筋肉が動きこわばる。指の間に己の指を差し込んで軽く握れば、動いていないはずのアーチャーの息が上がっていく。
「ら、んさ」
「ん~? お前の手のひら厚いな」
「……っ、」
あの口の回る男が珍しく、小言も皮肉もないどころか反応する言葉もない。手を握ったまま顔を覗き込もうとするも、さっと背けられたので反対側の肩から再度挑戦するとやはり顔をそらされた。腹が立って、ほとんど鼻がくっつきそうなほどの距離にあった項にうりゃと頭を押し付ける。
「ひゃ、っ! ら、ランサー!!」
「はははっ。テメェが顔見せないからだろ」
「だっ、だからってこんな。近い!」
アーチャーを冷蔵庫に押し付けるような恰好になっていたことに今更ながら気がついて、そっと体を離し手もどかす。あまりに近すぎた距離が適切なものに戻れば、それまで近すぎた距離で温まっていた部分が冷え込んだ。
近づけば温かい。離れればその分寒い。そんなのは当たり前で分かり切っていたことだったのに、この時のランサーはどうにもそれが嫌だった。
「近いのはだめなのかよ」
なあ弓兵、と言いながらいまだに動けないアーチャーの首筋に顔を寄せる。吐く息があたれば褐色の首がびくりと震え、身体が硬直する。追いつめられた獲物のように、震えるも逃げ出さぬ様子にじりじりと本能が炙られた。
「なーぁ、アーチャー」
「だっ、だめ」
「付き合ってるんだろう。嫌がることねぇんじゃねーの」
ふざけていた時より意図的に声を低くして、首ではなく耳朶に鼻先を擦りつければ逃げ出そうと上半身が動くのに、下半身は動けなくて困り果てたのか力なく頭が左右に振られる。
「やめ、てくれ」
「なぜだ」
反応が返って来るせいで容赦なく追いつめたくなる。牙を立てて暴きたくなる。これ以上追うのはいろんな意味で不味いなと理性ではわかっているのが、ついちょっかいを出し続けてしまうのはアーチャーの反応がどこか気に喰わぬからだ。
「いやなのか。照れてんのか」
「嫌では、ない。君が私にこんな戯れをしてくれる必要は」
ないだろう、と吐き出された言葉に己の不愉快の原因を理解してランサーは赤の目を細める。
思えば最初からそうだった。そもそもランサーは対等に競り合えるからこそアーチャーを気に入っていたのだ。なのに、この男は勝手に線を引いてきた。お前は英雄だと言われるのは慣れているし構わないが、目の前の男がそうしてきたことに腹が立った。
今も同じだ。してくれる、だと?
「おい、アーチャー」
本能の手綱を離す。衝動に任せて、目の前にある褐色の肌に噛みついた。
「ひっ!」
「奉仕じゃねぇよ」
「は? な、なにをして」
浅く歯型のついた肌を舐める。痕にはならぬだろう。サーヴァントだからどんな傷だって痕になりはしない。そう思うとなんだか惜しい気持ちになった。
首を唾液でぬらしてから、トンッとアーチャーの肩に顎を乗せる。首を傾けて横顔を伺えば、眉根を下げて口をへの字にしている。なんだか泣きそうだ。そのまま泣ければ楽だろうに。
「俺はしたいことをしている。哀れみでも施しでもない。……わかんねぇのかよ、アーチャー」
なあ、と見上げた先の顔がさらに歪む。
何も言わないアーチャーがランサーの言葉をどれだけ信用したのかはわからない。だが否定はされなかったのでそれで良しとしよう。
うつむいてしまった顔を覗き込むのは野暮だなと自重して、顎を外し代わりに片腕を肩に回す。振りほどかれはしなかったから、しばらく弓兵の体温を傍に感じながら、彼が顔を上げていつものようにキッチンを歩き回るのを待った。
怒りはいつの間にか収まって、待つだけの時間は退屈しなかった。
**
自分の分だけではなく、アーチャーの分のレイシフトおよび当番の予定を確認するのは、いつのまにやらもう習慣となっていた。彼が食堂の担当なら、ランサーは必ず足を運ぶことにしている。なぜかってやつの飯が非常に美味いからだ。こればかりは不可抗力というものだった。
今日は午前のレイシフトでしっかり動いたので、大盛の白米によく合う魔猪肉の味噌焼き定食をかき込んでから、配膳と片付けを終えようとしていたアーチャーを手伝うためにキッチンへと入る。一仕事終えた君に手伝わせるのは、などとごにょごにょ言い出したアーチャーは自身が午後からのレイシフト組だということを忘れての失言だったのだろうか。もちろんブーメランで論破して手伝った。
「いいんだぞ。そんなに手伝ってくれなくても」
「お前は当番じゃなくても手伝ってるだろ」
「それは……私でも役に立てるならと」
「趣味が家事だって認めろよお前は。誰も咎めやしねぇし、マスターだってお前が楽しんでるなら喜ぶだろ」
む、アーチャーが黙る。正論で言いくるめられたことに満足して、ランサーは笑いながら背中を叩いた。
「俺だってお前さんがつくる飯食えるのは嬉しいしな」
初期のカルデアの食糧事情は酷いものだったが、気がつけばランサーの知るどんな記録よりも豊かになっているように思う。生前のように既知と食卓を囲んでワイワイやれるのも楽しいし、アーチャーの出してくる食べたことのない料理に舌包みを打つのもまた一興だ。
「今日の味噌焼きは臭みがなくて美味かったな。こないだのパリっとしたので鮭を包んでたやつも美味くて――」
並んで歩きながらあれが美味いこれが美味いといえば、アーチャーはひっそり唇をむにむにさせてから、ほころばせる。それは嬉しいからで、かつ表情を取り繕わないほどに気が緩んでいるのだと気がついたのはいつだったか。
こうやって褒めたメニューは遠くないうちに再登場する。あるいは夜食だとランサーに差し入れられた。弓兵のわかりやすい行動は、ランサーの内側をやわらかくくすぐる。
「っと、ほら開けろよアーチャー」
うっかり通り過ぎそうになっていたアーチャーの部屋の扉を指せば、アーチャーは無言で鍵のかかっていない扉を開ける。鍵をかけていないのはランサーもなので、不用心さに言及するつもりはない。どうせ盗るものもない。
室内は何度見ても簡素すぎて、置いてある私物らしきものといえば何冊かの料理本ぐらいだ。やっぱり趣味なんじゃねーかと思いながら、勝手にベッドに腰かける。
「何か用だったのかね」
扉を閉めたアーチャーに尋ねられてランサーは首を横に振った。
「いんや」
「……戦闘したいとか食事のリクエストとか酒のつまみとか」
「してくれるなら嬉しいが?」
扉の前から動かないアーチャーに眉を寄せ、ランサーはベッドから立ち上がる。
「何考えてるんだ、言え」
「っ……私を手伝ってくれ、ここまで来たのは何か用事だったのでは」
「はぁ? いやなんもねーけど」
アーチャーは妙に必死だが、今からレイシフトに入っている相手に、腹ごなしに付き合えと戦闘を挑むほど考えなしでもない。
食事をしに行き、その後に手伝ったのは完全についでだ。一人で洗い物をしているアーチャーが早く終われば、午後のレイシフトまで少しぐらい時間が空くだろうと。
「強いて言うならお前さんが少しでも休めばとな……?」
口に出してもしっくりはこないが、ふとそんな考えがよぎったのは確かなのでとりあえず口にしてみる。理由としても悪くないだろう。働きすぎて倒れそうなキッチンの英霊をいたわる。マスターに感謝され夕食の品も一品増えそうだ。
なかなかイイな、と自画自賛しているランサーの前でアーチャーは顔を伏せてしまった。恩を着せるつもりはないので感謝はされなくてもいいが、この不器用で意地っ張りな男の表情が見えないのは考えていることが読みにくくて困る。
「んだよ」
別に唐揚げ増やせとかは言わんさね、と口に出す前にアーチャーが唇を開く。
「……ランサー、その」
言いにくそうに視線をそらしたまま、アーチャーはぼそぼそと言葉を続けた。
「ふ、って、くれないだろうか」
「あぁ? そりゃあ俺が決めるって言っただろ」
「だ、だが」
降ろされている前髪のせいで表情が隠されていて、まどろっこしいと手を伸ばしかけた。
「しあわせ、すぎて」
だめなんだ、とゆるく首を横に振った。
「早く終わらせてくれ。でないと……」
泣くのかと思った。そんなはずないだろうに。
この男が泣いたりなんかするはずもなかった。万が一そんなことがあっても、その時はひとりだろう。あの女神も、マスターも、隣には居させないだろう。
ましてやランサーの前で、泣くはずもなかった。先日だってそんな姿は見せてくれなかったのだ。
「もう、いいだろう、ランサー。もう終わらせよう、終わらせてくれ」
終わらせてほしいと懇願する弓兵に、ランサーは何もしていない。挨拶をし、与えられた食事を食べ、何かさせてくれと伸ばされる手を拒否していないだけだ。幸せすぎると彼が零すようなものは、何も与えていない。
なにひとつ、与えていなかった。
それなのに弓兵は幸せ過ぎるという。何ももらっていないのに、もう十分だと終わりを求めるのだ。
「いや、だめだ」
「なんっ」
「てめぇ、まだ何も受け取ってねぇだろう。幸せ過ぎるだ? 俺が何をしてやったよ。何もしてねぇ。そういうセリフはせめて俺が色々してからに言え」
「君は!!」
突然声を荒げたアーチャーは剣呑な色を宿した瞳で正面からランサーを見据える。戦闘時すら思い起こすその眼差しに、こんな状況にもかかわらず興奮した。
その眼がいいと言えば、怒るだろう。
殺気を孕んでくれれば文句なしだと言えば、どんな顔をするだろうか。
口を開くと余計なことを言いそうだったので黙ったままのランサーに、アーチャーは何を勘違いしたのかますます声を荒立てる。
「わかっていない! 君に私が懸想するなどそれ自体が不敬なのに! 君は何一つ拒まなかった! それで、十二分なんだ、オレは」
私は、とつぶやいてアーチャーの顔から感情がするり零れる。諦めたような、なくしたような、サーヴァントやカルデアのスタッフと笑い合うマスターを遠くからみているときのものだ。
それは見慣れていたはずの弓兵の顔だった。なのに新鮮に感じて、ここしばらくはその表情を見ていなかったのだとようやく気がつく。
「てめぇの言い分はわかったぜ、アーチャー」
「……なら」
ふっと目の前の男から覇気が薄れる。
「保留だ」
「はぁ!?」
私の言ったことを聞いていたのか!! と叫ぶアーチャーにひらひら手を振る。頑なに振ってくれと言われると、そうしたくなくなるのは性だろうか。
「別れてくれってんなら考えるが」
「ち、違わぬだろう!?」
「別れるってのは、やっぱり好きじゃなかったとか付き合ってみて違うってわかったからとかそういう理由の」
「そんなはずないだろう!!」
「おわっ」
先ほどよりも大音量の声に、耳の奥がびりびりする。何だよ突然、と弓兵を見れば浅黒い肌が赤らんでいる。
「それだけは……ッ」
「別れたくねぇのに振ってほしいのかよ」
ややこしい。なんてややこしい男だ。
そもそもランサーの生きた時代ではこんな交際方法はない。あったかもしれないが、ランサー自身は知らない。
惚れたら求め、奪い、抱く。シンプルでわかりやすい。なのに今のランサーとアーチャーの関係はどうだ。ランサーとしては不快ではないしアーチャーの飯は美味いし、世話を焼かれるのにもすっかり慣れてしまったから続けているが、アーチャーとして何か得るものはあったのだろうか。
まだ、ランサーは何もしていないというのに。
「振ってくれないと……君を」
何かを言いかけてもそこから先が続かないアーチャーに手を伸ばす。頬を包んで、まあるく見開かれた目の端を指でなで、顔の輪郭を伝うように手のひらを滑らせて、震える唇の端をかすめながら顎へ引っかける。
動かないアーチャーに近づいて、べろりと唇を舐めた。
「抱いてもねぇな。やっぱり付き合うっていったら……ん?」
固まっていたアーチャーが片手をランサーの胸に置く。突き飛ばされるかと警戒していたのだが、その手はずるりと滑って落ちていっただけだった。
「……、るのか」
「なんだ?」
先ほどランサーがなぞった部分を染めながら、常ならば何にも曲げられぬ意志の強さを宿しているはずの鋼色の瞳がゆらゆら揺れる。
「だいて、くれるのか」
探るような、伺うような視線を一瞬だけ向けられて。
ランサーの奥にじりと火が点る。
迷っているのだ。己の感情を切り捨てようとしていたあの弓兵が。「付き合う」という形式以上のものをランサーから受けとってもいいのかと、迷っているのだ。
それがわかったからランサーの唇がつりあがり、赤い瞳は濃さを増す。
「ああ――いいぜ」
息がかかる程に顔を近づけて、空いている手を肩から腰へと滑らせる。指先に力を込めて引き寄せれば僅かに抵抗があったものの、二人の距離は縮まった。
「今から?」
「い、まは。困る……」
アーチャーは両手を所在なさげに中途半端な高さにあげながら、もごもごと口を動かす。この後予定があるのだから、断るのは当たり前だろう。その返事が「ダメだ」や「いやだ」ではなく、「困る」だったからランサーの機嫌はさらに上向いた。
「いつならいいんだ?」
顔を寄せる。仄かに赤く色がついた耳朶に唇で触れ、焦らすように二度、三度とかすめる。直接触れているから、その都度アーチャーの身体が反応するのが分かって面白い。
「とっ、とりあずいまは! 困る!!」
「はいはい。また後でな」
すっと手と体を離せば体温が遠ざかり、アーチャーの肩に入っていた力がふっと抜けた。一呼吸の間に彼の佇まいはいつも通りになり、片手で前髪を撫でつけていつもの赤い礼装を編みなおす。
赤い布が煽るように目の前でひらり翻る。鍛え上げられ本来の体格よりも分厚くなっている上半身から、元々の骨格のままの腰へのラインは、密着している霊衣で露わになっている。
「……エロいな」
「は?」
「いーや。楽しんで来いよ」
「ただの素材回収だが」
廊下に出ながら怪訝な顔になったアーチャーの腰に手を伸ばせば、布一枚の下にある引き締まった肉の熱さを感じる。
「なっ、にを」
「また後でなアーチャー」
これ以上廊下で無駄話をすると真面目な当人に怒られかねないから、するり手を放して立ち去ることにした。本当に今から抱きたいわけではない。
あの男はいつも、仲間と笑い合うような刹那の心地よさを手に入れたいと望むことすら諦めている。諦めている顔をしている。ランサーの傍らにいることでそんな顔をさせなくて良いのなら、それで良いかと思ってしまうのだ。
**
戦闘時に翻る赤い礼装は記録の中でも印象に残るものだったし、召喚されてからも何度も見た姿だ。どうしてその身にまとう色が赤なのか聞いたことはないが、鮮やかな色の布が揺れる様は、様々なサーヴァントがいる中でも良く目立つ。
廊下の角を曲がったところでその色を見つけた。振ってくれと言われたのを保留にし、抱くかどうかという話までしたにもかかわらず、もう幾日もろくに顔を合わせていない。それもこれも、だいたい微小特異点の所為である。
思い返せば先日のランサーは少しばかり血迷っていた。なんだか抱いてもいい気がしたのだ。あのまま時間があったら、本当に抱いていたかもしれない。
何にせよ、いま顔を合わせれば微妙な空気になるのは予想できるし、なんて声をかけようか、とランサーにしては珍しく二歩目を躊躇っていると、アーチャーは目の前に現れた人物に足を止める。
遠目にでもランサーと同じ青い髪が見えた時点で、そいつが誰かは考えるまでもない。
何かを話しているようで、アーチャーが首をかしげる。キャスターが手にした杖を掲げれば、アーチャーの肩が震えた。
ちらり見えた横顔は、確かに笑っていた。
「……チッ」
とっさに身をひるがえし俊敏Aの速さで壁に隠れてしまったランサーは、所以の分からぬ苛立ちに舌打ちをする。張り付いた壁が冷たくて、頭を冷やせとでも言っているようだ。
見つかりたくなかった。見られたくなかった。見たくなかった?
己の心理を探りながら、ランサーはそっと壁から顔を出す。
キャスターがしまらない顔をアーチャーに向けている。何かを見せたのか、アーチャーが半歩近づくと、するりとキャスターの手が背中へ回される。アーチャーが頭を動かしているが、嫌がるそぶりはない。そのまま談笑するキャスターの手はすすすと腰から尻のラインを辿っていく。ぴったりとはりついた礼装により露わになっている身体の線を指が滑っていく。一度だけならまだしも、同じ個所を二度三度と往復し、礼装の下の肉を確かめるかのようにゆっくり、ゆっくりと指先が遊ぶ。
明らかに不埒な触れ方をしているのに、アーチャーは拒む様子も咎めるそぶりすらない。キャスターが軽く抱き寄せ、耳朶の近くで唇を動かせば再び肩が小刻みに動く――笑っているのだ。クー・フーリンにそれだけ近くに寄られて警戒をすることもなく、隠すこともせず、ただただ全身で穏やかに笑っている――……。
否、否、否。
そこは俺のものだ。
そう、思った。思ってしまった。かつて寵姫を手に入れたいと願ったときと似た、しかし異なる感情がランサーの腹の内を満たしていく。たちまち内側から肌を通じて染みだしそうになるそれは、一つ名前を付けるならおそらく。
「――……アーチャー」
一度思ったら、もうだめだった。
ランサーは大股で歩みより、アーチャーの外套に滑らされていたキャスターの指を掴む。呆けた顔になったアーチャーと違い、キャスターは得たりと言わんばかりの訳知り顔で、それがさらに苛立った。
「遅っせぇよ」
「わざとか」
怒気を辛うじて堪えているのに、同じ顔の同じ過去を持つ、違う思考の男は煽るような笑みをたたえたままだ。
「おい、槍の。駄々洩れの殺気をしまえ」
「おかしいと思ったんだ。俺がそうならテメェも」
ランサーとキャスターは嫌気がさすほどに同じだが、確固たる別の在り方でもある。思考も、心も共有されてはいない。共有されていないが、考え方も、好みも、それまでの過去が形作るものである。同じ過去ならば、必然的に――
「ははっ。そうならどうするんだ」
あからさまに挑発してきたキャスターの顔を思わず殴りつけそうなる。正確にいえばランサーは確かに手を振り上げた。そのまま殴らなかったのは、傍らにアーチャーがいたからだ。
「何をするんだランサー!?」
「気にすんな。こいつは俺より短気なだけだ」
自分と同じ顔に、同じ存在に、拳を握りしめたまま震える様は滑稽だった。意識的に深呼吸を繰り返して、何とか体の緊張を解く。
「なんのつもりだ……!」
「ちょっとした憂さ晴らしさね」
「憂さ晴らし?」
「確かに縁も情もあるがお前と俺は違う」
「…………俺自身だというなら信用ならねぇ」
己を見返ってのこの上なく正直な感想だったのだが、キャスターは唇の片側を吊り上げて笑った。いやな気分にしかならないソレが内包する感情はわかれど、理由はまったくわからない。
この度に及んでもキャスターを案じる様子のアーチャーの前に立ち、勝手に飛び出さないように腕を伸ばす。あからさまにキャスターから遠ざけようとする動きに、自称ドルイドは首を横に振った。
「テメェがあまりにも鈍感なんで、遊んだだけだっての」
とんだ貧乏くじだぜ、と言いながらフードをかぶる。顔に影が落ちて表情が読めなくなった。そのまま背を向けるキャスターを今は追わない。今は。
今は、弓兵の方が優先だ。
「キャスターに、用事があるのではないのか」
「ねぇよ!」
本当にわかっていない顔をしていたアーチャーの腕を掴む。彼がそれ以上何かを言う前に、キャスターが触れていた場所へとランサーの手のひらがあてられる。まるでその手が燃えてでもいるかのように、アーチャーは身体をびくつかせて遠ざかろうとする。
「っ、なにを!」
「あいつにはよくて俺はだめなのか」
「違う、キャスターは」
「アーチャー」
逃げるな、と命じれば手のひらの下で筋肉が縮んで固くなる。緊張しているのか。怖くなったのか。いずれにせよ気に喰わない。先日のような熱だって感じない。
「アーチャー」
再度呼びかければ、それだけでランサーの吐息の温度は上がる。動かないアーチャーの腰に這わせた手のひらに力を込めても、その身体はランサーのほうへと引き寄せられはしなかった。
この男もサーヴァントだ。片手に多少力を込めたところで、本人が望まなければ易々と抱き寄せることなど敵うまい。
理屈では判っているのに腹が立つのは、先日はそれが容易かったからだろうか。それとも、目の前で自身ではない自分がそれをしていたからだろうか。この男が、それを許したからだろうか。
アーチャーがそちらを望むなら、ランサーが何か言うことは出来るだろうか。意味はあるだろうか。考えても判らないのに、叫びたくなる衝動だけが喉を突き破りそうだ。
「なぜ俺なんだ」
「は?」
「術ののほうが付き合いが長いだろう。あいつも、俺も、クー・フーリンだ」
アーチャーはキャスターとのほうが朗らかに笑っているように見えた。距離も近くで、触れられても拒否がなかった。それでも、弓兵が振ってくれと頼んだのはランサーだった。すきだと、確かにこの耳で聞いた。この男が望んだのは、ランサーだった。そうだと、思っていた。
「なぜ、とはよく判らないのだが……」
明らかに困惑しきったアーチャーに見つめられて、ランサーの名前の付けられない激情も少しだけ凪ぐ。いきなり捕まえて捲し立てられても、確かに伝わりやしないだろう。
「なんで、キャスターじゃなくて俺に振ってくれと頼んだんだ」
「は!? いまさら、何を言っている」
ザ、と顔を青ざめさせたアーチャーが何かを誤解している気配を察知して、ちげぇよと舌打ちしてからもう一度腰を撫でる。その下の筋肉は固いままだ。
「俺のことが好きだと言った」
「……い、ったぞ。それがどうしてキャスターの話になる」
「あいつと俺は同じクー・フーリンだ。先にここでお前に会ったのもあっちだ。なのにどうして、俺だったんだ」
問い詰める声色は、我ながら余裕がない。どんな答えが返るのか予想がつかず、それでも聞かずにはいられなかった。本当は、お前が隠すことなく穏やかに笑えるのは、あの青の隣であって己ではないのかと。そう聞いてしまたかった。
「俺の隣じゃ、笑えねぇのか」
沈黙に堪え切れず零せば、アーチャーが怪訝な顔をする。
「今だって、逃げようとしてる。あいつが触ってた時は、筋の一つすら動かさなかったくせに」
すり、と手のひらを滑らせた礼装の下の筋肉はまだ固い。
与えたかったのだ。求められて、嬉しかったのだ。弓兵が与えて欲しがる相手が己だとわかったことが、とても、嬉しかったのに。
「――ふ」
硬く結ばれたアーチャーの唇が綻んで、ふは、と息が零れた。
ふるりと肩が震えて、その振動がランサーの手のひらにまで伝わってくる。
「は、ははは。き、君は自分相手にどういう誤解をしているんだ」
ふふふふ、と眉間も眦も唇も頬もすべてをゆるゆる溶かして、小波が広がるように笑っているアーチャーを正面から呆然と見つめる。
穏やかで、子供みたいな笑顔だった。
その顔のままで真っすぐランサーを見つめて、アーチャーは鈍色の瞳を煌めかす。
「……隣にいると意識してしまうのだ、仕方ないだろう。オレが好きなのは、君だよ。何度も殺し合い、血を流しあった、ランサー……君だ。君が俺にとっての、クー・フーリンで、君しか、いない」
飾り気もなく。詩的な言葉も、情熱的な声色もなく。
ただただ真っすぐに語られた告白に、心臓の脈打ちが速くなりすぎて体内をめぐる血が加速して、頭の奥からびりびり痺れる。それとは別に、ただ目の前の存在を強く抱き寄せたくて、やさしく触れてやりたくて、矛盾した衝動を宥めるため、ランサーはほとんど同じ身長のアーチャーの首に顔を埋めた。
「あー……お前、ほんと、お前なぁ」
「なんだね。甘い言葉がお望みだったのならすまないな」
「これ以上甘いとか俺を胸焼けで殺す気か」
黙ったアーチャーは、きょとんとした顔をしているのだろう。想像できてしまって、その想像の顔がとても可愛いなとも思ってしまって、ランサーは彼の肩口に顔を擦り付けた。
手のひらの肉は柔らかくて、少し力を込めれば従順に形を変える。素肌を撫でればきっと吸い付くようで気持ちいいだろう。
「くっ、くすぐったいぞ」
「お前に触れたい」
ぴたりとアーチャーが動きを止める。
その表情はあえてみないまま、壁に押し付けた彼の手に己の手を重ねた。ゆるく組んだ指を、強請るようにすりりとすり合わせる。
「お前を抱きたい」
「……っ、」
「アーチャー……」
熱を帯びた声で耳朶に囁けば、触れ合っている部分からアーチャーの体温が上がっていることも、身体が震えていることも筒抜けだった。なのに先へ進む許可を出さない意地っ張りの耳朶にやわく噛みつき、二度、三度と甘噛みをする。
「なあ、アーチャー」
「かっ、む、な!」
「抱かせろ。お前が欲しい」
戦うのも、殺し合うのも、喧嘩をするのも、笑うのも。
アーチャーの相手は、彼の一番近くは、ランサーのものだ。
その場所は、たとえ同じクー・フーリンだとて譲れない。
「きっ……君はずるい」
前に聞いた言葉だった。告白してきたアーチャーが崩れ落ちながらつぶやいたものだ。その時よりどこかふわふわした声で、ずるい、とアーチャーは繰り返す。
「私が拒めるはずなんか、ないだろう。きみは。ずるいな」
顔は見えないけれどきっと笑っているのだろう。
気配を柔らかくしたアーチャーの項に鼻を押し当てて、ランサー自身の体重をかければ危なげなく受け止められ、彼の腕が背中に回る。
「アーチャー」
続けてわずかな音で構成された言葉を囁けば、腕の力が強くなる。
空耳か気の迷いかと言いだしそうな頑固者の項に軽く歯を立てて、わざと音を出し吸い付いて濃い赤を残してから、もう一度繰り返す。
これは宣告だ。
「好きだぜ、アーチャー。だからお前は俺を欲しがれ。嫌ってなるほど、与えてやる」
何も受け取っていなかった弓兵に。
今度は槍兵が与える番だ。
「君が――そんな、私にそこまで」
「俺はどこにだってお前を勝ち取りにいく」
息を詰めたアーチャーの首にまた一つ痕を刻む。すぐに消えてしまうだろうし、濃い色の肌では目立たないが、近寄れば十分にわかる。近づいたやつにわかれば、それでいい。
二つの痕はとても隠せない場所につけたが、反対側にもつけるべきだろうか。いっそぐるりとどこから見ても目に入るようにするべきか。そう思いながら、三つ目の場所として耳の付け根に目星を付ける。
これは俺のものだと示すための印だ。近寄るのは許すが、こうして触れるのはランサーだけにしてしまいたい。
「ちょっ――やめ、やめるんだランサー」
「なんで」
「廊下! だからだ!」
ランサーの胸に手を当てて、何とか押しやったアーチャーのくしゃりとなった顔もまた良い。
「誰も居ねえだろ」
「たわけ! 角にいる……ッ」
見える範囲に人影はないが、確かに廊下の角の向こう側にはいくつかの気配がある。その中にマスターもいるようだったが、ランサーについてはそちらの方が好都合だ。
しかしこのまま押し切れば、アーチャーが怒りだすのは目に見えていた。行為自体に拒否はされていないのだから、場所を選べということなのだろう。
「お前の部屋でいいな」
返答は待たぬ。二の腕を掴み引っ張れば、鍛え上げられた筋肉の感触が心地よい。ただ掴んでいるだけだから、その気になれば振りほどけるはずなのに反撃も逃走もされないあたり、返事は聞くまでもない。
アーチャーの部屋に入り、早々にベッドの上に押し倒す。床ではないだけ気を使ったつもりだったが、乱暴すぎると小言を言われた。
「理想のエスコートは次回な」
今は余裕ねぇの、と手首を縫い留めれば眦まで赤くしたアーチャーは視線を逸らす。
どく、どく、どく。押さえた手首の下で、脈が速くなっていく。
「そっ……そもそも! そういう対象ではないと言っていたではないか! なんで、こんな突然」
「さーなぁ。付き合ったのがきっかけだとは思うが」
狙っていた耳の付け根に吸い付く。ひっ、と背をそらしかけるのを抑え込み、わざとチュプ、と唾液と空気の混ざる音をたてた。
「お前が、何もかも自分のモノを諦めて手放しちまうお前が俺には何か望めるなら――ソレも、ほかのものも、与えてやりてぇって思ったんだ」
だから、抱きたいと思ったのだ。
当初は己の感情を切り捨てようとしたアーチャーが、ランサーの傍にいることでさらに先を望むようになった。迷いながらも欲した。その事実がランサーにとっては喜ばしく、興奮する。
「……オレに、そんな資格など」
「与えるのは俺だ。俺はお前に与えたい。それから――……」
何も自分のモノを持たない男が。文字通り正義に殉じその身を燃やし尽くした男が。刃を交わす瞬間だけではなく、戦士としてだけではなく。サーヴァントでも抑止力でもない「エミヤ」としての存在がランサーを欲し、耐えきれず、その望みを表に滲ませた。
人類のためにその身を捧げた男が、壊れるほどに酷使されてもその気配を感じさせぬほど忍耐強い男が、たったひとりへ隠せぬ我欲を向けている。
幾ら英雄と称されていても、それほどに欲されていたことなどあろうか。
「お前に、望まれたい」
「のぞむ」
「そうだ。俺が欲しいと叫べ。俺を望むと宣誓しろ。その代わりお前も俺のものだ――エミヤ」
真名にアーチャーはぴくり反応する。なじまぬ名前だが、今はその呼び名でないと意味がない。
「クー・フーリンを望め、エミヤ」
ため息をついたアーチャーはランサーから顔をそむけたままだ。両手を自由にすれば、右腕を動かして顔を隠す。黙って先を待っていれば、左手がゆっくりとランサーの肩に回された。
「きみの、戯れだけで十分だったのに」
ずるい男だ、とくぐもった声でアーチャーは笑う。声色にはどこか明るさが混じっていて、彼が諦めたことがわかる。どうせこの現界限りだとか今回は特例だからとか、そんなことを考えて、もうすべて知られてしまっているならと開き直ることにしたのだろう。
こちらに都合がいいから、その点を指摘するのは後回しだ。
アーチャーから触れられている個所を意識しながら、腕で隠されている顔の代わりに色の抜けている髪を弄び、項を撫でる。
「十分なものか。本当に満たされたなら、振れと言わないだろう」
ランサーと「付き合う」ことで本当に満足できたのなら、改めて振れなどとは言わぬはずだ。
そもそも、アーチャーは意志の固さだけで英霊に比する実力を得た男だ。この特殊な環境であろうとも、不要と考えた感情を切り捨てることが本当にできなかったのだろうか。ランサーに振ってもらうなどという突き抜け過ぎた選択肢を選んだのは――……。
なるほど、思っていたよりエミヤはクー・フーリンに信を置き心を許していたようだ。
「往生際が悪いな。――甘えてたんだろう。俺に」
「そ、うなのか」
「お前が自分の気持ちの整理をつけるのに、他人を盛大に巻き込むかよ。そういう下手は打たねぇだろう。だから、お前は俺に甘えてるんだよ」
嬉しいんだと伝えれば、ランサーの背に回っているアーチャーの手に力がこもる。その力に逆らわず引き寄せられるに任せると、彼の額がこつりと肩にあたった。相変わらず表情を見ることはできないが、暴くのはいつでもできると己に言い聞かせて抱きしめる。
「ランサー、私は」
「クー・フーリンだ」
「クー・フーリン。私は――わたしは、この奇跡のようなひと時だけでいいから」
「そういう余計な前提はいらねぇよ。俺が欲しいだろうエミヤ。」
お互い答えはわかり切っている。それでも口に出せとランサーは強請った。アーチャーはそれをちょっとした意地悪だとでも思ったのか、それとも恥ずかしさが限界突破したのか、喉奥でうぐぐと唸ってから、大きく深呼吸をした。
「……きみが、クー・フーリンが、欲しい」
「ああ。俺もエミヤが欲しい」
同じ言葉を返しただけなのに、はっと顔を上げたアーチャーはランサーを見つめてから幼く笑う。
「ほんとうに、君は」
そこから先の言葉は唇を合わせるだけの児戯で黙らせる。チュ、と触れ合うものの熱の交換はなく、くすぐったいだけの刺激を繰り返した。
最初は従順に応じていたアーチャーも、三度四度と繰り返せば身を引こうとしたが生憎と腕力はランサーのほうが強い。そのまま、刺激を強めないで繰り返す。
「ら、んさー、やめ、んっ、チュッ。はは、ちょっ、んッ」
アーチャーはキスの合間にくすくす笑う。何を考えているのか大方察しがついたので、あえて助長するためにべろりと唇の端を舐める。
「えみや」
「なんだね」
すっかり警戒も緊張も解けている無防備な眼を覗き込み、もう一度ちゅっと口付けてから、冗談を言っているように見えるよう笑みを浮かべつつさらりと強請る。
「お前を俺にくれよ。いいだろ?」
「……あぁ、いいとも」
仕方がないなと言いたげな表情の彼は、目の前にいる男を犬かなにかだと思っているのだろうか。そのうち考えを訂正させるとして、今はもっと大切なことがあるので、褐色の肌を撫でることに集中する。
「クー・フーリンにエミヤをくれ」
「あ、ああ? んっ、わかった、やる、やるから」
何度も啄みながら霊基の表面を撫でまわす。くすぐったそうに笑っている彼の頤に指をかけげぐいっと上を向かせて、今度は戯れではない口付けを贈る。
「んっ、ふ――!」
はふ、と息を漏らした唾液に濡れた唇をもう一度舐める。ここから先に言葉は要らず、今度こそ二人でシーツに沈んだ。
未だぐっすり寝ている部屋の主を起こさぬように、足音を殺して部屋の外に出る。サーヴァントには厳密な意味での睡眠は不要なはずだが、注ぎ込まれた魔力変換にはしばらくかかるだろう。探し人のブーディカはすぐに見つかったので、本日のアーチャーのキッチン担当変更をして欲しいと伝えれば、あっさり了承してくれた。
「無理しないでねって伝えてね」
どういう意味なのかと聞くほどランサーも野暮ではない。後はマスターに緊急のレイシフトには入れないでくれと伝えようと廊下を歩いていれば、ちょうどよく正面からマスターとそれなりに縁のある魔女が歩いて来た。
「よぉマスター。頼みがあるんだが」
「どうしたの? メディアもいてもいい?」
足を止めたマスターにおうと首を縦に振る。すぐ終わるしたいした話でもない。
「今日はアーチャーを連れ出さないでやってくれ」
「うん? 予定にはないしいいけど、どうしたの?」
「あ~~、ちょっとした体調不良っていうか」
「えっ、エミヤが!? 霊基になにかあった? ダヴィンチちゃんに相談したほうがいい?」
「待ってマスター。放っておきましょう」
半目になったメディアが止めに入るが、マスターは明らかに動揺する。納得いかなそうな様子にメディアはため息をつき、クー・フーリンをねめつけた。
「あなたね……今日の昼と夜は彼、厨房の担当だったでしょうに」
「ブーディカにはもう伝えたっての」
「そういう問題では……いいわ、後で叱られなさい。マスター、彼は平気よ。どうしても心配なら私が様子を見に行くわ。マスターが顔を出すと余計に気疲れするでしょうから、明日までは部屋にいかないようにしなさい」
これで良いわね? と言わんばかりの表情で視線を送られる。思っていたより配慮してくれるのだなと驚いたが、おそらくランサーへよりはアーチャーへの配慮だろう。いずれにせよ助かったので、礼の意味を込めて笑いかけたがやれやれと首を横に振られただけであった。
しぶしぶ納得したマスターから見舞いの言葉を預かって、キッチンでコップと水差しを手に入れ、部屋へと戻る。起きたら怒るだろうか。文句を言うだろうか。背中を向けて黙りを決め込むだろうか。何れにせよ本気で愛想を尽かしているわけではないのだから、可愛く思うだけだ。
仕事をできなくさせた詫びと理由付ければ、今日ぐらいは甘やかされることを承知してくれるだろうか。甘え下手に判りにくく甘えられるのも悪くはないが、死んでも他人の世話になどならぬという顔をしている世話好きを思い切り甘やかすのもそれはそれで悪くはない。
せっかくアレが口に出してクー・フーリンが欲しいと言ったのだ。ほぼ言わせたようなものだが、言葉に、音にすればそれは契約としての効力を持つ。なにより、戯れのようなやり取りの中とはいえ、あの男が己の望みを言葉にまでしたのだ。ケルト戦士がゲッシュとするには十分である。どうやってその身を縛るものから身も心もきっちりと奪ってやろうか。障害は高ければ高いほど燃え上がるのが恋心というものだ。よかろう、無理難題は好物である。
上機嫌に鼻歌を歌いながら、ランサーはアーチャーの自室へ入る。ゆっくり閉まった扉の中。しばらくは恋人達の時間。
アーッなぜこの作品を知らなかったのかが悔やまれます!最高!